1 無差別戦争観と占領地軍政 戦史研究センター

NIDS NEWS
2016年1月号
無差別戦争観と占領地軍政
戦史研究センター戦史研究室 野村 佳正
はじめに
日本軍は、占領地軍政をいかなるものと理解したのだろうか。本論では、国際秩序に参入し
た明治政府及び日本軍が、いかに戦時国際法を理解し占領地軍政という概念を受容したかを明
らかにする。
占領地軍政の定義は、1907 年(明治 40 年)に調印された「ハーグ陸戦規則」で明らかにさ
れた。ただし、国際慣習としてはそれ以前から存在し、日本でも『万国戦時公法』の一部とし
て理解されていた。ところが、ここで規定された占領地軍政とその後では、大きく様相が異なっ
ている。これは、第 1 次世界大戦を経て、国際環境の変化に伴う国際法の発達、特に「国際連
盟規約」等により、
「ハーグ陸戦規則」に変更はないものの、占領地軍政そのものが政治や経
済を含む広範囲な概念として、大きく変容したからと考えられる。であるならば、20 世紀に
おける占領地軍政の概念を理解するためには、まず「ハーグ陸戦規則」策定期の占領地軍政の
概念を確認する必要があろう。
このため、
「ハーグ陸戦規則」策定期の国際秩序を形成した無差別戦争観に基づく国際法と明
治政府が直面した問題を明らかにする。次に、
『万国戦時公法』から日本軍が理解した占領地
軍政の概念を明らかにしたい。
1 19 世紀の国際秩序と明治政府
明治政府が、欧州秩序へ参入しなければならなかったことはよく指摘されている。では 19
世紀の国際秩序は、どのようなものであろうか。また、明治政府はいかに対応したのだろうか。
19 世紀の欧州は、国民国家成立に基づく法治主義により成り立っていた。なかでも、国際
法は無差別戦争観に基づいていた。近代の欧州秩序は、1648 年、30 年戦争を終結させたウエ
ストファリア条約により、ローマ法王の教権から独立した主権国家として王朝国家が成立した
ことに始まる。しかしながら、17 世紀以降、産業革命により力をつけた市民階級は、英、仏、
独(ベルリン・ウィーン)における革命を成功させ、国民国家を成立させていったのである。こ
の際、必要不可欠であったことが、国民と国家のルール作りつまり権利義務の確定であった。
これがなければ、安定的な政治・経済活動が保証されない。なぜなら、いまだ絶対王権が一定
の力を持っていたからである。こうした事情を受けて、憲法を中心とする国内法体系と立法機
関である国会が整備され、国民が安定した活動を行う根拠を得たのである。国民国家成立及び
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法治主義の影響は欧州域内に留まらない。国民国家のエネルギッシュな活動と産業革命による
生産力の増強は、欧州列強が欧州地域以外へ進出することを促した。そこで、欧州列強は非欧
州地域の諸国とどのような関係を取り結ぶかという大きな問題を抱えるに至った。
では、国際法はどのようにこの問題を処理したのであろうか。極言すれば、文明国が非文明
国を支配することの是認である。その背景は、30 年戦争が新旧両キリスト教同士の戦争であっ
たがために、双方が自らを善、相手を悪とみなし、際限のない殺し合いとなってしまったこと
にある。そこで、この惨禍を繰り返さないため、戦争は善悪で測るべきでなく国家政策の問題
であり、国際法の下では交戦国は平等であることを双方いずれもが受け入れた。これが無差別
戦争観である。この無差別戦争観が前提とする国際秩序においては、欧州域内で国家承認され
た同士は確かに平等であった。しかしながら、国家として否認された場合はどうなるのであろ
うか。これは大きく 2 つにわかれる。一つは無主の地として支配の対象となる地域である。い
ま一つは、近代法が未整備であるから、治外法権を認めさせたうえで通商を行う地域である。
この状況で固定化できるのであれば、それなりに安定化した国際秩序といえたかもしれない。
ところが、国民国家のエネルギッシュな経済活動は、安定からもたらされる以上の権益を求
めたのである。欧州の一国が権益を求めると、国家主権は平等であるから他の国家もこれを求
めることに反対する理由はない。それどころか、ユトレヒト条約(1713 年)以降、勢力均衡
は欧州諸国が追求すべき規範となったことから、いったん一国が権益を手中にすると他国も
競って権益を求めることが容認されたのである。その結果がアジアの植民地化であった。特に
1842 年のアヘン戦争による清の半植民地化は、日本に深刻なショックを与えたに違いない。
なぜなら、近代法が未整備の地域は、欧州諸国の都合により独立を失う可能性が常にあり、国
際法的にはそれを救済する手段がなかったからである。
明治維新を成し遂げた明治政府もこれらのことは十分に認識していたと考えられる。それは、
優先した外交目標が条約改正、分けても治外法権の撤廃だったことに表れている。関税自主権
の回復は経済問題に過ぎないが、治外法権の撤廃は欧州諸国から法治国家として受け入れられ
ることであり、独立維持のための必須の要件だった。法治国家の体裁を整えるために、明治政
府は政権運営のためのあらゆる不利を呑み込んだ。たとえば 1889 年帝国憲法発布、1890 年帝
国議会開設がそうである。ただ単に西洋化を推し進めるだけであったなら、立憲君主政より専
制君主政のほうが有利である。なぜなら政府は、憲法や議会に縛られず行政命令のみで処置で
きるからである。
法整備は軍事面でも同様に進んだ。そもそも、無差別戦争観の下での戦争は国家の政策の問
題であるから、戦争の勝利に必要なものは諸外国を納得させる大義名分はもとより、最終的に
は軍事力であるということは自明である。そのうえで近代法に基づいた軍建設を行わなければ、
法治国家として世界秩序に参入できないばかりでなく、戦時国際法と整合性をとれないからで
ある。1873 年徴兵令、1878 年参謀本部設置、1883 年戒厳令、徴発令、これらはすべて帝国憲
法のもとで最終的に体系化された。そしてこれら明治軍制を貫く考え方は、軍事合理性の徹底
した追求である。徴兵令により良質な兵員を確保し、参謀本部設置により政治の介入を防ぎ、
戒厳令・徴発令により作戦に伴う係累を除去することができた。そして、現地軍指揮官に行動
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の自由を与えたのである。こうすることが無差別戦争観の下では合理的であった。
2 『万国戦時公法』と占領地軍政
明治政府が法治国家を目指す以上は、国際法を受け入れ、これを順守することを内外に示す
必要があった。国際法のなかの戦時国際法もその例外ではない。では、日本軍は戦時国際法を
どう理解したのであろうか。そして、戦時国際法は占領地軍政をいかに規定していたのだろう
か。
日本軍が、戦時国際法をどのように理解していたかは、1894 年(明治 27 年)
、我が国の戦
時国際法研究の先駆者有賀長雄博士の著した『万国戦時公法』で確認することができる。有賀
博士は、かねてから戦時国際法の重要性を認識していた陸軍に招聘され、陸軍大学校において
教授として戦時国際法を教育していたからである。そして、その教科書である『万国戦時公法』
は、1864 年のジュネーブ条約から 1874 年のブリュッセル宣言までの議論を要約整理したもの
であり、当時の欧米の著名な国際法学者の学説を多数引用していることから、その見解は日本
独自のものでなく、欧米で支持されているごく一般的な学説と判断できる。
この『万国戦時公法』において、戦争に規則がある理由は 3 つあるとされた。それは、ま
ず戦争の大旨、次に闘戦の範囲、最後に仁愛の主義である。最初の戦争の大旨とは、国家は目
的達成のため戦争を行う権利があり、そのためにはあらゆる手段をとってよいということであ
る。次の闘戦の範囲とは、戦争は国家の目的達成を全うするに必要な範囲を超えないというこ
とである。最後の仁愛の主義は、敵味方の差別なく等しく相互救護の方針を取ることであった。
要するに戦争を是認しながらも戦争被害を局限することに狙いがあった。これが無差別戦争観
に基づく戦時国際法の基底をなす考え方であった。
では、
『万国戦時公法』においては、占領とはいかなる概念なのだろうか。実は、18 世紀ま
での戦争においては、占領という概念はなかった。なぜなら、侵攻軍がいったん敵地に侵入す
れば、敵国は土地に対する主権を失ったとみなされ、侵攻軍隊はただちに統治を行ったからで
ある。ところが、ナポレオン戦争の結果、1814 年のウィーン会議において、ナポレオンに領
土を奪われた諸邦は、旧領返還を主張した。このため、実効支配に基づく和約の条文により主
権の移譲を確定することとされたのである。ここから、他国に侵入して、仮政権を樹立し統治
を行うことは事実の問題であり、これが占領とされた。他方、和約により主権の移譲が行われ
ることは権利の問題であり、これは征服とされた。つまり、戦争目的を達成するために占領と
いう事実を確定し、後の講和条約締結の際に、戦勝国は征服という権利を獲得するのである。
そして、占領間の軍の権利義務を規定したのもまた『万国戦時公法』であった。ここでは、
交戦地域への軍の進攻、敵軍との交戦・撃破、交戦地域における治安回復及び徴発、占領政府
の樹立といった段階が想定されていた。したがって、戦闘と占領の間には、治安が未回復で、
占領政府も樹立されていない住民保護がなおざりにされている状態が存在するということに
なる。このため、速やかに治安を回復することが義務とされた。要するに、占領地軍政とは、
占領軍の権利としての徴発であり、そのための義務としての治安維持であった。そして、その
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権利義務も講和条約までの期限付きであった。
まとめ
別の見方をすれば、
『万国戦時公法』によれば、占領地軍政とは占領軍の作戦基盤であった
ともいえる。この『万国戦時公法』は、当時欧米一般で述べられていた学説が網羅されている
ことから、このことは日本だけの独自の見解でなく、19 世紀にはおおむね受け入れられてい
たものと考えられる。そのうえで、作戦を有利に進めるためには、軍事合理性の徹底追求を期
した統帥権のもとで占領地軍政が処理されることが合理的との判断が明治政府にあったので
ある。しかしながら、住民保護の問題は今なお続く国際法上の難題として存在した。
さて、この概念は第 1 次世界大戦により大きく変わり、政治的意味合いが大きくなる。また、
第 2 次世界大戦以後はPKOやネーションビルディングに引き継がれていく。これら変化につ
いて興味は尽きないが、また別の機会に論じたい。
主要参考文献
有賀長雄『万国戦時公法』(陸軍大学校、1894)
篠原初枝『戦争の法から平和の法へ』(東京大学出版会、2003)
平石直昭「近代日本の国際秩序観と「アジア主義」」東大社会研『20 世紀システム1 構想
と形成』(東京大学出版会、1998)
柳原正治「戦争の違法化と日本」国際法学会編『日本と国際法の 100 年第 10 巻安全保障』(三
省堂、2001)
三浦裕史『近代日本軍制概説』(信山社、2003)
田中誠「占領概念の歴史的変容」『政治経済史学』488 号(2007-4 月)
(2015 年 11 月 25 日脱稿)
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