主日集会 2015.8.23 入った。すると、門番のはしためがペテロに、「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」と言っ た。ペテロは、「そんな者ではない」と言った。寒かったので、しもべたちや役人たちは、炭火をお こし、そこに立って暖まっていた。ペテロも彼らといっしょに、立って暖まっていた(15-18節) ペテロの失敗を教訓とする いつ たい へい し ヨハネ福音書18:12-27 せんにん たいちよう じん おく やくにん と 18:12 そこで、一隊の兵士と千人隊 長 、それにユダヤ人から送られた役人たちは、イエスを捕らえ しば て縛り、 つ い かれ とし だい さい し 18:13 まずアンナスのところに連れて行った。彼がその年の大祭司カヤパのしゅうとだったからで ある。 ひと たみ か し とく さく じん じよ げん ひと 18:14 カヤパは、ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である、とユダヤ人に助言した人であ る。 で し い で し だい さい し し あ 18:15 シモン・ペテロともうひとりの弟子は、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合 だいさい し なかにわ はい いで、イエスといっしょに大祭司の中庭に入った。 そと もん た だい さい し し あ 18:16 しかし、ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いである、もうひ で し で き もんばん おんな はな つ はい とりの弟子が出て来て、門番の 女 に話して、ペテロを連れて入った。 もんばん ひと で し い 18:17 すると、門番のはしためがペテロに、 「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」と言った。 もの い ペテロは、 「そんな者ではない」と言った。 さむ やく にん すみ び た あたた 18:18かれ寒かったので、しもべたちや役人たちは、炭火をおこし、そこに立って 暖 まっていた。ペテ た あたた ロも彼らといっしょに、立って 暖 まっていた。 だいさい し で し おし じんもん 18:19 そこで、大祭司はイエスに、弟子たちのこと、また、教えのことについて尋問した。 かれ こた よ む こう ぜん はな じん 18:20 イエスは彼に答えられた。 「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみ あつ く かいどう みや おし かく はな なに な集まって来る会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。 たず ひと びと なに はな き 18:21 なぜ、あなたはわたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞い ひと たず かれ はな こと し た人たちに尋ねなさい。彼らならわたしが話した事がらを知っています。 」 い た やく にん だいさい し こた かた 18:22 イエスがこう言われたとき、そばに立っていた役人のひとりが、 「大祭司にそのような答え方 い ひら て う をするのか」と言って、平手でイエスを打った。 かれ こた い わる わる しよう こ しめ 18:23 イエスは彼に答えられた。 「もしわたしの言ったことが悪いなら、 その悪い 証 拠を示しなさい。 ただ う しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。 」 しば だいさい し おく 18:24 アンナスはイエスを、縛ったままで大祭司カヤパのところに送った。 いつぽう た あたた ひとびと かれ い ひと 18:25 一方、シモン・ペテロは立って、暖 まっていた。すると、 人々は彼に言った。 「あなたもあの人 で し ひ てい もの い の弟子ではないでしょうね。 」ペテロは否定して、 「そんな者ではない」と言った。 だいさい し みみ き お ひと しんるい あ もの い わたし 18:26 大祭司のしもべのひとりで、ペテロに耳を切り落とされた人の親類に当たる者が言った。 「 私 み その ひと が見なかったとでもいうのですか。あなたは園であの人といっしょにいました。 」 いち ど ひ てい にわとり な 18:27 それで、ペテロはもう一度否定した。するとすぐ 鶏 が鳴いた。 【祈りながら考えよう】 (1)第1回目から第3回目までのペテロの否認は、それぞれだれに対してですか。 (2)ペテロが3回も主を否認するという失敗した原因はどこにありますか。 (3)3回目の否認の後、ペテロはどのような行動を取りましたか。その結果はどうなりましたか。 【解 説】 (1)そこで、一隊の兵士と千人隊長、それにユダヤ人から送られた役人たちは、イエスを捕らえて縛り、 まずアンナスのところに連れて行った。彼がその年の大祭司カヤパのしゅうとだったからである。カヤパは、 ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である、とユダヤ人に助言した人である(12-14節) 主イエスは、ローマの兵士とユダヤ人の役人たちによって捕らえられ、アンナスの所へ連れて行かれた。このア ンナスという人物は、前に大祭司をしたことのある人物で、ユダヤの祭司制の頂点に立つ人物として権力ならびに しようあく 財力を一手に 掌 握していた人物であった。今は大祭司ではないが、元大祭司であったということと、現大祭司カヤ パのしゅうとに当たるということと、黒幕的存在であったところから、まずアンナスの所に連れて行かれ、彼の意 見を聞くことが大事であった。ヨハネは、その婿に当たる現大祭司のカヤパを紹介するにあたり、以前彼が語った 言葉、「ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である」(ヨハネ11:50-52)を引用している。カヤパは功利的な 意味で言ったこの言葉が、はからずもイエス・キリストの身代わりの贖いを予告していた。 (2)シモン・ペテロともうひとりの弟子は、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いで、 イエスといっしょに大祭司の中庭に入った。しかし、ペテロは外で門のところに立っていた。それ で、大祭司の知り合いである、もうひとりの弟子が出て来て、門番の女に話して、ペテロを連れて -1- 「もうひとりの弟子」とはヨハネのことである。ヨハネが大祭司と「知り合い」であるお陰でヨハネは許可を得 て、中庭に入った。ヨハネが出て行って、門番をしている女と話して初めて、 「ペテロ」は入ることを許された。 くつきよう ペテロが最初に主を否定したのは、屈 強 で恐ろしげな兵士の前ではなく、ひとりの「門番のはしため」であった、 というのは注目すべきことである。ペテロは自分がイエスの弟子であることを否定した。 (3)そこで、大祭司はイエスに、弟子たちのこと、また、教えのことについて尋問した。イエスは彼 に答えられた。「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まって来る会 堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。なぜ、あなたはわたしに尋 ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞いた人たちに尋ねなさい。彼らなら わたしが話した事がらを知っています。」(19-21節) イエスは、公然と、ユダヤ人がみな集まって来る会堂や宮で教えられた。21節は、アンナスの裁判の方法のはな はだしい不正に対する抗議である。主は、被告人に彼自身の有罪を証明させ、彼に不利に用いられる証拠を提供さ せることは、理にかなっていて、正しく、公平なことであるか、と訴えている。 「裁判官であるあなたが、なぜ被告であるわたしに、わたしの弟子や教えについての情報を求めるのですか。む しろ、わたしの話、説教を聞いた人々に、わたしが何を話したか尋ねなさい。」 (4)イエスがこう言われたとき、そばに立っていた役人のひとりが、「大祭司にそのような答え方をす るのか」と言って、平手でイエスを打った。イエスは彼に答えられた。「もしわたしの言ったことが悪 いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。」 (22-23節) 主イエスを平手で打った役人は、裁判官がどれほど不正で腐敗していても、被告人は裁判官に口答えしてはいけ ないという考えであったのだろう。主は、平静さを少しも失うことなく、彼らの態度の不当さを示された。 (5)アンナスはイエスを、縛ったままで大祭司カヤパのところに送った(24節) 23節までは、アンナスの前における尋問の様子。カヤパの前における審理についてヨハネは何も記していない。 (6)一方、シモン・ペテロは立って、暖まっていた。すると、人々は彼に言った。「あなたもあの人の 弟子ではないでしょうね。」ペテロは否定して、「そんな者ではない」と言った。大祭司のしもべの ひとりで、ペテロに耳を切り落とされた人の親類に当たる者が言った。「私が見なかったとでもいう のですか。あなたは園であの人といっしょにいました。」(25-26節) 話はここで「シモン・ペテロ」に戻る。早朝の寒さで、彼は火のそばで「暖まっていた」。その身なりやなまりか ら、ペテロがガリラヤの漁師であることは明らかであったに違いない。彼のそばに立っていた人々が、あなたはこ のイエスの弟子ではないのか、と尋ねた。しかし、またしてもペテロは主を「否定して」しまった。 ところが、ペテロに話しかけたのはマルコスの「親類」であった。彼は、親戚が「ペテロに耳を切り落とされた」 のを目撃していた。 「私が見なかったとでも言うのですか。あなたは園であの人といっしょにいました」。 (7)それで、ペテロはもう一度否定した。するとすぐ鶏が鳴いた(27節) ペテロは3度目の「否定」をした。「すぐ」に鶏の鳴く声が聞こえ、ペテロは主のことばを思い出した。「鶏が鳴 くまでに、あなたは3度わたしを知らないと言います」。他の福音書を見ると、ペテロはここに至り、外に出て行っ て激しく泣いたことがわかる(マタイ26:75/マルコ14:72/ルカ22:62) 。 (8)キリスト信仰の基本 ペテロは、主の弟子であることを3度も否定した。このことは、主の最後の晩餐の直後に、また、最も感動的な説 教と祈りを聞いた後で、特に深刻な誘惑が何もない時に起こった。「立っていると思う者は、倒れないように気をつ けなさい」(Ⅰコリント10:12)。ペテロの失敗は、キリスト教会全体に対する教訓となるように意図されたものであ る。私たちも同じような失敗から守られるように、高ぶりと自己への過信の危険性を教えてくれる。 他の福音書を見ると、主がペテロの否認を予告されると、彼は力を込めて、主の予告を打ち消し、「私は決してつ まずきません」と誓っている(マタイ26:31-35等) 。しかしその時、ペテロは主から支えられることを拒んでいた。 私たちは、主の支えがなければ何も出来ない弱い者であるということを知らなければならない。 キリスト信仰の基本が分かっていないと、自分では信仰であると思っていても、それは信仰とは全く異質の人間 的な強がりや意志にすぎないことを知る必要がある。 (9)愛とあわれみに満ちた大祭司イエス ペテロは恥ずかしい失敗をして後、心からの悔い改めをし、激しく涙を流してから、ようやく立ち上がることが できた。ペテロが大祭司の屋敷で倒れた時に、あわれみの御手が、彼を立たせるために差し伸べられた。彼が立ち 上がった時、主の支えなしには生きられない謙虚な人になっていたに違いない。 もし、ペテロの失敗により、私たちが自分の弱さと主の愛とあわれみとを、よりはっきりと知ることができるよ うにされたならば、ペテロの失敗が記録されたのも無駄ではなかったことになる。 -2-
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