『西海の天主堂路』を読む

保健医療経営大学紀要 № 7 71 ~ 74(2015)
<書評(Book Review)>
『西海の天主堂路』を読む
松永 伸夫 *
Keywords:教会建造物、キリシタン迫害史、信仰
1 はじめに
「はじめに」で、隠れキリシタン迫害を経験した先祖
「木ケ津天主堂も(略)外観には特色はなく、む
を持つ著者が(注4)
、なぜ「西海の天主堂への旅路」
しろ地味で目立たないが、入堂するとここでも驚か
を始めるようになったのかの思いを記している。
本文
(全
される。内部構成は平天井でとりたてて特徴はない
十四章)では、長崎、熊本、佐賀そして福岡地域の教会
が、十四枚の十字架の道行きの絵に間違いなく驚か
群(観光案内書に紹介されている教会もいくつかあるが、
される。
(略)
多くは日々の祈りの場としての教会群である)を訪ねた
この教会で特筆すべきことは、長崎医科大学放射
記録と著者の思いが綴られている。巻末には、「あとが
線科の教授であり、原爆で被爆されたパウロ永井隆
き」
「あとがきにかえて」
「再版にあたって」に続いて、
「参
博士が白血病で亡くなる直前に描かれた十四枚の
考文献」84点が掲載されている。それらはキリスト教
『十字架の道行』が掲げてあることである。(略)」
『西海の天主堂路』(注1)94頁)
(
の歴史に関するものが中心だが、それに加えて、建築、
城郭、地誌また食文化など幅広い分野の多岐にわたって
いる。最後に「西海の天主堂」教会一覧の掲載がある。
この本の帯には、
「この本は観光案内書でもなく巡礼
書でもない。気の向くままに訪れた天主堂の道筋で、知
3 本書の特長
り、感じたことを先達の資料を元に書き起こした心の記
本書は、著者・井手道雄さん(注5)の、キリスト教
録である。
」とある。
信仰を基として、祈りの中で出来上がった、紀行文書、
折しも、
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、
歴史書(特に、キリシタン迫害史)、何よりも著者自身
熊本両県)は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
の信仰の証しの書であると思う。(歴史に関する記述は、
2016年世界文化遺産登録を目指して、その候補とし
関係する資料をよく調査、研究した上での史実記録であ
て国の文化審議会の推薦を得ている(注2)。これらの
り、加えて著者の考え、思いが添えられている。
)
地域にある天主堂群を、長年月かけて巡礼していったあ
1)紀行文書
るキリスト教信徒(医師、病院経営者)が書き残した心
1993年(平成五年)に「友人を福岡空港に送った
の記録を、家族が一冊の本にまとめて出版した。
後、唐突に天主堂を訪ねたくなり、何かに駆られたよう
に」(注6)呼子天主堂を訪れたのが、西海の天主堂を
2 本書の構成
巡る旅の始まりであった。その後十年の年月を積んで、
本書は A 5判サイズ上下二段組、全232頁のコン
訪問した西海の天主堂は72を数えた(長崎県下63
パクトな書籍である。
(注3)
の天主堂群、熊本、佐賀、福岡の各3天主堂である)。
巻頭のカラー・グラビアでは、西海各地の天主堂の美
1998年には南フランスのルルドへの聖地巡礼も果た
しい姿を、外観からまた内部(特に天井の構造等)を建
している。
築史学の視点からも見ることが出来る。グラビア最終頁
着眼点:訪問した教会(地域)の人びとの生活の様子
が目に見えるように伝わってくる。(注7)
には、
「 西海の天主堂路」関連地図が付されている。
目次は次のようである。
* 保健医療経営大学 時間学研究会事務担当、元参与
Email:[email protected]
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松 永 伸 夫
2)歴史書(特に、キリシタン迫害史)
十六世紀から十七世紀にかけて日本の為政者達がなし
著者は訪問した(巡礼した)天主堂個々について、そ
たキリスト教政策の変化とキリシタン迫害の歴史事実
の立地と建築された当時の時代考証などにも触れなが
を、また江戸末期から明治初期のキリシタン迫害のこと
ら、過疎化が進む地域の人たちの信仰と生活の基盤が今
を、著者は特別の思いで記している。そして、迫害を受
どうなっているのか、などについても踏み込んで記述し
けた人達への労わりと慰めの気持を、天主堂を巡るたび
ている。そしてその状況に対して自分の思いを記してい
に強くしている。例えば、本書の「はじめに」に次のよ
る。日本におけるキリスト教宣教の歴史研究(特に、キ
うにある。
リシタン迫害史)に関する、著者の造詣の深さは注目に
「訪ねる先々で、神にわが身を捧げる美しくも壮烈な
値するものだと思う。キリシタン迫害の史実を述べ、続
殉教を遂げた宣教師やキリシタンに、そして一方では為
いて、迫害を耐え忍んだ人たちへの思いを綴っている。
政者からもキリシタンからも棄教者として捨てられ歴史
文面また巻末の「参考資料」からキリスト教史(教会史)、
から抹殺された背教者の転びバテレンやキリシタンに出
日本・東洋の歴史、地理また建築史学等の分野における
会い、繰り返される神の試練と、試練に晒された人の
著者の造詣の深さを知ることができる。
弱さと強さを眼前に見る思いの旅路に少しずつ変わって
着眼点:十六世紀以降、来日しキリスト教の布教に命
いった。」(注11) をも捧げた多くの宣教師達の活動の姿等について
2)みやま市と沢野忠庵
も詳しく紹介している。
着眼点:天草巡礼の項で、著者は「ドチリナ・キリシ
また、筆者には、次の文章も心に焼きついて離れない
タン」
(注8)を紹介しているが、深い信仰心によ
でいる。
るものだと思う。
── 遠藤周作氏は『沈黙』で転びバテレン・フェレイ
ラに言わせている。「この国は沼地だ・・・この
2- 1)歴史書(特に、古い天主堂の建築史学的視点)
国は考えていたより、もっと怖ろしい沼地だった。
拙文冒頭の「はじめに」での引用文中に「平天井」と
どんな苗もその沼地に植えられれば根が腐りはじ
ある。他にも「リブ・ヴォールト天井」「折上天井」「ナ
める。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に
ルテクス」など、多くの建築用語が出てくる。天主堂建
基督教という苗を植えてしまった。
」と。(略)──
物を建築史学的な角度からも研究しながらの巡礼でも
(注12)
あったことがわかる。
着眼点:個々の天主堂が、設計者また大工の方針・技
「卑弥呼の里」という名の農産物直売所
みやま市は、
術力により個性ある建築となっている。屋根の層、
があるように、古い歴史のある筑後地方の穀倉地帯に立
天井の形状また十字架の鐘楼の形と位置であり、
地している。史跡や文化財が多く残っており、市内瀬高
さらに煉瓦の積み上げ方式などである。(注9)
町の、ある古刹(注13)境内には、自寺沿革を記した
石碑がある。そこには「第四世正吟は天文学にも造詣深
3)著者の信仰の姿
くポルトガル人宣教師沢野忠庵と共に編集し南蛮運気論
著者は天主堂訪問の折、入堂できた時は、いつも一人
を著した 肥前長崎にも開教し寛永十四年に一寺を建立
で、またある時はその教会の信徒の人たちと一緒に祈っ
した」とある。「沢野忠庵」すなわち「転びバテレン・フェ
ていたことが記されている。このような日常的で自然な
レイラ」その人である。広辞苑によると、転宗したフェ
信仰の姿は、著者の敬虔なカトリック信仰からくるもの
レイラは医学・天文学を講述したとある。
(注14)
なのだろう。
(注10)
3)著者と筆者と
4 読み終えての思い、他
叶わぬことだが、一度著者にお会いしてお話を聞きた
この本の底流に、静かにしかししっかりと流れている
かった。筆者は、著者と同じ生年であり、幼・少年期、
ものは何なのであろうか。そこには著者の、弱い立場に
青年時代を山口県の炭鉱町で育ち、過ごした。社宅がカ
ある(あった)人たちへのいたわりの気持ちとまたやさ
トリック教会のすぐ近くだったことから日曜学校に通い
しい眼差しがあることに気づく。このことは、著者自身
始め、キリスト教の環境の中におかれたことで、中学生
の先祖が、隠れキリシタンとしての被迫害を経験したと
の時受洗した。もし著者とお会いしていたら、その時に
いう事実と関係しているのかもしれない。
はどのような会話へと進んでいったことであろうか。
1)著者の、キリシタン迫害の歴史への思いと深い慰め
いつか、著者の生きてこられた姿を知っておられる方
の心
による本書『西海の天主堂路』の書評を読ませていただ
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『西海の天主堂路』を読む
く機会が与えられるならとても嬉しいことである。
(注4)「私の父方の祖父は福岡県三井郡大刀洗町今村の、そ
して母方は長崎の浦上の潜伏キリシタンの家系であり、
5 おわりに
キリシタン史については関心があった。
」
西海の天主堂群を巡礼して行った著者は、資料(関係
する歴史、地理他)を手にしながら、ある時には、雑草
(同上書2頁)
(注5)著者プロフィール
に覆われ見分けのつかなくなった道を進んで「西海の天
井手道雄(いで みちお)
主堂路」を辿っていった。事後にその過程を記録として
1943年福岡県生まれ。カトリック信徒の家系に生ま
まとめたが、多くの場合、史実等を記したあとに自分の
れ、家族の影響を受け医師を志す。久留米大学医学部卒。
思い・考えを自分の言葉で真摯に綴っていった。本書は、
専門は血管外科、救急医療、薬物中毒を含む血液浄化。
その「心の記録」である。
1990年、
「カトリックの愛の精神」を基本理念とす
る国内最大規模の民間病院「聖マリア病院」(福岡県久
著者がその病院運営の責任者であった「聖マリア病院」
留米市)の理事長兼病院長就任。病院運営の傍ら、同病
グループの、高等教育機関の一つが本学、保健医療経営
院グループの中心的立場として地域医療、保健、福祉、
大学である。本学の学生達は、総合科目群カリキュラム
看護教育、国際医療協力に尽力する。
で1年次に「哲学」を選択履修している。2014年度
2004年7月9日帰天。
の Syllabus(講義概要)には、
「哲学」の授業目標が次
(同上書232頁)
のようにある。
「生命の意義や、望ましい人生・社会の
(注6)
(同上書2頁)
在り方について、
「自分自身の頭」で考え、それを「他
(注7)「
(略)入堂すると巡回教会であるが、島の信者が毎
人と共有可能な言葉」
で表現できるようになること。」と。
日来て祈っているのがよくわかる。ここもまさにお御堂
この本『西海の天主堂路』から著者の生き方に触れる
だ。漁師は出漁前には必ず教会で祈って出かけるそうで、
ことによって、学生達は自分の思い・考えをしっかりと
生活と信仰が一体となっている。静かな聖堂の中にかす
自分の言葉で発する力を備えてほしい。社会に巣立った
時、自分の進むべき方向性、人としてあるべき姿を、しっ
かりと本書を振り返りつつ見つけ出すことができるので
はないだろうか。
かに波が打ち寄せる音が聞こえてくる。
」
(同上書114頁)
(注8)ドチリナ・キリシタン
「ドチリナ Doctrina とは教義、教理の意味で、問答形
式で平易に教理を説くものでカトリック教会で用いられ
―――――――――――――――――
る公教要理である。
(略)
( 注 1) 本 書、 井 手 道 雄・ 著『 西 海 の 天 主 堂 路 』 は、
慈悲の所作は十四あり、初め七は色身にあたり、後の七
2009年8月15日に株式会社智書房から発行され、
はスピリツ(精神)にあたるなり。
株式会社星雲社から発売された。定価(本体2000円
色身にあたる七の事。
+税)
一には、飢えたる者に食を与うる事。
(注2)「長崎教会群 世界遺産へ歴史見直そう」(2014
年8月4日付け、西日本新聞社説)より。
二には、渇したる人に飲み物を与うる事。
三には、膚を隠しかぬる者に衣類を与うる事。
な お、 こ の 後 2 0 1 5 年 1 月 1 6 日 に、 政 府 は
四には、病人と牢者をいたわり見舞う事。
2016年のユネスコ(国連教育科学文化機関)世界文
五には、行脚の者に宿をかす事。
化遺産登録を目指し、「長崎の教会群とキリスト教関連
六には、囚われ人の身を請くる事。
遺産」(長崎、熊本両県)の推薦を閣議了解し、正式な
七には、人の死骸をおさむる事。
推薦書を1月中にユネスコに提出することとした。
「長
崎の教会群」は、16世紀以来の日本におけるキリスト
スピリツにあたる七の事。
教の受容過程を示す遺産群として、長崎市の「大浦天主
一には、人に良き意見を加うる事。
堂と関連施設」など14資産で構成する(2015年1
二には、無知なる者に道を示しうる事。
月16日付け、朝日新聞デジタルより)
。
三には、悲しみある人の心をなだむる事。
(注3)
「
(略)一人の人間が自分なりの洞察でそれらの教会
四には、とががある人を諌める事。
を巡って書いたこの文章は教会を訪れる人に何かの参考
五には、恥辱を許す事。
になるかもしれません。そのために装幀を変えてコンパ
六には、ポロシモ(隣人)の誤り、不足を堪忍する事。
クトにしました。(略)」(「再版にあたって」より)
、
(
『西
七には、生きたる人、死にたる人と、我らに仇をなす
海の天主堂路』225頁)
者のためにデウスをたのみ奉る事これなり。
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松 永 伸 夫
潜伏キリシタンは絵踏みをしながらもドチリナ・キリ
シタンの慈悲の所作を日常生活指針として生活していた
といわれ、日々の生活は貧しくても精神的には今よりは
るかに豊かな生き方をしていたのではないだろうか。
」
(同上書22頁)
(注9)
「パリ外国宣教会の神父と大工鉄川与助により明治か
ら大正、そして昭和初期に、建てられた木造や煉瓦造り、
石造り、鉄筋コンクリート造りの古い天主堂には建築史
学上、以前から興味を持っていた。」
(同上書2頁)
(注 10)「西海の天主堂を訪ねて回り、キリシタンの祈りや
明治の復活やパリ外国宣教会の司祭たちの質実剛健な宣
教生活、その後の邦人司祭や修道女の献身的な努力など
を深く知るようになり、今では天主堂を訪ねるごとに聖
体訪問して、ロザリオを捧げ黙想するようにしている
(略)。」
(同上書94頁)
(注 11)(同上書2頁)
(注 12)(同上書8頁)
(注 13)光源寺(みやま市瀬高町下庄、真宗大谷派東本願寺
の末寺)
( 注 14) フ ェ レ イ ラ【Christovão Ferreira】( 1 5 8 01650)
ポルトガル人。イエズス会士。一六一〇年(慶長一五)
来日。布教中捕えられたが転宗して刑を免れ、沢野忠庵
と改名、キリシタン糾問の通詞となる。医学・天文学を
講述。著訳「顕偽録」「乾坤弁説」。(広辞苑第五版)
(2014年11月30日提出)
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