ご神木と古代出雲の風 景 大 嶋 辰 也 1.はじめに 平 成 26 年 度 の 活 動 テ ー マ は 、 荒 神 ・ ご 神 木 で あ る 。 古 代 出 雲 の 中 心 地 で ある意宇川流域、ご神木に関する情報が豊富な邑智郡を対象として、荒神・ ご神木の樹種と、地域の自然環境等との新たな関係性を見出すことにより、 地 域 資 源 と し て の 魅 力 発 見・向 上 に つ な げ る こ と を 期 待 し た 。ま た 、八 雲 立 つ 風 土 記 の 丘 資 料 館 に 展 示 さ れ て い る“ 奈 良 時 代 復 元 模 型 ”に 触 発 さ れ 、当 時の景観復元(想像)を試みた。 2 . 平 成 26 年 度 の 活 動 概 要 平 成 26 年 度 は 、 ご 神 木 を テ ー マ と し た 現 地 視 察 を 行 う と と も に 、 山 王 寺 自 然 観 察 会 の 講 師 を 行 っ た 。 表 -1 に 本 年 度 の 活 動 ス ケ ジ ュ ー ル を 示 す 。 表 -1 月日 4/5 6/21 平 成 26 年 度 の 活 動 概 要 7/26 内容 第 1 回ミーティング 第 2 回ミーティング (現地下見) 山王寺自然観察会の 下見 山王寺自然観察会 10/11 現地視察 12/13 第 3 回ミーティング 7/19 備考 ・ 平 成 26 年 度 の 活 動 方 針 を 確 認 し た 。 ・ 東 出 雲 の 4 箇 所 を 現 地 踏 査 し 、 平 成 26 年 度 の調査方針を確認した。 ・ 7/26 の 自 然 観 察 会 に つ い て 、 山 王 寺 の 方 と の打合せ及び現地下見を行った。 ・自 然 観 察 会( 山 王 寺 棚 田 調 べ )の 講 師 を し た ( 講 師 と し て 4 名 参 加 )。 ・意宇川流域の 8 箇所を現地踏査した。また、 八雲立つ風土記の丘資料館を見学した。 ・現地視察等の活動を報告した。 3.山王寺の自然観察会 「 日 本 の 棚 田 百 選 」に 選 定 さ れ た 雲 南 市 山 王 寺 地 区 に お い て 、山 王 寺 本 郷 棚 田 実 行 委 員 会 か ら 「 田 ん ぼ の 学 校 ( 自 然 調 べ コ ー ス )」 の 講 師 依 頼 を 受 け た 。平 成 24 年 度 か ら の 取 り 組 み で あ り 、平 成 26 年 度 は 講 師 と し て 会 員 4 名 (田中、森脇、片岡、大嶋)が参加した。 自然観察の場は、これまでと同様、田んぼとため 池であるが、今年は、子供たちに見つけた生き物の 絵を描いてもらい、それを見つけた環境を地図に張 り付けてもらった。それから、子供たちに見つけた 時の細かい話を聞きながら、その生き物と生息環境 について説明した。今後も、子供たちの“目”を大 切に、自然観察会の企画を考えて行きたいと考えて いる。 -100- 4.意宇川流域を中心とした荒神・ご神木 4.1.概 要 古 代 出 雲 の 中 心 地 で あ る 意 宇 川 流 域 を 中 心 と し て 、 計 11 箇 所 の 神 社 等 を 対象に現地を踏査し、ご神木等の樹種や周辺環境を確認した。 4.2.現 地 踏 査 日 及 び 踏 査 箇 所 現 地 踏 査 日 を 表 -2 に 、 現 地 踏 査 箇 所 を 図 -1 に 示 す 。 表 -2 現地踏査日及び踏査箇所 現地踏査日 内容 6 月 21 日 下見(4 箇所) 10 月 11 日 視察(8 箇所) 踏 査 箇 所 ( 図 -1 参 照 ) 阿太加夜神社、揖屋神社、意宇の杜、山代町 荒神 熊 野 大 社 、磐 坂 神 社 、志 多 備 神 社 、毛 社 神 社 、 六所神社、意宇の杜、真名井神社、山代神社 注)意宇の杜は、2 日間とも視察した。 山代神社 山代町荒神 意宇の杜 阿太加夜神社 真名井神社 八雲立つ風土記の丘 六所神社 毛社神社 磐坂神社 志多備神社 熊野大社 図 -1 現地踏査箇所 -101- 揖屋神社 4.3.意 宇 川 流 域 で 確 認 さ れ た ご 神 木 等 現地で確認した主なご神木は、タブノキ、スダジイ、スギの大木である。 そ の 他 の ご 神 木 と し て 、エ ノ キ 、ネ ズ ミ モ チ 、サ ワ ラ 、ヤ ブ ツ バ キ 、モ チ ノ キ 、カ ツ ラ も 確 認 さ れ た 。こ の う ち 、志 多 備 神 社 の ス ダ ジ イ は 、日 本 一 の ス ダ ジ イ と し て 有 名 で あ る ( 最 近 、 他 県 で 日 本 一 の 木 が 見 つ か っ た ら し い )。 また、ご神木ではないが、珍しい種としてチシャノキ、ナギがあげられる。 そ の 他 、磐 坂 神 社 、志 多 備 神 社 の 社 寺 林 は 、特 定 植 物 群 落( 環 境 省 )に 選 定 さ れ 、山 代 神 社 を 取 り 囲 む 樹 林 は 緑 地 保 全 区 域( 松 江 市 )に 指 定 さ れ て い る 。 表 -3 神社名 阿 太 加 夜神社 揖 屋 神 社 意 宇 の 杜 山 代 町 荒神 熊 野 大 社 磐 坂 神 社 志 多 備 神社 毛 社( も こ そ )神 社 六 所 神 社 真 名 井 神社 山 代 神 社 現地踏査で確認したご神木等 ご神木等 備考(地形、その他) ・タブノキ(2 本) ・神社は砂礫堆上に位置する。 〔 荒 神 〕 ・そ の 他 、境 内 に は ス ダ ジ イ 、ヤ ブ ツ バ キ 、サ ワ ラ 、 ムクノキ、エノキがみられた。 ・ エ ノ キ 、 ネ ズ ミ ・神社は丘陵地に位置する。 モ チ 、ス ダ ジ イ 、 ・境 内 脇 に 荒 神 が 祀 ら れ て い る 。近 隣 の 荒 神 を 最 近 サワラ〔荒神〕 合 祀 し た た め か 、い ず れ も 樹 高 が 2∼ 数 m と 低 い 。 ・タブノキ ・神 社 は 扇 状 地 に 位 置 す る 。周 囲 の 水 田 よ り 1 段 高 い 立 地 に あ る 。タ ブ ノ キ の 樹 高 は 低 い が 、横 方 向 に広がる。他にサクラ類が目立つ。 ・スダジイ ・荒神は砂礫台地上に位置する。 ・荒 神 が 祀 ら れ て い る ス ダ ジ イ の 大 木 に 接 し て タ ブ ノキの大木もみられる。住宅地内に突如現れる。 ・ モ チ ノ キ 、 ス ダ ・神社は砂礫台地上に位置する。 ジ イ 、 サ ワ ラ 、 ・その他、境内には縁結びの榊、連理の榊がある。 カツラ〔荒神〕 ・神社の背面にはスダジイやスギなどの巨木あり。 ・ ご 神 木 ら し い 木 ・ス ダ ジ イ 林 内 へ の 竹 の 侵 入 が み ら れ た 。今 後 の 拡 は確認できず。 大が懸念される。 ・社 寺 林 は 特 定 植 物 群 落( 八 雲 磐 坂 神 社 照 葉 樹 林 )。 ・スダジイ ・日本一のスダジイ ・社 寺 林 は 特 定 植 物 群 落( 八 雲 志 多 備 神 社 照 葉 樹 林 ) ・ヤブツバキ ・神社は砂礫堆上に位置する。 ・ そ の 他 、境 内 に は サ カ キ 、タ ブ ノ キ 、ス ギ 、サ ワ ラがみられた。 ・タブノキ ・神社は砂礫堆上に位置する。 ・スギ(2 本) ・左記の荒神さんは、境内の西側にある。 ・?( 落 葉 広 葉 樹 ) ・ そ の 他 、 参 道 に は タ ブ ノ キ 、 境 内 に は ス ダ ジ イ 、 チシャノキがみられた。 〔荒神〕 ・ご神木らしい木 ・神社は茶臼山の南側斜面に位置する。 は 確 認 で き ず 。 ・境 内 に は イ ヌ マ キ 、ケ ヤ キ が 本 殿 を 挟 ん で 左 右 対 称に配置されていた。 ・ 社 寺 林 は 特 定 植 物 群 落 ( 真 名 井 の 照 葉 樹 林 )。 ・不明 ・神社は砂礫台地及び丘陵地上に位置する。 ・その他、ナギ、スギなどがみられた。 ・ 神 社 周 辺 の 樹 林 は 、「 緑 地 保 全 区 域 」( 松 江 市 )に 指定されているが、竹の侵入あり。 -102- 〔現地踏査で確認したご神木など〕 阿太加夜神社のタブノキ 阿太加夜神社の荒神 意宇の杜のタブノキほか 揖屋神社の荒神 山代町荒神 熊野大社の荒神 八雲磐坂神社照葉樹林 磐坂神社のスダジイ 毛社神社のご神木 志多備神社のスダジイ 志多備神社のスダジイ 六所神社の荒神 六所神社のチシャノキ 真名井神社の参道 真名井神社のイヌマキ -103- 5.邑智郡のご神木(大元神社に係る資料より) 5.1.資 料 の 概 要 大 元 神 社 は 、県 西 部 に 数 多 く 分 布 す る 。そ の う ち 、邑 智 郡 の 大 元 神 社 に つ い て は 、「 島 根 県 邑 智 郡 大 元 の 神 々 − 大 元 神 鎮 座 地 調 査 報 告 書 − 」( 平 成 6 年 、島 根 県 邑 智 郡 大 元 神 楽 伝 承 保 存 会 )で 詳 細 に 調 査 さ れ て い る 。こ の 資 料 から、ご神木に関する情報を抜き出し、樹種等の特徴を整理した。 5.2.邑 智 郡 に あ る 大 元 神 社 の ご 神 木 ご神木の樹種は、常緑針葉樹 5 種、常緑広葉樹7種、落葉広葉樹 8 種と、 予 想 以 上 に バ ラ エ テ ィ ー に 富 ん で い た ( 表 -4 参 照 )。 こ れ に 、 樹 種 が 不 明 な 種 、記 載 の な い 箇 所 を 含 め る と 、も っ と 多 様 で あ っ た 可 能 性 が あ る 。ご 神 木 の 樹 種 は 、照 葉 樹 林 帯 要 素 の 種( ス ダ ジ イ 、タ ブ ノ キ 、カ シ ノ キ 、ヤ ブ ツ バ キ 、 サ カ キ 等 ) が 多 く を 占 め て お り ( タ ブ ノ キ が 最 も 多 い )、 県 東 部 に 多 い ス ギ は 7 件 と 、以 外 に 少 な か っ た 。そ の 他 、件 数 は 少 な い も の の 、地 域 の 環 境等を反映していそうなご神木の樹種について以下に記す。 ・ム ク ノ キ 、エ ノ キ は 、沖 積 低 地( 河 岸 段 丘 、自 然 堤 防 等 )の 潜 在 自 然 植 生( ム ク ノ キ ー エ ノ キ 群 集 )構 成 種 で あ る 。ム ク ノ キ( 1 件 )の 立 地 は 、 谷 底 平 野 の 平 地 部 に 位 置 す る 。 エ ノ キ は 昭 和 19 年 の 台 風 で 倒 木 し た よ うであるが、元々は谷底平野の平地部にあったようである。 ・ケ ヤ キ 、チ ャ ボ ガ ヤ は 、山 地 渓 谷 林( 渓 谷 、崖 錐 地 )の 潜 在 自 然 植 生( チ ャ ボ ガ ヤ ー ケ ヤ キ 群 集 等 )構 成 種 で あ る が 、現 地 で も 谷 沿 い に 位 置 す る 。 表 -4 資料中に記載されているご神木の樹種 種名 旧羽須美村 旧大和村 旧邑智町 川本町 モミ 1 針 スギ 1 葉 ヒノキ 樹 チャボガヤ アカマツ スダジイ 常 タブノキ 4 4 緑 カシノキ 2 広 モチノキ 葉 ヤブツバキ 1 1 樹 カゴノキ サカキ アベマキ エノキ 落 ケヤキ 葉 ムクノキ 広 ホオノキ 2 葉 トチノキ 樹 ハゼノキ 1 シダレザクラ なし 1 不明 2 1 3 記載なし 2 1 2 7 合計 6 6 9 15 注)本数は、過去に伐採、倒木したご神木も含んでいる。 -104- 旧瑞穂町 旧石見町 旧桜江町 2 1 2 1 1 1 1 1 1 2 1 2 1 2 2 2 3 11 4 1 1 1 1 1 2 1 6 8 21 2 10 26 1 3 14 46 合計 1 7 4 3 1 3 19 7 1 6 1 3 1 1 1 1 2 2 1 1 2 17 44 129 ・ト チ ノ キ は 、山 地 渓 畔 林 の 潜 在 自 然 植 生( ジ ュ ウ モ ン ジ シ ダ ー ト チ ノ キ 群 集 )構 成 種 で あ る が 、現 地 で も 、谷 底 平 野 と 山 地 の 境 付 近 に 位 置 す る 。 ・ア ベ マ キ 、ハ ゼ ノ キ は 、二 次 林 に 生 育 す る 種 で あ る 。ア ベ マ キ の あ る 神 社は、元々スギがご神木であったが、戦後、配線工事の関係で伐採し、 す ぐ に ア ベ マ キ を 植 え た ら し い 。島 根 県 西 部 ∼ 広 島 県 で は 、第 二 次 大 戦 の頃を中心にアベマキがコルクの代用品として栽培されていたようで あ り 、そ の よ う な 社 会 的 な 背 景 が 関 係 す る か も し れ な い 。あ る い は 、ア ベ マ キ の 根 が 直 根 性 で 土 を 保 持 す る 能 力 が 高 い と さ れ る の で 、防 災 上 の 願いを込めての選定かもしれない。 ・ハ ゼ ノ キ に つ い て は 、こ の ご 神 木 の あ る 山 に は 元 々 ハ ゼ ノ キ が 多 く 、ロ ー ソ ク の 原 料 に す る た め の 採 取 が 行 わ れ て い た が 、採 取 の た め に ご 神 木 に登ろうとすると、必ず落ちるといわれていたようである。 ・道 路 工 事 、圃 場 整 備 等 で 伐 採 さ れ た 箇 所 が 6 箇 所 あ り 、自 然 に 枯 死・倒 木した個体も多くある。ご神木は意外と簡単に変更されたようである。 6.ご神木の樹種とその特徴 意 宇 川 流 域 の 現 地 踏 査 、邑 智 郡 の ご 神 木 に 関 す る 資 料 調 査 に よ り 、ご 神 木 の樹種選定について考察した。以下にその概要を記す。 6.1.立 地 環 境 を 反 映 し た 高 木 性 の 樹 種 意 宇 川 流 域 の ご 神 木 は 、タ ブ ノ キ 、ス ダ ジ イ が 大 部 分 を 占 め た が 、邑 智 郡 で は 、 針 葉 樹 、 広 葉 樹 ( 常 緑 ・ 落 葉 ) の 計 20 種 が 確 認 さ れ た 。 邑 智 郡 の ご 神 木 を み る と 、山 地・丘 陵 の タ ブ ノ キ 、ス ダ ジ イ 、沖 積 低 地 の ム ク ノ キ 、エ ノ キ 、渓 谷 の ケ ヤ キ 、チ ャ ボ ガ ヤ 、渓 畔 の ト チ ノ キ な ど 、立 地 環 境 を 特 徴 づ ける高木性の樹種がご神木として選定されており、実際、ご神木の立地は、 樹 種 本 来 の 生 育 環 境 と 同 様 の 環 境 を 有 し て い る と 考 え ら れ た( 資 料 に は 神 社 や ご 神 木 の 位 置 が 示 さ れ て い る )。 意 宇 川 流 域 で ご 神 木 の 樹 種 が 少 な か っ た の は 、神 社 の 位 置 す る 地 形 が 丘 陵 地・山 地・砂 礫 堆 と 、潜 在 自 然 植 生 が タ ブ ノ キ 林 や ス ダ ジ イ 林 に な る 環 境 だ っ た か ら と 考 え る こ と が で き る 。も う 少 し 広域で調査すると、邑智郡のような多様性が確認されるかもしれない。 6.2.信 仰 と 直 接 関 係 す る 樹 木 例 え ば 、「 た た ら − 金 屋 子 神 − カ ツ ラ 」 の よ う に 、 信 仰 と 密 接 に 関 わ る 樹 種 が あ る 。島 根 県 東 部 で は 、ご 神 木 と し て ス ギ が 多 く み ら れ る 。ヤ マ タ ノ オ ロ チ 伝 説 で「 そ の 身 体 は 日 陰 か ず ら や ヒ ノ キ や 杉 が 生 え て い て( 現 代 語 訳 )」、 「ヤマタノオロチを退治した後、その八つの頭を埋め、八本の杉を植えた」 との記述があり、古くからスギやヒノキは重要な場面で登場することから、 何 ら か の 信 仰 と 関 わ り 合 っ て い る 可 能 性 が あ る 。既 に 誰 か に よ っ て 研 究 さ れ -105- ているテーマと考えられるので、諸説ご存じの方は教えていただきたい。 6.3.祟 り な ど 、 何 か い わ れ の あ る 樹 木 邑 智 郡 の ハ ゼ ノ キ の よ う に 、「 ご 神 木 ( に な る 前 の 木 ) を 登 っ た 人 は 必 ず 落 ち る 」と い う こ と か ら 、祀 ら れ た 樹 木 も あ る よ う で あ る 。そ の 他 、危 険 箇 所への侵入防止などが起源のご神木もあるかもしれない。 6.4.そ の 他 揖 屋 神 社 で は 最 近 合 祀 さ れ た 荒 神 の ご 神 木 が あ る 。中 低 木 の ネ ズ ミ モ チ な ど 、ご 神 木 の イ メ ー ジ と は 異 な る 樹 木 も あ る 。揖 屋 神 社 の 場 合 は 、樹 種 よ り も 場 所 が 重 要 で あ り 、そ の 場 所 で 、ご 神 木 に な り そ う な 木 を 選 ば れ た の か も しれない。これは現在の話なので、今後聞き取りなどで確認していきたい。 7.意宇川下流域における奈良時代の景観復元に向けて 7.1.経 緯 八 雲 立 つ 風 土 記 の 丘 資 料 館 に は 、奈 良 時 代 の 出 雲 国 府 を 中 心 と し た 諸 施 設 、 街道などの大型復元模型が展示されている。長時間見ていても飽きないが、 茶 臼 山 以 外 の 森 林 が 現 在 と 変 わ ら な い こ と が 気 に な っ た 。職 員 さ ん に 聞 く と 、 出 雲 国 風 土 記 に 当 時 の 植 生 に 関 す る 記 述( 東 に 松 あ り 、他 3 方 は 茅 )の あ る 茶 臼 山 以 外 の 明 確 な 情 報 が な い こ と か ら 、現 在 の 姿 を 展 示 し て い る と の こ と で あ っ た 。「 当 時 の 姿 を 復 元 し た い ! 」 と い う こ と で 、 出 雲 国 風 土 記 を 含 め て、当時の植生が推定できそうな情報を探った。 7.2.当 時 の 気 温 の 再 現 気 温 は 、植 生 の 分 布 を 規 定 す る 重 要 な 要 素 の 一 つ で あ る 。そ こ で 、出 雲 国 風 土 記 の 時 代( 西 暦 700 年 前 後 )の 気 温 に つ い て 、文 献 を 調 べ た( 図 -2 参 照 )。 当 時 の 平 均 気 温 は 、現 代( 1990 年 代 )よ り 1 度 以 上 低 い と 考 え ら れ る 。こ れ は 標 高 差 200m 程 度 ( -0.6℃ /100m ) に 相 当 す る 。 〔 吉 野 正 敏 ほ か 編 「 講 座 ・ 文 明 と 環 境 」 第 6 巻 p50 よ り 〕 図 -2 過去の推定気温(屋久島) -106- 7.3.当 時 の 人 口 松 江 市 観 光 案 内 の HP に よ る と 、「 当 時 の 出 雲 地 方 に は 約 70 の 郷 が あ り 、 一 郷 50 戸 ( 一 戸 は 家 族 集 団 ) で 、 一 戸 平 均 25 名 と し て 、 総 人 口 は 約 8∼ 9 万 く ら い 」と の 情 報 が あ げ ら れ て い る 。こ の 想 定 人 口 か ら 、必 要 な 薪 炭 等 を 概算し、人の手が入った林野の面積を想定できるかもしれない。 奈 良 時 代 の 総 人 口 が 500∼ 600 万 人 で 、首 都 奈 良 の 人 口 が 20 万 人 程 度 と の こ と で あ る こ と か ら 、出 雲 地 方 の 人 口 は 全 国 で も 多 い も の と 考 え ら れ る( 現 在 の 地 域 人 口 は 約 50 万 )。 な お 、 明 治 9 年 の 松 江 市 の 人 口 は 33,381 名 と 、 都 市 人 口 の 全 国 第 23 位 で あ り 、 太 平 洋 地 域 を 中 心 と し た 近 代 化 の 前 は 、 日 本 有 数 の 都 市 で あ っ た と の こ と ( 図 -3 参 照 )。 1,000,000 5.0% 800,000 4.0% 600,000 3.0% 400,000 2.0% 200,000 1.0% ( ) 島 根 県 の 人 口 人 0 0.0% 1721 1804 1846 1872 1893 1920 1944 1945 1955 1985 全 国 人に 口占 のめ 割る 合島 根 県 西暦 図 -3 島根県における人口の推移(江戸時代以降) 7.4.出 雲 国 風 土 記 ( 西 暦 733 年 完 成 ) の 記 載 内 容 出 雲 国 風 土 記 の 解 釈 は 、植 物 を 含 め て 既 に 多 く の 文 献 で 検 討 し つ く さ れ た 感はあるが、ここでは、あえて私なりの解釈・考察を加えてみた。 ■ 意 宇 郡 .七 .山 野 神 名 樋 野 ( 茶 臼 山 ): 東 に 松 有 り 。 三 つ の 方 は 並 び に 茅 有 り 。 ※「野」→樹木の少ない山、山裾の傾斜地の意味。 八 雲 立 つ 風 土 記 の 丘 資 料 館 の 復 元 模 型 で は 、こ の 記 述 に 基 づ い て 南 ・北 ・西 方 向 の 斜 面 を 草 地 と し て い る( 茅 の 草 地 っ ぽ く は な い )が 、東 の 松 に つ い て は採用されず、現在の植生で表現されている。 茅は、古くから屋根材や飼肥料などに利用されてきた草本の総称である。 既 往 文 献 で は 、茅 は チ ガ ヤ と 記 さ れ て い る が 、草 刈 草 地 の 一 般 的 な 優 占 種 は ス ス キ で あ る 場 合 が 多 い 。チ ガ ヤ は 年 2 回 程 度 の 草 刈 を 行 う 畦 畔 に 多 い こ と から、茶臼山の茅は、ススキ草地であった可能性が高いと考えられる。 松 は 、現 在 の 植 生 か ら み て ア カ マ ツ と 考 え ら れ る 。ア カ マ ツ 林 は 、痩 せ 尾 根 の 土 地 的 極 相 と し て 分 布 す る ほ か 、薪 炭 林 の 姿 と し て も 存 在 す る 。現 在 の 茶 臼 山 の 斜 面 に 痩 せ 尾 根 的 な 環 境 は み ら れ な い こ と か ら 、当 時 か ら 薪 炭 林 と して利用されていた可能性がある。 -107- し た が っ て 、奈 良 時 代 の 茶 臼 山 は 、東 向 き 斜 面 で は 薪 炭 林 と し て 利 用 さ れ て い る ア カ マ ツ 林 が 、そ れ 以 外 の 斜 面 で は ス ス キ 草 地 が 成 立 す る 景 観 と し 捉 えてはどうかと考える。 ■ 凡 て 、 諸 々 の 山 野 に 在 る 所 の 草 木 は 、 麦 門 冬 ( ジ ャ ノ ヒ ゲ )、 独 活 ( ウ ド )、石 斛( セ ッ コ ク )、前 胡( ノ ダ ケ )、高 梁 薑( ク マ タ ケ ラ ン )、連 翹 ( ト モ エ ソ ウ )、 黄 精 ( ナ ル コ ユ リ )、 百 部 根 ( ビ ャ ク ブ )、 貫 衆 ( ヤ ブ ソ テ ツ )、白 朮( オ ケ ラ )、署 頂( ヤ マ イ モ )、苦 参( ク ラ ラ )、細 辛( ウ ス バ サ イ シ ン )、 商 陸 ( ヤ マ ゴ ボ ウ )、 本 ( カ サ モ チ )、 玄 参 ( ゴ マ ノ ハ グ サ )、五 味 子( サ ネ カ ズ ラ )、黄 ( コ ガ ネ バ ナ )、葛 根( ク ズ )、牡 丹( ボ タ ン )、藍 漆( タ デ ア イ )、薇( ワ ラ ビ )、藤( フ ジ )、李( ス モ モ )、 檜( ヒ ノ キ )、杉( ス ギ )、赤 桐( ア ブ ラ ギ リ )、白 桐( キ リ )、楠( ク ス ノ キ )、 椎 ( シ イ )、 海 榴 ( ツ バ キ )、 楊 梅 ( ヤ マ モ モ )、 松 ( マ ツ )、 榧 ( カ ヤ )、蘗( キ ハ ダ )、槻( ツ キ ) 〔 計 36 種 〕 上記には薬草が多く含まれ、日本にはない植物も含まれている。そこで、 日 本 に 自 生 す る 種 を 抽 出 し 、 生 育 環 境 毎 に 表 -5 に 整 理 し た 。 なお、以下の植物については、文献に記された以外の種の可能性もある。 ・楠 … 本 来 は 中 国 の タ ブ ノ キ を 示 す 字 で あ り 、こ こ で も タ ブ ノ キ を 示 す 可 能 性 が あ る 。ク ス ノ キ は 暖 地 性 の 樹 種 で あ り 、島 根 県 が 本 来 の 自 生 地 か 疑 問 で あ る ( 特 に 、 奈 良 時 代 は 現 代 よ り 寒 冷 な 気 候 で あ る )。 ・貫 衆 … 文 献 で は ヤ ブ ソ テ ツ と 記 さ れ て い る が 、一 般 に は ゼ ン マ イ 科 や オ シダ科を示すものであり、ゼンマイを示す可能性もある。 ・槻…室町以前に用いられたケヤキの古名である。 表 -5 出雲国風土記に記載された植物から想定される当時の環境 環境 照葉樹林な どの樹林に 生育する種 概要 ・タ ブ ノ キ 、シ イ( ス ダ ジ イ ? )は 、自 然 植 生 の 優 占 種 に な る 種 で あ る 。ま た 、ヤ ブ ツ バ キ 、ジ ャ ノ ヒ ゲ 、サ ネ カ ズ ラ は 、照 葉 樹 林 の 林 内 に 広 く 分 布 す る 。逆 に 、二 次 林 に 出 て く る 種 は 、ア カ マ ツ く ら い し か 見 あ た ら な い 。茶 臼 山 の 斜 面 や 瘠 せ 尾 根 、小 規 模 な 薪 炭 林 、植 林 以 外 は 、山 地・丘 陵 の 広 い 範 囲 が 照 葉 樹 林 で覆われていた可能性がある。 二次林 ・ア カ マ ツ は 、土 壌 条 件 が 悪 い 土 地 的 極 相 林 と 、薪 炭 林 等 の 伐 採 に よ り 成 立 す る 場 合 が あ る 。現 在 の 茶 臼 山 で 土 壌 条 件 の 悪 さ を 感 じ な い の で 、伐 採 に よ り 成 立 し た も の と 考 え ら れ る 。必 要 な 薪炭が得られる最低限の範囲で成立していた可能性がある。 明 る い 草 地 、 ・オ ケ ラ 、ワ ラ ビ 、ゼ ン マ イ は 、明 る い 草 地 に 生 育 す る 種 で あ る 。 林縁部 ま た 、ク ズ は 、林 縁 部 な ど に 生 育 す る 。集 落 付 近 で は 里 山 的 な 利用がなされていた可能性がある。 沢・渓流 ・沢・渓 流 性 の キ ハ ダ 、ス ギ 、ケ ヤ キ 、チ ャ ボ ガ ヤ な ど は 、山 地 ・ 丘陵の谷沿いで、小規模に点在していた可能性がある。 平野部 ・資料館の復元模型はよくできている。新たな発想はない。 -108- 7.5.松 江 市 近 郊 の 遺 跡 調 査 で の 花 粉 分 析 に 関 す る 資 料 等 過 去 の 植 生 を 想 定 す る 方 法 と し て 花 粉 分 析 が あ る 。松 江 市 近 郊 で 行 わ れ た 幾 つ か の 花 粉 分 析 結 果 に つ い て 、 そ の 概 要 を 表 -6 に 整 理 し た 。 表 -6 松江市近郊で行われた花粉分析結果の概要 文献名 記載内容 松江市西川 津 町 _タ テ チョウ遺跡 の花粉分析 ・縄文時代後半:カシ類、シイ類などの常緑広葉樹にコナラ類、 ニレ科などの落葉広葉樹をまじえる暖温帯林。 ・弥生時代∼古墳時代中期:低地にはスギ林が広がる。 ・古 墳 時 代 中 頃 ∼ 西 暦 1500 年 頃:低 地 は 水 田 、山 地 は カ シ 類 を 主 とする暖温帯林。 ・西 暦 1500 年 頃 以 降:ア カ マ ツ 林 を 主 と し コ ナ ラ 林 を 伴 う 二 次 林 。 ・弥 生 時 代 前 期 の 始 め か ら お よ そ AD800 年( 平 安 時 代 始 め )以 前 : 中海周辺の植生は、山地にはカシ、シイなどを中心とする照葉 樹林が広がり、山間の低地にはスギが生育したと考えられる。 ま た 、低 湿 地 で は 稲 や ソ バ の 栽 培 が 行 わ れ て い た と 考 え ら れ る 。 ・ 8∼ 9 世 紀 : 調 査 地 点 周 辺 で 水 田 が 存 在 し た と 考 え ら れ る 。 周 辺 の山々はカシ類を主要素とする照葉樹林に覆われていたと考え られるが、谷斜面にはスギの分布が推定される。また、一部の 山ではアカマツ類やコナラ類を要素とする薪炭林が分布してい た可能性もある。 ・奈良時代以降:島大遺跡周辺の丘陵にはアカガシ亜属を要素と する照葉樹林が分布し、谷奥などにはスギの湿地林が分布して いたと考えられる。 中海宍道湖 より得られ た柱状試料 の花粉分析 島根県松江 市山津遺跡 における花 粉分析 島根大学構 内遺跡第 1 次発掘調査 における花 粉分析 7.6.奈 良 時 代 に お け る 意 宇 川 流 域 の 景 観 復 元 ( 想 像 ) 八 雲 立 つ 風 土 記 の 丘 資 料 館 に 展 示 さ れ て い る“ 奈 良 時 代 の 復 元 模 型 ”の う ち 、出 雲 国 風 土 記 に 明 記 さ れ て い る 茶 臼 山 の 山 地・丘 陵 部 に つ い て は 、情 報 が な い と の 理 由 で 現 在 の 姿 で 復 元 さ れ て い る こ と は 前 項 で 述 べ た 。検 討 す る 時 間 が な か っ た か も し れ な い が 、少 々 、正 確 で な く て も 、様 々 な 分 野 の 点 情 報 を つ な ぎ 合 わ せ 、“ 想 像 の 翼 ” を 拡 げ て 復 元 を 試 み て も よ か っ た の で は な い か 。そ れ が 、次 の ス テ ッ プ に つ な が る 気 が す る 。平 地 部 の 表 現 が 豊 か な 分 、 山 地・丘 陵 の 表 現 の 乏 し さ が 、個 人 的 に は 残 念 で な ら な い 。今 後 の 復 元 の 見 直 し を 期 待 し つ つ 、 以 下 に 私 な り の 解 釈 を 加 え て み た ( 図 -4 参 照 )。 実 際 に は 、当 時 の 集 落 の 位 置 や 人 口 等 を 勘 案 し 、よ り 裏 付 け の あ る 復 元 が 必 要 で あ ることは認識しているので、内容が不十分な点はご容赦願いたい。 ・松 江 市 近 郊 で 行 わ れ た 花 粉 分 析 結 果 よ り 、奈 良 時 代 の 植 生 は 、カ シ 、シ イ な ど を 中 心 と す る 照 葉 樹 林 が 丘 陵 部 に 広 が り 、山 間 の 低 地 に は ス ギ が 生 育 し て い た こ と が う か が え る 。ア カ マ ツ や コ ナ ラ な ど が 優 占 す る 里 山( 薪 炭 -109- 林 ) が 広 が る の は 、 西 暦 1500 年 以 降 の よ う で あ る 。 ・出 雲 国 風 土 記 に は 里 地( 草 地 や 林 縁 部 )に 生 育 す る 種 が 記 載 さ れ て い る こ と か ら 、家 の 周 り で は 草 刈 な ど が 行 わ れ て い た と 考 え ら れ る 。奈 良 時 代 で も 、里 山( 薪 炭 林 )は あ っ た よ う で あ る が 、ど の 程 度 の 広 さ で 分 布 し て い た の か は わ か ら な い 。し か し 、労 働 力 が 人 力 に 限 ら れ る 当 時 で は 、必 要 以 上( ム ダ )の 伐 採 は し な い と 考 え ら れ る の で 、当 時 の 集 落 の 位 置( 埋 蔵 文 化 財 等 で 把 握 可 能 ? )、 人 口 ( 郷 ・ 戸 ( 家 族 集 団 ) の 数 ? ) 等 と 関 連 づ け て 、里 山 林 の 位 置 や 面 積 を 検 討 す る こ と は 可 能 か も し れ な い 。ま た 、燃 料・ 肥 料 革 命 以 前 ( 昭 和 30 年 代 以 前 ) の 空 中 写 真 等 か ら 、 斜 面 部 の 人 の 活 用 の 仕 方 を 想 像 で き る か も し れ な い ( 人 力 は 時 代 で 変 わ る も の で は な い )。 図 -4 の 空 中 写 真 を み る と 、茶 臼 山 の 3 方 が 草 地 と な っ て い る 。現 代( 戦 後 ) も出雲国風土記の時代も、基本的にはあまり変わらないかもしれない。 ・ヤ マ タ ノ オ ロ チ に つ い て「 背 に は ス ギ と ヒ ノ キ が 生 え 」な ど の 記 述 が あ り 、 昔 か ら 植 林 が 行 わ れ て い た こ と が う か が え る 。ま た 、ス ギ は 低 地 や 谷 沿 い で 自 然 植 生 と し て 分 布 し た 可 能 性 も あ る 。低 地 や 谷 沿 い に は 、沢・渓 流 性 の ス ギ 、キ ハ ダ 、ケ ヤ キ な ど 樹 林 が 小 面 積 で 点 在 し て い た の か も し れ な い 。 空 中 写 真 : 昭 和 22 年 11 月 3 日 米軍撮影 注)図中の情報は、検討のイメージとして表現したものである。詳細に検討 すると、全く別の結果になると考えられる。 図 -4 戦後の空中写真から奈良時代の景観を想像する -110- 8.おわりに 生 物 多 様 性 サ ー ビ ス と い う 言 葉 を ご 存 じ だ ろ う か 。生 態 系 に よ っ て 提 供 さ れ る 資 源 、 そ れ か ら 得 ら れ る 利 益 を 意 味 し 、 供 給 ( 食 品 、 原 材 料 な ど )、 調 整( 気 候 、洪 水 な ど )、文 化( 精 神 的・文 化 的 利 益 )、基 盤( 栄 養 循 環 、水 や 大 気 の 浄 化 な ど )、 保 全 ( 多 様 性 の 維 持 な ど ) の 種 類 に 区 分 さ れ る 。 平 成 26 年 度 は 、荒 神・ご 神 木 を テ ー マ に 活 動 し 、人 と 自 然 と の 関 わ り( 特 に 、文 化 面 で の 生 態 系 サ ー ビ ス )に つ い て 再 認 識 す る こ と が で き た 。技 術 が 進 歩 す れ ば す る ほ ど 、こ れ ら 生 態 系 サ ー ビ ス は 見 え に く く な っ て い る( な く な る 訳 で は な い )。 見 え に く く し て い る 張 本 人 の 一 人 が 技 術 者 で あ ろ う し 、 見えやすくする責務を担っていくのがこれからの技術者かもしれない。 生 物 多 様 性 研 究 分 科 会 の 研 究 に つ い て 、専 門 的 な 方 向 に 進 む の か 、人 と の 関わりを重視した方向に進むのか迷っていたが、3 年たって、後者に軸足を 置 く べ き と 思 う よ う に な っ て き た 。生 物 多 様 性 と は 、自 然 を 守 る の で は な く 、 人間の生活を守るために出てきた言葉だと思うからである。 最 後 に 、邑 智 郡 の 資 料 に 記 さ れ た 言 葉 を 以 下 に 示 す 。丹 念 に 調 べ る こ と の 重 要 性 を 感 じ た 。分 科 会 活 動 で も 、小 さ な 点 情 報 を 丹 念 に 集 め て 、線・面 的 に 拡 げ て い く こ と も 、重 要 な 地 域 貢 献 で あ る と 感 じ た 。今 後 も 、そ の よ う な 観点も含めてテーマを考え、活動を続けて行きたいと考えている。 平 成 は 新 し い 時 代 で あ る 。生 活 は 大 き く 変 わ っ た が 、文 化 を 継 承 す る こ と は 大 切 な テ ー マ で あ る こ と を 訴 え た い 。鎮 座 地 が 消 え た 。集 落 そ の も の が 消 え た 場 合 が 各 所 にある。そのような地名は、古い土地台帳をめくればいくらでも出てくる。今回、 こ ん な こ と を 丹 念 に 調 べ て 下 さ っ た 方 も あ っ た 。開 発 の た め 、気 付 い た 時 に は な く な っ て い た 、こ ん な 例 も 聞 い た 。そ の 地 に 息 吹 が 残 っ て い た 場 合 の 例 と し て は 、危 う く 場 所 を 移 動 し て 今 に 残 し た 、新 し い 神 木 を 植 え た な ど の 例 の ほ か 、明 治 期 に お け る 合 祀 前 の 状 態 に 戻 し た 、な ど の 事 例 が 聞 か れ た こ と は ほ ほ え ま し い 限 り で あ っ た。自然を大切に、先祖伝来のものを後の世代に受け継いでいきたいものである。 〔「 島 根 県 邑 智 郡 大 元 の 神 々 − 大 元 神 鎮 座 地 調 査 報 告 書 − 」 よ り 抜 粋 〕 <参 考 文 献 > ・ 講 座 文 明 と 環 境 ( 第 6 巻 新 装 版 ) 歴 史 と 気 候 ( 平 成 20 年 、 吉 野 正 敏 ほ か 編 ) ・ 出 雲 国 風 土 記 ( 全 訳 注 )( 平 成 11 年 、 萩 原 千 鶴 著 ) ・解説 出 雲 国 風 土 記 ( 平 成 26 年 、 島 根 県 古 代 文 化 セ ン タ ー 編 ) ・島根県邑智郡 大元の神々−大元神鎮座地調査報告書−(平成 6 年、島根県邑智 郡大元神楽伝承保存会) ・ 島 根 県 松 江 市 山 津 遺 跡 に お け る 花 粉 分 析 ( 平 成 18 年 、 渡 辺 正 巳 ) ・島根大学構内遺跡第 1 次発掘調査における花粉分析(平成 9 年、渡辺正巳ほか) ・ 中 海 宍 道 湖 よ り 得 ら れ た 柱 状 試 料 の 花 粉 分 析 ( 昭 和 63 年 、 渡 辺 正 巳 ほ か ) ・ 松 江 市 西 川 津 町 _タ テ チ ョ ウ 遺 跡 の 花 粉 分 析 ( 昭 和 62 年 、 大 西 郁 夫 ・ 渡 辺 正 巳 ) -111-
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