朝の法話 第十四回 九月四日 全校の皆さん、おはようございます。 昨日は一日体験入学でした。皆さんの中にも昨日の中学生と同じよ うに伊那西高校に来て体験授業を受けたという人もいるでしょうね。 さて、今朝も一学期に引き続き釈尊の伝記をお話したいと思います。 さとりを開いた釈尊は、かつての修行仲間五人に対し鹿野苑で説法 を始めました。 当初、釈尊は縁起の法に目覚めた喜びと同時にこの繊細な法が正し く伝わるのは難しいとも考えます。しかし、インドの最高神である梵 天が「今、人々は苦しみの世界に沈んでいますが、もしあなたが法を お説きなれば、やがて彼らは法を実現する者となるでしょう」と、釈 尊に説法をすることを勧めました。その言葉に促された釈尊は、人々 の迷いを救いたいという大悲をもったのでした。この時、釈尊はさと りに目覚めたもの「仏陀」というだけでなく、真理の世界から迷いを 破るために出て来てくださった「釈迦如来」とも呼ばれました。 ところで、この「如来」の「如」とは真理、ほんとうのこと、あり のままという意味です。私たちは、この「ありのまま」の世界に生き ていながら、「ありのまま」を「ありのまま」に受け取ることが出来ず に生きています。そこに私たちの迷いがあります。 ここで友達や親の存在を思い出してみて下さい。一緒にいて楽しい し、面白いときもあれば、そうじゃない時もあるでしょう。 いつでも、どんな時も相手に対して好意を持つ感情は難しいのです。 なぜなら、自分の調子がいいときは相手に対して好意的ですが、何か の事情があって自分がイライラしているときその存在が嫌になるとき もあるからです。このように考えてみると、好きや嫌いやと言っても、 結局その時の都合によって左右されていることに気がつきます。 このような「ありのまま」の姿を見ようとせず、好きや嫌いという 原因を他人に求めていれば誰とも良い関係は築けないでしょう。 この「ありのまま」の姿に気付くきっかけを与えてくれるものが法、 つまり教えという訳です。 釈尊はこのような思いをもって説法したのでしょう。そして、この 教えを聞いた一人の仲間が目覚め、さらに他の四人も次々と目覚めま した。このように法が広まっていくことを車輪が回転する様子にたと えて「転法輪」といい、釈尊の最初の説法を「初転法輪」と呼んでい ます。 これで朝の法話を終わります。
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