天下の台所“大坂”の礎を築いた淀屋

自然と文化科
日時
2015 年 8 月21日(金)
場所
午前
大阪市立自然史博物館
午後
備考
同上
天候:晴
10 時~16時30分
講堂
担当者
公開講座
文
:山上
恵子
ミーティング
写真:古賀さつ子
1 班13名、2 班15名、3 班15名、4 班14名、5 班16名、6 班 14 名
計87名
公開講座
活動記録
講 師
テーマ
高等科 9名 一般 1名
: 淀屋研究会 副代表 蒲田
総計 97名
建三氏
:
「天下の台所-大坂-」の礎を築いた「淀屋」
1、淀屋は江戸時代、前期・中期の大坂を代表する最大の豪商だった。
戦国時代から淀川堤防改修・伏見城土木工事に関わり、商売上手、権力者とも交流上手。
*淀屋を「前期淀屋」と「後期淀屋」に分けて考える。
*「前期淀屋」は初代・常安、2代・言當、3代・箇斎、4代・重當、5代・広當の家系。
⑴淀屋の業績―中之島を開発し2町歩を得る、天満青物市場を開設、靭海産物市場を開設
糸割符制(外国生糸の輸入独占権)を得る。米市場先物取引を行う。(米相場の起こり)
淀屋米市の為、自費で土佐堀川に淀屋橋を架橋。
(現在、国の重要文化財。)
⑵淀屋2代目・言當は文化人として、松花堂昭乗(書画家・現在の松花堂弁当の由来)
小堀遠州(大名・作庭家)沢庵和尚、西山宗因(連歌師)、石川丈山等と交流。
⑶淀屋の没落・闕所(ケッショ:財産没収・所払い)1705年(宝永2年、5代目広當の時)
◎幕府の真意―大名貸しの額が1億貫目(現在の1兆円)になり、莫大な財が武家社会
に及ぼす影響を懸念し闕所処分にした。
名目は 町人の分限を超えた豪奢、某書某版(書物の偽造印刷)の罪、町奉行への賄賂
町人に禁じられた白無垢の着用。
⑷闕所後の「淀屋辰五郎(5代目・広當)
」とその家系
下村个庵と名乗り八幡に住む。10年後東照宮百年忌の大赦を受ける。12年後没。
32年後、1人娘が没し「前期淀屋」は家系断絶した。
*「後期淀屋」は、4代目重當が危険を予知し、番頭に暖簾分けをし「淀屋(牧田)」として
彼の故郷伯耆の国(鳥取県)倉吉に店を出させたその家系である。
⑴約60年後、元の淀屋橋で店を構え、淀屋清兵衛として再興した。
⑵明治維新の時、店を畳みその財産を朝廷に献上したと伝えられている。
*「淀屋」に関しては謎が多いが、徐々に解明されている。
{感想}〇大名への貸金を幕府がチャラ(ご破算)にしたのは、鎌倉幕府がご家人の借金を
チャラにした「永仁の徳政令」が下地だったのかなと講義を拝聴しながら思っていた。
〇権力の恐ろしさを益々思う今日此の頃です。