秦恒平の ﹁京と京ことば の凄み﹂を読む

老のくりごと︱八十以後国文学談儀︱︵
︶
島津忠夫
秦恒平の﹁京と京ことば
の凄み ﹂ を 読 む
うみ
秦恒平氏は﹁湖の本﹂という創作とエッセイのシリーズを
私家版でつぎつぎと刊行している。最近︵平成二十三年二月︶
う立場、これは私も重要だと思う。
京ことばを散りばめられながら、話されて行く中に、平安
朝文学を研究する上にも多くの重要なヒントを与えられる点
がある。
では京の﹁美学﹂って、何でしょうね。
春は、あけぼの。
これが﹁京の美学﹂です。これだけで、モノの分かった
﹁京と、はんなり
﹁佳いものをいくつも選び出す。それぞれに、順序を付ける。
本︶
の冒頭が思い出される。もとより、そうなのだが、氏は、
という。
﹁春は、あけぼの﹂といえば、当然﹃枕草子﹄
︵雑纂
人になら﹁十分﹂なのです。
と題する後記の冒頭には、
﹁雲中白鶴﹂と題 し て、二 首 の 和
京味津々 二﹂が送られて来た。
﹁私語の刻﹂
歌を読み、
﹁七十五叟 宗遠﹂と記した平成二十 三 年 の 年 賀
ある日、皇后さんは女房たちに、問題を出しました。
つまり﹁番付け﹂をする﹂ことだと。
とに、正月前半の﹁闇に言い置く私語﹂
を摘録して跋とする。
春夏秋冬、季節により、もっとも風情豊かな美しい
﹁時
状をおいて、賀状の返礼に替えるといったいきな計らいのあ
この私語もおもしろく、考えさせられることが多いのだが、
えがブレイン・ストーミングよろしく口々に出たことで
間帯﹂はいつやろね⋮と。女房たち、質問に身構えま
しょう。しかし皇后さんは、そのなかから、﹁あけぼの﹂
今回、収められている﹁京と京ことばの凄み﹂という長文か
京都を離れ、東京にもう五十年以上も暮らしているが、若
という趣味判断の力に、最良の価値を認めました。そし
す。
き日を京都で過ごした思い出が、氏に終生付きまとっている
て、書記者として優れた才能を認めていた清少納言に、
ら、いろいろのことを考えさせられた。これは、昭和二十二
ことは、今まで何度も書かれ、読んで来た。
﹁京都に五十年、
まず﹁春は⋮﹂と聞かれて、おそらく、いくつもの答
六十年暮らしている方の京都より、また幾味かちがった、歴
﹁春は、あけぼの﹂と記録を命じたので あ り ま し ょ う。
年の京都女子学園創立百年同窓会での記念講演とある。
史的な視野と批評とに培われた﹁京都﹂が見えている﹂とい
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自分に対する﹁敬語﹂に置き換えていることです。私で
さえ聴き過ごすほどですから、京都慣れしていない妻や
り﹂の厳しい日常の暮らしを、その現場感覚を、反映し
﹁京ことば﹂は、まさに千年の政治 都 市 の 培 っ た﹁位 取
という結論に導いてゆく。
﹃源氏物語﹄に見る敬語は ま さ し
の、タンゲイすべからざる、怖さ畏ろしさなんです。
の微妙さこ そ が、
﹁京 こ と ば﹂の、ひ い て は﹁日 本 語﹂
読みながら繰り出される、その場その場での﹁物言い﹂
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老のくりごと
これぞコロンブスの卵と同じでした。かくもみごとな選
択の出来たことで、定子皇后のサロンと、記録﹃枕草子﹄
子や、よその人の耳には、ただもうもの柔らかな物言い
という、氏に取って卑近な日常の実例を取り上げて、
としか響かないということです。
とは、歴史的な名誉と評価とを得たのでした。
研究者による論文ではないから、考証はしていない。しかし、
﹃枕草子﹄の性格と定子サロンの一面を生き生きと映し出 し
ています。夥しい敬語の微妙な﹁敬﹂度差は、それが世
くこうした見方を肌で感じながら読んでゆかねばならないの
暮らしの現場で、コンピューターなみに﹁人の顔色﹂を
渡りの武器として駆使されてきた実態を、まざまざと、
ているではないか。
反映してあまりある。
だと思うのである。私は三十年以上も名古屋の﹁源氏の会﹂
で﹃源氏物語﹄を読み、放談を繰り返している。いま﹁玉鬘
いを、注釈を頼りに説明しているのであるが、これは、当時
十帖﹂を読んでいて、源氏方と内大臣方への微妙な敬語の違
お医者さんがこう﹁お言やした﹂
、御用聞きがこう﹁言
の女房社会では、それこそコンピューターなみに使われてい
家に引き取っての話、
うとった﹂
、御近所の奥さんがこう﹁言うたはった﹂
、そ
︵しまづ ただお/大阪大学名誉教授︶
に感じ取っていたことだろうと思う。
て、作者はそれをいきいきと描き、当時の読者はそれを直ち
やしたらあきまへんえ﹂とか、相手の普通の物言いを、
邪をひかんようにね﹂と言われたのが、
﹁お 風 邪 お ひ き
﹁慣れた か な﹂が﹁お 慣 れ や し と す か﹂と か、多 分﹁風
それにしても叔母の翻訳の見逃せない点は、例えば、
す。
︵中略︶
れを直接話法のまま全部京都弁に翻訳して叔母は喋りま
い
年、京都を一歩も出なかった﹂叔母を、にわかに氏の東京の
という敬語の問題、それを、
﹁ 園まぢかに生まれ て 七 十 五
?