<震災時の状況をお話しください> 東京の銀座にいました。息子の大学

<震災時の状況をお話しください>
東京の銀座にいました。息子の大学の卒業式で東京にいた。大学の卒業式は午前中に終わって、
午後ね、娘とそれこそ銀座の地下で映画見てたの。揺れてね、それで皆「どうしようか」と言い
ながら、やっぱりサーッと出たんですよ。出たらビルでね、そしてワーッと揺れてて。でも皆ね、
東京だから映画も止まった時点で払い戻しね。それ落ち着いて皆払い戻しをして。でも大した事
無いと思って、その時は。「まぁ凄かったね」っていう事で、「どこだろうね」って。震源がまだ
わかんないの。こっちがこうなってると思わないから。
それでまだ東京うろうろしてて。そのうちに、なんか凄かったらしいってね。震源がどこだとか
いう事で、そのうちもう電車が止まったり。お店のシャッターが段々降りてくわけ。「え?何何
何?」っていう感じで。うちに電話してももう通じなかったの。それで電車が止まったでしょ。
じゃあどうしようかって。
「じゃあホテルでも泊まろうか」って。まだまだこっちは簡単な。それ
で■■■ホテルに行ったの。そしたらもうロビーが人で溢れてた。
それでそこのテレビを見たら、もう三陸町とか向こうの方が、海が。火事とかも。「おぉ凄いな。
えー何どうなったのうちの方は?」っていう感じ。それからもう電車止まったから、三軒茶屋ま
で歩いたんですよ。東京もまた酷かったじゃない、交通機関ストップして。大体3時間ぐらいか
な。なんだかんだ歩きながら娘の家に行って。まぁそういう状態でした当時は。それでもそんな
に酷くはなってないなと思ってて、途中でね、うちの技工士さんから電話が来たんです。
結構寒かったんだよね。コンビニも物が無くなっててね、まだ交通マヒも始まったばっかりだっ
たからマシな方なんだけども、歩くにも、やっぱりトイレが無いんだよね。あとで聞いたらまぁ
色んな所でね、「どうぞ」っていう所もあったみたいだけども。結構でも皆整然と歩いてた。
それで歩いてる途中で技工士から電話が一本入って、「野田が全滅したそうです」って。「嘘、何
言ってんの?」ってそんな感じで。その技工士さんも自宅が宇部なんだよ。で、消防から聞いた
みたいで、野田が酷いって。
「壊滅ったって何?どういう事?」と思ってこっちはね。でもまさか
と思って。そしたらやっぱり携帯に電話が。大学が新潟だったんだけど、新潟の友達から電話が
来て「どこに居るの?」って。「東京に」「えー!」とか言ってね。「東京で何してんの?」って。
「今大学でこれこれこうで…」「あ、そうなんだ。地元は酷いみたいだよ」っていう話で。
で、新幹線で帰ろうと思ったら「新幹線動かないよ」って。それもわかんないじゃんこっちは。
「しばらく動けないよ」みたいな。
「え?そうなの?」って感じで。それでテレビ見ながら。でも
後で聞いたらこっちはもう全部止まってるじゃない。私達の方が情報があったんだよね。
だからね、新潟とか向こうの友達から電話が来るわけ。向こうは東京に居ること知らないから、
よく通じたなって思ったみたい。その割にはさ、久慈の先生とか電話来ないからさ、冷たい奴ら
だなと思ってたんだよね。そしたら久慈の方は全然何が起きてるかわかんなかったんだって。
結局新幹線は止まってるから帰れなくて、月曜日の最終便の飛行機で三沢まで帰って来た。4日
目だよね。それからバスで八戸まで来て、八戸からはちょうど運の良い事にね、私の車が一台修
理に出してたのがあったの。それはまぁ修理中だったんだけど代車を借りて帰って来て。久慈に
うちのが避難してたからそこから、その翌日かな、野田に入って来て。5日目に初めて見たんで
すよ。酷かった。
帰って来て、見てね、
「いやぁ参ったな」ってね。1階は大規模半壊。で、帰って来たらうちの兄
貴とか皆来て、もう全部片付けてくれて。もう物無かった、空っぽ。もう全部出して。
うちは泥入ってて、物は外にあったり。ある程度物は出して。ちょうど選挙の時なんだよ。で、
うちのかみさんがうちの兄貴の奥さんと選挙活動で歩いてたんだよ。それで、皆逃げたから「あ
らあら大変だ」という事で、「じゃあ逃げようか」って。わんこに洋服着せたりしながら、「とり
あえずじゃあ久慈まで行こうか」って。まさかこうなると思わない。それで久慈に行って、その
後津波来たのね。
病院は、ちょうど私が居なかったからスタッフ達も休みだったんですよ。自分が野田に居たらど
うしたかなっていうのは考えるね。なんとなく「大丈夫大丈夫」って言ってた可能性もあるんだ
けど。まぁ皆ね、揺れが酷かったから逃げたみたいだから。
<何か要請などは入りましたか>
もう震災の次の日ぐらいに岩手県歯科医師会で入ってるわけですよ。私居なかったから、電話も
通じないから。で、盛岡から先生達が何人か来て。私はいない。検歯が始まったんです。まだそ
んなにね、体制としては出来てなかったけども、次の日ぐらいに来たみたい。私が帰って来てか
ら検歯が本格的に始まって。まぁよそに比べればね、気分的には。
身元確認はね、工業高校に皆集まったの。あそこに歯科医師会が当番で。私は毎日だったけど。
結構私の知ってる人達もあって。患者さんとか。身元でわかんないのもあったから義歯で見つけ
た人も居るのね。うちで作った義歯ってのは分かる。それで過去、その義歯の形とか控えてるの
もあったの。サイズとか。で、そういうので見て「あ、この人いつ頃作った義歯だな」っていう
事で。うちの技工士なんかも「わかるわけないじゃない」と言いながらやってたんだけど、でも
ね、わかったんですよ。調べて、カルテ見て、番号とか書いてあるからそこから患者さん見つけ
たのもありました。だから今、義歯に関しては入れ歯に名前を入れるとかね。介護施設なんかだ
と入れるんだけど、普通は入れないんだよ。だからそういうので身元を調べる為には入れたらい
いじゃないかとか、まぁ色んな識別の為にっていうのもいろいろ考えられてはいるんだけど、ま
だ全部はやってない。だけど、普通は分かんない名前書いてなきゃ。入れ歯から見つけるっての
は難しい事ですよ。ただここは狭い地域だから、私の所で作った義歯って分かってるから。たま
たまその人の場合は特徴ある入れ歯だったからね。サイズとか全部記録してある。狭い村だから
誰が行方不明っての大体わかるんだけど、その人はたまたま分かんなかった。老夫婦で家族の人
もいないし、身元が分かるものも無いし、特定は出来なかったんですよ。でも義歯があった。そ
れで特定出来たっていうね。
<ご自宅は再建されましたか>
自宅は、ここの通りは皆、大規模半壊は建て直しじゃなくて全部壁剥がして泥上げて。弘前大学
の子達が来て床に潜って泥上げてくれて。だから凄い助かったよ、ボランティア。弘前大学とか、
あと富山から来たんだね、泥上げに。若い人たちとかね。
うちはでも遅かったね。最後の方だった。村から「結局どうするんですか?」と。
「直すんだら直
してください。壊すのかどうするかって決めてください」って。
「んだら(だったら)直そう」と。
側は大丈夫だったから。壊して建てるのもね、こんな同じとこにさ、考えちゃうでしょ、その時
ね。どうしようかっていう事でまぁ直して。本当にギリギリ、末にね、直して。自宅が直るまで
は、暫くは久慈の弟の所にいて。それから病院は有ったからこっちに住んで。
病院の方は、ユニット1台だけは10日ぐらいで稼動出来るようにしたんですよ。応急で。ここ
はね、あと1センチで水が入る所だった。床下ギリギリ上がんなかったんですよ。でも下にコン
プレッサーの機械とか配線あるでしょ。だから下は全然駄目で。だけど上まで水が上がるのと上
がんないじゃあまた違うからね。それでまぁとにかく一台を応急でコンプレッサーを別に付けて
動かして。あとは送迎で患者さんをね、応急の人達はそれで皆見て。
ただ、生活排水は困ったね。水出ないのはあったけど、排水も駄目なんだよね。流しちゃいけな
いって、あれ困るんだよ。バキュームで吸ったやつ捨てれないっていうのが。溜めて、裏に穴掘
って捨ててっていう感じ。だから、水道出ないのも困るけど、排水が出来ないのも非常に困った
ね。あと、トイレがさ、今、集中でやってたじゃない。新山地区の方だと、自分のとこの浄化槽
の人は使えたっていうでしょ。下水道にするからって、うちなんかだって浄化槽潰してんだよ。
まぁ切り替えてるから使えないだろうけど、浄化槽があればね。せっかく有るのに中に砂入れて
埋めたりしてるじゃない。だからこういう時は浄化槽の方が絶対いいなと思ってね。トイレが使
えなかったの大変だったしね。排水が出来ないっていうのもね。
<どのくらいで通常の業務ができましたか>
一応1台は10日目ぐらいから動かして、急患は診ると。結構ね、入れ歯が壊れたとか無くなっ
たとかそういう人も多かったの、流したとか。まぁ痛いって人も勿論居るけどね。もうかなりの
人は入れ歯ね。お昼食べて外してた人が多いのかね。3時なんぼって時間だったから結構ね、入
れ歯が津波で流れたって。あとね、やっぱり仮設回るとたまたま診察券持ってて、あとは皆流し
たっていう人も居たんだよ。全部流しましたっていうのもありましたね。
時間が過ぎてしまえば嘘みたいだけどね。まぁまだまだ仮設もね。私達もあとはしばらくは。
今も県から被災地に、患者送迎用と訪問巡回用の車を借りてるんですよ。貸してくれてね。今も
そうだけど、仮設からだと病院も遠いじゃない。それに患者さんもお年寄り多いでしょ。仮設の
所は坂だし、送り迎え今でもしてる。で、そうすると聞きつけて久喜の方でも、
「行きたいんだけ
ど連れて行ってける人が居ない。でもなんだか送迎してくれるそうだ」って。本当はそれは無い
んだけど「まぁわかった」って。それで行く番になってしまった。だから仮設の人はね、まぁ希
望の人は送り迎えしてるんだ、今でも。中には「大丈夫歩く」って人もいるんだけど。
だからしょっちゅう技工士さんが行ったり来たり。昨日もね、行って送り迎え。
口の健康って大事なのさ。