の 化 杉氏父子の墓 (市 指定文化財) 杉元 相 は弘治 3年 り、 1585年 1月 (1557年 )野 上氏 に代 って 野 Lの 領 主 とな 26日 64歳 で没 した。 (法 名 興元 寺殿 興仲 元 家 大居 士 ) 元相 の 子元 宣 は、 1589年 3月 6日 の 夜 、野 上 庄 の 沖、 人 島 の 船 隠 とい う所 で毛利氏 に謀 られ て、非 業 な最 期 を とげた。 (法 名 法 常祷院 眼 院殿覚 永元 正 大居士 ) 杉氏 父子 の 墓 は興 元寺 にあ り、 市 に 関係 あ る211上 の基 と して は最 徳 山藩 祖 毛利 就 隆が慶 安 3年 (1650年 )野 上 に移 住 した ころ は、真言 宗 の 宗祖 弘法 大 師 が建 て られ た多 くの 坊 は、数百 年 を経 て も古 く、安 山岩製 の宝 僚 印塔 で、 元相 の塔 が 150m、 元 宣 の塔 が 123mで 、近 世初 頭 の様 式 を よ く保 って い る。 ほ とん ど廃絶 して い たが残 って い た遠 石 八 幡宮十 二 坊 の一つ 、常 灯 坊 を館 の 裏 山 に移 し、真言 宗常 祷 院 と して毛琴1家 の 祈 祷所 と した。 元禄 13年 (1700年 )三 代 藩主元 次 の とき、金 剛 山長久 寺常 祷 院 と改 め 、文 化元年 鶴 (1804年 )八 代 藩主 広鎮 が 再 び祈 年 山常 と改称 した。 常 祷 ¨ -115- ― 地 蔵 様 -116-
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