[425]接続詞に頼らなくても(三) 成語・ことわざ雑記(23)

上野先生と歩こう 中国語遊歩道 『中国のことばと文化Ⅱ』
[425]接続詞に頼らなくても(三)
成語・ことわざ雑記(23)
(89)“视而不见”
前回掲げた“心长力短”(明代)→“心有余而力不足”(清代)→ “心余力绌”(近代),すなわ
ち読書人→インテリ→読書人の変遷,偉そうに「仮説」などとおおぶろしきを広げたが,ちょっと怪
し ゅ き
しいことが判明した。“心有余而力不足”の前に“意有余而力不足”があって,この語は朱熹の文集
に出てくることを以前にも引いた劉潔修《汉语成语考释词典》に教えられたからである。朱熹は南宋
の人であるから,“意有余……”は明代の“心长力短”よりも先ということになる。
朱熹の文集ならずっと昔,朱子学に興味を抱いていた頃,かなりていねいに目を通しているはずで
あるが,当時はことばの問題にそれほど関心がなかったせいか,読み過ごしていたようだ。「心ここ
にあらざれば,視れども見えず」といったところか。
(90)“有心无力”
探し方がわるいのか,「心余りて……」も「意余りて……」も国語辞典には載っていないが,両方
とも日本語でも使われているように思う。「意余りて」の方はわたくしも使った覚えがある。「お役
に立ちたいのはやまやまですが……。」気の進まない頼まれ事をやんわりと断るのに便利ですよ。
これも“心有余而力不足”のバリエーションの一つかと思うが,手元のメモに“有心无力”(yǒu xīn
wú lì)というのがある。粗雑な走り書きで出どころはわからないが,かなり古いもののように記憶し
ている。“心长力短”にしても,“心余力绌”にしても,或いはこの出所不明の“有心无力”にして
も,互いに対照をなす二語を並列するだけで,接続詞の助けを借りることなしに逆接関係を示してい
るところに中国語の文法的特徴がよく表れていると思う。
(91)“有…无…”
“有心无力”のように“有…无…”の形で逆接関係を示している成語は数多くある。
〇“有口无心”yǒu kǒu wú xīn 口ではずばずば言うが,腹は悪くない。
〇“有名无实”yǒu míng wú shí 名ばかりで実質が伴わない。有名無実。
きそくえんえん
〇“有气无力”yǒu qì wú lì 息も絶え絶えのありさま。気息奄奄。
〇“有始无终”yǒu shǐ wú zhōng
〇“有头无尾”yǒu tóu wú wěi
始めがあって終わりがない。尻切れとんぼ。
同上。
ひとみ
〇“有眼无珠”yǒu yǎn wú zhū 目はあるが 瞳 がない;目が節穴同然である。
〇“有勇无谋”yǒu yǒng wú móu 勇気はあるが知恵がない。蛮勇をふるい無謀なことをする。
(92)“有…有…”
以上のうちの“有始无终”に対する“有始有终”,“有头无尾”に対する“有头有尾”のように,
“有…无…”に対して並列構造“有…有…”の形をとる成語も数多く見られる。
〇“有凭有据”yǒu píng yǒu jù ちゃんとしたよりどころがある;確かな根拠がある。
〇“有钱有势” yǒu qián yǒu shì 財力もあり権勢もある。
もちろん“有…无…”のすべてが逆接関係を表すというわけではなく,
“有恃无恐”
(yǒu shì wú kǒng
―頼むところがあって何物も恐れない;後ろ盾があるので怖い物なしである)のように,因果関係を
表すものもある。
2015/10/30
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