幕末史上初登場「林市郎右衛門」についての記者会見 ご案内

幕末史上初登場「林市郎右衛門」についての記者会見
ご案内
日時: 平成 27 年 9 月 20 日(日) 13:00
場所: 同志社大学 良心館 107 教室
(京都市上京区烏丸今出川上ル)
発表者:京都国立博物館学芸部列品管理室長 宮川禎一
歴史研究家 あさくらゆう
特定非営利活動法人京都龍馬会理事長 赤尾博章
昨年 4 月に NHK のバラエティー番組の中で坂本龍馬の手紙「越行の記」が偶然発見されました。龍馬が慶
応三年十月に越前へ後藤象二郎の命を受けて由利公正に新政府の財務担当に就任するよう依頼に行った時の
いわば出張報告書です。手紙の内容は興味深いもので大いに話題になりました。
今般この手紙の裏側に書かれた文字から新たな事実が発見されました。
手紙の冒頭部分裏側にうっすらと文字が透けて見えます。
この文字が龍馬の字であることは京都国立博物館宮川禎一先生、高知県立坂
本龍馬記念館三浦夏樹先生らによって確認されています。
「河原町四條ヲ上ル 米や町 菊や安兵衛」
「■江國塩津 宿 林市郎右衛門」等の文字が判読できます。
河原町四条上ル 塩屋町 菊屋安兵衛 は龍馬が亡くなる寸前に軍鶏を買
いに遣らせたとされる「菊屋峰吉」の父です。土佐藩御用達の書籍商で中岡
慎太郎が一時期下宿をしていたこともあります。龍馬等と交流があったこと
はよく知られていますので、この名前が手紙に記されていても不思議はあり
ません。
注目すべきは次の「■江國塩津 宿 林市郎右衛門」です。近江の国琵琶
湖の北端に塩津(現・長浜市西浅井町塩津)という村があり、この林家が近
江塩津に現存することが NPO 京都龍馬会赤尾博章理事長らの調査により明
らかになりました。塩津の西隣、大浦にある「丸小船の館」で林市郎右衛門
について調査している旨を伝えたところ受付の女性が「それ私のところで
す!」と一声。聞けば家は塩津で代々宿を営んでいた林家で、建物も現存す
るとの事。近くの墓地に林市郎右衛門の墓があることも確認できました。
さらに歴史研究家あさくらゆう先生が国立公文書館に林市郎の贈位申請
書があることも確認されました。これを読むと坂本龍馬が自身の手紙に林市郎右衛門の名を記したわけがわ
かります。龍馬より三才年下の林市郎右衛門はただの宿屋の跡取り息子ではありません。坂本龍馬の仲間、北
添佶磨の家来になり土佐系志士と共に活動し、元治元年(1864)池田屋事件の際には北添の命を受けて重要な
使命を果たしました。龍馬最後の越前出張ルートも記されています。その後、林家現ご当主とも交流を深め家
に伝わる資料の調査をさせて戴いたところ北添佶磨らの書状を見つけることができました。当日は林市郎右
衛門の御子孫にこの書状をご披露して戴き、これら新事実を詳細にご報告申し上げます。
偶然見つかった龍馬の手紙からさらなる新たな発見が坂本龍馬生誕 180 年のこの年にあろうとはこれも何
かの御縁でしょうか。
お問合せ:京都市中京区木屋町通三条下ル材木町 184 都会館 1F「龍馬」
特定非営利活動法人京都龍馬会 理事長 赤尾博章
☆同日 14:00 開催の「第三回京都幕末祭
た方は記者会見会場にご入場戴けます。
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