発 行 所 自由同和会中央本部 〒 102 東京都千代田区 -0093 平河町2-3-2 TEL 03-5275-3641 FAX 03-5275-3642 編集発行人 平河 秀樹 発 行 日 年 4 回(6・9・12・3 月) 定 価 1部 500 円(送料別) 年間 2,000 円(送料込) 振 込 三菱東京UFJ銀行麹町中央支店 (普)0366528 口 座 名 自由同和会中央本部事務局 平河秀樹 E-mail:[email protected] 灘本昌久さんの長期連載 7 話・・・・・ 4P 18 谷垣・法務大臣を表敬訪問 新聞切り抜き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3P 致結束を図る目的で、各種団体協議 会懇談会を、自由同和会が加盟する 厚生関係団体協議会を皮切りに始め られ、当会から平河中央本部事務局 長が出席した。 新聞切り抜き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2P 都府県本部関係 30 のJ―ファイル2012(総合政策 自由同和会の三役は、法務省に谷 垣禎一・法務大臣を訪ね懇談した。 集 ) に、「 民 主 党 の 人 権 委 員 会 設 置 法案には断固反対する」と掲載され 昨年 月に実施された衆議院議員 たため、法務省は1月から開催され 選挙で政権に復帰した自由民主党と ている今国会での法案提出を見送っ 公明党は、安倍内閣を組閣し、谷垣 たが、自由同和会は今後も怯むこと 禎一・衆議院議員は法務大臣に任命 なく初心貫徹を果たすための一環と された。 して懇談した。 民 主 党 政 権 は、「 人 権 委 員 会 設 置 法 案 」 を 国 会 閉 会 中 の 昨 年 9 月 に、 自由同和会の出席者 法案の内容を確認するとして閣議決 中央本部会長 上田 卓雄 定を行い、臨時国会が開催された 〃 副会長 上田藤兵衞 月 9 日 に、 再 度、 法 案 を 閣 議 決 定 〃 〃 川上 高幸 し、国会へ提出したが、一度も審議 〃 事務局長 平河 秀樹 することなく、衆議院の解散で廃案 〃 事務局次長山口 勝広 になった。 谷垣・法務大臣を表敬訪問・・・・・・・・ 1P 京都府本部(会長 上田藤兵衞)で は、 京都市協議会(議長 山口 勝広) と合同での新春懇親会を、1月 日 午前 時 分より京都市内の「京都 ホ テ ル オ ー ク ラ 」 に、 国 会、 府 会、 市会の各議員や自治体の代表者多数 を来賓に、300名を集め開催した。 11 12 自民党は、先の衆議院議員選挙で 回全国大会 自 由 民 主 党 で は、 団 体 総 局 に 設 置されている 各種団体協議 会( 協議会) に加盟する団 体と親睦を深 め る こ と と、 夏に実施され る参議院議員 選挙に向け一 第 今 号 の 内 容 日 時 5月 日(木) 午後2時~4時 場 所 自民党本部9F901会議室 自民党・各種団体協議会懇談会 23 ※今全国大会も、開会から閉会までを Ustream で完全生中継を行います。 中央本部のホームページからワンクリックでご覧いただけます。 28 15 11 谷垣・法務大臣と歓談する中央本部の三役 NO.204 ヒューマン Journal ( 1 )2013(平成 25)年 3 月(年 4 回発行) 第 204号 ヒューマン Journal (2) 月 3 日 日本経済新聞(夕) 1 平河作成 ( 3 )2013(平成 25)年 3 月(年 4 回発行) 月 3 日 日本経済新聞 4 ヒューマン Journal NO.204 部落解放運動四十年を振り返って⑦ 差別事件と具体的に向きあう 灘本 昌久 したがって、私は、 (前回より続く) 差別落書き事件を大学当局に対する 追 及 の ネ タ に す る こ と に 対 し て は、 強く批判していた。実際、京都大学 でも我々は差別落書きの状況の把握 につとめており、友人などから落書 きの報告があると、写真を撮ったり 消 し た り し て い た が、 私 の 在 学 中、 それをネタに大学当局の責任を問う たことはない(誤解の内容につけく わえておくが、差別落書きに無頓着 で い い と い っ て い る わ け で は な い。 そうした現象が頻発するのは、問題 であって、原因・背景をよく調査分 析して対応しなければならない)。 別事件を契機に問題を具体的 差 に掘り下げていこうという方針の も と で な さ れ た 我 々 の 行 動 と し て、 一九七八年ころに起こった「京大職 員差別発言事件」というのがあった。 これは、京大構内で盗難バイクが発 見された際、警官の学内立ち入りに 立ち合っていた学生部職員が「あの へんは、あれやしねぇ…」と発言し た事件であった。これを聞いていた 学生が、この発言は、京大に隣接し ている田中部落をさして言ったもの だと我々に報告してきたのだ。当時、 部落に対する冤罪事件を重視してい たこともあり、京大付近で発生した 盗難事件の犯人を部落にもとめるよ うな発言はもってのほかであるとし ヒューマン Journal (4) て、事実の確認をはじめた。そして、 一度本人から話を聞こうということ で、部落解放同盟と協力して「確認 会」をおこなった。大学からは、本 人と学生部長ら数人が出席した。そ こで我々は事情を説明し、K氏の発 言を差別発言と認識していると表明 し た。 相 手 の K 職 員 は、「 記 憶 に あ りません…」等々と言を左右にして、 差別的意図の有無以前に、発言その ものを認めようとせず、一度目の確 認会はものわかれに終わった。K氏 は、よく記憶を呼び起こして二度目 の確認会に望むことを約束した。 第一回の確認会を終えて、我々は 作 戦 を 練 っ た。 確 か に 疑 わ し い し、 本 人 の 弁 明 を 聞 く と 益 々 疑 わ し い。 しかし、追及の決め手がない。そこ で、確認会のテープを全部文字に起 こ し て、 詳 細 な 分 析 を お こ な っ た。 今ならそこまでやる意気込みもない が、 当 時 は か な り 燃 え て い た の で、 みんな苦にせず作業をした。その結 果、 文 字 の 力 と は 恐 ろ し い も の で、 K氏の発言の矛盾があちこちに浮か びあがり、この矛盾を突いていこう ということになった。 二回めの確認会で、我々は弁明 第 の矛盾をかなり厳しく追及した。最 初、前回同様のノラリクラリで逃れ ようとしていたK氏だが、さすがに 今回はそうはいかず、窮して絶句す ることたびたびとなり、ついに頬の 筋肉がピクピクするにいたったので ある。 ころが、あと一息で、 「すみませ と んでした」のひとことも出ようとい う時、同席していた解放同盟の幹部 か ら、 「あなたが実際に差別発言し ていようといまいと、同和問題の重 要性を認識してもらって…」という、 と ん で も な い 発 言 が 出 て し ま っ た。 その幹部は、たいへん気性の温厚な 老紳士で、おそらく我々の語気鋭い 追及でピリピリしたその場の雰囲気 を和らげようとしての心遣いだった とは思うのだが、とんでもないこと にかわりはない。そんな一般的な説 教を聞かせるために、無実の人を呼 びつけられるわけがないのだ。もし 万一我々の思い込みにより濡れ衣を 着 せ た の な ら、 疑 い の 晴 れ た 瞬 間、 土下座してでもその非礼を詫びなけ ればならないところだったはずだ。 かし、老幹部の発言にK氏は渡 し りに船とばかりに飛びついた。「はい、 それはもう充分に分かっております。 同和問題の重要性を認識し…」 。万事 窮す。確認会は尻切れのうちに終わ り、事件はうやむやのうちに幕を閉 じた。その後、K氏は、事件の責任 を問われたものか、学内の他の部局 に配置転換になったと聞き、今でも K氏には申し訳ないような、逆に腹 立たしいような複雑な心境である。 長 々 と 事 件 を 紹 介 し て き た が、 我々学生がめざしたのは、K氏を単 に締めあげることではなかった。こ の事件を掘り下げることで、K氏が そうした発言をするにいたった原因 を 究 明 し、 取 り 除 き た か っ た の だ。 たとえば、京大の職員の中に、隣接 す る 田 中 部 落 に 対 す る 偏 見( ま ぁ、 悪ガキも多かったが)や無理解があ れば(当時はあったと思う)、第二、 第三のK氏が出るわけだ。差別事件 に ま つ わ っ て の、 具 体 的 作 業 と は、 あくまで事案を具体的に掘り下げる ことではなかろうか。だから、逆に、 誰が書いたかもしれないような差別 落書きなど、どうしようもない性質 のものであるし、施設管理者を追及 することなど、まったく不毛という のが我々の共通した考えだった。 ころで、私が、大学にはいった と 一 九 七 六 年 当 時、 京 大 の 学 生 運 動 は被差別部落との関係をまったく もっていなかった。過去をたどれば 一九五八年に京大部落研究会が結成 され、隣接の二部落とは密接な関係 にあり、子ども会の指導などをして いたのだが、一九六五年の同和対策 審議会答申をめぐる部落解放同盟と 日本共産党の対立をつうじて、共産 党系の運動を展開した京大部落研は 部落から締め出され、その後、京大 の学生運動と地元部落との関係は プッツリと切れたままとなっていた ( も っ と も、 部 落 研 自 体 は そ の 後 も 続き、共産党の影響下にある地域と 交 流 は あ っ た よ う で あ る が )。 そ し て、一〇年の歳月が過ぎ、一九七七 年夏ごろから我々解放研が、近在二 部落のひとつである錦林部落に出入 りするようになった。 (続く)
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