違和感を入れた実験映像教材の作成

高
校
物
理
違和感を入れた実験映像教材の作成
開智学園 開智中学・高等学校 今和泉 卓 也
目 的
中等教育において、多くの教員が自ら教材を作り、
生徒とともに科学の楽しさを共有することは、科学教
育の質の向上につながると信じる。本実践は、現場の
教員が気軽に “ スマホ ” を用いて「自分の教材」を作
ることを支援するものである。
具体的には、必要最小限の準備で、特殊な技術も要
せず、経験が浅く教材を自分で作ったことのない教員
でも自信をもって作成できるものを目指した。より多
くの教員が自ら教材を作る楽しみや意義を感じ、本実
践が、中等教育における「教員と生徒が一緒になって
科学を楽しむ雰囲気作り」の一助になれば、と期待し
ている。
(後述の Web サイトにて本教材を視聴でき
るようにした。参考になれば幸いである。)
*
物理教育における実験映像教材というと、規模や安
全性などの理由で講義室において演示実験するのが困
難な物理現象を、動画として提示するものを想像しが
ちである。それゆえ、一般に
【演示実験】>【実験映像教材】
というイメージがあるかもしれない。
【演示実験】<【実験映像教材】
となりうる映像教材とはどのようなものであるのか、
映像教材の優位性について考察したうえで、実際にそ
のような映像教材を 3 種類作成し、
授業実践を行った。
概 要
今回、作成した教材の種類は「実験映像教材」であ
る。情報機器の発展により、映像教材を作って、授業
で使うことがいよいよ簡単になってきた。ただ、単に
実験を映像化すると、昔から伝えられているように
「実験はライブ(生)がいい」ということになる。生
徒一人ひとりが iPad などの機器で自主学習すること
が容易になりつつある現状において、一方通行的では
ないインタラクティブな映像教材の開発は、適切な科
学教育のためにも急務である。『演示実験に負けない
実験映像教材』
(つまり、演示ではなく映像という形
態を積極的に採用する教材)を作ることが重要であ
る。映像の特性を考察し、その特性を生かした実験映
像教材を作成できれば、それにより、生徒に自発的な
葛藤や思考を促し、物理的に重要な思考を獲得させ、
興味をより深めてもらうことができると期待した。
<本考案のポイント>
○映像教材の新たな可能性を提案、実践した。
○映像の中に「意図的な違和感」を入れることで、教
員からの一方的指導を極力必要とせず、生徒自らが
発見的に物理法則の普遍性を理解できる教材になる
よう工夫した。
*
写真 1 作成した実験映像教材の一場面
(特殊な技術は不要。ただ投げるだけでよい!)
映像教材の優位性を生かす手段として、考案したの
が『実験映像の中に意図的に違和感を混入させる』と
いう手法である。スローモーションなど、映像を細工
することで物理的に重要な事項を理解させるような教
材はある。だがすぐに、見る側にあらかじめどのよう
に細工したものかがわかってしまい、与えられた映像
をそのまま受動的に視聴することになってしまいがち
である。もし、どのような細工がなされているかわか
らない映像教材が与えられれば、生徒が自らその細工
を解明しなければ、見ている映像が何を意味している
かわからなくなり、必然的に能動的な態度で視聴する
ことになる。ただ、あらかじめ「この映像は細工され
ています」と言うと、細工を当てるクイズのように
なってしまい、趣旨が変わってきてしまう。そこで、
実験映像に意図的に「違和感・不完全さ」を混入させ
ることで、生徒自身が主体的にその細工に気づき、そ
の先にある重要な物理的事項・物理的なものの見方に
ついて、自発的に考察できるように工夫した。
いまいずみ たくや 開智学園 開智中学・高等学校 教諭 〒 339-0004 埼玉県さいたま市岩槻区徳力西 186
☎(048)795-0777 E-mail imaizumi kuramae.ne.jp
1
図 1 に、本考案のイメージを示す。
視聴
視聴
視聴
図 1 考案した実験映像教材のイメージ
教材・教具の製作方法と学習指導方法およ
び実践効果
3 つの実験映像教材について、それぞれの作成方法
と指導例を紹介する。本作品の特徴は、「違和感」を
起点として、生徒たちだけで、物理的に重要な概念に
行き着くことが可能となる点にある。それゆえ、映像
教材を用いるときは、教員は生徒から出てくる意見を
集約する役割(facilitator)に徹し、意図的な強い誘
導がないように留意しながら議論を進行させる。
Ⅰ.製作指針
1.比較的容易に作成できる
情報技術の進展によって、学習時に映像教材を用い
やすい状況になったとしても、その進展によって、映
像作成のための敷居が高くなっては本末転倒である。
あくまで、自作する映像教材というのは、気軽に作
れて、ユーモラスなものであるべきだと考える。
2.物理を楽しむ姿勢が伝わる
例えば、本人が出演していると、生徒も喜び、楽し
い気持ちになる。教員自身が物理を楽しんでいる姿勢
が伝わることは、生徒の学習において有益であろう。
3.最終的には「物理的におもしろい」
単に面白かった、では効果が低い。その教材を通し
て、生徒たちが学問的に興味深い部分を見出し、そこ
から能動的な議論が展開される余地があるか、「単に
おもしろい」から「物理的におもしろい」へ発展する
可能性を秘めているか、検討しながら作成した。
2
Ⅱ.教材その 1
鉛直投げ上げ運動から「時間反転対称性」について
生徒に自発的に気づかせる映像・教材(写真 2 )
1.製作方法
⑴ 準備するもの(そこら辺にあります)
・ボール
・動画撮影機器(“ スマホ ” など)
・バナナ等のフルーツ(任意)
⑵ 作成手順
①バナナの皮をむいて食べるようすを撮影する
(任意)
。
②①のあと、ボールを鉛直上方に投げ上げ、落下して
くるボールをキャッチするという動作を複数回繰り
返した映像を撮影する。ただし、最初の 2 回程度は
キャッチするとき、ひじを曲げて胸元で受け取るよ
うにする(これが逆再生時に違和感を生み出す)
。
③撮影した映像に時間反転処理を施す(あらかじめ処
理しない場合は、授業等で用いる際、逆再生できる
ソフト[Windows Media Player などの一般的な再
生ソフトで可能]
、あるいはスマートフォンアプリ
を使えば実現できる)
。
2.学習指導方法
運動方向が変わる 1 次元等加速度運動を、負の加速
度という考えによって定性的に理解できる状態になっ
た段階で、この映像教材を用いる。
「鉛直投げ上げ運動の映像をしっかり観てみよう」
と言って、映像に細工を施していることは明らかにせ
ず、映像教材を何度か再生させる。生徒たちの違和感
への気づきを起点に、生徒たちに自由に議論させる。
最終的には「時間反転対称性」という概念に関する
意見が出てくることを期待し、場合によっては適切な
助言を与え、議論を深めさせる。
3.実践効果
○高校 1 年計 10 クラス(30~40 人程度)で実践
⑴ 一見普通の映像から自発的に 「?」 を見つけ議論
する
・投げ上げ運動の部分だけ
(冒頭のバナナを食べている部
分を除く)
を逆再生したものを繰り返し生徒に見せた
・前半部分は違和感なく視聴した
・後半部分で 4 割~6 割の生徒が違和感を覚えた
・繰り返し視聴すると、その違和感について生徒同士
の議論が始まった
・すべてのクラスで、映像に逆再生の細工がされてい
ることに自発的に気づいた生徒たちが存在した
⑵ タネあかし映像から自発的に細工に気づく
・投げ上げ運動の冒頭でバナナを食べているシーンも
含めた映像を逆再生したものを生徒に見せた
・全員が映像のカラクリに気づいた
⑶ 当初、細工に気づかなかったことから、物理的に
重要な見方・概念について理解する
・これまでの意見を集約し、議論を発展させた
・前半部分に違和感がなかったことから、4 つのクラ
スで「時間反転対称性」に関する考えまで議論が展
開された
・それ以外のクラスでも、教員の「行きと帰りの時間
や速さを比べると?」といった発問を起点に、
「対
称性」について議論できた
・中には、
「空気抵抗を考えるとそうではないので
は?」といった可逆・不可逆(エネルギー散逸)を
考えるきっかけとなる発展的な意見もあった
本実践により、演示実験では得られない教育効果が
あったものと考えられる(図 2)
。
図 2 実験動画のもつ優位性の例
生徒は能動的態度で「対称性」を “ 実体験 ” できる。
写真 2 教材その 1
ひじを曲げてキャッチするだけで逆再生時に違和感が生ま
れ、「時間反転対称性」への気づきにつながる。
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Ⅲ.教材その 2
鉛 直方向の単振動を水平方向だとみなして考える
「座標変換」的思考に自発的に気づかせる映像・教
材(写真 3、写真 4)
1.製作方法
⑴ 準備するもの
・ばね
・おもり
・動画撮影機器(“ スマホ ” など)
⑵ 作成手順
①教卓を 90°回転させ、固定する。
②出演者が水平方向に横たわった状態で教卓上に登場
し、ばね振り子を振動させ、この現象をアップで撮
影する(写真 3 )
。撮影時、振動の方向が鉛直方向
ではなく、水平方向に見えるように留意する。背景
を黒板にして、文字も水平方向に見えるように工夫
しておくと、より効果的だろう。
③しばらく振動しているようすを撮影したのち、ズー
ムアウトして、細工がわかるようにする(写真 4)。
2.学習指導方法
水平方向と鉛直方向のばね振り子運動について、運
動方程式を立てて数式による議論(図 3)ができるよ
うに教えてきた上で、この映像教材を用いる。
「ばね振り子の運動を撮影したから、映像で確認し
てみよう」と言って、やはり映像に細工を施している
ことは明らかにせず、映像教材を何度か再生させる。
教材その 1 と同様に、生徒たちに自由に議論させ、物
理的に重要な概念に行き着くことを期待し、適切な助
言を与える。
3.実践効果
○高校 2 年計 5 クラス(30~40 人程度)で実践
⑴ 一見普通の映像から自発的に 「?」 を見つけ議論
する
・ばね振り子が水平方向に振動しているように見える
映像を繰り返し生徒に見せた
・ 1 回観ただけでは「?」は生まれず、繰り返し観る
うちに、数人が「浮いている気がする」「摩擦が少
ない」といった違和感を訴えた
⑵ タネあかし映像から自発的に細工に気づく
・実際の撮影のようすを撮ったものを生徒に見せた
・全員が映像のカラクリに気づく
・中には、「そういうことか」と声を上げ、自ら今ま
での数式的議論と対比させて考える生徒もいた
⑶ 当初、細工に気づかなかったことから、物理的に
重要な見方・概念について理解する
・これまでの意見を集約し、議論を発展させた
・
「座標変換」的思考について議論した(クラスによっ
て自発的議論の深まりが違うため、場合によっては
教員の発問「違和感を持たなかった人がいたという
ことはどういうこと?」などが必要であった)
・この教材を用いるようになってから、鉛直方向の単
振動における座標変換に関する質問が減少した
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図 3 背景にある数式的議論
生徒は数式だけではなく映像によっても実感できる。
写真 3
写真 4
教材の一場面(左)と実際の撮影のようす(右)
Ⅳ.教材その 3
水波の干渉から「周期性」「同期」という思考を自
発的に気づかせる映像・教材(写真 5)
1.製作方法
⑴ 準備するもの
・水波投影装置
・デジタルカメラなどの動画撮影機器
⑵ 作成手順
①水波投影装置を用意し、干渉縞が観測できる状態に
する。
②その干渉縞のようすを、フレームレートを低く(15
~30 fps 程度)
して動画を撮影する
(動画 1 と呼ぶ)
。
③波源の振動数を適当な値にすると、カメラの画面上
では波が波源に戻っていくように見える状態(これ
が違和感となる)にすることができるので、その動
画を撮影する(動画 2 と呼ぶ)
。
④③の状態から波源の振動数を微妙にずらすと、カメ
ラの画面上で波面が止まって見える状態(これも違
和感となる)にすることができるので、その動画を
撮影する。しばらく静止画に見える動画を撮影した
ら、水面に片手を入れて、違う波を発生させ、その
ようすも撮る(これも違和感)。手で発生させた波
は、カメラのフレームレートと同期していないの
で、動画上では静止した波面と動いている波面が共
存しているように見える(動画 3 と呼ぶ)
。
⑤波源の振動数を変えながら、カメラの画面上で波面
が止まったり進んだりして見える動画を撮影する
(動画 4 と呼ぶ)。あるいは、カメラの画面上で静止
しているようすと実際の波面が動いているようすを
あわせて、別のカメラ(フレームレートは高い値に
設定しておく)で撮影するのもよい。
2.学習指導方法
2 波源が干渉することで作られる腹線・節線につい
て、どうしてそのような現象が起こるのかを説明し、
ある程度定量的な議論をすることが可能になった状態
で、この映像教材を用いる。生徒の反応を見ながら、
動画 1~4 を順に再生する。以下、同様な方法で生徒
たちに議論させる。
その他補遺事項
Ⅰ.作成した映像教材の視聴
以下に示す Web サイトで、今回作成した映像教材
を視聴することができるようにした。ただこれらは、
教材作成の際に参考にしてもらうためのもので、授業
等で用いるときはぜひ自作した教材を用いていただき
たいと思う。また、このような手法で作った新しい映
像教材があれば、ぜひ教えていただきたい。
Web サイト http://www.geocities.jp/scisyhp_i/
Ⅱ.謝 辞
写真 5 教材その 3 の一場面(動画 3 )
止まって見える波面の中で指からの波だけが動く?
3.実践効果
○高校 2 年計 5 クラス(20~40 人程度)で実践
⑴ 一見普通の映像から自発的に 「?」 を見つけ議論
する
・動画 1 では、生徒は学習済の「波の干渉」として受
容
・動画 2 では、ほとんどの生徒が直ちに違和感を持
ち、前述の教材その 1 の影響もあってか、何人かの
生徒から「逆再生!」との声が上がった
・動画 3 の前半では、逆再生ではないことに気づき、
「スロー再生?」などの違う意見も上がった
・動画 3 の後半で、手で発生させた波だけが動くのを
観ると、今までの仮説がすべて否定され、ほとんど
の生徒が “ 混乱状態 ” になり、自発的な議論が巻き
起こった
⑵ タネあかし映像から自発的に細工に気づく
・動画 4 を見せ、場合によっては教員から「そもそも
動画ってどういうしくみ?」といった発問をする
と、数人の生徒が細工に気づいた
⑶ 当初、波が止まって見えたことから、物理的に重
要な見方・概念について理解する
・これまでの動画の違和感について、議論した
・
「同期」「周期性」に関する議論が出たところで、教
員から、その概念を伝えた
・
「テレビ画面でタイヤが逆回転しているように見え
るのもそういうこと?」など、具体例を挙げる生徒
もいた
理科教諭として働き始めた当初から生徒の立場に
立って理科を教えることの大切さやものづくりの面白
さを教えてくださった式愛寿先生、実験映像の撮影に
協力していただいた関康平先生と鈴木崇裕先生、本考
案について紹介した際に励みになる言葉をくださった
舟橋春彦先生(京都大学)、高須雄一先生(聖マリア
ンナ医科大学)
、内山哲治先生(宮城教育大学)
、そし
て日頃から様々な面で支えていただいている開智中
学・高等学校理科をはじめとする多くの先生方に心か
ら感謝いたします。
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