波 止づ く し 東 海 岸 に は 南 の城 の浦 と 北 の■ 手 崎 の 間 に 四 本 の 古 い波 止 が あ り 、 南 側 三 本 の波 止 の付 け 根 には 。 こ 満 潮 時 を 除 い て 岩 盤 の露 頭 が 現 れ 。 て いる 波 止 は す な わ ち 突 堤 であ る 複数設置し 突堤 こ の突 堤 は 形 式 を ﹁ 捨 て石 式 傾 斜 、 捨 て 石 を 合 形 に積 み 、 、 堤 ﹂と 言 い 上げたも ので こ こ の波 止 の築 堤 年 代 は 不 明 で 、 あ る が 町 の古 老 の話 で は 子 供 の 。 時 か ら こ こ で遊 ん で いた と 言 う 、 と こ ろ で 一番 北 の波 止 は 名 も 、 な く 露 頭 も な いが これ は 新 し い 、 波 止 の故 で あ り 重 機 でも 使 って 黒 雲 母 片 岩 ま で掘 削 し た に違 いな 。 い し ん ば と ︶と 言 二番 目 は 新 波 止 ︵ 、 。 い 次 に新 し い 潮 が 引 け ば 波 止 の北 側 に玄 武 岩 の大 き な 露 頭 が し っか り 顔 を 出 す 。 ふ る ば と ︶で 最 三番 目 は古 波 止 ︵ 祥 と し て海 岸 侵 食 の防 止 を i 目 的 、 と す る が 船 溜 ま り と し ても 利 用 。 さ れ て いる 写真は左から①北の波止 ② 新波止 ③ 古波止 ④瀬口波止 平成 14年 5月 20日 り よ だ 館 物 博 古 能 (1)第 41号 も 市 い。 これ も 同 じ く 波 止 の北 側 、 ︱ 波 止 と 同 じ 方 向 の北 西 南 束 に の走 向 で黒 雲 母 片 岩 の露 頭 が 細 長 く 伸 び て いる。 、 四 番 目 は 作 った 人 に 向 来 し て 。 こ ︱≡ 瀬 田波 に ︵ せ ぐ ち ば と ︶と 言 う こ で は 波 止 の南 側 に礫 岩 と 砂 岩 の 。 露 頭 が 顔 を 出 し て いる 、 一般 に 防 波 堤 や突 堤 を 作 る 場 、 、 、 、 、 含 には 地 形 地 質 波 浪 潮 流 。 風 な ど の自 然 条 件 が 重 視 さ れ る 、 、 し か し 当 時 と し ては 海 岸 から れ に仲 び る 堅 回 な 露 頭 の存 在 を 依 り 処 と し て築 堤 工 事 を 始 め た こと 。 であ ろう 、 また 波 止 が 海 岸 線 に斜 交 し て 、 北か 南 束 方 向 に伸 び て い る の は ら の強 い季 節 風 と 沿 岸 流 の影 響 を 。 考 慮 し た 先 人 の知 恵 と 思 わ れ る 、 そ れ に し ても 南 側 三 本 の波 止 が そ れ ぞ れ 異 な る岩 盤 を 基 礎 と し 。 て いる のは 興 味 深 い こと であ る これ ら の岩 盤 は ﹁ 能 地質博物館 ・ 古 島 ス ー ︶の地 質 図 及 び そ の後 の 、 り 繰 返す 黒 雲 母 片 岩 は 能 古 島 の基 盤 で 、 砂岩 は基 盤を覆 う古 礫岩 ・ 記 事 で述 べ て は 来 た が 、 と あり (2) 平成 14年 5月 20日 、 。 第 二 紀 層 であ る ま た 新 波 止 の 。 玄 武 岩 は噴 火 日 の火 道 であ る 、 これ ら 三 本 の波 止 は 我 が ﹁ 地 質博 物 館 ・ 能 古 島 ﹂の目 玉商 品 と し 、 ても 効 果 的 な の で 植 物 園 のよ う 、 に 各 地 点 の露 頭 に名 札 を 立 てた 。 いも のであ る 牛 の水 自 然 公 園 ﹁アイ ラ ンド パ ー ク ﹂に 、 牛 の水 ここ と いう 所 が あ る が 昔 、 こ こ に牛 の牧 こ2 が あ り 牛 の水 飲 み 場 と し て小 さ な 池 晨o が あ っ 。 た と 言 わ れ て いる 、 こ こ は 牧 の神 公 園 の高 台 を 流 り よ だ 館 物 博 古 能 牛の水の跡 域 と し て西 海 岸 に流 れ る狭 い谷 間 、 を 堰 き 止 め 北 西︱ 南 束 に伸 び る 、 堤 長 三 五 m 堤 高 四 二 一mの堤 防 を 築 いて小 さな た め 池 が作 ら れ て 、 いた が 現 在 は そ の上 流 側 法 面 の 中 腹 部 が 削 ら れ て幅 二 ・ 五 mの道 、 路 と な り さ ら に堤 防 の中 央 部 が 、 、 上 幅 三 m 下 幅 二 m 深 さ 三 mの 逆 台 形 に開 削 さ れ た た め に水 が溜 ま る こと はな い。 、 堤 防 を 切 った のは 昭 和 一〇年 から た め 池 の傍 に住 ん で いた 関 武 、 雄 さ ん だ が 大 雨 の度 に家 が浸 か 、 。 る の で切 った そ う だ ま た 昭 和 一五 年 に こ こ に移 り 住 ん だ 久 保 田 、 のお婆 さ ん の話 では 堤 防 の下 流 、 約 五 O mに泉 があ り 近 く の林 に 落 ち 葉 や薪 取 り に来 た 人 の憩 い の 。 場 にな って いた と 言う 、 なお ﹁ アイ ラ ンド パー ク ﹂の創 、 始 者 であ る久 保 田耕 作 さ ん は こ こに ﹁ 牛 の水 ﹂があ る こと から 水 源 、 確 保 の目 処 が つき ﹁アイ ラ ンド 。 パー ク﹂開業 を決 心 した そうだ 、 今 下 流 の泉 には小 さな ポ ンプ 、 アイ ラ ンド パ 小 屋 が設 置 さ れ ﹁ ー ク﹂の水 源 の 一つとな って いる。 年 の水 と いう 。 牧 年 の為 に 、 ͡ 注 1 ヽ 筑 前 国 続 風 上 記 拾 遺 ﹄に ﹁ 牧 跡 の中 に 、 。 小池あ り 掘 り し池 と いう ﹂と 記 載 、 ︵ 注 2 と 延 喜 式 ﹄に ﹁ 筑 前 日 能 臣嶋 牛 牧 よ 巻 二 。 十 八 兵 部 省 の章 ︶と 記 載 、 ︵ 注 3 ︶平 成 五 年 度 に 福 岡 市 埋 蔵 文 化 財 セ ン 、 年 の水 の堤 体 構 造 の把 握 を 目 。 ター で 的 と し てト レ ンチ 調 査 を 行 った 堤 防 工事 は 三 前総 合調 査報 告 書 〓一 五 四集 二 九九 三年 ︶ 福 岡市教 育委 員 会編 ﹃ 能 古島 ﹄︵ 遺 跡発 掘事 、 初 め は 地 山 の上 に 、 次 に そ の盛 上 の 報 告 書 によ れ ば 、 工 程 に分 か れ 二 mの盛 上 を し 、 こ のた め 池 は 形 式 を 中 央 部 を 逆 台 形 に掘 り 込 ん で粘 土 、 を 入 れ 最 後 に最 上 部 の盛 上 を し 、 、 た と 解 釈 し て いる が 昔 ダ ム エ 事 に関 係 し た 経 験 を 持 つ筆 者 と し 、 て は こ の 工 程 の解 釈 に は 異 論 を 。 唱え た い すなわち 中 心 コア型 ア ー スダ ム と 言 わ れ る 、 、 も の で 初 め 地 山 にダ ム 中 央 部 、 の底 を 掘 り 込 み 粘 上 で盛 上 を す る︵ 報 告 書 の よ う に盛 上 を 掘 り 返 。 す の は 無 駄 ︶ 次 に中 央 部 と そ の 、 上 下 流 の盛 上 を そ れ ぞ れ 同 時 に 。 立 ち 上 げ て行 く こう し て築 堤 工 、 事 を 完 了 す る が こ の工程 は昔 も 。 変 わ ら な いと思 う のであ る 休 憩 の折 水位も○ ・ 八 五 m低 い の で地 下 水 、 が南 から 山 成 り に流 れ て いて 下 方 の古 井 戸 は豊 富 な 地 下 水 に恵 ま 。 れ て いた こと が推 察 され る 、 井 戸 の由 来 を 尋 ね ると こ こは 4︶で述 べた 弁 当 岩 から 六 O mの ︵ 、 至 近 距 離 にあ る こと から 黒 回公 が鹿 狩 り で島 に来 ら れ て弁 当 岩 で 、 お茶 の接 待 のた め に掘 道 路 に は ぼ平行 し て十 m間 隔 で 二 、 本 の井 戸 があ り 古 井 戸 は南 側 の 。 井 戸 よ り 三 m程 低 い位 置 にあ る 久 雄 さ ん が 現 在 使 用 中 の井 戸 ︵ 深 、 、 さ 七 m 水 位 三 上ハ母 が あ って 古井戸 、 ﹁ 教 会 前﹂バ ス停 から 北 へ二十 m 、 道 路 際 から 東 へ 一O m 雑 木 林 の 。 中 にそ の古井 戸 があ る m、 さ 井 戸 は内 径 七 〇 c 深 二・ 五 、 m余 り 水 位 一・ 四五 m ︵ 水路底 と 同 じ ︶、 井 戸 枠 は 深 さ 一圭 一mま 、 で玄 武 岩 の空 石 積 み 以 下 は 玄 武 岩 風 化 帯 を 素 掘 り のま ま で あ る 。 ︵ 五 月 二日 ︶ こ の古 井 戸 の 一〇 m南 側 に永 田 堤防開肖」 部 平成 14年 5月 20日 り よ だ 館 物 博 古 能 (3)第 41号 ら れ た 井 戸 で は な いか と の こと で 。 ある ヽ 本田 さ ん の井 戸 は 湧 水 量 が 多 い 、 の で 下 の弁 当 岩 の傍 の自 宅 ま で 、 パイ プ を 引 き サ イ フ ォ ン で自 然 、 これ は 流 下 さ せ て い る と の こと 省 エネ の 見 本 と も 言 え る で あ ろ 。 い つ 加 え て こ こは玄 武 岩 台 地 の北 瑞 、 に近 く バ ス道 路 が そ の台 地 の西 、 側 に沿 って南 北 に通 り 稜 線 を 越 え た 台 地 の東 側 は大 泊 海 岸 に続 く 。ま 、 た 古 谷 の谷 頭 が迫 って いる 井 戸 の傍 一m束 には コンク リ ー ト 古井戸 、 の水 路 ︵ 幅 一・四 m 深 さ 一・四 五 、 母 が あ り 北 東 に流 れ て大 泊 海 。 岸 に注 い で いる 、 な お こ の 一帯 は 貯 水 能 力 の高 、 い玄 武 岩 台 地 の縁 辺 部 に 当 た り 、 地 下 水 位 も 高 いと 思 わ れ る が 大 泊 海 岸 に注 ぐ コ ンク リ ー ト 水 路 が 、 、 古 井 戸 の傍 に でき た こと で 当 時 こ の付 近 の地 下 水 事 情 に大 き な 変 。 化 のあ った こと が 推 定 さ れ る 、 す な わ ち 水 路 掘 削 以前 は現 在 よ り も 高 か った であ ろ う 古 井 戸 の 、 水 位 が 直 近 で行 わ れ た 水 路 の掘 、 削 に よ り そ の掘 削 深 度 ま で急 激 。 に下 った であ ろ う と 数 は 少 な いが 四 月 上 旬 ∼ 五 月 上 旬 の水 位 デ ー タ に基 づ き 大 胆 な 考 、 察をすれば 古 井 戸 は 流 域 及 び排 、 水 能 力 の高 い水 路 の 影 響 を 受 け 降 雨 後 の水 位 上 昇 及 び 晴 天 後 の水 、 位 降 下 は 緩 慢 で そ の変 動 幅 は 小 。 さい 、 一方 ヽ 本田 さ ん の井 戸 は 小 流 域 、 のた め 降 雨 と の運 動 が 考 え ら れ 、 る が 個 人 使 用 も あ る た め に明 確 。 でな い ︵ 次 号 に続 く ︶ ▼5月 28日∼ 6月 2日 、 アク 1960∼80年 ロス福岡 にて ﹁ 代 福岡 美術家たち展﹂が開催 されます。当館所蔵 の﹁ 谷 ロ コレ ク シ ヨン﹂80余点 が展示される と 同時 に、谷 口治 達 ︵ 2 8日▼ 、 今 宿 亀 井 家 に訪 問 す る機 。 亀 門 学 は儒 学 であ る か 2 9 日︶両 先生 に御 高 田茂 度 ͡ 。 講演 し て いただ きま す ふ る っ 。 てご参集 いただければ幸甚 です 先日 会を得 た 、 家 が 旧 唐 津 街 道 沿 い に位 置 す る 、 こと も あ り 今 宿 近 辺 の宿 場 の 、 こと や 付近 の ﹁ 小学﹂の由 来 に つ 、 いて いく つか の質 問 を 受 けた が 適 切 に返 答 す る こと が でき ず に 次 回 お 会 いす る と き ま で の課 題 とな った 。 ﹃ 闇秀 亀井 少 琴伝﹄の ﹁ 年譜 ﹂に 、 今 宿 亀井 家 は少 琴 が夫 よれば 1 8 24︶ と文政 七 ︵ 源吾 ︵ 雷首 ︶ 年 。 に移 り 住 ん だ 家 であ る 家 屋 は 、 幸 い当 時 使 改 築 さ れ て いた が 用 し て いた と 思 わ れ る井 戸 を 拝 。 見 す る こと が でき た こ の井 戸 、 、 準 輔 氏 の御 説 明 に よ れ ば は 毅 木 訥 ﹂な 方 々 で ら と いう 。 そ の効 果 のた め か 戸 の底 は 孟 宗 竹 が敷 さ詰 め ら れ るそう で 嘉 永 年 間 の設 置 と 伝 え ら れ て い 、 を 送 る私 にと って訪 問 前 ま で多 少 、 ご主 人 の準 輔 下さり 突 然 の訪 問 も 快 く 引 き 受 け て 、 こ の場 を か り て お 礼 申 浄 化 作 用 の役 割 を は た し て いた 、 昭 準 輔 氏 の記 憶 で は 井 、 の不安 があ った が 和 3 0 年 頃 ま で 日 常 生 活 に利 用 剛 御 家 族 の方 々も いわ ゆ る ﹁ 、 自 堕落 な 日常 氏 を は じ め奥 様 の秋 子氏 も 共 に物 し て いた そ う であ る か ら 驚 き で 。 ある 、 腰 柔 ら か で気 さく であ り そ の不 。 安 は直ぐ に消え 去 った 特 に準 輔 氏 は亀 井 家 に関 す る こ 、 と はも と よ り し上 げま す。 ︵ 吉 田︶ 福 岡地 方史 全般 に 。 当 お いて造 詣 が 深 い方 であ った 恋 文 の漠詩 ︶の応 酬 ◆ 結婚︱ 艶 詩 ︵ 友︵ 以下 少 栞 と 称 す る︶は十 九 歳 、 。 で結 婚 す る 相 手 は 三音 源 吾 後 。 。 に雷 首 と 号 す る 二十 歳 亀 井 昭 。 陽 の内 弟 子 であ る 少 乗 と 言 首 の結 婚 を 話 題 と す る 、 際 次 を 認 め る かど う か は別 と し 、 て 必 ず と い ってよ い程 出 てく る 、 。 挿話 に 艶 詩 の応 報 があ る 冒 首 から少 乗 へ︼ ︻ 伝・ 一一 八 誰 家 女 蝉 婦 真 可 憐 君 範小 王 上 点 我 為 出 頭 天 国語 訳 ︶ ︵ ど の家 の娘 か 二八 ︵ 十 六歳 ︶ 、 美 しく た お やか 本当 に可憐 貴方 に王上 の点 がな ければ 私 が出 頭 の天 にな りま し ょう ͡ 注︶ 王 上 の点 出 頭 の天 とも に ︰主 =夫 少末から雷首 へ︼ ︻ 伝・ 更 知 夜 桑 踏 花 為 第 月 真 君 一 来 意 開 梅 こ 、 ◆ し かし 戯 作 と なす 説 も あ る 。 第 一に草 稿 が 残 さ れ て いな い 。 御 当 人 の述 懐 のよ う な も のも な い 。 尤 も 恋 愛 に関 す る こと であ る 残 。 さ れ な い のが 本 当 かも 。 次 に 二 人 の年 齢 の差 が 九 歳 、 こ 当 ら 男 の求 愛 に対 な れ が 本 、 。 し て大 胆 に且 つ艶 一 麗 に 男を 誘 う ま さ に堂 々 た る 第 一級 の ラブ ロ マ 。 ン ス であ る 花 の真 意 を 知 り た け れ ば 深 夜 月 影 を 踏 ん で来 な さ いな 今 夜 貴 方 の為 に開 き ま し ょう 口語 訳 ︶ ︵ 日 本 第 一の梅 三 欲 今 扶 のよ う な 恋 情 は 年 齢 が 接 近 し て い 。 て こそ自 然 であ る 二 人 は 確 か に師 匠 の娘 と 門 弟 の 、 間 柄 であ り 親 の 反 対 を 押 し 切 っ 、 て の仲 と 想 像 す る向 き も あ ろ う が 実 は 二人 は 再 従 兄 弟 ︵ 雷 首 の祖 母 と 少 乗 の祖 父 の南 冥 と は 姉 弟 =前 号 、 の系 図 参 照 =︶であ り 雷 首 は 幼 年 、 次号︶ 期 か ら 亀 井 塾 に入 門 後 述 ︵ のよ う に南 冥 も 昭 陽 も 二人 を 結 び 。 付 け た く 思 って いた 節 があ る 、 こ のよ う な 環 境 にあ って 厳 格 な 儒 学者 の ﹁ 男 女 七 歳 にし て席 を 同 、 じ く せず ﹂の家 庭 で あ え て艶 詩 を 。 や り 取 り す る気 にな れ る か ◆ 特 に少 末 の艶 詩 は 平 仄 に 不備 少 栞 の詩 作 に つ い て 平 灰 を 付 け 。 て み ると 次 のよ う にな る 、 、 。 ○は平字 ●は灰字 ◎は韻である ○ ● ○ ○ ◎ ○ ○ ● ● ○ ○ ○ ● ● ◎ ● ○ ○ ○ ● 三 更 踏 月 来 扶 桑 第 一梅 今 夜 為 君 開 欲 知 花 真 意 右 の第 二 句 の 二 字 目 と 四 字 目 は 平 灰 を 不 同 と しな けれ ば な ら な い 。 の に同 じ で あ る 即 ち 第 二 句 の 四 。 真 ﹂が問 題 と な る 字目 の﹁ 少 栞 は既 に ﹁ 筋 死 稿 乙 亥 ﹂と 題 し て漢 詩 九 十 四 を 一冊 に ま と め て い 。 る 右 のよ う な 初 歩 的 な 誤 り を お 。 かす 筈 は な い 少 乗 の艶 詩 は 中 国 唐 代 の詩 人 杜 始 不 鴎 北 為 縁 日皆 君 客 々 春 開 掃 来 水 甫 の﹁ 杜 甫 車 堂 ﹂を ま ね た と 思 う 今 曾 群 舎 。 国語訳 ︶ ︵ 舎南舎 北皆な春 の水 た だ見 る群 鴎 の日 々 に来 るを 花 径 は曾 って客 に縁 り て掃 わず 蓬 門今始 め て君 が為 に開く 門 径 見 南 こ の詩 は当 時 漠 学 を 学 ぶ 人 々 に 、 。 は よ く 知 ら れ て いた 真 似 し や す い言 い回 し と し て ﹁ 君 の為 に開 く﹂のあた りは、慣 用句 でもあ った 図 亀井少 乗 (画)=雷首 (賛)蟹 蓬 花 但 舎 (4) 平成 14年 5月 20日 り よ だ 館 物 博 古 能 ぴたユん す 貧 工ぬ た 押潜 史 代祥 ︼ た 新景マ響 編 1特 偽 、 流布 ◆ こ の 挿 話 は 少 茉 を 一般 世 間 で 有 複 数 ︶の酒 す 雰 囲 気 を 知 る門 舜 達 ︵ 間 の戯 ︵ ザ ︶れ 作 と いう 気 が し てな 。 らな い 従 って私 に は 二 人 の渓 詩 の応 酬 、 は な く 周 辺 の他 人 即 ち 二 人 の醸 ﹁ 分︵ ぶ と が 悪 い のを 受 け て 。 ら の方 も 順 色 が 悪 い した 、 断 定 は でき な いが 少 乗 の自 作 。 説 は 根 拠 が 薄 いよ う に 思 わ れ る 、 雷 首 の作 は 押 韻 平 灰 と も に誤 り 、 の自 の は ら ない 乗 作 説 れ が 少 見 、 こち ◆ 亀 井 門 下生 が 戯 れ に作 り 。 ろう 少 乗 程 の教 養 レ ベル にあ る も のが真 情 を 吐 露 した にし ては安 っぽ い感 じ であ る。 駅 名 にした 今 で いえ ば スタ ー 的 立 場 を 獲 得 。 した よ う な も の 漢 学 界 では 少 乗 の量甲 画 圭討の優 れ た 能 力 は 知 れ 渡 って いた 。 これ に加 え て、少 乗 に 、 性 問 達 に し て開 放 な 印 象 を 与 え 親 し み やす いも のと し て受 け取 ら 、 。 れた 当時 の窮 屈な社会 にあ って 。 魅 力 あ るも のと みな され た 今 で いえ ば イ メ ー ジ 先 行 現 象 で あ ろ ヽ つ。 こ の挿 話 が 何 時 の頃 か ら 世 間 に 、 広 が った か 判 然 と し な いが 彼 女 四 十 八 歳 の弘 化 二 年 曇 八 四 五 ︶の 。 こと 日 回 の広 瀬 淡 窓 が 大 村 藩 謡 、 義 か ら 帰 途 旅 程 を 変 え て層 津 領 、 か ら 浜 崎 前 原 を 経 て今 宿 に至 っ 、 。 雷 首 と 少 乗 に会 い 次 い で百 た 道 の亀 井 本 家 に昭 陽 の未 亡 人 伊 智 。 を 訪 れ るた め であ る ◆ 少 茉 を 早 く 見 た か った 、 今 宿 の書 斎 に 淡 窓 が 入 る と 同 時 に随 行 し て いた 門 人 達 が ど や ど 。 、 や と 一緒 に 入 室 し て し ま った 、 こ の場 合 の礼 儀 と し て 先 ず 師 が 。 、 は いり 次 の部 屋 に随 行 者 が 待 つ 、 師 が挨 拶 し て から後 弟 子を 呼 び 、 込 み そ の後 で 一同 静 か に入 る の 。 が正 し い 、 後 刻 お そ ら く 姪 浜 宿 で師 弟 が 。 昼 食 し た 時 の こと であ ろ う 淡 窓 、 。 は先 刻 の無 礼 を 咎 め た 門 弟 一同 、 返 す 言 葉 も な か った が そ の内 一 人が ﹁ 少 乗 を 早 く 見 た か った も の 。 です から ﹂と 全 員 は 心 中 を 語 ら れ 、 た 思 い で 相 い槌 を う つよ う にド ット 笑 った 。 淡 窓 も いさ さ か 笑 っ た よ う でそ れ 以 上 言 葉 を 出 さ な か った 。 以 上 は 淡 窓 の問 弟 の旅 記 録 係 の 。 。 記 録 原文 ﹁ 是 日先 生 即座 相 接 而 。 。 。 帰路先生 回 何 不待 予紹介 。 。 急 か 見 少 乗 耳 一行 映 然 ﹂ 答日 進 。 こ の時 少 乗 は 結 婚 後 三 十 年 経 て 。 いる そ れ でも こ のよ う な 人 気 ぶ り であ った 。 いわ ば 入 夫 婚 姻 ︵ 入 り 婿 ︶であ る ◆ 雷 首 は亀 井 の姓 を 称 す る 但 し雷首 は武士 身 分 ではな いの 、 諸 士 系 譜 ﹂亀 井 家 の項 に で 藩 の﹁ 。 登 録 さ れ る こと が 必 要 であ る 勿 。 論 藩 許 を 経 な けれ ば な ら な い 父 昭 陽 に対 す る 信 頼 も あ った であ ろ 、 う し 雷 首 の生 家 が 恰 土 郡 井 原 村 現 前 原 市 井 原 ︶の圧 屋 の係 累 に属 ︵ 、 し て いる こと で こ の藩 許 を 円 滑 。 に進 め た 雷 首 は 庶 民 か ら 武 士 身 。 分 と な った 買 両 侃 刀 子 江 戸 価 四 園 ﹂即 ち 後﹁ 大 小 刀 摘 を 四十 両 で 江 戸 に注 文 し 。 ても いる 当 初 は 井 原 村 に新 居 を 建 て る 。 、 五 年 後 百 道 の昭 陽 の元 に移 る が 雷 首 は 昭 陽 にと って全 く 気 のお け 、 な い最 愛 の酒 相 手 で そ の人 柄 と 。 いい﹁ 良 き 婚 ど の﹂であ った 少 乗 、 は 父 の著 述 の手 助 け 既 著 の筆 写 、 、 と と も に ま だ 未 熟 の 二弟 義 一 暢 洲 ︶教 育 の補 郎͡ 蓬 洲 ︶と 鉄 次 郎 ︵ 。 、 佐 母 伊 智 の相 談 相 手 であ った ◆ ズ フ宿 亀 井 家 ﹂を 立 て る 、 百 道 に居 る こと 二 年 夫 婦 は 今 。 宿 村 に 一戸 を か ま え た 百 道 屋 敷 内 の 二 人 の居 室 ﹁ 号﹂を 移 築 し 好音一 。 た こ の好 音 亭 は 井 原 村 か ら 百 道 、 三度 目 の移 築 で に移 し た も の で 。 ある 雷 首 は儒 家 と医 家 を 合 わ せ営 む ﹁ 儒医兼 帯 ﹂に携 わ る こと にな り 、少 乗 は 雷 首 を 助 け 。 て儒 家 を 分 担 教 育 と 合 わ せ て詩 圭冒 画 の分 野 で の才 。 能 を 全 開 さ せ て いく こと にな る ︵ 次 号 に続 く ︶ 今宿亀井家全景 と現存する古井戸 平 成 14年 5)120日 り よ だ 館 物 博 古 能 41号 (5)第 亀井少 宋 鶴 図 自題画 (6) 平成 14年 5月 20日 り よ だ ︻ 法 人協 賛 会 員︼ ー ス ー 和自支店 硼 西日本銀行 土井支店 香椎支店 硼 西日本銀行 硼 西日本銀行 久山支店 箱崎支店 新宮支店 側メイ デン ト m ニ ツ コク ト ラ ス 総合産業0 九州防災工業伽 伺西部エレベーターサービス 伺豊友設備 伺ウエダ建築社 ービジ ネ ス 船セ ンタ に笠松 会有吉 病院 井本 医科 器機 佛 帥昭和鉄 工 m福砂 屋 0 サ ンネ ツト 伽 西日本銀行 ー 船 西日本銀行 福岡流通センタ 支店 伽 西日本銀行 側 西 日 本 銀 行 千 代 町支 店 硼 西日本銀行 ロ恵光 会 原病 院 ー いサン コ m福 岡 経 営 管 理 セ ンタ 日清 医 療 食 品 m 福 岡 支 店 福 岡赤 坂 郵 便 周 戸 田 正 義 福 岡能 古 郵 便 局 西 方 俊 司 福 岡桜 坂 郵 便 局 鬼 鞍 信 孝 ー ー 硼 クリ ニカル デ タ サ ビ ス ー ル ア ンド エム 側 ア m 福 岡 メ デ ィカ ル リ ワ タ キ ュー セ イ モ ア m 日原土井病院 館 物 博 古 能 森立 石 武 泰 ① 一伊 藤 茂 ① 一 技玉 置 貞 正⑬ 韓水 田 和 夫 ④ 森 一木 戸 龍 一① や 一岡部六弥太① 一星野万里子⑥ 孝 練吉 村 雪 江 ③ 幸安 松 勇 一① 森上 国 良 一② ◎ 率高 田 辻空 一 桑 野 次 男③ 藤 木 充 子① 和 国 宏 子① 板 木 継生② 行 成 静 子① 片 岡 洋 一① 石川 文 之③ 橋本 敏夫⑦ 山内重太郎⑤ 都 筑 久 馬⑦ 斎藤 拓③ 横 山 智 一⑤ 古賀 主 月子 ① 宮 崎 集⑦ 西 政憲③ 岡本 金 蔵 ⑦ 三宅 碧 子① 星 野 金 子⑦ 林 十九楼③ 宮 徹 男② 安 永 友 儀③ 織 田喜代治⑥ 上 田 博① 鶴 田 スミ子⑦ 塚本美和子⑥ 伊 藤 康 彦⑤ 寺 同 秀宣④ 原 田 種美⑤ 奥 田 稔⑦ 月助 ③ 石橋 こ 井 上 敏枝⑤ 吉 原 湖水① 隈丸 達 相次 ⑦ 友 の会 会 員 ︼吉冨とき代⑤ ︻ 協賛 会会 員ポ ︻ 松 本 盛 二③ 浜野信 一郎⑤ 南 誠次郎⑫ 大 山 宇 一⑥ 敬称 略 順 不 同 ︶ 中 山 重 夫② 実山 政志⑥ 菅 直 登③ 川 島 貞 雄⑥ ダイアド船 中 早船 正夫① 序 洋 子⑤ mホ スピカ 浄 満 寺 ① 柳山美多恵0 ギャラリー倉 奥村 宏直⑦ 久 方 正 隆③ 半 田 耕 典⑥ 口福岡ワハピリテーション病院 笠 井 徳 三② 荒木 靖邦③ 武 藤 瑞 こ④ 口江頭会さくら病院 安 陪 光 正⑤ 荘 山 雅 敏⑥ 伽 ニチ回九州支社 亀 井 准 輔⑩ 吉 田 洋 一⑤ 宗教法人善隣教 熊 谷 雅 子⑥ 永岡喜代太⑦ 石 橋 観 一② 神 戸 純 子④ mリコー商会 木 原 敬 吉③ 渡辺美津 子⑤ 働橋本組 山 田 博 子⑦ 坂 田 貞 治⑥ 下山 工業伽 庄 野 直 彦④ 佐藤 泰弘⑥ 学校法人原学園 原 田 國雄② 前 田 静 子④ 森 光 英 子③ 飯 田 晃⑤ 棚唐人町プ ラザ甘棠館 永 井 功⑦ 神 戸 聡③ 大和産業m福岡支店 田 里 朝 男④ 緒 方 益 男② 社会福祉法人福岡ひまわりの里 浦 上 健⑥ 吉 田 一郎 ① 山 本 稔③ 池 田 修 三⑥ 田中 貞 輝③ 岩 谷 正 子③ 武 内 隆 恭② 小 川 正幸 ② 白 水 義 晴⑦ 権藤 菊朗② 石野智恵子① 井手俊 一郎② 義哉 ④ 翠 川 文 子⑥ 増田 主 多 々羅節子① 宮嶋熊太郎⑥ 熊 谷 豪 三② 土井 千草① 有 江 勉① 松 坂 洋 昌④ 山 崎 拓① 稲永 実① 鹿 毛 博 通④ 七 熊 太 郎② 古 川 映 子⑤ 西喜 代 松⑥ 松井 俊規④ 片 桐 寛 子② 具 島 菊 乃⑤ 衛藤 博史④ 伊藤 泰輔③ 瀧 栄 二郎③ 田代 直 輝 ⑩ 西村 俊 隆⑥ 開 石 散 人② 西村 達 頭③ 矢 部 俊 幸① 執行 敏彦④ 渡辺千代 子② 上 原 孝 正① 後 藤 和 子⑦ 脇山涌 一郎① 川浪由紀子⑩ 川 田 啓治③ 関 敏 巳 様 たくさんの花樹を頂戴し、 に ご いました。 香 立 ス ミヱ 様 誠 有難う ざ 足達 輔治⑤ 中村 ひろえ③ 古 賀 謹 二⑦ 野 尻 敬 子③ 大 野 幸 治⑤ 櫛 田 正 己⑤ 青木良之助◎ 神崎憲 五郎⑦ 金 子 柳 水⑤ 佐 野 至③ 井 手 親 栄① 宮 崎 春 夫① 鬼丸 塾 石山 ⑦ 山崎 エツ子④ 小 山 元治③ 吉瀬 出 不雄 ① 古賀 主 義朗 ⑩ 西 山 正 昭⑦ 市丸喜 一郎② 豊島 嘉穂② 庄 野 陽 一⑦ 守 瀬 孝 二① 鋤 田 祥 子⑤ 甲 本 達 也① 日本 政 宏 ⑥ 鳥井裕美子② 漫 北 折[郎 ① 大 塚 博 久⑦ 昌夫 ③ 小山 一 辻本 雅史⑤ 松田 注 拒⑦ 杉 浦 五郎⑦ 中野 自 田子⑦ 大谷 英彦④ 野崎 逸 郎⑥ 霞③ 住本 市 山根ちず 子① 村 山 士]廣 ③ 住 本 直 之③ 大 島 節 子④ 間所 ひさ子⑮ 伊 藤 英 邦① 鹿 毛 光 子① 古 賀 朝 生① 林 正 孝② 臼策 ② 井上 奇 田中 寛 治② 土屋伊確雄① 白 井 京 子⑦ 原 礼 子① 小堀百合 子① 原 康 二① 原 牧 子① 杉 みどり③ 原 祐 一① 山下 革 帰久 ② 杉 原 正毅 ④ 大久保 由 升② 党 隆 雄④ 日弘 ② 福澤 自 小 嶋 幸雅③ 福 本 孝 行④ 樋 口 陽 一② 片桐 造 雪一 ② 木 下 勤③ 酒井 カツヨ③ 島 義 博③ 田上 紀 子 ⑥ 中畑 孝 信③ 西 島 道 子⑮ 西 嶋 洋 子③ 村上 靖 朝⑤ 獄村 魁③ 木 原 光 男⑤ 庄 野健 次⑦ 鈴木恵津子⑥ 田中 加 代 ④ 冨永紗智子① 吉 村 陽 子⑦ 松本雄 一郎⑦ 石橋 善 弘 ④ 徳 重 認① 岩淵 謙 治⑦ 岸 本 雄 二③ 武 田 正勝 ② 武 田初代 子② 近藤 雄文③ 西嶋 克 司④ 樺 島 政信③ 丸橋 天 乃雅 ⑤ 、 ※新規 の御加入 ͡ 先号以後 平成十四年五 、 を 記載 いたしておりま 月十五日現在︶ 、 。 すので 何年 ご芳名をご確認ください 。 あ り がと う ござ いま した 自 然 と文 化 の小 天地 創造 財 同法人 能古博 物館 、 右 の会 費 受 領 は そ の都 度 不 誌 に掲 、 。 載 以後会費 相当期 間を名簿 にしま す 協賛 会 ︵ 個人︶ 年間1万円 ︵ 何 日でも可︶ 〃 3万円 ͡ 間 何 日でも可︶ ︵ 法 人 ︶ 年 友 の会 年 間 3千 円 ︵ 何 日 でも可 ︶ 、 ͡ 館の活動 館誌購読と催事企画に参加︶ 施 設整備 等 の ︹ 軸舗 勝嶋補珊岬森 ︺ 9︲ 60970 納入方法=郵使振者 01730︲ 裾残 客海 井上 こ 月② 上 杉 和 橋① 木 村 秀 明⑤ 富 日 英寿⑥ 野 上 哲 子① 益 尾 天獄 ⑥ 小 山 正文 ① 石橋 正治 ① 亀 石 正之 ① 荻 野 中心行 ② 藤 田 一枝 ② 松尾 革 帰美 ② 蓮 尾 正博 ② 森 祐行② 吉 安 蓉 子① 村 上 牧② 小 谷 修 一② 日弘 ② 阿部 口 結 城 進① 永 石 順 洋③ 重 松 史 郎① 藤士ロマツヱ② 亀 井 勝 夫② 岸 川 龍① 山 本 光 玄② 吉 開 史 劇① 田中 靖 高① 三① 香一 立る ヽ 藤瀬 三枝子② 野見山 実① 頃 末 隆 英① 友 原 静 生① 森 口 智 子① 山 本 信 行① 山 見商 会② 銀座玄和堂診療所︵ U 尾澤 健① 井 上 陽 一① 寿 美 電気① 矢 野鈴 子① 藤 崎 和 子① 宮 崎 正直① 印刷 大成印刷株式会社
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