校長講話

なぜ,伊能忠敬は始められたのか
(2015/09/7
教育実習開始の日)
3年生の皆さん,1年生の 10 月に伊能忠敬の話をしました。覚えていますか。1・2年生の
皆さんは分からないので,簡単におさらいします。1800 年,伊能忠敬が 55 歳の時,蝦夷地測量を
始めました。当時の 55 歳は今なら 70 歳ぐらいのイメージで,相当高齢です。忠敬が高齢だから
無理と思い,蝦夷地測量をしなかったなら,日本は植民地になっていたかもしれません。なぜ
そう思うのかを解くヒントは,黒船を率いて日本に開国を迫ったぺリーにあります。1・2年
生の皆さん,忠敬が蝦夷地測量をしなかったなら日本が植民地になっていたかもしれない訳を
知りたかったなら自分で調べるか,3年生の先輩に聞いて下さい。
さて,私は,忠敬の話をした時,確かめたいことがありました。高齢にも関わらず困難をともな
う蝦夷地測量をものともせずチャレンジしたのは,確かに忠敬の人柄があります。しかし,それ
だけか,他にも忠敬を後押ししたことはないのかということです。そこで,この夏,私なりの一人
キャンとして,忠敬の旧宅がある香取市佐原に行ってきました。
佐原は,「お江戸見たけりゃ佐原へおいで佐原本町 江戸勝り」と唄われ,江戸時代に利根川
の水運で大変栄えた商業の町です。今も残る商家の蔵造りの町並みに,当時の繁栄ぶりが分かり
ます。忠敬は,文化かおる豊かな佐原で商人として豊かな生活をしていました。当時の佐原では
豊かな商人は,隠居後は江戸に出て好きな道に進む風習がありました。忠敬も隠居後,50 歳で江
戸に出て天文学や測量を学びます。さらに,伊能家一門には偉い先輩がいたことも分かりまし
た。忠敬の義理の祖父伊能景利,忠敬は伊能家に婿入りしました,その景利は,隠居後佐原の古記
録を集め,分厚い記録集「部冊帳」を編集しました。忠敬は分厚い「部冊集」を見て,私も頑張
らねばと思ったでしょう。また,同族の伊能茂左衛門景良は,隠居後学問に励み,賀茂真淵門下の
国学者楫取魚彦として有名です。名門伊能家の婿となった忠敬は,伊能家に繋がる立派な先人と
出会い,自分も負けないよう何かしたいと思ったことでしょう。私は,忠敬が高齢になってから
でも学問を修め,困難な全国測量に励めたのは,忠敬の素晴らしい人柄に加え,佐原の風土,伊能
家の立派な先人達との出会いがあったからと思いました。
忠敬の故郷佐原に行き,環境が人を育てる,人との出会いが人を育てるということが分かりま
した。これを皆さんに引きつけて考えてみます。伊能忠敬の立派な人柄,これは皆さん各個人の
人柄に当たり,皆さん一人ひとりが人格を磨くことが求められます。佐原の文化かおる風土,こ
れは校訓「自由と規律」にみる本校の校風に当たります。佐原が「江戸勝り」と自慢したよう
に,本校の校風は誇れるものです。この校風があればこそ,他の中学校に比べて皆さんに任せら
れる部分が多く,自由な雰囲気があります。環境が人を育てると言えるものが校風であり,今後
も継承していきたいものです。伊能家の立派な先人たちとの出会い,これは先輩や先生との出会
い,皆さんの保護者をはじめとした身の周りの方々との出会いに当たります。様々な人との出会
いを大切に,そこから何かを学んでいきたいです。
裏を見て下さい。今日から教育実習が始まり,新たな出会いが始まります。教育実習では,こ
こに集う全ての者が出会いを大切にし,忠敬のように出会いから学び,自分を成長させる機会に
していきたいです。教育実習の先生方,本校での新しい生活に一日も早く慣れ,本校の生徒の良
い点を数多く見つけて下さい。生徒の皆さん,教育実習の先生方は皆さんに大きな期待をかけて
います。生徒の皆さんはその期待に応えるように顔晴りましょう。
参考文献
渡辺一郎編著『新版 伊能忠敬の全国測量』伊能忠敬 e 資料館,2015