4 自分の心に響く言葉を創り出そう

No.
発行
4
平成27年
7月
9日
大宮開成中学・高等学校
生徒指導部
21世紀を担う調和のとれた人間教育
中1
自分の心に響く言葉を創り出そう―「ユーモア詩」で人と人がつながる―
1.はじめに
人間はひとりでは生きていくことができません。
喜び・悲しみ・怒り・苦しみなど豊かな感情を生み出しながら、
仲間の中で生きて、そして成長していきます。
中学生期に獲得して欲しい発達のために必要なことを皆で学び
ます。
2.講師紹介
増田 修治 先生
白梅学園大学教授、教育学者。日本作文の会所属。6年前までは朝霞市立小学校教諭として勤務。子どもたち
の心情を発露させたユーモア詩は、学校関係者のみならず多くの人から大喝采を受けている。
著書:「話を聞いてよ、お父さん!比べないでね、お母さん!」「笑って伸ばす子どもの力」
「子供力!詩を書くキッズ」「ユーモア詩がクラスを変えた」「小さな詩
大きな力」
「ユーモアいっぱい!小学生の笑える詩」「子どもが伸びる!親のユーモア練習帳」
「母親幻想から脱け出す」「ことばのアルバム」
3.教師としての方向性を教えてくれた J 君のこと
①担任した当初、J は自分のことをあきらめていたし、気持ちがかなりすさんでいました。すさんだ状況の理由が、5 月の家
庭訪問ではっきりしたのです。J の家は父子家庭でした。お父さんとお母さんが離婚したからです。家庭訪問で、J のお父さ
んは、
「実は、私は癌におかされています。ですから、病院通いの毎日です。生活が苦しいだけでなく、いつ死ぬかわかりま
せん。もう末期だそうです」との衝撃的な事実を語ってくれました。
②担任当初は、J は漢字の読み書きや基礎的な計算ができませんでした。しかし、クラスで漢字や基礎計算に取り組む中で、
J は少しずつ自分に自信をもっていったのです。
③しかし、順調に見えた J の成長に、一つの転機が訪れます。お父さんの体調がすごく悪くなってしまったのです。その時
① ぼくのこと
ぼくは計算ができません。
かんじも書けません。
勉強ができるようになりたいけど、
どうせやったってだめだと思う。
② 今心に思っていること
ぼくは
自分でも少しずつ
勉強ができるようになってきたと思う。
なんだかやればできそうだ!
体の弱い父さんは
白血球が三千位しかない。
その父さんが
4年生の夏休みに
北海道につれていってくれた。
とても楽しかったけど
ぼくは心配だった。
山を登っているとき
父さんの息が、ハアハア苦しそうだった。
いつ倒れるのかと、
旅行中ずっと心配だった。
無事に帰ってこられて
とてもうれしかった。
大好きな父さんと行けた旅行は
もちろん楽しかった。
③ 父さん
の J は、こんな詩を書いています。
④少しずつ自信を回復していき、基礎学力がついていくに従い、J は自分の心の内を詩に綴るようになっていきました。こ
の詩ののち、J のお父さんは病院に入院してしまいます。一人ぼっちになってしまった J。結局、J は近くに住んでいたお母
さんと住むことになりました。そして、J はお母さんのために頑張りを見せるようになりました。百点を取り、それを喜ん
でくれるお母さんの存在。それが J の大きな支えになっていきました。
⑤しかしお母さんは、生活のために必死で働かざるを得なくなってしまいました。せっかくお母さんと一緒に住めたにもか
かわらず、お母さんとなかなか一緒の時間がとれない J は、今度はその切なさやさみしさを詩に綴るようになっていきまし
⑤ 百点のテスト
今日家に帰って、
お母さんといろ いろ な 話をしま し
た。
そのときに、
百点の国語のテストを見せたら
お母さんが
「すご~い、やったじゃんよ~」
と言いました。
すっご~く楽しかったです。
お母さんはいつもおそいから
ごはんは自分で作る。
あんまりえいようはとっていない。
まちぼうけている。
あ~あ はやく帰ってこないかなと
むだだが
空手がある日は帰ってきたら
母さんがいて
「ごはん作ってあるよ。
」と言う。
そのときはうれしい。
うれしいが次の日は悲しい。
こんなことのくりかえし。
あー、はやく帰ってこ~い。
④ ごはん
た。この詩を読んで私は涙が止まりませんでした。
⑥お母さんとの生活が落ち着いたころ、とうとうお父さんが癌のため、亡くなってしまいました。お父さんの死後、しばら
くして、今度はお母さんから「話がある」との連絡が私に入りました。
「実は調子が悪かったので、病院に行ったのです。そ
したら、私も J の父親と同じように末期癌だそうです。先生、どうしたらいいでしょう。私が死んだら、J のこと、よろし
くお願いします。たぶん、親戚の人にあずけられると思いますが、それまでのこと、お願いしますね。
」と涙ながらに語って
お母さ んが 帰 って きたのは
った。
11
時だ
ぼくは、お母さんが帰ってくるまで
待っていた。
お母さんといっしょにごはんを食
べた。
おじやだったのでおじやの話をし
た。
そうしたらお母さんが、
「昔はよく食べたんだよ」と言った
ので、
ぼくが
「お母さんが小さい時、はじめて食
べておいしいと思ったものは?」と
聞くと、
お母さんは
「ケー……キかな」と言った。
そのあともいろ いろはなしてくれ
た。
最後に
「お父さんがケーキを
買ってきてくれたんだよ」
と泣きながら言った。
なぜ泣いたかはぼくにはわからな
かった。
どんな理由で泣いたとしても
ぼくは、なぜ泣いたかを聞かなかっ
た。
ぼくはだまって下を向いて
おじやを食べた。
⑥ 泣いていた
くれました。
J は、うすうすお母さんの病状を知っていたようでした。J が卒業してしばらくして、お母さんが死んでしまい、J は遠く
のおじさんの家に引き取られました。少し前に私は駅で J に会いました。左官屋の見習いをしているとのことでした。
「先生、
オレもいろいろあったけどなんとかやってるよ。元気でやってるから、心配しなくていいよ!」と声をかけてくれた時、私
の胸はいっぱいになってしまいました。
4.生徒の感想
私は愛知和講演を聞いて思ったことが2つあります。1つは、子供たちのユーモアさです。私が『ことば』の詩を読んだとき、直
感で面白いなと感じました。でも講演を聞いているうちに優しくて柔らかい詩だとも思い始めました。私も優しくて柔らかいユーモ
アな人になりたいと思いました。2つ目は、私は幸せだなと思いました。周りに病気の人がいなくて家族や友達を心配する必要がな
いからです。でも、そのおかげで、病気の人の気持ちをあまり考えることがありません。だから電車やバスの中で、もしそのような
人がいたら譲ってあげたいです。今日の講演を聞いて、もう一度毎日の行動や気持ちを振り返ることが出来ました。
私は、最初に「愛知和講演がある」と言われてどんなものかとたくさん考えていました。しかし、実際には難しいものではなく「父・
母の口癖ランキング」とか「小学3年~6年の人たちが書いた詩」の説明をしてくれました。面白い詩が多かったけれど、感動する
詩もありました。今日の講演を聞きながら、人を愛することも、いろいろなことを知っていくことも、みんなで仲良くすることもと
っても大事だということが分かり、私は「愛・知・和」全てが出来る人に、大宮開成を通してなっていきたいです。