2015 Vol.64 No.2 連載講座 野村貴美

連載講座
メスバウアースペクトロメトリーの基礎と応用
連載講座の終わりに
野村貴美
Reprinted from
RADIOISOTOPES, Vol.64, No.2
February 2015
RADIOISOTOPES ,64,141‐144(2015)
連載講座
メスバウアースペクトロメトリーの基礎と応用
連載講座の終わりに
野村貴美
東京大学
1
5
3-8
9
0
2 東京都目黒区駒場3-8-1
[email protected]
連載講座の終わりにあたり,今までのメスバウアースペクトロメトリーの基礎と応用の解説トピ
ックスを分類した。また,メスバウアー分光の装置,測定方法及び解析ソフト開発の変遷について
述べた。メスバウアースペクトルの速度校正におけるパラメータの取り扱いに注意を促した。
..
Key Words:Mossbauer spectroscopy, review article summary, velocity calibration remarks
約2年にわたり連載講座「メスバウアースペ
性が認識され,1
960年以降メスバウアースペ
クトロメトリーの基礎と応用」の専門家による
クトルの測定技術の改良が行われるとともに,
解説が表1のとおり掲載されてきた。
装置も市販されるようになり,スペクトルの超
連載講座のトピックス No.
1から No.
7まで
微細構造の理論的解釈の基礎研究とさまざまな
は,メスバウアー分光の基礎としての原理,パ
核種の応用研究が行われた。1
980年代は,メ
ラメータ及びスペクトル解析の基礎,散乱法に
スバウアースペクトロメトリーも普及して,応
よる表面分析,放射光や加速器利用による測定
用研究が飛躍的に広がり,最も活発だった時期
法(高圧下の測定)を中心にそれらの特徴を紹
である。この頃から転換電子メスバウアー分光
介した。No.
8は,鉄(Fe-57)以外の核種によ
(CEMS)による固体表面の分析も盛んに行わ
るメスバウアー分光の基礎である。No.
9から
れるようになってきた。
No.
11は,集積型,光及び生体の機能性金属錯
メスバウアー装置においては,レーザ干渉計
体のスピン状態の応用解析に関するものである。
を用いてドップラー速度の補正が行われるよう
No.
12から14は,無機系分子,ナノ粒子,機
になり,測定データの信頼性は向上した。1
990
能性材料や多層薄膜の解析への応用,No.
15か
年代中頃にメスバウアー効果の線源としてのシ
ら17は,工業的材料(ガラス,触媒,鉄鋼)
ンクロトロン放射光の利用の可能性が示された。
の解析への応用,No.
18と19は,地球環境の
放射光の制動 X 線の超単色化ビームは,せい
土壌循環や地球外環境の鉱物の解析への応用に
ぜい数 meV のエネルギー分解能であるために,
分類される。
核共鳴の観測は容易ではなかった。ここで,非
1958年にメスバウアー効果の発見から時代
共鳴の即発散乱 X 線を避けて核共鳴の励起・
を追ってメスバウアー研究の変遷を眺めてみよ
緩和の時間遅れで生じる X 線成分を検出する
う。メスバウアー効果が191Ir について発見され
方法で,核共鳴の前方散乱や非弾性散乱のスペ
5
7
ると他の核種の検索が行われ,1959年に Fe
クトルが測定されるようになった。前方散乱ス
が,1960年に Sn が γ 線核共鳴しやすい核で
ペクトルから従来のメスバウアー情報が,また
あることがわかった。メスバウアー効果の重要
非弾性散乱スペクトルから従来のメスバウアー
1
1
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RADIOISOTOPES
Vol.
6
4,No.
2
表1 講座の表題と第一著者,RADIOISOTOPES 掲載号
情報と異なる振動状態の情報が得られる。しか
近な実験室で簡便に使用できるため,最も頻繁
しながら,放射光メスバウアースペクトロメト
に利用されている。今回は,紹介していなかっ
リーは,放射光ビームのマシンタイムに制約が
たが,濃縮57Fe を用いた核共鳴検出器と γ 線
あるため,いつでも測定できる訳ではない。ま
源の配置をたえず共鳴状態にして,試料を相対
た γ 線核共鳴しやすい同位元素の数は限られ
的に振動させる方法がある。これにより,SN
ているため,メスバウアー関連の発表論文の数
比の向上と半値幅が改善される。また,応答が
は,全体的に一時減少した。この普及の延び悩
速い検出器と強い線源の採用により測定時間を
みに対して,各国でワークショップが行われ,
短縮させることも可能になる。
日本でも2000年にメスバウアー分光研究会が
メスバウアースペクトルの解析ソフトについ
竹田満洲雄博士らにより日本化学会の支援を得
ては,コンピューターの発達とともに便利なも
て立ち上げられた。現在は日本化学会から独立
のが開発されてきた。3
0年以上前には,パン
して運営されている。
チカードに打ち込んだ測定データを計算機セン
放射性 Co を試料に微量ドープして,その γ
ターのカードリーダーに読ませ,Fortran 言語
線を57Fe 濃縮基準物質に共鳴吸収させてメスバ
の最小自乗フィッテングプログラムにより処理
ウアースペクトルを測定する発光法も以前から
していた。結果が十分でないと初期値パラメー
重宝されてきたが,非密封同位元素が取り扱え
タを変更したカードを作り,繰り返し計算を行
5
7
5
7
る実験施設に限られている。長い寿命の Co(半
った。多くの研究室で独自の解析ソフトが開発
減期 T1/2=270日)を含む試料を取り扱うのに
されてきたが,ドイツの Richard
5
7
Brand 博士
対して,加速器を用いて短寿命の Mn(T1/2=
が開発したメスバウアー専用ソフト Normos は,
85s)を試料に注入しながらメスバウアースペ
1980年代に日本にも普及した。現在は,パソ
クトル を 測 定 す るシ ス テ ム が 開 発 さ れ て き
コン対応の WinNormos として改良されている。
た。57Mn の壊変生成物の57Fe をプローブに,
また,著者もいち早く導入してきたパソコン用
あらゆる物質の局所構造や動的挙動を解析する
MossWinn ソ フ ト は,ハ ン ガ リ ー の Zolta′
n
ことが可能になった。
Klencsa′
r 博士によって1
990年代に開発された
密封 γ 線源を用いる透過法は,今なお,身
ものである。これは,さまざまな核種や解析法
( 22 )
Feb.
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0
1
5
野村:連載講座の終わりに
143
た新しいナノ機能材料などである。
連載講座には,メスバウアースペクトロメト
リーにより解析した多くの事例を掲載してきた。
これらを参考にして,さらに新しい物質・材料
の解析を積極的に進める若い世代の研究者が一
人でも多くなることを願う。
最後に大事なことをここで述べておく。それ
は,メスバウアースペクトルのドップラー速度
の校正である。速度校正の基準物質として純鉄
図1 密度汎関数による四極子分裂の計算値とメス
バウアー分光による実験値との相関1)
( α -Fe)が用いられるが,メスバウアー分光に
関する日本語の成書には,表2のように純鉄の
内 部 磁 場 と し て33.
3T(333kOe)と3
3.
0T
に対応し,使いやすいので,日本で最も普及し
の値がそれぞれ示されている。佐野・片田著に
たソフトの一つである。スペクトルの解析は,
よる「メスバウアー分光法」では, α -Fe の磁
いつでもどこでもできるようになったが,その
気分裂ピークの第一ピークと第六ピークの間の
スペクトルをどこまで詳細に解析するかは,研
ドップラー速度幅が1
0.
657mm/s で,その内
究の目的による。
部磁場を33.
3T としている2)。藤田編著の「メ
最近のコンピューターの演算速度の高速化に
スバウア分光入門」では, α -Fe の内部磁場を
よって,錯体などの分子設計における密度汎関
33.
0T としている3)。また,日本で最も普及し
数(DFT)計算が容易に行われるようになっ
た海外版 MossWinn ソフトでは, α -Fe のピー
た。理論計算と実際に測定したメスバウアーパ
ク間隔が1
0.
642mm/s に対して α -Fe の内部
ラメータの値の間には,図1のように非常によ
磁 場 を33.
0T と し て い る4)。WinNormos で
い相関が見られる1)。これは,デザインした分
は,33.
1T である5)。これらの違いは,測定し
子の電子密度を実験的に検証するツールとして
た α -Fe 箔の状態(箔の厚さ,箔の表面のあら
メスバウアースペクトロメトリーが重要な手法
さ,分極,アニュールの仕方など)による。使
であることを示す。
用する α -Fe 箔のパラメータの値は,各研究者
しかしながら,初めて使用する者にとっては,
パラメータの解釈にある程度の経験が必要なた
間において最大1% の違いがあることを認識し
ていただきたい。
め,メスバウアー分光は他の分光法に比べて少
今回の連載講座では,全ての分野のトピック
し敷居が高く感ずるようである。また,取り扱
スが紹介された訳ではないので,折りをみて第
う γ 線源を忌避するようであるが,その強度
2弾を企画したい。
は X 線発生装置の X 線強度よりも小さく,危
なお,メスバウアー関連の国際会議としては
険性は少ない。10−8eV レベルのエネルギー分
代表的なものに International Conference on
解能が得られるメスバウアー分光法の魅力を知
Applications of Mossbauer Effect(ICAME)
れば,その虜になるのではないかと思われる。
と International Symposium on Industrial Ap-
最近,メスバウアースペクトロメトリーで解
plications of Mossbauer Effect(ISIAME)が
析してみたい,新しい物質や材料が多く開発さ
あり,それぞれ2年及び4年ごとに開催されて
れてきている。たとえば,有機・無機のコンポ
いる。ほかにも Latin America Conference on
ジット材料や光や圧力などの外部刺激によるス
,
Application of Mossbauer Effect(LACAME)
ピン転移物質,磁性と半導体の特性を兼ね備え
..
Mossbauer Spectroscopy in Materials Science
..
..
..
( 23 )
144
RADIOISOTOPES
Vol.
6
4,No.
2
表2 α -Fe のドップラー速度校正データの比較
(MSMS)などもあり,これらの最新情報は,
Mossbauer Data Center のホームページや日本
(2013)
Sons inc., Hoboken, New Jersey
..
9)Yoshida, Y., Langouche, G., Eds., Mossbauer
のメスバウアー分光研究会のホームページを参
Spectroscopy : Tutorial Book, Springer-Verlag,
..
照されたい6)。
最後に最近出版されたメスバウアー分光関係
Spectroscopy, Springer, Heidelberg
(2013)
(origi-
の書籍及び文献を紹介しておく7)−12)。
文
Berlin
(2013)
..
1
0)Greenwood, N. N. and Gibb, T. C., Mossbauer
nal 1st Ed. 1971)
..
..
1
1)Gutlich, P., Fifty years of Mossbauer spectros-
献
..
1)Ma′
tya′
s Pa′
pai and Gyorgy Vanko′
, On predicting
..
Mossbauer parameters of iron-containing molecules with density-functional theory, J . Chem.
Theory Comput., 9(11)
, 5004-5020(2013)
copy in solid state research ― Remarkable
achievements, future perspectives, Z . Anorg. Allg.
Chem., 638(1)
, 15-43(2012)
..
..
..
1
2)Gutlich, P., Schroder, C. and Schunemann, V.,
..
Mossbauer spectroscopy ― An indispensable tool
2)佐野博敏,片田元己,メスバウアー分光学の基
in solid state research, Spectroscopy Eur., 24(4)
,
礎と応用,学会出版センター,東京(1996)
21-32(2012)
3)藤田英一編著,メスバウア分光入門,アグネ出
http : //www.spectroscopyeurope.com
版技術センター,東京(1999)
4)Zolta′
n Klencsa′
r,“MossWinn”program
Abstract
5)Richard Brand,“WinNormos”program
..
6)Mossbauer Effect Data Center のホームペー
ジ:http : //www.medc.dicp.ac.cn/index.php
日本のメスバウアー分光研究会のホームペー
ジ : http : / / www.lab2.toho-u.ac.jp/ sci / chem /
ichem/moss/index.html
..
..
7)Gutlich, P., Bill, E. and Trauwein, A. X., Mossbauer
Spectroscopy and Transition Metal Chemistry :
Fundamentals
and
Applications,
Springer,
Heidelberg
(2010)
..
8)Sharma, V. K., Klingerhofer, G., Nishida, T., Eds.,
..
Mossbauer Spectroscopy : Applications in Chemistry, Biology, and Nanotechnology, Wiley &
..
Basics and Applications of Mossbauer Spectrometry
..
Closing Remark on Mossbauer Series
Kiyoshi NOMURA : The University of Tokyo, 3-8-1
Komaba, Meguro-ku, Tokyo 153-8902, Japan
The review articles on the basic and application of
..
Mossbauer spectrometry dealt with in a series were summarized. The changes on development of the equipments,
the measuring systems and the analysis softwares for
..
Mossbauer spectra were described. Attentions to the parameters in the velocity calibration were also remarked.
( 24 )