はじめに:コトの物理学−古典から量子へ−

21pWA-1
はじめに:コトの物理学−古典から量子へ−
東工大総理工
樺島祥介
Statistical Mechanics of Information Processing: From Classical to Quantum Systems
Tokyo Institute of Technology
Yoshiyuki Kabashima
はじめに
情 報 科 学 に 現 れ る 多 体 問 題 を 仮 想 的 な 物 理 系 と 捉 え ,統 計 力 学 の 概 念・テ ク
ニック を 駆 使 し て 問 題 解 決 を は か る「 情 報 統 計 力 学 」の 研 究 が 近 年 活 発 化 し
て い る[1].物 理 と 情 報 の 境 界 に 位 置 す る も う 一 つ の 研 究 分 野 で あ る「 量 子
情 報 」も ナ ノ テ ク ノ ロ ジ ー の 進 歩 と と も に 目 覚 し い 発 展 を 遂 げ て い る[2,3].
さ て ,情 報 統 計 力 学 に お け る 従 来 の 研 究 対 象 は ほ と ん ど が 古 典 的 な シ ス テ
ム で あ り,ま た ,量 子 情 報 の 研 究 で は 主 に 少 数 自 由 度 系 を 念 頭 に 置 い て い
た .こ の よ う な 状 況 を 踏 ま え て 急 速 に 深 化 す る 両 分 野 を 眺 め る と 量 子 系 で
の統計力学と情報科学との境界領域が近未来に展開すべき有望な研究テー
マ と し て 浮 か び あ がって く る .こ こ で は ,古 典 系 で の 両 分 野 の 接 点 を お さ ら
いすることにより量子系で同様の分野横断的研究を試みる際の端緒を探り
たい.
性能評価と2重平均
例 と し て K ビット の メッセ ー ジ m に 関 す る 誤 り 訂 正 符 号 を 考 え よ う.シャノ ン
の 情 報 理 論 で は m が 従 う 確 率 分 布 P (m) を 情 報 源 と み な し ,通 信 路 に お い て
誤 り が 生 じ る 過 程 は 符 号 語 x(m) を 送 信 し た 際 に 受 信 語 y が 得 ら れ る 条 件 付
確 率 P (y|x) に よって モ デ ル 化 さ れ る .こ の よ う な 枠 組 み で は ベ イ ズ 決 定 の 一
般 論 に よ り 事 後 分 布 P (m|y) ∝ P (y|x(m))P (m) に 基 づ い て メッセ ー ジ m の 最 適
な 推 定( 復 号 )法 が 構 成 さ れ る .誤 り 訂 正 符 号 の 性 能 は 正 し い メッセ ー ジ m0
∑
と 復 号 結 果 m̂ と が 食 い 違 う 確 率 PB = y ,m0 P (m0 )P (y|x(m0 ))(1 − δ(m0 , m̂)) に よ
って 評 価 さ れ る .こ の 性 能 評 価 は 一 般 に 難 し い .そ の 理 由 は 2 つ あ る .第 1
の 理 由 は PB の 評 価 に 要 す る 計 算 量 が 一 般 に メッセ ー ジ 長 K に 関 し 指 数 関 数 的
に 増 大 す る こ と ,第 2 の 理 由 は こ の 問 題 が 推 定 量 m̂ の 関 数 で あ る 1−δ(m0 , m̂)
を 凍 結 さ れ た ラ ン ダ ム ネ ス y ,m0 に よって 外 か ら 平 均 す る 2 重 平 均 の 問 題 に
なって い る こ と で あ る .こ う し た 事 情 か ら ,従 来 の 情 報 理 論 は 上 記 2 つ の 問
題が特別に解決されるランダム符号に基づいた最適性能の評価法を高度に
発 展 さ せ た 一 方 で ,そ の 成 果 は 長 ら く 実 際 的 な 符 号 の 構 成 に 活 か さ れ て こ
な かった .統 計 力 学 と 情 報 科 学 の 接 点 の 一 つ は こ こ に 述 べ た よ う な 符 号 の 性
能 評 価 問 題 と 不 規 則 系 の 統 計 力 学 と の 構 造 的 類 似 性 に あ る[4].こ の 類 似 性
へ の 着 眼 に よ り,広 い ク ラ ス の 符 号 に 対 し レ プ リ カ 法 な ど 統 計 力 学 の 技 術
に 基 づ く 詳 細 な 性 能 評 価 が 可 能 と なった .こ う し た 接 近 法 は 高 性 能 な 符 号
と し て 近 年 脚 光 を 浴 び て い る 低 密 度 パ リ ティ検 査 符 号[5],CDMA 通 信 方 式
[6]の 研 究 に も 大 き な 影 響 を 与 え て い る .果 た し て 同 様 の 接 近 法 が 量 子 系
に お い て も 有 効 な の で あ ろ う か[7,8,9].
アルゴリズムとしての平均場近似
大 規 模 な 分 布 か ら 平 均 量 を 評 価 す る 問 題 は 一 般 に 計 算 困 難 を 引 き 起 こ す.
平 衡 統 計 力 学 と は こ の 問 題 と の 格 闘 の 足 跡 で あ る と 言って も 過 言 で は な い .
さ て ,統 計 力 学 で は モ ノ に 対 す る 実 験 や 観 測 を 通 じ て 得 ら れ る 正 解 と 比 較
し な が ら こ の 計 算 困 難 に 対 す る 実 際 的 対 処 法 と し て 種々の 近 似 計 算 法 を 発
展 さ せ て き た .特 に ,ベ ー テ 近 似 や そ れ を 一 般 化 さ せ た ク ラ ス タ 変 分 法 は
人 工 知 能 の 研 究 で 開 発 さ れ た 信 念 伝 搬(belief propagation)と の つ な が り が
認 識 さ れ て 以 降[10],計 算 機 科 学 に お い て も 強 い 関 心 が 持 た れ て い る .こ
の よ う な つ な が り は 量 子 系 で ど の よ う な 意 味 を 持 つ の で あ ろ う か[11].
最適化法としての徐冷
情報科学において最初に注目を集めた統計力学の技術はマルコフ連鎖モン
テ カ ル ロ 法 に よ り 計 算 機 の 中 に 擬 似 的 な 有 限 温 度 状 態 を 生 成 し ,焼 き な ま
し す る こ と で 効 率 的 に 最 適 化 を 行 う 模 擬 徐 冷 法 (simulated annealing: SA) で
あった[12].SA は 標 準 的 な 近 似 最 適 化 技 法 と し て 情 報 科 学 で も 既 に 定 着 し
て い る が ,最 近 ,熱 運 動 に 対 応 す る 古 典 的 な マ ル コ フ 連 鎖 の 代 わ り に 量 子
力 学 的 な 遷 移 則 を 用 い る 量 子 徐 冷 法 (quantum annealing: QA) の 有 用 性 が 活
発 に 議 論 さ れ て い る[13,14,15,16].QA の 実 現 は 容 易 で は な い が ,そ の 解 析
はしばしば直感的な理解の難しい量子確率についての新たな知見につなが
る可能性も期待される.
(参 考 文 献)
[1]西 森 秀 稔 ,ス ピ ン グ ラ ス 理 論 と 情 報 統 計 力 学 ,岩 波 書 店 (1999)
[2]細 谷 暁 夫 ,量 子 コ ン ピュー タ の 基 礎 ,サ イ エ ン ス 社 (1999)
[3]林 正 人 ,量 子 情 報 理 論 入 門 ,サ イ エ ン ス 社 (2004)
[4]N. Sourlas, Nature 339, 693 (1989)
[5」Y. Kabashima, T. Murayama and D. Saad, PRL 84, 1355 (2000)
[6]T. Tanaka, EPL 54, 540 (2001)
[7]H. Nishimori and Y. Nonomura, JPSJ 65, 3780 (1996)
[8]E. Dennis, A. Kitaev, A. Landahl and J. Preskill, J. Math. Phys. 43, 4452
(2002)
[9]K. Takeda and H. Nishimori, Nucl. Phys. B 686, 377 (2004)
[10]Y. Kabashima and D. Saad, EPL 44, 668 (1998)
[11]T. Morita, JPSJ 12, 1060 (1957)
[12]S. Kirkpatrick, C. D. Gelatt, Jr., M. P. Vecchi, Science 220, 671 (1983)
[13]田 中 和 之 ,堀 口 剛 ,信 学 論 J80, 2117 (1997)
[14]T. Kadowaki and H. Nishimori, PRE 58, 5355 (1998)
[15]J. Inoue, PRE 63, 046114 (2001)
[16]S. Suzuki and M. Okada, JPSJ 74, 1649 (2005)