膜タンパク質分子からの手紙を赤外分光計測で読み解く

膜タンパク質分子からの手紙を赤外分光計測で読み解く
古谷 祐詞
生命・錯体分子科学研究領域 准教授
ふるたに・ゆうじ
1999 年京都大学理学部卒、2001 年同大学大学院理学研究科博士前期課程修了、
2004 年同博士後期課程修了・博士(理学)
、2004 年日本学術振興会特別研究員、
2006 年名古屋工業大学助手・助教を経て、2009 年 3 月より現職、2011 年 10 月∼
2015 年 3 月まで JST さきがけ研究員「光エネルギーと物質変換」領域
はじめに
膜タンパク質は、脂質二重層からな
プチド結合により重合した高分子の一
ギーに相当する赤外線を用いる分光法
る細胞膜に存在し、細胞内外の物質や
種であるが、特定の立体構造へと折り
の一種である。その手法自体で原子レ
情報のやり取りを行っている(図1)
。
畳まれることにより、活性を持った状
ベルでの構造解析を行うことは不可能
イオンポンプと呼ばれる膜タンパク質
態になることが一般的である。タンパ
であるが、様々な刺激の前後での差ス
のはたらきにより、細胞内外でのイオ
ク質の立体構造を原子レベルで解明す
ペクトルを計測することで、タンパク
ン濃度差が形成される。その濃度差に
ることは、その機能発現の分子機構を
質内部に存在する特定のアミノ酸残基
よる電気化学ポテンシャルを利用して、
理解するのに重要である。タンパク質
1 個や水分子 1 個の変化を明らかにす
ATP 合成酵素は生物のエネルギー通貨
の立体構造解析では、X 線結晶構造解
ることが可能である(図 2)[1 -5 ]。特に、
と呼ばれるアデノシン三リン酸(ATP)
析や NMR を用いた手法が広く使われて
タンパク質内部に埋もれた化学結合や
を合成する。また、イオンチャネルは
いるが、最近では電子顕微鏡による単
水素結合のわずかな変化を分子振動の
過渡的にナトリウムイオンやカリウム
粒子解析でも原子レベルでの構造解析
変化として鋭敏に捉えることが可能な
イオンを透過させ、生体電気信号を発
がなされるなど、最先端の技術も開発
ため、上手く活用できれば、タンパク
生する。その他にも外部からの刺激を
されている。さらに、タンパク質の機
質の機能発現に伴う微細ではあるが重
受容し、細胞内に情報を伝達する受容
能発現の分子機構を深く理解するため
要な構造変化を見いだすことができる。
体などもある。このように膜タンパク
には、タンパク質が動作する過程での
質は様々な生命活動を実現する基本素
構造変化など、動的な側面に注目した
微生物型ロドプシンの時間分解赤外
子としてはたらいている。
研究が重要である。
分光計測による光誘起構造変化解析
タンパク質は 20 種類のアミノ酸がペ
赤外分光法は分子の振動準位エネル
最 近、 動 物 の 行 動 を 光 で 制 御 す る
光遺伝学(オプトジェネティクス)と
呼ばれる研究手法に注目があつまって
いる [ 2, 3]。光開閉イオンチャネルとし
て機能するチャネルロドプシンにより、
神経細胞を興奮させることで、動物の
行動が制御できることが示された。ま
た、ハロロドプシンやバクテリオロド
プシンでは、逆に鎮静させる作用があ
図 1 膜タンパク質の結晶構造の一例(左;ハロロドプシン、右;カリウムチャネル KcsA)
る。このような生理作用を実現するチャ
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ネルロドプシンやハロロドプシンのイ
オン透過やイオン輸送の分子機構にも
注目が集まっている。
ハ ロ ロ ド プ シ ン は、 微 生 物 型 ロ ド
プシンの一種であり、光駆動型塩化物
イオンポンプとしてはたらく。X 線結
晶構造解析により、タンパク質内部に
水分子が存在することが示されていた
が、その役割はよく分かっていなかっ
た。水分子は水素結合強度の違いに応
じて O-H 基の伸縮振動が変化する(図
2)。光誘起の赤外差スペクトルを時分
割計測し、3600 cm -1 以上の高波数領
域において、水の O-H 伸縮振動の各中
間体形成時における変化を捉えた。そ
の O-H 伸縮振動の振動数や強度の変化
図 2 膜タンパク質の赤外吸収スペクトル(青)と光誘起差スペクトル(赤)
から、塩化物イオンの取込みと放出の
際に、水素結合の相手がいない O-H 基
を持つ水分子が増えることを明らかに
した(図 3)[6]。負電荷を持ったイオン
がタンパク質内部で安定化される際に
水分子が積極的に関与していることを
示唆する結果である。
チャネルロドプシンは、光開閉カチ
オンチャネルとしてはたらく。チャネ
ルロドプシン 1 および 2(以降、ChR1
および ChR2)と 2 種類存在するが、オ
プトジェネティクスでは ChR2 がよく
図 3 ハロロドプシンの光反応中に変化する水分子
使われている。X 線結晶構造解析によ
り、ChR1 と ChR2 の キ メ ラ タ ン パ ク
ラタンパク質のものとは異なっている
ループは 11-cis 型レチナールを結合す
質の構造が解かれ、ChR2 における機
ことを示唆している。
ることが可能な Middle rhodopsin(MR)
能改変変異体の設計などに活用されて
チャネルロドプシンやハロロドプシ
を発見した。脂質膜再構成試料では all-
きた。我々は、このキメラタンパク質
ン以外にも様々な微生物型ロドプシン
trans 型レチナールを結合した MR が大
の光誘起構造変化を詳細に解析するこ
が見つかってきている。一般的に微生
勢を占めるが、それについて解析を行っ
とで、ChR2 とキメラタンパク質とで
物型ロドプシンは 7 回膜貫通型ヘリッ
た。その結果、これまでに見られたこ
は、構造変化が大きく異なっているこ
クスからなり、通常、all-trans 型レチナー
とのない  シートに由来すると思われ
[7 ]
。また、イオン選
ルを発色団として結合する。trans-cis
る amide バンドの変化を観測すること
択やイオン透過に重要と考えられてい
異性化によって引き起こされるタンパ
に成功した [ 8]。all-trans レチナールが
る Glu 129(ChR2 では Glu90)のプロ
ク質の構造変化によって、イオンポン
13 -cis へと光異性化した後、細胞外側
トン化状態についても、ChR2 との差
プ、イオンチャネル、光センサーと様々
領域に存在すると推定される  シート
異を明らかにした。ChR2 の立体構造
な機能を発現することが知られている。
にまで構造変化が伝播している可能性
は未解明であるが、我々の結果はキメ
須藤雄気博士(岡山大学・教授)のグ
を示唆する結果である。残念ながら MR
とを明らかにした
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の機能は未知であるが、このような特
K + の親和性の指標となる解離定数は約
薄膜の厚みの違いによる赤外吸収への
異な構造変化は 11-cis 型レチナールを
10 mM 程度であることもわかった。ま
影響を調べた。対象にはハロロドプシ
許容する MR の特異な分子特性を反映
+
た、 低 K 濃 度 で は フ ィ ル タ ー 構 造 に
変化が生じていることも見いだした
したものではないかと考えている。
カリウムチャネル KcsA のイオン
選択フィルターの赤外分光計測
[ 9]
。
ン試料を選び、タンパク質骨格の吸収
を反映する amide I および amide II を観
さらに各種アルカリ金属イオンとの赤
測した。その結果、厚みが 3~ 7 nm 程
外差スペクトルを計測することにより、
度では通常の吸収スペクトルが観測さ
+
れ、9-11 nm ではスペクトルに歪みが
イオンチャネルは、生体電気信号の
とで似たような相互作用をし、K 、ル
現れ、~20 nm においては正負が逆転し
源であり、様々な細胞とりわけ神経細
ビジウムイオン(Rb +)、セシウムイオ
たスペクトルを観測した。偏光子を用
胞が機能するために重要な役割を果た
ン(Cs+)とも似たような相互作用をす
いた計測により、スペクトル形状の変
す膜タンパク質である。カリウムチャ
るが、両グループ間では異なる相互作
化は s 偏光による影響であることを明
ネルはカリウムイオン(K )を選択的
用であることを明らかにした [ 10]。現在、
らかにした [ 11]。
に透過するが、それはイオン選択フィ
さらに研究を発展させるために、ほ乳
膜タンパク質のカリウムチャネルの
ルターと呼ばれる領域において、主鎖
動物由来のカリウムチャネルにも本手
モ デ ル 系 と し て、 本 手 法 を K + を 選 択
のカルボニル基が K + を配位するのに
法を適用し、カリウムイオン選択機構
的に吸着するイオノフォア有機分子で
適した構造を構築しているためと考え
について研究を進めている。
あるクラウンエーテルに適用し、各種
+
+
KcsA は リ チ ウ ム イ オ ン(Li ) と Na
+
+
られている。そこで、K もしくはナト
アルカリ金属イオンを含む緩衝液と含
リウムイオン(Na )を結合した際の
タンパク質やイオノフォア有機
まない緩衝液との赤外吸収差スペクト
微細な構造の違いを明らかにするため
分子の表面増強赤外分光計測
ルを計測した(図 5)。その結果、K +、
+
に、全反射赤外分光装置を用いて、イ
数ナノメートル程度の金薄膜を全反
Rb +、Cs + では似たような差スペクトル
オン交換誘起の赤外差分光計測を行っ
射赤外分光用のプリズム表面に作製す
が得られたが、Li +、Na + では異なる形
た。その結果、イオン選択フィルター
ることで、金薄膜に吸着した分子種の
状の差スペクトルが得られ、イオン吸
近傍の主鎖に由来する amide I バンドの
赤外吸収強度を増強することが可能で
着に伴う構造変化に差異があることが
計測に成功した(図 4)。K を配位した
ある。このような表面増強赤外分光計
示唆された。本研究は、広島大学の井
+
測を膜タンパク質に適用するため、金
口佳哉博士(広島大学・准教授)が主
+
方が amide I バンドの振動数が高く、K
を 8 個のカルボニル基で配位した構造
であると考えると矛盾しないことが分
かった。K + 濃度を変化させることで、
図 4 カリウムチャネル KcsA のカリウムイオンとナトリウムイオンとの
相互作用に伴う赤外吸収スペクトル変化
図 5 クラウンエーテル(左)とカリウムイオンとの
相互作用に伴う赤外吸収スペクトル変化(右)
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導する共同研究として行われた [12,13]。
ンスポーター、イオンポンプ、受容体
規計測系の構築を含め、研究を進めて
等に適用されることを期待している。
いるところである。将来的には、膜タ
急速溶液交換装置による膜タンパク
質の時間分解赤外分光計測系の開発
ンパク質がより生理的環境に近い状況
今後の展望
下でどのように動作するのかを明らか
膜タンパク質の機能発現機構を解明
赤外分光法やラマン分光法などで得
するためには、生体分子やイオンの結
られる振動スペクトルは、「分子からの
合・解離に伴う構造変化を時分割で解
手紙」とも呼ばれている [ 17]。膜タンパ
本 稿 で 紹 介 し た 研 究 で は、 共 同 研
析する手法が必要である。
ク質のような巨大分子においても、様々
究 者 の 方 々 の 他 に、 古 谷 グ ル ー プ の
全反射赤外分光装置と圧縮空気作動
な刺激の前後での差スペクトルを計測
メ ン バ ー( 木 村 哲 就 博 士、 塚 本 寿 夫
型ポンプを組み合わせて、膜タンパク
することで、特定のアミノ酸残基や水
博 士、 稲 熊 あ す み 博 士、 藤 原 邦 代 博
質試料を浸している緩衝液を急速に置
分子の構造情報や、その時間変化に関
士、Hao Guo 博士)がそれぞれ中心的
換する手法を開発した。塩化物イオン
する情報を得ることが可能である。そ
な役割を果たしました。また、科学研
や硝酸イオンを結合するハロロドプシ
のため、このような赤外差スペクトル
究費助成事業(課題番号:26640047 ,
ンに対して本手法を適用し、そのイオ
は暗号化された断片的な手紙とも言え
26708002, 24650203, 22770159,
ン結合に伴う赤外吸収スペクトル変化
る。膜タンパク質のような巨大分子か
22018030, 22247024)、さきがけ研
らの手紙を読み解く作業は、生体分子
究(「光エネルギーと物質変換」領域)、
プスキャン法を用いることで、2.5 ms
系の赤外分光研究の難しさでもあり、
森野基金等の支援を受けました。ここ
での時分割計測を行い、緩衝液交換が
醍醐味でもある。今後も赤外分光法は
に感謝致します。
25 ms 程度で終了していることを硝酸
タンパク質の分子機構研究において、
イオンの NO 伸縮振動より確認した(図
重要な役割を果たしていくものと考え
6)。さらに、ハロロドプシンのイオン
ている。現在、膜タンパク質に掛かる
取込み反応をレチナールの C=C 伸縮振
膜電位の効果を明らかにするため、新
の時分割計測に成功した
[14, 15]
。ステッ
にしたいと考えている。
動により追跡した。
また、藤貴夫准教授のグループが開
発したチャープパルス上方変換による
全反射赤外分光装置と組み合わせた実
験も行った。全反射プリズム上の水と
アセトンが置き換わる様子を 1 ミリ秒
の時間分解能で計測することに成功し
た。その結果、溶液交換が約 10 ミリ秒
で完結していることを確認した [16]。溶
液交換速度の違いは流路の形状や全反
射プリズムのサイズなどに依存するが、
概ね 10 ミリ秒程度が本手法での時間分
解能の下限であると思われる。
このように本手法は、表面積の小さ
い全反射プリズムを用いた全反射赤外
分光法と組み合わせることで、ごく少
量(数 g 程度)の膜タンパク質試料で
のイオンや基質との相互作用に関わる
時間分解計測を可能にする手法である。
今後は、様々なイオンチャネル、トラ
8
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図 6 急速溶液交換法によるハロロドプシンのイオン結合に伴う赤外吸収
スペクトル変化
参考文献
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分子研レターズ 72 September 2015
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