萱ケ沢で学ぶ地域社会 - Akita International University

国際教養大学課題解決型科目授業報告書
Online edition: ISSN 2188-4153 Print edition: ISSN 2188-4145
L
PBL地域環境論 2014 秋田県秋田市
萱ケ沢で学ぶ地域社会
椙本歩美[編] 国際教養大学
平成23年度国際化拠点整備事業 文部科学省
大学の世界展開力強化事業
PBL地域環境論 2014 秋田県秋田市
萱ケ沢で学ぶ地域社会
椙本歩美[編]
国際教養大学
平成23年度文部科学省国際化拠点整備事業
大学の世界展開力強化事業
だ っ た 飯 塚 勇 一 先 生 の ご 紹 介 に よ り 、授 業
昨年度まで秋田市立大正寺小学校の校長
とする農事組合法人姫雪白ファームを組
十 八 年 、萱 ケ 沢 の 有 志 が 、集 落 営 農 を 目 的
こ の よ う な 状 況 に 対 処 す る た め、 平 成
者の減少が続いています。
は 実 現 し ま し た 。 し た が っ て 、準 備 段 階 か
織 し ま し た 。 名 称 は 、萱 ケ 沢 に あ る 雪 代 と
課 題 を 学 ぶ に は、 よ い の で は な い か 」 と、
ら、 授 業 の 調 査 テ ー マ は、「 マ コ モ ダ ケ の
い う 地 名 を 元 に し た そ う で す 。 現 在 、組 合
はじめに
本 書 は、 国 際 化 拠 点 整 備 事 業 費 補 助 金
六 次 産 業 化 を 通 し た 地 域 社 会 の 持 続 性 」に
員 は 七 名 。 農 業 経 理 の 一 元 化 、農 業 機 械 や
椙本歩美
「 大 学 の 世 界 展 開 力 強 化 事 業 」( 文 部 科 学
定まっていました。
省 ) の 一 環 で 、二 〇 一 四 年 度 秋 セ メ ス タ ー
)」 の 成 果 報 告 書 で す。
and Environment
本 授 業 は 、秋 田 市 雄 和 に あ る 萱 ケ 沢 地 区 で
延 暦 年 代( 七 八 二 ~ 八 〇 五 年 )坂 上 田 村 麻
( 図 参 照 )。 歴 史 は 約 一 二 〇 〇 年 あ り ま す。
市 や 大 仙 市 と 接 す る、 山 間 部 の 集 落 で す
三 十 キ ロ メ ー ト ル ほ ど に 位 置 し 、由 利 本 荘
萱 ケ 沢 地 区 は、 秋 田 市 中 心 部 か ら 南 東
野菜やマコモダケを生産しています。
そ の 他 の 保 全 を 目 的 と す る 耕 作 地 で 、自 家
う ち、 約 六 割 で 食 用 米 を 生 産 し て い ま す。
で い ま す。 耕 作 面 積 二 三 一 五・三 ア ー ル の
乾燥調整施設の共同利用などに取り組ん
に 、私 が 担 当 し た 授 業 「 P B L 地 域 環 境 論
フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 行 い な が ら 、地 域 環 境
呂 の 東 征 で、 旗 将 と し て 従 軍 し た 修 験 者
( Project-Based Learning - Community
の 持 続 性 に つ い て 考 え る P B L( 課 題 解 決
が 、鎮 定 後 に 土 着 し て 開 拓 し た の が 始 ま り
と伝えられています。
型学習)です。
今 回、 授 業 を 履 修 し た 学 生 十 二 名 の う
換 留 学 生 で し た 。 留 学 生 は 、ブ ル ネ イ か ら
す 。 萱 ケ 沢 郷 土 史 誌 に よ る と 、昭 和 五 十 五
人 口 二 一 九 名、 七 十 四 戸、 八 十 七 世 帯 で
二 〇 一 四 年 十 一 月 現 在、 萱 ケ 沢 地 区 は、
二 名 と 、ア メ リ カ か ら 一 名 で し た 。 日 本 人
年の四五五名(九十六世帯)から、毎年五、
ち 、九 名 が 国 際 教 養 大 学 二 年 生 、三 名 が 交
学生三名と留学生一名で一つのグループ
六 名 ず つ 人 口 が 減 っ て お り 、空 き 家 も 増 え
が 、現 在 は 二 十 六 世 帯 ( 約 三 十 五 パ ー セ ン
を 作 り 、グ ル ー プ ご と に 異 な る 調 査 課 題 を
秋田市萱ケ沢地区での授業は、今回が初
ト ) が 農 業 か ら 収 入 を 得 て い る そ う で す。
て い ま す 。か つ て は 農 業 が 主 な 生 業 で し た
め て で す。「 マ コ モ ダ ケ と い う 面 白 い 野 菜
農 業 を 主 な 収 入 源 に す る の は 難 し く 、後 継
設定し、学習を行いました。
を 作 っ て い る 地 域 が あ る。 大 学 生 が 地 域
国
際
教
養
大
学
図. 萱ケ沢の位置
出典.萱ケ沢郷土史誌をもとに作成
2
設立当初から、姫雪白ファームはマコモ
し ま し た 。 マ コ モ ダ ケ の 収 穫 や 袋 詰 め 、秋
で の マ コ モ ピ ザ づ く り な ど 、学 生 は 地 域 活
て 難 し さ も あ り 、今 後 の 展 開 に つ い て 様 々
学 生 は マ コ モ ダ ケ を 通 し て、 生 産 か ら 販
動 に 参 加 し な が ら 、調 査 を し ま し た 。 そ の
田 市 卸 売 市 場 祭 り で の 販 売 、萱 ケ 沢 文 化 祭
モ ダ ケ は 、イ ネ 科 マ コ モ 属 の 多 年 草 で あ る
売 ま で の 農 業 経 営、 圃 場 周 辺 の 自 然 環 境、
他 に も、 秋 田 市 立 大 正 寺 小 学 校 四、五、六
な課題を抱えています。
マ コ モ の 根 元 に で き る 、肥 大 し た 茎 の 部 分
共 同 作 業 を 行 う 人 間 関 係 な ど、 地 域 社 会 に
年 生 と の 合 同 授 業 も 実 施 し 、学 生 は 幅 広 い
ダ ケ 栽 培 事 業 に 取 り 組 ん で き ま し た 。マ コ
を 指 し ま す 。 マ コ モ ダ ケ は 、タ ケ ノ コ の よ
ついて幅広く学ぶことができます。さらに、
本 報 告 書 は、 一 連 の 授 業 の 学 び の 記 録 で
う な 食 感 と 、ト ウ モ ロ コ シ に 似 た ほ の か な
一 つ の 事 例 を、 多 様 な 視 点 で 学 ぶ と い う 授
す 。 ま ず 授 業 の 学 習 プ ロ セ ス を 「 1. 学 生
年 代 の 住 民 か ら 、話 を 聞 く こ と が で き ま し
業デザインのねらいは、ここにあります。
が拓く学び」に、学生グループの最終レポー
三 つ の グ ル ー プ が、 異 な る 視 点 か ら 調 査 を
姫雪白ファームがマコモダケ栽培を始め
今 回、 な か な か グ ル ー プ で 調 査 課 題 を 決
ト と 成 果 報 告 会 の 発 表 資 料 を 「 2. 地 域 を
甘 み が 特 徴 で す 。 く せ が な い の で 、ど の 料
て か ら 二 年 間 は、 定 植 し て も 収 穫 で き な
め ら れ な い 傾 向 が あ り ま し た。 実 際、 下 調
調 べ る 」 に ま と め て い ま す。 つ づ く「 3.
た 。 最 後 に は 、本 学 で 成 果 報 告 会 と 交 流 会
か っ た そ う で す。 組 合 員 が 生 産 地 を 視 察
べ、課題文献、フィールドワークで得たデー
地 域 づ く り の 現 場 か ら 」 に は、 授 業 に 協
行 う こ と で、 よ り 多 面 的 に 地 域 環 境 を 理 解
し 、株 の 購 入 先 を 変 え る な ど 、試 行 錯 誤 を
タをふまえて、調査課題を設定することは、
力 い た だ い た 地 域 の 方 々 の 感 想 を 掲 載 し、
理 に も 合 い ま す 。 焼 い た り 、天 ぷ ら や き ん
重 ね た こ と で 、平 成 二 十 一 年 に 初 め て 実 が
容 易 で は あ り ま せ ん。 学 生 同 士 で 議 論 を 重
「 4. マ コ モ ダ ケ に 魅 せ ら れ て 」 に は 、 私
を 開 催 し 、萱 ケ 沢 の 方 々 に も 参 加 い た だ き
つ き ま し た。 販 売 を 開 始 し た 平 成 二 十 二
ね て も 意 見 が 集 約 で き ず、 フ ィ ー ル ド ワ ー
が 授 業 の 回 想 を 書 き ま し た。 さ い ご に、 学
し、 様 々 な 事 象 の つ な が り も 理 解 し や す く
年 は、 栽 培 面 積 二 十 九 ア ー ル、 販 売 額 は
クに行くとさらに議論が拡散するグループ
生レポートのもとになった英語のレポート
ぴ ら に す る と 美 味 し く 、サ ラ ダ で 生 の ま ま
十 八 万 七 千 円 で し た が、 平 成 二 十 六 年 に
も あ り ま し た。 複 雑 な 地 域 社 会 を 複 眼 的 視
を 付 録 に し ま し た。 三 カ 月 半 と い う 短 期 間
ました。
は、 九 十 六 ア ー ル ま で 拡 が り、 販 売 額 は
点 か ら 理 解 す る と い う、 一 つ の 問 い と 答 え
な り ま す。 マ コ モ ダ ケ の 六 次 産 業 化 と い う
五 十 五 万 四 七 〇 円 と な り ま し た( 京 極
の 課 題 解 決 型 学 習 で、 学 生 は 何 を 学 ん だ の
食べることもできます。
二〇一四)。
に 集 約 で き な い 学 び こ そ が、 本 授 業 の 難 し
萱ケ沢のマコモダケ栽培事業は、順調に
今回、授業を受け入れてくださった地域
か、その一端が記録できたと思います。
授業では三回のフィールドワークを実施
さでもあり、楽しさでもあります。
拡 大 し て い る よ う に 見 え ま す が 、学 生 の レ
ポ ー ト に も あ る よ う に 、栽 培 や 販 売 に お い
めに
は
3
「 水 と と も に 一 一 六 ― マ コ モ ダ ケ 水
秋 田 魁 新 報 二 〇 一 四 年 九 月 二 十 日
「 二 国 際 教 養 大 学 の 学 生 と 交 流 を 深 め
【メディア等掲載】
い た だ き ま し た 。こ う し て 報 告 書 を 完 成 で
田活用、産地化図る 留学生らもPR
マコモダケを一緒にPR」
の み な さ ま に は 、多 く の ご 理 解 と ご 協 力 を
き ま し た こ と を 、関 係 者 の み な さ ま に 深 く
に一肌」
秋田市立大正寺小学校 校報ふるさと
十二月号
vol.189
感謝申し上げます。
秋 田 魁 新 報 二 〇 一 四 年 十 一 月 五 日
二六三号 二〇一四年十一月
J A新あきた広報誌いぶき
地域の連携に取り組んでいきたいと考え
「 人 口 減 社 会 を 生 き る 地 域 社 会 維 持
「 国 際 教 養 大 学 と の 交 流 学 習 十 一 月 七
秋田魁新報 二〇一四年十一月十一日
成 果 と 課 題 を ふ ま え て 、こ れ か ら も 大 学 と
【参考文献】
「 教 養 大 生、 児 童 と 交 流 大 正 寺 地 区
日(金)」
表紙・ニュース&トピックス
て お り ま す 。 み な さ ま か ら の 、ご 意 見 ご 感
へ危機感」
本報告書を通して明らかになった授業の
想をお待ちしております。
萱ケ沢自治会 二〇一〇『萱ケ沢郷土
の歴史学ぶ」
秋田魁新報 二〇一四年十一月十四日
「教養大生萱ケ沢集落と交流 心に触
史誌』
京極進 二〇一四『(農)姫雪白ファー
ムの設立及び現状と課題』(授業用資料)
れ視野広がる」
秋田魁新報 二〇一四年十二月九日 「マコモダケで活性化を ―教養大の
読売新聞 二〇一五年一月一日
学生十二人認知度向上へ提言」
「気づきが秋田導く」
4
【成果報告会ポスター】
PBL地域環境論 成果報告会
萱ヶ沢で学ぶ地域社会
マコモダケがつなぐ未来
平成26年12月7日(日)13時∼15時半
国際教養大学D102教室
【スケジュール】
12時45分
開場
13時∼14時
学生発表、学生と住民の意見交換
14時∼15時
懇親会(参加費無料)
15時∼15時半 大学キャンパスツアー
*問い合せ先
5
成果報告会ポスター
国際教養大学助教 椙本歩美
[email protected]
目 次
グループ1.萱ケ沢における地域社会のあり方 …
………………………………… 2. 地 域 を 調 べ る 学 生 の グ ル ー プ 学 習 …
…………………………………… 1. 学 生 が 拓 く 学 び 学 習 の プ ロ セ ス …
……………………………………… 成果報告会ポスター …
……………………………………………………………………… 17
16
8
5
はじめに …
……………………………………………………………………………………… 2
グループ2.マコモダケ栽培の難しさと解決策の提案 …
………………………… 23
6
Student Papers…
………………………………… 付録 授業シラバス Syllabus………………………………………………
…
参加者一覧 …
………………………………………………………………………… おわりに …
…………………………………………………………………………… 4. マコモダケに魅せられて 教員の回想 …
……………………………… 3. 地域づくりの現場から 地域協力者の声 …
…………………………… 成果報告会の学生の発表資料 …
……………………………………………………… グループ3.萱ケ沢地区でのマコモダケ栽培 ―現状と将来の展望 …
………… 76
72
71
66
62
34
28
学生の英語レポート 7
109
1 .
学生が拓く学び
学習のプロセス 椙本歩美
8
課 題 に 取 り 組 む グ ル ー プ を つ く り ま し た。
最 後 に、 セ メ ス タ ー を 通 し て 共 に 調 査
マ は、 グ ル ー プ 内 で 調 整 の う え、 フ ァ ク
テ ー マ に つ い て 調 べ ま し た。 各 自 の テ ー
し た キ ー ワ ー ド を も と に、 各 自 が 一 つ の
ま し た。 ま ず、 プ ロ ブ レ ム マ ッ プ で 抽 出
グ ル ー プ 分 け で は、 出 身 地、 学 年、 性 別
ト シ ー ト を 持 ち 寄 っ て、 グ ル ー プ で 一 つ
段階で自己評価しました。
や 目 的 な ど の 説 明 が あ っ た 後、 学 生 た ち
がなるべく均等になるよう配慮していま
の フ ァ ク ト シ ー ト に ま と め ま す。 そ の 後、
1. 学 習 目 標 の 設 定 と 自 己 評 価
が 個 人 の 学 習 目 標 を 設 定 し、 ま た 自 ら の
す。 今 回 の グ ル ー プ は、 日 本 人 学 生 三 名、
日 本 人 学 生 は『 萱 ケ 沢 郷 土 史 誌 』 を 読 み、
初 回 の 授 業 で は、 教 員 か ら 授 業 の 概 要
能 力 に つ い て 自 己 評 価 を 行 い ま し た。 授
留学生一名ずつの構成になりました。
をインターネット等で調べ、ファクトシー
留学生は関連事項に関する出身国の情報
業 前 に、 学 生 個 人 が 学 習 目 標 を 立 て、 自
ら の 能 力 を 評 価 し て、 最 終 回 の 授 業 で は、
そ れ ら を 見 返 し て 自 己 評 価 を 行 い ま す。
どのような能力を高めることができたと
プ レ ポ ー ト を も と に、 学 生 が 調 査 し た 新
二〇一三年度授業報告書の学生グルー
礎資料集となりました。
フ ァ ク ト シ ー ト は、 萱 ケ 沢 で の 学 習 の 基
調 べ、 グ ル ー プ ご と に ま と め た 二 種 類 の
ト に ま と め ま し た。 メ ン バ ー が 分 担 し て
思 う か、 P B L を 通 し た 成 長 を 学 生 個 人
波地区のプロブレムマップを作成しまし
2.教室での学習 調査準備
が 評 価 し ま す。 こ れ ら は 成 績 に 直 接 反 映
た。 新 波 地 区 と 萱 ケ 沢 地 区 は、 ど ち ら も
学 習 目 標 を 達 成 で き た か、 ま た 自 分 自 身
さ れ ま せ ん が、 学 生 の 学 ぶ 姿 勢 を 高 め、
旧 大 正 寺 村 で す。 地 域 の 特 徴 は 異 な り ま
す が、 近 隣 地 域 を 知 る こ と は、 学 生 が 萱
教員は多角的に学生の成長を把握する目
的で行いました。
ケ 沢 を よ り 多 角 的 に 調 査 す る た め に、 有
背 景 要 因 の つ な が り な ど を 考 え ま し た。
ま ず 学 生 は ワ ー ク シ ー ト に、 授 業 を 履
て、 最 後 に 授 業 を 終 え た 時 に 身 に つ け た
ま た、 最 終 課 題 で あ る グ ル ー プ レ ポ ー ト
効 で す。 プ ロ ブ レ ム マ ッ プ の 作 成 を 通 し
い 力 を 明 記 し ま し た。 学 生 は 記 入 し た 内
を 読 む こ と に よ り、 学 生 は、 こ れ か ら 取
修した理由、秋田の地域社会について知っ
容 を 発 表 す る こ と で、 学 習 の 関 心 や 目 標
り組む調査やレポート作成のイメージを
て、 学 生 は 地 域 社 会 の し く み や、 事 象 と
を 確 認 す る と と も に、 互 い を 知 る 機 会 を
つかむことができます。
て い る こ と、 知 り た い こ と な ど を 記 入 し
つくりました。さらに、コミュニケーショ
そ の 後、 調 査 や レ ポ ー ト 作 成 の 下 調 べ
をファクトシートにまとめる作業を行い
ス
学習のプロ
く学
1. 学生
9
ン、リーダーシップ、コーディネーション、
知 的 好 奇 心 な ど、 二 十 に わ た る 能 力 を 五
レポートから作成したプロブレムマップ
教室でのグループ学習
鷲泉寺の見学
3.フィールドワーク①
萱ケ沢散策
マコモダケ圃場の見学
二 〇 一 四 年 十 月 十 日、 初 め て 萱 ケ 沢 地
区 を 訪 問 し ま し た。 ま ず マ コ モ ダ ケ 圃 場
で、 姫 雪 白 フ ァ ー ム の 方 々 か ら マ コ モ ダ
ケ に つ い て 説 明 を う か が い、 試 食 を し ま
し た。 そ の 後、 萱 ケ 沢 自 治 会 館、 日 枝 神
社、 鷲 泉 寺 な ど を 訪 問 し、 住 民 の 方 々 か
ら 集 落 に つ い て の お 話 を う か が い ま し た。
フ ィ ー ル ド ワ ー ク 中 は 基 本 的 に、 日 本 人
学生が住民と留学生の会話を通訳します。
このフィールドワーク後、学生はグルー
プごとの調査課題を決定しました。
4.教室での学習 理論・事例
日本や秋田県の農村社会に関わる基礎
理論や事例を中心とした課題文献につい
て、 学 生 が 発 表 し、 デ ィ ス カ ッ シ ョ ン を
行 い ま し た。 デ ィ ス カ ッ シ ョ ン で は、 課
題 文 献 に つ い て だ け で な く、 萱 ケ 沢 地 区
や 秋 田 県 を 事 例 と し て、 理 解 を 深 め ま し
た。
日枝神社の見学
10
5.フィールドワーク② マコモダケの収穫・袋詰め・販売
二 〇 一 四 年 十 月 十 八 日 か ら 十 九 日、 住
民 の 活 動 を 手 伝 い な が ら、 観 察 や イ ン タ
ビュー調査を行いました。
( 1) マ コ モ ダ ケ の 収 穫 ・ 袋 詰 め
十 月 十 八 日、 学 生 は 翌 日 の 市 場 祭 り の
準 備 を 手 伝 い ま し た。 午 前 中 は マ コ モ ダ
ケ の 収 穫 を 手 伝 い、 午 後 は 袋 詰 め を 手
伝 い ま し た。 マ コ モ ダ ケ の 袋 詰 め で は、
二十一から二十三センチメートルの長さ
に そ ろ え、 太 さ や 重 さ を 確 認 す る な ど 販
売 規 格 に 沿 う 必 要 が あ り ま す。 萱 ケ 沢 住
民 の 指 導 の も と、 学 生 た ち は 集 中 し て 作
業 を 続 け、 夕 方 に は 四 〇 〇 ほ ど の 袋 詰 め
を終えることができました。
例 年 は、 住 民 の 方 々 が 夜 通 し で 準 備 す
る そ う で す が、 今 年 は 学 生 が 手 伝 っ た こ
とで半日の作業になったそうです。
ス
学習のプロ
く学
1. 学生
11
マコモダケ袋詰め
休憩中にマコモきんぴらや柿を頂きました
袋詰め完了
マコモダケ収穫
( 2) デ ー タ 整 理
マコモダケ試食作り
初 日 の 作 業 を 終 え、 萱 ケ 沢 地 区 か ら 車
マコモダケ販売
で 十 分 ほ ど の 場 所 に あ る、 ふ る さ と 温 泉
宿泊先でのデータ整理
ユ ア シ ス の コ テ ー ジ に 宿 泊 し ま し た。 こ
こ で、一 日 目 の フ ィ ー ル ド ワ ー ク で 気 づ い
た こ と な ど を、 グ ル ー プ ご と に 話 し 合 い
ま し た。 ま た い た だ い た 規 格 外 の マ コ モ
ダ ケ で 焼 き そ ば を つ く り、 夕 食 に し ま し
た。 食 後 は 温 泉 で 疲 れ を と り、 翌 朝 早 朝
の 出 発 に 備 え ま し た。 農 作 業 だ け で な く、
新 鮮 な 農 産 物 や 温 泉 な ど、 地 域 の 豊 か さ
を体験することができました。
(3)市場祭りでの販売・調査
十 月 十 九 日、 秋 田 市 公 設 地 方 卸 売 市 場・
秋 田 市 中 央 卸 売 市 場 に て、 第 二 十 四 回 秋
田 市 卸 売 市 場 祭 り が 開 催 さ れ ま し た。 こ
こで萱ケ沢産のマコモダケの試食販売を
手 伝 い ま し た。 学 生 た ち は 試 食 用 の マ コ
モ ダ ケ の 皮 む き を 手 伝 っ た り、 買 い 物 客
に マ コ モ ダ ケ の 試 食 を す す め た り、 マ コ
モダケが無農薬で安全かつおいしいこと
な ど を 宣 伝 し ま し た。 学 生 た ち は 販 売 を
手 伝 い な が ら、 市 場 祭 り の 買 い 物 客 や 販
売員にインタビュー調査を行いました。
インタビュー調査
12
データ分析
6.中間発表会
データ分析
グループごとにフィールドワークで得
中間発表会の様子
た 情 報 を 分 析 し、 学 習 状 況 を 発 表 し ま し
た。 他 の グ ル ー プ の 発 表 に 対 し て、 学 生
や 教 員 が 質 問 を し、 調 査 内 容 の 問 題 点 や
改 善 策 に つ い て 議 論 し ま し た。 グ ル ー プ
ご と に 調 査 テ ー マ を 決 定 し て い ま し た が、
フ ィ ー ル ド ワ ー ク の 結 果 や、 中 間 発 表 会
で の 質 疑 応 答 を ふ ま え て、 二 つ の グ ル ー
プ が 調 査 テ ー マ を 見 直 し ま し た。 ま た 次
回 の フ ィ ー ル ド ワ ー ク に 向 け て、 調 査 項
目を具体化しました。
7.大正寺小学校との合同授業
二 〇 一 四 年 十 一 月 七 日、 大 正 寺 小 学 校
の 四、五、六 年 生 と 合 同 授 業 を 行 い ま し た。
小 学 生 か ら、 地 域 の 歴 史 や 文 化、 そ し て
二〇一六年度の統合にともない小学校が
閉校されることについて説明がありまし
た。 小 学 生 が 自 分 の 将 来 や 地 域 に つ い て、
どのように考えているのかを知る機会に
なりました。
ス
学習のプロ
く学
1. 学生
13
大正寺小学校との合同授業
マコモピザコンテスト
マコモピザづくり
8.フィールドワーク③ 萱ケ沢文化祭への参加
ピザ窯の薪割り
十 一 月 九 日、 萱 ケ 沢 文 化 祭 に 参 加 し ま
し た。 学 生 た ち は 住 民 と 一 緒 に マ コ モ ピ
ザ コ ン テ ス ト を 開 催 し ま し た。 マ コ モ ピ
ザ は 住 民 と 学 生 が 二 種 類 ず つ 用 意 し、 姫
雪 白 フ ァ ー ム の ピ ザ 窯 で 焼 き ま し た。 留
学生が中心になって考えたブルネイ風の
味 付 け も 好 評 で し た が、 最 も 多 く の 票 を
獲 得 し た の は、 住 民 が 考 案 し た レ シ ピ で
した。
萱 ケ 沢 文 化 祭 で は、 子 ど も た ち に よ る
萱 ケ 沢 番 楽 や、 手 踊 り な ど 住 民 の 出 し 物
も あ り、 学 生 た ち が 地 域 の 文 化 に 触 れ る
機 会 に な り ま し た。 最 後 に は、 参 加 者 全
員でマコモダケ料理を囲んで会話を楽し
み ま し た。 学 生 た ち が 住 民 の 考 え を 聞 く
貴重な機会になりました。
昼食準備
14
成果報告会
萱ケ沢番楽の体験
成果報告会
食事を囲んで住民にインタビュー
9.データ分析・発表準備
フィールドワーク後、学生各自が提出し
たフィールドノートをグループメンバー
内 で 確 認 し ま し た。 調 査 課 題 に 照 ら し て、
グ ル ー プ ご と に 共 有 し た デ ー タ を 分 析 し、
成果発表会の準備を行いました。
.成果報告会
二 〇 一 四 年 十 二 月 七 日、 本 学 で 成 果 報
告 会 を 行 い ま し た。 学 生 た ち は グ ル ー プ
ご と に、 調 査 課 題 と 分 析 結 果、 そ し て 課
題 解 決 に 向 け た 提 言 を 行 い ま し た。 萱 ケ
沢地区や小学校関係者など地域から十名
ほ ど の 参 加 が あ り ま し た。 成 果 報 告 会 終
了 後 に は、 懇 親 会 を 催 し、 学 生 だ け で な
く 住 民 か ら も、 地 域 と 大 学 の 連 携 を 続 け
ようという声があがりました。
ス
学習のプロ
く学
1. 学生
15
10
2 .
地域を調べる
学生のグループ学習 16
人 口 ) を 維 持 で き る の か、 と い う 調 査 課
題 を 設 定 し た。 こ の 中 心 課 題 に 取 り 組 む
ニティ自体を維持するためにどのような
少 を も た ら す の か、 萱 ケ 沢 と い う コ ミ ュ
グループ 1
萱ケ沢における地 域 社 会 の あ り 方
作成者:石上理沙・早川響
こ と が な さ れ る べ き か、 と い う 観 点 か ら
た め に、 ど の 要 因 が 萱 ケ 沢 地 区 の 人 口 減
森島夢実
す る 際 に、 と て も 重 要 な 論 点 を 有 し て い
社会による影響を受けているのかを考慮
本の農村地域がいかに人口減少や高齢化
調 査 を 行 っ た。 こ れ ら の 調 査 課 題 は、 日
ロニス アレン
■ はじめに
今 日、 日 本 は 人 口 の 過 疎 化 や 高 齢 化 社
て 色 濃 く 見 ら れ る。 本 授 業 の 関 心 は、 日
の問題は都心から離れた農村地域におい
の 手 段 や 日 程 な ど の 調 査 概 要 を 説 明 し、
は じ め に、 必 要 な デ ー タ を 収 集 す る た め
ま ず 萱 ケ 沢 で 実 施 し た 調 査 を ま と め る。
つ と 考 え て い た た め、 様 々 な 準 備 を 整 え
る。
本の過疎化していく地縁に基づく村落に
次に萱ケ沢における調査とインタビュー
て か ら フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 行 っ た。 主 な
会 と い っ た 社 会 問 題 に 直 面 し て い る。 こ
お い て、 問 題 を 引 き 起 こ し て い る 要 因 を
の結果について説明する。
地 域 住 民 に 向 け た イ ン タ ビ ュ ー 調 査、 地
調 査 方 法 は、 萱 ケ 沢 で 行 わ れ た 体 験 学 習、
明 ら か に す る こ と で あ る。 そ の た め に、
秋田の農村地域である萱ケ沢において
フィールドワークを行った。
よ る 兼 業 農 家 で あ る。 こ の よ う な 地 域 で、
済のほとんどは会社勤務など農外収入に
る。 萱 ケ 沢 の 人 口 は 減 少 傾 向 に あ り、 経
域 で あ り、 秋 田 市 内 の 雄 和 に 位 置 し て い
ワ ー ク を 実 施 す る こ と が で き た。 私 た ち
のご協力により四回にわたるフィールド
の か を 説 明 す る。 椙 本 先 生 と 地 域 の 方 々
調査方法とどのようにしてデータを得た
調 査 結 果 と そ の 重 要 性 を 説 明 す る 前 に、
実情を肌で感じた。最初のフィールドワー
私 た ち は 実 際 に 萱 ケ 沢 住 民 と 交 流 を し、
ま た、 四 日 間 の フ ィ ー ル ド ワ ー ク で、
決策を考案していった。
方 法 に よ り、 デ ー タ を 収 集、 分 析 し、 解
ン ケ ー ト 調 査 の 四 つ で あ っ た。 こ れ ら の
域 住 民 に よ る 説 明、 地 域 住 民 に 向 け た ア
人口減少や高齢化社会が抱える問題とそ
は デ ー タ を 得 る 方 法 が、 調 査 を 通 じ て 得
ク は 十 月 十 日 に 行 い、 初 め て 萱 ケ 沢 に 赴
■ 研究方法
れを引き起こす要因を明らかにするため
られた情報と同じくらい重要な意味を持
萱ケ沢は農業を基盤とする小規模な地
に、萱ケ沢はどのようにして地域社会(や
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
17
る マ コ モ ダ ケ を 見 分 け、 そ れ を ど の よ う
あ っ た。 マ コ モ 圃 場 で、 売 る こ と の で き
穫体験と袋詰め作業の二つが主な活動で
で 一 泊 し た。 十 八 日 は、 マ コ モ ダ ケ の 収
ル ド ワ ー ク で あ り、 雄 和 に あ る 宿 泊 施 設
き、 そ こ に 住 ん で い る 方 々 の 生 の 声 を 聞
域住民と実際に話す機会を得ることがで
を 営 ん で い る の か を 学 ん だ。 こ こ で、 地
な 状 況 に あ り、 人 び と が ど の よ う な 生 活
た。小学生からは、小学校の統合や、萱ケ
の差異についてプレゼンテーションをし
あるか、また留学生は自国の文化や日本と
国際教養大学での生活がどのようなもので
人 数 は そ れ ほ ど 多 く な か っ た。 大 学 生 は、
来 年 度 か ら 雄 和 小 学 校 に 統 合 さ れ る た め、
交流する機会があった。大正寺小学校は再
十一月七日は大正寺小学校の児童たちと
の認知度がまだ高くないことが分かった。
ま り 知 ら な か っ た こ と か ら、 マ コ モ ダ ケ
理 方 法 も、 ど こ で 作 ら れ て い る の か も あ
ほ と ん ど の 人 が マ コ モ ダ ケ を 知 ら ず、 調
析をすすめた。
で あ り、 こ こ で 得 た デ ー タ に 基 づ い て 分
こ と が で き た。 以 上 が デ ー タ 収 集 の 方 法
自分たちの調査研究に必要なことを聞く
質 問 す る 時 間 を 設 け て い た だ い た た め、
グ ル ー プ ご と に 地 域 住 民 の 方 々 と 交 流 し、
く こ と が で き た。 ま た 文 化 祭 の 最 後 に は
ケ ー ト を お 願 い し、 様 々 な 回 答 を い た だ
き た。 文 化 祭 中 に 地 域 住 民 の 方 々 に ア ン
様々なことを拝見させてもらうことがで
婦 人 部 の 手 踊 り、 子 ど も た ち の 番 楽 な ど
ダ ケ を 使 っ て 作 っ た マ コ モ ピ ザ づ く り や、
る 内 容 を 盛 り 込 ん で い た だ い た。 マ コ モ
に収穫するかを農家の方々から教えても
沢の歴史、また地域住民とどのような関わ
袋 を 販 売 目 標 に し た。 マ コ モ ダ ケ を 買 う
ら い、 鎌 を 使 い な が ら 収 穫 体 験 を し た。
り方をしているのかについてプレゼンテー
き、 自 分 た ち の 調 査 対 象 地 域 が ど の よ う
ま た、 農 家 の 方 の お 宅 で マ コ モ ダ ケ の 袋
ションがあった。
で き た こ と も、 自 分 た ち に と っ て 貴 重 な
に、 農 業 の つ ら さ を 片 鱗 で は あ る が 理 解
験 で き た こ と が 非 常 に 嬉 し く、 ま た 同 時
あ っ た が、 普 段 は 体 験 で き な い こ と を 体
め て の 体 験 で あ り、 未 知 の こ と ば か り で
た め に 必 要 な 工 程 を 学 ん だ。 す べ て が 初
地 域 の 女 性 が 腕 を ふ る っ た 料 理 を 食 べ、
伝 統 的 な 踊 り ) な ど の 出 し 物 を 楽 し み、
萱 ケ 沢 自 治 会 館 に 集 い、 番 楽( 萱 ケ 沢 の
年 恒 例 の 行 事 の ひ と つ で あ る。 住 民 ら が
萱 ケ 沢 文 化 祭 と は、 萱 ケ 沢 で 行 わ れ る 毎
で、 萱 ケ 沢 で 行 わ れ た 文 化 祭 に 参 加 し た。
十一月九日が最後のフィールドワーク
十月十八日と十九日は二回目のフィー
くことができた。
詰 め 作 業 も 教 え て い た だ き、 市 場 に 出 す
体験であった。
今 年 は、 私 た ち 大 学 生 が マ コ モ ピ ザ コ
住民間の交流をはかる行事である。
販 売 を 行 っ た。 マ コ モ ダ ケ を 販 売 す る 班
ン テ ス ト に 参 加 す る な ど、 み な が 楽 し め
十九日は秋田卸売り市場でマコモダケ
と 試 食 を 作 る 班 の 二 つ に 分 か れ、 四 〇 〇
18
上 記 の 質 問 か ら、 少 子 高 齢 化 や そ れ に
萱 ケ 沢 文 化 祭 で、 男 性 四 名、 女 性 五 名 に
し た ア ン ケ ー ト の 結 果 に 基 づ い て い る。
ビ ュ ー と、 そ の 参 加 者 の う ち 九 名 に 配 布
調 査 は 主 に、 萱 ケ 沢 文 化 祭 で の イ ン タ
が 集 ま っ て 行 事 を 開 催 し た り、 故 郷 へ の
が 年 に 数 回 で あ る と 答 え た。 萱 ケ 沢 住 民
館 を 訪 れ る か ) に つ い て は、 九 名 中 五 名
質 問( ど の 程 度 の 頻 度 で 萱 ケ 沢 の 自 治 会
ケ 沢 を と ら え る こ と が で き た。 一 つ 目 の
伴う小学校の閉校などの問題を抱える萱
アンケート用紙を配り、直接住民からデー
愛着を再確認することができる自治会館
■ アンケート結果
タ を 収 集 し た。 ア ン ケ ー ト を す る 上 で、
次 に、 す べ て の 回 答 者 が 二 つ 目 の 質 問
は、 地 域 の つ な が り に お い て、 と て も 大
が 五 十 代 か ら 七 十 代 に 集 中 し て い て、 ア
(来年の文化祭にも参加したいと考えてい
多世代の人から回答を得ることが望まし
ン ケ ー ト を し た 時 に は、 十 代、 二 十 代 の
る か ) に 対 し て、 肯 定 的 で あ っ た。 そ の
切な存在であると考えられる。
参 加 者 が ほ と ん ど い な か っ た こ と か ら、
まることで萱ケ沢の魅力を再発見でき
と続いていくことを願っているため」、
「集
お手伝いがしたい」、
「萱ケ沢の行事がずっ
で、 も っ と 情 報 が ほ し い 」、「 地 域 行 事 の
理 由 と し て は、「 マ コ モ ダ ケ が お い し い の
か っ た。 し か し、 文 化 祭 の 参 加 者 の 年 齢
アンケート質問内容
二、来年の文化祭にも参加したいと考え
を訪れるか。
一、どの程度の頻度で萱ケ沢の自治会館
アンケート回答者の年齢も同じような結
果になってしまった。
し か し、 萱 ケ 沢 で は、 五 十 代 か ら 七 十 代
が主体となって村の雰囲気を盛り上げよう
と し て い る こ と が 分 か っ た。 姫 雪 白 フ ァ ー
三、大正寺小学校の雄和小学校への統合
三つ目の質問(大正寺小学校の雄和小学
とを見つけて貢献したい」などがあった。
る 」、「 地 域 発 展 に お い て 自 分 の で き る こ
と や、 女 性 た ち も、 文 化 祭 で 料 理 を す る な
に よ り、 萱 ケ 沢 地 区 に 何 か よ く な い 影
校 へ の 統 合 に よ り、 萱 ケ 沢 に 影 響 は あ る
ているか。
ど し て、 萱 ケ 沢 の 行 事 に お い て 大 切 な 役 割
響 は あ る と 思 う か。 ま た ど の よ う な 影
ムがマコモダケの栽培に力を入れているこ
を果たしている。このような事実から、萱
と 思 う か。 ま た ど の よ う な 影 響 が あ る か )
え た。 可 能 性 の あ る 影 響 と し て あ げ ら れ
で、 萱 ケ 沢 は 影 響 を 受 け る で あ ろ う と 答
に 対 し て、 全 員 が、 大 正 寺 小 学 校 の 統 合
響があるか。
して希望や理想像はあるか。
四、将来の萱ケ沢の地域のつながりに対
ケ沢において五十代から七十代の住民の意
見はとても大切なものだと考えられるた
め、 こ の ア ン ケ ー ト 結 果 を 調 査 の 中 心 資 料
として利用することにした。
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
19
最 後 に、 四 つ 目 の 質 問 か ら、 萱 ケ 沢 住
な存在であることが分かった。
あ り、 ま た 地 域 を 保 っ て い く た め に 大 切
学校はその地域に大きく影響するもので
て は マ イ ナ ス に な る も の ば か り で あ っ た。
「親の繋がりが薄くなる」など、地域にとっ
る」、
「子どもたちやその親の生活の変化」、
る 」、「 あ い さ つ が 減 る 」、「 商 店 が さ び れ
東 京 や 他 の 大 都 市 に 出 て 就 職 し た い か、
四 年 生 か ら 六 年 生 の 児 童 の な か で、 将 来、
ど が あ っ た。 く わ え て、 大 正 寺 小 学 校 の
や地域住民とともに参加できる運動会な
「 さ わ や か マ ラ ソ ン 」 や、 児 童 た ち が 家 族
れ た。 地 域 住 民 が 子 ど も た ち を 応 援 す る
交流を目的とした行事がいくつか紹介さ
テ ー シ ョ ン が あ り、 そ こ で 地 域 住 民 と の
と の 交 流 の な か で、 児 童 に よ る プ レ ゼ ン
し て い く の は 困 難 で あ り、 大 半 の 住 民 が
を 行 っ た 際、 農 業 に よ る 収 入 だ け で 生 活
なものではない。ある住民にインタビュー
て得られる収入は地域住民にとって十分
入源は農業であった ※
( 。
) 農業は地域で
歴史的に続いてきたものだが、農業によっ
し て い る だ ろ う。 一 部 の 萱 ケ 沢 住 民 の 収
に影響を及ぼしうる要因はいくつも存在
す べ て の 農 村 社 会 に お い て、 そ の 構 造
に国際教養大学で行われた大正寺小学校
民 が、 地 域 住 民 が 協 力 し 合 い、 子 ど も た
秋 田 に 残 り た い か を 質 問 し た と こ ろ、 半
兼 業 農 家 で あ る と 教 え て く れ た。 農 業 だ
た の は、「 子 ど も た ち の 声 が 聞 こ え な く な
ちの明るさによって作られる地域を望ん
数の児童が秋田県外に働きに出たいと考
けではまかないきれない分を補うためだ
要因一、農業依存型地域社会
で い る と い う こ と が わ か っ た。 地 域 は、
えていることが分かった。
ま た、 農 業 は 低 収 入 で あ る だ け で な く、
そうだ。
住民たちが望むようなやり方にそって発
展 す る べ き だ。 あ る 男 性 は、「 萱 ケ 沢 は 高
齢化や人口減少などを問題として抱えて
質 問 と 四 つ 目 の 質 問( 将 来 の 萱 ケ 沢 地 区
地 域 が 理 想 で あ る 」 と 答 え た。 三 つ 目 の
「子どもたちの声がずっと聞こえるような
さ を 話 し て く だ さ っ た。 ま た あ る 女 性 は、
来のために住民が協力し合うことの大切
き る た め に は 欠 か せ な い 」、 と 萱 ケ 沢 の 将
域 社 会 と、 小 学 校 の 閉 鎖 で あ る。 こ れ ら
人 の 働 く 場 が 少 な く、 農 業 に 依 存 し た 地
悪 化 さ せ た と 考 え ら れ る。 そ れ は、 若 い
た。 主 に 二 つ の 要 因 が、 こ れ ら の 状 況 を
社会を引き起こすいくつかの要因を考え
たちは萱ケ沢における人口減少や高齢化
萱 ケ 沢 に お け る 調 査 結 果 に 基 づ き、 私
収 入 の 農 業 は、 若 者 に と っ て あ ま り 魅 力
な く さ れ た。 負 担 の 大 き い 肉 体 労 働 と 低
体的負担により農業をやめることを余儀
家 と し て 農 業 を 営 ん で い た。 し か し、 身
計 を 立 て て い る が、 数 年 前 ま で は 稲 作 農
た。 あ る 男 性 五
( 十九歳 も
) またこの問題
に 悩 ま さ れ て い た。 彼 は 現 在、 大 工 で 生
れてしまいがちになるという事実もあっ
身 体 的 負 担 も 大 き い た め、 さ ら に 嫌 が ら
の地域のつながりに対して希望や理想像
が地域社会におけるいくつかの社会問題
的とはいえない。したがってインタビュー
■ 考察
は あ る か ) は、 と く に 関 係 し て い る も の
を引き起こしていると私たちは結論付け
を し た 多 く の 地 域 住 民 の 子 や 孫 世 代 は、
い る の で、 住 民 同 士 が 助 け 合 う こ と が 生
であった。
た。
ア ン ケ ー ト 結 果 に 加 え て、 十 一 月 七 日
20
この傾向は、日本の他の地域社会でも見
童 た ち は 新 た な 小 学 校 に 通 う こ と に な り、
こ の 統 合 に よ っ て、 大 正 寺 小 学 校 の 児
と て も 意 味 が あ り、 ま た 何 人 か の 萱 ケ 沢
地域の未来を映し出しているという点で
答 え た。 こ の 結 果 は、 萱 ケ 沢 や そ の 周 辺
他 方 で、 大 正 寺 小 学 校 の 児 童 に 対 す る
ら れ る。 若 者 が 質 の 高 い 教 育 や 収 入 の 高
萱 ケ 沢 か ら の 距 離 は 遠 く な っ て し ま う。
住民が若い世代との交流が失われる恐れ
学 し て い る。 そ の 大 正 寺 小 学 校 が 再 来 年
い 職 業 を 求 め て 大 都 市 圏 へ と 流 出 し、 地
ま た、 今 ま で 慣 れ 親 し ん だ 地 域 の 仲 間 と
があると危惧していたことともつながる。
より高収入を得られる職業やより質の高
方が空洞化していくのは萱ケ沢に限った
と も に 勉 強 し て い た か わ り に、 今 度 は 地
世 代 間 の 交 流 の 欠 如 は、 萱 ケ 沢 地 区 に
質 問 で、 四、五、六 年 生 の 約 半 数 が、 将 来
こ と で は な い。 若 者 の 減 少 に よ り、 萱 ケ
域 外 の 児 童 と、 新 し い 環 境 に 溶 け 込 ま な
と ど ま る こ と を 選 ん だ 子 ど も と、 都 市 で
に、 雄 和 小 学 校 に 統 合 さ れ る こ と に な っ
沢の人口の五十パーセント以上が六十五
け れ ば な ら な い。 こ れ は、 児 童 の 社 会 性
の生活に興味がある子どもの間にさらな
い教育を求めて、大都市へと移住していっ
歳 と い う 状 態 が 生 ま れ、 今 も な お そ の 現
を 高 め る と い う 面 で 効 果 的 で は あ る が、
る 開 き を 生 み 出 す の で は な い だ ろ う か。
は東京や大阪といった都心に住みたいと
状 は 変 わ ら な い。 萱 ケ 沢 に お け る 安 定 し
住民とのつながりや絆を深めにくくなる
そ れ ゆ え、 大 正 寺 小 学 校 が 提 供 し て き た
た。
た 職 業 の 欠 如 は、 次 世 代 を 担 う 若 者 た ち
だ ろ う。 地 域 の 強 い つ な が り を 維 持 す る
たそうだ。
の 流 出 を 促 進 す る 要 因 と な り う る し、 地
要 が 強 ま る と 考 え ら れ る。 地 域 活 性 化 の
活動や行事に代わる新たなコミュニケー
大 正 寺 小 学 校 は、 児 童 た ち の 交 流 の 場 所
た め の 努 力 な し に は、 萱 ケ 沢 の 少 子 高 齢
う え で、 地 域 で の 教 育 は 鍵 と な り、 つ な
持続可能な社会に向けて一定の人口を
として住民らの中心であっただけではな
化の波を止めることはできないだろう。
域社会に残る住民たちにも影響を与えて
保 つ に は、 安 定 し た 収 入 源 が 必 須 で あ る。
く、 世 代 間 を つ な ぐ も の と し て も 機 能 し て
シ ョ ン の 場 を、 萱 ケ 沢 自 体 が 生 み 出 す 必
安 定 し た 収 入 源 と い う 基 盤 の 欠 如 は、 萱
い た。 ま た、 大 正 寺 小 学 校 は 子 ど も た ち に
がりの基盤をつくるものである。
ケ 沢 に も 見 ら れ る よ う に、 地 域 住 民 が 安
地域の高齢者と会話をする場を提供するだ
いると考えられる。
定 し た 職 を 求 め て、 大 都 市 圏 へ 流 出 す る
け で な く、 心 の つ な が り を も 提 供 し て い た
■ おわりに
状態を引き起こす要因になっている。
と も な い、 萱 ケ 沢 は 小 学 校 に よ っ て 行 わ れ
も重要な存在である大正寺小学校の閉校に
つ な が り を 形 成 し て い る。 萱 ケ 沢 の 人 び
活 動、 小 学 校 な ど を 介 し て、 強 い 地 域 の
農 業、 文 化 祭 な ど の 地 域 行 事、 自 治 会 館
萱 ケ 沢 の 住 民 は 日 々 の 生 活 に く わ え て、
大正寺小学校は萱ケ沢の子どもたちが
ていた活動や行事などの代わりとなるもの
と も そ の つ な が り に 誇 り を 持 っ て お り、
と 考 え ら れ る。 人 び と が 集 ま る 場 所 と し て
通 う 小 学 校 で、 自 転 車 で 十 五 分 程 で 通 え
を見つける必要がある。
要因二、小学校の統合
る 距 離 に あ り、 現 在 四 十 二 名 の 児 童 が 通
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
21
と を 願 っ て い る。 し か し、 少 子 高 齢 化 の
る こ と が で き る だ ろ う。 六 次 産 業 は マ コ
導 入 は、 収 入 面 で マ コ モ ダ ケ 栽 培 を 助 け
資料提供。
あ る( 三 十 五 パ ー セ ン ト )。 京 極 進 氏 よ り
業で収入を得ている人は二十六戸だけで
※ 二 〇 一 四 年 現 在 は、 七 十 四 戸 の う ち、 農
影 響 に よ り、 今 後 も こ れ ら の つ な が り を
モ ダ ケ の 付 加 価 値 を 生 み 出 し、 消 費 者 と
関 係 し な い か も し れ な い が、 六 次 産 業 の
維 持 し て い く こ と は 困 難 に 思 え る。 再 来
生 産 者 間 の 問 題 の 解 決 に も つ な が り、 マ
これからもそのつながりが続いていくこ
年 度 に は、 若 い 世 代 と 年 配 の 世 代 の つ な
二 つ 目 に、 外 部 の 人 を 呼 び 込 む 方 法 と
コモダケ栽培のためのより良い環境を作
今後とも萱ケ沢の地域のつながりを維持
し て、 農 村 で の 余 暇 活 動 の 一 種 で あ る グ
がり維持にも貢献してきた大正寺小学校
す る た め に は、 大 正 寺 小 学 校 が 提 供 し て
リ ー ン・ ツ ー リ ズ ム の 導 入 を 提 案 し た い。
りだすことができる。
き た 活 動 や 行 事 に 代 わ る よ う な、 新 た な
実際の農業体験や日本の農村地帯の理解
の 閉 校 も あ る。 こ う い っ た 状 況 の な か、
コミュニケーションの場を生み出すこと
を 通 じ て、 外 部 の 人 び と が 農 業 に 興 味 を
持 つ き っ か け を 与 え る こ と が で き る た め、
が大切だと考えられる。
また、若い世代の欠如を補うために、新
ケ の 栽 培 に は、 一 部 の 住 民 し か 関 与 し て
な り う る と 考 え ら れ る。 現 在、 マ コ モ ダ
に新たな交流の場を提供するきっかけに
ダ ケ の 活 用 だ。 マ コ モ ダ ケ は 萱 ケ 沢 住 民
の も の を 提 案 し た い。 一 つ 目 は、 マ コ モ
場 を 提 供 す る こ と が で き る。 様 々 な 背 景
で な く、 国 際 教 養 大 学 生 に も 農 業 体 験 の
コミュニケーションの場を提供するだけ
い。 こ れ は、 萱 ケ 沢 住 民 に 外 部 の 人 と の
われる農業インターンシップを提案した
さ ら に、 国 際 教 養 大 学 と 萱 ケ 沢 間 で 行
将 来、 外 部 の 人 を 地 域 に 呼 び 込 む こ と に
い な い。 し か し、 他 の 萱 ケ 沢 住 民 も、 マ
を 持 つ 国 際 教 養 大 学 生 と の 交 流 は、 萱 ケ
たに外部から人を呼び込むことも大切だ
コモダケ栽培に参加できる場を作りだせ
沢 の 将 来 の 展 望 を 考 え る う え で、 何 か 力
つながるのではないか。
ば、 そ れ は 萱 ケ 沢 住 民 に と っ て 新 た な 交
に な る こ と が あ る の で は な い か。 以 上 を、
と 考 え る。 こ れ ら の 解 決 策 と し て、 以 下
流 の 場 と な る。 ま た、 子 ど も た ち が 農 業
今後の萱ケ沢の地域のつながりの維持の
ための方法として提案したい。
に興味を持つきっかけにもなりうる。
ま た、 地 域 の つ な が り の 維 持 と は 直 接
22
グループ 2
マコモダケ栽培の 難 し さ と
解決策の提案
作成者:アズリザン ヒルミ
加藤杏香里・高松知世
こ の テ ー マ は、 マ コ モ ダ ケ 栽 培 の 難 し さ と
その解決法を見つける上で萱ケ沢と農家の
人びとにとって重要な問いになったと思
う。
セメスターを通して萱ケ沢とマコモダ
ケ生産の難しさを多角的な視点で調査し
た。 調 査 の 結 果 か ら、 マ コ モ ダ ケ 栽 培 に
お け る 物 理 的 困 難 と 心 理 的 困 難 を 示 し、
マ コ モ ダ ケ か ら 得 ら れ る 利 益、 マ コ モ ダ ケ
様 々 で、 マ コ モ ダ ケ と 萱 ケ 沢 地 区 の 関 係、
調査テーマを決めるうえで各班員の興味は
の植物で、味や触感はタケノコに似ている。
い な い。 マ コ モ は 水 田 で 栽 培 さ れ る イ ネ 科
て も 有 名 で は な く、 消 費 者 に 広 く 知 ら れ て
な か っ た。 実 際、 マ コ モ ダ ケ は 全 国 的 に 見
調 査 を は じ め た 当 初、 マ コ モ ダ ケ と い う
野菜が何なのかを知っているメンバーはい
■ はじめに
市 場 祭 り、 農 家 の 人 び と と の 意 見 交 換 会、
調査を行った。くわえて、住民との交流会、
秋田市内の市場祭りと萱ケ沢文化祭で
萱ケ沢住民や消費者を対象にアンケート
(二)フィールドワーク
萱 ケ 沢 の 歴 史、 日 本 の 伝 統 的 な 村 落 の
形成やその性質について授業で学んだ。
(一)調査準備
■ 調査方法
したい。
られる。一つ目に、栽培する農家にとって、
物理的な難しさとして三つの要因があげ
萱 ケ 沢 に お け る マ コ モ ダ ケ 栽 培 の 実 質 的・
仁科真祐
が萱ケ沢を活性化させる可能性など多岐に
小 学 生 と の 交 流 会 な ど、 萱 ケ 沢 周 辺 に 住
マコモダケ栽培には多くの時間と手間を
それらをもとにいくつかの解決策を提案
わ た っ て い た。 そ れ ら の 興 味 を 統 合 し、 多
む人びとと交流を通して調査を行った。
おけるマコモダケ栽培の難しさとは何か」
に 私 た ち の 研 究 テ ー マ は、「 萱 ケ 沢 地 区 に
長 し な い た め、 鎌 を 使 い 手 作 業 で 収 穫 さ
他 の 野 菜 や 米 と 異 な り、 個 々 が 均 等 に 生
要 す る。 マ コ モ ダ ケ は 機 械 で 収 穫 を 行 う
イ ン タ ビ ュ ー と ア ン ケ ー ト の 結 果 か ら、
(一)物理的な難しさ
■ 調査結果
方 面 か ら の 調 査 を 可 能 に す る た め、 最 終 的
と い う シ ン プ ル な も の に な っ た。 結 果 的 に
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
23
二〇〇円)は姫雪白ファームが決めてい
る の で は な く、 ま こ も 研 究 会 に よ っ て 決
の 知 名 度 も さ る こ と な が ら、 そ の 調 理 方
法 も 知 ら れ て い な い こ と が、 マ コ モ ダ ケ
れ る。 水 田 の 養 分 を そ の ま ま 吸 収 す る た
め、 除 草 剤 や 農 薬 の 使 用 も で き な い。 そ
段は私たちが聞いた多くの消費者が高価
め ら れ る。 実 際、 現 在 の マ コ モ ダ ケ の 値
マコモダケは一年の間で十月から十一月
だ と 感 じ て お り、 さ ら に マ コ モ ダ ケ の 賞
人気の低迷につながっているのであろう。
にかけての短い時期しか収穫できないた
味期間の短さも起因して一定数以上のマ
のため、雑草取りも手作業で行う。さらに、
め、利益を得るまでにも時間を要する。
に対しての価格はかなり高価だがそれだ
ビ ュ ー で は、 二 十 五 歳 の 男 性 が「 サ イ ズ
た文化祭に参加した際に行ったインタ
売 さ れ て い る。 萱 ケ 沢 自 治 会 館 で 行 わ れ
三本入りの一パック当たり二〇〇円で販
と が あ げ ら れ る。 マ コ モ ダ ケ は 現 在、 二、
の 販 売 が 提 案 さ れ た こ と も あ っ た が、 事
ム の メ ン バ ー 間 で、 加 工 済 み マ コ モ ダ ケ
まく受け入れられなかった。姫雪白ファー
その値段の高さや知名度の低さのためう
レ ス ト ラ ン な ど に 売 り 込 み を か け た が、
コ モ ダ ケ を、 J A や ホ テ ル の キ ッ チ ン、
姫 雪 白 フ ァ ー ム は、 彼 ら の 収 穫 し た マ
コモダケ販売は困難である。
け の 価 値 が あ る 」 と 答 え た 一 方、 子 ど も
業予算が足りず断念したとのことである。
二 つ 目 に、 マ コ モ ダ ケ の 値 段 が 高 い こ
を 育 て る 親 世 代 の 方 々 は「 マ コ モ ダ ケ は
ト 調 査 に よ る と、 マ コ モ ダ ケ を 知 っ て い
私たちが行った市場祭りでのアンケー
高価であるうえ他の野菜に比べ小ぶりで
ま す か、 と い う 問 い に 対 し て、 二 十 四
た こ と が な い と 答 え た。 ま た、 知 っ て い
三 割 の 人 が マ コ モ ダ ケ を 知 ら な い、 聞 い
場 祭 り で 行 っ た イ ン タ ビ ュ ー の 結 果、 約
と が あ げ ら れ る。 秋 田 市 で 開 催 さ れ た 市
三つ目に、マコモダケの知名度が低いこ
割 か れ、 ま た 値 段 設 定 に も 苦 労 し て い た。
ダ ケ 栽 培 で は、 除 草 作 業 に か な り 労 力 を
は じ め た 当 時 の 話 を う か が っ た。 マ コ モ
し て い る 池 田 さ ん に、 マ コ モ ダ ケ 栽 培 を
の メ ン バ ー で も あ り、 マ コ モ ダ ケ を 栽 培
萱 ケ 沢 に 住 む 農 家 で、 姫 雪 白 フ ァ ー ム
が 数 名 い る こ と が 分 か っ た。 萱 ケ 沢 文 化
の か、 も し く は そ の 名 前 す ら 知 ら な い 方
沢住民でさえマコモダケがどんな野菜な
こ れ は 萱 ケ 沢 に お い て も 同 様 で、 萱 ケ
い」と答えた。
い る 」、 二 十 九 パ ー セ ン ト の 人 が「 知 ら な
四 十 七 パ ー セ ン ト の 人 が「 名 前 は 知 っ て
パ ー セ ン ト の 人 が「 買 っ た こ と が あ る 」、
あ り、 あ ま り 消 費 者 の 購 買 意 欲 を 刺 激 し
他 の 野 菜 に 比 べ 高 価 で あ る 」 と 回 答 し た。
(二)心理的な難しさ
るが食べたことがない人もふくめると全
マ コ モ ダ ケ の 値 段( 二 個 入 り 一 パ ッ ク /
ないと考えられる。
体 の 約 八 割 に の ぼ っ た。 マ コ モ ダ ケ 自 体
24
を下げてしまっていると考えられる。
対 的 な 値 段 の 高 さ が、 消 費 者 の 購 買 意 欲
い た。 以 上 の 結 果 よ り、 マ コ モ ダ ケ の 相
値段に対しても高すぎるのではと答えて
調 理 法 を よ く 知 ら な い と 答 え、 ま た そ の
知 ら な か っ た。 他 の 女 性 も マ コ モ ダ ケ の
マコモダケがどんな野菜なのかまったく
マ コ モ ダ ケ を 買 っ た こ と が な く、 さ ら に
祭 で イ ン タ ビ ュ ー を し た、 主 婦 の 方 は、
て い る こ と か ら、 危 険 性 が な い 農 薬 を 開
の労働が農家にとって大きな負担になっ
い よ う に 手 入 れ す る 必 要 が あ る。 そ れ ら
る た め に 雑 草 を 手 作 業 で 抜 き、 虫 が 来 な
販 売 さ れ て い る。 し か し、 そ れ を 維 持 す
い た め、 マ コ モ ダ ケ は 無 農 薬 野 菜 と し て
あ る。 さ ら に、 化 学 薬 品 や 農 薬 を 使 わ な
ロ ボ ッ ト を 開 発 す る、 と い う ア イ デ ア で
手 作 業 で 行 う た め、 最 新 の 技 術 を 使 っ て
ム内における農家の方々のモチベーショ
ビ ュ ー で 彼 ら の 話 を 聞 き、 姫 雪 白 フ ァ ー
マ コ モ ダ ケ は む く 皮 が 多 す ぎ て、 食 べ る
者 か ら の 意 見 な ど で 見 受 け ら れ た の が、
一 方 で、 販 売 時 に も 困 難 が あ る。 消 費
発するという解決案を提案した。
ン の 違 い を 感 じ た。 フ ァ ー ム の リ ー ダ ー
実 が 少 な い と い う こ と だ っ た。 そ の 解 決
さらに農家の方々との交流やインタ
で あ る 加 藤 薫 さ ん は「 マ コ モ ダ ケ が 将 来、
萱ケ沢でのマコモダケ栽培の目に見えな
な モ チ ベ ー シ ョ ン や、 最 終 目 標 の 違 い も、
重 き を 置 い て い る よ う だ っ た。 こ の よ う
る 収 入 を 懸 念 し、 主 な 財 源 に す る こ と に
問題をどのように解決していくべきかを
で あ っ た。 中 間 発 表 会 で 私 た ち は、 こ の
難 で あ る。 そ れ は、 人 員 不 足 や 重 度 労 働
つ の 点 か ら 考 え た。 一 つ は、 物 理 的 な 困
私たちはマコモダケ栽培の難しさを二
たマコモダケを製造できないかと考えた。
こ と だ っ た。 そ の 対 策 と し て、 缶 に つ め
ダ ケ は 収 穫 か ら 四、五 日 で 味 が 落 ち る と の
つ が、 マ コ モ ダ ケ 農 家 に よ る と、 マ コ モ
は 常 温 で( 新 玉 ね ぎ 除 く ) 一 ケ 月 以 上 持
い う 短 所 も 議 論 に あ が っ た。 玉 ね ぎ な ど
ま た、 マ コ モ ダ ケ の 賞 味 期 限 が 短 い と
みのマコモダケの販売である。
策 と し て 私 た ち が 提 案 し た の は、 調 理 済
い 」 と 地 域 お こ し の 意 気 込 み を 語 っ た。
萱ケ沢地区を盛り上げる材料になればい
■ 考察
い心理的難しさをもたらしているであろ
考 え た 時、 次 の よ う な 解 決 策 を 出 し た。
一 方 で、 他 の 農 家 は マ コ モ ダ ケ 栽 培 に よ
う。
か に 問 題 解 決 に な る か も し れ な い が、 現
こ の 中 間 報 告 で 出 て き た 解 決 策 は、 確
を 利 用 し た り し て 若 者 の 興 味 を 寄 せ る。
実 的 で は な か っ た。 た と え ば、 マ コ モ ダ
人 員 不 足 に 対 し て は、 政 府 か ら の 補 助 金
ま た、 重 度 な 労 働 に 対 し て、 農 家 は 全 て
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
25
ケ 栽 培 へ の 補 助 金 は 米 の 栽 培 よ り 少 な く、
る た め、 国 際 教 養 大 学 の 施 設 を 使 用 し、
に よ る と、 八 割 を 超 え る 四 十 歳 以 下 の 若
い 世 代 の 人 が、 主 な 情 報 収 集 を テ レ ビ や
コ モ ダ ケ を 売 る と い う 案 に は、 調 理 を し、
減 ら す 結 果 に な っ て し ま う。 調 理 済 の マ
無農薬野菜としてのセールスポイントを
に も 予 算 が か か り、 さ ら に マ コ モ ダ ケ の
あ る。 ま た、 危 険 性 が な い 無 農 薬 の 開 発
う 案 も 同 様 に、 あ る 程 度 の 予 算 が 必 要 で
い。 次 に ロ ボ ッ ト な ど の 機 械 を 作 る と い
入 す る こ と の で き な い 学 生 に と っ て、 大
る。 こ れ は、 普 段 簡 単 に 新 鮮 な 野 菜 を 購
や、 萱 ケ 沢 で 収 穫 さ れ た 米 や 柿 を 販 売 す
くなったマコモダケをはじめとした野菜
マーケットなどで販売することができな
の方が本学に訪れ、規格外となりスーパー
学 の 学 生 会 館 で の 訪 問 販 売 で あ る。 農 家
一 つ 目 の 販 売 促 進 方 法 は、 国 際 教 養 大
の 土 地 の 美 し い 景 色 の 写 真 を そ え る な ど、
を利用し、地域の天気やイベント、
Twitter
名 産 品 に 関 す る 情 報 を 発 信 し て い る。 そ
ネ ッ ト、 と く に Twitter
の利用を提案し
た い。 日 本 全 国 の ご 当 地 キ ャ ラ ク タ ー は
テレビに報道されている。そこでインター
培 は、 す で に 何 度 も 地 元 新 聞 や ロ ー カ ル・
く わ え て、 萱 ケ 沢 に お け る マ コ モ ダ ケ 栽
本学の学生を対象に考えた。
缶 に 入 れ て 販 売 す る 際、 行 政 の 許 可 が 必
変 あ り が た い サ ー ビ ス で あ り、 農 家 の 方
使い方次第で宣伝効果はいくらでも増や
農家が十分に支援を受けることはできな
要 で あ る。 も ち ろ ん 費 用 に 問 題 も あ る が、
に と っ て も、 本 来 利 益 を 得 ら れ な い 収 穫
すことができる。
新 聞 で な く イ ン タ ー ネ ッ ト と 答 え て い る。
許可を得るという難題もある。
物から利益を得られる方法である。
マコモダケの宣伝方法に重点を置いて話
展 さ せ れ ば い い か と い う 考 え 方 に 変 え、
り 方 で、 ど う や っ て マ コ モ ダ ケ 栽 培 を 発
中 間 発 表 会 を 受 け て、 今 ま で の 農 業 の や
解 決 策 は 非 現 実 的 で あ る こ と に 気 付 い た。
認 可 と い う 制 限 を 何 度 も 感 じ、 私 た ち の
はじめとした萱ケ沢の魅力を若い世代に
泊 体 験 を 提 供 す る こ と で、 マ コ モ ダ ケ を
る。 萱 ケ 沢 の 農 家 の 方 が、 同 じ よ う に 民
他の地域で農家民泊体験も実施されてい
に、 様 々 な 催 し が 企 画 運 営 さ れ て い る。
本学では地域とのつながりを強めるため
体 験 プ ロ グ ラ ム を 提 供 す る 方 法 で あ る。
二 つ 目 に、 本 学 学 生 を 対 象 に 農 家 民 泊
私たちが考える萱ケ沢の将来的イメー
ケの知名度が促進することを願っている。
い 宣 伝 方 法 を 提 案 し、 萱 ケ 沢 と マ コ モ ダ
が で き る。 私 た ち は、 こ れ ら 三 つ の 新 し
コ ス ト が か か ら ず、 即 座 に は じ め る こ と
発 信 す る 方 法 を 提 案 し た い。 こ の 方 法 は、
を 利 用 し、 マ コ モ ダ ケ と 萱 ケ 沢 の 魅 力 を
示 さ れ て い る マ ス コ ッ ト・ キ ャ ラ ク タ ー
さ ら に、 マ コ モ ダ ケ の パ ッ ケ ー ジ に 表
こ の よ う に 調 査 を 通 し て、 予 算 と 行 政
し合いを進めた。
広 め る こ と が で き、 大 変 効 果 的 で あ る と
ジ は、 全 国 の マ コ モ ダ ケ の 売 り 上 げ の う
三 つ 目 に 提 案 し た い 方 法 が、 イ ン タ ー
そ の た め に も、 ま ず、 マ コ モ ダ ケ の 産 地
考える。
より多くの人にマコモダケを購入して
ネ ッ ト の 積 極 的 な 宣 伝 利 用 で あ る。 経 済
に住む身近な人たちがその良さを知るこ
■ おわりに:結論と提案
も ら う た め の 宣 伝 方 法 と し て、 三 つ の 案
広報センターが二〇一三年に行った調査
ち、 五 割 を 萱 ケ 沢 で 占 め る と い う も の だ。
を 考 え た。 よ り 実 現 可 能 な 方 法 を 提 案 す
26
とを目標にするべきだと考える。
今後、萱ケ沢は知名度を上げるため、地
域内での交流会などでマコモダケのPR
を 行 い、 萱 ケ 沢 住 民 に 愛 さ れ る 野 菜 を 目
指 し て い く べ き で あ る。 萱 ケ 沢 の 人 間 が、
他の地域の人に村の特産物としてマコモ
ダ ケ を 積 極 的 に 紹 介 す る こ と で、 宣 伝 効
果 も あ が る だ ろ う。 そ の 効 果 は 最 終 的 に、
秋田県内そして県外にもつながると考え
る。 地 区 全 体 の 協 力 体 制 が、 マ コ モ ダ ケ
販売の今後の展開を支えていくであろう。
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
27
グループ3
萱ケ沢地区でのマ コ モ ダ ケ 栽 培 :
現状と将来の展望
作成者:小野初実・小堺なお
藤田崇弘・マフシン マルディア
は、 本 業 の か た わ ら、 農 業 を 行 っ て い る。
秋 田 の 主 な 農 作 物 は 米 だ が、 萱 ケ 沢 の 方
た ち は、 米 に 加 え て、 代 替 農 作 物 と し て
マ コ モ ダ ケ 栽 培 を 行 っ て い る。 マ コ モ は
最大二年間生育するイネ科の多年生植物
である。
私 た ち の グ ル ー プ は、 な ぜ 萱 ケ 沢 の 人 び
と が 数 あ る 農 作 物 の 中 か ら、 マ コ モ を 転 作
一 二 〇 〇 年 ほ ど の 歴 史 を も つ。 市 街 地 か ら
萱 ケ 沢 地 区 は 秋 田 県 県 央 に 位 置 し、
重 要 な デ ー タ を 多 く 得 る こ と が で き た。 そ
進 め て い く 過 程 で、 こ れ と は 異 な る、 よ り
と し て 選 ん だ。 し か し、 こ の 課 題 で 調 査 を
作 物 と し て 選 ん だ の か を、 最 初 の 調 査 課 題
は 離 れ、 緑 に 囲 ま れ た 静 か な 地 区 で あ る。
こ で 調 査 課 題 を、 マ コ モ ダ ケ を 有 名 に す る
■ はじめに
地区内には歴史を感じさせる神社や寺があ
た め に 何 が で き る か と い う、 当 初 よ り も よ
の知名度を上げていくための方法について
提案していく。
この課題は、萱ケ沢に住む方々の現状や、
り、 田 畑 に 囲 ま れ る よ う に 民 家 が ま ば ら に
ら も 児 童 が 通 う、 こ の 地 域 唯 一 の 大 正 寺 小
将 来 の マ コ モ ダ ケ 栽 培 の 展 望 を 図 る 上 で、
り 詳 細 な も の へ と、 変 更 す る こ と に 決 定 し
学校は、全児童数が二十名を下回ったため、
非 常 に 重 要 で あ る。 ま た、 こ の 課 題 に つ い
私たちのグループはフィールドワークと
広 が っ て い る。 し か し 少 子 化、 高 齢 化 が 人
二 〇 一 五 年 度 を も っ て 閉 校 す る 予 定 だ。 児
て 追 求 し て 生 ま れ る 解 決 策 や 提 案 は、 萱 ケ
ア ン ケ ー ト を 通 し て デ ー タ を 収 集 し た。 こ
た。
童 た ち は 統 合 先 の 小 学 校 に、 い じ め 等 の 不
沢でのマコモダケ栽培を今後も発展させて
の 方 法 が 最 も デ ー タ を 収 集 し や す く、 回 答
口 減 少 に 拍 車 を か け て お り、 周 辺 の 地 区 か
安 を 感 じ る 一 方、 人 数 が 増 え る こ と が 楽 し
いくうえで大切な鍵になっていくと考えら
を集めやすい方法であると考えたためで
く、 農 業 の 先 行 き が 危 ぶ ま れ て い る。 さ
モ ダ ケ に つ い て の デ ー タ、 ま た そ の デ ー タ
こ こ で は、 調 査 の 方 法 や、 収 集 し た マ コ
フ ァ ー ム の 農 家 の 方 々 向 け に、 二 つ 目 は 萱
と イ ン タ ビ ュ ー を 行 っ た。 一 つ 目 は 姫 雪 白
あ る。 私 た ち は 主 に 三 種 類 の ア ン ケ ー ト
■ 調査方法とその結果
みでもあるという。
れる。
ら に、 萱 ケ 沢 住 民 の 主 な 収 入 源 は 農 業 で
収 集 に 基 づ い た 分 析、 さ ら に は マ コ モ ダ ケ
住 民 は、 兼 業 農 家 よ り 専 業 農 家 が 少 な
は な い。 農 業 を 行 っ て い る 方 た ち の 多 く
28
ページにまとめて記載している。
のアンケートの質問と結果は最後の参照
童 向 け の ア ン ケ ー ト を 用 意 し た。 そ れ ぞ れ
い 方 々 向 け に、 三 つ 目 は 大 正 寺 小 学 校 の 児
ケ沢住民かつ姫雪白ファームの農家ではな
ダケを有名にするという栽培当初の目標に
い た。 姫 雪 白 フ ァ ー ム の 方 た ち の、 マ コ モ
モダケは秋田県内で知名度が低いと思って
し、 萱 ケ 沢 地 区 の 方 々 の ほ と ん ど が、 マ コ
萱 ケ 沢 内 で は 有 名 な こ と が 分 か っ た。 し か
反 し、 萱 ケ 沢 の 外 で は マ コ モ ダ ケ の 知 名 度
ア ン ケ ー ト 調 査 の 結 果 か ら、 姫 雪 白 フ ァ ー
に 大 変 高 い モ チ ベ ー シ ョ ン を 示 し て い た。
に 興 味 が あ り、 上 記 の 目 標 を 達 成 す る こ と
とマコモダケを萱ケ沢の特産品にすること
か っ た。 ま た、 萱 ケ 沢 の 方 た ち は、 も と も
マコモダケ栽培を始めたということが分
方 々 は、 萱 ケ 沢 で 地 域 の 絆 を 強 め る た め に
ト結果(回答数五名)
ア ン ケ ー ト 結 果 か ら、 姫 雪 白 フ ァ ー ム の
い た。 つ ま り、 マ コ モ ダ ケ の 知 名 度 は 地 域
数近くがマコモダケを知らないと回答して
寺 小 学 校 の 児 童 で さ え、 ア ン ケ ー ト で は 半
が 分 か っ た。 萱 ケ 沢 に 近 い 場 所 に あ る 大 正
る の は、 あ ま り に も 早 計 で あ る と い う こ と
ら、 マ コ モ ダ ケ が 萱 ケ 沢 で 有 名 だ と 言 い 切
小学生を対象にしたアンケートの結果か
けのアンケート結果(回答数二十一名)
( 三 ) 大 正 寺 小 学 校 の 児 童 四、五、六 年 生 向
が低いことが分かった。
ム の 方 々 が、 マ コ モ ダ ケ 栽 培 を 継 続 し て
の間でも未だに低い可能性があると言え
(一)姫雪白ファーム会員に行ったアンケー
い く こ と に 関 し て、 非 常 に 積 極 的 な 姿 勢 を
る。 し か し、 私 た ち は、 萱 ケ 沢 の 方 々 は そ
教養大学でできる提案をあげていく。
の方たちに対する提案と私たち学生が国際
以 下 で は、 そ れ を 達 成 す る た め に 萱 ケ 沢
ことができると考えた。
の努力次第でマコモダケの知名度を上げる
持っていることを理解できた。
次 の ア ン ケ ー ト は、 姫 雪 白 フ ァ ー ム の 活
動 が、 萱 ケ 沢 の 住 人 た ち に ど う 映 っ て い る
かを示している。
(二)萱ケ沢の方々(姫雪白ファーム会員を
除く)のアンケート結果(回答数十二名)
ア ン ケ ー ト の 結 果 か ら、 マ コ モ ダ ケ は
■ 調査結果を受けて考えたこと
姫 雪 白 フ ァ ー ム の 農 家 の 方 々 は、 マ コ モ
ダケが萱ケ沢の特産品になり得ると考えて
い る 一 方 で、 萱 ケ 沢 か ら マ コ モ ダ ケ の 情 報
を発信するための方法には自信がないよう
で あ っ た。 た し か に、 イ ン タ ビ ュ ー 調 査 を
通 じ て 感 じ た が、 市 街 地 か ら 離 れ た 萱 ケ 沢
に お い て、 た っ た 六 人 で 宣 伝 す る こ と は、
非 常 に 困 難 だ と 思 わ れ る。 そ こ で、 調 査 で
分 か っ た 宣 伝 の 難 し さ に 着 目 し、「 ど の よ
うに秋田県全体でマコモダケの知名度を向
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
29
る。 ま た 国 際 教 養 大 学 と 協 力 し て、 大 学 で
うきっかけになると考える。
現状について多くの人に興味をもってもら
よ っ て、 秋 田 県 の 農 業、 と り わ け 萱 ケ 沢 の
国際教養大学が今後の交流を通じて実行で
の マ コ モ ダ ケ の 直 売 を 行 う と い う の も、 直
消費者を獲得できるという効果も期待でき
き そ う な、 マ コ モ ダ ケ の 宣 伝 方 法 を 提 案 す
売所普及の第一歩となるかもしれない。
上 さ せ る か 」、 を 調 査 課 題 と し、 萱 ケ 沢 と
る。 そ れ は、 マ コ モ ダ ケ を 用 い た 農 家 レ ス
舞 っ て い る。 糸 魚 川 市 の 成 功 を 参 考 に、 萱
る 地 元 で と れ た ぜ ん ま い を 調 理 し、 振 る
保 し 行 政 か ら の 補 助 金 を 得 て、 特 産 品 で あ
つ か の 地 域 か ら、 住 民 が 集 ま り、 人 数 を 確
の 農 家 レ ス ト ラ ン は、 糸 魚 川 市 に あ る い く
ひ だ ま り 」 の 例 か ら 学 ぶ こ と が で き る。 こ
県 糸 魚 川 市 の レ ス ト ラ ン「 農 家 レ ス ト ラ ン
一 つ 目 の 農 家 レ ス ト ラ ン の 経 営 は、 新 潟
募集するという四点だ。
て 学 べ る 授 業 を 開 講 し、 学 生 ア ル バ イ ト も
の 協 力、 そ し て 国 際 教 養 大 学 で 農 学 に つ い
ト ラ ン の 開 店、 直 売 所 の 展 開、 大 学 研 究 所
しくマコモダケについて知ってもらうこと
は り 科 学 的 な 信 憑 性 を 得 る こ と で、 よ り 詳
考 え た。 時 間 の か か る 作 業 で は あ る が、 や
に印象づけることができるのではないかと
う こ と で、 新 た な 効 能 な ど を 売 り に、 世 間
様に大学の研究所で科学的に分析してもら
な っ た の だ と い う。 そ こ で マ コ モ ダ ケ も 同
表したことで初めて馴染みのある野菜と
大 学 教 授 が 成 分 や 効 能 を 解 析 し、 論 文 を 発
時 期 有 名 に な っ た が、 こ の に ん に く は あ る
北海道の山奥に生息する行者にんにくが一
を う か が っ た 方 の 意 見 を 参 考 に し て い る。
三 つ 目 の 提 案 は、 萱 ケ 沢 文 化 祭 の 際 に 話
も調査テーマを変えた。
を 理 解 す る こ と が で き た。 そ の た め、 何 度
新 た な 面 を 見 つ け、 よ り 深 く 人 び と の 生 活
た。 萱 ケ 沢 を 訪 れ る 度 に、 私 た ち は 地 域 の
萱ケ沢についてより詳しく知ることができ
こ と か ら は じ ま っ た フ ィ ー ル ド ワ ー ク で、
か っ た。 し か し 地 域 の 地 理 的 特 徴 を 調 べ る
知 ら ず、 マ コ モ ダ ケ に つ い て も 何 も 知 ら な
バー全員が地方の農村生活や農業の実態を
萱 ケ 沢 を 訪 問 す る 前、 グ ル ー プ の メ ン
■ おわりに
ケ 沢 で も マ コ モ ダ ケ を 調 理 し、 農 家 レ ス ト
ができるだろう。
ま ず は、 直 売 所 を 設 け る こ と で、 少 し で も
辺 で も あ ま り 高 く な い こ と を 考 慮 す る と、
き る。 ま だ マ コ モ ダ ケ の 知 名 度 が 萱 ケ 沢 周
を利用することで安く野菜を買うことがで
二 つ 目 に、 農 家 の 集 ま る 地 域 で は 直 売 所
の学生が労働力を提供することも可能だろ
か も し れ な い。 ま た 反 対 に、 国 際 教 養 大 学
び、 県 内 各 地 か ら 注 目 を 浴 び る こ と も あ る
プロジェクトとして行うことで話題性を呼
と い う も の だ。 地 域 と 大 学 と の 結 び つ き を
開 講 し、 秋 田 県 の 農 業 に つ い て 学 生 が 学 ぶ
四 つ 目 は、 国 際 教 養 大 学 に 農 学 の 授 業 を
で 使 わ れ て い な い 土 地 を、 転 作 作 物 の た め
一 様 の も の を 持 っ て い た。 そ れ は、 萱 ケ 沢
の 方 々 は、 マ コ モ ダ ケ を 育 て る 理 由 と し て
フ ィ ー ル ド ワ ー ク の 結 果、 姫 雪 白 フ ァ ー ム
テ ー マ は あ ま り 広 が り が な い と 気 づ い た。
し、 フ ィ ー ル ド ワ ー ク を へ て、 こ の 調 査
転 作 作 物 と し て 選 ん だ の か 」 だ っ た。 し か
と が 数 あ る 農 作 物 の 中 か ら、 マ コ モ ダ ケ を
し た 最 初 の テ ー マ は、「 な ぜ 萱 ケ 沢 の 人 び
萱ケ沢についての知識がないままで設定
ラ ン と い う 形 で、 マ コ モ ダ ケ の 知 名 度 の 向
馴染みやすくできるのではないかと考え
う。 い ず れ に せ よ、 長 期 的 な 関 係 づ く り に
上に結びつけられないだろうか。
た。 よ り 広 く 展 開 す る こ と で、 よ り 多 く の
30
の 土 地 と し て 活 用 す る た め に、 そ こ に 適 し
た 作 物 を 育 て た い と い う こ と で あ っ た。 ま
た、 彼 ら は、 マ コ モ ダ ケ を 有 名 な も の に し
た い と い う 思 い も 持 っ て い た。 こ の こ と か
ら、 調 査 テ ー マ を 変 え、 住 民 を 助 け る た め
に何ができるかということを考えるように
なった。
マ コ モ ダ ケ 生 産 者 た ち は、 秋 田 県 の な か
でマコモダケを宣伝するのに苦労していた
た め、 私 た ち の グ ル ー プ は、 マ コ モ ダ ケ、
そして萱ケ沢を有名にできるような四つの
提 案 を 行 っ た。 具 体 的 に は、 マ コ モ ダ ケ を
使 っ た 料 理 を 提 供 す る レ ス ト ラ ン の 開 店、
研 究 所 に 持 ち こ む こ と、 マ コ モ ダ ケ が 出 回
る 市 場 を 拡 大 す る こ と、 そ し て 国 際 教 養 大
学の学生を雇うことである。
国際教養大学の学生と萱ケ沢の住民の交
流 は、 ど ち ら に も 良 い 影 響 を 与 え る と 私 た
ち は 信 じ て い る。 ま た 状 況 が 類 似 し て い た
行 者 に ん に く 販 売 や 糸 魚 川 市 で の 成 功 は、
どちらもたくさんの人びとの長い交流によ
り 実 現 し て い る。 マ コ モ ダ ケ を 有 名 に す
る た め に、 そ し て 国 際 教 養 大 学 の 学 生 に さ
らに地方の農村の現状を知ってもらうため
に、 今 回 築 い た 萱 ケ 沢 と 大 学 の 関 係 が 絶 え
ることなく続くことを願っている。
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
31
グループ3 アンケート結果
①姫雪白ファーム組会員に行ったアンケート結果(回答数 5 名)
質問
マコモダケ栽培をはじめた元々の理由 は
回答

萱ケ沢地区の方たちと何か共有できる
ものが欲しかったから。
何ですか。

萱ケ沢地区の特産品を作るため。

減反政策に対抗する転作作物として栽
培を始めた。
マコモダケ栽培を始める前からマコモ ダ
はい 1 名(インターネットで見た)
、
ケをご存知でしたか。
いいえ4名
マコモダケ栽培を続ける目的は何ですか。

萱ケ沢地区の特産品を作るため。

悪条件の土地(日照が少ない、水はけ
が悪い等)でも生育でき、便利だから。

萱ケ沢地区の住民の間でマコモダケ収
穫の喜びを分かち合うため。
マコモダケ栽培は将来的に成功すると 思
はい 5 名
いますか。
マコモダケ栽培の後継者はいますか。
はい 1 名、いいえ 4 名
なぜ他の作物でなくマコモダケを転作 作

萱ケ沢の土地に適している。
物として選びましたか。

悪条件の土地にもマコモダケは生育可
能であり、便利だから。
マコモダケ栽培を続けていくことが萱 ケ
はい 4 名、いいえ 1 名
沢の今後のために最も適していると思いま
すか。
マコモダケ栽培を続けていくモチベー シ

マコモダケの知名度を上げるため。
ョンはなんですか。

地域の絆を強めるため。

目標を追求するため。
32
萱ケ沢住民(姫雪白ファーム組会員を く)に行ったアンケート結果(回答数 12 名)
質問
回答
萱ケ沢地区の方たちがマコモダケ栽培を始める前にマ
はい 4 名、いいえ 8 名
コモダケのことを知っていましたか。
マコモダケのことを知っていますか。
今までにマコモダケを
たことがありますか。
はい 12 名、いいえ 0 名
はい 10 名、いいえ 1 名、
回答 1 名
では、マコモダケの知名度が
いと思います
か。
はい 1 名、いいえ 10 名、
回答 1 名
マコモダケ栽培を継続することで萱ケ沢も有名にする
はい 11 名、いいえ 1 名
ことができると思いますか。
マコモダケ栽培は将来的に成功すると思いますか。
はい 10 名、いいえ 1 名、
分からない 1 名
の
4、5、6
生 けのアンケート結果(回答数 21 名)
質問
回答
姫雪白ファームの方々がマコモダケを栽培する前からマコ
はい 5 名、いいえ 16 名
モダケをご存知でしたか。
姫雪白ファームの方々がマコモダケを栽培しているのをご
はい 12 名、いいえ 9 名
存知ですか。
今
マコモダケをご存知ですか。
今までにマコモダケを
の
はい 11 名、いいえ 10 名
たことがありますか。
うにマコモダケを
ますか。
のくらいの 度でマコモダケを
きマコモダケ
マコモダケの
ますか。
マコモダケは きですか。
33
はい 7 名、いいえ 4 名
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
1日1回 1名
1
間に 回 1 名
1
に1回 3名
はい 6 名
【成果報告会の学生の発表資料】
グループ 1
萱ヶ沢における地域社会
としての在り方
アレン ロニス
早川 響
石上 理沙
森島 夢実
1
調査概要
10月10日
(金)
萱ケ沢マコモダケ圃場視察
インタビュー
10月18(土)
19日(日)
マコモダケ収穫、包装、販売、
インタビュー
11月7日(金)
大正寺小学校に通う小学生との交流、
プレゼンテーション
11月9日(日)
萱ケ沢文化祭への参加
2
34
ンケー
調査
:
4
5
ンケー
●
の
の
、萱ケ沢の
●
文化祭に参加
と
● 大正寺小学校の
小学校への
の
の
の 化
と
●
の萱ケ沢の
の
に
、
に
、
、
3
の
に
月に
の
…
…1
…
4
35
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
文化祭に参加
100%
マコモダケ
への
の
萱ケ沢の
の
の
と
萱ケ沢の
と
5
大正寺小学校の
校
小学校への
の
の
の
校
うの
生
、
の生
の
化
う
6
36
の萱
●
沢
し
して
る
にし
て
●
の
る
り
●
る
に
の
地域に
の
と
けて
7
と
●
地域の
りの
に
して
る
●
り
● 萱ヶ沢の
の
に
と地域の
る
地域の
との
る
りの
る
8
37
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
地域
6
9
地域
ン
ン
ン
10
38
グループ 2
まこも ⼤好き!
マコモダケプレゼンテーション
Group 2
Hilmi, Akari, Tomoyo and
Mayu
1
研究テーマ
「マコモダケ栽培の
難しさとはなにか」
栽培に伴う困難を実質的・精神的側面に
分類して分析をする。
2
39
2. 地域を調べる 学生のグループ学習



ー


40
Time
Consuming
Expensive
Lack of
Popularity
Time
Consuming
Can only be harvested once a year
3 full-time farmers
3 part-time farmers
Can only be harvested manually
No Pesticides
Weed killing takes time
41
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
INTERVIEW
One man (Villager, 25):
He said that makomo itself is expensive but it is
worth it
Expensive
Parents:
They said that makomo is expensive compared to
other vegetables like broccoli and the portions
are small
Lack of
knowledge
Woman and 2 daughters:
They don’t know how makomo
vegetable looks like
ABOUT MAKOMO
Lack of
Popularity
Have bought it
Hard to
Cook
People in market:
They don’t know how to cook
makomo
Have eaten it
know it
never heard of it
29%
18%
6%
Short
Preservatives
Rarely sold in supermarket
47%
42
マコモダケ栽培に
る
9
• 市場祭り・萱ケ沢文化祭でのインタビューの結果・・・
消費者はマコモダケの値段を高いと感じている
(何故マコモダケが高価格になってしまうのかを
セールスポイントとして生かし切れていないのでは;
無農薬・全過程を人の手によって栽培など)
10
43
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
•
•
•
はど に るのか
か 萱ケ沢
にか る
の
り
を
か
るう で
の
は
切
11
12
44
人
などで
者を
な
全て手
トなど
無農薬
がない無農薬
が
の手を
う
13
い
のま
が
に
れて
を
る
い
を
る
14
45
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
1
1
46
1
1
47
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
2
2
2
2
2 1
1
2 1
1
2
48
21
49
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
グループ 3
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2. 地域を調べる 学生のグループ学習
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A_€e]>rjpw` • 
52
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`m` • 
マコモダケの知名度を上げたい!
∼萱ケ沢地区にできること∼
53
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
マコモダケの知名度を上げたい!
M“‰‹‘” 2 OvV•=# @B#u$nNz ∼萱ケ沢地区にできること∼
新潟県糸魚川市
少子高齢化
生活の質低下
住民生活の質を向上
させたい!
「ぜんまい」を用いた
レストランの運営
54
2 55
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
直売所・道の駅との提携
道の駅と提携しマコモダケを販売
青果市場に加え大学やスーパーで
直売
56
•  25年の研究
•  全ての効能の解析
行者にんにく
•  美味しい食べ方の解析
•  行者にんにくブーム
西村弘行氏
(北海道大学農学博士)
(北海道東海大学学長)
•  『「行者ニンニク」の凄い薬
効-北海道の大地で驚異の発
見』
•  『ギョウジャニンニクと北の健
康野草 : 驚異の薬効とその秘
密』
など
57
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
研究所に持ち込む
成分・効能の解析
美味しい食べ方の考案
マコモダケブーム
<3‚P"k€m{v,6Z
ŸS)Urk€Ÿ
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•  3,NA9\-*BZ
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59
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
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60
61
2. 地域を調べる 学生のグループ学習
3 .
地域づくりの現場から 地域協力者の声
62
を 客 観 的 に 調 査 し て 頂 き ま し た。 こ の 地
強 し て 頂 き、 ま た レ ポ ー ト を 作 成 し 地 域
学生の皆さんが萱ケ沢を色々と鋭く勉
萱ケ沢自治会長
農事組合法人姫雪 白 フ ァ ー ム 代 表
加藤薫さん
あろう。
得ることのできる未知の体験は刺激的で
頭 で 理 解 で き る か も 知 れ な い が、 五 感 で
感 受 性 の 強 い 若 者 が、 情 報 社 会 の 中 で
京極進さん
の 住 民 は 活 力 を 高 め る 機 会 と し、 学 生 は
地域環境論を体感できる場として活動で
きることを望みます。
秋田市立大正寺小学校校長
大友智加司さん
マ コ モ ダ ケ の 収 穫 や 袋 詰 め、 さ ら に 直
萱ケ沢自治公民館主事
域 は 中 山 間 地 帯 で、 昔 は 出 稼 ぎ の 多 い 地
域 で し た。 秋 田 市 を 経 済 圏 通 勤 の 場 所 と
大 学 を 目 指 し て 集 ま っ て き て い ま す。「 ど
全 国 各 地 か ら、 そ し て、 世 界 か ら、 高
疲弊していく山村集落が今後持続でき
う し て 秋 田 に 来 た ん だ ろ う 」、「 将 来 は 何
売 な ど は す べ て 初 体 験 で、 戸 惑 い な が ら
は 期 待 で き な か っ た。 何 か 新 し い 品 目 を
るか岐路に立たされている現状に足を運
を 目 指 し て い る ん だ ろ う 」。 そ ん な 疑 問 を
し な が ら、 農 業 を 米 に 大 き く 依 存 し 減 反
と 考 え た の が、 マ コ モ ダ ケ で し た。 悪 条
び、 そ の 歴 史 や 生 活 を 自 分 の 目 で 確 認 し、
も っ た 本 校 四、五、六 年 生 と 大 学 生 と の 交
い志をもった若者が秋田にある国際教養
件 で も 栽 培 が 可 能、 そ し て ま だ 普 及 さ れ
学ぼうとする学生の意欲をひしひしと感
流 会 が 行 わ れ ま し た。 大 学 生 と の 交 流 を
も意欲的に取組む姿が印象的であった。
て い な い。 五 年 間 栽 培 し て 色 々 な 問 題 点
じた。
で も 他 の 野 菜 等 も 栽 培 し た が、 良 い 成 果
と 直 面 し な が ら も、 今 後 萱 ケ 沢 の 特 産 品
り、 地 域 の 活 性 化 を 考 え て 行 き た い。 学
培 を 共 有 し な が ら、 新 た な 交 流 の 場 を 作
教養大の学生の皆さんとマコモダケ栽
て も 貴 重 に 感 じ た。 短 期 間 で 地 域 の 内 情
吸収し合うなど相互補完できる機会はと
少 な く な い が、 お 互 い な い も の を 発 信 し
活 す る 地 域 住 民 の 感 覚、 意 識 の 隔 た り は
ら し い 大 学 が、 自 分 た ち の 住 ん で い る 雄
し て 何 よ り も、 そ ん な 人 た ち が 学 ぶ 素 晴
あ こ が れ を も っ た 子 ど も も い ま し た。 そ
自 分 の 考 え を 生 き 生 き と 話 す 大 学 生 に、
来 の 夢 に つ い て 考 え る こ と が で き ま し た。
通 し て、 子 ど も た ち は、 自 分 の 目 標 や 将
生の皆さんとマコモダケを通して交流で
を 把 握 す る こ と は 表 面 的 に な り や す い が、
和にあることに誇りを感じていました。
一 方、 学 ぶ 場 所 と す る 学 生 と そ こ で 生
き ま し た 事 を、 住 民 の 一 人 と し て 大 変 に
学 生 の 客 観 的 な 視 点 は、 地 域 住 民 に と っ
として発信できればと考えています。
嬉しく感謝申し上げます。
ギーを与えてくださった国際教養大学椙
子どもたちにたくさんの刺激とエネル
今 後 は、 こ の 集 落 で の 部 分 的 な 生 活 体
本 先 生 は じ め 学 生 の み な さ ん、 本 当 に あ
て新たな気づきを感じさせてくれた。
験 や 地 域 と の 交 流 事 業 等 を 通 し て、 地 域
3. 地域づくりの現場から 地域協力者の声
63
り が と う ご ざ い ま し た。 国 際 教 養 大 学 の
みなさんのますますのご活躍をお祈り申
し上げます。
【掲載記事の内容】
J A新あきた広報誌 いぶき
十二月号 Vol.189 六頁より抜粋
「国際教養大学の学生と交流を深め
マコモダケを一緒にPR」
国際教養大学の学生が十月十八日
( 土 )、 大 正 寺 地 区 の 農 事 組 合 法 人 姫
の 出 身 地 は、 四 十 七 都 道 府 県 の う ち
学 さ せ て い た だ き ま し た。「 大 学 生
い ま し た。 ま た、 大 学 の 施 設 も 見
来の夢などについてのお話をうかが
大 学 生 か ら は、 学 校 生 活 の 様 子 や 将
歴史、行事等について紹介しました。
本 校 の 子 ど も た ち は、 地 域 や 学 校 の
る 大 学 生 と 交 流 学 習 を 行 い ま し た。
四~六年生二十二名が国際教養大
学 を 訪 問 し、 地 域 環 境 論 を 学 ん で い
へマコモダケをPRしました。
と 学 生、J A の 担 当 者 が 共 に 来 場 者
ケ の 試 食 販 売 会 が 実 施 さ れ、 生 産 者
翌 日 十 九 日( 日 ) に 開 催 さ れ た 秋
田 市 卸 売 市 場 ま つ り で は、 マ コ モ ダ
れていました。
コモダケの収穫方法を丁寧に教えら
フ ァ ー ム の 方 々 が 鎌 を 使 用 し て、 マ
収 穫 を 体 験 し ま し た。( 農 ) 姫 雪 白
栽培から販売までの過程を学ぼうと
雪白ファームがマコモダケを栽培し
秋田市立大正寺小学校 校報ふるさと
四十六」という話題に子どもたちは
二六三号より抜粋
び っ く り。 さ す が 全 国 か ら 注 目 さ れ
交流した同ファームの加藤薫代表
は「 高 齢 化 が 進 み 耕 作 放 棄 地 が 増 加
ている圃場を訪れました。
て い る 大 学 で す。 お 互 い の 質 疑 応 答
す る こ の 地 で、 地 域 を み ん な で 力 を
「 国 際 教 養 大 学 と の 交 流 学 習 十 一
や 感 想 発 表 で は、 時 間 が 足 り な く な
合わせて元気に盛り上げていきた
六 次 産 業 化 の 授 業 の 一 環 と し て、
マ コ モ ダ ケ に 興 味 を 持 っ た 学 生 が、
る ほ ど 盛 り 上 が り ま し た。 子 ど も た
い」と話をしてくれました。
月七日(金)」
ち に と っ て、 将 来 の 自 分 を 考 え る 上
でとても貴重な経験になりました。
64
65
3. 地域づくりの現場から 地域協力者の声
4 .
マコモダケに魅せられて 椙本歩美
教員の回想
どうして君は他人の報告を信じるばかりで
自分の眼で観察したり見たりしないのですか。
ガリレオ・ガリレイ 一九五九『天文対話』
(上)岩波文庫
撮影:宮沢輝夫氏
66
この報告書を手に取って下さった方の
のです。
解決型学習)の成果と課題をより多面的
マコモダケを知らなかった私たちに
の活動記録といえます。
の不思議な魅力に引き寄せられた人たち
に な り ま す。 こ の 報 告 書 は、 マ コ モ ダ ケ
な い、 ほ の か な 甘 み と 食 感 が あ り、 ク セ
す。 食 べ て み る と、 他 の 野 菜 で は 味 わ え
メ ー ジ し そ う で す が、 外 見 は 筍 の よ う で
ダ ケ を 知 り ま し た。 名 前 か ら 菌 茸 類 を イ
生 も 教 員 も、 授 業 を 通 し て 初 め て マ コ モ
ど の く ら い い る の で し ょ う か。 実 は、 学
魅 力 と 書 き ま し た が、 学 生 と 教 員 が 最 も
り ま し た。 先 に、 マ コ モ ダ ケ の 不 思 議 な
こ の 挑 戦 が、 大 学 と 地 域 の 連 携 に つ な が
加 工 や 販 売 に 挑 戦 し て き ま し た。 今 回 は、
す。組合員は、転作作物を定着させようと、
事 業 と し て、 マ コ モ ダ ケ を 栽 培 し て い ま
沢 の 姫 雪 白 フ ァ ー ム も、 耕 作 放 棄 地 対 策
教 育 に 取 り 組 む 自 治 体 も あ り ま す。 萱 ケ
コ モ ダ ケ を 利 用 し て、 地 域 づ く り や 環 境
境 保 全 で も 注 目 さ れ て い ま す。 さ ら に マ
マ コ モ ダ ケ は 近 年、 耕 作 放 棄 地 対 策 や 環
度 に、 デ ー タ も 関 心 も 広 が り ま す。 そ れ
も あ り ま す。 フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 重 ね る
で問いを立てることと格闘したグループ
表 会 が 終 わ っ て も 明 確 化 で き ず、 最 後 ま
設 定 に 多 く の 時 間 を 要 し ま し た。 中 間 発
二 つ の グ ル ー プ が、 調 査 課 題( 問 い ) の
学 生 は 何 を 学 ん だ の で し ょ う か。 今 回、
域 社 会 の 持 続 性 」 と い う 学 習 テ ー マ か ら、
「マコモダケの六次産業化を通した地
に検討したいと思います。
と っ て は 不 思 議 な 野 菜 で す が、 実 は 日 本
惹 き つ け ら れ た の は、 マ コ モ ダ ケ 栽 培 に
こ そ が フ ィ ー ル ド ワ ー ク の 醍 醐 味 で す が、
日 本 人 と 長 い 関 係 を 持 つ マ コ モ で す が、
人 と の 関 わ り は 非 常 に 古 い の で す。 マ コ
試 行 錯 誤 す る 組 合 員 と、 そ れ を 見 守 る 地
新 た な デ ー タ や 関 心 に 圧 倒 さ れ、 か え っ
な か で、 マ コ モ ダ ケ を 知 っ て い た 方 は、
モ ダ ケ は、 イ ネ 科 マ コ モ 属 の 多 年 草 で あ
域住民の魅力でした。
問いを立てる難しさ
る マ コ モ の 根 元 に で き る、 肥 大 し た 茎 の
民 間 信 仰 や 伝 統 行 事 の な か で、 利 用 さ れ
メートルほどに達します。
( 中 村 二 〇 〇 〇 )。 河 川 や 湖 沼 に 群 落 を
つ く る こ と も あ り、 生 長 す る と 草 丈 が 二
か ら、 日 本 列 島 に 広 く 自 生 す る 植 物 で す
部 分 で す。 マ コ モ は 稲 作 が 渡 来 す る 以 前
た の で は な い か と、 教 員 は 感 じ て い ま す。
力ながら地域活動のサポートにつながっ
こ と は、 授 業 の 調 査 の 一 環 で し た が、 微
文化祭でのマコモピザづくりに参加した
生 が マ コ モ ダ ケ の 収 穫、 袋 詰 め、 販 売、
学 生 は 多 く の こ と を 学 べ ま す。 ま た、 学
社 会 や 地 域 環 境 の 複 雑 さ と 奥 深 さ な ど、
解 決 型 学 習 の テ ー マ に す る こ と で、 農 村
萱 ケ 沢 の マ コ モ ダ ケ 栽 培 事 業 を、 課 題
タ を 入 手 し、 分 析 し た の で す。 い か に シ
的 な 難 し さ と い う 二 つ の 側 面 か ら、 デ ー
い 問 い を 立 て、 物 理 的 な 難 し さ と、 心 理
事 業 の 難 し さ は 何 か、 と い う 分 か り や す
非 常 に シ ン プ ル で し た。 マ コ モ ダ ケ 栽 培
す ぐ に 決 め ら れ た グ ル ー プ の 問 い は、
ありません。
意 見 集 約 が 大 変 な こ と は、 想 像 に 難 し く
と も 常 で す。 さ ら に グ ル ー プ 学 習 ゆ え に、
て一つの問いを立てるのが難しくなるこ
て き ま し た。 た と え ば 出 雲 大 社 な ど で み
こ こ で は 授 業 を 振 り 返 り、 P B L( 課 題
マ コ モ は、 神 社 の 神 事 や 寺 院 の 仏 事、
ら れ る「 真 菰 ま
( こも の
) 神 事 」 は、 神 様
の通る道にマコモを撒いて道を清めるも
4. マコモダケに魅せられて 教員の回想
67
議 論、 提 案 の 一 貫 性 を、 意 識 し や す く す
ます。
う 点 に お い て、 効 果 が あ っ た よ う に 思 い
より深く理解する必要を学生に迫るとい
は、 研 究 の 根 幹 で す。 与 え ら れ た 課 題 や
る た め で し た。 フ ィ ー ル ド ワ ー ク で 得 た
由は、学生が、問い、方法、データ、分析、
問 い に 対 処 す る だ け で な く、 自 ら の 関 心
デ ー タ を 用 い て、 論 理 的 に 思 考 す る 力 を
ン プ ル で、 奥 行 き の あ る 問 い を 立 て る か
や 問 題 意 識 を 明 確 化 し、 問 い を 立 て る 力
高めて欲しかったのです。
適 度 な 声 か け と、 学 生 が 乗 り 越 え る 過 程
し さ を 痛 感 し た よ う で す。 そ し て 教 員 も、
に、 学 生 は 授 業 を 通 し て 問 い を 立 て る 難
ケ 沢 住 民 に と っ て、 技 術 や 予 算 の 面 で 受
と く に グ ル ー プ 2 の 解 決 策 に 対 し て、 萱
妥 当 性 に 関 わ る 質 問 が 多 く あ が り ま し た。
中 間 発 表 会 で は、 学 生 か ら、 解 決 策 の
能 力 に つ い て、 向 上 し た か 否 か を 五 段 階
れ は、 本 学 の 理 念 を ふ ま え た 二 十 項 目 の
つ い て、 学 生 が 自 己 評 価 を し ま し た。 こ
学生の自己評価
も 重 要 で す。 学 生 レ ポ ー ト に も あ る よ う
を見守るバランスの難しさを改めて感じ
入 れ 可 能 か ど う か が、 議 論 に な り ま し た。
で 評 価 す る も の で す。 左 図 の 通 り、 ほ ぼ
最 終 週、 授 業 を 通 し て 向 上 し た 能 力 に
ました。
質 問 が 多 く 出 て、 議 論 が 盛 り 上 が っ た の
分析力
は、 先 述 の よ う に、 問 い が 明 確 で、 発 表
ら だ と 思 い ま す。 他 方 で、 問 い 自 体 が 不
地域課題と解決策の見直し
課 題 文 献 を 読 み 進 み、 二 回 の フ ィ ー ル
明 確 だ と、 論 点 も 定 ま ら ず、 議 論 も 散 漫
内容について論点を提起しやすかったか
ド ワ ー ク を 終 え た 九 週 目 に、 中 間 発 表 会
になります。
非常に向上した
ある程度向上した
どちらともいえない
あまり向上しなかった
全く向上しなかった
5
4
3
2
1
学際的視点
知的好奇心
リーダーシップ力
異文化理解力
国際的な視点
を し ま し た。 こ れ は、 グ ル ー プ ご と に 調
成 果 発 表 会 で 提 案 し た 解 決 策 は、 中 間 発
グ ル ー プ 2 の レ ポ ー ト に あ る よ う に、
と の 質 疑 応 答 を 通 し て、 調 査 の 改 善 を 図
表 会 と 異 な り、 よ り 現 場 の 実 情 を 考 慮 し
図.学生の自己評価
出典.Student Self Evaluation より作成
自律学習
交渉力
決断力
組織化する力
論理的思考力
1
査 の 進 捗 状 況 を 発 表 し、 他 の 学 生 や 教 員
る も の で す。 発 表 は、 授 業 の 最 終 課 題 で
間 発 表 会 で の 議 論 を ふ ま え て、 最 終 的 な
た も の で し た。 ま た 他 の グ ル ー プ も、 中
い ま す。 質 疑 応 答 で は、 な ぜ そ の 問 い が
発 表 内 容 を 改 善 し て い ま し た。 そ れ で も
あるグループレポートの構成に沿って行
重 要 な の か、 デ ー タ を ふ ま え た 分 析 が で
地 域 協 力 者 の 声 に あ る よ う に、 学 生 の 解
決 策 と 住 民 の 視 点 に は、 距 離 が あ り ま す。
き て い る か、 分 析 結 果 と 問 い に 整 合 性 は
あ る か、 解 決 策 は 現 実 的 か、 な ど が 論 点
したがって授業で学生が何度も解決策を
見 直 し た こ と は、 少 な く と も 地 域 課 題 を
になりました。
レポートの構成に基づく発表にした理
調整力
問題解決力
批判的思考力
2
2
問題発見力
1
プレゼンテーション力
コミュニケーション力(話す)
コミュニケーション力(書く)
チームワーク力
調査する力
68
べ き だ と 考 え て い ま す。 ま た 学 習 テ ー マ
比 率 や 対 象 学 年 を 上 げ る こ と も、 検 討 す
学 生 は そ れ ぞ れ 個 性 が 異 な り ま す。 自
を 一 つ に 絞 っ た 後 に は、 よ り 直 接 関 係 す
した。
分 の 得 意 な 方 法 で、 グ ル ー プ 学 習 を 活 発
るような課題文献への見直しも考えてい
全 て の 項 目 で、 学 生 は 向 上 し た と 回 答 し
コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 力( 話 す )、 問 題 発 見
に で き た か が、 鍵 に な り ま す。 今 回、 グ
きたいです。
ています。とくに、異文化理解力、分析力、
力は、平均値四・三六以上でした。
ル ー プ に 一 名、 リ ー ダ ー を 置 き ま し た が、
て こ の 学 習 プ ロ セ ス 自 体 が 挑 戦 で あ り、
力 の 数 値 が 高 く な っ た の は、 学 生 に と っ
論 を 重 ね る 必 要 が あ り ま す。 異 文 化 理 解
合 い な が ら、 現 場 の 状 況 を ふ ま え て、 議
論 を 導 く た め に は、 考 え の 違 い を 尊 重 し
ま す。 グ ル ー プ で 一 つ の 問 い を 立 て、 結
だ け で な く、 学 生 と 住 民 の 関 係 も 含 ま れ
を 果 た す 重 要 性 な ど に つ い て、 今 後 の 授
リ ー ダ ー シ ッ プ の あ り 方 や、 個 々 の 役 割
る フ ォ ロ ワ ー の 役 割 も 必 要 で す。 多 様 な
ダ ー だ け で な く、 リ ー ダ ー を サ ポ ー ト す
ば見られました。グループ活動には、リー
作 業 を 分 担 し、 協 力 し 合 う 様 子 が し ば し
い う よ り も、 メ ン バ ー で な る べ く 均 等 に
一人が強いリーダーシップを発揮すると
りません。しかし今回、学生が地域に入り、
域課題の解決に直接結びつくわけではあ
と は 非 常 に 難 し く、 ま し て 学 習 成 果 が 地
学生が短期間で地域課題について学ぶこ
域 の 長 い 歴 史 や 人 間 関 係 を ふ ま え れ ば、
授 業 の 第 一 目 的 は 学 生 の 教 育 で す。 地
異 文 化 理 解 に は、 日 本 人 学 生 と 留 学 生
それゆえ自らを成長させたという実感が
業で説明したいと考えています。
他 方、 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 力( 書 く )
述があります。
く な っ た と、 自 ら の 変 化 を 見 い 出 し た 記
困 難 で あ っ た 故 に、 多 少 の こ と に 動 じ な
生 の 個 人 レ ポ ー ト に は、 こ の プ ロ セ ス が
価 が 下 が っ た こ と に な り ま す。 履 修 学 生
四 以 上 で し た の で、 今 回 は 総 じ て 自 己 評
し て い ま す。 春 学 期 は、 す べ て の 項 目 が
こ と、 ま た 教 員 の 授 業 改 善 を 目 的 に 実 施
ん。 学 生 自 身 が 学 び を 多 面 的 に 認 識 す る
学 生 の 自 己 評 価 は、 成 績 に は 含 み ま せ
す あ る 女 性 は、「 萱 ケ 沢 は 大 し た も の だ、
し た。 萱 ケ 沢 を 離 れ、 高 齢 者 施 設 で 暮 ら
紹 介 さ れ た こ と で、 多 く の 反 響 が あ り ま
た と え ば、 秋 田 魁 新 報 で 度 々、 授 業 が
影響を与える可能性があると感じました。
そ れ を 発 信 す る こ と が、 地 域 に 何 ら か の
地域連携の可能性
わ い た か ら で は な い で し ょ う か。 あ る 学
と リ ー ダ ー シ ッ プ 力 は、 平 均 三・八 一 と 最
元 気 を も ら っ た 」 と、 自 治 会 長 に 電 話 を
ら、「 大 学 を う ま く 使 っ て い る な 」、 と 言
の 構 成、 テ ー マ や 地 域 の 変 更 も あ っ た の
で す が 今 回 は、 留 学 生 が 少 な か っ た こ
わ れ た 方 は、「 ま っ た く そ ん な 気 は な か っ
も 低 い 数 値 に な り ま し た。 前 者 は、 そ の
後 者 に つ い て は、 回 答 に 個 人 差 が 見 ら れ
と、 日 本 人 学 生 が す べ て 二 年 生 だ っ た こ
た が、 な る ほ ど、 そ う い う 考 え も あ る の
く れ た そ う で す。 ま た、 他 地 域 の 住 民 か
ま す。 あ ま り 向 上 し な か っ た と 回 答 し た
と か ら、 P B L 特 有 の 議 論 や 調 査 が 難 し
か な 」 と 思 っ た そ う で す。 地 域 に と っ て、
で、単純に比較はできません。
学 生 二 名 に 対 し て、 非 常 に 向 上 し た 学 生
か っ た の だ ろ う と 感 じ て い ま す。 留 学 生
機 会 が あ ま り な か っ た か ら と 推 察 し ま す。
が 三 名、 あ る 程 度 向 上 し た 学 生 が 六 名 で
4. マコモダケに魅せられて 教員の回想
69
こ の よ う に 大 学 と 地 域 の 連 携 が、 住 民 の
域 か ら、 交 流 事 業 の 要 望 が あ り ま し た。
関 心 も 高 ま っ た そ う で す。 教 員 に も 他 地
る 中 型 バ ス が 地 区 に あ る だ け で、 住 民 の
か け に な っ た よ う で す。 そ し て 学 生 が 乗
ま す。 国 際 教 養 大 学 と 萱 ケ 沢 地 区 だ か ら
萱ケ沢の地域課題に取り組みたいと思い
プ 編 成 で、 よ り 深 く、 よ り 多 様 な 視 点 で、
生比率も半数まで上げます。新たなグルー
ら に 対 象 学 年 を 三 年 生 以 上 に 上 げ、 留 学
に、 日 本 研 究 の 科 目 分 類 に な り ま す。 さ
は な く、 留 学 生 が よ り 履 修 し や す い よ う
気 持 ち に 変 化 を 生 み 出 し、 新 た な 地 域 活
こそ築ける学びの空間があると思います。
大学と連携する意味を、改めて考えるきっ
動 の き っ か け に な れ ば、 そ れ も 授 業 の 副
人口減少や高齢化による集落機能の弱
体 化 な ど を 懸 念 す る 声 も 聞 か れ、 世 界 の
次的効果として評価できるのではないで
しょうか。
ま し た。 そ の 度 に、 住 民 側 か ら 提 案 を い
京 極 進 さ ん を 中 心 に、 何 度 も 打 合 せ を し
らす人びとと日本人学生や留学生が出会
地 域 資 源 の 豊 庫 で も あ り ま す。 そ こ に 暮
同時に豊かな自然や歴史文化など多様な
課 題 先 進 地 と い わ れ る 日 本 の 農 山 漁 村 は、
た だ き、 資 料 も 準 備 し て い た だ き ま し た。
う こ と で、 相 互 に 学 び 合 い、 問 題 や 価 値
本 授 業 の 準 備 で は、 加 藤 薫 自 治 会 長 や
さ ら に 授 業 終 了 後 の 打 合 わ せ で は、 池 田
今 後 と も、 学 生 と 地 域 と と も に、 よ り
を見直す新たな視点が生まれると信じて
に 地 域 を 覚 え て 欲 し い。 そ ん な 機 会 に し
よい授業づくりに取り組みたいと思って
正 副 会 長 が、「 萱 ケ 沢 力 を 高 め る も の に し
た い 」 と 熱 っ ぽ く 語 っ て く だ さ い ま し た。
お り ま す。 改 め て 地 域 の み な さ ま の 温 か
います。
住 民 の 方 々 が、 地 域 づ く り を す る う え で、
いご理解ご協力に感謝申し上げます。
た い。 学 生 だ け で な く、 地 区 の 若 い 人 方
積極的に大学との連携を活用して下され
性 が 拡 が る と 思 い ま す し、 教 員 と し て 望
【参考文献】
ば、 地 域 と 大 学 双 方 に と っ て 新 た な 可 能
外の喜びです。
中 村 重 正 二 〇 〇 〇『 菌 食 の 民 俗 誌
―マコモと黒穂菌の利用 』八坂書房
来 年 度 か ら 本 授 業 は、 P B L 秋 田 農 村
学 へ 変 更 し ま す。 こ れ ま で の 学 際 科 目 で
70
おわりに
市立大正寺小学校で校長をされていた飯塚
ことになったきっかけは、前年度まで秋田
きましたこと、感謝申し上げます。
さ い ま し た。 貴 重 な 学 び の 機 会 を い た だ
萱 ケ 沢 地 区 の み な さ ま に は、 全 面 的 に
を 感 じ ま し た。 訪 問 す る 度 に、 萱 ケ 沢 の
臨 機 応 変 な 機 転、 そ の 場 を 楽 し む 心 意 気
現場に行くと、入念な準備、住民間の協力、
学生が地域課題を理解しようとするな
授 業 に 協 力 い た だ き ま し た。 と く に 姫 雪
力 に 敬 意 の 念 を 抱 く と と も に、 私 も 萱 ケ
か で、 逆 に 地 域 が 持 つ 魅 力 も 明 ら か に な
白 フ ァ ー ム の み な さ ま は、 学 生 が マ コ モ
沢 フ ァ ン の 一 人 に な っ て い き ま し た。 本
勇一先生のご厚意によるものでした。飯塚
と い う の で す。 私 は 反 論 し ま せ ん で し た。
ダ ケ の 収 穫、 袋 詰 め、 販 売 を 体 験 し や す
報 告 書 を 作 成 し て い る 間 も、 何 度 か 萱 ケ
先生の教育や地域にかける思い(愛あるお
同 感 し た か ら で す。 し か も 家 を の ぞ く 理
い よ う に と、 多 く の ご 配 慮 を し て 下 さ い
沢 を 訪 問 し ま し た。 こ れ ら は 来 年 度、 授
親 し い 同 僚 が 言 い ま し た。「 あ な た の
由 が、「 学 生 の 学 び 」 で す か ら、 ま っ た く
ま し た。 萱 ケ 沢 文 化 祭 で は、 自 治 会 役 員
業 と は 別 に、 年 間 通 じ た 交 流 事 業 を す る
や っ て い る こ と は、 お 節 介 の 延 長 ね。」 こ
身勝手なお節介かもしれません。
や 婦 人 部 を 始 め、 萱 ケ 沢 の み な さ ま が、
ための話し合いです。
り ま し た。 今 回、 授 業 の ス ケ ジ ュ ー ル や
し か し、 こ の お 節 介 が、 の ぞ き 見 る 学
温 か く 学 生 を 受 け 入 れ て 下 さ い ま し た。
節介)がなければ、この学びは実現しませ
生 だ け で な く、 の ぞ か れ る 住 民 に と っ て
鷲 泉 寺 住 職 の 三 戸 一 雄 さ ん は、 丁 寧 に お
の 感 想 は、 本 報 告 書 の 授 業 に 対 す る も の
も、 心 躍 る も の で あ っ て 欲 し い。 こ れ が、
寺 を 案 内 し て 下 さ い ま し た。 元 雄 和 町 長
内 容 に つ い て は、 萱 ケ 沢 の 方 々 か ら、 多
教員としての私の一番の願いです。フィー
の 工 藤 清 一 郎 さ ん に は、 萱 ケ 沢 の 歴 史 や、
こ の 報 告 書 を 通 し て、 大 学 の 地 域 連 携
んでした。ご縁をつないで下さった飯塚先
ル ド ワ ー ク 教 育 の あ り 方 は、 テ ー マ や 学
ミネソタ州立大学秋田校の誘致について
や農村交流というお節介から拡がる可能
で す。 こ の 授 業 は、 何 か 困 っ て い る こ と
習 目 標 に よ っ て 変 わ り ま す。 で す が、 ど
お 話 し 下 さ い ま し た。 萱 ケ 沢 を 訪 れ る 度
性 を、 少 し で も 感 じ て い た だ け れ ば 幸 甚
く の ご 提 案 を い た だ い て お り ま す。 当 日、
の 教 員 も 必 ず、 お 節 介 に よ る 地 域 の 負 担
に、 す べ て の 方 々 が、 笑 顔 で 温 か く 学 生
で す。 今 後 と も み な さ ま の ご 指 導 ご 鞭 撻
生に、心より感謝を申し上げます。
や 軋 轢 に 悩 む の で は な い で し ょ う か。 授
を 迎 え 入 れ て く れ ま し た。 萱 ケ 沢 住 民 み
は な い か と、( 相 手 が 望 ん で い る か 否 か
業 準 備 の 段 階 で、 地 域 に 迷 惑 を か け な い
な さ ま の ご 理 解 と ご 協 力 に、 深 く 感 謝 申
に関わらず)家をのぞき見る行為に近い
よ う に と 懸 念 す る 私 に、 萱 ケ 沢 自 治 公 民
をいただけますようお願い申し上げます。
は、 本 学 で 共 同 授 業 を 行 い ま し た。 ま た
椙本歩美
平成二十七年二月六日
雪壁を 背にして明日を 語り合う
館主事の京極進さんは、
「迷惑かけないと、
し上げます。
大 友 智 加 司 校 長 は、 成 果 発 表 会 に 出 席 下
秋 田 市 立 大 正 寺 小 学 校 四、五、六 年 生 と
交流はできないよ」と言葉をかけて下さ
い ま し た。 こ の 時、 お 節 介 の 意 味 を 教 わ
りました。
今 回、 萱 ケ 沢 で フ ィ ー ル ド ワ ー ク を す る
おわりに
71
参加者一覧(敬称略、五十音順)
ヒルミ ビン
ローヒザル アッハマド アズリザン
国際教養大学学生
石上理沙
小野初実
加藤杏香里
小堺なお
髙松知世
仁科真祐
マフシン マルディア ビンディ
森島夢実
早川響
藤田崇弘
ロニス アレン ニコラス
国際教養大学教員
椙本歩美
国際教養大学事務局
教務課教育推進プロジェクトチーム
地域協力者
萱ケ沢地区みなさま
秋田市立大正寺小学校みなさま
72
Week 13: Preparation for Final Presentation
Data analysis, Discussion, Preparation for presentation
th
Week 14: Final presentation (Dec 7 )
Students’ presentation
Closing Party
Self-evaluation
Week 15: Synthesis & Conclusion
No Reading Assignment
*Dec 19th is no class day and the deadline for submission of final papers.
73
付録
th
Week 6: Field Work I – Key Informant Interview in Kayagasawa (Oct 10 )
Overview of Kayagasawa and Daisyoji area from Mt. Takao
Interview with the Village Leader, Mr. Kaoru Kato
Makomodake farm visit
* After the field work, students will submit their field notes and Action Research Plan through AIMS by Oct 15th.
th
th
Week 7: Field Work II – Research & Service Learning 1 (Oct 18 –
19 )
Day 1. Harvest Makomodake, Prepare for Farmer’s Market Festival, Observation, Interview
Day 2. Preparation for Farmer’s Market
* Stay at Yuasisu cottage (Cook dinner, Hotspring, Data Analysis)
* After the second field work, students will submit their field notes through AIMS by Oct 22nd.
Week 8: Traditional Co-Management Practices in Japan
Reading Assignment: Margaret McKean 1992 “The Management of Traditional Commons land
(Iriaichi) in Japan” D.W. Bromley (eds.) Making the Commons Work: Theory, Practice, and Policy.
ICS Press
Why did the common lands emerge in Japan between the thirteenth and sixteenth
centuries?
How can the Japanese villagers achieve equity among co-owners of the commons?
Week 9: Midterm Presentation (Oct 31)
Group Presentation
Q&A
th
th
Week 10: Field Work III: Research & Service Learning (Nov 7 &
9 )
Nov 7th. Meeting with Daisyoji elementary students in AIU
Elementary students will introduce Daisyoji area
AIU students will explain about this PBL
Nov 9th. Kayagasawa cultural festival
* After the second field work, students will submit their field notes through AIMS by Nov 12th.
Week 11: Forming new community – a case from Ogata village, Akita
Reading Assignment: Donald Wood 2012 Ogata-Mura: Sowing Dissent and Reclaiming Identity in a
Japanese Farming Village, Berghahn Books, Chapter 2
Difficulties for building new community
PBL Teamwork: Research on today’s Arawa and Akita Prefecture
Week 12: For Effective Policy and Action
Reading assignment: Jared Diamond, 2005. “Why do some societies make disastrous decisions?” In
Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed, Viking Press, p. 419-440
Why environmental problem does happen?
74
Jared Diamond, 2005 Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed, Viking Press
Joy Hendy et al. 2013 Understanding Japanese Society, Routledge
Margaret McKean 1992 “The Management of Traditional Commons land (Iriaichi) in Japan” D.W.
Bromley (eds.) Making the Commons Work: Theory, Practice, and Policy. ICS Press
Donald Wood 2012 Ogata-Mura: Sowing Dissent and Reclaiming Identity in a Japanese Farming
Village, Berghahn Books
Grading Components:
Class Participation and Contribution – submission of weekly work sheet (20%)
1 Presentation on reading materials with a handout (20%)
Group Presentation (20%)
Group paper (20%)
Individual paper (20%)
* This course has a strict attendance policy: Students who have more than 5 classes of unexcused
absences in a semester may fail to make the grade.
* Group and individual paper due is on December 19
Schedule:
Week 1: Introduction
Syllabus Review
What is Project Based Learning?
Kayagasawa Village Overview
Week 2: Preparation I - Lessons Learned from Last Year
Reading Assignment: Ayumi Sugimoto ed. 2014a & 2014b. Local Community Study in Arawa, AkitaFall 2013, Group Paper, AIU PBL Report
Group Discussion, Problem Map
Understand situation of Akita rural communities from Arawa Village case
Find potential action research themes and questions
Week 3: Preparation II – Gathering Background Information on Akita and Japan
Assignment: Fact Sheet of Yuwa, Akita, and Japan
Sharing Fact Sheet Information and Integrating into One Fact Sheet
Find potential action research themes and questions
Week 4: Preparation III – Gathering Background Information on Kayagasawa research site
Reading Assignment: Kayagasawa village ed. 2010 Kayagasawa Local History, Kayagasawa village (in
Japanese)
Make Fact Sheet of Kayagasawa
Week 5: Social Structure in Japan
Reading Assignment: Joy Hendy et al. 2013. Community and neighborhood, in Understanding Japanese
Society, Routledge
Characteristics of Japanese communities
Preparing Interview Questions
75
付録
Syllabus
授業シラバス
INT231 BE Interdisciplinary Special Topic 7
-Community and Environment (PBL)Course Code: INT231 Credit: 3 Course Offered: Fall 2014 Class Room: D201
Instructor: Ayumi SUGIMOTO, Assistant Professor, Basic Education, AIU
E-mail: [email protected], Phone: 5958, Office: A3-10
Course Description:
This course Project-Based Learning (PBL) is designed to examine practical issues of
local environment, discuss local potentials and future possible solutions, and take action for
solving those issues. Depopulation and aging are serious social problems especially for rural
areas in developed countries such as Japan. It has caused new problems at local level “Who
manages abandoned forest and farms?” “Who preserves local cultural and tradition practices?”
“How shrinking community sustains its social functions?” Local environmental problems are
linked in a number of ways, with global and national levels, and with social institutions both
causing environmental degradation and offering potential solutions to environmental problems of
communities.
Groups consisted of both Japanese and international students tackle on Group Projects
“Environmental Changes -Past, Present, and Future of a community” with experiential learning
such as field research and local events with residents in Kayagasawa, Akita city. The course
includes two parts to 1) understand theoretical perspectives on community and environmental
sociology and 2) conduct field research on environmental problems and solutions for Kayagasawa
community, and take actions for their future. Finally, students make presentations of their project
results and discuss about it with local people, and submit group and individual reports on their
findings to both the instructor and the community. That student centered learning leads them to
understand local environmental problems as dynamic interactions with global, national and local,
and social, cultural and historical. * Students need to prepare the expense for field works.
Objectives:
The overall aim of this course is that students will 1) study research methods and
research design, 2) understand the linkages of national and global environmental practices with
the local environmental issues, 3) enhance critical and comparative analytical views of consider
environmental problems from the point of the interaction between nature and human activity, and
4) make solutions for the sustainable local environmental management.
Reading Materials:
Ayumi Sugimoto ed. 2014a. Local Community Study in Arawa, Akita-Spring 2013, AIU PBL Report
Ayumi Sugimoto ed. 2014b. Local Community Study in Arawa, Akita-Fall 2013, AIU PBL Report
Kayagasawa village ed. 2010 Kayagasawa Local History, Kayagasawa village (in Japanese) / 萱ケ
沢自治会編 2010 萱ケ沢郷土史誌 萱ケ沢自治会
76
centers, schools, and market streets in the community. There are many sources of information
and we can understand the reality for the first time when we see it with our own eyes. Basically,
farming experiences are for people coming from urban areas such as Tokyo, or any other cities
where people cannot do agricultural activity. However, I think it is important for AIU students to
experience such activity and to have interest in Akita, where they live for three years of their life.
My third suggestion is PR on the internet. Through the fieldwork in this course, I felt the
lack of PR about the community, even though they have been motivated to make the community
more active. I think that AIU students can really help them by using online methods. Firstly, the
community should have a homepage or Facebook account as a group to introduce itself. If AIU
students are connected with them online, the friends of AIU students can get information about
the community. Also, the community can invite participants for farming experiences or farm-inn
stays. There are many possibilities produced from online activity. Facebook is very major in AIU
and society in general; anyone can get information from anywhere. Of course, there are many
international students who are interested in Japanese rural areas. If they can know and join Akita
rural area’s activities, this information will expand to overseas.
These three suggestions seem to be possible to realize. This “Community & Environment”
class and another “Community Development” class already have the opportunities to experience
farming and farm-inn stays. Also, other programs of agricultural activity are conducted. AIU has
the best environment to study rural areas and agriculture because it is surrounded by nature, rural
villages and there are many fresh crops in the fields. Many students might have interests in rural
communities if they learned a little bit in class. About the PR on the Internet, using online methods
is easy for AIU students because they are always using Facebook and other social networking
sites. Also, even when we consider the costs to realize these three ideas, I think they would not be
prohibitively expensive. The reason why I think so is that AIU students have relatively easy access
to the locations that have farm-inn stays and farming experiences. Therefore, transportation
expenses are not so high that AIU students have to give up visiting there. Compared with
other people living in other big cities such as Tokyo, of course AIU students are living in a very
convenient place to access there. In addition, AIU students want to get opportunities to talk
with people outside of AIU because the AIU community is closed and they seldom interact with
other people except for AIU people. Interaction with people who are not related to AIU is really
valuable for AIU students to get wider perspectives and relax outside of AIU.
Considering these facts, I think these three suggestions can be realized by AIU students
and they will really help the rural communities in Akita, especially Kayagasawa and Nishiki. Both
AIU students and people in rural areas in Akita can benefit. Through this course I learned about
Akita’s rural community a lot and I think that all AIU students should think of Akita as one of
the hometowns in their life. AIU should cooperate with the communities in Akita because it is
supported by Akita people and it should be loved by them. I have to leave Japan in January, so I
want AIU students who read this book to make efforts to spread our stories in this book.
77
付録
Consumers might be pleased but, the price was decided by the farmers and the city council, and if
the price is decreased, the farmers cannot make any profit. Or when I said that makomo should be
served cooked, there were problems which involved permission from the government or financial
issues. These problems exist because they cannot be fixed very easily. When I go into a company
and a problem occurs, I must think about it from every aspect. Another thing is to find a solution
which lasts in the long term. What I mean is not to find a solution which only solves one direct
problem, but to think of the other impacts those solutions may give. Not to think of how to solve a
problem directly, but to think in the long term.
Through this class, I have done things I never really experienced before. For example,
finding out problems through experiencing them. Because we understood the problems differently
depending on our experiences, we were able see the reality. Through this I have grown
academically, mentally and physically. The reality is not as simple as I thought it was.
What AIU Students Can Do for Agricultural Communities in Akita Prefecture
Yumemi Morishima
Through this PBL Community and Environment class, I learned many things that I
could not learn from other courses that are based on lectures. In this semester, I visited two
communities: Kayagasawa village (in this course) and Nishiki, Senboku city (in another course),
and found that each community has its own uniqueness. For example, I felt that Nishiki has really
put effort into a farm-inn which is managed mainly by women. On the other hand, Kayagasawa
has really focused on agriculture in itself. Therefore, I felt that mainly men have taken the
initiative in the community activities. I do not think about which is better, because both of them
are unique and key to maintaining the community. After finishing this course, I was thinking
about how AIU students can contribute to the community development of these different types
of communities in Akita. Then, I found three suggestions for AIU students to help make the
communities be active.
My first suggestion is rural studies in class. Before visiting a particular village, we should
gain knowledge and theories about rural districts. We can get information about the problems
they have in general. Also in class, we can think about solutions apart from whether they are
possible or not. After learning in class, when we visit the village for fieldwork or any other
opportunities, we can consider the contents of the class more deeply because now we can think
about the present situation of rural areas, comparing what we learnt in class with what we see in
the field. Therefore, eventually we can conclude what is possible in that community as a solution
for the problems that the community has. As a result, the combination of lectures and fieldwork
produce a deeper understanding of the real situation.
My second suggestion is participation in farming experiences. There are many farminns in Akita where we can experience life in farmers’ houses in rural areas. The main activity
is to experience agricultural work such as harvesting crops. The owners of farm-inns are
professionals of agriculture. We can gain useful knowledge about the farming village and see the
real situation there through direct communication. Also, in this activity, we can visit community
78
The Harshness of Society
Tomoyo Takamatsu
I barely had any purpose in taking this class, other than to receive a credit. Out of all the
classes, one reason I can point out is because it mentioned being about development. When I
went to the first class, and Ayumi sensei explained about the course, I was very reluctant about
how much outside work there was, especially during Saturdays and Sundays. Looking back at the
classes, I gained various knowledge and skills. These included in academic, manners, and physical
fields.
Before I begin, I would like to introduce the basic information about makomodake [edible
wild rice stems]. Each makomo must be planted individually by hand during the beginning of May,
and they can be harvested around September to October. Since makomo is organic, the farmers
use no pesticides. Due to that, the farmers must pull out the weeds which takes about 3 days or
more. After it has been harvested, they are cut then packaged.
This PBL course was a little bit different from any other classes. Usually there are rules
or instructions, we think of the problem and follow through to the solution. Normally a teacher
would teach us or give us an explanation about things and then we would follow the guidelines.
This time, we set our research topic to Kayagasawa. It is a small village in Akita prefecture which
grows makomo, a type of vegetable. Since the sales of makomo are not as high as the farmers
had expected, our main topic was to do research related to makomo and Kayagasawa village. As
a group, we looked at the current situation and learned the basic information about Kayagasawa
and makomo. Then, looking through the data, we analyzed what were the problems and the
difficulties. First we divided the problems of Kayagasawa into various groups. These problems
included the lack of population, and lack of children which leads to this. This also led to the
problem of why makomo lacks popularity. Some of the reasons included not knowing how to
cook it or its high price. This outlining process broadened and led us to a whole new idea. The
outlining process of creating a problem map had made us think. Often times, our English teacher
advises students to make an outline before writing an essay, but now I understand the importance
of outlining. How much easier it is to write a paper, if an outline is well done.
Secondly, although it is basic knowledge, I learned the importance of food. When we
go out to a supermarket, we see vegetables, fruit, and cooked food. All these vegetables have
obviously been grown by someone’s hands. However, we never look at food like that. When I
went to the makomo farm and saw farmers taking each makomo and cutting it into 21cm pieces,
then packaging them by hand, I realized that every piece of food is the result someone’s effort. During
high school, my mother would cook me a bento every morning. Since I knew how much time and
effort she put into it, I would eat it up even if I was not hungry. But when it comes to vegetables
or things sold in supermarkets, I never really thought in consideration of the producers. But in
every food there is some kind of human hands involved. Even in rice, although many farmers use
machines, there is someone who makes the machine move or plants the seeds. From the next
time I go to the supermarket and buy something, I will think again that there is a producer of the
vegetables.
Lastly was the importance of the problem. I knew that a problem is an obstacle. But
problems exist because we cannot solve them. In order to solve these problems, many people may
be affected. For example, we made a suggestion that the price of makomo should be lowered.
79
付録
to maintain their community ties, contrary to in capital cities, in which people do not even feel
a sense of belonging to their district. Especially in places called bed-towns, a residence is not a
place to live, but a place to sleep. People there might have communal residences, but there are no
common interests at all.
Even though agriculture, which is Kayagasawa people’s main source of income, is
unstable as a financial support for living, and a life based on agriculture is getting tough because
of many governmental policy changes, people engaged in Japanese agriculture all seem to be
proud of their lives. They are supporting Japanese-grown foods, which are renowned for their
superior quality, even though the total land for agriculture is far smaller than other continental
countries. Actually, farmers are on the cutting edge of the Japanese food industry.
But the problem is, as I could see from the case of how difficult it was to promote
makomo-dake, that life based on agriculture is not familiar to most Japanese citizens. Rather, the
prevailing image toward people engaged in Japanese agriculture is that, honestly, it is somewhat
primitive and difficult to live off. Thus, usually people do not willingly choose to be farmers.
Consequently, the agreement to the Trans-Pacific Partnership (TPP), the recent biggest issue
menacing many farmers, is not considered to be such an important issue since citizens do not
precisely understand how much Japanese agriculture would be damaged if Japan participated.
They should be aware of how labor-intensive it is to produce food and how effortful it is to
maintain good quality, which makes domestic crops more expensive, but guarantees their safety
and taste. People engaged in agriculture, including the Himeyukishiro farmers in Kayagasawa
village, are working proudly, but still below the surface.
Urbanization made capital cities into a confluence of transportation with little human
communication and weak community ties. Rationalization made people think that they wanted
cheaper, anonymous foods more than expensive, but safe and tasty, Japanese foods, as the
tendency toward joining TPP shows. While the capitals of economics have developed more in
cities, it seems like the capitals of meaningful human life have developed more in the countryside.
I want Kayagasawa village to be famous in Japan through selling makomo-dake, an expensive,
but chemical-free, new vegetable, to edify how agricultural products in Japan are effortful and
labor-intensive, thus superior in healthiness and taste, as an antithesis for cheap exotic vegetables.
References
http://www.maff.go.jp/j/tokei/sihyo/data/08.html
http://www.stat.go.jp/data/jinsui/new.htm
80
need to think about new events to communicate with the young generation.
Through these activities in the class, I could learn about the real situation of Japanese
rural areas. Before coming to Akita, I had no experience of living in a rural area. Therefore, I
could not realize the charm of Japanese rural areas and could not understand why people in rural
areas have strong feelings towards their hometowns. However, in the class, I saw a shrine which
has a history of 200 years and a festival which also has long history. Through these experiences,
I could realize the strong ties which had been established from father to son and the reason why
many people stick to their hometowns. In this way, this PBL class gave me a trigger to shift my
focus to Japanese rural areas and made me realize the charm of Japanese rural areas.
Job of Pride
Takahiro Fujita
Among the 1,268,600,000 people in Japan, only 2,390,000 people were engaged in
agriculture in the year of 2013. This is only 0.189 percent of the entire population. Statistics
additionally show that the average age of those who are engaged in agriculture is estimated to
be 66.2 years old. If we look at the rate among those aged more than 65, which amounts to be
315,700,000 people, those engaged in agriculture only account for 0.47 percent. Kayagasawa
village, an agriculture-based remote village in Akita prefecture, illustrates how Japanese
agriculture has been carried on until now under these diminished numbers.
Kayagasawa Himeyukushiro Farmers, a group of farmers in Kayagasawa village who
attempt to sell crops including makomo-dake [edible wild rice stems], surprisingly consists of only 6
farmers. They share the land and grow crops rotationally, and even package them by themselves
to sell at the market. The farmers seem to be too small in number, but they unfortunately cannot
afford to increase their workers. They said they are always in the process of learning because
growing crops requires knowledge and experience from the previous year, especially for unfamiliar
makomo-dake. Since most of the people in Kayagasawa village are living through agriculture, it
also shows what the Japanese landscape originally looked like.
When I first visited Kayagasawa village, I was surprised at the difference in landscapes
between economic capitals as Yokohama and Tokyo, which might be familiar to most Japanese
people including me, and this village. People in Japan generally have many opportunities to visit
capital cities for their accessibility and convenience, but they have few opportunities to visit the
other extreme. I have found many contrastive features between these two extremes in Japan.
The undeveloped, but unexploited landscape of Kayagasawa reflects the strong
communal identity that people there are living together. Residents in Kayagasawa village hold a
strong sense of community ties unlike residents of economic capitals. They know all the members
belonging to the village, share fields with their neighbors, and share facilities in the village. This
is because they have many common things; they have communal events like the Kayagasawa
Cultural Festival ( 萱ケ沢村文化祭 ) and retailing their crops at the local direct-selling market. They
have communal lands to grow crops cooperatively. Importantly, they have a common interest in
that they want to make a living through agriculture. This brings people there together and helps
81
付録
Through the Experiences in Kayagasawa
Risa Ishigami
“From Akita, to the world,” is the main idea of our school, Akita International University.
However, most students focus only on outside of Akita and do not tend to focus on Akita itself.
In fact, I also had not often shifted my attention to inside of Akita. One of the reasons why
many students tend not to focus on Akita, is that they do not have enough opportunities to
communicate with local people in Akita. In terms of this, this course gave me many opportunities
to communicate with local people in Akita and opportunities to know Akita well. Especially, in this
course, we focused on Kayagasawa Village in Akita city and visited there sometimes. Kayagasawa
is a typical Japanese rural area which is suffering from population aging and a decreasing number
of children, but has very strong community ties. The number of villagers is small, but each
bond is so strong. I was impressed by the community ties and hoped that they will be able to
maintain these community ties forever. Therefore, in group research, we set a question related to
community ties as our main research question. Also, in this course, we focused on makomo [edible
wild rice stems], a crop grown by some Kayagasawa people. In the class, we helped to harvest
and sell makomo and thought about makomo’s future.
My first encounter with local people was with the members of Himeyukishiro farm who
harvest makomo. They told us about the difficulties of cultivating makomo. Through their talks,
I realized the harsh reality of Japanese agriculture. Most of them engaged in rice farming before
they started makomo farming, but because of the decrease in the consumption of rice, rice prices
become very low and they could not keep engaging in rice farming. To combat this situation,
they began to grow makomo. However, there are also some problems in the culture of makomo,
like price conflicts between makomo’s producers and consumers. I was impressed by their
passion for cultivating makomo. Even though they take a lot of trouble to grow makomo because
it cannot use any machines or pesticides, they go to any expense to deliver good makomo to
their consumers. To be honest, at first, I could not understand how they could keep maintaining
their passion even though there were so many difficulties. However, after actually experiencing
a makomo harvest and selling makomo, I felt a great deal of fondness for it and came to think
that I wanted to deliver good makomo to consumers. If we invest a good deal of time and effort
to get to consumers, we can feel pleasure when the makomo is sold. In this way, through actual
experiences, I could realize the farmer’s feelings a little.
In this class, I could have an opportunity to communicate with Daishoji Elementary School
students and teachers. Compared to elementary schools in urban areas, the distance between
each person is very close. Teachers know every student, whether they are their class’s students or
not. Moreover, teachers know not only their names, but also their personalities and characteristics.
It plays an important role in creating good relationships between teachers and children. However,
next year, the Daishoji Elementary School will be closed and it will be integrated with other
schools. It is true that for Daishoji Elementary School students, it provides a chance to meet more
people and they are looking forward to meeting them. However, not only Daishoji Elementary
School students, but also most Kayagasawa people, think that the loss of their home school is
a shocking problem. Families who have no children could have an opportunity to interact with
the young generation through the events at Daishoji Elementary School. In this way, the loss of
Daishoji Elementary School is a problem for the whole of Kayagasawa and Kayagasawa people
82
their best in what he or she could to make a good research. This course was a kind of experiment
to learn about leadership and how to keep members from losing motivation. I am sure that this
experience in PBL will be helpful in the future such as working in a company.
Thirdly, in addition to teamwork skills and leadership skills which emphasize relationships,
I learned practical research skills which emphasize logical thinking, analytical thinking, data
gathering, and so on. In AIU, or in any academic scene, research questions or topics are likely to
be given by professors and then, students tend to have presentations or write essays according to
them. I was used to this style and it was very easy because I did not have to carefully consider
why I was researching and what was significant or important about the research. Actually, before
this class, I was just following what my professors ordered or requested, without thinking about
those meanings. For example, when a professor asked me to make a presentation about an artist,
I would merely make it without thinking why the professor had asked about it, or what would be
the importance of the presentation. On the other hand, after taking this class, I started to consider
the worth of doing research deeply. I believe this critical thinking increased my logical thinking,
and also this has had a good influence on my other academic subject areas.
In the former paragraphs, I only mentioned what I gained from this PBL course such as
teamwork skills, leadership skills, and research skills. However, at the same time, I lost something
during this course. For example, I started not to worry about small troubles or difficulties in
relationships. I am sure that this course made me strong mentally, too.
In the former paragraphs, I explained what I gained from the course. Next, I will discuss
what kind of influence this course may have on my future.
Before taking this course, I had been to Takinomata, which is one of the rural areas near
to AIU where the village is also having the same kind of problems which Kayagasawa village has:
depopulation, aging, a severe lack of successors, and so on. It is true that this PBL course has
finished, but I would like to personally continue research in Takinomata and want to activate it
more and more. Even during class, I learned many things from the comparison of two different
villages. After the class, I think I will be able to compare them more objectively and research
practically. This course allowed me to know that I like rural areas and studies of them.
Besides individual research in Takinomata, in the future, I really want to realize the
suggestions which our group made in the final presentation. I want makomodake [edible wild
rice stems] to be served in the cafeteria or college café in the future. Also, I want AIU to open a
new agricultural class which makes full use of the location of AIU, in Akita. Furthermore, I want
Kayagasawa farmers to hire AIU students for part-time jobs. If all of these can be realized in the
future, we can understand how our suggestions have influenced Kayagasawa people and how
they are affected in reality.
I learned so many things from this course. I did not expect to learn so much and so deeply
in this one semester. I believe this course was very meaningful and its influence will be significant
also in my future.
83
付録
farmers will be able to sell their products more efficiently. I believe this suggestion is the best and
most realizable. I would like to mediate between farmers and AIU students through makomodake.
This was the first time for me to find a problem and research a solution by ourselves, and
I acquired a lot of knowledge about the agriculture and depopulation in Kayagasawa. Through
field trips, however, I also felt that strong community ties still exist in Kayagasawa. For me,
the intimacy in the community is very precious, and I hope that Kayagasawa village will have
prosperity thanks to makomo cultivation.
How I Changed and What I Gained From This Course
Nao Kozakai
At the beginning of this PBL course, I thought I would gain some research skills and
knowledge about rural areas. Although I could have those skills and knowledge, I found that I
changed so much through this course and gained other things such as teamwork skills, leadership
skills, research skills, and so on, which will be very important in the future. I will discuss about
them in the later paragraphs.
In this section, I would like to argue how I was changed by this course and how it
influenced me. Firstly, I found that I gained teamwork skills through this course. Teamwork
includes communication, discussion, and negotiation, and this course brushed them up
dramatically. When we decided on the research question and topic, we had to gather each
other’s interests all together and then, discuss what kind of research questions and topics would
be suitable for all of us. If we had different interests, we had to negotiate with each other and
communicate in order to show why the topic was good or bad. Before taking this PBL course,
I had never experienced this kind of very long term, semester long group work. For example,
during EAP, we only had some presentations or plays which lasted only for 2 weeks or so at most.
So, group work over the long period of this course was very the first time for me. I sometimes
struggled to communicate with group members because we had different interests, different
backgrounds, different amounts of background knowledge and different levels of motivation for
this course. Since I was highly motivated in this course, I had a difficult time to reconcile with
them and keep my motivation. Even though this course gave me various kinds of the trials many
times, at the same time, they were good lessons and training experiences.
Secondly, in addition to these teamwork skills, I learned how to lead a group. Although
it was a small group which included only four members, it was still a tough task for me to lead
a group. This is because I thought that the harmony of the group was so important and did
not want to give orders to the other members. We did not have the relationship of a boss and
subordinates, and I wanted to associate on equal terms. To achieve both of these relationships
and the leadership was challenging for me, but I tried. I would not say that I was perfect, but I
think I learned how to deal with them confidently. Dr. Agata, who is a Professor of leadership in
business, said that in the well-organized group, each member takes a leadership position and tries
to lead the group. I personally wanted to achieve this through this course. I would not say that
our team was a role model of this, however, I would rather say that each member in our group did
84
A Community and Environment in Kayagasawa
Mayu Nishina
Kayagasawa is a small village which has a long history in Akita city. Although the village
used to flourish with agriculture, it is facing a serious aging population and declining child birth
rate. Recently, farmers in Kayagasawa started harvesting makomodake, which is a vegetable grown
from the stem of wild rice. In order to revitalize the village, the members of a Farmers’ Association
called Himeyukishiro Farm are hoping that makomodake will bring a great chance for Kayagasawa
village. Throughout the semester, we researched the village from various perspectives through
observations and interviews, and analyzed what Kayagasawa can do for its revitalization and
development.
For our research, we firstly built up our knowledge about agriculture in Japan, the
situation of Akita, and Kayagasawa. Also, we learned about different communities in city and rural
areas. Then, we visited Kayagasawa three times in order to deepen our research. On October 10,
we visited Kayagasawa for the first time to interview the village leader, Mr. Kaoru Kato. Second,
we experienced harvesting and promoting a certain vegetable called makomodake on October
18 and 19. We also conducted interviews with some people who came to the Akita City Market
Festival as well as with the farmers. Third, on November 9, we visited Kayagasawa to attend the
Kayagasawa Cultural Festival to observe the community, interview the local people, and conduct
a questionnaire survey. In addition, we communicated with Daishoji Elementary School students
to see Kayagasawa from a different view on November 7.
Through the research, I found the deep connection and significance of the local
community and environment. Due to depopulation in the village, Daishoji Elementary School will
be closed. Because of this, the few children living in Kayagasawa will have to attend another
school in another village, and the speed of depopulation will accelerate. It means that local events
that villagers have kept going so far will disappear. What surprised me the most was that people
in Kayagasawa were not familiar with agriculture or makomodake. As we interviewed people at
the Kayagasawa Cultural Festival, Kayagasawa locals who are not farmers mentioned that the
younger generation does not engage in agriculture due to the difficulty in managing agricultural
machines. In addition, Kayagasawa villagers who are not makomo farmers do not know much
about makomo. Even though they eat makomo dishes given to them by neighboring farmers, they
don’t know what makomo looks like or how it grows. On the other side, I understood the difficulty
faced by the famers through experiencing the process of producing a makomo pack. Since
agriculture is an individual work, packing makomo by oneself seemed monotonous and lonely.
Farmers mentioned that the most difficult part of cultivating makomo is that they have to dig
weeds up without any herbicides or pesticides. Makomo needs much care from farmers; however,
the grown makomo can be different in size depending on who has grown it and how it has been
grown. Therefore, many makomo cannot meet the standard size, meaning they cannot be sold.
In order to realize the ideal community through making use of makomodake, the
popularity of makomo within the community should be higher first of all. Therefore our
group discussed how they could promote makomodake more effectively. We concluded that
Kayagasawa should sell their makomo or other crops at AIU to expand their sales and customers
and to make a profit from makomo which are smaller than the standard size. In this way, both
AIU students and farmers will benefit from buying fresh local vegetables from farmers, and the
85
付録
watched some traditional performances by children and old people. In my opinion, this kind of
event was not only important just for the sake of the course, but it serves as a tool to strengthen
the ties among the Kayagasawa people as well as the ties between the students and the Japanese
people. Not only did we get to gather a lot of information for our research topic, but what was
also more important is that we got to learn various aspects such as teamwork, leadership, and
building good relationships with old people and children. We also got to help in maintaining their
culture in terms of dance performances and whatnot.
Through active group discussions, I was able to integrate various opinions, and enhance
my negotiation skills as well as my critical thinking. Moreover, I learned to consider each other’s
views and opinions, which means there is no limitation to my own ideas and knowledge. Although
sometimes there were some difficulties in understanding each other’s explanations due to the
language barrier, I was able to comprehend other members’ opinions. In addition, I was able to
apply the knowledge that I already had and was able to identify what I needed to know through
developing effective problem solving skills.
Furthermore, in my opinion, this course does not only benefit students who are taking this
class, but it also benefits other people (outside AIU). I have learned that studying is not just about
consuming the knowledge that we have learnt in classes, but to be able to apply the knowledge
into a real situation which not only benefits ourselves, but also others.
In the end, I and the other class members got to share what we have learned, researched
and discussed, with the Kayagasawa people (in helping to solve the problems they are facing).
Hence, we applied our new skills and have become able to apply our knowledge and theories to
our future careers.
This Project Based Learning course is a very unique class where students are able to
challenge themselves, to be productive in every discussion, and to be able to integrate both
analytical and critical thinking and also to be part of a global community. This course is not just
an educational opportunity for students, but also a chance for students to be a part of a global
community. I enjoyed very much taking this course, especially working together with Japanese
students and Ayumi Sugimoto sensei.
86
up with some solutions. Firstly, residents should produce makomo effectively, because makomo
can characterize Kayagasawa society itself. Makomo is very unique and has the potential to
attract others’ attention. We sold makomo in the market in Akita city; however, few residents
knew about makomo and how to cook it. Thus, if farmers would sell not only makomo, but also
cooked makomo, consumers would be more attracted. The second solution is similar to the first
one, which is the sixtiary industry. Sixtiary industry is a kind of mix of primary, secondary, and
tertiary industries. Farmers have to plant, grow, and harvest makomo. Furthermore, they have to
pack or cook it to be sold in the supermarket. If they could succeed in the sixtiary industry, they
could reduce labor costs and increase the income from makomo. Thus, a sixtiary industry which
utilizes makomo has the potential to save the economy of Kayagasawa. Finally, the last solution
is to hold some events or activities as a way of inviting outsiders, for example, green tourism and
agricultural internships. Green tourism is a kind of leisure activity in rural areas where participants
can experience agriculture. Also, we suggest agricultural internships between AIU students and
residents in Kayagasawa. It would not only give a place to interact with local residents, but also
provide an agricultural experience to AIU students.
Finally, we are not sure whether the ways of revitalization that we came up with are
really practical and have potential to save the economy of Kayagsawa. However, we believe that
this is a great opportunity for AIU students and residents in Kayagasawa to think of its future.
We could experience the difficulty of agriculture and realize that the workload to revitalize small
communities is not so light. However, we believe that this PBL course will become a valuable
experience for our future. We appreciate all the cooperation and help that contributed to our
research projects.
Individual Paper
Mardhiah Mahusin
This Project Based Learning (Community and Environment) course was one of the most
interesting yet challenging experiences I have ever had throughout my life as an undergraduate
student. Frankly, I thought this class would be another boring lecture-based course where we
would just literally sit and listen to a lecture for two solid hours, but it turned out this course was
the most productive class I have ever taken. Throughout this course, I have learned and gained a
lot of knowledge and experience.
Fieldwork sites and class activities served an important role for me and other students. It
is where we spent a lot of time in group discussions; it is when we got to interact with each other,
share our ideas and knowledge, and also with other people in Kayagasawa Village (which was
our research site for the course). In addition, I had the chance to interact with a lot of old people
and managed to exchange our cultures, and share our perspectives and ideas on different aspects.
The time I have spent with the local people has helped me in growing my image and views of
other cultures and societies.
Moreover, during the events, a lot of Kayagasawa people gathered together. They
prepared local dishes for us and other guests as well. I got to try Japanese dishes and also
87
付録
and those experiences cannot be experienced in the class. Thus, the content of the class and
fieldwork were totally different, but it was so fun to cooperate with my awesome team members
and deal with our research project through trial and error.
Kayagasawa has some social problems that are striking other small communities in Japan:
depopulation, an aging society, a declining birthrate, and a lack of labor force. When we walked
around Kayagasawa, we saw few young people and children. Kayagasawa is mainly composed of
elderly people who are over 40 or 50 years old. However, every resident we met in Kayagasawa
was warm-hearted and welcomed us so kindly. Thus, our research team decided to focus on the
community - how community ties can be strengthened and how the school closure has affected
Kayagasawa. Actually, the school in Kayagasawa will be integrated with another school in a
neighboring town because of the small number of children in Kayagasawa. This PBL course
mainly focused on makomodake [edible wild rice stems], which is a unique and rare vegetable.
Also, the other two teams’ research projects included makomo. Thus, our project theme seemed
to be difficult and complicated because we had no idea about how the community ties could be
measured. We had to define the meaning of “community.” This was the largest obstacle for our
research. Moreover, it was also difficult to relate makomo and the community itself. The workload
of our team was not so easy, but it was a worthwhile research project.
Each community has some factors that can positively and negatively affect its structure,
but Kayagasawa holds more factors that could negatively affect the community, rather than
factors that positively contribute to society. We found two main factors that contribute to some
of the social problems that Kayagasawa has, such as depopulation, the aging society, and the
falling birthrate. These two main factors are the agriculturally based community and the closure
of the local Daishoji Elementary School. We believe that these two main factors will have
negative effects on Kayagasawa and will worsen life in Kayagasawa. Firstly, the main income
source of residents in Kayagasawa is agriculture, and most residents are part-time farmers.
However, it is very difficult for residents to live off the earnings from agriculture and that’s why
most of the residents work other part-time jobs to supplement the income that is received from
farming. Therefore, the income from farming does not suffice for the residents of Kayagasawa.
Furthermore, most young people have moved out of the community because they are in search
of more profitable job opportunities in cities or in urban areas. Thus, because of the outmigration
of Kayagasawa’s younger generation, the aging society and depopulation has been accelerated
significantly and over 50% of residents are currently over 65 years old.
Moreover, the impending closure of the local elementary school has negatively
affected the community. A school has some potential to attract residents and families because
it provides some opportunities for interaction with children. However, the elementary school
in Kayagasawa, Daishoji Elementary School, will be integrated with Yuwa Elementary School
due to the small number of children in Kayagasawa. Thus, Kayagasawa needs to create some
potential replacements for some of the events that the school had provided to residents. The
school provided some activities that maintained the bonds of residents and younger generations
and strengthened community ties, but the school will be shut down. Thus, some opportunities to
bring people together will be lost, and Kayagasawa needs to seek replacement of those activities.
Likewise, these two main factors negatively affect the community and cause some social problems
that Kayagasawa suffers from, such as depopulation and an aging society.
To combat these social problems that can hinder Kayagasawa from developing, we came
88
Daishoji elementary school children, while we enjoyed rare experiences in the village. Through
this, we could find a lot of efficient information and get another perspective. Therefore we
changed our research question to, “How can we make makomodake famous in Akita prefecture?”,
because we wanted our research to not only be useful for us, but for the Kayagasawa people as
well. So, we thought of four suggestions for the farmers: 1) open a farmer’s restaurant, 2) ask a
scholar to study makomodake, 3) open a direct selling shop near AIU, and 4) ask AIU students
to help with their work. We thought about these suggestions as hard as we could, because we
wanted these suggestions to be able to help them a lot.
I’m from Akita, so rice fields are familiar to me, but this was the first time for me to see a
makomodake field. It was a little similar to a rice field, but the makomodake plants are very tall
and look stronger than rice seedlings, so I thought that it would be very tough for farmers to grow
and harvest them. If Kayagasawa village had a lot of young men and children, they could help the
farmers to produce that new crop; however, the village seemed to have few children and young
people. Therefore, people who live in the village worry about their successors. The situation is
severe, but they are making efforts to produce makomodake. In my hometown, there are many
children and young people, so I have not met such a situation. So I gradually came to think that
we AIU students really have to help them. The reason why I think like this is that we are young
and we are students who don't know so much about anything. We have to learn more by using
any opportunity.
Through this course, I could learn a lot about the rural culture, agriculture, rural economy,
and community ties in a rural community. We started to study about the history of Kayagasawa
area, and what makomodake is in the class by using the internet or books. Then we went to
Kayagasawa village several times, and joined many activities. They were very kind and welcomed
us. I guessed that they may have been glad to meet us because there are so few young men there.
I believe that we can be a stimulus for them to work, so we have to relate with them more and at
the same time, we have to learn from them more. Finally, I got many skills compared to my first
self-evaluation, such as logical thinking, critical thinking, and so on. I will continue to use these
skills in any situations, and I really want to realize our suggestions in Kayagasawa and AIU.
PBL Individual Paper
Hibiki Hayakawa
This PBL course offered a special set of experiences that I have done for the first time. In
the class, students had to arrange their own research projects: setting the goals of our research,
gathering enough data, analyzing it, and proposing the best solutions that have potential to solve
the problems which small rural communities have. In contrast, our research field was Kayagasawa,
which was a very small rural area in Yuwa. We visited there three times to get information and
interact with local people to learn about the real situation of Kayagasawa. The main industry of
Kayagasawa is agriculture and many residents are part-time farmers. Surely, it is a very small rural
community, however, Kayagasawa has a long history and beautiful nature that can remind us of
traditional lifestyles in Japan. Also, we had some opportunities to communicate with local people
89
付録
the Kayagasawa Community.
After the visits, we came up with a few solutions for the physical difficulties of growing
makomo, and the only thing we needed to find out more about was the mental difficulties of
makomo. For this, we conducted interviews with the farmers during the Kayagasawa Cultural
Festival. In addition to our research project, we experienced different aspects of village life, such
as chopping wood, picking fruit, and we even made pizza using makomo. We also had a chance
to see a Kayagasawa traditional dance performed by the children and even the adults. It was like
watching the past come to life as I got to see and imagine how the Japanese people lived in the
past. Through the final visit, we finally got through our results regarding the difficulties of growing
makomo and we also came up with possible solutions to tackle the problems and present them to
the Kayagasawa villagers.
Upon finishing this course, I felt that not only have I learned to make a good project and
research; I also believe that it has changed my perspective in life that everyone needs help and
that we need to work together to achieve the common goals for the benefit of everyone. This PBL
course has taught me more than just education and getting good grades. It made me realize that
after I have completed my studies, I have to apply my knowledge to the real world and I believe
that through hard work and determination, we can change a difficult situation for the better. For
that, I say this course has been an experience that I will cherish and will never forget.
Studying in a Rural Village:
Kayagasawa and the Importance of the Relationship between AIU and Kayagasawa
Hatsumi Ono
First of all, before taking this course, I expected to gain knowledge of the rural economy
in this course. I will take a Global Business course in the future, so I thought this class would
help me to expand my perspectives of the rural economy. However, this class focused on doing
research, so I was a little upset when I found out about it. Eventually, I chose to take this course
and have experienced a lot of aspects that I did not expect, such as group work and taking much
time to research. I thought it was a really good experience for me. That was one of the things that
I learned, and also I learned about the difficulty of promoting makomodake [edible wild rice stems];
the real situation of the village such as the declining population rate; and the economy produced
by makomodake production. And also I learned and thought about what the importance for me
and the Kayagasawa people was.
This was my first time to research in a group, so I was very upset during discussions.
Because I wasn’t good at speaking and listening, I often couldn’t catch what they were talking
about, and I wasn’t satisfied with how I expressed my feelings. Sometimes we clashed with each
other because of differences in our ways of thinking or opinions. Furthermore, all of us knew a
little bit about Kayagasawa village, and what makomodake was, therefore we developed our
research area based on our initial impressions. Firstly, our research question was decided to
be, “Why did farmers begin to produce makomodake?” Through three visits to the village, we
researched by interviewing the farmers and giving questionnaires to the farmers, villagers, and
90
Makomo-Dake: A Reflection Upon my Kayagasawa Village PBL Experience
Azrizzan Hilmi
As an international exchange student, I had little knowledge regarding Japanese culture
or how Japanese people work. The first time I enrolled in this class (Project Based Learning:
Community and Environment), I had no clue of the class outline except the fact that it might be
related to the community here in Akita, or maybe with the environment, such as environmental
problems or the living environment of the local people. I was interested in knowing more of the
Japanese culture, especially in rural areas, and how the community works, and possibly distinguish
the difference between the rural communities in Akita, Japan, with the rural communities in
Brunei.
The first word that stuck my mind about this class was ‘makomodake’ [edible wild rice
stems] which is a relatively new vegetable that the people of Kayagasawa Village are currently
cultivating. We were to be grouped into teams of Japanese and international students to come up
with a research topic related to Kayagasawa Village, either in relation to the farmers, makomo,
or the community itself. For me, it is very interesting to see how the Japanese students and
international students from different backgrounds exchange each others’ ideas, working together
trying to achieve a common goal and objective in which I think this class is very unique. From
this point, I felt that this PBL class was very different from any ordinary modules, because I felt
that we could actually help and aid people with real life situations instead of just trying to give a
solution to the lecturer.
We came up with a research topic to find out about the difficulty of makomo cultivation,
both the physical and mental difficulty. During our first fieldwork to Kayagasawa Village, I was
excited to see what the makomo cultivation looked like and even how farms in Japan would
look like. Being greeted by the two farmers, Susumu-san and Yukio-san, was a pleasure. They
explained about makomo and requested the AIU students to help them in making makomo a
success. We also visited some places in the villages such as the Community Center, where most
villagers do their cultural activities and festivals. It was very intriguing as I have never seen a
traditional type of community center. We also visited two shrines in the village where I got to
learn about their gods and beliefs. During that time, we still had no clue regarding the difficulties
of makomo, except for the fact that it is not very popular. However, my teammates and I were
very determined to find the causes for why this was so.
It was not until the second fieldwork that we had a gist about the difficulties of growing
makomo. We went to experience harvesting the makomo manually and it was a once in a lifetime
experience, as I would have never attempted farming before. We also experienced packing the
makomo, in which I felt how hardworking the farmers of Kayagasawa village were. Not only did
we get to experience the rural village working life, we also stayed in a cottage inn and there, I got
to experience my first hot spring which is known as “onsen” in Japanese. Through this, I finally
got to know about the lifestyle of the Japanese people and I got to bond with both Japanese and
international friends even more. We also had the opportunity to sell the makomo that we had
harvested at the market festival in Akita City. There we got many opportunities to ask strangers
about their knowledge regarding makomo and we also conducted various interviews about
makomo. To see the “hardworking-ness” of the people has made me even more determined to
help them achieve their goal of making makomo a success and to give a special type of bond to
91
付録
have Japanese language experience, it is limited compared to my Japanese peers in the course,
and impaired my communication with the community members. I was able to overcome this
barrier with the help of my fellow Japanese classmates.
From the interviews, I was able to find that farming is a very labor-intensive job and even
with government subsidies, the income received from farming alone is not enough for many of the
residents of Kayagasawa to live off of. This forces many of the community members to find part
time jobs outside of agricultural practices to supplement their incomes. One of the main factors
contributing to the depopulation of Kayagasawa and other rural communities in Japan is the
lack of job opportunities outside the agricultural job sector. I also found that roughly half of the
students of Daishoji Elementary School, when asked if they had interest in moving to urban cities,
were interested in moving out of their local villages to cities such as Tokyo. The fact that almost
half the student population had future interest in moving out of their communities shows the
significance behind the depopulation of rural areas.
The reason I enrolled into this PBL course was because I was aware that there would
be opportunities to interact with local communities in Akita, Japan. Prior to taking the course I
thought this would be a great way to not only learn and get academic credit, but also experience
Japan on a different scale. This scale would be on the smaller rural community level. I wanted to
converse and find the problems associated with Kayagasawa Village and research what could be
done. Most of my intentions were academic and to expand my experience and skills in research.
What I received in the end was something much more. I was not only given the chance to
obtain valuable data on the village, but also to become close with the community as well, from
participating in harvesting to selling makomo, getting to know the Daishoji elementary students,
and to sharing close interactions with the residents at the Cultural Festival. I never thought that
I would be able to participate in such a culturally rich event such as the Kayagasawa Cultural
Festival. I was able to appreciate the village on a different level. There are only so many things
that one can learn from lectures and reading based courses that I believe limit one’s learning
capabilities. This opportunity offered me the chance to engage with the community and immerse
myself in the rural Japanese culture.
As an International Studies major with an emphasis on public health, development,
and the environment, I have taken many courses in those fields and in urban studies. It was
an amazing feeling to be able to apply the theories to the fieldwork and research we were
conducting. This whole experience was more than I could have asked for. I am thankful not only
to the Kayagasawa community for choosing to give Akita International University the chance
to partner with them, but also for the community members being so helpful and positive in
participating in our field research. It was one thing to agree to participate, but another to go out
of their way to cooperate and answer all our research questions.
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An American’s Perspective of the Rural Japanese Village
Alan Roniss
As an international student from the United States, studying abroad at Akita International
University has been an amazing experience altogether. Having the opportunity to take the Project
Based Learning course, Community and the Environment, has opened my eyes to many different
perspectives of the Japanese rural environment. The course was not easy and challenged all of us
individually and also collectively as a class. The theme of the course was to research one of the
problems Japan is currently facing. This problem was the depopulation and aging societies of rural
Japan. It is a topic I was familiar with due to prior knowledge of rural depopulation issues, not
specifically in Japan, but of a global trend. Which is why I was so intrigued by the course topic.
Another factor that caught my attention for this course was the research opportunities offered
to the participating students. To be able to conduct field research in and with rural community
members was something I did not want to pass up. I believe it is something much more valuable
than learning solely by classroom participation or lecture based learning. I will now proceed
to showcase my personal participatory observations, personal research and data found, and
finally, my thoughts and conclusions derived from the data and interviews with the Kayagasawa
community members.
Upon partnering with this class, the Kayagasawa community agreed to help us in our
research on the depopulation of Japan’s rural farming communities. The Kayagasawa community,
specifically the Himeyukishiro Farming Association, had taken up a unique challenge of switching
from rice cultivation to makomodake [edible wild rice stems] cultivation. The reasoning behind this
being that the market for rice production has been dropping over the past several years due to the
decreasing demand for, and consumption of, rice. Upon our first field research opportunity, we
visited the Kayagasawa village to observe and take notes on this new crop.
When arriving at the village, I was shocked to see how small the community was. In
the section of Kayagasawa we visited, houses were clustered together with agricultural plots of
land surrounding the community. The makomodake field we visited was a short car ride from the
community, less than two to three minutes away. When we arrived at the field I, along with the
rest of my peers, was surprised to see how tall each individual makomodake plant was. The crop
stood at about two meters in height and was grouped together with several other plants to form
bundles. Upon our observations, the two gentlemen, Kaoru-san and Yukio-san, accompanied our
class, answering most, if not all, of our inquiries. They displayed how each makomodake plant
had to be hand cut to harvest the edible part of the crop. This is a very labor-intensive procedure.
Due to the crop’s vulnerability to chemicals, makomodake farmers are unable to use pesticides
and other chemical additives in the cultivation of the crop. Without the help of chemicals, the
Kayagasawa farmers would have to invest time and effort into the production of this specific crop.
After several other research opportunities, such as participating in the harvesting and selling of
makomo, and also Kayagasawa’s Cultural Festival, I noticed that there was a very low number of
children compared to the amount of adults and senior citizens in the community.
I was able to collect a wide base of data ranging from the observations previously stated,
interviews conducted with the Kayagasawa residents, and also surveys taken by residents at the
Kayagasawa Cultural Festival. I was able to learn a tremendous amount simply by conversing
with the residents and farmers of Kayagasawa, even with the language barrier. Although I do
93
付録
their work is one of the advantages of Kayagasawa village. Makomodake harvesting is not easy.
However, it could gather some media attention to Kayagasawa village. To start new things must
need some courage, and they are trying to do this. I expect that their flexibility and assertiveness
are the most important advantages for them.
Of course, tradition is also important to maintain a community, such as its temples, shrines,
festivals and the roles played by each community association like the Women’s Association, the Youth
Association and the Senior’s Club. To preserve traditional events, community members can get
together regularly, about three times a year. They have three big events in a year, and in particular,
the cultural festival in November is the biggest gathering for them. At the festival, children in
Kayagasawa village perform traditional dance, Bangaku ( 番楽 ), and adults make dishes and drink
together. We students from AIU were at the festival, and we felt their community ties looked very
tight. All community members identify as Kayagasawa villagers and were glad to participate in
the festival. Recently, they have been facing the problem of depopulation around the village, and
even elementary school students felt sad about it. Their school will close in a year, and now the
students have both uneasiness and positive expectations for the new school. Not only children,
but also adults, felt sorry for the close of the elementary school. Therefore, the community ties
have been maintained throughout a long history, but the form of the community has changed
gradually through depopulation and aging, and fewer children.
Despite such a situation, I believe that Kayagasawa village still has a possibility to survive
in future. If they are serious and try to gather new people, the severe depopulation could become
slower than ever. Thus, the important elements here are the villagers’ attitudes and methods to
attract outsiders. In terms of the methods they have used, we already provided some examples:
green tourism, an organic restaurant, promotion of makomodake, and agricultural experiences
at Kayagasawa. In particular, agricultural experiences might suit Kayagasawa because the
villagers are good at welcoming guests with their open minds. They could accept us, including
foreign students, and even use simple English to entertain us. Their warm attitude made us really
comfortable, and we strongly felt their kindness through the interaction. Additionally, through
the course, I grew to know the importance of agriculture, and the agricultural experience was a
great opportunity for the guests to understand what agriculture is. Agriculture is the fundamental
industry to harvest vegetables and crops for consumers. However, many consumers never know
how the vegetables were grown and who grew them. I would like to say that we should know
how farmers are struggling to grow a vegetable, and we should eat it with respect. Therefore, we
need such a learning space to feel it, or touch it directly. I hope that Kayagasawa village will be a
place that transmits the goodness of rural life and the importance of agriculture to outsiders.
Kayagasawa village is a small village. Although the village looks to be shrinking, the
villagers have flexibility to welcome guests from outside, courage to try new things, a strong
identity as village members, and traditions with a long history. Their flexibility might become
an advantage to attract new villagers, and their courage will support the new promotion of
makomodake. In terms of tradition, Kayagasawa village’s history should be preserved for the next
generation. However, the villagers will have difficulty preventing depopulation of the community.
However, I know that Kayagasawa village has many attractive advantages that appeal to
outsiders. If the villagers noticed Kayagasawa’s unique strong points, they would be able to save
themselves in the future.
94
utilize absent rice fields. Thus we have reflected the results of the survey and thought about our
research question from the other way around; based on the fact that people in Kayagasawa are
hoping to make makomodake famous, we have thought what we can do to help them.
Given that the farmers of makomodake were struggling to advertise it around Akita
prefecture, we eventually thought up four suggestions as ways to make makomodake, and
consequently Kayagasawa itself, famous outside of Kayagasawa. These were: opening a
restaurant serving foods using makomodake, consulting with agricultural professors for its
chemical analysis, expanding markets cooperating with other institutions, and asking AIU students
to help some works in Kayagasawa.
We strongly hope that further interaction with Kayagasawa village will positively affect
both AIU and Kayagasawa village itself. The successful familiarity-development cases of gyoja
garlic and Itoigawa city were both realized upon the long-term interaction with many people
around them. To make makomodake famous, and to provide more opportunities for AIU students
to know about the actual situation in rural villages, we hope our relationship will last unceasingly
in the future.
Ⅱ . Individual Paper
Experience and Learning through PBL
Akari Kato
Kayagasawa is a small village. It is surrounded by mountains, forests, and a wide river.
Kayagasawa villagers support their lives through agriculture or other jobs outside the village,
and their rice fields are wide and neat. We never imagined their lives in such a rural area until
we went there. Actually, their lives in Kayagasawa are totally fulfilled and comfortable for the
residents. However, while life is comfortable for now, the villagers feel uneasy for the next
generation in Kayagasawa because of depopulation and aging within the community. Their
concerns must be tough to solve completely, but I found several possibilities for Kayagasawa
through this course.
Firstly, people in Kayagasawa have flexible attitudes towards students, including foreign
students, and this flexibility might become a key to opening the village to outsiders. Through this
course, we had three or four chances to interact with Kayagasawa villagers. At that time, they
were really kind to us and were willing to show us their village and talk about it: the history,
tradition, festivals and so on. Their positive attitude was a big help for our research, and thanks to
them, we could know about Kayagasawa village in detail. For example, although it is surrounded
by mountains and not convenient to access, the gate of the village has been opened to the outside
- they even had the experience of being host families for foreign guests. Their open-mindedness
shows the flexibility of the community, including Hime Yuki Shiro farm. In fact, Himeyukishiro
farm started growing a new product, makomodake [edible wild rice stems], which they got the
information about from the internet. Such an assertive attitude toward introducing new things into
95
付録
(iii) to cooperate with a research institute to request a scientific verification of makomodake, (iv)
and to collaborate with AIU to open lectures about agriculture and to support the labor force in
the form of part-time jobs.
(i) Itoigawa city in Niigata prefecture showed a precedent case of combining floundering
farming with a farmers’ restaurant to revive economies, opening a restaurant serving locally
produced foods called Farmers’ Kitchen Hidamari. Villagers from some villages in Itoigawa city
collaborated with each other to obtain subsidies from the government, and succeeded to increase
their local consumption. Thus following this case, since makomodake is still not widely known,
it has a potential to sensationalize Kayagasawa village if Kayagasawa village opens a restaurant
serving it, which is very rare in Japan.
(ii) A direct selling shop, which might only be familiar to people from countryside villages,
is a very useful place for many people around there to buy fresh vegetables inexpensively. Given
that the popularity of makomodake is low even among local elementary school students, they
should first expand their market. Cooperating with direct selling shops in a wider area means
reaching more consumers. Since AIU sometimes invites guest farmers from near the school to sell
local specialties with them, we thought that the Kayagasawa people could at least expand their
market to AIU, and likewise to other universities.
(iii) During the cultural festival in Kayagasawa village, we met Mr. Nakamura and he
introduced a unique way of promoting local food. He suggested consulting with a research
institution for a detailed scientific analysis of makomodake, following the case of gyoja garlic.
One researcher investigated an unfamiliar strain of garlic thriving in mountainous forest areas in
Hokkaido, spending more than twenty years to scientifically analyze its components. He published
an essay about the research results, and concise books for the public to advertise how that garlic
is good for our health. This effort eventually stimulated a variety of people in Japan to buy garlic.
Thus, since no one has researched makomodake yet, starting research on it would be a good
chance for both researchers and the people in Kayagasawa.
(iv) From the viewpoint of AIU, Kayagasawa village has much potential for us to
investigate. Since the people in Kayagasawa village have experienced knowledge about
agriculture, students at AIU who are interested in agriculture can learn from them. Additionally,
the lack of workforce in Kayagasawa village can be complemented by students from AIU.
Conclusion
Before we visited Kayagasawa, we did not know about actual rural life in a village,
agriculture in Japanese rural areas, and even what makomodake was. Our three field research
visits, however, starting from the geographical identification of Kayagasawa and ending with
the participation in their cultural festival, made us understand Kayagasawa village more deeply.
There were several changes to our research question because the more we visited Kayagasawa,
the more we found new aspects, and the deeper we could know about their lives.
Our first research question without any knowledge about Kayagasawa was, “Why did
Kayagasawa famers began to produce makomodake?” At the beginning of this course, we wanted
to see what were the advantages in raising makomodake. However, through the field research we
conducted three times, we found that our research topic was not developable. As a result of our
survey, the farmers in Kayagasawa showed consensus in their reasons for planting makomodake;
because they wanted to raise something suitable for the soil in Kayagasawa as a rotation crop to
96
From the chart above, we cannot conclude that makomodake is famous in the villages around
Kayagasawa. Even children living very close to Kayagasawa are not familiar with makomodake.
Thus consequently, it can be said that the popularity of makomodake is still low, even in local
markets.
Overall, based on the three questionnaires, we found that makomodake is quite well
known in Kayagasawa village, however one cannot assume that makomodake is famous in Akita
as a whole. Based on the survey, makomodake still has a lack of popularity in general. But, we
believe that Kayagasawa people have the ability to increase the popularity of makomodake.
Hence, we have come up with several suggestions as to how to increase makomodake’s popularity
in Akita. We will discuss our suggestions in the following section of how they could do it and how
we could do it.
Discussion
The Rice Acreage Reduction Policy, a policy of cutting back on the rice fields being
cultivated, was the first turning point for the Kayagasawa farmers to think about growing rotating
crops in absent fields. They have tried to grow many vegetables as a rotating crop to make up
for their diminished income, but those crops could not thrive for a long time in undrainable soil
and with insufficient sunshine. Then they shifted their attention to makomodake, with its notable
feature that this plant thrives well in watery soil, regardless of the amount of sunshine it can get,
thus rice fields can be reused as they are to raise makomodake.
The purpose of growing makomodake among the 6 Himeyukishiro farmers has changed
from the time they began planting it and now. The initial purpose of planting makomodake was
vague, but they had only been worrying if makomodake could be successful in the long term.
They did not have a solid purpose as to why they grew makomodake because the purposes
differed among the six farmers. When they first started planting it, their purpose was merely to
start something new as a rotating crop. However, in this current situation, most of them answered
that their current purpose is to sell makomodake as a specialty from Kayagasawa village,
taking advantage of its very low popularity throughout Japan. It shows they are more confident
and positive toward planting makomodake than when they started, and they now believe
that Kayagasawa village can someday be renowned for growing the unfamiliar makomodake.
Furthermore, this change in purpose has positively affected their everyday jobs and community
ties as well. 5 out of 6 farmers answered that watching makomodake gradually becoming famous
in the Akita market has been their motivation to continue planting it. Through the process
of growing, harvesting, packaging, and selling makomodake, Himeyukishiro farmers can also
strengthen their cooperativeness.
Even though they have been working with the belief that makomodake can make
Kayagasawa village famous, they responded that they are not confident in promoting it. Indeed, in
one small village that is remote from cities, with only 6 members, it must be difficult to gather attention
throughout Akita --- These are the findings from our research. Simply put, people in Kayagasawa
village are still struggling in advertising makomodake to the public. This was the key finding to fix
our tangible research topic; how can we make makomodake famous in Akita, and help people in
Kayagasawa advertise it. Then our suggestions as to how to increase makomodake’s popularity:
(i) to open a farmers’ restaurant to raise awareness, (ii) to expand the direct selling market of
makomodake through cooperating with supermarkets, roadside stations, and universities in Akita,
97
付録
Based on the questionnaires, we found that Himeyukishiro farmers chose to plant
makomodake to strengthen the community ties between the Kayagasawa residents. Moreover,
Kayagasawa people were interested in producing Kayagasawa’s very own specialty crop, which
is makomodake. They also mentioned that they had high motivations in achieving their aims.
From these questions, we can tell that Himeyukishiro farmers are very positive about continuing
production of makomodake. In the next survey, we will see how their attitudes have been
reflected to the rest of the Kayagasawa residents.
Results of questionnaires for Kayagasawa residents
Questions
Answers
Did you know about makomodake before Yes: 4
Himeyukishiro farmers started to produce it?
No: 8
Do you know about makomodake now?
Yes: 12
Have you ever eaten makomodake?
Yes: 10
No: 1
(No answer:1)
Do you think that makomodake is well-known Yes: 1
in Akita?
No: 10
(No answer:1)
Do you think that makomodake can make Yes: 11
Kayagasawa famous?
No: 1
Do you think makomodake planting can Yes: 10
succeed in the future?
No: 1
Not sure: 1
12 people answered our questionnaires.
Almost all Kayagasawa residents answered that makomodake is not well-known in Akita
prefecture.
Based on the questionnaires, we found that makomodake is famous in Kayagasawa
village, but not outside of Kayagasawa village, contrary to their purpose to make it into a local
specialty known by many people in Akita.
Results of questionnaires for Daishoji Elementary students
Questions
Answers
Had you ever heard of makomodake before the Yes: 5
famers in Kayagasawa started producing it?
No: 16
Do you know that Kayagasawa people are Yes: 12
producing makomodake?
No: 9
Do you know about makomodake now?
Yes: 11
No: 10
Have you ever eaten it?
Yes: 7
No: 4
How do you eat (cook) it?
Grilled
Miso soup
How often do you eat it?
Once a day: 1
One a week: 1
Once a month: 3
Do you like it?
Yes: 6
98
Kayagasawa area, but its methods have yet to be improved since the Meiji era. Almost all of the
farmers were part time farmers, and until now, there are a small number of both part-time and
full-time farmers working on the fields.
Moreover, their main source of income is not from agriculture; some farmers just do it
during their leisure time. In Akita, the main agricultural product is rice. However, in addition for
Kayagasawa people, makomodake [edible wild rice stems] is their alternative agricultural product
other than the normal rice. Makomodake is a type of rice that belongs to the family of gramineae
perennial plants that lives for up to 2 years. For this reason, our group was interested to do
research on why Kayagasawa people chose the makomodake plant of all crops; why they chose to
grow makomodake was our initial research topic. However, through this research topic, we have
found a lot of useful information which lead us to a lot of different, yet important, aspects. Hence,
we decided to change our research topic to a more specific research question which is, “What
can we do to make makomodake famous?” This is an important research question to help the
residents of Kayagasawa to understand the current and future situation of the crop. This will help
them to gain more perspectives in helping to move forward in the future. This paper discusses our
research methods, the data of makomodake that we have gathered, followed by data analysis and
findings and finally, suggestions as how to promote makomodake in the market.
Research Method & Research Results
Our main method of collecting data was through surveys and by distributing
questionnaires. We thought that these methods would be the simplest and most direct way to
obtain good data and responses. We prepared three questionnaires and interviews; the first
questionnaire was for Himeyukishiro farmers. The second one was for Kayagasawa residents who
are not makomodake farmers. Below shows the results of the distributed questionnaires.
We asked the following questions to Himeyukishiro farmers (5 respondents).
Results of questionnaires for Himeyukishiro farmers
Questions
Answers
What was the original purpose of producing To share something with farmers in Kayagasawa
makomodake?
To produce a Kayagasawa specialty
As a rotation crop (against rice limitation)
Did you know about makomodake before No: 4
starting to produce it?
Yes: 1 (saw it on the internet)
W h y a r e y o u c o n t i n u i n g t o p r o d u c e To make a specialty in Kayagasawa
makomodake?
It’s convenient
To share happiness with farmers
Do you think you can succeed in growing Yes: 5
makomodake in the future?
Do you have any successors?
No: 4
Yes: 1
Why did you choose to plant makomodake? It’s suitable for the fields in Kayagasawa
Why didn’t you choose any other products?
It’s convenient
Do you think this is the best way for you to Yes: 4
keep raising makomodake?
No: 1
What are your motivations in continuing to To gain popularity
grow makomodake?
To strengthen community ties
To have a goal
99
付録
by the university office. Both students from all over Japan and the world will see what Japanese
agriculture is like, and learn how to crop or harvest makomo or other crops. As people experience
the agricultural process, they tend to come to like the crops more than ever. So, participants will
like makomo, and it will promote the future consumption of makomo for sure.
Lastly, the third solution that we would like to suggest is making the most of the internet.
According to a survey conducted by the Japan Institute for Social and Economic Affairs in 2013,
more than 80% of the young generation (under 40 years old) answered that they got most of their
information via the internet. In addition, Kayagasawa village and its makomo have already got the
attention of other media, including the local newspaper and TV programs. However, we cannot
get information about makomodake in Kayagasawa on the internet. So, we believe the use of
Twitter would be beneficial for the promotion of makomo and Kayagasawa. As you look through
Twitter, you will find many characters, which are representing Japanese local communities.
They are broadcasting local communities’ information such as local festivals, weather, and the
promotion of local goods. This solution does not require any cost for Kayagasawa people. Also,
they can set up a Twitter account and start utilizing the internet immediately. This solution would
help to promote not only makomo, but also Kayagasawa, to the world.
To sum up, we strongly suggest that the Kayagasawa people promote makomo and
Kayagasawa using these three ways.
Through experiencing makomo harvesting and researching Kayagasawa for one semester,
we came to understand a broad view of Kayagasawa. The goal of Kayagasawa is to make 50%
of makomo sales from Kayagasawa residents. If the people who live so close by cannot see
the greatness of makomo, then who can? It is true that since makomo is only sold within the
Kayagasawa area, most of the consumers are Kayagasawa residents, but that is not what I mean.
When word of makomo spreads through the internet or other industries, Kayagasawa residents
should support the makomo market. The main benefit that we gain through this goal is bringing
the residents together and helping them stay in Kayagasawa to stop the decrease in population.
Every support from the Kayagasawa villagers is necessary in order for makomo to succeed.
Producing Makomodake in Kayagasawa: Present Situations and Future Directions
Hatsumi Ono, Mardhiah Mahusin, Nao Kozakai, Takahiro Fujita
Introduction
Kayagasawa is a small village located in the center of Akita Prefecture. It has a long
history of around 1200 years. The village is located in a very countryside area; away from
big cities and tourism. It is a very quiet village and some of the land is used for agricultural
purposes. There are a lot of historical buildings in the area, such as temples and shrines. The
population is relatively small and is decreasing by up to five to six persons every year. The
number of old people in the village is very high. In addition, there is only one elementary school
in Kayagasawa village with less than 20 students. However, the school will be closed down in
early 2015. The students are quite worried about transferring into their new school which consists
of the combination of other elementary schools. Agriculture has been the main industry in the
100
higher, even with a small amount of makomo. The second thing consumers, especially the parents,
are concerned with, is the short shelf life. Another vegetable, such as onions, could last at least a
month, but makomo only lasts for three days or less. For this opinion, we gave a suggestion saying
that farmers could make canned goods. Canned makomo lasts at least a year and still keep some
freshness.
Looking through these ideas, We realized that these could be a solution to the problems
or difficulties only in the short term. Using subsidies to attract youth might work, but listening to
Kaoru-san, he mentioned that makomo receives fewer subsidies than rice. When another group
suggested hiring part-time workers, one farmer said that he didn’t have the money to pay them
the maximum wage. In order to reduce the hard work, we said to invent robots or machinery. But
through the severe circumstances, it is obvious that they don’t have enough money to do that. In
addition, using pesticides which don’t harm makomo is still considered to be non-organic. Being
organic is one of the merits of makomo, so pesticides shouldn’t be used. Plus, the farmers would
require abandoning financial aid. As for the selling of cooked or canned makomo, not only do the
processes require money, but also permission. In order to sell something that is cooked or canned,
they need permission from the government. Receiving those permissions requires registration and
tests.
As you can see, our solutions were very unrealistic, especially for a small village like
Kayagasawa. Every issue had some kind of limitation, especially financially. Telling the farmers to
use money is too much to ask for and is almost impossible. Farmers have been growing makomo
for at least 5 years and we only visited the makomo farm 4 times. Thinking through this situation,
We realized that we cannot comment on the way farmers harvest. However, we can advise them
on how to advertise makomo.
Conclusion and Suggestions
We suggest three alternative ways for promoting makomo to more and more people. To
make our solutions realistic, we believe it would be effective to utilize our university’s facilities to
attract people in the university. Our first suggestion is to sell makomo in the student hall in Akita
International University (AIU). We suggest that makomo farmers in Kayagasawa should come
and sell makomo, as well as other Kayagasawa products such as persimmons and rice, to AIU
students. We can assume that students here will buy those crops willingly. This is because most
AIU students, including us, cannot buy groceries easily because we have few buses to take us to
the nearest shopping mall, AEON. In addition, it’s a great opportunity for us to communicate with
the local farmers. We consumers can get information about the producers and how to cook their
products. This suggestion would be beneficial to the famers for some reasons too. One is that
they can sell non-standardized crops, which will never be sold, so that famers can reduce many
of the cost losses. The second reason is that the university students have a great potential to buy
makomo again and again after they taste it. The third reason is that students might get interested
in agriculture or in Kayagasawa by communicating with the farmers. To realize this plan, it will
cost the famers gasoline; however, the benefits gained from the visit to sell at AIU will outweigh
the cost.
Secondly, we would like to suggest that the farmers should start offering farm stay
programs for students from AIU. The target of this suggestion is also AIU students. Since AIU is
trying to cooperate with the local community, a farm stay in Kayagasawa would be supported
101
付録
village have had difficulty in selling it. Ikeda san said that they tried to introduce makomo to
JA (Japan Agricultural Cooperatives), some supermarkets, restaurants and hotels to buy them,
however, makomo was not accepted. Ikeda san also mentioned about the money they spend on
makomo. For their business, money is necessary, but they said they do not have enough money to
advertise makomo.
From the questionnaire, we found out that many people in Akita do not know about
makomo at all. From the data at the market festival, when we asked. “Do you know what makomo
is?” on the questionnaire, 24% of people answered, “I have bought it” or “I have eaten it”, 47%
of people said, “I have heard about it” (but have not eaten it), and 29% of people said “I do not
know what makomo is.”
We also found that even residents around the Kayagasawa village did not know about
makomo well. According to a woman with her two daughters at Kayagasawa cultural festival,
she has never bought makomo before, and did not know what makomo was like. We also had
an interview with another old woman who lives in Kayagasawa, and she said that she did not
know how to cook makomo specifically. At the same time, she added that it was expensive as a
complaint about makomo. In addition to her, other consumers answered that they felt makomo
was expensive compared its contents. Thus the expensiveness makes makomo less popular among
consumers.
Furthermore, we found out about the different motivations within the farmers’ group.
Kaoru san, who is the leader of the community, said that he expects makomo to be a trigger for
development in Kayagasawa village. On the other hand, Ikeda san and other farmers in Hime
Yuki Shiro farm said that they considered makomo to be one of their sources of income. From the
interviews with several villagers, we felt that they have various motivations or aims for makomo
harvesting, and the attitude would make some difficulties for them.
Discussion
Again, our research topic was ‘the difficulties of making makomo.’ We looked at it
from two different perspectives; one being the physical and the other one being the the mental
difficulties of producing and selling it. In our midterm presentation, we gave some brief solutions
to the physical difficulties. The first solution we gave for the lack of workers was to use subsidies
from the government and to give more interest to the youth. For example, workers under 30 years
old can gain an extra subsidies. Another difficulty was the hard work. First of all they would have
to cut each makomo by hand. Then, after the harvest, they would measure each makomo in 21cm
pieces, then they would put two pieces into a plastic bag along with a flyer. When I did this with
12 other students, it took us 3 hours or so. If the farmers have to do it on their own, it would take
longer. In order to speed up the process, we came up with a solution to invent a robot or some
other kind of machinery. Furthermore, makomo is not allowed to use any pesticides. But because
of that, the farmers have to pull out weeds one by one, which takes at least 3 days. For that
solution, we said that they could use pesticides which wouldn’t affect the makomo as much.
Not only are there difficulties in harvesting, but also when those makomo reach the
consumers, other difficulties arise. When we were actually selling the makomo, consumers gave
us comments saying that they were too small. The consumers would have to peel off at least two
layers. The consumers are saying that the price and the quantity of the vegetable are unbalanced.
As a solution, the farmers could sell cooked makomo so that they could make the price a little
102
Research Results and Findings
1. Physical Difficulties
From the interviews and questionnaires that we have gathered, we have come to a
conclusion that there are 3 main reasons as to why makomo agriculture in Kayagasawa is difficult.
The physical difficulties of makomo are: the agriculture itself is time consuming, it costs a lot of
money, and makomo itself is not a popular vegetable.
Firstly, the planting, harvesting and production of makomo itself is time consuming, as it
can only be harvested using traditional methods of manual labour and using simple traditional
tools such as sickles. This is because the makomo vegetables need to be manually checked to see
whether they are ready to be harvested or not, and in addition, using machinery would destroy
the crop as there is currently no available technology made to specifically harvest makomo. In
addition, makomo can only be harvested during the autumn season, so the farmers would have
to wait a long time before they even begin to make a profit from makomo. Makomo is also a
sensitive vegetable, so using pesticides and chemicals is prohibited because the chemicals would
be absorbed by the makomo. Thus, the weed killing and removing of pests must be also be done
manually. With only 3 full-time farmers and 3 part-time farmers in Kayagasawa, makomo planting
and harvesting has proved to be more physically demanding in terms of labour and time.
The second physical difficulty of makomo is the fact that they are quite costly, considering
the size of the vegetable. The makomo are sold at 200 yen per packet (which consists of 2-3
makomos) and they are considered to be inadequate in their size and quantity. In an interview
that we conducted during the makomo festival in Kayagasawa village, one man aged 25 said that
makomo in itself is considered quite expensive compared to its size but he said that it is worth
the money spent, so this was considered to be good feedback. However, some parents that we
interviewed said that makomo was expensive compared to other vegetables (for example broccoli,
which they are more likely to buy), and the proportion of makomo is considered small considering
its price of 200 yen. This means that people would be less likely to purchase the makomo
vegetable due to its expensive price.
The last physical difficulty that we have concluded is that makomo itself is not a
particularly well-known vegetable and it is not as popular as any other vegetable. During the
makomo festival, we interviewed a woman and her two daughters and they did not know what
the makomo vegetable looked like. Also, during the market festival in Akita City, we asked random
people and only 47% of them had knowledge regarding the makomo vegetable. Makomo is also
quite a difficult vegetable to cook according to the interviews that we conducted with random
people, as many of them did not have any knowledge about how to cook it. Lastly, the lack of
popularity of makomo is also due to its short shelf life of less than one week, thus it is rarely sold
in the supermarket.
2. Mental Difficulties
At the interview, we asked Ikeda san to tell us how they started makomo harvesting in
Kayagasawa village. Ikeda san is the originator who introduced makomo to his colleagues for the
first time. He told us that farmers have to work a lot for makomo in terms of weed-killing, and also
they have had some difficulties because of makomo’s price setting. According to him, the one who
decides the price of makomo is not Hime Yuki Shiro farm, but the “Makomodake Association.”
Actually, the price of makomo is expensive and the shelf life is short, thus farmers in Kayagasawa
103
付録
interested in agriculture.
On the other hand, it is not directly related to maintaining community ties in Kayagasawa,
but a sixth industry can help a culture of makomo in terms of making money. It would help to
solve a conflict about makomo’s price between consumers and producers and it makes a more
comfortable place to cultivate makomo. In addition, as a way of acquiring outsiders, we suggest
green tourism, which is a kind of leisure activity in rural areas. Green tourism gets people to
become interested in agriculture through agricultural experiences and understanding the real
situation of agriculture in Japan. Therefore, it is a good way to attract outsiders. Lastly, we
suggest agricultural internships between AIU and Kayagasawa. This will not only give a place
to communicate and interact with outsiders to Kayagasawa people, but also give an agricultural
experience to AIU students. Moreover, the communication with AIU students who have various
kinds of backgrounds will help Kayagasawa people to think about Kayagasawa’s future. We want
to suggest all what we wrote above as a way of maintaining the community ties in Kayagasawa.
Difficulties and Suggestions of Makomo Harvesting
Akari Kato, Azrizzan Hilmi, Mayu Nishina, Tomoyo Takamatsu
Introduction
First of all, we simply thought, “What is makomodake [edible wild rice stems]?” Actually,
makomodake is not a popular vegetable among consumers, including us. After we learned about
makomodake more in detail, we tried to find out what we had to research next. Makomodake is
a vegetable which grows in rice fields, and tastes like a bamboo shoot. Our interests were varied:
what kind of relationship is there between makomo and Kayagasawa village; what are the benefits
of makomo for the villagers; and how could makomo support a shrinking village like Kayagasawa
village? We discussed all the possibilities for our research theme, and finally decided on, “What
are the difficulties of makomo harvesting in Kayagasawa?” Eventually, our theme became very
simple, but this simple theme is still a vital question, because to identify the difficulties, we could
find out possible solutions for farmers.
We found out about the physical and mental difficulties of growing makomo for farmers,
and made some suggestions based on these difficulties. Thus the theme possessed flexibility to
extend our perspectives.
Research Method
In a class activity, we learned the history of Kayagasawa village, basic knowledge about
Japanese traditional villages, and community formation.
We distributed questionnaires to consumers (at the market festival) and farmers (at the
Kayagasawa Cultural Festival), and had several opportunities to interview Kayagasawa villagers,
do field work at Kayagasawa, at the market festival, at a workshop with Daisho-ji Elementary
School students, and at the Kayagasawa Cultural Festival.
104
School Closure
With no elementary school, Daishoji Elementary School is the closest primary school
located to Kayagasawa village. For students living in Kayagasawa, the school is located a
convenient fifteen minutes away from the village by bicycle. Daishoji Elementary School has a
student population of 42 and will close within a year to merge with another elementary school
located in the Yuwa area. For students, this merger will make the new commute to their new
school farther and more time consuming. Instead of taking classes with fellow community
members and creating bonds with one another, students will be attending classes with students
outside the community. Although this is positive for the students’ social networking, it is
detrimental to the community bonds one would make interacting with village peers. When
creating and maintaining a strong community, local education is a key factor and building block
for success. Having a local school option for students to attend is an extremely appealing asset
for potential families with children. Schools attract families but due to the projected closure of
Daishoji Elementary School, Kayagasawa will need to come up with potential replacements for
the activities the school environment provided. Daishoji Elementary School has not only acted
as a hub for student to student interactions, it has also acted as a bridge to connect the younger
generations with the older generations. The school not only provides opportunities for children
to communicate with the senior population of the community verbally, but to connect with one
another on a supportive base that provides an emotional aspect of establishing a stronger bond
between community members. During our research, a statistic was provided that stated that
roughly half the student population was interested in moving out of the community, to cities
such as Tokyo or Osaka. This is significant because it projects Kayagasawa and the surrounding
villages’ future generations’ migration patterns.
From the surveys provided, several of the Kayagasawa residents stated that they fear they
will lose important opportunities to interact with younger generations. We believe that this lack
of interaction will cause a further split between students who chose to stay in Kayagasawa village
and those who are interested in an urban life style. This is why the Kayagasawa community
should push to replace the activities Daishoji Elementary School provided. Without the effort to
revitalize, the community will continue to see the effects of depopulation and the average age of
each resident will continue to increase.
Conclusion
As above, Kayagasawa people create strong community ties through agriculture, cultural
festivals, their community center, and elementary school, besides their usual lives. Kayagasawa
people are proud of these community ties and also hope to maintain them forever. However,
because of the decreasing birth rate and aging population, it seems to be difficult to maintain
them. In addition, next year, Kayagasawa will be faced with the problem of the school closure of
Daishoji Elementary School. In these situations, to maintain the community ties in Kayagasawa,
it is important to make new places to communicate. In addition, to make up for a lack younger
generations, an acquirement of outsiders is important. As a solution, we suggest the following
things: first, we recommend using makomo. Makomo can be a trigger to making new places to
communicate. Today, only a few people join in makomo farming. However, if they make some
opportunities for the others to join in growing makomo, a new place for Kayagasawa people to
communicate and interact will be provided. Also, it makes a trigger for some children to become
105
付録
on November 7, students listed several events where they interacted with residents from the
surrounding Kayagasawa community. Some of these activities included the Sawayaka Marathon,
where community members cheer on participating students and also the Undokai [sports day]
where students would participate alongside their families and community members. In addition,
when we asked, “Do you want to move to Tokyo or any other big cities?” to fourth, fifth and sixth
year students of Daishoji Elementary School, almost half of them answered, “Yes.”
Discussion
After conducting our research and collecting data, we found several factors contributing
to the depopulation and aging of Kayagasawa Village. The two factors that will be discussed are
the pros and cons associated with agriculturally based villages such as Kayagasawa, and also the
closure of the local Daishoji Elementary School. We believe these two key factors are currently
accumulating the most negative effects on the community, contributing to the slow yet steady
depopulation and aging in Kayagasawa.
Agricultural Community
In every community there are factors that positively and negatively affect the social
structure, but in Kayagasawa’s case, the negatives seem to outweigh the positives at the current
moment. Agriculture accounts for the main source of income for the majority of households in
Kayagasawa. Although farming holds deep ties with the community, dating back decades and
centuries of agricultural background, the income accumulated from agriculture alone does not
suffice for the residents of the community.
When interviewing Mr. Kato, Mr. Kato, and Mr. Ikeda, residents from the community,
ranging in age from forty to sixty years old, stated that it is very hard to live off of farming
income alone. This is the reason why so many farmers work other part-time jobs to supplement
the income received from farming. We found that not only is agricultural work low paying; it
adversely affects the workers with its physical demands on the body. Mr. Ikeda (59) is a prime
example of this problem. Currently a carpenter, Mr. Ikeda was forced to quit farming due to the
physical stress he accumulated from rice farming. The labor intensive, low financially rewarding
job becomes increasingly unappealing to the younger generation. When interviewed, many of the
residents stated that their children had moved out of the community in search of job opportunities
in the city, or for educational reasons. This is a trend that has plagued the rural communities
of Japan, witnessing the rural urban migration of younger career and education driven citizens.
Due to the outmigration of its younger residents, over 50% of Kayagasawa’s population currently
is older than 65 years old. We were informed of this statistic by Mr. Kaoru, the present village
leader, during the Kayagasawa Cultural Festival on Sunday, November 9. The lack of secure
job opportunities Kayagasawa offers its residents and potential future residents is a significant
push factor for people migrating out of the community. It is also a risk for those who decide on
remaining in the community. To sustain a stable community, a stable form of income is needed to
accommodate the resident population. Without this stable income base, as seen in Kayagasawa,
residents will continue to migrate away from rural areas to urban cities in search of work.
106
papers to know the real situation in Kayagasawa by collecting information from the residents
directly. The informants were four men and five women. We wanted to ask people whose ages
were uneven, but we could not do that because the participants of the festival were relatively
older and there were no young people in their teens or 20’s. However in Kayagasawa, men in
their 60’s or 70’s have great power to make the atmosphere of the village more exciting by putting
efforts into makomo farming (Himeyukishiro Farm).
Also, women were making makomo dishes at the festival. Considering these facts, the
opinions of people in their 60’s or 70’s are really important for Kayagasawa and we decided to
use the questionnaire results for our research.
The question contents were as following:
1. How often do you come to Kayagasawa’s community center?
2. Do you plan to attend the cultural festival next year?
3. Do you think that closing Daishoji Elementary school will negatively affect
Kayagasawa Village? If so, how does it influence community ties?
4. Do you have any hope about the future of Kayagasawa’s community ties?
From the questions above, we could find the real situation of Kayagasawa, which is a
small farming village having the problems of aging, a shrinking birth rate, and an impending
school closure.
The first question was: “How often do you come to the community center?” Among the
9 people who answered, 5 respondents answered, “A few times a year.” We thought that the role
of the community center was really important for the community ties because it is the only place
where the Kayagasawa people can gather and hold events to confirm their attachment to their
hometown.
All the respondents answered, “yes” to the second question: “Do you plan to attend the
cultural festival next year?” They said, “Makomo is so tasty and I want to get more information
about it”, “I want to help local events”, “I hope that Kayagasawa’s events will continue”, “I find
Kayagasawa’s charm by gathering with residents”, “I want to contribute to develop community”,
and of course, “just for fun”, as the reasons why they joined the festival. Also to the third
question: “Do you think that closing Daishoji Elementary school will negatively affect Kayagasawa
village?”, all respondents said, “yes”, and the possible negative influences that the respondents
gave were the loss of children’s voices, greetings, and vigor from the shopping streets, the change
of the students’ and parents’ lives, and weaker parents’ ties. The third and fourth questions are
especially related to our research topic because we guessed that the school had a great influence
on communities and to maintain the community, it should be developed in a way that meets the
wishes of residents. Finally, we found that Kayagasawa people wanted to make a community
which was made by residents’ cooperation and cheerful children from the fourth question: “Do
you have any hope about the future of Kayagasawa’s community ties?” One respondent said
that they were necessary for residents of Kayagasawa to cooperate with each other because they
have problems of aging and depopulation. Another said she wanted to hear children’s voices.
This comment reflects her hope that Kayagasawa will not lose the children who are making the
community active.
As a supplement to the results of the questionnaire, in the Daishoji student presentations
107
付録
research group obtained our data was through: participatory observations held at Kayagasawa,
first hand interviews, and presentations from residents of the community. Finally, we also
conducted a set of surveys for the residents of Kayagasawa to fill out. Our observations were
collected from the field research opportunities held in Kayagasawa, while our interviews were
conducted with village leaders, students of Daishoji Elementary School, and residents of the
community. In this section we will only show our research methods, thus our data and results
found from our research will be discussed in the following section.
Our data collection schedule went as followed and will be explained in chronological
order consisting of four main field research opportunities. On Friday, October 10, we had our
first chance to gather information when visiting the makomodake [edible wild rice stems] farm in
Kayagasawa village. This was our first opportunity to observe and experience what it was like in
Kayagasawa, and also our first chance to communicate with two of the community’s makomodake
farmers, Mr. Yukio and Mr. Susumu. These first observations, along with informal interviews and
discussions with Mr. Yukio and Mr. Susumu, would serve important roles in helping to understand
how closely tied farming and agriculture is to the community and its residents. October 18 and
19 was our second chance to interact with local people. We stayed in Yuasis, which is a kind
of lodging facility. On October 18, we helped to harvest and pack makomo. We worked in the
makomo field and learned how to harvest it and how to recognize whether it was salable or not.
On October 19, we went to the market in Akita city and helped to sell makomo to consumers.
We made some sample cooked makomo such as makomo tempura. We could not reach our first
goal to sell 400 packages, but we could see the local people’s smiles and have good experiences
in this fieldwork. We learned the difficulties in harvesting and growing makomo and selling it to
consumers who have no idea about it. On November 7, we interacted with children of Daishoji
Elementary School, which is going to be integrated with Yuwa Elementary school. The elementary
school students had some presentations about some opportunities to interact with local people,
the history of Kayagasawa, some events in the Arawa district, and how they felt about the school
closure. Our team could broaden our perspectives towards the real situations of local people and
children in Kayagasawa, which worse than our expectations, and seemed to be more complicated.
We realized that our workload to achieve some solutions for our research would not be light.
Finally, our last fieldwork was on November 9 and we participated in the local festival held in the
Kayagasawa community center. We had a competition of makomo pizza and had to arrange and
make original pizzas that used makomo. Also, it was the very last chance for us to interact and
interview local people. During the cultural festival, we circulated some questionnaires to collect
the necessary data for our research projects. After the cultural festival, we had some time to
interact with local people and each group had some discussions that were related to each group’s
topic. These are the methods with which we obtained this data.
Research Results
Our research was mostly based on the interviews and questionnaire papers we
distributed at the Kayagasawa Cultural Festival. The cultural festival is one of the annual events
in Kayagasawa where residents gather at the community center and the participants can enjoy
performances such as Bangaku, which is a traditional performing art of Kayagasawa. Also, some
women serve local food and especially for us during this time, we AIU students joined a makomo
pizza competition. When we joined the Kayagasawa cultural festival, we distributed questionnaire
108
Attachment
付録
Student Papers
学生の英語レポート
I. Group Paper
Sustainable Community
Alan Roniss, Hibiki Hayakawa, Risa Ishigami, Yumemi Morishima
Introduction
It is well known to the international community that Japan has been facing the pressing
problem of depopulation and an aging society. This problem is magnified in the agricultural
communities located in Japan’s rural areas. The main focus of this Project Based Learning
course was to identify the factors contributing to the problem of Japan’s shrinking communities.
This is why we have focused our field research on the rural village of Kayagasawa, located in
Akita, Japan. Kayagasawa is a small, agricultural based village located in the Yuwa area inside
of Akita City. The population ranges in the low hundreds and its economy is mainly based on
agricultural production. To highlight these problems and to identify the factors contributing to the
depopulation and aging societies, we brought up the question, “How can Kayagasawa maintain
their community (population)?” To approach and solve this main question, we first had to identify
the factors contributing to the depopulation of Kayagasawa. Once these factors were identified,
solutions to slow, and finally reverse, the socioeconomic effects must be taken to maintain the
community.
These research questions hold a very important role in understanding how Japan’s rural
population is suffering from the effects of depopulation and aging. We will now explain how the
process of our field research in the Kayagasawa community progressed. First, we will introduce
our research design, which consists of the methods and schedule used to obtain our data. Second,
we will discuss what we found through our field research and firsthand interviews with the
Kayagasawa village members. Then we will analyze and elaborate on the importance of our data
and how it relates to the research topic we raised. Finally we conclude with possible solutions
that will positively influence the Kayagasawa community.
Research Design
Before introducing our data and explaining its significance to our research topic, it is
important to first clarify the methods with which we obtained this data. This was done through a
vigorous schedule which was set up by our instructor, Professor Sugimoto, and the cooperation
with the Kayagasawa community. We believe that the methods used and schedule followed
to obtain the data itself are equally important to the information received. The main ways our
109
付録
編者紹介
椙本歩美 (すぎもと あゆみ)
国際教養大学基盤教育 助教
専門は秋田の地域研究、フィールドワーク教育
平成23年度国際化拠点整備事業
(文部科学省)
大学の世界展開力強化事業報告書
PBL地域環境論 2014 秋田県秋田市
萱ケ沢で学ぶ地域社会
2015年3月25日 発行
編者
椙本歩美
英文校正
當眞デニース
制作補助
倉田あかり、小堺なお(国際教養大学学生)
小林沙樹子(国際教養大学教務課教育推進プロジェクトチーム)
発行
公立大学法人国際教養大学
教務課教育推進プロジェクトチーム
秋田県秋田市雄和椿川字奥椿岱
表紙写真
JA新あきた提供
本報告書の記載内容および発行に関しては、聞取り対象者および関係者の皆様から了承
を得ております。本報告書は学生の学びを社会に還元することを目的としており、内容
についての責任は発行者が負うものとします。本報告書の内容を発行者の許可なく転
載、引用など二次的利用することを固く禁じます。本報告書および本学の国際化拠点整
備事業費補助金「大学の世界展開力強化事業」(文部科学省)に関するご質問等は、国
際教養大学教務課教務課教育推進プロジェクトチームまでご連絡いただきますようお
願いいたします。
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PBL地域環境論 2014 秋田県秋田市
萱ケ沢で学ぶ地域社会
公立大学法人 国際教養大学
International Collaboration Project (ICP) について :
この事業は、平成23年度国際化拠点事業(文部科学省)
大学の世界展開力強化事業 の支援を受けて行っています。