本草綱目における紫鑛

大阪市立科学館研究報告 25, 11 - 14 (2015)
本草綱目における紫鑛
有 紀 子*
岳 川
概 要
1596年 に明 で出 版 された薬 に関 する書 物「本 草 綱 目」は、中 国 の本 草 学 史 上もっとも充 実 した薬 学著
作 で、収 録 薬 種 は1892種 、図 版 1109枚 、処 方 11096種 にのぼる。今 回 、国 立 国 会 図 書 館 に収 蔵 されて
いる本草綱 目 (初 版 )において、「紫 鑛 」の項 があったので、その解 説、図 版などについて報告する。
1.はじめに 
「本 草 綱 目 (ほんぞうこうもく)」は、 万 暦 18(1590)に
明 (現 在 の中 国 )で出 版 された薬 に関 する書 籍 で、 作
者 は李 時 珍 (りじちん)、図 は李 建 中 (りけんちゅう)が
担 当 した。 全 27冊 で、現 存 の完 本 ( 多 少 の 補 写 を 含
む)は世界で7点 、うち4点が日 本にある。
本 草 学 史 上 において、分 量 がもっとも多 く、内 容がも
っとも充 実 した薬 学 著 作 であり、日 本 においても 当 時
から薬 学 書 の基 本 として長 きに渡 り影 響 を及 ぼしてき
たとされている。
昆 虫 「ラックカイガラムシ」が分 泌 する天 然 樹 脂 様 物
図2.正 倉 院 宝 物「紫 鑛」(宮 内 庁 正 倉 院 蔵)
質 は、「紫 鑛 (しこう)」という名 で正 倉 院 宝 物 のなかで
も薬 品 として所 蔵 されている ※ 1 。紫 鑛 は図 1のように、
た、どのように記 述 されているかの調 査 を行 なった。今
枝 に 昆 虫 と その 分 泌 した 樹 脂 状 物 質 が かたまった 状
回 は、国 立 国 会 図 書 館 において公 開 されている資 料
態のもので、現在は「スチックラック」と呼 ばれている。ま
を参照した。
た、スチックラックの樹 脂 状 物 質 のみを精 製 したものを
「シェラック(セラック)」と言う。
今回、「本草綱目」に「紫 鑛 」が掲 載されているか、ま
2.本草綱 目の紫鑛(しこう)
前述のとおり本草綱 目は全 27冊あり、国立 国会 図書
館において初版 本が公開されている。そのすべてに目
を通 したところ、第 39巻 16,17ページで紫 鑛 の項 があっ
た(図4,5)。
2-1.紫鑛の記述
中 国 の 書 物 なので、当 然 、本 文 は 中 国 語 で書 かれ
ている。文 中 、大 きな文 字 で書 かれている項 目 が特 に
重 要 な内 容 であると考 え 、それらを 可 能 な限 り解 読 し
たものを以下に報告する。
図1.スチックラック(大 阪 市 立 科 学 館 蔵)
 *
大 阪 市 立 科 学 館 学 芸 員 /中 之 島 科 学 研 究 所 研 究 員
[email protected]
岳川 有紀子
表1.本 草 綱 目の紫 鑛の記 述 (抜粋 し意 訳)
紫鑛
釋 名(別 名 ) 赤 膠(赤いにかわ)
気 味(性 質 ) 甘塩味で潤す働きがあり体の中に
作用し少し毒がある
主 治(主な治療) 五 臓 邪 気(五 臓(肝・心・脾・肺・腎)
を健康に保つ
附 方(別の処方 ) 歯 縫 出 血 (抜歯した後の出血を止
める)など
表1は、文 中 で大きな文 字 で書かれた部 分を中 心に
抜粋、訳したものである。
図3.本 草 綱 目(初 版)表 紙(国 立 国 会 図 書館)
別 名が赤い膠、というのは、ラックカイガラムシの体 内
には 染 料 としても 利 用 でき る赤 色 の 物 質 があり 、手 で
潰 すと指 が赤 く染 まることから、この別 名 が付 けられて
いると想像できる。
なぜこうした効 能 があるのか、こうした効 能 がどのよう
に発見されるに至ったかについては、わからない。
2-1.新 訂 和 漢 薬 ※2 (1970年)との比較
新 訂 和 漢 薬 は、 現 代 の「本 草 綱 目 」と評 される和 漢
薬 の書 籍 で、約 2,900の和 漢 薬 を植 物 、動 物 、鉱 物 に
大別して解説している。
「動物」に分類された紫鑛(紫鉱)は、926-927ページ
に掲載されている。(表2)
表2.新 訂 和 漢 薬の紫 鑛の記 述(抜 粋)
図 4.第 39巻 の16-17 ページ 。16 ページの最 後 2 行 目 か
紫鉱
ら紫 鑛の項 目がはじまる。(国 立 国 会 図 書 館)
作 用 小 毒 有 破積血、止痛、生肌、
応 用 五臓邪気、産後血運、歯縫出血、咽喉弛腫
成 分 樹脂、色素
本稿の参考 文献のなかに「本草綱 目」とあるので、表
1と表2の内容がほぼ同一であるのは当然であるが、和
漢 薬 の世 界 では、現 代 でも スチックラックが薬 として扱
われていることがわかる。
参 考 文 献 1でも報 告 しているが、五 臓 を健 康 に保 つ
ことに有 効 とされる薬 物 として、現 代 のカンボジアでは
滋養強壮のために普通に利用されている ※1 。
3.紫鑛の図版
本 草 綱 目 には、掲 載 されている薬 物 のもととなるもの
の絵が、附図巻として存在している。
図 5.第39巻の18-19ページ。18ページの真 ん中あたりま
附 図 巻 (上 )32ページには、紫 鑛の絵 が描かれている
でが紫 鑛 の項 目 。紫 鑛 の次 項 目 は「五 倍 子 」。(国 立 国
(上 段 中 央 )。木の枝が「スチックラック」になっているよう
会 図 書 館)
すが描かれている(図6,7)。
初 版本では著 者、李時 珍 (りじちん)の息子、李 建 中
本草綱目における紫鑛
(りけんちゅう)が描 いたとされているが、全 般 に稚 拙 と
評 価 されている。筆 者 はこの評 価 を知 る前 にこの図 版
を見ていたが、稚 拙 といよりも、敢 えて単 純 に描 いたの
だろうと感 じた。シェラックは、直 径 1cmほどの枝 のまわ
りに、昆 虫 の 分 泌 物 が 厚 さ 1 cmほどで取 り 囲 んでいる
(図 8)。よく言 えば、その特 徴 をよく捉 えて描 かれてい
ると言える。
現 在 、シェラックはタイやインドなど熱 帯 地 方 で養 殖
されているが、当 時 も明 の地 域 の北 緯 では産 出 しない
と考えられるので、李 建 中 が何 を参 考 にして、この絵を
描 いたのか、関 心 があるところである。この点 について
は、今後の調査としたい。
稚 拙 と 評 価 された 初 版 本 の 図 版 は 、この 名 著 に は
そぐわないという理 由 で、後 の版 では描 き直 しされてい
図 8.実 際 の木 の枝 に分 泌 物 が付 くようす(株 式 会 社 岐
るということである。
阜セラツク製 造 所 提 供)
図 9.図 8を拡 大 したもの。図 7と比 較 すると、図 7は特 徴
図 6.附 図 巻 (上 )32-33ページ。32 ページの上 段 中 央 が
を捉えて描かれているとも言 える。
紫 鑛の図。(国 立 国 会 図書 館 )
図10.象や虎 、らくだなど動 物 が描かれたページ。稚 拙 と
言われるとそのようにも見える。(国 立 国 会 図 書 館)
図 7.紫 鑛 の 図 のみを拡 大 。 「紫 梗 」の文 字 が書 かれて
いる。(国 立 国会 図 書 館)
岳川 有紀子
図11.図9の象の図のみを拡 大。(国 立 国 会 図 書 館)
4.まとめ
紫 鑛 が、いつから、なぜ薬 として扱 われるようになった
のかを知 ることは、現 在 、紫 鑛 が世 界 中 でシェラックと
して主 に 樹 脂 (プ ラス チッ ク )としての 用 途 に 変 わった
過程を知ることにつながると考えている。
薬品については、古 い文 献も多 く残っているため、今
後も引き続き調査を行なっていきたい。
参考文 献
1)岳川 有 紀子,「天 然 樹 脂 状 物 質 シェラックの利用 –
正 倉 院 宝 物 と 薬 効 を 中 心 に -」 ,大 阪 市 立 科 学 館 研
究 報 告 第 20 号 , 65-70 ( 2010 ) http://www.scimuseum.jp/files/pdf/study/research/2010/pb20_065
-070.pdf
2) 新 訂 和 漢 薬 ,赤 松 金 芳 著 ,医 歯 薬 出 版 株 式 会 社 ,
1970年4月 発 行