The First Ascent of Lopchin Feng

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● JAPANESE ALPINE NEWS 2009
平出和也+谷口ケイ(記:谷口ケイ)
TATSUO (TIM) INOUE
The First
カメット南東壁初登攀
Ascent of Lopchin Feng
Autumn 2009 Expedition to the Kangri Garpo East Mountains, Tibet
2005 年に外国人に開放されたカメットは、現在インドで登攀が許可されている山の中で
は最も高い山だ。
(* 最高峰はカンチェンジュンガ、第二高峰はナンダ ・ デヴィだが、その
どちらも現在登山許可は出ていない) 多くの岳人がこの山へ向かうが、気象条件が悪く、
登頂率は低い。私達は、偵察と順応と、それに伴って登攀計画を練るべく、遠征期間を十
分にとることにした。
ベースキャンプから、目的の南東壁取付きまでは、東カメット氷河を遡ること 3 日。こ
の壁の懐に入る前に、幾箇所かでキャンプを設けて順応しながら壁の状態を偵察し、下降
路を確保し、天気の周期を観察した。
一回目の偵察行では、東カメット氷河上から南東壁正面を観察。
二回目の偵察行では、東カメット氷河からノーマルルートへ登り、6600m の小プラトー
から壁の状態を偵察、7000m を越えてカメットの衛星峰アビ・ガミン頂上近くまで登る。
この偵察で、壁の何処に核心が潜んでいるか、雪崩の大きな危険は無さそうだということ、
雪質、クレバスの存在、自分たちの高所での状態、などを確認することが出来た。
6600m には二泊し、壁の様子を 3 日間に渡って観察、登攀中苦労するであろう大きな核
心は 3 つと確認しあい、これによって壁の中でのビバークは最低三回になるだろうと予想
して登攀計画を詰め、この後の BC での休養中に、ギアや食料の取捨選択を話し合った。壁
に持っていく食料は四日分+予備行動食三日分とした。
Map-1 Climbing route to Lopchin Feng
BC での休養に入った翌日から天気は一変、一週間大雪が降り続き、結局 10 日後の 9 月
26 日に三度(みたび)BC を出発、目的の南東壁登攀へと向かった。深雪の中、東カメッ
ト氷河を C1、C2 と進み、壁の基部 5900 mにて ABC を張る。翌 9 月 29 日、快晴周期四日
目にカメット南東壁登攀は始まった。
一日目:5900m-6600m クレバスを越えて雪と氷と岩のガリーへ。この日は殆ど急な氷
雪壁。予定通りに高度をかせいだ。氷を切って、半分ぶら下がりビバーク。満天の星空だ。
二日目:6600m-6750m 第一核心、グサグサの氷と岩とスカスカ雪のミックスクライミ
ングが始まる。夜の間じゅう、チリ雪崩がテントを襲っていた。
三日目:6750m-7000m 第二核心、ボロボロの氷と岩が容赦なく立ちはだかり、続く。
第二核心は一日で越えられず、氷の棚を切ってテントに体を収めたのは夜も更けた頃。
四日目:7000m-7100m 第二核心を抜け雪壁を進み、第三核心下にて早めに行動終了。
五日目:7100m-7250m 第三核心、岩と氷のミックス~氷。これを抜けて、上部バナナ
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JAPANESE ALPINE NEWS 2009 ●
クーロワールへ。
TATSUO (TIM) INOUE
六日目:7250m-7600m バナナクーロワールの雪壁をひたすら登り、雪稜近くのクレバ
The First Ascent of Lopchin Feng
スの中にてテントを張る。頂上稜線には雪煙が巻いている。
Autumn 2009 Expedition to-6600m(C4)
the Kangri
Garpo East Mountains, Tibet
七日目:7600m-7756m(summit)
チベット高原から昇る朝日とカイラス
を拝んだ朝、一時間程雪壁を登ると、そこにカメットの頂上が待っていた。相変わらずの
好天に、360 度の大展望。世界の果てまで見えそうなくらい沢山の山があったけれど、やは
り地球は丸く、その先は地平線となって消えていた。
Map-1 Climbing route to Lopchin Feng
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