障害者権利条約から考える障害者の就労

第14回障がい者雇用を考える集い 2015年9月29日 八尾市文化会館
障害者権利条約から考える障害者の就労
鈴木
勉(佛教大学社会福祉学部)
はじめに――障害者雇用「コリゴリ論」からの脱却(キャノン大分工場の場合)
(出所)
「勉さんのよしなしごと」83 号(2012 年 3 月 1 日)WEB マガジン福祉広場
2 月の半ば過ぎ、大分に出かけた。障害者雇用にとりくむ特例子会社が設立 3 年を迎え、この経
験を関係者に広く報告し、今後の障害者就労支援のあり方を検討するフォーラムで講演するためで
あった。特例子会社は全国に 265 社(平成 21年厚労省調査)
、ほとんどが親会社の完全子会社とし
て運営されており、雇用されるのは大半が身体障害者である。訪問した大分の特例子会社は、地元
の社会福祉法人とキャノン大分工場の合弁会社として設立され、
広大な工場の一角が作業場である。
現在 15 名いる障害労働者はすべて知的障害があり、自閉症(行動障害)が重なっている人も数人
いる。特例子会社の主流とは違っていることに目を引かれ、そのうえ一人の退職者も出していない
と聞いたのが、同社に興味をもった理由である。
私は障害者就労に関しては、これまで共同作業所運動とそれに先立つ結核回復者の生産と生活の
事業体(コロニー)づくりを調べたことがある。また、障害者就労システムの研究のため、30 年ほ
ど前にスウェーデン、オランダ、ポーランドに行ったことがある。そこで知ったヨーロッパの常識
は、障害者就労保障制度には3タイプあり、雇用制度として①一般企業での雇用の促進のために、
障害労働者の雇用率を定める「割当雇用制度」
、②日本には欠落している制度であるが、労働能力が
一般の 1/3~2/3 の障害者には、配慮された環境の下で最低賃金を保障するなど労働者として遇する
「保護雇用制度」
(ただし、オランダでは「社会雇用」と呼んでいた)
、そして、③直ちには労働に
なじまない重度障害者を対象とする「福祉的就労」策が加わる。
わが国の特例子会社は、
上記①の障害者の雇用率を高めるためにつくられた制度のひとつであり、
何社か調査したことがある。大分には一昨年と昨年 12 月にも伺ったが、お会いしたキャノン大分
工場の取締役総務部長は、企業現場の実情を率直に語ってくれた。
部長氏は大分工場に来る前は、本社の人事部で新採(新規採用担当)課長だったそうだ。この企
業は 80 年代以降急速に労働者を増やしたが、企業に一定率で割り当てられる障害者の絶対数は当
然増加するので、人事担当者として辛い思いをしたと言う。多くの障害者を採用するのだが、相当
数の障害者が、とくに知的障害者は途中で退職するというのである。人事部門と配属される現場と
の乖離、また、言葉のコミュニケーションがとれない場合、現場ではどう対応したらよいか分から
ずお手上げ状態なので、障害者が職場に来られなくなっても、それに有効な手立てが打てなかった
ことに、申し訳ない思いをしてきたという。これが、部長氏が言った「障害者雇用コリゴリ論」の
理由である。
新たな赴任先である大分工場でも障害者雇用は追求すべき課題であるが、知的障害のある人の採
用は躊躇したという。
「せっかく雇っても辞めてしまうし、
それを解決するノウハウがないのだから」
と積極的にはなれなかったそうだ。ここで登場したのが、地元の社会福祉法人(暁雲福祉会)であ
り、自主製品のパンを同社に来て販売していたことが、知り合うきっかけになった。
親会社だけで抱え込むのではなく、障害のある人々の仕事や暮らしを支えてきた専門職がいるの
だから、この福祉法人と協力して雇用の場をつくることにしたという。同社と福祉法人の強みを活
かした合弁会社が、ここに生まれたのである。障害者雇用に積極的に取り組む県行政の後押しもあ
ったようで、
参加したフォーラムでは県知事の挨拶も予定され、
本庁の部課長職も参加されていた。
毎年 5 名の障害者を雇い、現在 15 名、3 月から 3 名入職するので、障害労働者は 18 名とな
る。障害者 5 名に 1 名の福祉専門員が配置され、これに実習生が加わる現場である。ここで働く
人は 1 日 6 時間半の労働で、最賃準拠の給料は月額 10 万円余だが、社会保険料・税を払うと手
1
取りは 8 万円強、障害基礎年金を足すと、グループホームの必要経費を払っても月に 10 万円近く
は手元に残る。これで衣類や日用品を買い、趣味の活動に充てるのである。お金を貯めてお母さん
とヨーロッパ旅行に行った女性もいた。キャノン大分工場では今まで一人の退職者もなく、
「定年ま
で勤めたい」という 20 歳代の声も聞いた。
今回お会いした時、親会社の部長氏が私に言ったのは、従来の業務は本体製品の付属部分だった
のが、昨年暮れからカメラの生産業務の一端を担うようになったことだった。単に雇用するだけで
なく、彼らを企業の戦力にする目途がついたと、実にうれしそうな表情を浮かべるのである。
障害者就労のシステム研究も依然として重要であり、2011 年 8 月に発表された総合福祉部会の
「骨格提言」にも示されたように、わが国においては保護雇用(社会雇用)制度の確立は緊喫の課
題であることはいうまでもないが、大分への訪問では、これに加えて雇用の場である事業組織論に
も及ぶべきであると考えた。市場と公共の間で、障害者の就労の場をどのように位置づけ、障害者
を雇用する事業所をどのように活性化していくか、企業の社会貢献というより、障害者の社会貢献
の方策を企業も本格的に研究する時期に入っていると思う。また、行政がどのような役割を果たす
のか、検討すべき課題は多い。
1. なぜ障害者は排除されるのか、どのように社会に包摂するのか
(1) 近代平等論の意義と問題点――「能力にもとづく平等」論の意義と限界
資本主義という経済メカニズムを平等という視点からとらえると、どのような光景が見えてくる
であろうか。ここでは封建社会から近代資本主義社会への転換期において提案された、近代平等原
則の意義と限界を検討する。
資本主義社会への移行は、政治革命である市民革命を通して実現したが、この時期の平等観を成
文化したものは、フランス革命期のいわゆる人権宣言(
『人及び市民の諸権利宣言』1789 年)があ
げられる。フランス革命の課題は「自由・平等・友愛」というスローガンに示されるが、そこでは
「平等」とは封建的身分拘束からの解放と理解されていた。同宣言の第6条では「すべての市民は、
この法律の目から見ると平等であるから、おのおのの能力にしたがって、徳と才能における差異以
外の何らの差別もなく、あらゆる高位、地位、公職に就くことが等しく許される」とある。
つまり、個人の評価はその人の「能力」のみにもとづくべきであって、出身階級を評価の対象に
すべきではないというものである。封建的な身分制を否定する論理として「能力」をあげるこのよ
うな考え方は、人を評価するにあたって、各人の能力以外の、たとえば性・人種・信仰等の属性を
含めるべきではないという論理にもつながるといえる。市民革命期には否定され、その実現は 20
世紀半ば以降にもち越されたとはいえ、原理的に考えると、
「能力」が備わっていれば、女性や有色
人種であってもしかるべき社会的な地位に就けるということになる。アンシャンレジームを支えて
きた封建的な身分制支配を打破した市民革命は、こうして人間解放の有力な思想として、
「能力にも
とづく平等」という平等観を生み出したのである。
しかし問題は、自然的・社会的原因によって能力に制約を負った人々にとって、
「能力にもとづく
平等」論は、彼らへの低劣な処遇を合理化する考えとして働くという問題を引き起こすのである。
多数の人々には、身分差別や女性差別、人種差別が「ゆえなき差別」として解放の武器となるこの
平等観が、能力に制約のある障害のある人にとっては、
「ゆえある差別」として解放の桎梏になると
いうパラドックスを抱え込んでいるのである。現在の資本主義経済の下では、労働能力の制約や低
下を理由に、
障害者は雇用の場から排除され、
就労できたとしても最低賃金以下であることも多く、
高齢労働者には強制退職制度である定年制が導入されているのは、その証左といえよう。
換言すれば、資本主義という経済メカニズムは、原理的には労働能力に応じて利潤を生む可能性
に応じて平等に扱うという合理性をもっているのであり、こうした「資本主義的合理性」は、障害
者に対する差別的処遇をいっそう強化する論理として機能している。
(2) 現代平等思想としてのノーマライゼーションー能力に制約のある障害者の「排除から包摂へ」
2
① 反ナチズム・平和思想としてのノーマライゼーション
スウェーデンにおいて「1946 年ノーマライゼーション原理」
(これがノーマライゼーションとい
う用語の起源)が発表された 7 年後の 1953 年に、デンマークのバンク‐ミケルセンは、当時の知
的障害者状態を変革する理念としてノーマライゼーション
(デンマーク語ではノ-マリセーリング)
を提唱した。
バンク-ミケルセンは、コペンハーゲン大学在学中に反ナチズムのレジスタンス運動に参加して捕
えられ、強制収容所に 3 ヶ月投獄された体験をもっている。ナチス支配から解放された後、復学し
て卒業し、
デンマークの社会省の職員に採用され、
知的障害者の福祉行政を担当することになった。
当時、知的障害者は中には 1500 床以上というような巨大施設に終生収容され、本人や家族の了解
なしに優生(断種)手術が実施されていたのであるが、彼はこのような処遇の実態に深く心を痛め、
知的障害者の施設での生活は「ほんとうに悲惨で、
(かつて投獄された)ナチスの強制収容所とすこ
しも変わらないもの」と感じていた。
その一方で、国内各地で 1951 年から 52 年に設立された知的障害者の親の会は、わが子に対する
こうした非人間的な処遇を改めるよう、強く政府に求めて活動していた。親の会の活動にバンクミケルセンが個人的に協力していたこともあり、社会大臣に提出する要請書の起草を依頼され、
1953 年に提出された要請書のタイトルに「ノーマライゼーション」を使用したのが、デンマークに
おけるこの言葉の始まりである。
このように、デンマークにおけるノーマライゼーションとは、歴史的に見るならば、知的障害者
の親の会から発せられた問いに対する、バンク‐ミケルセンの協力の産物として成立した理念であ
り、それは第二次大戦中デンマークを占領したナチスへのレジスタンス運動の経験をふまえて、知
的障害者に対する「隔離・収容・断種」政策と、かつてナチスがユダヤ系市民やロマ族、障害者た
ちに行った「隔離・収容・絶滅」政策との思想的同根性を鋭く指摘するものとなっている。また、
バンク-ミケルセンの協力者であったスウェーデンの二ィリエも、
ストックホルム大学在学中に反ナ
チズムのレジスタンス活動に参加しているが、これは偶然とはいえないであろう。つまり、ノーマ
ライゼーションという福祉の新しい原理は、
ナチズムを支えた人間観への根本的批判を背景にして、
知的障害者がおかれていた反福祉的現実に対する平和―福祉思想として登場したといえる。
また、平和とは一般に戦争の反対語と理解されているが、正確には、戦争を含む諸暴力(貧困・
抑圧など)の反対語というべきであろう。暴力とはそれを受ける人を無力化し、人間存在を真っ向
から踏みにじる点にその本質がある。
「非暴力・平和の文化」を形成することは現代社会の最大課題
といえるが、ノーマライゼーション理念が障害をもつ人々の平等回復の思想であるとともに、反ナ
チズム・反暴力の平和思想として登場したことを想起しておきたい。
② ノーマライゼーションとは何か
ところで、行政官であることに徹したバンク‐ミケルセンは、
「ノーマライゼーションとは、障害
のある人たちに、障害のない人と同じ生活条件をつくりだすことである」という誰にも分かりやす
い見解を示している。以下ではバンク‐ミケルセンの主張にもとづいて、ノーマライゼーションを
どのように理解したらよいのかについて述べる。彼の著述を読むと、ノーマライゼーションには障
害者の「ノーマルな暮らしの実現」と、彼らを排除しない「ノーマルな社会づくり」という2つの
要素が含まれていると考えられる。
a) 障害者に「ノーマルな暮らし」を実現する――「特別の配慮」の提供で普通の暮らしを
第1には、障害者に通常の障害をもたない市民と同様の生活条件を提供し、人間としてふさわし
い「ノーマルな暮らし」を営むことができるようにすべきであるという、実質的平等の実現を提起
していることである。ただし、ここで注意を要することは、障害があるため特別のケアを必要とす
る場合には、当然そうしたケアが十分に提供されるべきであって、そのうえで他の同年齢の市民と
同等の生活を営むことができるようにすることである。
たとえば、
入所施設よりは家庭での暮らし、
特別支援学校よりは普通学校の方が、ノーマライゼーションが実現しているように見えるが、そう
して選んだ先が、育ちの場として不適切であったり、障害に対する適切なケアを欠く場であったと
したら、
現在の障害に加えて別の新たな障害や困難を招きかねないことに留意しなければならない。
3
形式的な側面だけに目を奪われるのではなく、
「人生・生活の質」
(Quality of Life)の実現という
視点からノーマライゼーションをとらえることが大切なのである。
その点について、バンク‐ミケルセンも「障害がある人にとっては、その国の人々が受けている
通常のサービスだけでは十分ではありません。
障害がある人が障害のない人と平等であるためには、
特別な配慮が必要なのです」と述べているように、ノーマライゼーションを形式的に理解してはな
らず、実質的平等を実現するために、障害に対する特別の配慮(ケア)の保障を強調しているので
あり、しかもそうした特別なケアは、できるかぎり通常に近い方法で提供するよう努力することを
求めているのである。要するにノーマライゼーションとは、障害をもつ人々が特別なケアを受ける
権利を行使しつつ、
個人の生活においても社会的活動においても、
可能なかぎり通常の条件の下で、
通常の仕方でその能力を発揮し、
それを通して社会の発展に貢献することと理解される必要がある。
このように、近代平等思想である「能力にもとづく平等論」は、ノーマライゼーション思想の登
場によって覆されたということができる。
b) 障害者等少数者を排除しない「ノーマルな社会」づくり(=インクルージョン)
ノーマライゼーションには、第2に、
「国際障害者年行動計画」の一節を借りるなら、
「障害者等
少数者を締め出す社会は、不毛で貧しい(政府訳では、弱くてもろい)社会である」と表現される
ように、権利主体の側から社会の質を問う視点が含まれている。
バンク‐ミケルセンは 1985 年に来日したときの講演で、
「この考え方は新しい意義でも原理でも
なくアンチドグマみたいなものであります。なぜなら障害者のおかれていた状態は正常者によって
決めつけられていたもので、これを打破する必要性によって生じたものであるからです。ノーマラ
イゼーションの原理は障害者を一般住民と差別して処遇してきた国々にとって意義あるものとなり
ます」と述べている。つまり、ノーマライゼーションとは、障害者を排除し、差別的に取り扱って
きた社会の能力主義的な人間評価原理に対する反省の上に立って、障害者が障害をもたない市民と
対等平等に存在する社会こそ「ノーマルな社会」であり、
「能力のちがい」を認め合える社会に変革
することを指向する視点を含んでいる(人―人)=インクルーシブな社会(マイノリティを包摂す
る社会)
。
2.障害者権利条約の批准を力に――「特別の配慮」の内容の具体化
(1)「 障害者権利条約」批准の意義
障害者の権利保障を考えるとき、
一般的な権利保障の規定があっても権利が守れない場合がある。
たとえば、自由権の一つである自由な意見表明の権利が法的に認められても、手話やコミュニケー
ション機器の提供(提供手段の保障)が結びつかなければ、視聴覚に障害のある人の意見表明権は
実現しないのである。この例に見るように、障害のある人の権利を実質化するためには、自由権を
担保する社会権にもとづく施策がその障害のある人に見合った形で保障されなければならない。ノ
ーマライゼーションを提唱したバンク-ミケルセンが述べているように、
「障害がある人が障害のな
い人と平等であるためには、特別な配慮が必要」なのである。
ノーマライゼーション思想の発展を「障害者権利条約」にみてみよう。同条約の成立を促した理
由は、世界人権宣言がすべての人々の権利を規定しているにもかかわらず、障害があるためにその
権利が侵害されている人々が存在している事実に着目し、この解決を国際社会の責務と考えたから
である。また、権利条約の作成にあたっては、障害当事者の意見を重視し、各種専門家とともに障
害者団体が大きな役割を果たした。”Nothing About Us, Without Us”(私たちを抜きいにして私た
ちのことを決めないで)のスローガンがそのことを示している。障害のある人々の平等を実現する
ために、権利条約では「インクルーシブな(包摂・包含する)社会」の創造を目標に掲げている。
国連の障害者の人権保障の取り組みは、1981 年の「国際障害者年」とその理念の具体化を進める
計画としての「障害者に関する世界行動計画」
、
「国連・障害者の 10 年」の終了後に国連で採択さ
れた「障害者の機会均等化に関する標準規則」などの上に、障害者の人権を守るために法的拘束力
のある条約として 2006 年「障害者権利条約」を採択したのである。条約の実行のために、国内モ
4
リタリングを行う中心機関を各国政府内に、国際的なモニタリングを行う中心機関(委員会)を国
連に設置することを規定したことは、条約の実効性の面で大きな推進力となる。なお、権利条約は
2008 年 5 月 3 日に発効し、わが国も遅まきながら 2014 年に批准した。
障害者権利条約が批准されると、権利条約は憲法と一般法規の間に位置し、障害関連法規の内容
を規制する効力をもつ。わが国の憲法は障害者の人権保障を目的とする権利条約の方向性と一致し
ていることから、権利条約が批准されると、障害関連法規を障害者の権利保障に向けて機能するこ
とに貢献する。
(2) ノーマライゼーションとインクルージョン
障害者権利条約ではノーマライゼーションという用語は使われておらず、インクルージョン
(inclusion=包摂・包含)が使われている。該当する条文は、第 3 条「一般原則」(C)、第 19 条「自
立した生活及び地域社会へのインクルージョン」
、第 24 条「教育」
、第 27 条「労働及び雇用」など
にある。
それでは、
インクルージョンをどのように捉えるべきであろうか。
この語自体の意味からいえば、
インクルージョン(inclusion)とは、
「イクスクルージョン(exclusion)=排除」の反対語である。
障害者等少数者を排除するのではなく、受け容れ包摂する社会像を示しているといえる。インクル
ージョンという用語は、ヨーロッパ諸国において 1980 年代後半以降、新自由主義的なグローバラ
イゼーションによって生じた貧困と社会的排除に抗する主張として、社会政策の目的概念として使
用されるようになり、障害者福祉・教育の領域でも頻繁に使われるようになった。また、北欧・英
米では障害児者の「脱施設化」の取り組みが進み、ノーマライゼーションの第 1 の要素である「生
活のノーマル化」が一定程度達成されたことから、第 2 の要素である「社会のノーマル化」を強調
する意味でインクルージョンが使用されているともいえ、これが国連にも反映したとみなすことも
できる。
障害者をはじめ、いまや日常生活や社会生活を営む上で制約がある、高齢者や一人親家族、移民
など、すべての人々の人間らしい暮らしを営む権利を保障する理念としてインクルージョンが使わ
れていることを確認できる。
障害者らを排除して社会の傍流に置くのではなく、
積極的に受け入れ、
障害の有無を問わず、すべての人々を社会の主流(メインストリーム)に置く考え方といえよう。
(3) 権利条約における障害がある人々の平等回復のための[3つの措置]――就労に焦点をあてて
障害者の平等を回復するために何が必要になるのであろうか。ここでは権利条約が構想している
平等回復の措置として、
①普遍的な権利保障、
②国による積極的差別是正策としての
「特別の措置」
、
③「合理的配慮」の 3 つについて紹介する。なお、③の合理的配慮は、過去の「権利条約」にはな
かった概念であり、
「人種差別撤廃条約」や「女性差別撤廃条約」のキ―概念であった積極的差別是
正措置(特別の措置)だけでは平等回復につながらない障害者の実情をふまえ、新たに規定された
ものである。
① 普遍的な法的権利保障
障害者権利条約は、障害者を例外としない権利の保障を法的に規定するよう求めている。障害
があると、働く意思と一定の労働能力をもっていても多くは就職できず、その結果、他の障害の
ない人と比べて低位の生活を余儀なくされ、多くは家族扶養に任されている。国連が採択し発効
した障害者権利条約はこのような差別を放置せず、成人障害者の「労働についての権利」を承認
し(27 条)
、
「あらゆる形態の雇用に係るすべての事項に関し、障害にもとづく差別を禁止する」
(同条 1.(a))と規定している。日本国憲法でも労働の権利は明確に規定されているが、自由な雇
用市場の競争に任せてしまえば、成人期障害者にとって、この条文は空文になる。
わが国の就労施策を含む障害者施策の最大の問断点は、障害者基本法などにおいて障害者の諸
権利について法的な規定はあるものの、行政解釈においては、それらの権利は理念的権利に過ぎ
ず実効性がないこと、すなわち、これでは権利とはいえず、行政が実施する施策の範囲にとどめ
られている点を指摘しておきたい。
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② 特別の措置(積極的差別是正措置)
障害があると、働く意思があっても仕事に就けない人が多くいて、その結果、他の障害のない
人と比べて低位の生活を余儀なくされ、多くは家族扶養に任されている。権利条約はこのような
差別を放置せず、成人障害者の労働権を認めるとともに、市場での自由な雇用競争に任せば、雇
用の場から排除される障害者の労働権を実現するために、企業に一定割合で障害者の就労を義務
づける割当雇用制度(わが国では障害者雇用促進法が相当)や、日本では未だ実施されていない
「保護(社会)雇用制度」があるが、これら雇用における「特別の措置」は、積極的差別是措置
の一例といえる。
また、権利条約では「十分な生活水準と社会的な保障」を権利として認めている(28 条)こと
から、他の障害がない人と同等の生活を営めるよう、所得保障制度の確立も要請している。これ
らの例にみるよう、国が法令などによって障害者に対する格差と差別を積極的に是正する措置を
とることが「特別の措置」であり、これらは障害者一般に開かれた制度といえる。
③ 合理的配慮
非常に個別性の高い環境調整による平等の確保のことを合理的配慮というが、内容的に言えば
「適切な便宜供与」と訳すこともできる。
合理的配慮の一例をあげれば、上記の雇用における「特別の措置」である割当雇用制度や保護
雇用(社会雇用)制度によって就職した人に対して、仕事を継続するために、障害の状態に応じ
て講じられるべき個別の支援を指す。障害者が障害のない人と対等平等に仕事ができるように、
障害者に合わせた物的・人的環境を整備するという義務が、職場であれば事業主に課せられるの
である。たとえば、耳が聞こえないために、十分にコミュニケーションがとれないということで
あれば、事業主は手話通訳者をつけるなどして、その人の能力が発揮できるような措置を講じな
ければならないということである。
また、生活保障における合理的配慮に関しては、
「特別の措置」である所得の保障をもって完了
するのではなく、得た所得(現金)を自らの必要に応じて使えるよう個別ケアのも提供するべき
ということになる。北欧の福祉国家が高い評価を得ているのは、国民の人間らしい暮らしを実現
するために、所得保障制度にとどまらず、生きづらさを抱える人々に福祉など社会サービスを権
利として保障し、他の者との実質的な平等を図ろうとしている点にある。
つまり、障害者の障害状態の個別性や人格の固有性に即した環境調整によって平等を確保する
ことを合理的配慮というのであり、公共施設などを障害者が利用しやすいように改築することは
合理的配慮ではなく、それは上記①のユニバーサルデザイン(この場合はバリアフリー)の範疇
にある。
バンク‐ミケルセンの言った「特別な配慮」は、障害者権利条約では上記の諸点と関わっており、
例外のない法的な権利保障とともに、積極的差別是正策である「特別の措置」を法令等で保障する
ことによって実質的な平等を実現し、しかもその際、同じ障害をもつ人でも受障時の年齢や現在の
年齢、また性別などの属性、さらには、その人をとりまく環境などは個々に異なっているので、そ
の人の障害の個別性や人格の固有性に即した措置(
「合理的配慮」
)がとられなければならない、と
いうことになる。
3.就労によって得られる「人間的利益」をどう評価するか
障害がある人々に就労を保障することの意味を考えるとき、OECD がベント・アンダーソンに委
嘱した調査の報告書 ” Work or Support : An Economic and Social Analysis of Substitute
Permanent Employment”
(1966)は示唆的である。この調査は欧米の 6 カ国を対象に、一般雇用
が困難な障害者に対する政策手段の選択において、
「保護雇用制度」と「扶助」
(現金給付)のどち
らを採用することが経済的に有利かを検討することにあったが、アンダーソンは依頼を果たすこと
ができなかった。その理由は、各国の保護雇用制度が機能している経済的社会的条件のちがいを経
済的評価に組み込むことが困難であったからであるが、さらに大きな理由としては、障害者が働く
6
ことによって生み出される「人間的利益」
(human gains)を客観的な経済的価値に換算すること
ができないという点にあった。ここでいう「人間的利益」とは、①人間関係の改善、②病気の減少、
③依存性の減少、④余暇活動の改善、⑤精神的疾患の徴候の改善などを指している。
この報告書で注目されるのは、社会政策の政策手段の選択において「客観的な経済的価値」とし
て計測できる価値のほかに、
「人間的利益」という価値をどのように位置づけるべきかを問いかけて
いることである。金銭に置き換えることができない、障害者の人間的価値が尊重される社会である
ならば、政策手段としての保護雇用制度は高い「社会的評価」を得ることになろう。
4. わが国の障害者就労施策の現状と課題
(1)わが国における障害者就労制度の問題点――保護雇用制度の欠落
保護雇用制度とは、ILO 第 99 号勧告(1955 年)によれば「雇用市場における通常の競争に耐え
られない障害者のため、保護された条件の下で行われる訓練および雇用の施設」であり、その類型
は①保護工場、②在宅雇用、③企業内保護雇用、④戸外作業プロジェクト、⑤事務作業プロジェク
トなどがある。欧州諸国の保護雇用では、障害労働者に労働法規が適用され、最低賃金額を下回る
ときには国から補完手当が支給される(フランス)など、国家責任によって最低賃金の助成を行う
措置がとられている。この制度は、欧州諸国だけでなく、OECD 加盟国の多くでも採用されている。
保護雇用制度を採用している国々では経済効用的な発想を脱却し、障害者の「人間的利益」を擁護
する価値観に立脚して障害者の就労保障制度が設計されているのである。
ところで、わが国の障害をもつ人々に対する就労施策においては保護雇用(社会雇用)が欠落し
ており、大別すると「一般就労」と「福祉的就労」の2本建てになっている。一般就労の促進策は
障害者雇用促進法によっており、企業等に定率の障害者雇用を割り当て、法定雇用率を下回る企業
等から雇用納付金を徴収することを内容としている。また、福祉的就労とは、かつての授産施設・
福祉工場等の福祉施設(小規模作業所も含む)における就労のことであり、利用者の法的位置づけ
は労働者ではなく福祉対象者である。したがって、賃金ではなく低額な工賃が支払われているにす
ぎない。
ところで、障害者自立支援法の施行によって、
「訓練等給付事業」の中に「就労継続支援A型事業」
が新設され、障害者は事業主と雇用契約を結び、通常の労働法規が適用されることになったが、そ
れが事業者責任とされ、OECD 加盟国の多くが公的責任において保護雇用制度が運営されているこ
とからすれば致命的な問題点と言えよう。しかも、これら事業所においては、最低賃金減額申請制
度が適用され最低賃金を減額することができる上に、働く施設でありながら「介護給付事業」など
と同様にサービス利用料を徴収されるという、矛盾した位置づけの事業が新設され、障害者総合支
援法でも継続している。
(2)就労保障制度改革の論点
このように、わが国の障害者の就労施策は、それぞれ別体系にある雇用施策と福祉施策の接木と
いうのが実態であり、さらに、障害者自立支援法の施行によって、労働者であるのか福祉の対象で
あるのか、判然としない事業が紛れ込んでいる。
就労保障制度の改革にあたっての第1の論点は、両者の分立ないし折衷を維持するのではなく、
これまで政策選択から忌避されてきた保護(社会)雇用の導入にあると考えられる。労働能力に制
約があっても、働く意思をもち継続的な就労を希望する障害者には福祉サービスではなく、最低賃
金法等の労働法規を適用する保護雇用の制度的確立が論点となる。
そして一般就労施策においては、雇用される障害者の努力を促すことを中心とするのではなく、
雇用する企業の側の社会的責任として、
法定雇用率の引き上げと未達成企業へのペナルティの強化、
さらには障害労働者の解雇を規制し、職場定着を図る「合理的配慮」にもとづくシステムづくり等
が課題となる。また、すぐには労働に馴染まない重度の障害をもつ人々に課業(日中活動の場)を
確立すること、そしてこれら課業間の移動の双方向性を実現することが課題になっている。
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就労保障制度の確立と表裏をなす第2の論点は、
「就労(課業)の場」とともに「居住の場」と「地
域の自主的集団的活動の場」を成人期にふさわしく確立することである。こうした「生活の3拠点」
における活動と移動によってこそ、人間らしい発達と社会的自立を促進するといえるからである。
5.就労と所得保障の関連、そして社会サービスの必要性
保護雇用を含めて就労することにより最低賃金を上回る収入を得ても、
心身の障害がある人には、
収入はそれで十分とはいえない。障害に関連して必要な出費が生じるのだから、非障害者と同等の
生活条件を提供するためには、そうした諸出費を年金や手当という形で社会的に保障することが必
要になる。また、日々の活動を維持し、社会参加するためには、移動や介護などの社会的なサービ
スの提供も必要になる。
先に紹介したベント・アンダーソンの調査報告書のタイトルは”Work or Support “ であったが、
賃金、年金・手当、社会サービスは、そのいずれかを選択するのではなく、その障害者の必要にも
とづいて”work and support “ の考え方で実施されることが求められる。障害者自立支援法・総合
支援法は、就労自立を最終目標にしているが、その際、
「自立」とは福祉サービスを利用しなくなる
ことととらえている。つまり、福祉と自立を対立関係としてとらえ、
「福祉(依存)を脱して就労(自
立)へ」とする認識枠組みにあると考えられる。就労していても、必要な福祉サービスや所得保障
制度を利用するのは当然であり、
「福祉とともに就労を」という観点から、就労施策、所得保障制度、
社会サービスの給付を組み合わせて、障害者の自立を考えることが大事な視点となる。
また、障害者の中でも、とくに自己決定能力に制約のある知的障害や精神障害のある人への個別
的な社会サービスの供給にあたっては、障害状態の個別性や人格の固有性に即した環境調整を意味
する「合理的配慮」にも留意しなければならない。
第 2 次世界大戦後のイギリスは、べヴァリッジ・プランにもとづいて福祉国家づくりを行ったが、
その内容はすべての国民の最低生活保障という「所得保障国家」を目指すものであった。これに対
して、スウェ―デンなど北欧の福祉国家の今日の到達水準は、
「所得保障+社会サービス保障」国家
といいうる。福祉サービスを含む社会サービスは原則無料で、個別的なニーズに柔軟に対応してい
るのである。福祉経済学者のアマルティア・センは、福祉(well-being)の実現とは、財や所得の
保障にとどまらず、それらを活用して、その人の capability(人格と潜在能力・残存能力=「伸び
る素質」大江健三郎訳)が全面発達することであると述べたが、単に就労の場と最低賃金さえ提供
すれば「自立」を達成したとみなすのではなく、その人の全面的な人格発達こそが障害者福祉の課
題であることを銘記しなければならない。
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