鈴木中人氏が、 「いのちの授業」 をはじめた きっかけのお話し。 どこにでもいる、 普通の家族として暮らしていました。 しかし、 人生の「まさか」。 長女の景子ちゃんは、 3才の夏、 小児ガンを発病。 助かる確率は15%以下。 毎日の抗がん剤、 放射線治療…、 それまで家族が一緒にいるその当たり前のこと が、 どんなに素晴らしいか初めてわかりました。 『どうか景子ちゃんの病気治りますように』生まれてはじめて、 心から拝むように手を 合わせました。 子供が死ぬ。 それを思って一日一日暮らす、 本当につらい毎日でした。 『宿題無理だから絵本読もうか?』 『先生がちゃんと宿題やろうねって言ってたよ、 それに、 お勉強しとかないと、 次に学 校行った時困るでしょ』 他の子が何十秒かで書く練習帳、 何分も何分もかかって仕上げました。 『お友達に会いたい』 そう言って、 車椅子を自分で動かして毎日学校へ行きました。 景子ちゃんは、 いつも、 生きていて今出来ることを精一杯していました。 病気は進み、 ある日、 激しい痛みで猫のように丸くなって動かなくなりました。 脳、 肺、 肝臓、 腎臓、 骨、 ガンが全身に広がっていました。 先生が言いました。 『あと、 1週間か2週間です、 痛み止めを使います』 と。 その言葉で全てわかりました。 死んでゆく姿も…。 景子ちゃんに言いました。 『もういいよ、 もう頑張らなくていい、 もう逝きなさい』 鬼のような言葉かもしれませんが、 私にはそれが、 親として最後にできること、 そう思 いました。 妻は言いました。 『景子ちゃんの体が、 冷たい、 風邪ひくといけないからタオルケットかけて』 『死んだ人は冷たくなる、 風邪なんかひかないよ、 』 妻はタオルケットをかけて『お家帰ろうね、 お家帰ろうね』 そう言って、 ずーっと抱っこ してました。 お嫁さんが大好きだった恵子ちゃん。 最後は花嫁姿にして送り出しました。 ※本文はエピソードを要約したものです。
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