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長崎大学病院長・産婦人科教授増崎英明
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まだ正月気分の抜けきらない、そういう年初の
のひとつで、学会や会議の合間にひょっこり顔を
東京で出会った梅と小鉢である。いずれも代々木
公園近くの「一木一草話」という店で見つけたの
る店内を見回すと、壁際の棚には小鉢がずらりと
並んでいる。名前も知らない若手作家の鉢から、
である。店主は安達さんという私よりいくつか年
上の女性である。店にはお香の匂いが漂って、店
中堅どころの鉢作家のものまで多様な小鉢が揃っ
てぃる。ただし高級な(そして高価な)小鉢は、
主ののんびりした様子と相まって、つい長居をし
店主の机の傍のガラス棚に収めてある。私はこの
てしまう。盆栽を始めて数年を経た頃から、自己
流の植え替えや剪定に疑問を感じて、日本のあち
こちの盆栽屋を訪ね回ったことがある。多くの店
は一度きりで終わったが、いくつかは今も機会を
見つけては訪れる。「一木一草話」はそういう店
店で小鉢について学んだ。ここには江戸末期の「竹
本鉢」もあれば、私の一等好きな「青閑鉢」を置
出す。勧められた椅子に腰掛けて、好い匂いのす
いてぃることもある。一定の金額を超える鉢には
手を出さぬよう言い聞かせてはいるが、そうは
いっても、できの好い「青閑鉢」や、報逸な「清
長崎県医師会報第829号平成27年2月
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風鉢」、あるいは希少な「愛草鉢」でも見かけたの暖かさ」という句がまさに「梅」の季節を表現
日には、つい自分に課した掟を破りそうになる。
している。それから、梅の蕊である。品種ごとに
正直に言えぱ、年に何度かは破ってしまう。通常色と長さと形の違う梅の蕊は、私には「まっげ」
の盆栽は、樹よりも鉢の方が高価なのである。
に見える。楚々とした梅、華麗な梅、絢烱な梅、
さて「一木一草話」の店先で、その日に私の目化粧顔から素肌まで、梅には様々な顔がある。
を見晴らせたのが、この紅梅である。その理由は
本樹は八重の紅梅で、樹高5'5Cm、樹幅4.5Cm。
後に書く。次に店内を巡って、この木を植えるた緩やかに伸びた幹の途中に別品種の枝が接がれて
めの小鉢を探す。白羽の矢を立てたのは、三方にいる。元木の頂点は枯れ、接がれた枝の分枝に
歌舞伎役者を描いた丸い小鉢である。正月向きの 5、6個の茜を付けてぃる。わずかに開きかけの
絵柄ということもあるし、店主が木黄さんの新作一輪が、初春の色と香りを感じさせる。この梅が
と教えてくれたからでもある。鉢裏を見て「木黄」
の落款を確認し、それから購入する。
の作者が分かった。そして思わず、増井勇氏の顔
観賞
が枋佛とした。本樹は素焼き鉢に植えられ、樹形
もいまいちだが、接ぎ目が分からない。接ぎ跡が
目についた理由を話そう。私は一瞥で、この盆栽
鉢は径5伽、高3.5Cmの丸鉢。黄士色の柚をバッ見えないのは、そのように接がれてぃるからで、
クに歌舞伎役者の顔が三方に描かれている。うまそれをやれるのは、いや、やってぃたのは、当井
いかへタか、私には評価できない。正月の気分がさんだけである。10年以上前に初めて増井さん
この鉢を選ばせたとも言えるし、新しい「木黄鉢」の「群芳園」を訪ねた時、 4 5Cmほどの梅の元
など今では滅多に見かけないからでもある。この木(野梅)に、 1 2師の梅の小枝(園芸ネ動を
鉢の作者は横山木黄という。本名ではないだろう。接ぎ木する場面を見せてもらった。まだ寒さの残
「横」を「木」と「黄」にくずして作った名前にる 3月上旬だったろうか、増井さんは 1時間のう
違いない。生年は大正7年というから、御年83 ちに20本ほどの接ぎ木を作ってみせた。その作
歳である。小品盆栽の趣味家であり、自分の盆栽業の合間に、亡くなった自分の父親と兄弟の話を
を植え込むためだけに鉢を焼くと聞いている。だした。増井家は昔から梅を育てる農家であった。
から多くは使い古しの鉢であり、新作の鉢が棚に戦前は梅の栽培が盛んだったが、戦後は廃れて、
置かれることは珍しい。習字が得意なのであろう多くの梅の品種が世間から消えてぃった。父親は、
か、「墨はじき」という手法で漢詩を書き込んだ東京から失われた梅の品種を全国を巡って収集し
鉢をよく見かける。鉢はきっちりと端正で余裕さた。そして、親子で接ぎ木をして増やしてきた。
え感じられる。自分で育てた樹を自分で焼いた鉢戦前の勢いを取り戻しかけた頃、父親は亡くなっ
に植え込む。それこそが小品盆栽愛好家の究極のた。父の跡は兄が継いで、梅の品種を守ってきた
夢といえる。だから、こういう自作鉢を見るたび、が、先年亡くなった。それで自分が父親と兄の跡
いずれは私も、と思う。
を継いで、今は梅の品種を守っている。増井さん
樹種はウメ Prunus mume。バラ科サクラ属のは、とっとっとそうぃう話をした。それで、誰か
落葉高木。平安時代に桜がその地位を奪うまで、が守っていなければ、植物の品種は消えてぃくと
日本で「花」といえば「梅」のことであった。 300 いうことを知った。それから何度か「群芳園」を
以上の品種があるというが、一般には花の色と花訪ねたが、しぱらくすると増井さんは入退院をく
弁の数で、「一重の紅梅」「八重の白梅」などと呼り返すようになり2年前に亡くなった。「一木一
ぱれる。私にとっての梅は、何といっても蔑郁た草話」で増井さんの梅を見分けられたのは、そう
る香り、それと多様な蕊(しべ)である。その二いうことがあったからである。増井さんの笑った
つで「桜」とは明らかに区別されるし、花だけで顔と、彼の作った素材は、私の庭で生きてぃる。
いえぱ、梅が桜に勝る点でもある。華やかさで負
けながらも香りで勝っているとも言えるだろう。解題
叶妾」との違いは、さらに季節感の違いでもある。今年の1月末に京都に招かれた。半日の時間が
桜は入学式の季節だし、嵐雪の「梅一輪一輪ほどあるので長浜に出かけた。長浜は古くから梅の盆
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長崎県医師会穀第829号平成27年2月
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栽で知られている。駅から5分ほど歩くと、明治
天皇行幸の折に地元の金持ちが建てたという立派
な家がある。その建築物は伊藤博文が「慶雲f創
と名付けたそうだが、七代小川治兵衛の作った素
晴らしい回遊庭園で知られている。その建物で「盆
梅展」があっていると知って出かけたのである。
たまたま記録的な大雪で、京都からの新幹線を米
原で降りると、目の前は雪景色であった。その雪
の中を北陸本線で長浜まで行った。コートを雪で
白く染めながら慶雲館の玄関をくぐると、途端に
梅の香りが鼻孔を駆け抜けた。部屋に入ると、白
梅紅梅、一重八重の梅の木が所狭しと並んでいる。
一抱えほどもある巨大な鉢に植えられた梅の樹高
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はいずれも2 3メーターはある。古いものは樹
齢400年、新しいものでも200年という古木ばか
りである。「古老」という名の400年の梅は八重
の紅梅だが、樹皮はあちこちが剥げ、幹はほとん
と舎利と化している。わずかな水吸いで生きてい
る様子である。そういう、いわば年老いた、枯死
寸前と思わせる姿でありながら、「古老」は若々
しい花を山と咲かせ、馥郁たる香気を発している
晴れやかな老人にやつした姿こそが梅である。年
をとることも悪くはないぞ、そういう言葉さえ聞
こえてきそうで、古木の意気地について考え考え、
京都へと引き返したのであった。
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