海洋に住む数兆の神秘 (後篇) WILLIAM J. BROAD 著 / 森田真由子 (オルテック・ジャパン) 訳 ニューヨークタイムズ紙 2015 年 6 月 29 日号より抜粋 (前篇より続く) 冷戦中、アメリカ海軍は世界中で起きる、Deep Scattering Layer(深海散乱層)現象にとまどった。その層は非 常に効率よく音波を水面へ跳ね返し、時には海底地盤と間違えられるほどであった。 生物学者らは、それを生物の大群であると判断した。なぜなら、その層は夜間には水面近くまで上昇し、 日中はまた水中へと戻ったからである。海軍は、敵の潜水艦の追跡や、またはそれらから隠れるための技 術向上のため、その層についての情報をもっと得たがった。 研究により、この層は多くの生物―オキアミ、イカ、そして長く、ゼラチン状のクダクラゲなど―からな ることが明らかになった。そこにはまた。多くの魚類も含まれていたが、夜間に水面近くを泳ぐことがあ まりないオニハダカは明らかにそこに存在する数が少なかった。 ―最もありふれていると言われる魚が、生物のうじゃうじゃいる層にあまり現れないとしたら、その数は 多く見られすぎていたということではないか?― 1970 年代から 90 年代にかけての海洋に関するテキス トでは、オニハダカ属の最も主な種である Cyclothone についてはほとんど触れられていない。静かに『王』 はその座を退かされた。 その後、新しい研究の波が打ち寄せ、はるかに網目の細かい網を使って、注意深く深海を探る時代が来た。 すると、いかに深くその網を投じても、非常に多くのオニハダカが引き上げられたのである。 2010 年に、大西洋の 3 マイル以上の深海をトロールした際には、捕獲されたほとんどがその小さな魚、オ ニハダカだったという。 また、Farallon Institute の Davison 博士は、Scripps Institution of Oceanography を卒業後に、仲間たちと南カリ フォルニア沖の海洋で、2010 年~12 年の間に水深調査を繰り返し行っていたが、そこでもその小さな魚は 海を支配していた。 そして、昨年、スペイン・オーストラリア・ノルウェイ・サウジアラビアから集まった海洋学者らが、研究 船で世界を周航して、深海生物の生息調査を行った際には、オニハダカ属の Cyclothone が、地球上で最も 数の多い脊椎動物であることが確認された。 数十年にわたって、Monterey Bay Aquarium Research Institute の Robinson 博士はカリフォルニア沿岸の海底 に存在する 1 マイル以上の深さを有する深い谷である Monterey Canyon をロボットで探索してきた。ほか の多くの海洋学者と異なり、彼は、小さな生物の群れをそれらがもともと住む海域で注意深く観察し続け てきた。 インタビューで同氏は次のように答えている。 「彼らの泳ぎ方は全く魚らしくないもので、全身をくねらせ て水中を進む。これはひれをもつ魚としては非常に珍しいものである。」 また、オニハダカは非常に小さい目をしており、暗い生息地では獲物を見つけることにおいて、ほとんど、 または全く役に立っていないとみられる。そして代わりに、多くの水生脊椎動物のように、その魚は明ら かに側線―周囲の水の動きや揺れを感じる感覚器官―に頼っているようだ、と同氏は言う。この器官は、 魚体の両側面のえらの辺りから尾の辺りまで、線状に延びている。 では、オニハダカの腹部にある輝きを放つ列状の斑点の働きは、と言えば、Robinson 博士によるとオニハ ダカが敵から身を隠す際のカモフラージュ効果を持つようである。 海洋中の、わずかな光しか届かない薄明帯では、捕食生物はほとんど下が見えない。しかし、日中は上に あるものは、シルエットで彼らにも見ることができる。そこで、捕食の対象になる種は、生物発光部を使 い、周囲の光と自ら発する光を混合して自らの存在に気付かせないようにしている。自らの身を守るこの 方法は、カウンターイルミネーション(Counter illumination)と呼ばれる。 Robinson 博士によると、 「オニハダカはカウンターイルミネーションを行うことで、自らの影が見えないよ うにしている。 」のだという。また、その海洋生物は自身の影を消すことができ、発光器官は発する光の強 さや波長を周囲の光に正確に合わせることができるということは、科学者らが実験を通じて示していると も述べている。 「しかしながら、そのカウンターイルミネーションの方策で捕食者を欺けているという事実を証明した者 はまだいない。 」と Robinson 氏は付け加えた。 一世紀半ほどが経過したが、そして、まだ謎は残されてはいるが、とうとう科学はオニハダカの存在と、 それが何兆も生息していることをかなりよく把握するようになった。だが、他の深海生物についてはまだ まだである。こんなに数の多い支配的な存在である魚類について認識するのに経てきた紆余曲折を踏まえ ると、この地球の生物圏のほとんどを占める、日光の届かない深海に暮らす一般的でない生命体について、 科学が知るまでにはまだまだ長い時間がかかるだろう。 Robinson 博士によれば、Monterey Canyon やその奥での探索においては、数多くの新種確認が相次いでいる そうだ。 「より深くに進めば、また新しい生物に出会う。 」と同氏は言う。 現在、地球上に生息する生物の種の数は、オニハダカ属を含めて約 2 百万種に及ぶと言われているが、海 洋はまだ数百万もの未確認種生物を擁しているかもしれない。少なくとも百万種は存在しているだろうと Robinson 博士は考えている。我々が探索できていない場所は、まだまだとても多いのだ。 以上
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