バレーボール 全国三冠強豪チームを率いた その

森 健太郎さん
に任命された時は、正直焦り
森 健 太 郎 さ ん。
「はじめ主将
このチームを主将として
引っ張ってきたのは、3年生
挙を達成しました。
いての3冠という歴史的な快
イ)
、秋の国民体育大会に続
総 合 体 育 大 会( イ ン タ ー ハ
この瞬間、夏の全国高等学校
東 福 岡 高 校 バ レ ー 部 が 優 勝。
1月 日、全日本高校選手
権( 春 高 バ レ ー) の 決 勝 戦、
の瞬間、この場所にたつため
場。
コートに立ったときは「こ
トたち全員から送り出され出
かえた場面では、チームメイ
春高バレー決勝戦の第3
セット、マッチポイントでむ
ました。
ばいいのかを強く意識してい
り、それをどうまとめていけ
もちろんうれしかったこと
だけではありません。つらい
ました」と話します。
パイクで決めた時は感極まり
決めた最後の1点を自分のス
に入りました。実際に勝利を
やろうという気持ちでコート
てもいい。絶対に1点決めて
に東福岡高校に入ったと言っ
を出し、笑顔に努めることを
えました。自分が積極的に声
は、チームにも影響すると考
自分が暗くなってしまって
か し 腐 っ て い て は い け な い。
ニフォームを着られない。し
す。「 試 合 に 出 ら れ な い、 ユ
は当時を振り返りこう話しま
たことがありました。森さん
昨年6月、インターハイ出
場を前にレギュラーをはずれ
りました。
こと、くやしかったこともあ
らしてくれたもの。バレーが
レーとは、大切な仲間をもた
とが魅力です。私にとってバ
んなで喜びを分かち合えるこ
んなでつないで点をとり、み
た。「 バ レ ー は、 ボ ー ル を み
少年団でバレーを始めまし
森さんは、二人の兄の影響
で小学生のころからスポーツ
を徹底していたからです。
て学校内や周辺でのゴミ掃除
言葉をうけ、チームで意識し
や戸惑いがあった」と話しま
あったからこそ今の自分がい
す。しかし、日本一をとるた
な人ばかり。個性あふれるメ
た中学時代からバレーが上手
バーは、県内各地から集まっ
と め ま し た。 チ ー ム の メ ン
森さんは駅周辺でのゴミ掃
除などを行い、人間性を磨く
バスに乗っていきます。
時に起き、6時すぎのレール
た。朝課外に出るため、朝5
通学という選択肢を選びまし
かけたくないという思いから
中で、経済面で家族に負担を
身のバレー部メンバーもいる
高校へは3年間自宅から通
学。寮に入っている筑前町出
ちろん母校である三輪中学校
大学に進み、将来は中学校
の教師になりたいんです。も
ないでしょうか。
つながりが温かいところでは
い町だけれども、人と人との
した。この町の良さは、小さ
非常によくしてもらってきま
これまで地域のみなさんから
か っ た と 思 い ま す。 私 自 身、
森さんはこうも続けます。
「この町に生まれてきてよ
るのだと思います」。
ンバーをまとめるのは大変
ことにも力を入れました。「土
で。思い入れがあるバレー部
め、みんなを引っ張っていく
だったといいます。
壇場で勝負をかけるとき、最
で、自分で高校ナンバーワン
という強い思いでチームをま
主将として気をつけたこと
は、自分が一番明るく笑顔で
後の最後でバレーの神様に味
プレーヤーになるであろう人
ことに気をつけました。
「個」
に目を配り、声をかけていく
たこと。とにかくチーム全体
できた人に積極的に声をかけ
まくいかなかった人や、よく
いることに努め、プレーがう
方してもらえるのは人間性を
物を育てるのが夢ですね」。
勝ち取った栄光
それは仲間たちと共に手に入れたもの
徹底しました」。
(野町) 18 歳
夏・秋・冬の三大会の
全国制覇を成し遂げた
東福岡高校バレー部。
主将は筑前町を愛する
夢ある若者でした。
東福岡高校3年 バレー部主将
鍛えた人だけ」という監督の
が強いチームということもあ
写真上:春高バレー優勝の
記念楯。高校ナンバーワン
のチームに贈られる/写真
右:優勝報告の際に町長と
交わした握手。「ふるさと
を忘れず、これからの人生
で学ぶことを活かすために
地域に帰ってきてほしい」
とエールを贈る田頭町長
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バレーボール
全国三冠強豪チームを率いた
そのリーダーシップ
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特集 クローズアップちくぜん①