4.2 クエン酸浴からの電気Ni-P合金めっきの電析機構 4.2.1 緒言 誘起共析型合金めっきにおける非金属の共析機構については不明な点が多い。 第2章ではクロムめっきへの炭素の共析機構について,また第3章ではクロムめっ きへの窒素の共析機構について考察した。 前節では,電気Ni-P合金めっき浴にクエン酸を添加すると浴中での亜リン酸 ニッケルの沈殿生成を抑制でき,めっき皮膜のリン含有量を広い電流密度領域で 均一化できることを示した。 本節では,クエン酸浴からの電気Ni-P合金めっきの形成の特徴とNi-P合金めっ きの電析機構を明らかにする目的で,めっきの電流効率とリン含有量に及ぼす浴 温,pH,電流密度および亜リン酸濃度の影響を調べるとともに,X線光電子分 光法によりニッケル電極上へのリン化物形成の有無を調べた。 4.2.2 実験方法 めっき浴には前節と同様の組成のクエン酸Ni-P合金めっき浴ならびにワット 型N i-P 合金めっき浴を用いた。めっき素地には圧延銅板(大きさ25×25× 0.1mm)を用い,アノードには電解ニッケル板を用いた。めっき条件としては, 浴pH1.5∼4.5,浴温30∼90℃および電流密度1∼30A/dm 2の範囲で変化させ た。めっき液の液量は1dm 3であり,めっき中においては空気かくはんした。合 金めっきの電流効率は通電量とめっき前後の試料の重量変化およびめっき皮膜の リン含有量から計算で求めた。めっき皮膜のリン含有量の測定にはエネルギー分 散型X線分析装置(フィリップス製EDAX9900型)を用いた。めっき皮膜のニッ ケルとリンの電流効率はニッケルイオンならびに亜リン酸の還元電子数をそれぞ れ2および3として計算した。 X線光電子分 光スペクト ル測定には X線光電子 分光装置( 島津製作所製 ESCA850型)を使用し,励起源としてMgKα線を用いた。光電子スペクトル の結合エネルギーは装置内の汚染性有機物のC1s結合エネルギーのピーク位置を 285.0eVとして補正した。 - 65 - 4.2.3 結果と考察 4.2.3.1 めっき皮膜のリン含有量と電流効率に及ぼすめっき条件の影響 クエン酸浴からの電気Ni-P合金めっきにおけるめっき皮膜のリン含有量なら びにニッケルとリンの電流効率に及ぼす亜リン酸濃度の影響を図4.8に示す。リ ン含有量は亜リン酸濃度が高くなるにつれて増加し,0.5M以上では23∼25at% となった。亜リン酸を含まない浴からのめっき皮膜のニッケルの電流効率は約 30%であったが,亜リン酸が含まれるとその電流効率は増加しており,リンが 共析するとニッケルの析出は促進された。さらに亜リン酸濃度が高くなるとニッ ケルの電流効率は徐々に減少した。これは電極表面における亜リン酸の被覆割合 が増加するためにニッケルの電析が抑制されるためと考えられる。リンの電流効 率は亜リン酸濃度が高くなっても,あまり変化は認められなかった。 40 75 30 50 20 25 10 0 0 0 Phosphorus content (at%) Current efficiency (%) 100 0.5 1 1.5 2 2.5 H2PHO3 concentration (M) Fig.4.8 Eff ect o f H2 PHO3 c oncentr ati on on current e f ficiency and phophorus conte nt of Ni-P alloy deposits obtai ned f rom Ni-citr at e bat h. ( pH3.5, 6 0°C, 3A/ dm2 ) Current e f f iciency :Tota l, : Ni, - 66 - :P (1M H2 PHO3 ) めっき皮膜のリン含有量ならびにニッケルとリンの電流効率に及ぼす電流密度 の影響を図4.9に示す。ニッケルの電流効率は電流密度によってあまり変化せず, 電流密度10A/dm 2以上になるとわずかに減少した。リンの電流効率は電流密度 10A/dm 2までは一定であるが,それ以上になると徐々に低下し,そのためにリ ン含有量は減少した。図中の破線は亜リン酸を含まない浴からのニッケルの電流 効率の変化である。リンを共析する場合には,ニッケルの電流効率は3A/dm 2以 下の領域では促進されるが,それ以上の電流密度領域では抑制されることがわか る。比較として,従来のワット型Ni-P合金めっき浴におけるめっき皮膜のリン 含有量ならびにニッケルおよびリンの電流効率に及ぼす電流密度の影響を図4.10 に示す。この浴ではリン含有量は電流密度の増加とともに大きく減少しており, その電流密度依存性は著しく大きい。これは電流密度の増加につれてニッケルの 電流効率は増加するが,リンの電流効率はほとんど変化しないためである。ワッ ト型Ni-P合金めっきの電流効率は低電流密度領域で著しく低く,クエン酸浴か らの電気Ni-P合金めっきに比べてめっきの均一電着性が悪いと考えられ,前節 のクエン酸浴の均一電着性の結果と一致した。 めっき皮膜のリン含有量およびニッケルとリンの電流効率に及ぼす浴温の影響 を図4.11に示す。浴温によるリン含有量の変化はほとんど生じない。ニッケルお よびリンの電流効率は浴温の上昇とともにほぼ直線的に増加した。亜リン酸を含 まない浴ではニッケルの電流効率は30%程度であり,その温度依存性はほとん ど認められない。 めっき皮膜のリン含有量ならびにニッケルとリンの電流効率に対する浴pHの 影響を図4.12に示す。ワット型Ni-P合金めっき浴ではリン含有量の浴pH依存性 は著しく大きい。しかし,クエン酸浴においては浴pHの上昇につれてリン含有 量は徐々に低下が認められるが,その減少率は小さかった。ニッケルとリンの電 流効率は浴pHの上昇につれてほぼ直線的に増加した。リンの析出反応はプロト ン消費反応であるため浴pHが低いほど有利と考えられるが,クエン酸浴におい ては浴pHの上昇するとリンの析出は促進されていた。これは,浴pHの上昇によ りニッケル析出反応が促進され,そのニッケルによりリンの析出が促進されると 考えられる。 - 67 - 80 40 60 30 40 20 20 10 Phosphorus content (at%) Current efficiency (%) 100 0 0 0 10 20 30 2 Current density (A/dm ) Fig.4 .9 Eff ect of current density on current ef f iciency and phosphorus conte nt of Ni-P alloy deposits obt ained f rom Ni-citr at e b at h. ( pH3.5 , 60 °C) :Tota l, : Ni, :P (1 M H2 PHO3 ) Current ef f iciency : Ni (0 M H2 PHO3 ) 40 80 . 60 30 40 20 20 10 0 0 0 10 20 Phosphorus content (at%) Current efficiency (%) 100 30 Current density(A/dm 2) Fig.4 .1 0 Eff ect o f current densit y on current ef ficiency and phosphorus conte nt o f Ni-P alloy deposit s obt ained f rom Watt- t ype b at h. ( pH1.2 , 60 °C) :Tota l, : Ni, :P ( 0.2 M H2 PHO3 ) Current ef f iciency : Ni (0 M H2 PHO3 ) - 68 - 80 40 60 30 40 20 20 10 0 30 Phosphorus content (at%) Current efficiency (%) 100 0 40 50 60 70 80 90 100 Bath temperature (°C) Fig.4 .1 1 Ef f ect o f bat h te mperatu re on current e f f iciency and phosphorus conte nt of Ni-P alloy deposits obt ained f rom Ni-citr at e b at h. ( pH3.5 , 3A /d m 2 ) :Tota l, : Ni, :P (1 M H2 PHO3 ) Current ef f iciency : Ni (0 M H2 PHO3 ) 80 40 60 30 40 20 20 10 0 0 1 2 3 4 Phosphorus content (at%) Current efficiency (%) 100 5 Bath pH Fig.4 .1 2 Ef fect o f bat h pH on current ef f iciency and phosphorus conte nt o f Ni-P alloy deposits obt ained f rom Ni-cit rat e bath . ( 60 °C, 3 A/ dm2 ) :Tot al, : Ni, :P ( 1M H2PHO3 ) Current ef f iciency : Ni (0 M H2PHO3 ) - 69 - 4.2.3.2 リンの誘起共析機構 Ni-P合金電析では電極上では,式(1)∼(3)の反応で示されるように亜リン酸が 吸着リン原子P ad へ電解還元されて皮膜に取り込まれる1,11,12)。 Ni2+ + 2e - → Niad → Ni (s) ・・・・・・・・・・・・・・・・ (1) H2PHO 3 + 3H+ + 3e - → P ad + 3H2O ・・・・・・・・・・・・・・・・ nNiad + P ad → Ni nP (s) ・・・・・・・・・・・・・・・・ (3) (2) さらに式(4)の水素発生の反応が併発している。 2H+ + 2e - → 2Had → H2 (g) ・・・・・・・・・・・・・・・・ (4) 図4.8に示したように,クエン酸浴におけるニッケルの電流効率はリンを共析 しない場合に比べて高い値を示した。また,図4.11に示したように,ニッケルと リンの電流効率は温度あるいは浴pHが上昇するにともない増加していた。これ はニッケルとリンの間に強い化学的相互作用が存在することを示している。 ニッケルめっき電極を亜リン酸水溶液中でカソード分極処理した場合の電極の P 2p3/2光電子スペクトルを図4.13に示す。pH1.0の亜リン酸水溶液中でカソード 分極処理した電極のスペクトルBでは,132.5eVならびに129.5eVにピークが認 めらる。前者は亜リン酸のリンに帰属できる。一方,後者のピークは赤リンのリ ンより小さな値であり,金属リン化物のリンに相当する13) 。このピークはNi-P 合金めっきのスペクトルEで観察されるリンのピークと一致している。浴pHが 上昇するにしたがってこのピークの強度は低下した。この結果から,pH3以下の 亜リン酸水溶液中でのカソード処理を行うとニッケルめっき電極表面にニッケル リン化物が形成されやすいことがわかった。 ニッケルリン化物にはNi 3PとNi 2Pがあり,その生成自由エンタルピーはそれ ぞれ-220.1kJ/mol,-184.9kJ/mol 15) である。これらの生成エンタルピーは大 きな負の値であることから,電極上で生成したP ad はニッケルと結合することが 期待される。 3Ni + Pad → Ni 3P (s) ・・・・・・・・・・・・・・・・ (5) 2Ni + Pad → Ni 2P (s) ・・・・・・・・・・・・・・・・ (6) クエン酸浴において種々のめっき条件を変化させて得られたNi-P合金めっき 皮膜のリン含有量と電流効率の関係を図4.14に示す。めっき皮膜のリン含有量が - 70 - Intensity (arbitrary unit) E D C B A 138 136 134 132 130 128 126 Binding energy (eV) Fig.4.13 P2p3/2 spectra of Ni electrode. A: Ni deposit, B: 0.25M H2PHO3, 6A/dm2, pH1.0, 25°C C: 0.25M H2PHO3, 6A/dm2, pH3.0, 25°C D: 0.25M H2PHO3, 6A/dm2, pH6.0, 25°C E: Ni-P alloy deposit (24.0at%) 25at%以上になると電流効率は急激に減少することがわかる。クエン酸浴から得 られたNi-P合金めっきのリンとニッケルの電流効率の関係を図4.15に示す。得 られたデータは傾斜2の直線に分布しており,Ni-P合金めっきの電析では式(5) の反応が優先的に進行すると結論される。 浴pHが著しく低い,浴温が低い,あるいは電流密度が低い場合には,リン含 有量が25at%を越える皮膜が得られる。この条件では,式(1)のニッケルの析出 反応が式(4)の水素発生反応によって抑制され,Ni 3 P組成の化合物に加えて準安 定なNi2P組成の化合物が形成すると考えられる。 - 71 - Current efficiency of Ni-P alloy (%) 100 75 50 25 0 0 10 20 30 40 Phosphorus content(at%) Current efficiency of nickel (%) Fig.4 .14 Relat ionship b et ween current e f f iciency and phophorus cont ent of Ni-P alloy deposits obta ined f rom Ni-cit rate bath . 100 75 50 25 0 0 10 20 30 40 Current efficiency of phophorus (%) Fig.4 .15 Relati onship bet ween current ef ficiency of nickel deposit ion and th at of phophorus depo siton f rom Ni-cit rat e bath . - 72 - 近年,電気Ni-P合金めっきをした場合,液中にニッケルリン化物が懸濁する 現象が発見されたことから,電極表面で亜リン酸がホスフィンにまで還元され, これがニッケルを還元して電気Ni-P合金めっきが形成される式(8)と式(9)の間接 的析出機構が提案されている5,15)。 H2PHO 3 + 3H+ + 3e - → PH 3 (g)+ 3H2O ・・・・・・・・・・・・・・・・ (8) 2PH 3 (g) + 3Ni2+ → Ni3 P2 (s) + 6H + ・・・・・・・・・・・・・・・・ (9) Harrisら 18)は電気Ni-P合金めっきにおけるPH 3の生成条件について検討を行 い,PH3は浴pHが1.25と低い領域で生成し浴pHの上昇とともに発生量が減少す ることを報告している。 しかし,このようなPH3の検出はNi-P合金めっき反応の前述のリンの直接析出 機構を否定するものではない。強酸性の浴においては激しい水素発生反応が起こっ ており,生成したP adの一部は吸着水素Had と反応することが考えられ,このため に微量のPH3が生成される。 P ad+ 3Had → PH 3 (g) ・・・・・・・・・・・・・・・・ (10) この水素化物の生成反応は,1.3節で述べたCr-C合金めっきにおけるメタンな どの炭化水素の生成反応あるいは3章で述べたCr-N合金めっきにおけるアンモニ ウムイオンの生成反応と同様であると考えられる。 4.2.4 総括 本節では,クエン酸浴からの電気Ni-P合金めっき形成の特徴を明らかにする 目的で,電流効率とリン含有量に及ぼす電流密度,浴pH,浴温および亜リン酸 濃度の影響を検討した。その結果得られた知見を総括すると,以下の通りである。 (1)亜リン酸はニッケル上で電解還元され,ニッケルリン化物を形成する。 (2)Ni- P合金めっきの電流効率は浴温および浴pHの上昇とともに増加し, Ni3P生成反応によって律速される。 (3)亜リン酸の過剰量の存在下で,さらにクエン酸添加によりニッケルの析出 を抑制した条件においては,幅広い電流密度範囲でニッケルとリンの電流効 率の比は2となり,ほぼ化学量論的組成Ni3PのNi-P合金めっきが得られる。 - 73 -
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