反文学というプロジェクト

アジア太平洋研究センター年報 2014-2015
反文学というプロジェクト
── 柄谷行人における
「発見」、
「転倒」、
ロマン主義批判
( )
宗近真一郎
大阪経済法科大学
アジア太平洋研究センター
ンシステントに迫るために、潜在的な体系を壊
文芸批評というコミットメント
さねばならないというモチーフのもとで選択さ
れたと述べている。大文字の哲学が哲学史を問
柄谷行人の批評性はその言説の初期において
題にするのに対して、どこにでもある貨幣から
「転倒」と「発見」のダイナミズムとして現れ
価値形態論を展開したマルクスの存在了解に注
た。それは文芸批評への確信的なコミットメン
目した柄谷が、価値の内在性を認めず、価値と
トと不可分だった。文芸批評への関与は確信的
いうものを「それと知らずして交換するという
である限りで、思想へと媒介されていた。文学
営為において間主体的に存立する或るもの」の
へのコミットメントへの(超越的な)自覚にお
存立構造の可能性に見出そうとしていることに
いて、文学の外部が予め措定されていた。バタ
ついて、廣松は「柄谷さんの場合、壊していく
イユが経済学の普遍性へ経済学の外部からアプ
というのは、例えばマルクスであれば、物神性
ローチしようとしたように、それは、文学を文
の秘密の暴露に通じるような意味での“壊して
学の外部性へと布置することによってしか文学
いく”作業だと思うんですね」という的確な解
に関与し得ないという背理のパフォーマティブ
釈を示した。
な自己展開、その不可避の外部性において文学
「壊すこと」をめぐって、柄谷は、歴史的順
が批評の対象としてコンスタティブに選択され
序を孕むパラダイムという概念に、「系譜学的
ているという自意識に呼応していた。日本近代
遡行」(ジェネオロジー)を対置して歴史的な
文学というものの近代性に苛立って仕方がない
時間性そのものの転倒性を示し、「起源を問うと
が、その近代性への関与においてしか思想の契
き、われわれは既に結果から出発しているので
機がありえないという情動的なダブルバインド
すから、見出される起源とは結果の産物にすぎ
が初期の柄谷行人に伏在していた。
ない。そういう遠近法そのものをひっくりかえ
「転倒」と「発見」は、従って、柄谷が自らを
す」と語り、さらに、知覚自体が制度化されて
文学へ召喚する、そうしなければ疎隔してしま
いるという認識の布置からは、廣松の「共同主
う文学へと自分を連れ戻す批評のフレームワー
観性」はそのイデア的形相において抑圧ではな
クとなった。1978年8月に公表された廣松渉との
いかと問いかける。存在(物象化)論の碩学で
対談の冒頭で、柄谷は「ニーチェは、『真理によ
ある廣松が次第に硬化し、哲学の正統性(哲学
って破滅しないために、われわれは芸術をもっ
史)の文脈を確保しようと重厚なターミノロジ
ている』といっている。ぼくは自分の仕事を、
ーを駆使して防戦するやりとりを柄谷は「ハイ
その対象がどんなものだとしても、文芸批評の
デッガーならば、そこで哲学から詩(文学)へ
延長として考えています。実際にまた、マルク
転回していくのでしょうが、ぼくにとっては、
スについて考えることにおいても、ぼくは批評
その逆が課題」であるといって締めくくる。
家から学んできたのです」と明言し、文芸批評
1970年11月の吉本隆明との対談にまで遡る
としてマルクス論を書いたことをめぐって、近
と、自然過程と精神としての年齢をめぐって、
代性の知の世界像を批判するにあたって、『資本
年齢をもちこたえる秘密について問いかける吉
論』の価値形態論は、「余計なもの」であるが故
本に対して、柄谷は「結局意識が自然に収斂し
に、貨幣の起源と哲学・数学・神学の起源へコ
ていくということを、意識そのものが拒むよう
─ 26 ─
反文学というプロジェクト ──柄谷行人における「発見」、
「転倒」、ロマン主義批判
なものがある」、「自分と自分が激突するという
とがその前提である。柄谷行人にとって文芸批
ことが、ある人間にとっては意志として保とう
評はパフォーマティブな思想の入り口だった。
としているのに、漱石の場合にはそれをむしろ
だが、それは戦後批評の飽和点以降の必然的な
嫌悪しながらそうならざるをえない」と述べ、
情動として、歴史的時間性の転倒、「壊すこと」
自分を自然に引き戻す力は日常性にあると応え
への志向性が抱かれたということである。
ている。一方、「吉本さんは経験の直接性に対し
て非常にナイーヴな姿勢を保っておられる。現
在のようにあれ位抽象レベルの高みにのぼって
「発見」と「転倒」
いて、なお原初的自己への畏怖というものを抱
その意味で『マルクスその可能性の中心』
いている」と吉本に迫り、生理的成熟をめぐっ
は、「貨幣」を「発見」したマルクスの慄きを
て「批評家であろうと詩人であろうと同じで、
文芸批評というアプローチによって思想的に異
自分に対する最後の問いを発しなければならな
化して見せた文字通りの「トランスクリティー
い」という吉本のコメントを引き出している。
ク」(相互連関的批評)の実践に違いなかった。
その問いは吉本において批評家、詩人という資
その冒頭の節で「『資本論』という作品が卓越
質の意味性へと連関する。問いを問い詰めると
しているのは、それが資本制生産の秘密を暴露
いう運動性は、詩や小説ではできないかもしれ
しているからではなく、このありふれた商品の
ないが、批評というかたちではできるかもしれ
“きわめて奇怪な”性質に対するマルクスの驚き
にある。商品は一見すれば、生産物でありさま
ないと吉本はいう。
批評とは文芸批評以外ではない。嫌悪しなが
ざまな使用価値であるが、よくみるならば、そ
らそうならざるをえないという近代文学(葛藤
れは人間の意志をこえて動きだし人間を拘束す
の独我論的展開)の表象を「意識」と「自然」
る一つの観念形態である。ここにすべてがふく
の函数として語ることは、批評における「命が
まれている」と述べた柄谷は、マルクスのヘー
けの飛躍」だった。1965年に吉本隆明の『言語に
ゲル批判はほとんど無視してもよく、むしろヘ
とって美とはなにか』、1970年に江藤淳の『漱石
ーゲルと近似的な場所でマルクスが「支配して
とその時代』第一部が刊行され、戦後の文芸批
いない」体系、価値形態論において「まだ思惟
評はひとつの飽和点に到達していた。いや、飽
されていないもの」を「その可能性の中心」と
和点を見出すヘーゲル的な時間意識においてピ
措定する。「中心としての」一商品は貨幣形態
ークアウトしていた。その向こう側でなおも見
(一般的価値形態)という「中心のない関係の
出されねばならない文学、例えば漱石の小説に
体系」において不可避的に出現する。マルクス
現れる関係意識の背後に倫理的な位相と存在論
が見出したその「原初の光景」を「目的論的思
的位相の逆説的な構造を見出す文芸批評から、
考」に捉われず超越論的なものの転倒として保
文学を非ロマン的な相対的表象として見出すア
存すること。「体系」や「構造」を疑うという発
プローチが現れたのである。
想から、差異のたわむれとしての貨幣形態は音
戦後文芸批評の向こう側に「発見」される文
学は「原初的な自己への畏怖」をリスペクトす
声形態に敷衍され、差異の位相によって「世界
貨幣」や技術革新が批判される。
るが、作品への関与は非ロマン的であり、相
この本に描かれた三つの「転倒」について記
対的であり、時代や状況への自己投影的な解釈
しておきたい。一つ目は、「内面」である。「い
を許さない。ロマン主義や時代状況への決定論
ったい私たちはなぜ『書く』のか。『話す』こ
に対して受動的であるとき、文学は原初的な畏
とによっては、もはやいい足りぬ何かをもつか
怖から逃走している。しかし、原初的畏怖をロ
らだ。それこそ、ひとが『内面』とよぶもので
マン主義に循環させないためには、その慄きが
ある。このような『内面』を文字をもたぬ子供
カント的な物自体として恒常的に更新されてい
はもたない。『内面』そのものが、文字の結果な
なければならない。テクストを差異のたわむれ
のだ。(中略)貨幣=音声的文字を、『内面』つ
に還元することで作品はいったん相対化される
まり商品に内在的な価値からではなく、マルク
が、「差異のたわむれ」を絶対化しないというこ
スのいう象形文字としての価値形態から考えね
─ 27 ─
アジア太平洋研究センター年報 2014-2015
ばならない」。二つ目は、「恐慌」についてであ
すると述べた輻輳的な逆説に近似的である。ジ
る。「恐慌はそれ自体古典派経済学への批判であ
ジェクが「カントは、現象と本質という伝統的
る」、「“正常”な側面においてではなく、例外的
な哲学上の対立を、根本的に別の論理にしたが
とみえる“異常”な側面において資本制経済学
う対立、現象的な現実性と叡知的な<モノ>の対
をみるという視点こそ、『資本論』において古
立に置き換えたのである。『本質』として現象
典派経済学への根底的批判を可能にしたのであ
するもの(われわれ自身のうちなる道徳法則)
り、(中略)それまでの『哲学史』総体の批判を
は、われわれの有限性の内部、現象的な現実性
はらむのである」、「恐慌とはなにか。それは、
のわれわれの限界づけの内部でのみ可能であ
価値の関係の体系が一瞬解体されることだ。物
り、また、思考可能なのである」と二律背反を
の内在的価値がそのとき消えてしまう。いいか
捉えた局面において、柄谷の転倒は、倫理の実
えれば、恐慌は、貨幣形態がおおいかくしてい
践あるいは否定判断と無限判断の反転における
た価値形態──象形文字──を露呈させる」。三
物質化、現実的なものから象徴的なものへの転
つ目は、「革命」とマルクス主義をめぐって「ス
換の論理を担ったのである。
ターリニズムの暴力性・非人間性は、人間の主
つまり、ジジェクのように言うなら、転倒と
体性を否認するところからくるのではなく、逆
はある対象性における無限判断の否定的な実践
にそれを絶対化するところからくるのだ」、「目
なのである。「内面」、「価値」、「革命」を物自
的意識性それ自体が、遅延化にもとづく受苦性
体へと呼び戻し、自分自身に遭遇させるための
に発している。人間の『意識』は自発性・主体
象徴性の冒険へと柄谷は踏み込んだ。それ以外
性としてあるとき、そのことに気づかない。し
に、文学的表象を現実と対立的にではなく対等
かし、『意識しないがそう行う』のであり、人間
なものとして批評する選択はあり得なかった。
は『考えている』のとはちがったことをやって
文芸批評の「可能性の中心」は、文学というも
しまうのだ。革命とは、新しいものを創出する
のの限界を現実の空間性へと先立たせること、
ことではない。それはすでにおこっている『変
「超越論的統覚である『私』は、『考える<モノ
化』に追いつくことである。人間は目的的にた
>』である自分自身に決して近づくことができな
ちむかうとき、実は『遅れ』を過剰にとりもど
い、まさにそのかぎりにおいてのみ、『自己を意
そうとしている」と語られることである。
識』しているといいうるし、自らを自由で自発
「内面」も「価値」の内在性も「革命」も、そ
的な行為主体であると経験できる」契機をつく
れらの概念の因果律の背後にある主体的な機序
りだすこと以外にない。カントの三批判書がそ
が削除されて物自体に回帰するシークェンスで
れぞれ「人格」、「最高善」、「美」を裂開したよ
ある。「内面」、「価値」、「革命」はむき出しの表
うに、文学は永遠の分裂が主体を奪還する唯一
象として「発見」される寸前の場面に押し戻さ
の場となる。
れる。「原初的自己への畏怖」のもとで「発見」
される寸前のモノとして、「文芸批評」の生成に
同期する。いいかえると、「文芸批評」が「発
反文学的ポリフォニーへ
見」されるためには、思想のオーソドキシーを
そのように文学を「発見」した柄谷行人は、
稼働してきた概念を生成の場所に連れ戻さねば
「転倒」によってパフォーマティヴな展開にドラ
ならない。その否定的な衝動において「文芸批
イヴがかかり、1977年から連載された文芸時評は
評」もまた思想によって参照されうるドラマツ
「反文学論」と題され、日本文学がほんらい不純
な言説である小説へ偏重する制度性や自閉性を
ルギー、物自体のポテンツに還元される。
この転倒の構造は、柄谷の『トランスクリテ
批判した。さらに1978年以降の論文によって構
ィーク』を「必読の書」と評価したスラヴォ
成された『日本近代文学の起源』において、柄
イ・ジジェクがカントの二律背反について、肯
谷は「発見」を媒介にして「起源」を断言する
定性は否定判断で表現され、否定性は無限判断
というアプローチをとったと考えられる。文学
で表現される、非感性的直感と感性的直観とが
が過飽和となって反文学的というイロニーが析
モノの対象的な規定性において肯定判断を否定
出するように、文学(の蓋然性)へコンスタテ
─ 28 ─
反文学というプロジェクト ──柄谷行人における「発見」、
「転倒」、ロマン主義批判
ィヴに言及するポジションにおいて「起源」が
現』するものとなるだろう」「だが、モナリザと
選択されたのである。「起源」が選択されたとい
いう人物の微笑はなにを表現しているのかと問
うことは、柄谷自身が述べたように「結果」(終
うてはならない。そこに『内面性』の表現をみ
焉)が選択されたということである。「起源」と
てはならない。おそらく事態はその逆なのだ。
「終焉」の弁証法がカント的な「転倒」の構造に
『モナリザ』には概念としての顔ではなく、素顔
背反するかたちで「発見」の一回性に憑依して
がはじめてあらわれた。だからこそ、その素顔
いる。柄谷におけるカントとヘーゲルが刺し違
は『意味するもの』として内面的な何かを指示
える場面が伏在する。
してやまないのである。『内面』がそこに表現さ
ヘーゲルにおける「対立的規定」の同一性が
全体の同一性を開示するというトートロジーを
れたのではなく、突然露出した素顔が『内面』
を意味しはじめた」。
めぐるジジェクのテクストをもう一度参照する
「風景」もそのようにして「発見」されたとい
なら「偶然性はわれわれの知の不完全性を表現
うことである。だが、文学の機序が徹底的に相
しているのではあるが、しかしこの不完全性は
対化されたということは、柄谷における文学へ
知の対象それ自体を存在論的に規定してもいる
の確信、「風景」や「内面」が「発見」される媒
のである。──それは対象それ自体が、いまだ
介の極致としての文学が絶対化されたという逆
存在論的に『現実化』していないこと、十全に
説を孕む。偶然性(発見)の実践主体としての
現実的ではないことを証し立てている」。つま
文学は、世界認識の相対性を確証する反倫理的
り、偶然性(発見)は、経験とその対象の可能
なパフォーマンスとして忘れ得ぬ地上の必然性
性の条件を否定的に肯定するのである。
を担わねばならない。物自体が先に在る。その
「私の考えでは、『風景』が日本で見出された
ことを忘れないために、「風景」、「内面」そして
のは明治20年代である。むろん見出されるまで
「文学」の発見が不断に「発見」されねばならな
もなく、風景はあったというべきかもしれな
い。ニーチェは『反時代的考察』で人間におけ
い。しかし、風景としての風景はそれ以前には
る忘却の能力を肯定したが、その能力とは「発
存在しなかったのであり、そう考えるときにの
見」の可能性を無条件に抱懐しうる意志に等し
み、『風景の発見』がいかに重層的な意味をはら
い。
むかをみることができるのである。(中略)『風
同じように、「告白」という近代文学の形式に
景の発見』は、過去から今日にいたる線的な歴
おいて形成された「内面」や文学的な「主体」
史において在るのではなく、あるねじれた、転
は、その制度的、キリスト教的な由来におい
倒した時間性においてある」。認識の布置の変成
て政治でありイデオロジックな権力であるとい
において風景が見えるようになるや否や、それ
う転倒を柄谷は断言する。「『国家』に就く者と
らはロマン主義によって描写されはじめ、風景
『内面』に就く者は互いに補完しあう」ことで
の起源(歴史性)は忘れ去られる。だから、イ
互いの起源(歴史性)が隠蔽される。見極めら
デオロギーとしての(近代)文学を解くために
れるべきなのは文学の歴史性であると繰り返す
は、「風景」の起源(歴史性)が見出されねばな
柄谷はあくまでヘーゲル的である。だが、転倒
らない。「風景の発見」が発見されねばならな
によって「内面」や「主体」はカント的に「目
い。それは、「ふたたび見出されたとき」(プル
的の国」に召還される。ここでもヘーゲルとカ
ースト)に符合するベルグソニズム(生気論)
ントは刺し違えている。この刺し違えに付会す
とは反対に、物自体として現れた「風景」に身
るなら、柄谷の『日本近代文学の起源』は吉本
を挺した「言文一致」による「表現」の成立と
隆明の『言語にとって美とはなにか』のカント
「内面」のオートマティズムとの共犯関係を審問
的なポリフォニーなのである。インデックスを
するということである。
見ると、吉本は言語の本質と属性をめぐって指
「『内面』ははじめからあったのではない。そ
示表出と自己表出のマトリックスを駆使して、
れは記号論的な布置の転倒のなかでようやくあ
言語の意味、価値、像を価値論、意味論と交差
らわれたものにすぎない。だが、いったん『内
させ、後半で、詩・劇・物語に腑分けした構成
面』が存立するやいなや、素顔はそれを『表
論へと展開する。柄谷は、近代文学における風
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アジア太平洋研究センター年報 2014-2015
景、内面、告白という表現行為のフレームワー
(ベルリンがナチズムとスターリニズムのもとで
クを転倒(という当為の倫理性)によって形式
荒廃にいたっても無力だった天使たち)に自分
化し、「構成力について」で近代文学の「内面」
の80年代の仕事を重ねて、「天使たちには、地上
的な「深さ」の感覚の背後にある遠近法的、超
の人々がどこにいようが見えるし、彼らの内心
越論的な配置の必然を問う。
の声がすべて聞こえる。しかし、天使たちは、
「マルクスは、ヘーゲルが階級的発展の『原
何も『経験』しないし、『知覚』しない。彼ら
因』を対立や矛盾に見出すのに対して、実は対
が把渥するのは、いわば『形式』だけなのだ。
立や矛盾がいつも『結果』(終り=目的)から
彼らは、人間の歴史をずっと見てきているが、
みられたものにすぎないことを指摘する。対立
一度も生きたことがない。さらに、彼らにとっ
や矛盾はいわば“作図上”存在するのであり、
て、歴史は、たんに形式の変容でしかなく、な
『原因』もまたそうである。マルクスは、それに
にごともそこでは起こらない。つまり、歴史は
対して、『自然成長的』な生成、あるいは自然成
存在しないのである」と述べ、「形式的であるこ
長的に変化するような多重構造体を見出してい
と、それは、いわば『天使』たることである。
る。これは、遠近法的に構成された歴史に対し
(中略)しかし、『天使』たることは不可欠であ
て、先に述べたような意味での『身体』を見出
り、かつ不可避的である。われわれは、いちど
すことだといってもよい」。
徹底的に『形式的』となるのでなければ『人
ヘーゲルとカントが刺し違えるというシーク
間』にはなれないだろう」と自らに語り聞かせ
ェンスから描くなら、吉本隆明の著作はヘーゲ
るように記した。「形式」という「真理」によっ
ル的な世界認識を骨肉化した表現論(発生論)
て破滅しないために、「天使」が呼び出される。
であり、柄谷の著作はカント的に現象と本質の
ヒューマニズムの彼岸に在る「天使」は、しか
対立を物自体として出現(転倒)させた反表現
し、人間になること(他者を愛すること)を求
論(起源論)である。両者には平衡関係も対偶
めて「詩」に呼応する、あるいは、ハイデッガ
関係もないが、マルクスが国家を超えようとし
ーのように「詩」的であることを「選択」する。
た志向的な場所で両者は交差するにちがいな
主に1989年に書かれたものによって編まれた
い。そのように、ヘーゲルからマルクスへと流
『終焉をめぐって』は、オルフェウスがエゥデ
れる思想の自然史的な「時間」に対してマルク
ィリケを振り返ったように、「天使」がひととき
スからカントへと遡行される思想の「空間」の
地上を振り返る濃密な視線が文学に注がれる。
ねじれがある。
しかも、詩的であることと同じように自らに禁
じた「終焉」という理念が言説の中枢に置かれ
「天使」の訣別
るのである。柄谷において過飽和となった文学
は、80年代、「真理」(形式)を析出しようとし
1980年代、柄谷行人は反文学的に文学にアプ
た。その結晶の断面は、断片性と体系性、日本
ローチして至近距離でそれを相対化するという
語によるエクリチュールの限界、「作品」という
文芸批評から踵を返す。『内省と遡行』で「終わ
罠などによって純粋平面であることの困難に遭
りなき分析」(ラカン)へと「転回」し、多様性
遇した筈である。そんななか、昭和の終わり、
としての事実性、そして不在としての「外部」
ベルリンの壁の倒壊(東西分断の終わり)、戦後
に出ることによって、自己差異的な差異の体系
体制の終わりが訪れた。「終焉」をメルクマール
において形式化(厳密化)が貫かれようとし
にして、ひととき文芸批評が復元した。
た。詩的に語ることを自らに禁じた。『探究』の
じじつ、この本は大江健三郎、三島由紀夫、
二冊、『批評とポストモダン』では、形式化をめ
村上春樹、中上健次らを個別に読解し、柄谷の
ぐるエクリチュールの挫折とダイナミズムが輻
他のどの著作よりも文芸批評的である風に見え
輳したかたちで現れた。
る。しかし、「哲学を終りにおいて見るだけで
ところが、88年3月に書かれた『内省と遡行』
なく、終りから見ることが哲学なのだ。こうし
の文庫版の「あとがき」で柄谷はヴェンダース
て、ヘーゲルにおいて哲学は哲学史となる。(中
のフィルム「ベルリン・天使の詩」の「天使」
略)ところで、『終り』から見ることは『目的』
─ 30 ─
反文学というプロジェクト ──柄谷行人における「発見」、
「転倒」、ロマン主義批判
endから見ることである」と述べる柄谷は、三島
のアポリアに重層すると言わねばならない。
由紀夫の自決をめぐって、1970年=昭和45年とい
う時空イメージを掲げ、「終り」に回収し得ない
「昭和」と「明治」の相同性から近代日本史の
【引用・参照テキスト】
柄谷行人『ダイアローグ』(冬樹社、1979年)
言説空間の課題を提起する。また、村上春樹に
吉本隆明対談集『どこに思想の根拠をおくか』(筑摩書
ついて、主人公たちの無限定な任意性と「無責
房、1972年)
任」の倫理性を指摘し、村上が「このもの」の
柄谷行人『マルクスその可能性の中心』(講談社、1978
現実性からロマン派(超越論的自己)的に逃亡
年)
したことを批判する。だが、それは村上に対す
スラヴォイ・ジジェク『否定的なもののもとへの滞
る批判ではない。ロマン派の賦活が「明治」と
留』
(酒井隆史、田崎英明訳、ちくま学芸文庫、
2006年)
の相同性において大東亜と天皇を賦活する「歴
柄谷行人『日本近代文学の起源』(講談社、1980年)
史」の循環が批判されるのである。
吉本隆明『言語にとって美とはなにか』(角川文庫、
この反ロマン派的なスタンスは、「原初的自己
1982年)
への畏怖」からの訣別を意味している。いや、
柄谷行人『内省と遡行』(講談社学術文庫、1988年)
70年代において非ロマン主義的に「原初的自己
柄谷行人『終焉をめぐって』(福武書店、1990年)
への畏怖」をリスペクトした柄谷は、80年代の
柄谷行人『トランスクリティーク』(岩波現代文庫、
「形式化」をめぐる格闘を経て、反ロマン的なポ
2010年)
ール・ポジションに疾駆したのである。「転向
論」、芥川の自殺や中野重治の「村の家」の孫蔵
をめぐる「大衆の原像」による思想解釈につい
て柄谷は「吉本隆明は、知の課題は、知の頂を
極めそこから『非知』に向かって静かに着地す
ることだといっている。しかし、いうまでもな
く『知の頂』などというものはありえない。あ
るとすれば、それは『全体』を見通すヘーゲル
的な主体=知識人の表象においてのみである。
知識人(知)は大衆(自然)の自己疎外であ
り、それゆえ大衆=自然=無知にたどりつくこ
とが知の課題である、という円環はロマン派的
なものだ。つまり、それは知識人と大衆を根本
的な同一性においてみているのだが、そのよう
な知識人も大衆もごく近年の産物にすぎないの
である」と述べ、サルトル、フーコー、デリダ
らも「知性」の本質において「非知」に赴いた
経緯に言及する。
このとき、柄谷における「原初的自己への畏
怖」からの訣別の強度は、ポリフォニーからヘ
ーゲルとカントの思想的な段差の閾値まで拡大
したといえようか。「天使」は二度と「詩」を振
り返ることはないだろう。ただ、柄谷における
ロマン性の彼岸への冒険、「非知」を「知」で貫
こうとする冒険、世界同時革命(「構造」による
「世界」の転覆)の内在的な「実践」が「終焉」
していない現在、すべての去就はベルリンの壁
の倒壊後四半世紀以降に在るわれわれの抵抗性
─ 31 ─