安全振興会では、生徒の皆さんの安全意識の高揚を図るために、 「安全」又は「健康」をテ−マに作文コンク−ルを 実施しています。 今年度も素晴らしい作品が 748 編も寄せられました。 山口健一選考委員長、伊藤伸子副委員長、岩 壁清吉、吉岡謙二郎、王尾冨美子、桐野輝久委員の6人の元校長先生に審査をお願いしました。 最終選考会議では、 最優秀2編、優秀6編、佳作 36 編が決定されました。 この中から最優秀に選考された作品を掲載しました。 志を継ぐ者・緑の庭 県立中央農業高等学校二年 三川 浩正 僕には、大好きな祖母がいる。いや、正しくは、﹁いた﹂だが。﹁次に会うのは、 クリスマスね。﹂と小学3年の冬にかわした約束は、今も果たされぬままになっ ている。 祖 母 の 家 は、 潮 の 香 り が 漂 う、 海 か ら ほ ど 近 い 場 所 に あ る。 外 国 暮 ら し が 長かった曾祖父が造ったその庭は、塀が大人の背丈よりかなり低く、道行く 人にも花を楽しんでもらいたいという思いがこもった庭なのだと聞かされた。 草 花 の 他 に も、 多 種 類 の 梅 や、 カ キ の 樹、 ヤ マ モ モ、 ビ ワ、 ユ ス ラ ウ メ、 ヒ メリンゴなどの実のなる樹があちこちに。夏には、ジャングルのように草木 が生い茂る庭は、僕の絶好の遊び場であり、居心地の良い場所だった。 曾 祖 父 の 意 思 を 育 み、 そ の 樹 々 達 を 大 切 に 育 て て い た 祖 母。 毎 年、 梅 雨 の 前には、梅の実を大鍋いっぱいにジャムに、ビンに漬け込んでジュースにし て。 梅 雨 の 後 に は、 コ ケ モ モ を 鍋 で 煮 つ め て ジ ャ ム と ジ ュ ー ス に し て、僕 の 家 ま で フ ー フ ー 言 い な が ら、 笑 っ て 届 け に き て く れ た。 日 射 し が 強 く な り、 体に疲れがたまってくる頃に届けられた梅やコケモモのジャムとジュースの 甘酸っぱさは、身体をやさしく癒やしてくれた。今では、母と僕で収穫し、ジャ ム や ジ ュ ー ス を 作 っ て い る。 そ れ は 不 思 議 な く ら い 祖 母 の 味 と そ っ く り で、 懐 か し く、 切 な く、 そ し て 優 し い 味 が 口 い っ ぱ い に 広 が り、 祖 母 の 記 憶 を 呼 び戻してくれる。 最 近 に な っ て あ る こ と に 気 が 付 い た。 祖 母 が し て く れ て い た、 僕 に と っ て 当たり前だった事は、実は特別な事だったと。僕が植物を育て、食べ、楽しみ、 それを好きと感じることは、あの庭の樹々や緑の中で、自然をありのままに 受けとめて暮らしていた曾祖父や祖母がいてくれたからに違いない。 暮 ら し と 庭、 草 花 と 樹 々、 ふ と 足 を と め て 庭 の 姿 に 心 を 留 め る 人 々。 自 分 自身がまず楽しみ、それを街の人とも共有しようとした曾祖父の庭造り。自 然を慈しみ、それに手を加えて、身近な人達にも楽しみを分けてくれた祖母。 二人の思いと意志は母と僕に受け継がれている。﹁あの頃の庭のまま残してく れてありがとう。﹂と見知らぬ人にニッコリと話しかけられたのは、ボタン桜、 シダレ桜、右近桜が次々と咲き誇る春のある日。 祖 母 の 庭 に は、 大 輪 の バ ラ を 咲 か せ て い た ア ー チ が あ っ た。 そ の 海 の 匂 い のするアーチを僕の始めた小さな野菜畑に運んできた。それを利用してミニ トマトをはわせて、今まで見たことのないようなトマトのアーチを完成させ た。色々な経験を積み重ねて培ったものを惜しみなく注いでくれた祖母が大 切にしていたアーチが、トマトをたわわに実らせる手助けをしてくれた。受 け継がれて来たそれぞれの心が一本の線となって、今、真っ赤に熟したトマ トとなった。色彩豊かなトマトの向こうに、突き抜けるような青空がのぞく。 僕 も ま た、 何 か を 残 せ る だ ろ う か。 迷 い の 中 で も 真 っ 直 ぐ に 歩 む 強 さ を 持 ちたい。志を継ぐ者の一人として。 終わりなき心の甲子園 県立相模原中央支援学校高等部三年 保田 健太 ﹁ONE F OR ALL,ALL F OR ONE﹂これは僕が心から信 じ大切にしている言葉だ。僕は車椅子だがスポーツが大好きで、中でも高校 野球の観戦はここ十年欠かせない。今では、僕の発想の中軸であり思考を巡 らす道標となっている。様々な季節の一試合一試合に、新たな発見と感動が あり学べるからだ。それを、自分の日常生活にどう生かしていこうかといつ も考えている。 上 位 チ ー ム や 勢 い を 感 じ る チ ー ム 程、 プ レ ー が 緻 密 だ。 例 え ば、 走 者 を 刺 す 場 面 で、必 ず フ ォ ロ ー に 走 る 選 手 が い る。 も し、 エ ラ ー が あ っ た と し て も それを最小限に押さえられるからだ。これこそ、 真のチームプレーではないか。 これは、僕達の日常生活でもとても大切なことであり、人を成長させ信頼関 係 や 絆 を 深 め る 根 源 で あ る。 ま た、 デ ッ ド ボ ー ル や 負 傷 し た 時 に、 相 手 チ ー ムの選手がスプレーをかけている。そして、全力疾走・挨拶・礼儀など上位チー こな ム ほ ど 徹 底 さ れ、 自 然 に 熟し て い る。 決 し て、 結 果 を 導 く の は 技 術 だ け で は な い と う な ず け る。 そ れ に、 野 球 部 の 仲 間 や 応 援 団、 吹 奏 楽 と チ ア、 父 母 と どよめ 先生が一丸となり選手と一緒に戦っている。一投一打に響き、喜びの歓声で 球場が揺れ、感動の涙で一つになる。これが観戦の醍醐味だ。 あ る 試 合 の ピ ン チ の 場 面 で﹁ 頑 張 れ! お 前 は 一 人 じ ゃ な い ん だ ぞ!﹂ と 叫 ん だ 人 が い た。 そ し て 見 事 に 乗 り 切 っ た。 彼 ら の 心 に 届 い た の だ。 よ く﹁ 一 番のライバルは自分だ。﹂という。確かに全ての答えは自分の中にある。でも 人はピンチの時、焦り落ち込み自分を見失ったりする。世界中から置き忘れ られたような孤独を感じる人もいるだろう。そんな時、誰かの一言が背中を 押して、眠っている何かを呼び覚ます。逃げない勇気や諦めない自分を思い 出 さ せ て く れ る。 そ の 繰 り 返 し が、 柔 軟 で 強 く 負 け な い 心 を 育 て て い く。 だ から、人は一人では成長できないと僕は思う。 け れ ど も、 人 が 人 を 傷 つ け て し ま う 現 実 も あ る。 一 つ の 集 団 の 中 で、 人 と 違う言動がいじめの原因になるとよく聞く。だけど、そういった先入観はと て も 残 念 で、 も っ た い な い 発 想 で は な い か。 な ぜ な ら、 新 し い も の が 生 み 出 される時、進化のプロセスとして必要だからだ。パソコンや携帯など身の回 り の 全 て の 進 化 は、 以 前 と 違 っ た 発 想 か ら 生 ま れ る。 話 し 合 い で も、 同 じ 意 見ばかりでは結論も変化がない。大切なのは、違った意見や反対意見がでた 時 に、﹁ な ぜ、 そ う 考 え た の か。﹂ を 解 明 す る こ と だ。 た と え、 く だ ら な い と 思 え る 意 見 で も、 何 か の ヒ ン ト に な る 可 能 性 は あ る か ら だ。 こ の よ う に、 一 人ひとりが発想の転換をして、自分の好きな自分であれば、きっといじめも なくなると僕は信じている。 そ し て、 二 〇 二 五 年 に は 高 齢 者 が、 全 人 口 の 二 五 % を 超 え る と 推 測 さ れ る 少子高齢化。この厳しい社会に旅立つ僕達が、人の心に弱肉強食であっては ならない。幸せは、笑顔の足し算から生まれ広がっていくのだから。
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