2016 京都大学 前期日程(2/26 実施) 世界史 【解答例】 Ⅰ ウイグルの滅亡後に中央アジアに定住したトルコ人は,優れた騎馬技術のために軍人奴隷のマムル ークとしてアッバース朝など諸王朝の軍事力の中心となり,サーマーン朝が成立するとその影響を受け てイスラーム化した。以後トルコ系の人々の改宗は進み,東西トルキスタンのイスラーム化を成し遂げ たカラハン朝をはじめとして,各地にトルコ系イスラーム王朝が成立した。アフガニスタンのガズナ朝 はインドへ侵入を繰り返し,インドにイスラーム教が普及する端緒を作った。11 世紀にトルコ人が建国 し中央アジアから西アジアへ進出したセルジューク朝では,ガザーリーがスーフィズムを大成し,各地 のトルコ人のイスラーム化がさらに進んだ。 ⅡAa-司馬炎 b-拓跋 c-東魏 (1)陰陽家 (2)太平道 (3)燕 (4)ア-司馬遷 イ-クシャーナ朝 (5)王莽 (6)ア-羯 イ-仏図澄 (7)宋 (8)ア-上京竜泉府 イ-猛安・謀克 ウ-ヌルハチ B d-趙匡胤 e-東林 f-国民党 (9)党錮の禁 (10)殿試 (11)国家財政の確立 軍事力の強化 (12)科挙の廃止 (13)主権在民の共和国の建設・民衆の生活の改善 (14)変法(戊戌の変法) (15)幹線鉄道の国有化(16)二十一カ条の要求 (17)西安 (18)プロレタリア文化大革命 Ⅲ イギリスでは名誉革命が終了して近代的市民社会となり,市民の間で啓蒙思想が広まった。科学的 知識の普及や合理的主義的発想から産業革命の発展に寄与したほか,アダム=スミスは啓蒙思想の影響 を受け,古典派経済学を確立した。啓蒙思想の影響を受けた人々が植民地へ移住し,アメリカ独立革命 を推進するという役割も担った。一方プロイセンでは市民層が未発達であり,啓蒙思想を受容したのは 君主側だった。フリードリヒ2世はヴォルテールとも親交を深め,啓蒙専制君主として上からの改革を 行った。宗教寛容令など社会の近代化に努めたが,地主貴族階級であるユンカーを中心とする支配体制 は変わらず,農奴解放は進まなかった。 ⅣAa-サラミス b-北海 c-リューベック (1)カルタゴ (2)リウィウス (3)後ウマイヤ朝 (4)両シチリア王国 (5)ヨハネ騎士団,テンプル騎士団(ドイツ騎士団も可) (6)デンマーク王国 B(7)シオニズム (8)イサベル (9)アムステルダム (10)メアリ1世がカトリックの復活をはかったため。(11)ホーエンツォレルン家 (12)ハノーヴァー朝 (13)オーストリア (14)サトウキビ・タバコ・綿花など (15)アレクサンドル2世 C(17)シューマン (16)イタリア (18)パリ (19)金とドルの交換停止発表を機に固定相場制は崩れ,変動相 場制へ移行する契機となった。 (20)国内ではスターリン批判を行って自由化の方向を打ち出し,対外的にはアメリカとの協調の方 針を打ち出した。 (21)珍宝島(ダマンスキー島) (22)李登輝 (23)人件費の安さを強みに外国企業を誘致し,労働集約的な工業製品を生産し,先進国へ輸出した。
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