熊本市の地下水保全・上水管理の取り組み

アジア低炭素発展に向けた自治体プラットフォーム
事例レポート(2015 年 3 月)
熊本市の地下水保全・上水管理の取り組み
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背景
熊本市は九州地方の中央に位置し、東の阿蘇山から
西の有明海へとなだらかな台地と平野が続いている。九
州地方では、福岡市、北九州市についで 3 番目に人口が
多い都市である。水道水源の 100%を地下水で賄う、日
本一の地下水利用都市で、人口約 74 万人のほぼ全員が、
飲料水に地下水を利用している。
熊本市
熊本市を含む熊本地域(11 市町村。面積約 1,041 キ
ロ平方メートル。人口約 100 万人)は、阿蘇外輪山西麓
から有明海に続くエリアで、阿蘇山の噴火による火砕流
図 1 熊本市の位置
と噴出した溶岩が堆積しており、これらの地層は透水性
人口:約 74 万人(2015 年)面積:389.54 km²
が非常に高い。約 400 年前、当時の肥後熊本藩初代藩主
予算規模:2,945 億円(2013 年度)
である加藤清正が、この地域を流れる白川の中流域に水田開発を行った際、当該地域の浸透能力
を維持したまま開発を行ったことにより、より地下水が豊富になったと言われる。この地域の水
田は浸透しやすい土壌のため、他の地域に比べて約 5~10 倍のかん養能力があり、「ザル田」と
呼ばれている。この水田から浸透した水は熊本市南部の市街地で湧き出しており、熊本市の水道
水は、水道の水質基準に基づく最低限の塩素が添加されるだけで、すべて地下水を直接供給して
いる。「蛇口をひねればミネラルウォーター」といわれるように良質なミネラルウォーターが上
水として常に供給されている。
一方で、地下水以外の代替水源はなく、地下水量の維持や水質の安定が困難になると深刻な
事態を招くことになる。熊本市では、1970 年代以降の急激な都市化の進展により、市民の水使
用量は増加傾向にある一方で、地下水位に減少傾向が見られるようになり、2002 年ごろには、
地下水を取り巻く環境に大きな変化が生じていた。その環境改善を図るため、市は地下水保全の
ための施策を工夫してきた。また、事業活動による地下水汚染への対策にも取り組み、市民が安
心して飲める上水の安定供給を継続している。
これらの地下水保全の取り組みは、2013 国連“生命の水(Water for Life)”最優秀賞の受
賞にも至る。
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地下水保全の施策
2
2.1
地下水かん養の取り組み
熊本市では、1976 年の「地下水保全都市宣言」に基づく「熊本市地下水保全条例」を翌年に
制定し、1986 年に地下水観測井戸を設置するとともに、さまざまな方法での地下水保全に取り
組んできた。この一環として地下水の流れを解明す
るための調査も行われた。この調査によって、地下
水のかん養は、その 3 分の 1 を熊本地域の水田地帯
に依存していることがわかり、特に熊本市の東に位
水田
46%
置する大津町、菊陽町等(熊本市外)の白川の中・
畑地・
林地・
草地
41%
山地
13%
上流域の農地に大きく依存していることがわかっ
た。これら白川中流域農地では 1970 年代からの都
市化の進展、さらに国の減反政策によって水田が大
幅に減少し、それが熊本地域地下水循環量の減少につ
図 2 熊本地域の地下水かん養量の割合
(出所 大菊土地改良区ホームページ
http://www.ookiku.jp/mizujyunkan.html
より作成)
ながっていたのである。
このため熊本市における地下水保全には、近隣自治体と連携したかん養量の増加や維持が必要
不可欠とされ、熊本市では近隣自治体と協定を結び、広域で連携することによる地下水かん養量
の維持・増加を図っている。その代表的なものが、2004年から始まった白川の中流域における転
作田での湛水(たんすい)事業と、上流域における水源かん養林の整備事業である。
2.1.1
転作田1の湛水事業
2004年から、熊本市の地下水量保全対策として特に重要な水田からのかん養量を維持するた
めに、地元の推進組織として発足した水循環型営農推進協議会(熊本市のほか、大津町、菊陽町、
地元4土地改良区、JA菊池、JA熊本市東部支店で構成)と連携して、転作田を対象に農作物の収
穫後と植え付け前までの間(5~10月)の1~3ヶ月間、白川の河川水を毎日湛水し、その維持・
管理を行う農家に対して、助成金を支給している。この湛水事業は、協力農家や地域で活動する
企業の参画も得ながら、年々面積を増やしてきた。湛水には、地力向上や土壌病害虫抑制などの
効果があり、地元農家は営農の一環として湛水事業に協力している。
米消費量の減少に伴い、米が余り、米価が下がるのを緩和するために、国が農家に対して米の生産面積や量の制限をし
ている。このため、水田で稲作以外の作物を生産する必要に迫られ、米以外の作物を生産している水田を転作田と呼ぶ。
米以外の作物を栽培する場合には湛水されないため、地下水へのかん養が雨のみとなって地下水かん養量が大幅に減少
する。
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2012年には、同地域の関係する市町村、県、農業関係者、事業者間で構成されていた3組織を
統合して「公益財団法人くまもと地下水財団」が発足し、同地域の湛水事業をはじめとした更な
る広域的な事業に取り組んでいる。
白川中流域の水田風景(出所 熊本市)
湛水期間
助成額(10アールあたり)
1カ月
11,000円
2カ月
16,500円
3カ月
22,000円
転作田で湛水している様子(湛水期間を記入
した標識が立てられる)(写真 イクレイ日本)
表 1 湛水事業による助成額(転作田を対象)
(出所 熊本市)
2.1.2
水田保全、農業支援への取り組み
稲作は特に湛水期間が長く(4~5カ月)、この地域(白川中
ウォーターオフセット
3
流域)で米を1kg 作ることによって、約20-30 m の地下水か
図 3
地域の推定かん養量を米の
ん養効果がある。このため、この地域で稲作が継続して行われ、
生産量で割り、米1トンあた
農業経営が安定することが重要である。そのために、この地域
りのかん養量を算出し、米を
で生産された米や野菜は、「水の恵み」ブランドとして位置づ
購入することによって、同地
け、個人や団体、企業における利用の促進を行う「ウォーター
域の地下水かん養に貢献し、
その分の水道水利用による
オフセット」にも取り組んでいる。また、減少傾向にある水田
環境負荷を相殺したとみな
の保全を目的とした水田オーナー制度の取り組みも始まってい
す考え方。
る。
2.1.3
水源かん養林の整備
熊本市にとって重要な水源かん養林が位置するのも、
熊本市外である白川・緑川(加勢川上流域;木山川)上流域
であり、水田と同じように水源かん養林の整備にも近隣市
町村との協力なしには成り立たない。1953年の白川の氾
市職員と市民が協力してかん養林の植林活動
を行っている。(出所 熊本市)
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濫によって甚大な被害に遭ってからは、上流も下流も防災・洪水対策にも森林整備が重要である
と認識され整備が進められていたが、その後、水源かん養効果も認められたことで、双方にメリ
ットがあり、積極的に協力している。具体的には、2004年から対象地域の原野所有市町村と森林
整備協定及び分収造林契約を結ぶことにより、造林の利益を一定割合で配分することを条件に、
造林からその後の保育管理、伐採までの業務を行っている。平成25年度までに約800haの水源か
ん養林を整備しており、今後1,000 haまで拡大の計画を持つ。
2.2
節水・漏水防止の取り組み
熊本市における地下水の採取用途のうち、上水道の
占める割合は増加傾向にあった。これは、事業者や農
業など、上水道以外の用途に関しては、「熊本市地下
水保全条例」に基づく届出制度により過剰な摂取の抑
制が図られてきたが、一般の生活スタイルの変化から
生活用水は増加傾向にあったことの表れでもある。市
はかん養量の増加だけでは恵まれた地下水を将来に守
り伝えることは難しいとの認識の下、市民への節水意
市職員が小学校を訪問して節水の大切さに
ついて講義(出所 熊本市)
識の向上による水使用量の削減を図り、かん養によって地下水の入りを増やすだけでなく利用す
る出口部分での管理を行っている。2005 年度から、市民1人1日あたりの生活用水使用量を 10%
削減する目標を掲げ(2002 年の平均 254ℓから 230ℓへ削減)、2012、13 年度に目標値を達成した
ことを踏まえ、次の 5 年間でさらに 218ℓまで削減する計画を打ち出した。この目標値実現へ向
け、節水運動に賛同する市民を束ねた「わくわく節水クラブ」の立ち上げや運営、小学校での出
前講座や節水コマの無料配布、節水器具普及協力店の周知など、市民参加で節水運動を盛り上げ
る様々な取り組みを実施している。
(ℓ)
図 3 熊本市民 1 人 1 日あたりの生活用水使用量
(出所 熊本市水保全課)
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事例レポート(2015 年 3 月)
また、上水道の給配水管の漏水対策は、漏水防止実施計画に基づきこれまで段階的に漏水調
査・配水管の修理および取替え工事を進め、2013 年度は有効率 92.4%まで達成した。さらなる
向上を目標に、優先順位をつけながら更新作業を進めている。
さらに、下水処理水の再利用の取り組みも進め、下水浄化センターからの処理水を農業用水
路につなげて地域の農家に利用してもらうというしくみを一部地域で運用している。河川の水が
減少する時期などは、農業用水に下水処理水を再利用することにより、地下水採取量が抑えられ
る。これらの水資源有効利用策の拡大によって、総合的に地下水保全に取り組んでいる。
3
水質の適正管理
市は、地下水量の保全対策によって地下水量を確保
する一方で、地下水汚染の状況把握、水質改善策の早
期実施を可能にするため、適切な地点を選定した定期
的な調査・監視を実施している。また、水道利用者が
最終的に利用する地点における水質の監視を網羅的・
継続的に行うことで、良質な水道水の安定提供に務め
ている。
(上下水道局による水道水質検査地点と頻度:
取水井戸(108 箇所・年 3 回)、配水場(41 箇所・年
4 回)、公園などの給水栓(42 箇所・毎月/62 箇所・
毎日)
これまでに判明している地下水の汚染物質に関し
て、工場や事業所等の活動に由来する揮発性有機化合
物による汚染については、地域内の事業所に対して、
浄化対策や有害物質保管方法の指導などによって早期
に改善が図られてきた。平成 16 年頃から顕在化してき
た硝酸性窒素の濃度の高さは、研究機関と共に濃度の分
水源から蛇口に至るまで定期的な水質検査
による水質管理を行っている。(出所 熊本
市)
布調査を実施し、畑地における過剰な施肥や、未処理の家畜排せつ物の過剰な農地還元に由来す
ることが特定された。本課題に対して市は、「熊本市硝酸性窒素削減計画」を策定し、農業関係
者や学識者と連携を図りながら、堆肥の適正利用、家畜排せつ物の適正処理に取り組んでいる。
さらに本市の重要なかん養域である市東部地域に家畜排せつ物の適正処理施設を建設する計画
を進めるなど、発生源での対策を推進している。
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事業の成果・効果
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4.1
地下水量の保全
湛水事業が開始されてから 10 年が経過し、地下水位の上昇や湛水田からのかん養量の試算な
どから、湛水事業が地下水かん養量の保全に効果があることが検証されている。2014 年(平成
26 年)3 月の第 2 次熊本市地下水保全プランによると、2004 年度の事業開始時は、約 300 戸 765
万㎥を対象としたが、10 年後には活用できる転作田のほぼ全てである約 450 戸の農家が湛水事
業に協力しており、年間約 1,500 万㎥前後のか
ん養量を実現している。これに市民努力による
節水量も、地下水量保全に大きく貢献する要素
となっている。
熊本市では、地下水人工かん養量の目標を
3,000 万㎥としており、目標の達成向けて、さ
らに広域な湛水事業等に(公財)くまもと地下
水財団と連携して取り組む計画である。
市の水源の 1 つである自噴式井戸。年間通じて
18℃の地下水が毎日 4,000 ㎥湧き出している。
(写真 イクレイ日本)
4.2
「地下水都市」としてのブランド化
熊本市では、地下水かん養に効果的な白川中流域で生産された米や農作物を「水の恵み」ブ
ランドとして販売する取り組みを推進するほかにも、熊本の地下水をペットボトルに詰めた「熊
本水物語」をオフィシャルウォーターとして位置づけ、市内で行われる対外的なイベント・会議
で配布し、ホームページによる関連情報の発信や、市の水にかかわる有形・無形の資源を「熊本
水遺産」として登録し、観光資源としても広報するなど、熊本市の財産である「水」の重要性を
地域内外に PR してきた。市の水資源保全の取り組みは 2008 年 6 月に「第 10 回日本水大賞グラ
ンプリ(日本水大賞委員会)」、2013 国連“生命の水”最優秀賞を受賞するなど、その取り組
みは外部からも評価されている。これら一連の評価は、市民や事業者の節水意識や水保全意識を
さらに高めることにも役立っている。
4.3
低炭素社会に向けて
熊本市における地下水保全の施策は、同市の低炭素化都市づくり戦略の中でも戦略の柱とし
て位置づけられている。地下水都市としての基盤を生かして、さらなる湛水事業の推進や節水活
動による二酸化炭素排出量の削減、水源かん養林の整備による吸収量の増加を図る計画である。
また、水道施設における自然エネルギーの活用も推進されており、上水道関連施設や送水場の屋
根を利用した太陽光発電の他、戸島送水場において小水力発電設備の導入を進めている。これは、
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配水池からの高低差により発生するエネルギーを電力に変換して有効活用するというしくみで、
給配水システムにおける環境負荷の低減を目的としている。
教訓・成功要因
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5.1
自然システムの活用を可能とする広域連携
熊本市の湛水事業は、熊本市に湧き上がる地下水の源となる水田の広がる近隣の農業地域の
市町村との連携があって初めて実現可能となった。それには、熊本地域における地下水保全方針
の共有、近隣自治体や事業者との連携が不可欠である。また助成金の提供や、対象農作物の販路
拡大など、地域の農業を支える有効施策も、成果に結びつく重要な要素となっている。湛水事業
の拡大や、硝酸性窒素の濃度削減といった新しい課題に対しても、関係者との連携範囲のさらな
る拡大を模索しながら、問題の解決に取り組んでいる。
また、これら広域連携の背景として、熊本市が熊本県と共同で以前より地下水量や流動機構
に関する調査の実施、データの蓄積をして問題の解明に努めてきたことも重要な要素である。市
の調査データを基に、地域の研究機関や学識者と連携を取りながら、有効施策の立案、効果の検
証などを継続して行っている。
5.2
市民への意識啓発の促進:
市民への積極的な節水啓発活動や、地下水都市としてのブランド化推進の取り組みは、確実
な節水効果を生み、地下水保全に効果的に作用している。児童への環境教育の取り組みや、「わ
くわく節水クラブ」や「森林ボランティア」などのプログラムを提供し、市民が主体的に地域資
源の理解を深め、その保全に積極的に関われる場を継続的に提供するなど、多くの工夫が見られ
る。
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他自治体・地域への応用可能性
熊本市では、豊富で良質な地下水を享受してきた古くからの知恵をもって、周囲の自然環境
を保全することにより、水道水を 100%地下水で賄うことに大きな努力を払ってきた。これは、
大規模なダム建設や高度な浄水施設の導入に比べて、自然システムを利用した上水管理の方がよ
り低コストかつ効率的に、質の高い上水の安定供給が可能という基本的な考え方に基づく。
自然のシステムを積極的に活用し、かん養と取水の双方を管理することによって地下水量を
保全し、適正な水質管理によって良質な水の安定供給を実現する熊本市の施策は、上水システム
の整備が急務となる他の地域において参考となる部分が多いといえる。特に今後人口の増加が予
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事例レポート(2015 年 3 月)
測される地域では、増加する生活用水や農業用水需要に対していかに効率的に安定的な水供給を
行っていくかが大きな課題である。地下水は、例えば島嶼部など、特に表流水が少ない地域など
で、貴重な水源として注目される。自然のシステムは地域毎に異なるが、水源に関する正確な調
査と理解を進めることで、より効率的な上水システムの導入・維持の可能性が高まろう。
参考資料・情報元
・熊本市環境局環境政策課 水保全課
・熊本市上下水道局
・熊本市上下水道事業年報 2013 年(平成 25 年)4 月~2014 年(平成 26 年)3 月
・熊本市水保全年報 2013 年度(平成 25 年度)
・第 2 次熊本市地下水保全プラン 2014 年~2018 年度(平成 26~30 年度)
・東海大学大学院産業工学科研究科科長 産業工学部学部長 熊本教養教育センター 市川教授
・イクレイケーススタディ 136 “熊本市(日本)自然のシステムを利用した地下水保全:蛇口
をひねればミネラルウォーター”2011 年 イクレイ日本
執筆
・イクレイ日本
池田直子
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