全国各地で大会や研修会を開催

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木村由彦)では、
千葉県本部(会長
平成 年度大会を7月 日午後1時
分から、柏市内の「東葛テクノプラザ」
に400名を集め開催した。
平河秀樹 中央本部事務局
大会では、
長が、
「新たな運動の展望について」の
テーマで記念講演を行った。
全国各地で大会や研修会を開催
岐阜県本部(会長 橋本敏春)では、
第 回大会を5月 日午後1時 分か
ら、 岐 阜 市 内 の「 黒 野 会 館 」 に 1 0 0
名を集め開催した。
会 で は、 ぎ ふ 人 権 文 化 研 究 所 主 宰
大
「『気づき』と『深ま
の桑原 律さんが、
り』のある人権啓発を―同和問題の解
決 を め ざ す 立 場 か ら ―」 の テ ー マ で 基
調講演を行った。
静 岡 県・ 人 権 地 域 改 善 推 進 会( 会 長
天 野 一・ 県 議 会 議 員 ) で は、 第 回
総 会 を 5 月 日 午 後 1 時 分 か ら、 静
岡 市 内 の「 も く せ い 会 館 」 に 1 2 0 名
を集め開催した。
会 で は、 N P O 法 人 し お さ い の 家
総
施設長の増田久江さんが、
「認知症高齢
者と共に歩む」のテーマで記念講演を
行った。
川上高幸)では、
東京都本部(会長
平成 年度大会を6月 日午後1時か
ら、 千 代 田 区 内 の「 憲 政 記 念 館 」 に
500名を集め開催した。
会 で は、 京 都 産 業 大 学 文 化 学 部 教
大
授の灘本昌久さんと、平河秀樹 中央本
部事務局長が、
「新たな運動の展望につ
いて」のテーマで対談を行った。
併 せ て、 関 東 ブ ロ ッ ク の 大 会 も 開 催
した。
上田藤兵衛)で
京 都 府 本 部( 会 長
は、 第 回 大 会 を 7 月 日 午 後 3 時 か
ら、 京 都 市 内 の「 ル ビ ノ 京 都 堀 川 」 に
400名を集め開催した。
会 で は、 恩 賜 財 団 済 生 会 理 事 長 の
大
炭谷 茂さんが、「ソーシャル・インク
ルージョン社会を目指して~建前の人
権 か ら 脱 し て ~」 の テ ー マ で 記 念 講 演
を行った。
23
国 武 香 ) で
熊 本 県 本 部( 会 長
は、 第 回 大 会 を 7 月 日 午 後 1 時 か
ら、 熊 本 市 内 の「 水 前 寺 共 済 会 館 」 に
120名を集め開催した。
会 で は、 熊 本 県 環 境 生 活 部 県 民 生
大
活 局 人 権 同 和 政 策 課 長 の 清 原 一 彦 さ
ん が、 熊 本 県 人 権 セ ン タ ー の 取 り 組 み
についての説明と、
「親愛なる、あなた
へ」の人権啓発ビデオを鑑賞した。
野口賢二)で
佐 賀 県 本 部( 会 長
は、第 回大会を8月 日午後1から、
佐 賀 市 内 の「 グ ラ ン デ は が く れ 」 に
100を集め開催した。
「新たな運動の展開につい
大会では、
て 」 の テ ー マ で、 平 河 秀 樹 自 由 同 和
会中央本部事務局長が記念講演を行っ
た。
新たな人権救済機関の
設置について ( 基本方針 )・・・・・・・・・ 2P
新聞切り抜き・・・・・・・・・・・・・・・・ 3~5P
灘本昌久さんの新連載①・・・・・・・・・・ 6P
京 都 懇 話 会( 京 都 商 工 会 議 所、 自 由
同 和 会 京 都 府 本 部・ 京 都 市 協 議 会 で 構
成 ) で は、 第 回 人 権 セ ミ ナ ー を 8 月
日 午 後 3 時 か ら、 京 都 市 内 の「 京 都
ホテルオークラ」に300名を集め開
催した。
ミ ナ ー で は、 テ ー マ を「 京 都 市 同
セ
和行政終結後の行政の在り方総点検委
員 会・ 最 終 報 告 書 か ら 何 を 学 ぶ 」 ~
行政の役割と運動団体の役割~とし
て、 パ ネ ラ ー に 京 都 市 の 前 人 権 文 化 推
進担当部長の淀野 実さんとフリーラ
イ タ ー の 寺 園 敦 史 さ ん、 コ ー デ ィ ネ ー
ターに平河秀樹 中央本部事務局長で
シンポジウムを行った。
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お知らせ
月 日に開催する幹部研修会で
は、 昨 年 と 同 様 に、 開 会 か ら 閉 会 ま で
にて完全生中継し、
の全日程を Ustream
にて質問や意見を募集
同時に Twitter
します。 U s t r e aに
m は、自由同和会中
央本部のホームページから。
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10
16
年度幹部研修会及び定期中央省庁要請行動
11
14
福岡県本部(会長 上田卓雄)では、
第 回大会を6月 日午後1時 分か
ら、 北 九 州 市 内 の「 北 九 州 ハ イ ツ 」 に
250名を集め開催した。
平河秀樹 中央本部事務局
大会では、
長が、
「新たな運動の展望について」の
テーマで記念講演を行った。
都府県本部関係・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1P
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平成
今 号 の 内 容
11
30
30
30
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日 時 月 日(月) 午前 時~午後4時
場 所 自由民主党本部9F 901号室
要請省 法務省・文部科学省・厚生労働省・国土交通省
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阪本孝義)では、
大阪府本部(会長
第 回 大 会 を 7 月 3 日 午 後 1 時 か ら、
大 阪 市 内 の「 シ テ ィ プ ラ ザ 大 阪 」 に
100名を集め開催した。
「新たな運動の展望につい
大会では、
て」のテーマで、平河秀樹 中央本部事
務局長が記念講演を行った
23
発 行 所 自由同和会中央本部
〒 102 東京都千代田区
- 0093 平河町2-3-2
TEL 03-5275-3641
FAX 03-5275-3642
編集発行人 平河 秀樹
発 行 日 年 4 回(6・9・12・3 月)
定 価 1部 500 円(送料別)
年間 2,000 円(送料込)
振 込 三菱東京UFJ銀行麹町中央支店
(普)0366528
口 座 名 自由同和会中央本部事務局
平河秀樹
E-mail:[email protected]
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NO.198
ヒューマン Journal
( 1 )2011(平成 23)年 9 月(年 4 回発行)
第198号
ヒューマン Journal ( 2 )
新たな人権救済機関の設置について(基本方針)
平成 23 年8月
法務省政務三役
1 法案の名称
・ 法案の名称については、人権擁護に関する施策を総合的に推進するとともに、人権侵害による被害者に
対する救済・予防等のために人権救済機関を設置すること、その救済手続等を定めることなど、法案の内
容を端的に示す名称とするものとする。
2 人権救済機関(人権委員会)の設置
・ 人権救済機関については、政府からの独立性を有し、パリ原則に適合する組織とするため、国家行政組
織法第3条2項の規定に基づき、人権委員会を設置する。新制度の速やかな発足及び現行制度からの円滑
な移行を図るため、人権委員会は、法務省に設置するものとし、その組織・救済措置における権限の在り
方等は、更に検討するものとする。
3 人権委員会
・ 人権委員会については、我が国における人権侵害に対する救済・予防・人権啓発のほか、国民の人権擁
護に関する施策を総合的に推進し、政府に対して国内の人権状況に関する意見を提出すること等をその任
務とするものとする。
・ 人権委員会の委員長及び委員については、中立公正で人権問題を扱うにふさわしい人格識見を備えた者
を選任するとともに、これに当たっては、国民の多様な意見が反映されるよう、両議院の同意を得て行う
もの(いわゆる国会同意人事)とする。
4 地方組織
・ 地方における活動は、利用者の便宜、実効的な調査・救済活動及び全国同一レベルでの救済活動の実現
のため、現在、人権擁護事務を担っている全国の法務局・地方法務局及びその支局を国民のアクセスポイ
ントとし、同組織の活用・充実を図り、新制度への円滑な移行が可能となるように検討するものとする。
・ 人権委員会は、全国所要の地に事務局職員を配置し、同委員会の任務を実現するための諸活動を行わせ
るとともに、法務局・地方法務局における事務の遂行を指導監督させる等の方策を検討するものとする。
(具
体的な人権委員会と地方組織との関係等については、なお検討する。)。
5 人権擁護委員
・ 人権擁護委員については、既存の委員及びその組織体を活用し、活動の一層の活性化を図るものとする。
・ 人権擁護委員の候補者の資格に関する規定(人権擁護委員法第6条第3項参照)及び人権擁護委員の給
与に関する規定(同法第8条第1項参照)は、現行のまま、新制度に移行する。
6 報道関係条項
・ 報道機関等による人権侵害については、報道機関等による自主的取組に期待し、特段の規定を設けない
こととする。
7 特別調査
・ 人権侵害の調査は、任意の調査に一本化し、調査拒否に対する過料等の制裁に関する規定は置かないこ
ととする。調査活動のより一層の実効性確保については、新制度導入後の運用状況を踏まえ、改めて検討
するものとする。
8 救済措置
・ 救済措置については、調停・仲裁を広く利用可能なものとして、より実効的な救済の実現を図ることとし、
訴訟参加及び差止請求訴訟の提起については、当面、その導入をしないこととする。
・ その他の救済措置については、人権擁護推進審議会答申後の法整備の状況等をも踏まえ、更に検討する
こととする。
9 その他
・ 速やかで円滑な新制度の導入を図るとともに、制度発足後 5 年の実績を踏まえて、必要な見直しをする
こととする。
8月2に、法務省政務三役名で公表された
「新たな人権救済機関の設置について」(基本方針)に
ついて、新聞の社説や主張などで報じたものを掲載し
ます。
月
8
日 読売新聞
8
NO.198
ヒューマン Journal
( 3 )2011(平成 23)年 9 月(年 4 回発行)
ヒューマン Journal 月
8
日 産経新聞
3
月
8
日 毎日新聞
22
( 4 )
( 5 )2011(平成 23)年 9 月(年 4 回発行)
月
8
日 東京新聞
24
月
8
日 朝日新聞
12
ヒューマン Journal
NO.198
1956年、神戸市生まれ
学 歴
京都大学
文学部史学科現代史専攻卒業
大阪教育大学大学院
教育学研究科修士課程修了
職 歴
京都芸術短期大学、近畿大学、京
都外国語大学、神戸大学、京都産業
大学、関西大学、奈良女子大学、京
都大学、で非常勤講師として人権教
育を担当。
京都部落問題研究資料センター所長
現職 京都産業大学文化学部教授
著 書 「 ち び く ろ サ ン ボ よ す こ や か
によみがえれ」など多数
灘本 昌久(なだもと まさひさ)
プロフィール
今 号 よ り、 灘 本 昌 久 さ ん の
新連載をはじめます。
( 6 )
ヒューマン Journal 自由同和会第 26 回全国大会で記念講演する灘本さん
部落解放運動四十年を
振り返って―その理論と実践①
灘本 昌久
号より、しばらくの間、本紙面
本
をお借りして、連載を続けていく。
編集部の依頼では、一回読み切り
でも、特定のテーマでの連載でもよ
いとのことである。いろいろ考えた
末、当面は、私の回顧録的なものを
書かせてもらおうと思う。
歳月の流れるのは早いもので、私
が高校一年の後半あたりから、部落
解放運動にかかわって、来年で四十
年になる。その間、いろいろな活動
に参加し、また自らが依って立つ解
放理論にも変遷があった。そうした
体験を今さら書いて何になるかとの
思いもないではない。ましてや、主
に部落解放同盟の陣営として活動し
てきたことの話を、それとは立場を
異にする自由同和会の機関誌に書く
こと自体、場違いのそしりを免れな
いかもしれない。
しかし、最近、自由同和会の方々
と話をする機会にめぐまれて、自由
同 和 会 の 活 動 や 議 論 を 知 る に つ け、
各運動団体のたどってきた道は、思
いのほか似ていることがあり、かか
えている課題もそれほど大きな隔た
りはない、今後の新しい運動を作っ
ていくうえで、私の経験を語ること
がそれほど無意味ではないと確信す
るようになったので、場違いを承知
で筆を進めさせていただく。
本連載では、私の時々の運動への
取り組みをまとめると同時に、それ
を支えていた理論を紹介し、検討し
ていこうと思う。
論というと、何か面倒くさいだ
理
けで役に立たない印象があるかもし
れないが、人は、多かれ少なかれ何
かの理論をもとに目の前の現実を解
釈している。ただ、それに本人が気
づいているかどうかが違うだけであ
る。そして、理論を軽視して、目の
前の表面的な現象にまどわされてい
ると、長期的な展望をもてずに、右
往左往することになる。
二次大戦後の保守陣営の運動に
第
はそうした理論軽視の傾向が強かっ
たかもしれない。戦前は、これが逆
である。全国水平社というのは、差
別者に対する「糾弾」という、素朴
な感情に訴える感覚的な運動であっ
た の に 対 し、 体 制 側 に 近 い 中 央 融
和 事 業 協 会 や そ の 他 の 融 和 運 動 は、
政策論争などがけっこう活発であ
る。ためしに、中央融和事業協会が
一九二八年から四二年にかけて六四
号にわたって刊行していた『融和事
業研究』をみると、現在にも通じる
政策課題について、まじめな研究が
こつこつと続けられていることに驚
くことと思う。
それが、戦後になると、攻守とこ
ろを変え、保守は感覚的な運動とな
り、左翼陣営は俄然理論重視になる。
これは、今後にもつらなる、大きな
問題である。
もっとも、理論が過剰なのも時と
して有害ではある。特に、教条的(つ
まり偉い人の理論の文面一行一行を
かたくなに守ろうとする)な態度は、
目の前の現実から学んで理論を鍛え
ていこうとするのではなく、自分が
学んだ理論にあわせて現実を(ゆが
めて)解釈することになる。
うした教条主義は、部落解放同
そ
盟などの左翼陣営に色濃く見られる
病弊である。
教条的なのも度が過ぎると、カン
ボジアのポルポトのように、我々の
理論は正しい。正しい理論に基づく
政策は正しい。それについて来れな
い連中は、誤った人間なので抹殺し
てもいい、というようなことになっ
てしまう。一〇〇〇万人ほどの国で
教条主義的な政策により一〇〇~
二〇〇万人が虐殺・餓死させられた。
極端な理論偏重も反人権的な結果
を生み、また理論なき実践は、進路
を誤る。理論と実践の調和と相互補
完は、なかなかむつかしい問題であ
る。
大衆運動にとって理論と実践は車の
両輪のようなものであるが、とかく
片方の車輪が脱線しがちである。
本連載では、私の個人的回顧に終
わることのないよう、その時々の理
論的な背景をあわせて論じ、今から
見て、それらが妥当であったかどう
か、そして、間違っていたとしたら、
どこが問題であったかを検討してい
きたいと思う。