ぼにばな と お大師様めぐりPDF

The Satoyama
おかえり母なる比婆へ
美しき日本の原風景を訪ねて
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8月22日(土)※三河内のお大師さんの日
き/2015(H27)年
〇 ところ/祥光山
慶雲寺
広島県庄原市比和町三河内 1612
庄原市比和町三河内では、希少植物ヒゴタイを、ぼにばな(盆花)として手向ける文化があります。
三河内にある慶雲寺では、毎年8月第4土曜日に「お大師さん」が行われています。この日のために
地域の方がお大師様を掃除し、ぼにばなが手向けてあります。お大師様をめぐり、出会いのご縁と
ご利益をいただいてみませんか。
※慶雲寺前にある「ぼにばなの咲く丘」のヒゴタイは、この頃から8月下旬にかけて見ごろです。
【問い合わせ】
ヒゴタイの会
会長
藤原群三(℡0824-85-2259、ケイタイ 080-1909-3904)
■三河内のお大師さん
天保 11 年(1840)11 月、慶雲寺 物山泰先 17 世和尚が、発願主 小田多喜次と、弘法大師の霊験を追慕し、国土安隠、
災禍消除、治水潤沢、諸人快楽、牛馬安全繁栄、一切衆無病息災、三界平等利益のために、四国八十八箇所本尊、並びに大師座像を彫刻し門前に
観音寺を建立し共に安座せしむ。元治元年(1864)7月、村中八十八人の信者を募り四国の霊場を擬し慶雲寺の愛宕山にその座を分けて安置する。
毎年8月 21 日のお大師さんには、町内外から多くの参詣者で賑わっていたが、時代とともにその賑わいは薄れてゆく。平成 25 年(2013)7月 15
日、お大師さんの復活を期待し、三河内八十八箇所御大師様管理運営委員会によって平成の大遷座が完了した。それ以降、8月第4土曜日をお大
師さんとし、お大師様報恩供養とお大師様めぐりが行われている。
■祥光山 慶雲寺
大宝元年(701)完成の律令の施行によって、祥光山(現 勝光山)を中心とする一帯に、慶雲寺外 12 坊が配せられたのは慶
雲4年(707)であると伝えられる。慶雲4年から約 54 年後天平勝宝5年頃には、新たに 24 坊が増設されて合計 37 坊の僧尼宿坊が成立している。
それ等の存在を必要とした基盤産業が山砂鉄による鉄生産であったことは疑う余地はない。鎌倉時代の正安2年(1300)にこの地域に再び5坊が
増えて合計 42 坊にもなったが、この頃、鉄産業から水稲農業への転換期に慶雲寺共々疲弊困窮してゆくのである。元享2年(1322)に鎌倉から蔀
山城(高野町)へ恵蘇七郷の地頭として派遣された山内首藤通資は、輩下に城を築かせ護りを固め各寺・社を復興整備させこれを庇護したことか
ら慶雲寺も三子山城主三河内氏一統の菩提寺として蘇生するのである。(出典:寺院誌「祥光山慶雲寺」)