WIJC151206イエスの父となったヨセフ

1
2015 年 12月6日
聖書:マタイ
聖書:マタイ 1 章18-
18-25節
25節 シリーズ:マタイの福音書に見るクリスマス・メッセージ
シリーズ:マタイの福音書に見るクリスマス・メッセージ
タイトル:御子
タイトル:御子の父親
御子の父親と
の父親となったヨセフ
なったヨセフ
序 論
●今年は、このアドベント・シーズンに、再びマタイの福音書が記すクリスマス関連の記事から、クリ
スマスに聞くべき、神様からのメッセージに耳を傾けたい。
●今日は、まず
今日は、まず週報にもあるように、
まず週報にもあるように、マタイ
週報にもあるように、マタイ 1 章から「
章から「ヨセフ」
ヨセフ」、即ち、イエス様の地上における父親
、即ち、イエス様の地上における父親、
父親、
言い換えるなら、人間としての御子イエス様の
言い換えるなら、人間としての御子イエス様の「父親となったヨセフ」について学ぶ。
●来週 13 日は、同じ 1 章から「誕生した御子がくださる救い」とは何かについて、最後の
とは何かについて、最後の 20 日は、
同じ 2 章から「誕生した御子の中に世界が待望する救い主」についてメッセージを頂きたい
についてメッセージを頂きたい。
メッセージを頂きたい。
●心からの願いと祈りは、ある誠実なクリスチャンたちが、あえて「クリスマス」を祝うことを避ける
心からの願いと祈りは、ある誠実なクリスチャンたちが、あえて「クリスマス」を祝うことを避ける
事実と理由を心に留めながら、これらのメッセージをとおして、私たちの教会に関係する方々が、コ
事実と理由を心に留めながら、これらのメッセージをとおして、私たちの教会に関係する方々が、コ
マーシャルベース(商業的)、セキュラーベース(世俗的)なクリスマスでなく、月並みな言い方で
あるが、少しでも「本当のクリスマス」を自分のものとすることができるようになることである。
本 論
Ⅰ.さて今日のメッセージの目的は、クリスマスを待ち望む心の準備として、「神様の御業の実現のために、神
神様の御業の実現のために、神
様はあなたを必要
様はあなたを必要とし、あなたの協力を期待
あなたを必要とし、あなたの協力を期待しておられる
とし、あなたの協力を期待しておられる」
しておられる」という事実を皆様にお伝えすることである。
A. 今日は、この「神様が私たちを必要としておられる」という事実を、クリスマスの出来事、特に、「ヨセフ」と
いうイエス様の父親となった人物を通して学びたい。
1.今年も、ロックビルチャペルでは、「クリスマスの聖誕劇」をするが、毎年、配役を決める
今年も、ロックビルチャペルでは、「クリスマスの聖誕劇」をするが、毎年、配役を決める
ときは一苦労する。しかし
ときは一苦労する。しかし、
る。しかし、それはまた
それはまた楽しみでもある。
また楽しみでもある。
(1)聖誕劇には、
聖誕劇には、色々な役割があるが、どれも大切である。欠けて良い人物など一人も
色々な役割があるが、どれも大切である。欠けて良い人物など一人もいな
一人もいな
い。その中でもヨセフの役割は大きい。ヨセフのいない聖誕劇など考えられない。
い。その中でもヨセフの役割は大きい。ヨセフのいない聖誕劇など考えられない。
●未婚で妊娠したことで、村人から村八分のようにして冷遇を受けていたマリヤを、
未婚で妊娠したことで、村人から村八分のようにして冷遇を受けていたマリヤを、
●身重で
身重で臨月を迎えていたにもかかわらず、ナザレからベツレヘムへの長い道のりを旅
臨月を迎えていたにもかかわらず、ナザレからベツレヘムへの長い道のりを旅
しなければならなかったマリヤを
しなければならなかったマリヤを、
●出産後間もなく未知の世界エジプトへ逃避行し、
出産後間もなく未知の世界エジプトへ逃避行し、慣れない地で数年間、
逃避行し、慣れない地で数年間、逃亡者の生活
慣れない地で数年間、逃亡者の生活
をしなければならなかったマリヤと家族を支え続けたヨセフ。そ
をしなければならなかったマリヤと家族を支え続けたヨセフ。その役割は大きい。
。その役割は大きい。
(2)このような
(2)このようなヨセフは
このようなヨセフは聖誕の物語
ヨセフは聖誕の物語に欠かせない人物
聖誕の物語に欠かせない人物である。
に欠かせない人物である。
2.しかし、
2.しかし、神様は、教会の
しかし、神様は、教会の「
神様は、教会の「劇」どころではない、
」どころではない、即ち、
ではない、即ち、単に「
即ち、単に「演技者
単に「演技者」
演技者」としてではなく、
としてではなく、歴
史という本
史という本舞台に登場する本物、即ち
舞台に登場する本物、即ち、
即ち、歴史上の人物として、
歴史上の人物として、イエス様の「
イエス様の「父親役
父親役」を引き
受けてくれる人物を必要とされたのである。
受けてくれる人物を必要とされたのである。
3.それがナザレの村に住む青年
3.それがナザレの村に住む青年ヨセフであった。神様は、救い主誕生のために
青年ヨセフであった。神様は、救い主誕生のためにヨセフ
ヨセフであった。神様は、救い主誕生のためにヨセフを必要と
ヨセフを必要と
され、ヨセフが協力・参与することを期待し
され、ヨセフが協力・参与することを期待したのである。
、ヨセフが協力・参与することを期待したのである。
B.聖書を見て非常に興味深いことの一つは、神様はご自分のご事業をほとんどすべての場合、「決して」と言
いたいほどに、ご自分一人でできるはずなのに、一人ではなさろうとしていない事実を発見することである。
1.言い換えるなら、
1.言い換えるなら、この意
言い換えるなら、この意味で、聖書とは、
で、聖書とは、神様が人と
聖書とは、神様が人と共に、或いは、神様が人を用いてなさ
った「神と人との協同(協働)事業の記録」であると言える。
2.このことは、ある意
2.このことは、ある意味で、不思議にさえも
さえも思えることである。な
えることである。なぜなら:
(1)全宇宙を造られるほどに、全知・全能な神様なら、
神様なら、人に頼ったりせずに、自分でさっさ
と何でもできるはずである。そして、できたものを
と何でもできるはずである。そして、できたものをあとで
そして、できたものをあとで人に与えれば良いのである。
あとで人に与えれば良いのである。
(2)それ
(2)それ故、従がったり、従がわなかったり、不安定で当てにならない、しかも
当てにならない、しかも、
にならない、しかも、能力的に
も極めて限られた人間などに、
られた人間などに、一々協力を
一々協力を求め、期待
め、期待する必要など
期待する必要など全くないのである。
(3)現に、逆に、人間を間に
に、人間を間に入れたために、神様のご計画は、少なくとも表面的には、何度
も狂わされたり、その実現が遅らされたりした。
3.にも関わらず
にも関わらず、神様は私たち人間の参与と協力を
関わらず、神様は私たち人間の参与と協力を求め続けられた。それは何を意味するか?
(1)神様が人間の協力を
1)神様が人間の協力を求め、期待されるのは、神様の無力や能力の欠如からではない。
2
(2)私たち人間が神様と
(2)私たち人間が神様と共に働く、神様の同労者、協力者となることは、そのような実
く、神様の同労者、協力者となることは、そのような実利的、
実際的な必要からではなかった。
的な必要からではなかった。
(3)それはむしろ
(3)それはむしろ神様の
それはむしろ神様の「
神様の「創造」の初めからの願いであり、ご計画であった。神様は、「私
であった。神様は、「私
たちと一緒に」ご事業を進めたいのである。「一緒にいて、一緒にやりたい」のである。
(4)神様と同じ目的をもって、神様と一緒に働くことこそが、神様が私たちを
くことこそが、神様が私たちを創造された目
的であり、それが神様の願いである。
(5)深い「交わり」の
わり」の醍醐味は、しばしば、共に働いている同労の友との間に生まれる。
●高校時代
高校時代に友人たちがいた。学校の帰りに喫茶店で話したことも、休みに一緒にピクニ
ックに行ったこともあった。勿論クラブ活動の友人たちの
たちの交わりもあった。しかし、忘
れることができないのが、「文化祭」を成功させるために数人の準備委員の友人たちと、
数週間、放課後毎日遅くまで残って一つ
って一つ目的をもって一生
的をもって一生懸命に働いたことである。
いたことである。そ
である。そ
んなときに、同労の
なときに、同労の友として友情が深められて行ったこと、そして、完成したときの喜
びを思い出す。それは一
い出す。それは一緒に話したり、遊んだりした時以上の深い喜びであった。
●私にとって今でも
私にとって今でも忘れられないもう一つのこと
れられないもう一つのことは、
もう一つのことは、1
は、1982 年 8 月の終わりにに渡米す
る前に、1
に、1980 年の東京で持たれたビリー
たれたビリーグラハム伝道大会と
道大会と 1982 年京都で持たれ
た「第二回
第二回日本伝道会議(Japan Congress on Evangelism)」で事務局主事として働
いたときのことである。特に後者のため、2
に後者のため、2 年間東京の事務所で準備のために費やした
後、最後の約 1 か月を京都に詰め、殊に期間中の約一週間は毎晩ほとんど徹夜で働いた。
事務局員のスタッフの方々もよく働いてくださった。全国から 2000 人以上の牧師・
信徒の方々が集まり会議は大成功であった。そんな中で、最終日が終わった晩、毎日共
に働いた事務局長の村上宣道先生と、もう一人の事務局主事を務められた榊原寛先生と、
余りに嬉しくて、ホテルで抱き合って喜んだ時のことを
のことを忘れられない。それは共に一つ
の目的をもって労した者たちの
的をもって労した者たちの交わりと喜びであった。
●それは、ただ一緒にお茶を飲んで、酒を飲んで、食事をして、どこかに遊びに行った喜
びに勝る交わりであり、喜びである。
4.神様が私たちと共に働くことを求めておられることは、聖書の記
めておられることは、聖書の記述を簡単に復習してみても
すぐに明らかになる。
(1)神様は
1)神様は全宇宙、全世界を創造された直後、アダムとエバにそのすべて、即ち、自
そのすべて、即ち、自然界、植
物界、動物界、被造物すべてを管理、治める仕事を彼らに託し、協力を求めた。
(2)ノアの場合もそうである。
もそうである。神様
うである。神様は
神様は堕落した世界を大洪水をもって滅ぼすことを計画された
された
とき、動物界の保存を含めて、罪を悔い改めて神に立ち戻ろうとする人々を救おうとさ
ろうとする人々を救おうとされ
た。その
た。そのとき
そのときも
ときも、神様はノアに箱舟という救いの道を準備するために、
するために、彼とその家族に
とその家族に
「箱舟作製」の協力を
」の協力を求められた。
(3)次はアブラハムである。神様は、
である。神様は、御子イエス様による人
神様は、御子イエス様による人類の救いの計画立てられたとき、
イスラエルと言う一つの
イスラエルと言う一つの民族を起こされる必要があった。そのために神様は、その先祖と
なる協力者として
なる協力者としてア
協力者としてアブラハムを選ばれ、彼の協力を求められた。
(4)もう一人はダビデである。
である。神様は、イスラエルの
神様は、イスラエルの国を治めるために王制を敷くことを受け
入れた。それは、移り行く当時の社会・文化の中で、人々に神様がどんなお方であるか、
即ち「王としての神様」を教えるのに最
としての神様」を教えるのに最適なイメージであった。神様は、そのためにダビ
デと言う人物と生涯が必要であった。
(5)このように、神様は、一つ一つ、
このように、神様は、一つ一つ、ご自分の計画された事業を成し遂げるために、私たち
人間の協力を求められた。人間と一緒にそれらの事業を成し遂げたかったのである。なぜ
なら、それが神様の創造の目的であり、願いであり、喜びであったからである
びであったからである。
からである。
C.その意味で、「ヨセフ」の場合もそうであった。
1.神様は御子を地上に「人間の子」として
1.神様は御子を地上に「人間の子」として送り出すに当たり「
り出すに当たり「母親」は勿論のこと、「父親」
となって妻を、家族を支える人物を必要とされた。
、家族を支える人物を必要とされた。それがマリヤであり、ヨセフであった。
人物を必要とされた。それがマリヤであり、ヨセフであった。
2.神様は、彼らに頼らなくても、イエス様を地上に送り込むこともできた。お伽話のようにコ
ウノトリに運んで来させることもできた。天から降るように天使に運ばせることもできた。
3
3.しかし、神様はそうなさらなかった。
.しかし、神様はそうなさらなかった。神様は
そうなさらなかった。神様はマリヤとヨセフに一
神様はマリヤとヨセフに一緒に同労の友となって協力
となって協力
してもらい、この事業を
してもらい、この事業を果たしたかったのである。即ち御子
たしたかったのである。即ち御子が
御子が地上に誕生し
地上に誕生し、
誕生し、彼がそこで生
き、育っていくために
っていくために、二人に「
人に「両親」となって協力してくれることを
親」となって協力してくれることを求めたのである。
めたのである。
4.だから、今日の聖書
から、今日の聖書箇所で読んだように、神様は、ヨセフに
ように、神様は、ヨセフにわ
神様は、ヨセフにわざわざ天の使いを遣わして、
マリヤから生まれてくる子供の父親となってくれるように声を掛けられたのである。
5.そして、ヨセフはその神様からの要
5.そして、ヨセフはその神様からの要請に「イエス」の応答をした。即ち救い主と
をした。即ち救い主となるべく生
救い主となるべく生
まれて来る御子の地上の父親となることに同意した。
まれて来る御子の地上の父親となることに同意した。(あなたはどうだろうか
ろうか?)
そこで、今日のメッセージの後
そこで、今日のメッセージの後半、即ち、第二のポイントとして学ぶことは:
Ⅱ.このヨセフの同意が、ヨセフにとってどういう意味をもっていたかについてである。
A. このことを考えるために、
1.ヨセフは、このとき、マリヤと結婚するべく婚約をしていた。
(1)当
(1)当時の「婚約」は今のアメリカの婚約のように指輪はもらうものの、結局は二人だけで
決めて、うまくいかなくなると二人だけの間で解消してしまうようなものではなかった。
(2)格式ある家庭の場合、今でも日本にある、婚約者同志の両家の間で交わす「結納」で結
ばれた二人のようであった。
(3)それは
(3)それは、
それは、特別な手続きを踏まなければ解消できないほど正式なものであった。
2.ヨセフにとっては、そのようなこと以上に、個人的にも、ささ
人的にも、ささやかではあったが、心待ちに
していた幸せであった。しかも、その幸せが、もうすぐ目の前に来ていた。
3.そんな頃ヨセフは衝撃的な事実に直面した。それは、
した。それは、マリヤが妊娠したことである。
4.それを知ったとき、勿論ヨセフは悩んだ。なぜ妊娠? 僕の子ではない! それじゃ誰の
子? 当然のように、マリヤにほかに好きな人がいるんだろうと想像した。
5.ヨセフは
5.ヨセフは正しく優しい人であったので、事が大きくなり、
しい人であったので、事が大きくなり、公になって皆が知る前に、マリヤ
の恥を晒さないようにできるだけ早く、できるだけ密かに婚約を解消しようとした。
6.天使が彼を訪れたのはそんなときであった。そこで天使から信じられないようなマリヤの妊
娠の秘密と理由を聞いた。●妊娠は聖霊の力によるもので、●生まれて来る子は、神様の
御子であり、全人類待望の救い主となるお方であることを知らされた。
7.だから彼女と別れないで、生まれて来る子供の父親となって欲しいと頼まれたのである。
8.それは、神様からのヨセフに
8.それは、神様からのヨセフに対する救いの御事業への協力要請であった。
9.GOOD FOR YOU、「それは素晴らしいことだけど、私は直接関わりたくない。誰かほかの人
に頼んでください」と逃げることもできた。しかし、その後の事実から
ることもできた。しかし、その後の事実から明らかなように、
ヨセフは、
ヨセフは、YES, I DO と言って、その神様からの要
と言って、その神様からの要請を受け入れたのである。
ヨセフのこのYESは、何を意味したか?
B. 第一に、ヨセフは、神様に自分の生涯を捧げたことを意味していた。
1.ここで
1.ここで「神様へ自分の生涯を捧げる」と言うことの意味に少し触れておきたい。
(1)それは、決して
(1)それは、決して職業的に「伝道者、牧師、宣教師」になることを意味しない。
(2)それは、すべてのクリスチャンに
2)それは、すべてのクリスチャンに求められているクリスチャン人生の基本である。
(3)だからパウロはローマ 12:
12:1 で言う。「そういうわけですから
言う。「そういうわけですから兄弟たち。私は神のあ
われみのゆえにあなたがたにお願いします。あなたがたの体(全部、全生涯)を神に受け入れ
られるきよい生きた供え物として捧げなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」と。
2.さて、それでは、ヨセフが
2.さて、それでは、ヨセフが「
自分の生涯を神様に捧げた」と言うとき、それは更に具体的に
さて、それでは、ヨセフが「自分の生
は何を意味していたのか? それは、次の 4 つのことを
のことを捨てることであった。
(1)プライドを捨てる
プライドを捨てる:彼の場合、それは男のプライドを捨てることであった(男はプライドの
塊):自分のことを好きでもないかも知れない女性、他に好きな男がいるかもしれない女
性との結婚を男として受け入れるには男のプライドを捨てなければならなかった。
(2)人の評判を捨てる:それは、人としてここまで築いてきた評判と信頼をさえ放棄すること
であった:これからど
:これからどんどんマリヤの妊娠が明らかになっていくとき、誰一人それが聖
霊による特別なものなどとは信じない
じない。むしろ人々は
むしろ人々は皆それが不倫によるものであると
思うだろう。そして、
ろう。そして、そ
と知りながらマリヤを
ってマリヤと結婚しよ
そして、そんな女だと知りながらマリ
マリヤを庇い、黙ってマリヤと
もう一度、ヨセフの置かれた(
もう一度、ヨセフの置かれた(通っていた)
通っていた)状況を復習したい。
4
うとするヨセフまでもが、み
うとするヨセフまでもが、みんなから批判されることは火を見るよりも明らかであった。
しかも、その悪評判は、自分だけで留まらず、自分の家族にまで及ぶかもしれなかった。
しかし、それら
しかし、それらを覚悟の上でヨセフは神様に「YES」と言ったのである。
(3)夢を捨てる:ヨセフは、自分の抱いてきた
ヨセフは、自分の抱いてきた人生の夢、即ち
は、自分の抱いてきた人生の夢、即ち、
人生の夢、即ち、マリヤと二人で築く静かで、
マリヤと二人で築く静かで、
ささやかなマイホームの夢
ささやかなマイホームの夢を完全に放棄し、嵐の人生に飛び込
マイホームの夢を完全に放棄し、嵐の人生に飛び込んだのである
を完全に放棄し、嵐の人生に飛び込んだのである:人は小さ
くても良いから、静かなマイホームの幸せを望む。ヨセフもそうであった。しかし
む。ヨセフもそうであった。しかし、
ヨセフもそうであった。しかし、イ
エス様の父親となるために、
エス様の父親となるために、彼はそれを放棄しなければならなかった。彼を待っていた
ものは、ささやかで、静かで、
かで、平穏な幸せとは正反対の嵐の人生であった。生まれたば
かりのイエス様を抱えて、
えて、王様の軍隊の手を逃れ、夜中に、出産後間もないマリヤと
中に、出産後間もないマリヤと共
に、知らない土地エジプトに追われるように逃げたとき、そして、そこに逃亡者として、
たとき、そして、そこに逃亡者として、
日陰の身で、数年も留まらなければならなかったときが、
の身で、数年も留まらなければならなかったときが、正に嵐の人生を
の人生を象徴していた。
(4)プライベート・ライフを捨てる:ヨセフは、自分のプライベートを神様に全部捧げた:
●確かに、自分のプライベート
かに、自分のプライベートな
自分のプライベートな生活の祝
生活の祝福を求めて、神様への
めて、神様への信仰を利用する人は
する人は多
い。言い換えると、自分が何をするべきかについては、神様に
い。言い換えると、自分が何をするべきかについては、神様に特にお伺いを立てるこ
ともしないで、自分の願望を中心にさっさと自分で決めた上で、
を中心にさっさと自分で決めた上で、「
決めた上で、「神様、
神様、どうか私の
どうか私の
生活と人生に入って来て、ことがうまくいく
って来て、ことがうまくいくように祝福し、
ことがうまくいくように祝福し、助けてください」と祈る。
さい」と祈る。
●しかし、実
しかし、実際には、
には、多くの人は、
くの人は、自分のプライベートな
自分のプライベートな生活にまで、たとい
生活にまで、たとい神様
まで、たとい神様であ
神様であ
っても「あーしろ、こーしろ」と、
っても「あーしろ、こーしろ」と、入り込んで来て干渉して欲しくないと
しくないと思っている。
っている。
●プライベートは、自分の
プライベートは、自分のプライベートとして
自分のプライベートとして保ちたい、「神様、
ちたい、「神様、あなたを必要とする
「神様、あなたを必要とする
時は、またお
、またお呼びして助けをお願いしますから、それまでは
けをお願いしますから、それまでは自分の願いの
から、それまでは自分の願いの通りにさせ
りにさせ
て欲しい。放っておいて欲しい」
しい」と思っている人が
っている人がほとんどではないか。
どではないか。
●事実、ヨセフにとって、イエス様の父親役を引き受けることは、彼のプライベート・
ライフ、個人生活には、一杯マイナスがあるだけで、プラスは一つもなかった。
●しかし、ヨセフは、
しかし、ヨセフは、神様
セフは、神様が
神様がマリヤとの結婚のことで、自分のプライベート・ライフ
婚のことで、自分のプライベート・ライフに
自分のプライベート・ライフに
入り込んで来ようとしたときに、それを、「
で来ようとしたときに、それを、「結婚は私の個人生活のことです。誰と結
婚するかまで、干渉しないでください」
さい」とは言わなかった。むしろそれを捧げて、神
様に従ったのである。
ったのである。これらが、
のである。これらが、彼が神様にすべてを捧げていたことの意味である。
C. 第二に神様の協力要請に「YES」とヨセフが応えたことは彼が「神様に信頼する」人であることを意味した。
1.1
1.1章 24-25 節を読みたい。
みたい。「・・・・」。
(1)そこには、
(1)そこには、天使を通して神様が
して神様が求めたとおりにしたヨセフの姿が記されている。
が記されている。
(2)そのけなげなと言いたいほどのヨセフの神様に対する服従の姿こそが、彼の神様に対す
る信頼度
信頼度を表していた。
(3)ヨセフが実行
3)ヨセフが実行した
ヨセフが実行した服従の行為は、神様に
は、神様に対する信頼がなければ到底できることではなか
できることではなか
った。彼が実行したこととは何か?
●自分のプライド、評判、夢、プライベートな生活と人生、それらのすべてを捨てた。
●そして、実際に自分の知らない所で妊娠したマリヤを受け入れ婚約を破棄しなかった
しなかった。
●妊娠が日に日に明らかとなるマリヤ
らかとなるマリヤを村人の
マリヤを村人の前に公然と妻として迎え入れた。
●そのマリヤから生まれた赤ん坊の命を守るために、
るために、天使の命令にしたがって旅
にしたがって旅先のベツ
レヘムから
レヘムから、
から、産後間もない妻とその子を連れて、夜中に見知ら
中に見知らぬ地であるエジプトへの
地であるエジプトへの
逃避行を企て、更にその地に数年も留まった。
(4)これらのことはヨセフにとって恐らくみな人間的には
らくみな人間的には極めて不本意なことであり、
本意なことであり、また
り、また極
めて不安で、実行するのに困難なことであった。ここに
なことであった。ここに信頼の必要が生まれるのである。
2.服従と信頼の関係:それは表裏一体である。
(1)服従なき信頼:神様に対する服従なくして、神様を信頼しようとすることは、
しようとすることは、な
は、なんの根
拠も保証もない単なるわがままな
もない単なるわがままな願
単なるわがままな願望 Wishful
hful Thiking に過ぎない。
5
(2)信頼なき服従:同時に、神様に対する信頼なくして、神様の言われたとおりに
なくして、神様の言われたとおりに服従しよ
うとするなら、それは単にやりたくないことをやせ我慢してする
してすることで、
することで、窮屈で、希望も
喜びもない冷たい
びもない冷たい律法主義に過ぎず、いつか疲れ果ててしまう。
ててしまう。
3.真の服従と真の信頼は表裏一体である。
である。それゆえ、ここにあるヨセフの神様への
え、ここにあるヨセフの神様への服従は、彼
の神様への信頼を表していた。信じていたからこそできたのである。彼は何を信じたのか:
(1)彼は、天使の告げた神のことば、それが神様からのものであること
(2)マリヤのお
(2)マリヤのお腹の子が、マリヤの不倫、裏切りの故でなく、聖霊によるものであること
(3)その子が
(3)その子が普通の子でないこと、特別な子、世界を罪から救う救い主となる子どもである
(4)王の軍隊が間もなく子供を殺しに来るから今、夜のうちに逃
のうちに逃げなければならないこと
(5)子
(5)子供を守るために見知らぬ地エジプトに暫く留まる必要があること
すべてが、神様からのものであること、従がわなければならない神の御心であり、それに従
えば必ず神様は守ってくださり、その必要をも満たしてくださることを信じたのである。
(ある人々は言う:経済的には、恐らくあの東方からの博士たちの高価な贈り物を通して、
ヨセフ家のエジプトへの旅とまた同地滞留の必要が満たされたのであろうと)
結 論
●神様は、私たちを必要としておられる。私たちをご事業のために用いたいのである。ご自分一人でな
自分一人でな
さりたくないのである。あなたに一緒に参加してほしいのである。
●そのために、ヨセフのように、(1
そのために、ヨセフのように、(1)あなたの生涯を捧げて欲しいのである。プライドを捧げ、評判
を捧げ、夢を捧げ(神様と一緒にもつ「夢」への切り替え)、プライベートライフを捧げ、そして、
(2)神様のお言葉の真実と力を信じる者となりたい。
●C.T. Studd(英国人):父親はインドにプランテーションをもつ大金持ち、そのために爵位まで持
っていた名門家、彼自身ケンブリッジ大学の特待生(優秀な人物)、クリケットの空前の名選手とま
で言われたスポーツマン。
ーツマン。ハンサムな風貌。あらゆるものを持っていた人物であった。その彼は、父
から受けた遺産のすべてをすべてをキリスト教団体に捧げ、自らは無一文で、その全生涯を中国、イ
ンド、アフリカの宣教に捧げた。そして、彼の残した言葉:If Jesus Christ be God, and died
for me, then no sacrifice can be too great for me to make for Him. もしイエス・キ
リストが神であり、私のためにいのちを捨てられたとするなら、私にとって彼のために払う犠牲で大
リストが神であり、私のためにいのちを捨てられたとするなら、私にとって彼のために払う犠牲で大
きすぎると言えるものはない。