140 141 142 143 ● JAPANESE ALPINE NEWS 2009 平出和也+谷口ケイ(記:谷口ケイ) TATSUO (TIM) INOUE The First カメット南東壁初登攀 Ascent of Lopchin Feng Autumn 2009 Expedition to the Kangri Garpo East Mountains, Tibet 2005 年に外国人に開放されたカメットは、現在インドで登攀が許可されている山の中で は最も高い山だ。 (* 最高峰はカンチェンジュンガ、第二高峰はナンダ ・ デヴィだが、その どちらも現在登山許可は出ていない) 多くの岳人がこの山へ向かうが、気象条件が悪く、 登頂率は低い。私達は、偵察と順応と、それに伴って登攀計画を練るべく、遠征期間を十 分にとることにした。 ベースキャンプから、目的の南東壁取付きまでは、東カメット氷河を遡ること 3 日。こ の壁の懐に入る前に、幾箇所かでキャンプを設けて順応しながら壁の状態を偵察し、下降 路を確保し、天気の周期を観察した。 一回目の偵察行では、東カメット氷河上から南東壁正面を観察。 二回目の偵察行では、東カメット氷河からノーマルルートへ登り、6600m の小プラトー から壁の状態を偵察、7000m を越えてカメットの衛星峰アビ・ガミン頂上近くまで登る。 この偵察で、壁の何処に核心が潜んでいるか、雪崩の大きな危険は無さそうだということ、 雪質、クレバスの存在、自分たちの高所での状態、などを確認することが出来た。 6600m には二泊し、壁の様子を 3 日間に渡って観察、登攀中苦労するであろう大きな核 心は 3 つと確認しあい、これによって壁の中でのビバークは最低三回になるだろうと予想 して登攀計画を詰め、この後の BC での休養中に、ギアや食料の取捨選択を話し合った。壁 に持っていく食料は四日分+予備行動食三日分とした。 Map-1 Climbing route to Lopchin Feng BC での休養に入った翌日から天気は一変、一週間大雪が降り続き、結局 10 日後の 9 月 26 日に三度(みたび)BC を出発、目的の南東壁登攀へと向かった。深雪の中、東カメッ ト氷河を C1、C2 と進み、壁の基部 5900 mにて ABC を張る。翌 9 月 29 日、快晴周期四日 目にカメット南東壁登攀は始まった。 一日目:5900m-6600m クレバスを越えて雪と氷と岩のガリーへ。この日は殆ど急な氷 雪壁。予定通りに高度をかせいだ。氷を切って、半分ぶら下がりビバーク。満天の星空だ。 二日目:6600m-6750m 第一核心、グサグサの氷と岩とスカスカ雪のミックスクライミ ングが始まる。夜の間じゅう、チリ雪崩がテントを襲っていた。 三日目:6750m-7000m 第二核心、ボロボロの氷と岩が容赦なく立ちはだかり、続く。 第二核心は一日で越えられず、氷の棚を切ってテントに体を収めたのは夜も更けた頃。 四日目:7000m-7100m 第二核心を抜け雪壁を進み、第三核心下にて早めに行動終了。 五日目:7100m-7250m 第三核心、岩と氷のミックス~氷。これを抜けて、上部バナナ 144 JAPANESE ALPINE NEWS 2009 ● クーロワールへ。 TATSUO (TIM) INOUE 六日目:7250m-7600m バナナクーロワールの雪壁をひたすら登り、雪稜近くのクレバ The First Ascent of Lopchin Feng スの中にてテントを張る。頂上稜線には雪煙が巻いている。 Autumn 2009 Expedition to-6600m(C4) the Kangri Garpo East Mountains, Tibet 七日目:7600m-7756m(summit) チベット高原から昇る朝日とカイラス を拝んだ朝、一時間程雪壁を登ると、そこにカメットの頂上が待っていた。相変わらずの 好天に、360 度の大展望。世界の果てまで見えそうなくらい沢山の山があったけれど、やは り地球は丸く、その先は地平線となって消えていた。 Map-1 Climbing route to Lopchin Feng 145
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