千葉大学【世界史】解答 1 ダヴィデ・ソロモン両王のもと栄えたヘブライ王国は,ソロモンの死後 南・北王国への分裂に見舞われる。北のイスラエル王国は南のユダ王国 との抗争の末アッシリアに滅ぼされた。南のユダ王国は新バビロニアに 滅ぼされ,住民はバビロン捕囚で強制移住させられた。アケメネス朝ペ ルシアにより解放されるとパレスチナに戻り,このころユダヤ教が確立 した。アケメネス朝がマケドニアのアレクサンドロス大王に滅ぼされる とその支配下に入り,王の死後興ったセレウコス朝の支配から前2世紀 に独立してハスモン朝が成立した。ハスモン朝は前 1 世紀にローマに征 服され属州となり,ハドリアヌス帝の支配に対して起こした反乱が鎮圧 されると,ユダヤ人はパレスチナを追放され各地に離散した。 2 問1 問2 問3 1-毛皮 2-毛織物 リューベック (1)ハンザ同盟 (2)①ノヴゴロド ②リガ ③ハンブルク ④ブリュージュ ⑤ロンドン (3)自治権をもつ諸都市が同盟し,共同で陸海軍をもっていたため。 3 問1 1-ビルマ 2-シンガポール 3-海峡植民地 問2 ムガル帝国 問3 インドは特産の綿布をイギリスへ輸出していたが,イギリスで産 業革命が進み綿織物工業が盛んになると,インドはイギリス産綿 布の輸出先となり,綿布の原料となる綿花を栽培しイギリスに輸 出するようになった。 問4 イギリス東インド会社は三大拠点に商館を置いて交易を行ったが, ムガル帝国の勢力が弱まり地方勢力が抗争を繰り広げるようにな るとこれに介入し,プラッシーの戦いでフランスを破ると統治機 関としての性格を帯び始めた。このときベンガル地方の徴税権(デ ィーワーニー)を得て,以後各地の地方勢力を討ち勢力を拡大す るとともに,北部にザミンダーリー制,南部にライヤットワーリ ー制をしいて徴税した。しかし産業資本家の自由貿易体制への要 求が高まると,貿易独占権が廃止,商業活動自体も停止されて, 統治機関としての立場が明確になった。 1
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