駿河湾の深海にも広がる化学汚染 ~深海性サメ類

駿河湾の深海にも広がる化学汚染
~深海性サメ類への汚染~
B8
東海大学海洋学部海洋生物学科
桑原智之・谷中健文・熊野知拡
指導教員: 堀江 琢 講師
研究背景
工業製品の製造過程や農薬使用など、様々な化学物質が環境中に放出されています。これの物質のうち、効果を持続するた
めに化学的に安定な物質があり、環境に放出されてもなかなか分解されないものがあります。ダイオキシン類やDDTのような有
機塩素系化合物は、残留性が高く、大気や水の循環により終局的に海洋に行き着きます。このような物質の多くは脂溶性である
ため、有機懸濁物に吸着して存在し、一度体内に入るとなかなか分解・排出されません。海の中では食う食われるの食物連鎖の
関係があり、プランクトンなどが環境から取り込んだ微量の物質は次の栄養段階で濃縮され、さらに高次に行くほど高濃度に濃
縮されます。イルカやクジラなどの高次捕食者は、我々が環境に放出した汚染物質により、感染症にかかるなど深刻な影響を受
けていると言われています。サメ類も海洋生態系の高次に位置しているのですが、汚染の影響に関する研究は非常に少ないの
が現状です。また、有機懸濁物や生物の体内で濃縮された汚染物質は、鉛直的な水の流れや死亡により沈降していき、深海で
も汚染されてしまいます。深海の汚染に関する研究も少ないのが現状です。深海に生息するサメ類の一部は、肝臓に豊富なスク
ワレンを持っているため、健康食品や化粧品の原料として利用されています。深海ザメの汚染は、我々ヒトの健康にたいしても大
きく関わってきます。私たちは深海に生息するツノザメ属2種のPCBsとDDT汚染について研究しています。
海の生態系と化学汚染濃縮率の模式図
PCBsとDDT
PCBsは工業製品として使用されていました。しかし、カネミ油
症事件にあるように非常に強い毒性を持つことや、環境への残
留性が高いことから、1972年に生産が禁止されています。また、
ごく微量でも生体内でのホルモン異常を来す内分泌攪乱物質
(環境ホルモン)であり、ダイオキシンと似たような毒性を示すこ
とから、一部のPCBsはダイオキシン類として取り扱われていま
す。現在残っているPCBsに関しては厳重な管理と廃棄が義務
づけられていますが、環境中からは未だに高濃度で検出されて
います。静岡県では、昭和47年に製紙工場より排出された
PCBsにより、田子の浦港の土壌から基準値を超えるPCBsが検
出され問題となりました。
DDTはマラリア防除の殺虫剤として使用されていましたが、
PCBs同様に高い毒性と残留性から1971年に使用禁止されてい
ます。近年では、フロリダで流出したDDTにより、ワニの生殖機
能の低下が示唆されています。しかし、一部の開発途上国では、
代替品が高価で手に入らないことから未だに使用されており、
WHOもマラリア感染よりもリスクが低いとして使用を認めており、
今後の汚染状況をモニタリングする必要性があります。
汚染物質の検出結果
フトツノザメ
トガリツノザメ
S.japonicus
Squalus mitsukurii
駿河湾は世界でも類を見ないほど深い湾で、多種多様な生物が
生息していることが知られています。水深200mを越える深海にも
様々な生物が生息していますが、ツノザメ属の2種は水深200500mの深海の底面に、サメ類として比較的多く生息するサメ類で
す。形態は非常に良く似ていますが、フトツノザメは1m前後、トガリ
ツノザメは80cm前後まで成長するサメ類です。特別美味ではない
ため、現在食用としては利用していませんが地域によっては食用
としても利用されています。
ガスクロマトグラフ分析計
2.5
♂ 成魚
♂ 未成魚
5
♀ 成魚
♀ 未成魚
4
3
2
1
♂ 成熟
PCBs濃度(脂質重量当たりのμg/g)
PCBs濃度(脂質重量あたりμg/g)
6
成長に伴う濃度と総量の変化(図1)
♂ 未成熟
2
♀ 未成熟
フトツノザメの脂質重量あたりのPCBs濃度は、0.25 - 4.8μg/g、DDT
濃度で0.03 - 0.89μg/gでした。一方、トガリツノザメでは、0.35 3.3μg/g、0.05 - 0.71μg/gでした(1μgは100万分の1g)。濃度はサメ類と
して平均的な濃度でした。肝臓は直接食用としませんが、食利用には注
意が必要な濃度でした。成熟全長付近から総量が急激に増えています
が、成長に伴う濃度変化がみられず、急激にPCBsが蓄積されることは
なく、 PCBsやDDTは微量ずつ取り込まれていくと考えられます。
多くのサメ類では、性成熟全長に達すると成長の鈍化とともに濃度が
高くなる傾向がありますが、両種では見られませんでした。これは、両種
の成熟後の成長速度と取り込み量の比率が他のサメ類と異なっている
ことが考えられます。
1.5
1
0.5
0
0
200
300
400
500
600
700
800
900
1000
1100
200
300
400
500
600
700
800
全長(mm)
全長(mm)
160
性成熟全長
120
PCB総量(μg)
PCBs総量(μg)
140
性成熟全長
1000
900
800
700
600
500
400
300
200
100
0
100
80
60
40
20
0
200
300
400
500
600
700
800
900
1000
1100
200
300
400
500
600
700
800
全長(mm)
全長(mm)
フトツノザメのPCBs濃度と総量
トガリツノザメのPCBs濃度と総量
図1.フトツノザメとトガリツノザメの全長とPCBs濃度および総量の関係
1
PCBs(X)とDDT(Y)濃度の関係(図2)
:♂ Y=0.18X+0.037 (r=0.885)
♀ Y=0.24X+0.029 (r=0.902)
・トガリツノザメ :♂ Y=0.15X+0.034 (r=0.881)
♀ Y=0.23X-0.019(r=0.797)
0.7
y = 0 .18x + 0.037
y = 0 .24x - 0.029
0.6
0.5
0.4
0.3
0.2
♂
♀
0.1
DDT濃度(μg/g)
・フトツノザメ
トガリツノザメ
0.7
0.8
D DT濃度(μg/g)
両種のPCBsとDDT濃度の関係から以下の回帰式が得られました。
0.8
フトツノザメ
0.9
0.6
y = 0.23x - 0.019
0.5
0.4
y = 0 .15x + 0.034
0.3
0.2
♂
♀
0.1
0
0
0
1
2
3
4
5
0
PCBsは工業製品、DDTは農薬と使用用途は全く異なるのですが、化学的特性
が似通っているため環境下で同じような挙動を示し、このような関係になると考え
られます。PCBsやDDTが高濃度で蓄積されると、ダイオキシンやHCHなど、似た
ような化学特性の汚染物質も高濃度となる可能性があるかもしれません。
1
2
3
PCBs濃度(μg/g)
PCBs濃度(μg/g)
図2.PCBsとDDT濃度の関係
出産によるPCBsの排出(図3)
PCBs総計(筋肉を除く)
1500μg
PCBs 4.3%
(DDT 4.8%)
65μg/個体
図3. 雌成魚から胎仔へのPSBs蓄積量の移行率
まとめ
PCBsとDDTは脂溶性であるため脂肪の多い組織に蓄積し、肝臓や卵巣卵に高濃度で
蓄積していることが明らかとなっています。フトツノザメでは親の出産前に蓄積していた
PCBs総量は1500μgであり、このうち胎仔1個体には65μg蓄積していました。このことか
ら胎仔1個体あたりに4.3%排出されることがわかりました。またこの親魚は胎仔を7個体妊
娠していたことからPCBs総量の30%を体外に排出することが明らかになりました。DDTも
同様に約30%を排出することになります。
また雌では出産によるPCBs,DDTの排出があるにも関わらず雌雄成魚の濃度差は見ら
れませんでした(図1)。雌の性成熟全長は雄に比べ大きいため、雌の成魚は雄に比べて
摂餌量が多くなります。雌成魚は餌を通じて汚染物質を多く取り込んでしまうため、出産
で排出しても濃度の減少が見られなかったと考えらました。
・両種とも、PCBsおよびDDTが高濃度蓄積していました。
・PCBsとDDTは、脂質が多い肝臓や卵巣卵に多く蓄積していました。
・雌は出産を通じて胎仔にPCBsとDDTを移行していました。
・出産による排出量があきらかになりました。
・今後は毒性が高くダイオキシン類であるコプラナーPCBを測定することで、汚染による影響
を評価することができると考えられます。
海洋生物学科堀江研究室では、様々なサメ類や深海生物の生態と環境汚染について研究しています。