ー _ _ . . . . . . . .』』 . . . . . . . . 圃 E ・ − − − − − 私は、阿蘇市 一の宮町宮地、 宮地小学校の正門前で、障が い児・障がい者、要介護高齢 者の方だけを専門として診る、 在宅療養支援歯科診療所を開 設 し て い ま す。平 成 一八年に 開業して現在 一 O年目になり 在宅療養支援歯科診療とは、 ます。 うことです。それに加えて、地 復のリハビリテーションを行 療と口腔機能向上・維持・回 を、病院、施設、在宅で歯科治 つまり、お口の機能であるl 改善・維持・向上を図ること、 ますが、メインは口腔機能の て 、 一般 的 な 歯 科 治 療 も 行 い ません 。訪 問 歯 科 診 療 だ け で す。在宅・施設・病院に訪問し 外来診療はいっさいしてい 域の高齢者の集会や特別支援 食べること、息をすること、話 歯科医院に通院出来ない方々 学級での口腔機能検診・指導、 をすること、表情を作ること へのリハビリテーションをお 発達障がい児への口腔機能へ の支援を行っています。 る方々と鮮を結び深めてゆき る鮮に想いを馳せながら関わ 見えないけれども繋がってい の由来は、人と人、人と自然、 阿蘇きずな歯科医院の名前 ひ阿蘇に来て欲しいといわれ 困っている方々が大勢いる、ぜ 医院に行くことが出来なくて の施設長から、阿蘇には歯科 と言いますと、障がい児・者 何故、阿蘇で開業したのか こなっています。 たいと願い名づけました 。 我那覇 生純さん 療がない日々がありま 患者の依頼が無く診 地で苦労の連続でした 。 頃は、見ず知らずの土 縁です。しかし、最初の て声を掛けられたのが がある 。癒 し の 医 療 を 実 践 し て行きたいと願っています。 関わりを通して、癒される道 存在である 。しかし、それでも、 もある 。人間はかならず死ぬ もしれない、病は治らない事 り ま す。障がいは治らないか しと再生の医療を行う事であ 療のパイオニアとして活動し また、日本での小児在宅医 たくとらえ方が変わりました 。 れて、私は障害に対してまっ 感じ方、考え方への転換に触 影響を与える﹂という、新しい 子どもたちの未来に決定的な ている、あおぞら診療所前田 した 。しかし、今は、地 域に少しずつ知られる 浩利先生との出会いで、先生 療育歯科とは、歯科医院に 先 生 と の 出 会 い で す。先生は 度心身障害児施設長許斐博史 みを始めたいと願ったのが、重 私が癒しの医療への取り組 えて行く姿に、在宅医療の本 癒されて在宅での最期をむか 。 先生の姿勢に、患児﹄ と家族が 私は関わり続けます という あなたの最後の時まで、 い中、 ﹃ に関わる姿に感銘を受けまし た。人 工 呼 吸 器 を つ け て 苦 し の在宅診療で重度の子供たち 通院出来ない障がい児の口腔 医療実践を通して、﹁親や医療 トiタルライフ医療との 出会い 健康保健を推進する事です。 者が変わることによって親子 タッフが行う歯科的アプロー 療育歯科とは、専門的ス 行う事です。 うに在宅において療育歯科を において治療を受けられるよ 長する﹂﹁親や教師・医師・看 全力で関わってゆけば必ず成 い子どもでも、心より信じて、 ち、﹁たとえどんなに障害が重 の道がつく﹂という確信を持 もが抱える様々な難問に解決 影響を受けました 。﹃あなたが 永田勝太郎先生から大きな 療育歯科へのアプローチ 具体的には、障がい児・者自 の紳が再生されたとき、子ど チにより、障がい児・者、家族、 護師・保育士たちの関わりが、 人生に絶望しても、人生はあ なたへの期待を捨てない 。 ど 、 んな人にも、固有の生きる意 全人的医療をめざして 周りの方々と深く関わり、癒 質を見ました 。 なんの抵抗も無く、歯科医院 身または親、付き添う方々が、 なって来ました 。 ようになってきて依頼が多く 医療法人社団きすな会 阿蘇きすな歯科医院 癒しの発信墓地になりたい 岳民 事応 ( 12) 黒人教 NEWS No. 374 田先生は、自らの重い病を通 トル・フランクル︵19051 9 7︶の言葉を知りました 。永 。 所を生き﹂ 抜いた精神科医ビク ナチスの強制収容 わかる 。そして、ご自身の事を 生活の様子が手に取るように お 菓 子 は 出 る 。患 者 の 日 常 の それが、在宅では、お茶は出る、 とはあまりありませんでした 。 のが当たり前、感謝されるこ 療に対して苦情を言われる でした 。 うに言い難い辛い漸悦︵後悔︶ 持てないのだろうかという、言 んで自分は歯科医療に誇りを ひとつの強い想い、それは、な そして、それと同時にもう 分が 一番すごい、自分は人よ あ り ま す。自分は出来る、自 じる事がありがたく思う時が ます。でも、出来ない自分を感 分に不甲斐ない思いをしてい のセンスがなく、出来ない自 を歩いていたのかもしれませ ん。 ティを隠して生きるという道 ンチュとしてのアイデンティ 土に負けないように、ウチナ! 差 別 の 意 識 が あ り ま し た 。本 れ た 世 代 で す。えもいわれぬ 昧がある して﹁生きる意味﹂について患 歓喜と慨悦が溢れてきて涙 者と 一緒に気付くこと、全人 我那覇という名前も珍し く、また、私は毛深いので小さ したいと 一 言う想いが砕かれて、 未熟な自分を感じて、倣慢な い 頃 は 悩 み の 種 で し た 。いま り優れている、自分自身を証 気持ちを見つめることが出来 は、この珍しい名前が、逆に興 が止まることがありませんで 歯科医療に関わり自らの職 ています。そして、師匠の道を 味 の 対 象 に な っ て い ま す。診 話 し て く だ さ る 。そ の 話 の 中 だけではなく、ご家族の事、地 業に誇りを持ち、歯科医療の 求める姿に、ただただ尊敬の 療の時に、腕の毛を擦ってく 的医療を提唱しています。 域との繋がり、生きている事 夢と希望と可能性を拓くため 思 い を 抱 い て い ま す。自 分 も した 。 歯科衛生士・歯科スタッフ の輝ける職場を創りたい がとても辛い、苦しい心情を に頑張って行きたいと強く思 れるお年寄りがいて、診療に には、ご自身の健康上の問題 私は歯科医師になりたくて 語る 。歯 科 医 療 は そ の 方 々 の 歯科医院のスタッフに対して、 歯科医師になった訳ではあり いました 。 ために何が出来るのだろうか 大きなプラスになっています。 ません 。医師になりたくて、医 熱意を持って常に関わって行 通して、私の心の中で、爆発 の阿蘇に来ることになるとは が縁あって海のない山ばかり 沖縄は、歴史的に琉球とし 沖縄に生まれたものとして 学 校 二年生の時に学校で、 一 たらいいのかと悩みました 。小 い苦労と恥ずかしさ、どうし 吃音と白髪も悩みでした 。 した 。入 学 し て か ら も や る 気 が 起 こ り ま し た 。心 の 中 か ら 夢 に も 思 い ま せ ん で し た 。し て 独 立 し た 国 家 で し た 。それ 人ずつ立って音読するという 思っています。 がなく、勉強はしないで寝て マグマのような強烈なエネル かし、不思議な事はあるもの が、薩摩藩の支配、第 二次世界 授 業 が あ り ま し た 。毎回、数 学部受験を何年もして、長い 三線の花 ︵笑い︶ そうした患者との出会いを と日々考えるようになりまし た。 きたいと師匠の姿を見習い 間浪人しても入れなくて、仕 ばかりいました 。スチュ lデン ギ ー が 溢 れ て 来 ま し た 。ひと です。私 は 沖 縄 に 住 ん で い る 大戦での唯 一の地上戦、県民の 人ずつ当てられて、いつ自分 沖縄生まれの沖縄育ちの私 方なく受験したのが歯学部で トアパシーではないかと自分 つは、歯科医療の可能性と未 ときには、全く興味がなかっ 多 く が 犠 牲 に な り ま し た 。そ 訪問歯科診療では、医療者 わりました 。 歯科診療に出会い、人生が変 熊本に来て、就職先で訪問 ました 。 学部を卒業し歯科医師になり り返して、やっとの思いで歯 生生活を過ごして、留年を繰 当に良かったという魂が震え 療はない、この職業について本 科医療、こんな素晴らしい医 腔管理︶関わる事が出来る歯 最後の時まで︵終末期への口 壮年期、老年期、そして、人生 に︶、乳児期、学童期、青年期、 の口腔衛生指導を通して胎児 が生まれる前から︵妊産婦へ ます。三 線は好きですが、音楽 弟子としての作法を学んでい 縄の歴史、文化、そして、師と は 、 三線のお稽古を通して、沖 回 美 輪 子 先 生 で す。先 生 か ら 会の研究所を開いている、下 里で琉球古典音楽野村流保存 して琉球古典音楽の師匠に出 会いました 。そ れ が 阿 蘇 の 小 において、本土に習えと言わ ないように、沖縄の文化を横 持っていました 。方 言 を 話 さ 土に行く為のパスポートを えを経験しました 。父親は、本 あり、ドルから円への切り替 O年で、四七年に本土復帰が 私が生まれたのは、昭和四 で話をする時には、あまりど 日々、そして、演説な、どの人前 に行き、毎日、本を借りて読む 生 き 方 を 変 え ま し た 。図 書 館 がなかった事がその後の私の 時うまく読むことが出来まし た。本を読む時には、どもる事 続でした 。私の番になり、その うまく話をすることが出来な だらだらと学 で悩みながらも 、 来 が 吹 き 出 し て 来 ま し た 。人 た 、 三線に数年前に出会い、そ の番に来るのか毎回緊張の連 と患者の距離が近く感謝され る。外来の歯科医院では、治療 るような歓喜︵喜び︶ 。 ( 1 3 ) して、米軍統治、基地の島。 をしてもらえて当たり前、治 県人教 NEWS No.374 熊本県人教 NEWS 第三種郵便物承認 2015年 5月25日発行 たいという願いも、その裏返 にしていました 。医 師 に な り ンプレックスを打ち消すよう 会長、卓球部の部長、自分のコ 目 立 つ よ う に し ま し た 。生 徒 もらない事を知り、積極的に は、双方にとってとても不幸 て い る 場 合 が あ り ま す。それ 理解でクレ l マ!として扱っ ではないのに、思い込みと不 て、歯科医療側がクレ l マー しは、クレi マlの患者に対し しい思いをしたくないと思っ しの面もあったかも知れませ ん。人に認められたい、恥ずか 方々の地域歯科保健のために 会の会員として、阿蘇地域の また、阿蘇郡市歯科医師 な事です。 たかも知れません 。 ています。現実にある差別、そ える事になり、深い縁を感じ から感じていた差別の事を考 書きながら、自分が小さい頃 る医療を私自身のミッション 前から亡くなった後まで関わ ている使命である、生まれる 療 で す。歯 科 医 療 が 本 来 持 っ 歯科医療は生活を支える医 努めています。 れに対してどうあらんとすれ ワlクとして今後も取り組ん こうして、県人教に原稿を ば良いのか、差別のない社会 ます。 地になれるように努めて行き 要介護高齢者の癒しの発信基 これからも、障がい児・者、 で行きたいと思います。 かなくてならないのかを強く を作るには、いかに生きて行 感じるようになりました 。 歯科医療の中で人権につい て考えるとは何か 私は、熊本県歯科医師会の 医療対策委員会に所属してい て、患者からの歯科医療に対 する苦情を聴き、また、歯科医 師の患者からのクレームの話 も聴きます。歯科医療側は、患 者に対して、本当に良い医療 を提供しているのだろうか? と疑問に思うことが多々あり ます。また、歯科医師からの話 そ
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