戦後日本社会の誕生

序章
戦後社会形成史という試み
一 戦前から戦後へ ――日本社会の転形
橋本健二
本書の目的は、戦後日本社会の誕生した過程を、主に計量的データにもとづいて明らかにす
ることである。ここで戦後日本社会の誕生というのは、戦前の社会構造が戦時体制によって変形
し、さらに戦災と敗戦の混沌が加わったなかから、新しい社会が立ち上がっていったという歴史
的な出来事のことである。
これは一見したところ、あまりにも大きく、また茫漠とした問題設定のように思われるかもし
れない。しかし、ここにひとつの方法を持ち込めば、その意味は明確になる。それは、社会学的
な階級・階層論、とくに社会移動研究の方法である。
この方法に従うならば、戦後社会が誕生する過程とは、戦前期に生まれ育った人々の、戦後の
階級・階層構造へ向けた社会移動の過程にほかならない。つまり戦前社会の担い手だった人々
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3…………序章 戦後社会形成史という試み
兵士
2500
農民層
2000
自作
自小作
1500
その他の農民層
1000
労働者階級
新中間階級
500
や、戦前から戦中にかけて成長
した子どもたちが、通常の就職
や転職などに加え、徴兵や戦時
徴用、疎開、外地への移民と引
揚げなどを含むさまざまなライ
フイベントを経て、戦後社会の
担い手となっていった過程であ
る。
図︲1と表 ︲1は、一九三〇
年、 四 〇 年、 四 五 年、 五 〇 年
の階級構成を示したものであ
が、ここでは資本家階級・新中
分類にはいろいろな方法がある
として示したものである。階級
れの階級の人数からみた構成比
は、社会の階級構造を、それぞ
る。 こ こ で 階 級 構 成 と い う の
注)出典については表-1の注を参照。
1950年
1945年
1940年
1930年
0
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図- 1 1930 年、40 年、45 年、50 年の階級構成(万人)
4000
3500
3000
学徒動員等
地主
小作
自営業者層
資本家階級
4
資本家階級
新中間階級
労働者階級
自営業者層
農民層
地主
自作
自小作
小作
その他の
農民層
合計
学徒動員等
兵士
1930年
1940年
1945年
1950年
20.9
(0.7%)
181.2
(6.2%)
868.6
(29.6%)
473.0
(16.1%)
1394.0
(47.5%)
45.2
(1.5%)
439.7
(15.0%)
483.7
(16.5%)
336.4
(11.5%)
88.9
(3.0%)
2937.7
(100.0%)
0.0
24.3
18.4
(0.6%)
277.9
(8.6%)
1078.5
(33.2%)
506.0
(15.6%)
1367.5
(42.1%)
40.4
(1.2%)
412.2
(12.7%)
449.5
(13.8%)
316.9
(9.8%)
148.5
(4.6%)
3248.3
(100.0%)
0.0
165.4
12.5
(0.5%)
288.7
(10.4%)
823.8
(29.8%)
316.6
(11.5%)
1322.5
(47.8%)
39.4
(1.4%)
402.0
(14.5%)
438.3
(15.9%)
309.1
(11.2%)
133.7
(4.8%)
2764.1
(100.0%)
390.5
826.3
76.7
(2.2%)
398.9
(11.2%)
996.6
(28.1%)
473.3
(13.3%)
1603.6
(45.2%)
3549.1
(100.0%)
出典)内閣統計局『昭和五年国勢調査報告』、総理府統計局『昭和15年国勢調査報告』
『昭和25年国勢
調査報告』、農林大臣官房統計課『昭和一五年第十七次農林省統計書』、商工省調査統計局『昭和20年
末における産業人口の分布』、梅村他(一九八八)などから算出。詳細については本章の補論を参照。
間階級・労働者階級・旧中間階
1
級の階級四分類を基本としなが
ら 、旧中間階級は自営業者層と
農民層に二分し、さらに四五年
までについては地主・自作・自
小作・小作の内訳を示した。戦
前、そして戦後初期は今日ほど
統計が整備されておらず、職業
の分類も一定していない部分が
ある。ましてや戦争末期の四五
年に行なわれた調査には、ごく
簡単な産業分類だけしか含まれ
ていない。困難は承知で、いろ
1
いろと推測や大ざっぱな推計を
この階級分類の学説史的背景と、カテゴ
リー設定の詳細については、
橋本(一九九九)、
橋本(二〇〇六)を参照。
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表- 1 1930 年、40 年、45 年、50 年の階級構成(万人)
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加えて作成したものである。その方法については、章末の補論を参照していただきたい。対象は
有業者のみだが、四五年までについては兵士と学徒動員等 (女子挺身隊を含む)を外数で示した。
一九三〇年は、世界大恐慌の直後である。農村は疲弊して貧困が広がり、都市にも失業者が溢
れていた。しかし大正末期に始まった、現代につながる新しい流れは続いていた。デパートが
続々と開業して消費への意欲をかき立て、アパートと呼ばれる新しい住宅が生まれ、ハリウッ
ド映画が多くの客を集め、モガ・モボが街を闊歩した。戦時を迎える前の、平穏なひとときだっ
たともいえる。この時期、階級構成の最大部分を占めていたのは農民層 (四七・五%)だが、その
比率が全体の半分を切ったのは、この頃が初めてである。しかしその約六割は、地主 (一・五%)
から農地を借りて高率の地代を払いながら、細々と生活する小作・自小作の人々だった。労働者
階級は急増を続け、全体の二九・六%を占めるようになっていた。サラリーマンと呼ばれる階層
が広がったのはこの頃だといわれることが多いが、新中間階級の比率は、まだ六・二%にすぎな
い。この両者の上に立つのが、わずか〇・七%の資本家階級で、残りは小さな商工業を営む自営
業者 (一六・一%)である。兵士は二四・三万人だから、現在の自衛隊とほぼ同じ規模である。
一九四〇年は、日中戦争の激化を背景に国家総動員体制が成立し、農業などから軍需産業へ
の 動 員 が 進 め ら れ た 時 期 で あ る。 こ れ を 背 景 に 農 民 層 の 比 率 は 四 二・一 % と 大 き く 低 下 し た の
に 対 し、 労 働 者 階 級 は 増 加 し て 三 三・二 % に 達 し た。 新 中 間 階 級 も 大 幅 に 増 加 し て い る。 自 営
業 者 層 は 一 五・六 % で、 全 体 に 占 め る 比 率 に 大 き な 変 化 は な い。 他 方、 兵 士 は 大 幅 に 増 加 し て
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一六五・四万人と、わずか一〇年間で六・八倍になった。とはいえ、続く五年間の激変に比べれ
ば、まだ変化はゆるやかである。
一九四五年は、終戦の年である。当然ながら、この年には国勢調査が行なわれていない。ここ
に示したのは五月一日時点で行なわれた「国民登録」の集計結果をもとに、数多くの仮定をおい
た上で推計した結果に、兵士・学徒動員等を追加したものである。
まず目をひくのは、兵士が八二六・三万人にも達していることである 。徴兵は飛行機工場のよ
うな重要な軍需産業の従業員も含めて容赦なく行なわれた。その空白を埋めたのは、軽工業や
廃 業 に 追 い 込 み、 軍 需 産 業 へ と 動 員 し て い っ た 。 こ の 影 響 で、 商 業 従 事 者 は 四 九 九・一 万 人 か
増産・確保のために農民からの労働力動員を抑制する一方で、中小商工業者を意識的に転業・
められた女性たちである。一九四〇年、政府は「勤労新体制確立要綱」を閣議決定し、食糧の
商業などから徴用された人々、学徒動員で集められた生徒・学生たち、そして女子挺身隊に集
2
ら一七七・四万人へ激減した 。その多くは自営業者だったから、自営業者層の比率は一一・五%
3
厚生省引揚援護局の調査による。ただし動員数のため、すでに戦死している人を含むと考えられる。戦略爆撃調査団によれば、八月時
点の現役軍人数は七一九・三万人である。出典は、章末の補論を参照。
埋められるはずはない。工場の生産性は極端に落ち、不良品も続出した。日本の生産力は、空
にまで低下した。しかし、急いでかき集められた非熟練の労働力に、徴兵された熟練工の穴を
4
二五四︲二六二)
。
西成田(二〇〇七、
。
梅村他(一九八八)
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2
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襲や物資不足のせいだけでなく、内部からも崩壊していった。学徒動員等を除いた有業人口は
四八四・二万人減少し、なかでも労働者階級は二五四・七万人も減少している。これに対して農民
層は、わずかな減少にとどまった。
そして五年後の一九五〇年。農地改革により、地主 ︲ 小作関係はほぼ崩壊する。のちに述べ
るように完全に消滅したというわけではないが、もはや農民層を土地の所有関係にもとづいて区
分する意味はなくなった。ここに戦争で職を失った徴用工や引揚者、復員者、住む場所を失った
戦災者などが流れ込み、農民層は一六〇三・六万人にまでふくれあがった。しかしその多くは、
農業従事者というより、農村に身を寄せて食いつないでいた人々である。戦後復興はなんとか軌
道に乗り、戦争特需も始まっていたから、新中間階級と労働者階級の規模も回復した。他方、
職を失った人々の一部は、ヤミ市などを振り出しに商売を始め、自営業者として自立しつつあっ
た。こうして自営業者層は、人数では一九三〇年の規模を回復した。ちなみに資本家階級が大幅
に増加しているのは、職業分類の変更による技術的な理由から、ごく少数の労働者を雇う零細企
業主がここに含まれるようになったのが一因だが、戦後復興期に無数の中小零細企業が簇生した
のも事実であろう。
以上にみたように、一九三〇年から五〇年の二〇年間に、日本の階級構造は激変を続けた。階
級構造が激変したということは、人々が階級構造のなかのさまざまな位置の間を移動し続けた
ということである。ここにはもちろん、失業や兵役、徴用にかかわる移動も含まれる。戦地や植
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民地、軍需工場への動員と関係した、地域間移動がともなうことも多かっただろう。結果的には
三〇年と五〇年の階級構成は、全体として有業者数が増加し、また新中間階級の比率がやや大き
くなったとはいえ、比較的よく似ているといえる。しかし、それは激変の末の結果であり、人々
が二〇年前と同じ階級に戻ったというわけではない。そもそも地主や小作、戦災で消滅した工場
や軍需工場の工員には、戻るべき元の位置が存在していないのである。
二 データで描く戦後社会の成立過程
ここで、想像してみよう。階級構成を示した図 ︲1のグラフは、数千万人の人々の集積であ
る。つまりこのグラフは、実は数千万もの点から構成されている。これらの点が、時間の経過
とともに移動していき、結果的にグラフ全体の形が変わっていく。それが階級構成の変動過程で
ある。このように人々が時間の経過とともに移動し、同時に社会全体の形が変わっていくようす
を、データにもとづいて示すことができれば、戦前から戦後にかけての社会の変動過程を、そし
て戦後社会の成立過程を明らかにしたことになる。それは、ある構造が別の構造に転形していく
ようすを、構造を構成する無数の点の移動によって表現するアニメーションにもたとえられよう。
しかし、そんなことを可能にするデータがあるのか。アニメーションまでは無理だとしても、
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手がかりとなる資料はいくつかある。
ひ と つ は、 政 府 や 行 政 機 関 が 作 成 し た 統 計 デ ー タ で あ る。 た と え ば 一 九 四 〇 年 の 国 勢 調 査
は、調査対象者の従事していた産業を、調査時点である四〇年一〇月一日と、日中戦争勃発直
前の三七年七月一日時点で比較している。例として鉱業従事者をみると、調査時点の従事者は
五九・八万人だが、このうち三七年時点ですでに鉱業に従事していたのは三二・三万人に過ぎず、
四〇年までに農業から一一・九万人が移動し、無業だった者が七・七万人加わっている。わずか三
年の間に、多くの労働力が動員されたことがわかる。
さらに劇的な変化を知ることができるのは、農地改革に関する統計である。表 ︲2は、その
一例である。表側が終戦時、表頭が一九四九年時点の農家区分で、それぞれの農家が農地改革の
前後で農家区分の間をどのように移動したかを示している。社会移動の分析に使われる移動表に
よく似ており、ここから農地改革の前後における農家の変化、つまり「農家の社会移動」を知る
ことができる。ただし、不在地主は農地改革によって完全に消滅したから、この表に含まれてい
ない。
改革の前後で、自作農は一七一・六万戸から三二七・八万戸へ急増した。耕作していた地主は
五四・七%が自作農となり、四三・一%が保有限度内の貸付地を有する農家となった。自作農は
九五・六%までが自作農のままである。しかし、何らかの形で小作を営んでいた農家の移動をみ
ると、農地改革の効果が意外に限定的だったことがわかる。自小作農は三八・五%が自作農とな
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