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Hirosaki University Repository for Academic Resources
Title
Author(s)
知識の習得に重点を置いた道徳教育の研究−人間行動
の自動性に基づく授業開発―
鑓水, 浩
Citation
Issue Date
URL
2015-03-24
http://hdl.handle.net/10129/5579
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Text version
author
http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/
知識 の習 得 に重 点 を置 いた 道徳 教 育の 研 究
-人 間行 動 の自 動 性 に 基づ く授 業 開発 -
序章 本 研 究の 意 義と 構成 ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 1
第1 節 研 究の 目 的 ・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 1
第2 節 先 行研 究 と本 研究 の位 置 づけ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 2
第3 節 研 究方 法 と本 論文 の構 成 ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 9
1 研究 の 方法 ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 9
2 本論 文 の構 成 ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 10
第1部
第1 章
知 識習 得 を重 点化 する 論 拠
心 情主 義 道徳 教育 の問 題 点 ・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 13
第1 節
心 情主 義 道徳 教育 成立 の 経緯 ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 13
第2 節
心 情主 義 道徳 教育 の批 判 ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 14
1
日常 の 経験 や 現実 の生 活問 題 を重 視 する 立場 から ・ ・・ ・ ・・ ・・ 15
2
知性 を 重視 す る立 場か ら ・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 16
第3 節
道 徳教 育 の課 題と して の 道徳 的 実践 力の 育成 ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 17
第4 節
道 徳的 実 践へ の学 際的 視 点の 必 要性 ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 18
1
2
第2 章
着眼 す べき フ ェー ズ ・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・ ・18
道徳 教 育に お ける 学際 的視 点 の必 要 性 ・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・ ・21
人 間行 動 の自 動性 と 道 徳 教育 に おけ る 本 研究 の アプ ロ ーチ の
位置 づけ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・ ・ 24
第1 節 人 間行 動 の自 動性 ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 24
1 人間 の 意識 と 行動 ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 24
2 人間 行 動の 自 動性 研究 ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 25
3 自動 性 理論 の 道徳 教育 への 応 用 ・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 30
4 自 動性 理 論応 用へ の批 判 とそ の 吟味 ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 31
第2 節 自 動性 と 知識 ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 33
1 行 動 と感 情 、情 動、 知識 ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 33
2 人 間 にと っ ての 知識 の特 徴 ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 35
第3 節 道 徳教 育 で習 得す べき 2 つの 知 識 -特 性と 目 標に 関 連し た知 識
と メタ 認 知の ため の知 識 - ・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 36
1 特性 と 目標 に 関連 した 知識 ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・ ・37
2 メ タ 認知 の ため の知 識 ・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・38
第4 節 宣 言的 知 識と 手続 き的 知 識及 び スキ ーマ 、ス ク リプ
トと の関 係 ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・39
第5 節 現 在の 道 徳教 育に おけ る 本研 究 のア プロ ーチ の 位置 づ け ・ ・・ ・41
第2 部
特 性と 目 標に 関連 した 知 識を 習 得す る題 材群 の 内容 開 発
第3 章 特 性と 目 標に 関連 した 知 識を 習 得す る題 材群 の 概要 ・ ・・ ・・ ・ ・48
第1 節 題 材群 を 構成 する 論理 ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・48
1
題材 群 設定 の 目的 ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 48
2
資料 の 取り 扱 い ・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 49
3
題材 群 にお け る授 業の 評価 ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 50
4
学習 指 導要 領 内容 項目 との 関 連 ・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 50
5
対象 学 年 ・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 51
6
キャ リ ア教 育 との 関連 ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 51
第2 節
題 材群 の 全体 構成 ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 52
1
概 要・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 52
2
各 授業 内 容の 構成 ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 54
3
構成 上 の留 意 点 ・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 55
第4 章
特 性に 関 連し た道 徳的 ス テレ オ タイ プを 形成 す る授 業 の内 容開 発 ・59
第1節
授 業内 容 を構 成す る原 理 ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 59
1
道徳 的 ステ レ オタ イプ を形 成 する 意 義 ・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 59
2
道徳 的 ステ レ オタ イプ の形 成 のた め の知 識を 習得 す る授 業 ・・ ・・ 59
第2 節
徳 性に 関 連し た情 報と し ての 知 識を 習得 する 授 業の 内 容 ・ ・・ ・ 61
1
題材 「 顔っ て 何の ため にあ る のだ ろ う? 」・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 61
2
題材 「 ふる さ と調 査隊 」・・ ・・ ・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 64
第3 節
意 義と 課 題 ・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 67
第5 章
ポ ジテ ィ ブ感 情の 形成 と 言語 表 象に よる 客観 性 獲得 の ため の授 業
の内 容開 発 ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ 70
第 1 節 授業 内 容を 構成 する 原 理 ・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 70
1 ポジ テ ィブ 感 情の 形成 と言 語 表象 に よる 客観 性獲 得 の意 義 ・・ ・・ 70
2 知識 の 内容 ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 70
第2 節 目 標関 連 情報 とし ての 知 識を 習 得す る授 業の 内 容 ・ ・ ・・ ・・ ・ 72
1 道徳 的 行動 の 結果 に対 する ポ ジテ ィ ブ感 情の 形成 と 増幅 を ねら い
とす る授 業 ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ 72
2 言語 表 象に よ る目 標設 定と 採 用に お ける 客観 性の 獲 得の た めの 知
識を 習得 す る授 業 ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ 75
第3 節 意 義と 課 題 ・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 78
第3 部 メ タ認 知 のた めの 知識 を 習得 す る 題 材群 の内 容 開発
第6 章 メ タ認 知 のた めの 知識 を 習得 す る 題 材群 の概 要 ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 80
第1 節
題材 群 を構 成す る論 理 ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 80
1
題材 群 設定 の 目的 ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 80
2
資料 の 取り 扱 い ・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 81
3
題材 群 にお け る授 業の 評価 ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 82
4
学習 指 導要 領 内容 項目 との 関 連 ・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 82
5
対象 学 年 ・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 82
第 2節
題材 群 の全 体構 成 ・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 83
1
概 要・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 83
2
各 授業 の 内容 ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 87
3
構 成上 の 留意 点 ・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 89
第7 章
知 覚的 認 知バ イア スを 統 制す る 道徳 授業 の内 容 開発 ・ ・・ ・・ ・・ 91
第1 節
授 業内 容 を構 成す る原 理 ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 91
1
授業 の 目的 ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 91
2
反道 徳 的な 知 覚的 認知 バイ ア ス ・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 92
3
授業 構 成上 の 留意 点 ・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 95
第2節
知覚 的 認知 バイ アス を 統制 す る道 徳授 業の 内 容 ・ ・ ・・ ・・ ・・ 97
1
認知 バ イア ス 「異 質性 (外 集 団) の 排斥 」を 扱っ た 道徳 授 業 ・ ・・ 97
2
認知 バ イア ス 「性 戦略 の男 女 差」 を 扱っ た道 徳授 業 ・・ ・ ・・ ・・ 101
3
認知 バ イア ス 「偏 った 採食 行 動」 を 扱っ た道 徳授 業 ・・ ・ ・・ ・・ 103
第3 節
第8 章
第1 節
意 義と 課 題 ・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 108
自 己利 得 的認 知バ イア ス を統 制 する 授業 の内 容 開発 ・ ・・ ・・ ・・ 111
授 業を 構 成す る論 理 ・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 111
1
自己 利 得的 認 知バ イア スを 統 制す る 知識 を習 得す る 目的 ・ ・・ ・・ 111
2
学 指導 要 領内 容項 目と の 関連 ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 113
第2 節
自 己利 得 的認 知バ イア ス を統 制 する 授業 ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 113
1
授業 内 容を 構 成す る原 理 ・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 114
2
授業 構 成上 の 留意 点 ・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 117
3
授業 の 内容 ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ 118
第3 節
意 義と 課 題・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ 126
終章 本 研 究に お ける 成果 と今 後 の課 題 ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 130
第 1節 本研 究 にお ける 成果 ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 130
1 道 徳的 行 動を 促す 原理 と して の 自動 性の 応用 ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 130
2 道 徳的 行 動を 促す 知識 の 提示 ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 130
3 道 徳的 行 動を 促す 知識 を 習得 す る授 業案 の提 示 ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 131
第 2節 今後 の 課題 ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・・ 132
序章
本研究の意義と構成
第1節
研究の目的
本研 究は 、中 学 校段 階 の 道 徳教 育 にお い て道 徳 性 に関 す る知 識 の習 得 を 図る こ とが 、
日常的な道徳的実践力の向上、つまり道徳的な行動の促進につながることを、社会心
理学や脳神経科学における人間行動の自動性研究及び進化生物学における人類の生物
的進 化研 究 の知 見 を基 盤に して 明 らか に する こと を目 的 とす る 。
現在の道徳教育は、価値観が多様化し変化の激しい社会の中で、思いやりを持って
共に生きていく道徳的実践力を養うものになっているとは言えないのが実態である。
たとえば、各学校現場で実施されている道徳授業のスタイルの多くは、読み物資料を
用い、物語中の登場人物の道徳的葛藤場面における心情の変容を把握させるとい う心
情面に重点を置くものであり、心情から実践化を促す働きかけがなされていない。ま
た、学年が上がるにつれて、児童生徒は読み物資料のねらいを察知し、教師が望むそ
れに 応じ た 答え を 述べ れば よい と いっ た 形式 的な 授業 も 見ら れ るよ うに なる 。
こうした実態では、道徳教育を受けた者が仮に電車やバスの中で座れないでいる高
齢者を見ても、座席を譲るべきかどうか迷うばかりで、肝心の必要な行動をとること
ができなかったり、さもなければ高齢者の存在は認識していても譲ろうという発想さ
え持 ち得 な かっ た り と いう 状況 を 生み 出 すこ とに なる だ ろう 。
道徳性は外に発揮されてこそ意味がある。つらそうな高齢者を見て、気の毒だとい
う道 徳的 心 情が い くら 湧い たと こ ろで 、そ れ だけ で終 わ って し まっ ては 何に も なら ず 、
また高齢者のつらい状態が頭では分かっていても、そのことに共感できなければ行動
に移すことはあり得ない。このような状況は、分かっていても道徳的な行動をとるこ
とができない、さらには分かっているのに他者を傷つけるといった反道徳的な行動を
とっ てし ま う今 日 的な 傾向 に も つ なが っ てい ると 言え る だろ う 。
もち ろん 、学 習 指導 要 領に おい て も「 道徳 の 時間 」が 特設 さ れた 昭 和 33 年 の改 訂以
来、道徳教育の目標の一つとして、多少の文言の違いはあっても一貫して道徳的実践
力の育成が掲げられており、今次指導要領にもその効果的な育成のために具体的に集
団宿泊活動やボランティア活動、自然体験活動、職場体験活動等の例を挙げ、道徳授
業の工夫を促している。しかし、実際の授業に中でどのように工夫すればよいか につ
いては各学校に委ねられており、なかなか効果的な取り組みができていないのが実情
であ る。
そこで本研究では、道徳的実践力の育成に向けて、道徳性に関する知識を題材とし
て取り上げる授業の意義と具体例を示していく。知識の習得を道徳教育の中で重点化
して いく 理 由は 次 の二 点で ある 。
第一に、近年における社会心理学、脳神経科学、進化生物学といった自然科学的な
分野を含む人間自身に関する研究の著しい進展が見られることである。これまで道徳
教育 の論 拠 とい う のは 、 古 代ギ リ シャ 時 代 以 来の 先人 の 道徳 思 想で あり 、 20 世紀 以降
1
進展 した 心 理学 的 研究 1 であ った 。 これ ら が指 し示 す 道 徳 的な 知 識と いう のは 言 葉と し
ての道徳原理である。これに対し、上述の科学分野は人間そのものを自然科学的に分
析するものであり、道徳性についてもその起源から意味、性質、課題まで浮き彫りに
している。これらの知見によると、人間の行動というのは、内在化された知識に 基づ
く非 意識 的 な傾 向 があ る 2 。つま り自 動性 が 見 られ る。 した がっ て 本 研究 にお け る 道 徳
的な知識というのは、道徳原理というよりも対人認知や対行動認知上の適切な記憶要
素であり、リソースということになる。これらの分野では大きな成果がありながら、
これまでこうした知見が道徳教育に具体的に応用されることはなかった。それを応用
した 道徳 授 業論 を 展開 する とい う こと で ある 。
第二に、人間行動の自動性を応用する形で、道徳性に関したメタ認知的な知識を習
得させることが有効であると考えられることである。特に中学校段階以上になると従
来のような心情を把握する授業では、心情を汲み取ること自体は平易なものになり、
そのこと自体に関心を示さなくなる。そこで、なぜそのような心情が湧き起るのかと
いった上述の知見を基にした授業を展開することによって、ある場面で起こる心情が
どのような由来で、どのような効果を持つものかというメタ認知的な知識を習得させ
る。その結果として、自動的にその場の負の感情を統制したり、また逆に正の感情に
基づ いた 行 動を 迅 速に と る こと が でき る よう にし たり し てい く とい うこ とで あ る。
以上のように本研究では、行動の自動性という人間の生得的な性質を 応用して、道
徳的な知識の習得を活用していこうとするものである。考察は社会心理学や脳神経科
学、進化生物学の知見を基盤にして展開するが、授業案ではそれらの知見や理論をそ
のま ま使 う ので は なく 、 身 近な 題 材を 用 い関 心を 高め ら れる よ うに する 。
第2節
先行研究と本研究の位置づけ
本研究が取り組む道徳教育に関する先行研究は、三つに分けられる。第一は道徳教
育に お ける 知 識習 得 に つい て の研 究 であ り 、 第二 は 道 徳 的 実 践 力 の 育 成 の た め の 道 徳 授
業 の 研 究 で あ る 。そ し て 第 三 は 上 述 自然 科学 的な 分野 の 知見 を 道徳 教育 に取 り 入れ る 意
義に つい て の研 究 であ る 。
まず 道徳 教 育に お いて 知識 習得 の 必要 性 の 意 義を 示し た 研究 に は次 のも のが あ る。
① 射 場 智 子 (1985). 知 識 の 獲 得 に お け る 道 徳 教 育 の 側 面
九州大学教育学部紀要
(教 育学 部 門) 31,11-19.
②上薗恒太郎
(2005). ヒ ト ゲ ノ ム 研 究 と 学 校 教 育 - 知 識 に 基 づ く 道 徳 上 の 判 断 を
育成 する た め に
道 徳教 育方 法 研究 10, 20-29.
③ 松 下 良 平 (1994). 道 徳 的 規 範 理 解 の 構 造 (1) - 心 情 主 義 的 道 徳 教 育 論 批 判 (Ⅰ )-
金沢 大学 教 育学 部 紀要 .教育科 学編
43, 221-237.
④ 松 下 良 平 (1994). 道 徳 的 規 範 理 解 の 構 造 (2) - 心 情 主 義 的 道 徳 教 育 論 批 判 (Ⅰ )-
2
金沢 大学 教 育学 部 紀要 .教育科 学編
43, 239-252.
⑤ 松 下 良 平 (1995). 知 行 不 一 致 現 象 の 原 因 と そ れ へ の 教 育 的 対 応 法 - 心 情 主 義 的
道徳 教育 論 批判 (Ⅱ )-
金 沢大 学 教育 学 部紀 要 .教育 科学 編
44, 227-246.
⑥ 松 下 良 平 (1995). 近 代 と い う 状 況 に 組 み 込 ま れ た 教 育 理 論 - 心 情 主 義 的 道 徳 教
育論 批判(Ⅲ)-
金沢 大学 教育 学 部紀 要 .教 育科 学編
44, 247-267.
⑦松 下良 平 (2002). 知る こと の 力- 心 情主 義の 道徳 教 育を 超 えて
勁草書 房
①の研究において射場は、デューイ及びピーターズの主張に即して、道徳教育にお
いて対象とされる知識は他の教授活動において対象とされる知識から分離されるもの
ではなく、各教科等の教授活動における知識の獲得そのものが、同時に道徳的性質を
心理的にもたらしうるものであることを示し、学習活動が子ども自身の興味や知的興
奮を 伴う も ので な けれ ばな らな い とし て いる 。
②の 上薗 の 研究 で は、2003 年に ヒ トゲ ノム 塩基 配列 解 読が 完 了し たこ と の 影 響は 人
間のあり方に及ぶことから、この分野の知識水準を高める必要があり、科学に関わる
教科 書に 倫 理に 関 する 記述 を 、ま た 道徳 、倫 理等 にお い て科 学 の記 述を 行う「 冗 長性 」
を取り入れるべきであると主張している。さらに上薗は、道徳教育において道徳学習
指導要領に示されている指導項目に準じた形式的な授業や読み物資料を用いた躾に終
始しがちな授業の殻を破るためにも、科学の成果を管理する学校教育が必要であると
して いる 。
③か ら⑦ の 松下 の 研究 で は 、道 徳原 理と は 、ある 一般 化 され た 行為 がも たら す 結果 、
帰結をどのように価値づけるかという相互主観的な一致の産物であり、それを知識と
して理解するということは、ある行為の結果について身にしみて実感するような共同
体における実践を重ねることによって、他者の背景にある物質的、観念的条件を自ら
のも のと 関 連づ け なが ら あ らた め て 構 成 する こと であ る 、と 主 張し てい る 3 。
これらの知識習得の意義に関する射場と松下の先行研究では、道徳性を育成してい
くための知識というのは、各教科で習得する知識そのものであり、道徳原理そのもの
であるという、いわば伝統的な見解についての再認識を行っているということが言え
るだろう。知識を増大させることが具体的な行為が求められる道徳判断を向上させる
ことは間違いないが、射場が本論でも指摘しているように、それには学習者の主体性
が重要なポイントになってくる。そのためには主体性を促す学習内容が求められるこ
とになるが、現状では受動的な知識習得の傾向が強いのではないだろうか。 知識なら
何で もよ い とい う わけ には いか な いだ ろ う。
また道徳原理とそれに関した行動についての知識を習得させることは、確かに重用
でありそのことを体験的に習得させようというロールプレイイングを取り入れたモラ
ルス キル ・ト レー ニ ン グ 4 とも共 通 する 部 分が ある だろ う。 この 有 効 性を 否定 す るも の
ではないが、それでも感情に流され衝動的な反道徳的行動をとってしまうことがなく
なることはない。ある行為の帰結として問題が起こるのは深く理解していても、なぜ
3
その よう に 振る 舞 って しま うの か 、と い った 部分 まで 知 識を 掘 り下 げる 必要 が ある 。
一方、上薗は科学的な知識を道徳や倫理の学習にも取り入れる必要性を指摘してい
る。科学の進歩が人間のあり方さえも変えてしまいかねない現代社会にあっては、そ
うした成果を上手に取り扱っていく教育が必要となるだろう。本研究はその延長であ
り、 さら な る深 化 を目 指す もの と 言え る 。
次に道徳的実践力の育成をテーマにした先行研究では次のものが挙げられる。
① 名 越 早 苗 ( 2006) . 道 徳 的 実 践 力 を 高 め , 道 徳 的 実 践 を 促 す 道 徳 教 育 の 展 開
による道徳に時間の指導の工夫を通して-
-対話
広島県立研究センター研究紀要
33.
121-140.
② 神 崎 英 紀 ( 2010) .「 生 き る 力 」 と 道 徳 教 育 - 道 徳 的 実 践 力 の 育 成 に 向 け て -
大学教育福祉学部研究紀要
大分
32(1), 119-127.
③ 矢 部 薫 ( 2010) . 道 徳 的 実 践 力 を 育 て る 道 徳 授 業 の あ り 方
教師養成研究紀要
4,
233-247
④ 神 崎 英 紀 ( 2011) . 道 徳 的 実 践 力 の 課 題
かりにして-
道徳と教育
- R.M.ヘ ア の 道 徳 的 思 考 の 二 層 理 論 を 手 が
329, 32-40.
⑤ 戸 田 浩 暢 ( 2013) . 生 徒 指 導 に 関 わ る 道 徳 教 育 の 在 り 方
を促す指導の工夫-
エリザベト音楽大学研究紀要
-対話により道徳的実践力
33, 15-27.
①の研究において名越は、道徳的実践力は、他者との対話を通して自分自身との対話を
深めていくことによって育成することができるとし、道徳授業の中で他者との対話を促進
していく話し合い活動を工夫しながら取り入れていく必要性を述べている。
②の神崎の研究では、まず文部科学省学習指導要領中の道徳教育及び道徳の時間の目標
の内容として、次のような問題点を指摘している。第一に道徳の時間の目標として記述さ
れている「道徳的価値の自覚」と「道徳的実践力」について、両者が並列なのか、あるい
は一方がもう一方を包含するのかといった関係が不明確であること。第二にこのうちの道
徳的実践力の定義が、道徳教育の目標概念としての道徳性と同じ内容であること。第三に
学習指導要領全体との関連で言えば道徳的実践力の育成こそが道徳の時間の目標であると
言えるにもかかわらず、学習指導要領における内容項目には道徳的実践力に対応する内容
は何も示されていないこと。そして、学習指導要領では「道徳的価値の自覚」についての
説明に終始するだけで、
「 道 徳 的 実 践 力 」に つ い て の 説 明 が 不 十 分 で あ り 、肝 心 の 道 徳 的 行
動を決定する行為者の視点を欠いている、としている。その上で道徳の時間において 道徳
的実践力を育成する方向として、道徳問題の特徴を理解することと、それに対する行為者
としての対応策を考え出すことができるようにしていくことの必要性を述べている。
また同じく④の神崎の研究では、前段で③ における学習指導要領の問題点を再度指摘し
た上で、道徳的実践力の育成を考える手がかりとしてヘアの道徳的思考の二層理論を取り
上げている。それによれば、道徳的思考は道徳問題に直面した際に、状況を把握し適切な
4
道徳規則を適用して解決を図る「直観的な道徳的思考」と、道徳的葛藤状況のような従来
の道徳規則では対処できない事態において、新しい原則を決定していく「批 判的な道徳的
思考」に区別できる。この分析に従えば、道徳的実践力を育成する授業として 一般性の程
度が高く、単純な形で定式化できる直観的な道徳規則を教えるものと、状況分析、選択肢
の案出、結果の予測と選択という局面から成り立つ批判的な道徳的思考の方法を教える道
徳教育が構想される。
③の矢部の研究では、現在の道徳授業の多くは、ねらいが曖昧で資料との関連が浅い上
に深く考察しなくても教師が望む答えが見つかる資料を扱っており、さらに展開について
も心情を読み取り、共感的理解を図ろうとするだけのものになっているため、道徳的実践
力が育成されていないとしている。これらを踏まえた上で、道徳的実践力を養う道徳授業
として、ねらいを明確にしてから、それと関連のある資料を選択し、子どもが考えやすく
する工夫をしながら他者と考えを積極的に出し合う授業を構想している。
⑤の戸田の研究では、生徒指導と道徳教育の密接な関係を確認した上で、道徳的実践力
を高めていく道徳の時間を展開するには、どのような形で生徒指導の機能を生かしていけ
ばよいかについて論究している。具体的には児童生徒が他者との対話の中で、新たな問い
に出会い、自己内対話を深める話し合い活動のあり方について、道徳の時間における一つ
の方向性を示している。
これらの研究の中で、まず注目すべきは神崎が指摘している学習指導要領における道徳
的実践力についての内容の曖昧さ、不十分さであろう。これにより現場での多くの道徳の
授業が心情の理解、把握で終わっているという現実というのは、そもそも学習指導要領が
道徳的価値の説明に終始しているからである、という構図が浮かび上がってくる。そこで
その構図の確認はともあれ、実際問題として道徳的実践力を育成 していく方法が求められ
てくるのである。道徳的実践力を育成する具体的な授業 方法として共通のものは、他者と
の対話や話し合い活動を推進する形式である。これらの活動が自己との対話を促し、新た
な道徳的原則を決定していくことになる。
ただしこれらの方法論について、その重要さは認めるものの目新しさはない。日本では
コールバーグの道徳性の認知発達理論に基づいたいわゆるジレンマ資料を用いた討論中心
の 道 徳 授 業 も 活 発 に 行 わ れ て お り 5 、ま た 通 常 の 道 徳 授 業 に お い て も 、ど の 教 師 で あ れ 児 童
生徒同士の意見交換をなるべく積極的に行う努力はしていると思われる。道徳的実践力の
育成の必要性は多くが認めながらも、その具 体的な方法については考えあぐねているのが
実態とも言えるだろう。
次に社会心理学や脳神経科学、進化生物学の自然科学的な知見を道徳教育に取り入
れる 意義 を 示し た 研究 には 次の も のが あ る。
①遠 藤
均 (2003). 脳科 学か ら 道徳 教 育を 考え る
②藤 川洋 子 (2009). 発達 障害 と 少年 非 行
道 徳と 教 育 316・317, 222-236.
障害 者問 題 研究
5
137, 39-45.
③ 菱 刈 晃 夫 (2008). セ ン ス ・ オ ブ ・ ワ ン ダ ー を 育 む 道 徳 教 育 に 向 け て - 道 徳 性 の 生 物
学的 基礎 づ けか ら -
④虫 明
⑤森
9, 14-36.
初等 教育 論 集
茂 (2008). 脳科 学と 道 徳教 育
道 徳と 教育
326, 121-131.
久 佳 (2001). 「無 意識 性 」の 視 点に よる デュ ー イ教 育 理論 の見 直し
教育 学論 集
27, 59-80
⑥ 森 岡 正 博 (2013).
道徳性の生物学的エンハンスメントはなぜ受け容 れがたいのか
-サ ヴァ ァ レス キ ュを 批判 する -
現 代生 命哲 学研 究
⑦永 野文 一 (2006). 進化 ・道 徳 ・教 育
⑧永 野文 一 (2008). 道徳 性の 発 達と 進 化
2, 102-113.
道 徳教 育学 論 集
道徳 教育 学 論集
13, 81-99.
14, 47-63.
⑨ 田 中 泉 吏 (2007). 道 徳 性 の 進 化 - 生 物 学 の 哲 学 の 観 点 か ら -
遺伝・別冊
20,
156-160.
①の遠藤の研究では、たとえば混雑する電車内で座席に寝転び場所を占有するとい
った他者のことを配慮しない若者の自己中心的な行動は、脳の機能の一部が低下する
ことによって発生し得る、という報告を取り上げ、自らの経験も踏まえながら、道徳
的な指導においても脳内の報酬系と罰系への刺激を適宜考えながら、行うべきである
と述 べて い る。
②の藤川の研究では近年の特異な少年犯罪について、広汎性発達障害を主とする発
達障害が鑑定や鑑別、診断されることが続いていることを受け、少年非行と発達障害
との関係について考察を行っている。近年の研究によれば児童期開始型の方が青年期
開始型よりも暴力的犯罪の頻度が有意に高いことが報告されている。また脳 神経科学
の爆 発的 進 歩に よ り「 社会 に迷 惑 を及 ぼ す脳 」「道 徳 とか 倫理 観 が 育ち にく い 脳 」と い
うテーマに関心をもつ脳神経科学者も出てきている。こうした傾向は差別や偏見を生
む危険性につながるものでもある。藤川は言語による精神療法や道徳教育によって神
経回路の変化や血流の改善を促したという報告を紹介し、生得的要因の指摘が人々を
不安に陥れることのないように配慮するべきであることと併せ、予防的な教育や犯罪
(少 年) に 対す る 処遇 は脳 の特 性 を考 慮 に入 れる べき で ある と して いる 。
③の菱刈の研究では、この研究において人間のモラル・センス(道徳感覚)は、生
物学的な自然の中に基礎をもつものであり、工学の基礎に物理学があるのと同様に倫
理学 の基 礎 に生 物 学が ある のは 当 然で あ る、 と指 摘し て いる 。 さら に生 物学 者 の E.O.
ウィルソンや脳神経科学者のガザニガの知見を示しながら、人間の道徳性は本能とし
て進化し、道徳的判断のほとんどは脳による自動操縦によってなされているとしてい
る。そして人間のモラリティの探求と教育は、人間による生物としての人間自然への
センス・オブ・ワンダー(神秘さや不思議さに目を見はる感性)によってはじめて覚
醒さ せら れ ると 述 べて いる 。
④の虫明の研究では、科学技術が高度に発達した現代においては、教員は科学技術
リテラシー、中でも近年進歩の著しい脳科学技術リテラシーを身につけることが不可
欠で あり 、 道徳 教 育 に 関し て興 味 深い 脳 科学 の知 見も 見 られ る が、 たと え ば 3 歳 児神
6
話のような疑似脳科学的情報も跋扈している現状からすると、それを無批判に取り入
れる ので は なく 、 慎重 な態 度で 接 する べ きで ある と述 べ てい る 。
⑤の森の研究ではデューイ自身は「無意識性」という表現を用いていないものの、
彼の教育理論では「無意識性」を重要視していると考え、その教育効果について分析
している。デューイは教育を「経験の改造ないし再構成する過程である」と定義して
いるが、人間は共同生活に参加することで「無意識的に」教育的、形成的な影響を受
ける。つまりこの場合の「無意識性」とは教育されることを意識せずに教育させる状
態のことである。またデューイは教育を附属的ないし偶然的なインフォーマル・エデ
ュケーションと意図的なフォーマル・エデュケーションの二つの形態に分けており、
学校においてはその「無意識性」を考慮して環境を統制するといった対応が必要であ
る、としている。ここで言う「無意識性」とは自然科学的視点に基づくもの、という
わけ では な いが 、 教育 的効 果と い う点 で は本 研究 と大 い に共 通 する 面が ある 。
⑥の森岡の研究ではサヴァレスキュらが唱えている道徳性の生物学的エンハンスメ
ント(moral bioenhancement)につ いて 批 判 的に 考察 を して い る。 道徳 性の 生 物学 的エ
ンハンスメントとは、人間の道徳性を高めていくには教育といった伝統的な手法だけ
によるのではなく、遺伝的、生物学的な手法によるエンハンスメント が必要であり、
具体的には今後の可能性も含め薬物治療や遺伝子操作、脳への磁気等による刺激によ
ってなされるべきであるとするものである。サヴァレスキュらは現代においては少人
数でも大量破壊兵器を手にすれば全世界を破滅させることもできる状況があることか
ら、道徳性の生物学的エンハンスメントの必要性を説いており、犯罪者などの個人に
適用される場合とある地域全住民に適用される場合があるとしている。森岡はこの主
張に対して、その適用を免れる者が出た場合、道徳性を増強された人々を不当に支配
する可能性がある、また道徳性を増強されることにより時には暴力に基づいた強制力
を発揮しなければならない警察や軍隊は任務が遂行できなくなる、さらにそうした
人々は道徳的に敏感になり、不幸な境遇にある人々に対して有効な働きかけができな
い場合、自分の力では限界があるにもかかわらず過度に自責の念にとらわれ苦しむこ
とになる、という点を挙げ、その現実性に強く疑問を投げかけている。森岡は義務教
育における道徳教育には生物学的エンハンスメントにはない人間精神の内部に道徳的
統合性の核心を持たせ、道徳的判断を自らの支配下によって下し、道徳的判断の当事
者の 生活 史 にお け る統 合性 を持 た せる と いう 面が あり 、 その 重 要性 を指 摘し て いる 。
⑦の永野の研究では進化の観点から人間をとらえた事実を学校では学び教えられる
ことがない現実から、そこからアプローチした場合、道徳教育についても変容を迫ら
れる可能性について論及している。さらに自らの遺伝子を残すことが生物の根本的な
生存の目的であるという利己性と定言命法としての純粋な道徳との矛盾を挙げながら
も、社会の構成者が徳ならぬ「得」を享受する利他行動を促していくには、人間の道
徳性の生得性と個人の遺伝的差異を考慮した道徳教育の必要性があることを唱えてい
る。
また⑧における永野の研究では進化生物学や脳神経科学の知見から、まず進化の事
7
実は人の力では変えることができないがゆえに、これ以外に道徳性の基盤を構築する
ものはないとしている。その上で感情について、ヒトが生き物として生きていくのに
進化的に適応した機構であるが、それは本来生命状態を監視して命を長らえさせるた
めのものであり、道徳性を構築するためにあるのではない。したがって、様々な状況
の処理のためにそれと関係する特定の感情や情動を「正しく」発動させ、集団を維持
するための技としての道徳性を発揮させるためには、それに至る回路を人為的に構築
してやらねばならない、と述べている。そしてさらにヒトの知性や道徳性によって維
持さ れる 共 同体 の 人数 は 150 人 程度 とみ ら れる こと か ら、 そ の人 数を はる か に凌 駕 す
る現在社会において、かつては進化的に適応的であったネポティズム (身内びいき)
やゼノフォービア(外国人嫌い)を克服し、いかに「道徳」を構築するかが道徳教育
の課 題で あ る、 と 指摘 して いる 。
⑨の田中の研究では、道徳性の進化について科学哲学の一分野である生物学の哲学
の観点から考察を行っている。自らの利得を犠牲にして他者の適応度を上げる利他行
動の進化の重要な要因の一つは、裏切りに対する罰行動(利他的罰)であるが、この
行動にはコストがかかるためフリーライダーの問題が生じてしまう。しかし言語によ
る「評判」が存在すれば、利己的個体にたとえば「村八分」といった低コストの罰が
与えられることになる。田中は直接道徳教育にまで踏み込んではいないが、この言語
による「評判」は教育的な要素も自ずと含むことになり、道徳教育に も大きな示唆を
与え るも の とな っ てい る。
これらの道徳教育に自然科学的な知見を取り入れた先行研究では、人間の道徳性が
生物学的な基盤を持つものであり、脳の機能として道徳性また反道徳性というものが
存在するものであるということを明確に指摘している。そして、こうしたことが明ら
かで ある 以 上、それ を 踏ま えた 何 らか の 社会 的な 対応 が 必要 と なる こと を訴 え てい る 。
その主要なものの一つが道徳教育である。具体的に道徳教育の分野でどのような知見
を取り入れるべきかという議論はまだ本格的には起こっていないが、現状から考えれ
ばその必要性は日に日に高まっていると言えるだろう。本研究は、以上の内容に関し
て、どのような知見を知識として取り入れてよいのかということを中心に論説を展開
していくが、これらの先行研究を道徳教育の分野で具体化していく先駆けとなるもの
であ る。
以上 の先 行 研究 に 対し て本 研究 に は、 次 のよ うな 意義 が ある 。
第一に、道徳教育に自然科学的な視点を取り入れ、学際的なアプローチを行ったこ
とである。道徳性に関する研究は自然科学各分野で進められており、多くの成果をあ
げている。たとえば人間の道徳性そのものには、互恵的利他行動を性質を獲得した個
体の方がそうでない個体よりも適応的である、つまり繁殖に有利である。また道徳的
高揚感を実感するとき、脳内には信頼のホルモンと言われるオキシトシンが分泌され
ているということが明らかになっている。こうした生物としての人間の生得的な性質
8
や機能は、育成すべき道徳性の妥当な指標となるものである。これまでの社会の中で
徳目として挙げてきた内容というのは、ある民族や国家の中で形成されてきたもので
ある。そのためどうしても恣意的な側面が生まれ、他民族や国家と相容れない面も見
られることになる。それが争いにつながることもしばしばであった。もちろん共通し
た普遍的な徳目も存在するが、自然や環境全体まで視点を引き上げれば、やはり人間
のと して の 恣意 性 が 露 わに なり 、環 境破 壊 と いっ た問 題 を引 き 起こ して いる 。そ こで 、
より普遍的な視点としての道徳性の内容を生物としての人間の生得性や機能に求める
のである。生物としての人間に民族や国家はなく、その位置づけは環境の中の一個の
生物にすぎない。自然環境の中においても人間社会の中においても偏りのない道徳性
の内 容が 挙 げら れ るこ とに なる 。
第二に、道徳教育における知識の扱いの新しい切り口を示したことである。これま
で道徳教育において知識といえば、それは道徳原理そのもののことであり徳目の内容
のことであった。そのため、こうした知識を習得させるということは内容を伴わない
言葉だけの道徳性の育成となり、また自らが主体的に内面化することのない規範の注
入となってしまった。本研究では、人間の行動は必ずしも意識的なものではなく、他
者の模倣や内在化された知識、また習慣によって自動化されている面がある、という
科学的知見を基盤に道徳教育のあり方を考察する。この知見からするとある対象や事
象に遭遇したときの行動は、それに対応する脳内に蓄積された知識によって決まって
くることになる。したがって本研究でいうところの知識とは、その場における状況や
行動を道徳性に基づいて認知していくリソースであり、道徳教育によって道徳性に基
づい た知 識 の貯 蔵 庫を 豊か にし て いく こ とに なる ので あ る。
第三に、本研究で示す道徳授業の取り組みやすさである。心情の変容を把握するス
タイルの道徳授業への批判として、これまでいくつかのタイプの授業が提案されてき
た 6 。だが これ らの 授 業 では 計画 や 準備 に 時間 がか かり 、日 常 の 中 で はな かな か 実施 が
容易ではない、また大がかりになってしまう分、実際の授業を進める難易度が増すと
いう難点があった。本研究において示す道徳授業では、上述したように道徳性に関連
した知識を習得するものなので、取り組みそのものは平易である。もちろん取り上げ
る知識の内容については関連する教科領域でも取り上げた方が効果的ではあるが、別
に統合的にプログラムを組まなければならないわけではない。授業そのものの取り組
みは 大が か りに す る必 要な く 7 、こ れま で とは 全く 異な っ たア プ ロー チの 道徳 授 業を 行
うこ とが で きる わ けで ある 。
第3節
1
研究方法と本論文の構成
研究の方法
本研究では、次の各学問分野の知見を基盤として考察を進める。まず、 人間の道徳
9
性 の 起 源 と 発 達 に つ い て は 、 進 化 生 物 学 8の 研 究 の 成 果 を 基 と す る 。 進 化 生 物 学 で は 、
人間を含む現在のすべての生物の形質的、生理的、さらに人間の場合の心理的な特性
というのは、これまでの地球の長い歩みにおける様々な環境の変化に適応してきた結
果であるとしている。このような進化生物学における道徳性の定義としては、自らの
適応 度を 犠 牲に し て他 者の 包括 的 な適 応 度を 上昇 させ る 行為 、 とい うこ とに な る。
また 人間 の 道徳 性 の 解 剖学 的な 機 能 に つ いて は、現在 で は fMRI( 機能 的磁 気 共鳴 画
像診断装置)等の機器の発達により非侵襲的に脳の活動を把握できるようになるなど
格段 の進 歩 を遂 げ てい る 脳 神経 科 学の 研 究成 果 を 基盤 と する 。
そしてその上で道徳的実践力の育成に道徳的な知識の習得が有効であることを論究
し、それに基づいた授業の開発を図っていくことについては、人間の社会的な行動に
つい て分 析 する 社 会心 理学 、中 でも Bargh を中 心と し た 人 間 行動 の非 意識 的 な自 動 性
研究 の成 果 に基 づ いて いく 。
2
本論文の構成
人間の自動性研究の成果に基づいた道徳授業を展開する本論文の構成は以下の通り
であ る。
第1部は、道徳的な実践力を高める、つまり道徳的な行動を促していくためには、
道徳教育において科学的知見に基づいた学際性が必要となることを明らかにし、本研
究の 論拠 で あり 原 理と なる 人間 行 動の 自 動性 研究 につ い て概 説 する 。
第 1 章 で は、 現在 学 校現 場で の 主流 に なっ てい る、 い わゆ る 心情 主義 道徳 教 育に つ
いて様々な批判を紹介しながら整理し、道徳的実践力に結びつかないという問題点を
指摘する。そして道徳的実践力を育成していくためには、人間の道徳性と行動につい
て学 際的 な 視点 を 持つ こと が必 要 であ る こと を論 究し て いく 。
第2章では、本研究における原理となる人間行動の自動性研究について概説し、そ
の上で、それを応用した知識を習得する道徳教育の必要性を論究していく。自動性研
究に つい て 概説 す るの は 、社 会心 理 学 、脳 神 経科 学 、進 化 生物 学の 各研 究分 野 であ る 。
これらの知見から、人間の行動というのが、自らの意志に基づいたものではない非意
識的な面がいかに大きいかということが明らかになる。そして人間行動の自動性を応
用する形で、道徳的な行動を促していくために必要となる「特性と目標に関連した知
識」 と「 メ タ認 知 のた めの 知識 」 の2 つ 知識 内容 を 提 示 する 。
第2部は、第2章で挙げた「特性と目標に関連した知識」を習得する4つの具体的
な授 業案 を 、教 科 でい えば 単元 に 当た る 題材 群と して 示 して い く。
第3 章で は 、
「 特 性と 目標 に関 連 した 知 識」を習 得す る 道徳 授 業の 具体 的な 目 的と し
て「道徳的ステレオタイプの形成」と「ポジティブ感情の形成と言語表象による客観
性の獲得」という2つを設定し、それに応じた題材群を示す。そして人間行動の自動
性を題材群の中でどのように応用していくかについて論究した上で、題材群の全体構
10
成を 提示 し てい く 。
第4 章で は 、「特 性 と 目標 に関 連 した 知 識」を習 得す る 道徳 授 業 の 題材 群の う ち 、第
3章 で挙 げ た「道 徳 的 ステ レオ タ イプ の 形成 」を目 的 とす る2 つ の 授業 案を 提 示す る。
道徳的ステレオタイプを形成する2つの授業の具体的なテーマは、今日的な状況を踏
まえ 、一 つ は「 顔 の美 醜」 であ り 、も う 一つ は「 高齢 者 」で あ る。
第5 章で は 、
「特 性 と 目標 に関 連 した 知 識」を習 得す る 道徳 授 業の 題材 群の う ち、
「ポ
ジティブ感情の形成と言語表象による客観性の獲得」を目的とする2つの授業案を提
示する。このうち一つは道徳的なポジティブ感情を形成するために、道徳的な判断、
行動が多くの人々の心を動かした歴史的な逸話を取り上げる。もう一つは道徳的な行
動が求められる場面において、その状況を端的に示し行動の契機となる 具体的な言語
表象、つまりあることわざをテーマにし、その内容に即したストーリーを資料とする
授業 であ る 。
第3部は、2つ知識内容のうちの「メタ認知のための知識」を習得する6つの具体
的な 授業 案 を題 材 群と して 示し て いく 。
第6 章で は 、
「メ タ 認 知の ため の 知識 」によ って 統制 し てい く 認知 バイ アス と して「 知
覚的認知バイアス」と「自己利得的認知バイアス」を挙げた上で、認知バイアスの提
示構成を含めた全体構成を示す。そしてこの題材群において人間行動の自動性をどの
よう に応 用 して い くか を論 究す る 。
第7 章で は 、「 メタ 認 知の ため の 知識 」を 習 得す る 道 徳 授業 の うち 、反道 徳的 な「知
覚的認知バイアス」を具体的に3点挙げた上で「知覚的認知バイアス」を統制する授
業案 をそ れ ぞれ に 対応 した 形で 3 つ提 示 する 。
第8 章で は 、「メ タ 認 知の ため の 知識 」を習 得す る道 徳 授業 の うち 、反 道 徳的 な 自己
利得的認知バイアスを具体的に4点挙げた上で、それらに対応するものとして「自己
利得 的認 知 バイ ア ス 」 を統 制す る 授業 案 を3 つ提 示す る 。
終章では、道徳教育における本研究の成果を確認した上で、課題となる部分を挙げ
る。
註
1
特に 日本 にお い ても 大き な影 響 を与 え たの は コ ール バ ーグ (Kohlberg,L.)を中 心 に研
究が 展開 さ れた 認 知的 発達 理論 で ある 。
2
バー ジ(2009)を 参照 。
3
松下 は一 般書 の 形と して も同 主 張を し てい る( 松下 ,2011)。
4
たと えば 林泰 成 (2008)。
5
たと えば 荒木 (1988)。
6
註2 で挙 げた も の以 外と して は 、 た と えば 押谷 由夫 に よる 他 の教 科、 領域 と も関 連
づけ た総 合 単元 的 な道 徳学 習、伊 藤啓 一に よ る道 徳的 価 値と 個 性的・主 体的 な 価値 表
11
現や 価値 判 断の 受 容を 組み 合わ せ た道 徳 授業 の統 合的 プ ログ ラ ムが 挙げ られ る 。
7
もち ろん 準備 す る資 料は 授業 ご とに 必 要な ので 、 何 の 準備 も なく すぐ に取 り 組め る
わけ では な い。
8
人間 の心 理を 進 化の 立場 から 研 究す る 分野 は 、 進化 心 理学 と して 進化 生物 学 の中 の
一つ の学 問 領域 を 形成 して いる 。ただ し 両 者 の区 別は 曖 昧な 点 があ り、ほぼ 同 義と し
て扱 われ こ とも 少 なく ない 。本 研究 で は道 徳 的な 心理 を 取り 上 げる とい うこ と では 進
化心 理学 を 中心 に して 考察 する こ とに な るが 、肉 体的 生理 的 な形 質 の進 化と い う面 に
も視 点を 当 てる こ とも ある ため 、よ り 幅広 い 領域 とし て 進化 生 物学 の知 見を 研 究の 基
盤の 一つ と する 。
<文献>
荒 木 紀 幸 (1988).『 道 徳 教 育 は こ う す れ ば お も し ろ い ― コ ー ル バ ー グ 理 論 と そ の 実 践 』北 大
路書房
バ ー ジ ,J.A. 及 川 昌 典 木 村 晴 北 村 英 哉 編 訳 (2009). 『 無 意 識 と 社 会 心 理 学 ― 高 次 心 理 過
程の自動性』
ナカニシヤ出版
林 泰 成 (2008). 『 小 学 校 道 徳 授 業 で 仲 間 づ く り ・ ク ラ ス づ く り モ ラ ル ス キ ル ト レ ー ニ ン
グプログラム』
明治図書
松 下 良 平 (2011). 『 道 徳 教 育 は ホ ン ト に 道 徳 的 か ? - 「 生 き づ ら さ 」 の 背 景 を 探 る 』 日 本
図書センター
12
第1部
知識習得を重点化する論拠
第1章
心情主義道徳教育の問題点
第1節
心情主義道徳教育の問題点と成立の経緯
現在全国の学校で行われている道徳教育は、読み物資料を使い資料中の登場人物の
心情を把握させることに主眼を置くいわゆる心情主義が中心となっている。この方針
は各学校、教員の自発的なものというより、文部科学省の指導の下に進められている
のが 実際 で ある 。 これ は次 のこ と から も 明ら かで ある 。
文 部 科 学 省 が 2011( 平 成
表1-1 『小学校道徳 読み物資料集』活用例の発問内容の分析 (筆者作成)
発 問 例
数
103
どんなこと
を 思 っ た
か、考えた
か
ど う し て( ど
どんな気持
のように考
ちだったか、
え て )し た の
気持ちでい
か 、思 っ た の
るか
か
23)年に 発 行 した 『 小 学 校道
徳 読 み物 資料 集』で は、小
その他
学校学年別の読み物資料を
29 編 、 同 じ く 2012( 平 成
43
55
0
5
42%
53%
0%
5%
24) 年 に 発 行 し た 『 中 学 校
道徳 読み物資料集』では、
読み 物資 料を 16 編掲 載し て
いるが、いずれもその後半
部分に各資料の活用例が示されている。その中での発問例の内容は表1-1及び表1
-2に示したとおりである。小学校、中学校とも一回の授業における 発問例の数は3
~4程度であるが、小学校では読み物資料中の主人公や登場人物が、ある場面におい
て「 どん な こと を思 っ たか 、考 え たか 」「ど んな 気持 ち(思 い)だ った か、気 持ち(思
い)で いる か 」を 問う もの が 95%と ほと ん どを 占め て いる 。これ に対 して 中 学校 で は、
同発 問 が 63%とな る 一方 、小学 校で は 見ら れな かっ た「 ど う して(ど の よう に考 え て)
した のか 、 思っ た のか 」と いう 発 問が 全 体 の 27%を占 め るよ う にな っ て い る。
この違いとしては中学校段階では、単に心情を問うだけでなく、行動や思考の理由
を具体的に考えさせる、という意図が見られる。しかし、発問として考えてみるなら
ば、資料中の具体的な事実
表1-2 『中学校道徳 読み物資料集』活用例の発問内容の分析 (筆者作成)
発問例
数
51
ど う し て( ど
どんなこと どんな気持
のように考
を思った ちだったか、
え て )し た の
か、考えた 気持ちでい
か 、思 っ た の
か
るか
か
を答えるだけでは、単なる
文章の読み取りになってし
まうので、結局は心情を把
その他
このように心情主義が中
51
24
8
14
47%
16%
27%
8%
13
握さ せる こ とに な る。
心となっている道徳授業で
あるが、学校現場の教員は
その効果を認め肯定してい
るとは言えない状況がある。
たと え ば 2003( 平 成 15)年 に文 部 科学 省 が実 施し た 「 道 徳 教育 推進 状況 調 査 」 で は、
「貴校において道徳の時間を『楽しい』あるいは『ためになる』と感じている児童生
徒 は ど の 程 度 い る と 思 い ま す か 」 と の 質 問 に 対 し 、 回 答 で は 「 楽 し い 」「 た め に な る 」
と感 じて い る児 童 生徒 の割 合を「 ほ ぼ全 員 」「 3分 の2 く らい 」と する 学校 は 、小学 校
低学 年 は 87.9%と 高 い も のの 次 第に 減 少し 、中 学校 1学 年 で は 49.8%、中 学校 3学 年
で は 39.7%ま で低 下 する 1 。ま た同 じ く 2012(平 成 24)年 の 道徳 教育 実施 状 況調 査 で
は、
「 貴校 にお い て、道徳 教育 を 実施 す る上 での 課題 と して ど のよ うな こと が 考え ら れ
ますか」の質問に対し、小中学校の合計で最も高かった回答は「指導の効果を把握す
る こ と が 困 難で あ る 」 で 46.8%で あり 、 次 い で 高 か っ たの は 「 効 果 的 な 指 導 方法 が 分
から ない 」 で 35.2%、さ らに そ の次 は 「適 切な 教材 の 入手 が 難し い」 で 31.3%であ っ
た。
確かに児童生徒の道徳性について授業の効果をすぐに見ることが難しいのは当然で
あろう。だが、結果的に小中学校9年間もの間、効果を把握できないまま終わってし
まっては道徳の授業を行う意味があるのだろうか、ということになる。また指導方法
が分からない、適切な教材が入手できない、に至っては現在の心情主義道徳教育の限
界を端的に示していると言える。では、この心情主義道徳教育成立の経緯はどのよう
なも のだ ろ うか 。
学 習 指 導 要 領 に お い て 道 徳 教 育 の 要 2 と 位 置 づ け ら れ て い る 「 道 徳 の 時 間 」 は 1958
(昭 和 33)年の 教 育 課程 の改 訂 にあ た って 特設 され た 。
「道 徳 の 時間 」のね ら いは 各教
科、領域 等に お ける 道 徳教 育と 密 接な 関 連を 保ち なが ら 、こ れを 補 充、深化 、統 合し 、
道徳的実践力の向上を図ることである。授業内容は当初は児童生徒の日常生活を直接
題材としていたが、期待したほどの成果が十分に挙げられていないとして、当時の文
部省 は 1964( 昭 和 39)年に『道 徳 の指 導資 料』を 小 学校・中 学校 の各 学年 別 に発 行 し、
さら に 翌 1965( 昭 和 40)年 には 都 道府 県教 育委 員会 及 び知 事 部局 に対 して「 道徳 の読
み物 資料 に つい て 」と いう 通知 文 を出 し た ( 住岡 ・高 橋 ・藤 村 ・藤 本 ,2009)。
この 通知 文 では 、「 道 徳の 指導 資 料 」で 推奨 され た指 導 法に お ける 中心 発問 は「 主人
公はこの時どのように感じたでしょう」という心情把握型のものであった。これによ
り、すでに「道徳の時間」特設時に刊行された『道徳指導書』において、主題名、主
題設定の理由、ねらい、また導入・展開・終末と区切った学習指導過程及び指導上の
留意点についての記述がなされたこととあわせ、児童生徒が読み物資料を読んで心情
を把握し、道徳的情操を陶冶するという現在まで主流となっている道徳授業のスタイ
ルが 確立 し たの で ある (柳沼,2004)。
第2節
心情主義道徳教育への批判
心情主義道徳教育に対して様々な批判があるが、経験を重視する立場からのものと
知性を重視する立場からのものとに大別される。以下、それぞれの主な論説を挙げて
14
みた い。
1
日常の経験や現実の生活問題を重視する立場から
この立場は、子どもが道徳的な判断力を身につけるには、読み物資料における主人
公や登場人物の心情を理解させるだけでは不十分であり、道徳的な判断が迫られたと
きに自己の経験と照合させて分析したり、問題を見出すことが不可欠である。また読
み物資料を使うにしても、その問題の具体的な解決を図ることが必要である、とする
もの であ る 。
藤 井 (1989)は 、 心 情 主 義 道 徳 教 育 の 根 底 に は 子 ど も は 、 可 塑 性 の あ る 未 熟 な 存 在 と
ういう意味ではなく、むしろその反対の意味で不完全な存在と見なす子ども観がある
としている。そのため教師が資料の内容に沿って、どのような心情を持つべきかを子
どもたちに強制することになる。そして子供たちに主人公の心情を立派だと思いこま
せて 感激 さ せれ ば 、道 徳的 実践 力 が育 成 され ると 考え て いる と する 。
このような授業は次の三点で問題があるとしている。第一に子どもが言葉で「感激
した 」とか 徳 目の 内容 を言 うこ と がで き れば 、
「経 験 」を適 切に 構 成 でき るよ う にな る 、
つまり的確な行動をとることができるようになるとみなしてしまう誤りを犯すことで
ある。第二に、資料中の登場人物の行動を生み出した判断を検討することがないため
に、子どもたち自身の判断力が高められないことである。第三に教師が思い込ませた
いと意図していることをいち早く察知して、思い込んだふりをすることが重要となる
ため、裏表のある態度や権威主義的なパーソナリティを身につけさせてしまうことで
ある 。
藤井によれば、道徳的心情を持つためには、心情を持つべき状況だとする判断が先
行しなければならず、妥当な判断をするためには自己の経験に照らし合わせて考える
ことが必要である。本来の判断力がある、というのは経験していることの中から問題
を見つけ出すことであり、状況を分析し最も適切な行動を決定することである。以上
のことから藤井は心情主義道徳教育では、道徳的判断力が身につかず、結果適切な行
動を とる こ とが で きな いと して い る。
ま た 柳 沼 (2005)は 、 問 題 解 決 型 の 道 徳 授 業 を 構 想 し 、 心 情 主 義 道 徳 教 育 を 三 点 に わ
たり批判している。それによると第一に、従来からの登場人物の心情を把握すること
に主眼が置かれた授業では、子供の心に道徳的心情を一時的に刷 り込むことはできて
も、それが実際の問題の解決に役立つことはない。第二に、こうした授業では道徳的
心情ばかり強調するため感情と思考、思考と行動が分断されたり、資料中 の場面が日
常の生活と乖離してしまう。第三に、従来の道徳授業では登場人物の行為の動機だけ
を問うため、子どもの日常とは乖離した白々しい言い訳やきれい事を述べて終わって
しまうことがある。その上で柳沼は道徳資料中の道徳的問題を、現実の問題として解
決に つい て 具体 的 に考 えさ せ、 そ の結 果 にも 注目 させ る 授業 方 法を 提唱 して い る。
15
2
知性を重視する立場から
この立場では、人間の行動は知性に基づくものであり、心情面に重点を置いた道徳
教育 では 道 徳的 実 践力 は育 成で き ない と する もの であ る 。
松 下 (1994)は 、 心 情 主 義 的 道 徳 教 育 は 知 と 行 為 の 二 元 論 や 知 ・ 情 ・ 意 の 三 分 法 に 依
拠し てお り 、判断 や知 識も 意欲 や 自覚 、「 や る気 」とい っ た心 的エ ネル ギー を 与え ら れ
ることによって行為に移るものである、という「ロケットモデル」が基本となってい
ると する 。そ のた め 心 情主 義的 道 徳教 育 では 、すべ き だと 分 か っ て いる のに で きな い、
あるいはしない、またしてはいけないと知っているのにやってしまう「知行不一致現
象」について、意志の弱さや意欲や自覚等の欠如にあると見なされ、道徳教育の中心
課題は、反道徳的な力に抗いそれを圧倒するエネルギーを意志や「こころ」に付与す
ることであるという考え方になっているとしている。結果、たとえば「たるんだ」精
神 に 「 活 を 入 れ 」 た り 、「 気 合 を 入 れ 」 た り 、「 や る 気 」 を 引 き 起 こ そ う と 安 易 な 鍛 錬
に走 った り する こ とに な り 、ある い は 、「 道 徳」授 業に お いて 誘惑 に打 ち克 ち 自ら の 意
志を貫き通した人の話を挙げ、その人の気持ちになるよう要求するといった指導にな
っ て い る と し て 、「 ロ ケ ッ ト モ デ ル 」 に 基 づ く 心 情 主 義 的 道 徳 教 育 で は 、「 知 行 不 一 致
現象」の克服は不可能であると主張している。松下はこの「ロケットモデル」の系譜
をカントからシュプランガ-、ロジャー・ストローンに見出し、いかにこの考え方が
思想的、理論的に根深いものであるかを指摘するとともに、道徳原理をその行為の結
果や周囲への影響をも含めたものとして、それぞれが独自のやり方で 「深く」理解す
るこ とに よ って は じめ て「 知行 不 一致 現 象」 の克 服が 達 成で き ると して いる 。
ま た吉 永(2006)は、 1958 年の 「道 徳の 時 間」 特設 と いう 政 策判 断は 基本 的 に正 し か
ったとしながらも、道徳特設の問題点の一つとして、具体的な生活体験と道徳授業の
分 離 の 傾 向 を 生 む 点 を 挙 げ て い る 。 そ の 結 果 、「 内 面 」「 心 」 を 、 理 解 ・ 判 断 な ど の 知
的営みと分離した実体として把握する心情主義を助長したとしている。そして、道徳
特設にあたり、領域としての固有の方法として知育ではなく「心」の育成であるとい
うこ とと し たた め 、心 情主 義に 陥 って し まっ たと 指摘 し てい る 。
さ らに 荒 木(2006)は 、「 道徳 の時 間」の 特 設に おい て は、当 時 の 文部 省が そ の独 自性
を強調することに力を注ぎ、道徳授業や指導法について十分な提案をしてこなかった
ため、道徳授業は大切にされてこなかったと主張している。そして、その流れの中で
道徳授業の指導法は、心情をどんどん高めてやれば、つまりいいことをしないではい
られないような気持ちにさせれば、それを行動に移せるという「道徳的心情」を重視
するものになっていったとしている。荒木は普遍的な道徳的原則を想定すると、重要
なことは自由な知性の育成であり、品性の育成にかかわる「よさ」の選択には自由な
知性が不可欠であり、そのためには心情的な内面化や深まりからだけでなく、道徳的
判断 の規 範 性と 普 遍性 にお ける 構 造的 統 合と 拡充 が必 要 であ る と指 摘し てい る 。
16
第3節
道徳教育の課題としての道徳的実践力の育成
前項では心情主義道徳教育に対する主だった批判を挙げた。批判の論拠を日常の経
験や現実の生活問題を重視する立場からのものと、知性を重視する立場からのものと
に大別したが、双方の立場とも心情に働きかけるだけでは実践化につながらない、と
している点では共通である。また知性を重視する立場からの主張においても、その知
的活動は、決して知識然としたものに基づくのではなく、学校集団としての、また地
域社会としての日常の生活に基づいたものである、としている。その点では道徳性は
人間社会の中から結晶化した高邁な道徳原理として措定されるものの、実際の人々の
息づ かい の 中で の「 生 きた 」行 動指 針と し て 内面 化さ れ ては じ めて 有効 なも の とな る、
ということに収斂されるだろう。つまりはいくら素晴らしい資料を用 い、人間として
重要な道徳的価値を扱う授業を展開したところで、その授業だけで終わってしまって
は意 味が な いと い うこ とで ある 。
ただし、読み物資料なりビデオ教材なり、あるストーリーの中での登場人物の心情
を推測し、理解するという作業そのものに全て意味がない、ということにはならない
だろ う 。ト マ セ ロ (2006)は 、言 語 を 学 び 使 用 す る と い う こ と は「 世 界 を 出 来 事 と 参 加 者( 物 )
に解析し、現行の共同注意場面と何らかのつながりがある、さまざまな視点から複雑な出
来事を見る」ことであると述べている。言語 によって他者の意図をはじめて明確に理解し
共有することができる。この事実を敷衍すれば、こうした間主観性は言語をさらに活用し
た人間の社会的行動を描いたストーリ-としての資料を用いることで一層鮮明になるだろ
う。間主観性の獲得という意味では、こうした心情理解の作業や方法は 、発達という点か
ら専ら初等教育段階で積極的に行われるのが妥当と言えるだろう。
このように見てみると、道徳教育においては道徳的実践力 、つまり道徳的な行動力をい
かに育成していくか、また同時に道徳的実践力に含まれることとして、いかに反道徳的な
行動を安易にとらないよう自制できるようにしていくか が重要な課題として挙げられるこ
とになる。心情主義道徳教育が道徳的実践力に結びつかない理由を 先の諸批判も参考にし
て考えると、より根本的には次の二点が挙げられるだろう。
第一に人間の道徳性を日常の生活から離れた崇高で所与性の高い、言うなら徳目のパッ
ケージのような存在として取り扱っているということである。人間が安定した社会生活を
送っていくには道徳性は不可欠である。道徳的な実践行動がなければ殺伐とした風潮とな
り、やがては人間社会は滅んでしまうだろう。それほどまでに道徳性というのは人間にと
って重要な性質である、というのは誰もが認めるところであ る。したがって日常の中にお
ける道徳的実践は誰もが必ず行うべきものである、ということにな っていく。だが、その
重要さだけが独り歩きすると、道徳性というのは普段の生活から遊離し、遠い場所から下
されたありがたい徳目のパッケージという感覚になってしまう だろう。確かに徳目そのも
のは重要なものであり崇高なものでもある。しかし、それが現実的なものとして受け止め
られることがなければ行動に結びつくことはない。
第二に人間の行動を単純にとらえすぎているということである。 人間の行動は個人とし
17
てこう思ったからその個人が思った通りにこう行動した、と言えるほど単純なものではな
い。道徳的な心情を豊かにすれば道徳的実践につながるだろうというのが心情主義道徳教
育の考えだが、道徳授業で取り扱った心情がそのまま行動にあらわれるわけではない。人
間の行動はその時点、その場のコンテクストで決まってく るのであり、その場の状況で生
まれた感情が行動の駆動力となる。ということはその場のコンテクストをどう解釈するか
によって生まれる感情も変わってくるであろうし、ある解釈 によってどのような感情が生
まれるかということもその当人の生活経験や学習内容によって変わってくる のである。さ
らに言えば、実は厳密にはある感情が生まれて、その結果としてある行動がとられるわけ
でもない。詳細は後述するが感情はあくまでも行動のための「装置」であり、松下の言葉
を借りれば「ロケット」のようなものである。このように人間の行動はかなり複雑なもの
であり、道徳的な良い心情を学んだからといってそれがそのまま行動に直結するわけでは
ないのである。ただし、そうした心情を学ぶことが無駄であるというわけではない。上述
したように発達段階に応じてそのことを取り上げていく必要はあるだろう。
以上のように現在まで長く道徳教育の主流となってきた心情主義の手法に は道徳的実践
力育成に限界があるということが明らかになった。とすれば、これまでとは異なる道徳的
実践力の育成のための根源的なアプローチを見出していかなければならない。 そしてその
ためには、人間の道徳性と行動への学際的な視点が必要となってくる。次にそれらの視点
について示していきたい。
第4節
道徳的実践力育成のための学際的視点の必要性
道徳的実践力の育成のための根源的なアプローチを見出していくためには人間の道
徳性と行動について、様々な角度からの視点が必要とある。そのためにまず着眼すべ
き人 間の フ ェー ズ を以 下挙 げて み たい 。
1
着眼すべきフェーズ
道徳的実践力を育成する上で、道徳性の意味を考えるときに着眼すべきフェーズと
して 次の 三 点が 挙 げら れる 。
第一に、その生得性である。道徳性が外から与えられるのではなく生得的なもので
あるということを重視することによって道徳教育の実効的な方法もそちらへ焦点化さ
れや すく な るか ら であ る。
先にも述べたように現在の道徳教育では道徳性を人間の外部に存在する所与性の高
いも のと し て取 り 扱っ てき た。児童 生 徒に は 道徳 性と い うも の がな いか ら教 え るの だ 、
というスタンスである。これは、道徳教育に限らず近代教育全般が、ジョン・ロック
以来のブラ・ラサ(白紙)あるいはブランク・スレート(空白の石版)の状態で人間
は生まれてくるという経験論的な考えを基盤にしているところから成り立っている。
18
したがって、教育というのは、それによって知識、技能を習得させ理性を持った一人
前の 人間 に して い く 作 業で ある と いう こ とに なる 。こ れを ワ ト ソ ン (Watson,J.B.)流 に 言
えば、誰であろうが教育によってどのような分野の専門家も生み出し得ることになる。こ
れは道徳教育においても同じで、道徳的な価値を学校で教師が教え 、白紙に道徳的価値を
描くのである。もちろん単に一方的に価値を押しつけるということがないように配慮がな
されているのは言うまでもない。ただし基本は同じである。
だが、人間は決してタブラ・ラサではなく、 生まれたときからすでにある程度の能力を
持っていることが分かっている。たとえば認知能力において、新生児は人間を含めた動物
が威嚇するときに発する低い声で呼びかけたときより、融和を示す高い声で語りかけられ
た 方 が ほ ほ 笑 む 頻 度 が 高 く な る (小 林 ,2010)。 ま た 生 後 数 か 月 の 段 階 で 、 人 が 物 体 と 違 っ
て 自 ら の 意 思 3 で 動 く 存 在 と 認 識 し て い る (Legerstee,1991)。そ し て 認 知 面 だ け で な く「 ほ
かの泣いている声を聞くと 6 か月齢の乳児は単に泣くだけだが、1 歳半の幼児では、自分
は 泣 か ず に 泣 い て い る 子 を 慰 め よ う と す る (プ レ マ ッ ク &プ レ マ ッ ク ,2005)」、 と い う よ う
に道徳性に関わる共感行動も早い時期から見られる。人間は決して何の能力も持たない白
紙の状態で生まれてくるわけではないのである。社会生物学の分野を切り開いた ウィルソ
ンはラムズデンとともに「純粋な文化的伝達を伴う白紙状態の精神など、いかなる知的生
物 に お い て も ほ と ん ど 進 化 し え な い 」 と ま で 述 べ て い る (ラ ム ズ デ ン & ウ ィ ル ソ ン ,1985)。
このように人間は既に生まれて間もない時から様々な能力を身につけている。道徳性もそ
の一つなのである。
第二に、犯罪や問題行動、異常行動といった反道徳性と脳機能との関連である。こ
の関連を見ることによって、脳機能に応じた反道徳性を統制し、道徳性を育成する教
育の 方法 の 開発 に つな がる こと が 期待 さ れる から であ る 。
近年、特に青少年犯罪と広汎性発達障害との関連が指摘されている。また脳の一部
の部位が損傷したことによる問題行動や異常行動の症例も多数報告されている。 たと
え ば 藤 川 (2002)は 、 わ い せ つ 行 為 や 傷 害 事 件 と い っ た 少 年 犯 罪 の 中 で 、 犯 人 で あ る 少
年 が ア ス ペ ル ガ ー 症 候 群 ( 障 が い ) 4 、 ADHD( 注 意 欠 陥 ・ 多 動 性 障 が い )、 解 離 性 人
格性障がい、自己愛性人格障がい等の診断を受けた事例を具体的に報告している。そ
れらを見てみると、これらの少年たちは診断された症状の通りであるにしても、いず
れも犯罪の内容は事実として冷静に理解しているが、それが悪いことであるという価
値認識が十分にはできていないというところに共通点があるようだ。中には別れ話を
持ちかけられた交際相手に対してストーカー行為を執拗に行ったあげく暴行を加えた
り、さらに別なケースでは部外者を巻き込み死に至らしめたりしたものもあるが、犯
人の少年たちはむしろその行為に対して正当性があるかのような認識も 見せている。
これらの少年たちは言語能力に差はあるものの通常のコミュニケーションとるには問
題なく、また多くは学校をはじめとした日常の生活上のルーティンは概ね無難にこな
して いる 。し た がっ て 普段 の生 活 の中 で 事件 を起 こす よ うな 面 を 見 るこ とは で きな い 。
また 、か つて は 社交 性 がな く他 者 とう ま くコ ミュ ニケ ー ショ ン が図 れな い子 ど もは 、
親の養育方法や態度が悪いのが原因であると言わることが多かった。そのため、そう
19
した子どもの親たちは非難の対象にもなっていた。しかし、その後自閉症という精神
的障がいが確認され、それは脳の器質的な障がいが原因であって決して養育に問題が
あったわけではない、ということが明らかになる。親たちの養育に対する非難は的外
れだったわけである。これにより、自閉症の子どもへの接し方もその症状の実態が理
解さ れ、 適 切な も のと する こと が きた 。
現在はこうした広汎性発達障がいに対して特別支援教育の分野が確立し、専門的な
領域を形成している。明らかな症状が見られる児童生徒に対してはそれに応じた教育
体制が整っているわけである。しかし、先の例や近年の社会情勢を見てみれば、表面
的には目立たないものの、潜在的にその傾向を持っている児童生徒は決して少なくな
いと 言え る 5 。し た がっ て予 防的 な 教育 と して 発達 障が い に対 応 する 道徳 教育 の 内容 も
取り入れていく必要があるだろう。実際、生育環境や周囲からの働きかけによって脳
の各 部位 の 発達 に も偏 りが 見ら れ るこ と もあ る。
以上挙げた道徳性の生得性や、道徳性、反道徳性と脳機能との関連には、これまで
の道徳教育において考慮されることはなかった。しかし生得的であるならば道徳的心
情や道徳原理を教えるということよりも、本来的に内在しているものいかに引き出す
かという意図の教育内容が求められるであろうし、脳の機能を考慮するのであれば児
童生徒の発達状態とも考え合わせ、生活年齢や個の発達差に応じた教材の見直しや開
発が 考え ら れる で あろ う。
第三に、意識と行動との乖離である。人間の行動の現実を見た場合、意識と行動が
乖離 して い る場 合 が多 いの が実 際 だか ら であ る。
先に心情主義道徳教育が道徳的実践力に結びつかない理由の一つとして、人間の行
動を単純にとらえすぎていることであるということを挙げたが、これは端的には上述
した知行不一致そのこと自体である。やってはいけないと分かっているのにやってし
まう、やらなければいけないと分かっているのにやることができない、 というのは人
間の 性質 と して の 日常 的な 感覚 で ある と も言 える だろ う 。
たとえば戦争中に起こる大規模な残虐行為は、戦闘中ではあるばかりか非戦闘員に
対しても往々にして行われるものであり、ある民族の殲滅を狙うような虐殺も歴史上
珍しくはない。当然多くの人はこうした行為に対して肯定しないであろう。だが組織
的にも個人的にも行われてきたのは事実である。また、このような非道なことではな
くても、集団でいた場合、たとえばある色を見せられてば明らかに白であっても当人
以外 の全 て の人 が 黒と 言え ば疑 問 に思 い なが らも 黒と 言 って し まう もの であ る 6 。こ の
ように人間は個体として十分な認知能力を持ち、それに基づいた因果関係を認識し、
判断力も持ち合わせていながら、実際の行動は周囲に同調する傾向が強い。それゆえ
先のような残虐行為も内心では否定していたり、拒絶感があったとしても結果として
それを認め、加担してしまうということもあるのである。またそうした同調を求める
動きがなくなったとしても、個人では行動を決められず行動決定の自由があってもそ
れ か ら む し ろ 逃 走 し て し ま う 傾 向 が あ る こ と は フ ロ ム (1965) が 指 摘 し て い る 通 りで
ある 。
20
このように人間の行動はある行動に対する良い悪いという意識は持っていても、た
とえば周囲への同調によっていくらでもかわるものなのである。さらに詳細は後述す
るが、意識と行動の内容が一致しているように思えても実はその意識は「見せかけ」
とい うこ と も あ り 得る の で ある 。
2
道徳教育における学際的視点の必要性
以上見てきた道徳性の生得性、反道徳性と脳機能との関連、意識と行動との乖離と
いった人間の道徳性についての着目すべきフェーズは、これまでの道徳教育では取り
上げてこなかった分野である。これらの分野について分析し考察を行っていくには、
それに応じた学際的な視点が必要となる。まず道徳性の生得性や人間の行動の意識と
の乖離については、なぜそのようになったのかという要因を解明することが重要であ
る 。当 然 人間 の姿 、性 質と いう の が太 古 の昔 から 現在 と 同じ だ った とい うこ と はな く 、
多くの変遷があって現在に至っているのである。現在の姿や性質だけを取り上げても
部分 しか 分 から な い。 現在 の要 因 を根 本 的に 探る には 進 化的 な 視点 が必 要と な る。
また道徳性、反道徳性と脳機能との関連を見ていくには脳神経学的な視点が必要と
なり、人間の社会的な行動特性を見ていくには社会心理学的な視点、さらに 人間の進
化的な面といっても過去の人類を呼び戻すことはできないため、多少なりともあるで
あろう類似性を参考にするという点で、近年まで他集団と接触することなく石器時代
のま まの 伝 統的 な 生活 を維 持し て きた 原 初的 社会 集団 も 見て い くこ とも 求め ら れる 。
これらを総合すれば人間の道徳性を深く理解し、実効性のある道徳的実践力を身に
つけさせる教育内容を開発していくには、進化生物学、脳神経科学、社会心理学、さ
らには文化人類学も含めたこれらの知見を基にして考察していく学際性が必要である、
とい うこ と にな る ので ある 。
<註>
1
た だ し、こ の数 字も 底上 げさ れ た可 能 性も ある 。学校 現 場で のこ うし た調 査 とい う の
は管 理職 の 監督 の もと に実 施さ れ 、一 般 教員 は管 理職 や 管理 行 政機 関で ある 教 育委
員会 の顔 色 を窺 い なが ら記 入す る のが 普 通で ある から で ある 。
2
「要 」とい う 文言 は 2008 年に 改 正さ れた 小中 学校 学 習指 導 要領 総則 には じ めて 盛 り
込ま れた 。
3
本 研 究に おい て は、一般 に人 間 が自 ら 様々 な思 考や 判 断を 行 い 、行動 を統 率 する と 位
置づけられている自覚的な意識については引用以外は「意思」という術語を用いる。
4
米精 神医 学会 が 定め た精 神医 学 の世 界 的な 診断 基準「 DSM」が 改訂 され 、2014 年 か
ら自 閉症 や アス ペ ルガ ー症 候群 ( 障害 ) など を包 括的 に 「自 閉 症ス ペク トラ ム 障害
21
(ASD)」と新 た に定 義さ れる こ とに な って いる 。し た がっ て アス ペル ガー 症 候群( 障
害) とい う 診断 名 は消 える こと に なる 。
5
文部 科学 省が 平 成 24 年 に実 施し た「通 常 の学 級に 在 籍す る 発達 障害 の可 能 性の あ る
特別 な教 育 的支 援 を必 要と する 児 童生 徒 に関 する 調査 」 の結 果 では 、 約 6.5 パ ーセ
ント 程度 の 割合 で 通常 の学 級に 在 籍し て いる 可能 性が 示 され て いる 。
6
これ につ いて は Asch が 1951 年 に行 っ た 線分 の長 さ につ い て回 答す る古 典 的な 実 験
が有 名で あ る( アロ ン ソン ,1994)。そ れに よ ると いく つ か示 さ れた 線分 の長 さ につ い
て 、事 実と 異 なる 回 答 をグ ルー プ の被 験 者以 外の「 サク ラ 」が行 う と 、間 違っ て いる
と思 いな が らも 同 調し てし まう ケ ース が 多い 。
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育実 践研 究
問題解決型の道徳授業の理論と実践 岐阜大学共育学部研究報告 教
7, 245-254.
柳 沼 良 太 (2004). 道 徳 教 育 に お け る 問 題 解 決 能 力 の 育 成
岐阜大学教育学部教育・心
理学 研究 紀 要 16, 73-82.
吉永 潤 (2006). 「道 徳 」特 設の 英 断と 徳目 主 義・心情 主 義
23
現代 教 育科 学 592, 44-46.
第2章
人間行動の自動性と道徳教育における本研究のアプローチの位置づけ
第1節
人間行動の自動性
本研究は学際的視点によって道徳的実践力を育成する、つまり道徳的行動を促す実
効的な道徳教育の内容を開発していくものであるが、そのための核となるものは人間
行動の自動性である。これは、近年の科学諸分野の自動性研究の進展に基づくもので
ある。人間の行動というのは当人が思っている以上に非意識的な自動性による部分が
大きい、ということが近年の社会心理学や脳神経科学、また進化生物学といった知見
から明らかになってきている。これには当然道徳的あるいは反道徳的な人間の行動も
含まれる。従来の道徳教育は、道徳的な心情を理解させることにより、意識的に道徳
的行動を導こうとしてきたと言える。これに対して本研究においては、意識的なアプ
ロ ー チ で は な く 、 人 間 行 動 の 自 動 性 を 応 用 す る と い う 非 意 識 的 1な ア プ ロ ー チ に よ っ て
道徳的な行動を促していくものである。知識は自動的な道徳的行動を促していく手段
として応用できるよう習得していく。本節では、以下人間行動の自動性について概説
していきたい。
1
人間の意識と行動
(1)意 識 の 定 義
本研究において考察の枠組みとなるのは人間行動の自動性であるが、まずはその前
提となる人間の意識とはどのようなものと して定義できるかを確認した上で行動との
関連を見てみたい。
苧 坂 (2002)に よ れ ば 意 識 は 、 覚 醒 、 ア ウ ェ ア ネ ス と リ カ ー シ ブ な 意 識 の 三 階 層 に 分
かれるとしている。覚醒は生物的な意識ということで、つまりは「起きている」とい
う自覚である。アウェネスとは知覚的、運動的な中間意識ということで、何らかの情
報や刺激を認知し、それを基に行動をコントロールしたり言語的に解釈、説明できる
ことである。リカーシブな意識とは、再帰的情報処理を行 うことによって言語能力を
使いながら自己モニタとしての心の働きがあらわれるものである。これをまとめてみ
ると、人間の意識的な行動とは、覚醒している時に、ある目標を持って具体的な行動
を意図し、結果として身体を駆動させ、その動きや動きに伴う周囲の環境の変化をモ
ニターしながら、意図通りに目標を達成するということになる。つまりは人間の行動
というのは、そうしようと思うから行動するということであり、そのことは極めて一
般的な常識ということになる。
(2)人 間 行 動 に 見 ら れ る 自 動 性
24
だがこの常識は社会心理学や認知心理学、脳科学 の研究の進展によって大きく揺ら
い で い る 。た と え ば 、ど の よ う な 行 動 で あ れ 脳 波 を 測 定 し て み る と 行 動 を 開 始 す る 800
ミ リ 秒 ほ ど 前 、 意 識 を 持 つ 200 ミ リ 秒 ほ ど 前 か ら 脳 内 に 電 位 が 生 じ る こ と が 明 ら か に
な っ て い る (リ ベ ッ ト ,2005)。 つ ま り 脳 内 で は 行 動 し よ う と い う 意 識 よ り 先 に 準 備 が 開
始 さ れ て い る の で あ る 。ま た Wegner(2003)は 思 考 か ら 行 為 に つ な が る 経 路 は 見 せ か け
であり、実際の因果経路は意識に上がる前のプロセスで意識化されず、行動に関する
情報がタイミングよく意識化されるので、人間は自分の意思で行動を起こしているよ
う に 錯 覚 し て い る 、 と い う 「 見 せ か け の 心 的 因 果 (apparent mental causation)理 論 」
を主張している。実際、競技なり演奏なり、何かしら人前で注目を集める行為をする
ときに、意識してしまうと失敗したり、上がってしまってうまくいかないという経験
は誰にでもあるだろう。国を代表するアスリートも競技中には意識せずに競技そのも
の に 集 中 す る 、と い っ た コ メ ン ト は よ く 耳 に す る 。つ ま り 意 識 は な く と も 体 は 動 く し 、
むしろ邪魔だということにもなる。もちろん競技中に気を失っているというわけでは
ないが、先に示したような意識は明らかに持っていない。我々の日常の体験でも自動
車を運転している時は、そのことを意識せずに行っているのが普通であろう。さらに
会話にしてもあらたまった場でなければ、意識せず言葉が出てくるものである。だか
らこそ、中央や地方の政府関係者といった要職にある者からも失言が度々出てくるの
であろう。
つまり、誰もが意識を集中させて普段のルーティン的な生活を送っているわけでは
ない。リカーシブな意識をもって行動しているつもりでも、実は非意識的に行動して
い る の が 実 際 な の で あ る 2。
2
人間行動の自動性研究
人間が非意識的に行動しているといっても、通常は誰でも滞りなく社会生活を送っ
ている。つまり社会生活に適合した自動性によって行動しているということになる。
この人間行動の自動性に関しては、これまで各方面で研究されてきた。主な研究内容
を次に挙げる。
(1)社 会 心 理 学 分 野 に お け る 研 究
人間行動の自動性研究については、まず認知心理学分野において、人間の情報処理
が 制 御 さ れ た 過 程 ( controlled process) と 自 動 化 さ れ た 過 程 (automatic process)に 2
分 さ れ る と い う 主 張 (Shiffrin & Schneider,1977)に よ っ て 、あ る 条 件 下 で は 人 間 の 行 動
が自動的な情報処理の過程の影響下にあることが確かめられたことに始まる。一方、
社 会 心 理 学 分 野 に お い て は 1980 年 代 の「 認 知 革 命 」の 影 響 を 受 け て 、対 人 的 な 記 憶 や
自 己 に つ い て の 知 識 を 関 心 の 中 心 に 据 え た 社 会 的 認 知 研 究 が 登 場 し 、そ の 後 90 年 代 に
25
は対人的領域での心の働きの中心をなしている感情についての研究が進展した。そし
てさらに近年では「進化心理学」の誕生によって人間の欲求が 進化の視点から整合的
にとらえられ、人間の社会生活や人間関係の方向性を説明するアプローチもさ かんに
導 入 さ れ る よ う に な っ て い る (北 村 ・ 大 坪 ,2012)。 こ う し た 流 れ の 中 で 現 在 で は 人 間 行
動の自動性研究は、社会心理学においてもっとも活発に進展している。以下、 社会心
理学分野における主な研究内容を挙げてみたい。
Bargh(1994)は 、人 間 の 自 動 性 に つ い て 次 の よ う に 定 義 し て い る 。そ れ に よ る と 無 自
覚性・無意図性・過程の効率性・統御不能性の 4 つの基準を設定し、そのうち 1 つで
も満たしていれば、その過程は自動性とみなすとしている。 無自覚性・無意図性とは
特に意図せず、自覚もせず行動を起こすこと であり、このことはごく普通の日常の光
景といえるだろう。過程の効率性とは、非意識的で自動的な行動の方がよほど意識的
なものより効率的であるということで、 先のアスリートの場合のようにいちいち意識
して行動していたのでは競技にならないであろう。 また日常生活の中でもたとえば自
動車の運転では慣れてくれば運転の手順や操作は意識せずに行っているものであ る。
統御不能性とは、自分の意思では自分の行動を統御できないことであり、実際 何か行
動を始め夢中になってくると意識的にそれをやめようと思ってもやめられないことは
誰でも思い当たることである。このようにあらためて見てみると、自動性は日常の行
動のかなりの部分を占めているといえるだろう。
ダ イ ク ス テ ル ハ ウ ス ほ か (2009) に よ れ ば 人 間 の 行 動 の 自 動 性 に つ い て は 、3 つ の ル
ー ト が あ る と い う 。模 倣 ル ー ト 、特 性 ル ー ト 、そ し て 目 標 ル ー ト で あ る 。第 一 の 模 倣
ルートは、他者を無意識に模倣するということである。霊長類、類人猿、人類には脳
内前頭皮質に他者の行動を見て活性化するミラーニューロンと呼ばれる部位があり、
人類の場合はそれが特に発達しており、そのため 他者がとったある行動を再現するこ
とに優れている。またこうした能力以外の面 でもたとえば、集団における行動におい
ても他者の行動を模倣する傾向が指摘されている。つまり人間は他者がやっていれば
意識せずに自分も同じことをするのである。第二の特性ルートは、プライミングによ
っ て そ の プ ラ イ ム (先 行 刺 激 )の ス テ レ オ タ イ プ の 特 性 が 活 性 化 さ れ 、そ れ に 基 づ い た 行
動をとることである。行動の基盤となるのはそのプライムについての知識やイメージ
である。プライムはあくまでもきっかけであり、それによって活性化される知識によ
っ て 行 動 は 決 定 さ れ る こ と に な る 3。 そ し て 第 三 の 目 標 ル ー ト は 、 目 標 が 宣 言 的 で 明 確
な場合と習慣的な場合とがある。目標が明確な場合とは、たとえば仕事中における具
体的な行動や作業はその仕事を遂行するためのものである。 これは、通常意識的な判
断の下に意図的に目標が設定されていく 状態とそうでない状態とがある。後者では、
プライムによって非意識的、自動的に目標が生起し、それに沿った行動がとられるよ
う に な る (北 村 ・ 大 坪 ,2012)。 習 慣 的 な 場 合 と は 、 た と え ば 朝 目 覚 め て 自 然 と 玄 関 に 向
かうのは、1 日のはじめに新聞をまず読むことが日課になっているということになる。
ハ イ ト (2011)は 、自 動 的 な プ ロ セ ス と 意 識 的 な( 制 御 さ れ た )プ ロ セ ス と の 関 係 を 象
と像使いに譬えて考察している。自分の意識などというのは大きな象の背中に乗った
26
象使いのようなもので、いくら意識が手綱を握って命令しようと思ったところで、そ
の指示が通るのは象が自分自身の欲望を持たない時だけであり、象が本当に何かした
いと思ったらかなうものではない、というメタファーを用いて人間の行動を説明して
いる。そして有能な象使いというのは、象の意思に直接さからうことなく象の注意を
そらしてなだめる方法を知っているとした。
ス タ ノ ヴ ィ ッ チ (2008)は 人 間 の 意 識 で は コ ン ト ロ ー ル で き な い 自 律 的 シ ス テ ム セ ッ
ト を TASS(The Autonomous Set of Systems)と 呼 び 、 人 間 の 行 動 は TASS と 意 識 的 な
システムである分析的システムとの二重過程によって決まるとした。彼はたとえば運
転 中 に カ ッ と し て 乱 暴 で 危 険 な 行 為 に 走 る 事 件 や 事 故( ロ ー ド・レ イ ジ )の 例 を 挙 げ 、
分析システムで判断すればよくない行動と分かっているにもかかわらず、実際には
TASS に よ っ て 不 埒 な 行 動 を と っ て し ま う メ カ ニ ズ ム を 説 明 し て い る 。
これらを総合してみると、人間の行動には明らかに意識的な面と非意識的な面とが
あり、しかも非意識的な面は非意識的な面における自覚的な自己意識であるところの
意思によってコントロールされるものではないということが分かる。
本 研 究 で は Bargh の 定 義 と ダ イ ク ス テ ル ハ ウ ス ら の 自 動 性 の 3 つ の ル ー ト を 基 本 的
な枠組みとして考察を進めていく。
(2)脳 神 経 科 学 分 野 に お け る 研 究
脳神経科学の分野では、脳の部位の一部に損傷を受けた患者の臨床例から、人間の
意識が必ずしも合理的なものではなく、本人の意思の統制を受けているともいえない
事実が指摘されている。
古 典 的 な も の で は ガ ザ ニ ガ (1987)の 研 究 が あ る 。 ガ ザ ニ ガ は 人 間 の 脳 の 右 半 球 と 左
半球の独立性と左半球における自らの行動の言語的な解釈機能を示す次のような実験
を行った。ガザニガは脳梁を切断された患者の顔の中央に仕切りを置き、右の視野つ
まり脳の左半球にニワトリの足先を、左の視野つまり右半球に雪景色を見せた。その
後患者の前に多くの絵を並べ、好きなものを選ぶように指示すると、患者は左手でシ
ャベルを右手でニワトリの絵を選んだ。選んだ理由を聞いてみると患者は「ニワトリ
のつめはニワトリのものだし、ニワトリ小屋を掃除するためにはシャベルが必要だか
ら」と答えた。左右を結ぶ脳梁を切断された左右の脳は互いに情報を交換できず、そ
れぞれが見たものを知らない。言語機能を司る左脳は左手を観察し、シャベルを選ん
だ理由を考えなければならなかった。つまり自分の行動を解釈し、つじつまを合わせ
たのである。
このことがさらに明確にあらわれるのが、半側空間無視という症状である。ラマチ
ャ ン ド ラ ン (1999)は 次 の よ う な 例 を 挙 げ て い る 。 こ れ は 右 半 球 を 損 傷 し た と き に 左 側
の注意と空間認識を無視するのが一般的である。たとえば食事であれば皿の右側の部
分しか食べず、男性であれば右側しかひげを剃らず、女性であれば 右側しか化粧をし
ない。これらの状態を本人は全く異常と感じていない。この半側空間無視における疾
27
病失認の状態は、さらに左半身が麻痺し、左手や左足が動かせないような重篤な病状
になってもそれを認めようとはしない。医師が動かない左手を患者の目の前に持ち上
げると、患者は「それは私の手ではない」と答えるのである。
ま た ダ マ シ オ (2000)は 自 身 が 担 当 し た あ る 男 性 患 者 の 次 の よ う な 意 識 障 害 の 例 を 示
している。
「 診 察 室 で そ の 患 者 と 話 し て い る と 、患 者 は 突 然 黙 り こ く り 数 秒 間 ピ ク リ と
もせず、名前を呼んでも何の返事もなかった。そうこう しているうちに彼はテーブル
の上の花瓶を触ったあと立ち上がり、ドアに向かって歩き出す。医師は困惑して再度
名 前 を 呼 ぶ と 彼 は 立 ち 止 ま り 、「 な ん だ い ? 」 と 答 え た 」。 こ の 患 者 は 脳 の 機 能 障 害 に
よって引き起こされる癲癇の一つのあらわれ方である「欠神発作」を起こし、その後
「欠神自動症」を起こした。この場合は発作が起こって昏倒するわけではないが、ダ
マシオがいうところの「いま、ここ」を意識する「中核意識」を失い、もぬけの殻の
ような状態になっていた。だが、それでもその後整合性のある動きをとることができ
たのは行動の自動性によるものである。つまり、一種の昏睡状態でも一続きの行動は
すでに脳内に蓄積された知識によって自動的に表出されるのである。
さらに自らの意思で行動の自動性が統制できない端的なものは依存症であろう。人
間とって、たとえばジョギングや音楽鑑賞といった 行動をとることによって快の感情
を自覚し、その行動を繰り返していくということはごく普通である。この快感情は脳
内の内側前脳快感回路(報酬系)が興奮することによってもたらされる。しかし、こ
の状態が過度なギャンブルや倒錯的な行動の継続、さらにはアルコールやニコチン、
麻薬といった刺激物や薬物の使用によってもたらされると、快感回路はいわば乗っ取
られた状態になり、自らの意思ではコントロールできなくなってしまう。こうした依
存 症 に 陥 っ た 状 態 で は 、脳 内 の 内 側 前 脳 快 感 回 路 内 の ニ ュ ー ロ ン や シ ナ プ ス の 電 気 的 、
形態的、生化学的機能の長期変化が見られる、つまり神経機能が変化してしまってい
る こ と が 明 ら か に な っ て い る (リ ン デ ン ,2012)。
以上のような臨床例を見てみると、人間の 行動はもちろん意識そのものでさえ、自
らの自覚的な意思が統制しているとは言い難い現実が浮かび上がってくる。それでも
周囲の状況に適応し何とか社会的な活動が可能になるよう仕向けているのは、脳の機
能としての自動性なのである。
(3)進 化 生 物 学 に お け る 研 究
進化生物学では、遺伝子の突然変異によってその変異した個体がその時点での環境
により適していれば適応度が上がって繁殖し、適していなければ適応度が下がって滅
び て し ま う こ と か ら 、子 孫 を 残 し 続 け て き た 生 物 種 は 、そ の 都 度 の 環 境
の 変 化 に 対 し て 高 い 適 応 度 を 持 ち 続 け て き た 結 果 で あ る と す る 。そ の こ
と か ら す る と 、現 在 の 人 類 の 様 々 な 性 質 も 数 百 万 年 に わ た る 人 類 の 進 化 、
ひいては生物としてのさらに気の遠くなるような進化の長大な期間に
おけるその都度の環境に適応してきた結果として身についたものであ
図 2-1
28
る、ということができる。人間行動の自動性も同様であり、この性質が適応的だった
からこそ身についたのである。
人間行動の自動性につながる適応の結果としての性質がまず示される のは、視覚的
な 認 知 特 性 で あ ろ う 。人 間 は 環 境 の 中 の 情 報 を 全 て そ の ま ま 認 知 で き る わ け で は な い 。
自動的に一定の解釈をしていくのである。 たとえば図2-1を見ると上のものは出っ
張っており、下はくぼんでいるように見える。だが、これを上下反転してみて見れば
全く逆になってしまう。長い生物の進化の間、常に太陽は上から照り続け決して下か
ら照ることはなかった。そのため下に影がついていればこの構造は出っ張りであり、
その逆であればくぼみである、というように脳が自動的に認知するようになったので
ある。また、図2-2のAとBの部分は全く同じ
明るさである。見かけ上はすぐには信じられない
この錯視においては、人間にとってこうした明る
さの違いを知ることよりも、全体としてどのよう
な模様をしているのかが分かった方が生きていく
上ではよほど重要であったことが分かる。これら
の例は人間の視覚はカメラのようにそのままの姿
を映像として取り込んでいるわけではなく、人間
にとって都合が良いように独自のモデルを作り、
外部からの刺激を自動的に解釈し直しているこ
図 2-2 4
とを示している。このことは1日の中でも朝夕と昼間とでは同じ物体からの光の波長
は 実 際 に は 異 な っ て い る た め 、見 か け 上 は 違 う 色 に 見 え る は ず で あ る に も か か わ ら ず 、
木の葉であれば緑、このようなペーパーであれば白と感じる色の恒常性 にもあらわれ
ている。
さらに例を挙げれば図2-3はピサの斜塔を下か
らとらえた写真であり、ABは同一のものである。だ
が、右のBは左のAよりもより右側にずれているよう
に 見 え る ( Kingdom, Yoonessi,Gheorghiu,2007)。 こ
れは、高いタワー状のものを下から見上げると上にい
くにしたがって両者の間隔が狭まっていくように見
えるものだ、ということが脳の認知機能に組み込まれ
ているためである。
図 2-3 5
人間は以上のような視覚的認知特性の下で問題なく行動をしている。こうした視覚
認知の特性、つまりは自動的に一定の状態に認知してしまう特性というのは、 そうし
た方が情報処理を行う上で脳内のニューロン細胞の活動を節約できる からである。人
間 の 脳 に は 1000 億 以 上 の ニ ュ ー ロ ン 細 胞 が 存 在 し 、そ れ ら か ら 伸 び る 軸 索 が 相 互 に 結
びつきあい天文学的なネットワークが組み立てられている。だが、それをもってして
も我々を取り巻く環境の全ての情報を把握するのは不可能なのである。
これらは認知的な内容だが、同様な理由で直接行動に結びつく自動的な特性も 当然
29
存在する。たとえば秋の林道を心地よく歩いているときに、突然目の前の落ち葉に埋
もれていた一角が「ガサガサ!」と動き、その中から何やら得体のしれないものがの
ぞいたたら、通常多くの人は驚いて飛び退くであろう。飛び退く一瞬前にその正体が
大きなガマガエルであると認識でき、危険性はないと判断できてもである。誰にとっ
ても飛び退くことの方が行動としては優先される。 ガマガエルのような生物でなく同
じ林道で長めのロープの断片がただ転がっているだけでも、それが予期せず目の前に
現れれば、多くは同様の行動をとるだろう。これは、ヘビをはじめとする林に潜む危
険な動物に対する、もっとも安全な行動を自動的におこす人間の性質の結果である。
人間が外界の情報を認知するルートには、視床から直接恐 怖を中心にした感情や情
動をつかさどる扁桃体へ行く低位経路と視床から大脳皮質を経由して扁桃体へ達する
高位経路との2つがある。低位経路は皮質を経由しないために細かい解析ができず大
まかな表現でしか扁桃体に伝えることしかできない。したがってこの経路での処理は
早いが粗雑である。正確な認識は時間のかかる高位ルートによることになる (ルドゥ
ー ,2003)。 そ の た め 「 何 だ カ エ ル か 」 あ る い は 「 た だ の ロ ー プ だ っ た の か 」 と 、 心 で
は納得してもしばらくは驚き慌てる心的状態は持続し、心臓の鼓動は 速くなったまま
である。低位ルートによって自動的な退避態勢がとられたからである。
このように進化生物学の観点から考えると人間の 認知及び行動は、非常に複雑で膨
大な情報量になる環境の中の刺激を都合のよいように精選、簡略化して 自動的に認知
し、危険の可能性がある状況に遭遇した場合は思考や分析などは後回しにして まずは
退 避 行 動 を と ら せ る よ う に 自 動 化 さ れ て い る の で あ る 6。 こ こ で は 行 動 の 自 動 性 を 退 避
行 動 に 絞 っ た が 、 同 様 に 他 の 様 々 な 場 面 で も 自 動 性 は 見 ら れ る 7。
3
自動性理論の道徳教育への応用
前項では人間行動の自動性研究についての各方面での研究成果を挙げた。 本研究で
は 、道 徳 教 育 に こ の 自 動 性 を 応 用 し 道 徳 的 な 行 動 を 促 し て い く と い う ス タ ン ス を と る 。
自動性を応用するというのは、ハイトのメタファーでいえば、象使いが象の性質を理
解しうまく注意をそらしながら誘導するということになる。 応用する自動性の枠組み
は、自動性の3つのルートのうち、特性ルートと目標ルート の二つを活用するという
こ と に な る 8。
(1)特 性 ル ー ト の 応 用
自動性の特性ルートは、もともと当人が持っていた知識やイメージがステレオタイ
プ と な り 、プ ラ イ ミ ン グ に よ っ て 活 性 化 さ れ 、そ れ に 基 づ い た 行 動 を と る も の で あ る 。
したがってたとえばお年寄りが込んだバス車内で座れず立ったままでいるというプラ
イムがあった場合、お年寄りについて敬い 、いたわらなければならない、あるいはそ
30
の場面においては座っている者は座席を譲らなければならないというステレオタイプ
が形成されていれば、スムーズに立ち上がることができるはずである。
心情主義的な道徳授業では資料の中のそうした場面でお年寄りや周囲の者がどのよ
うな気持ちか、ということを考えさせることが中心であり、人生の大先輩であるお年
寄りの存在そのものについて、またその場合は座席を譲らなくてはならない というこ
とについては知識として教えるということに力点は置かれていない。そのためにそう
した場面に遭遇してもあれこれ考えるだけで実行に移せないのである。 結果的にお年
寄りを敬い、いたわることにつながる知識というのは、これまで地域や家庭による教
育の中で自然に身につけられるものという前提であった。しかし、 それらの教育力が
低下した現代にあっては、学校教育の中でステレオタイプとなるまで、そうした知識
を習得させる必要があるのである。
(2)目 標 ル ー ト の 応 用
特性ルートが言うなら反射的にまずは道徳的行動がとれるようにす るという主旨で
応 用 す る の に 対 し て 、目 標 ル ー ト で は 意 識 的 、非 意 識 的 を 問 わ ず 道 徳 的 な 行 動 を と る 、
あるいは反道徳的な行動を統制するという目標を設定した上で行動に移すということ
になる。たとえば先のようなバス車内のお年寄りの姿を見れば座席を譲るという目標
を設定し、実行することになる。この行動自体は特性ルートのものと変わらないが、
特性ルートの場合は反射的に行動としてあらわれるだけなのに対して、目標ルートの
場合は声のかけ方や譲るタイミング等、具体的な手順や行動の後の道徳的高揚感とい
ったこともイメージして行動することになる 。また何かのきっかけで怒りの感情が沸
き起こり反道徳的な行動をとりかねないような状態に陥ったときに、その状態を自ら
認知しモニタリングできる知識があれば、その怒りがなぜ湧出しそのまま突き進めば
どのようになってしまうかが自覚でき、その怒りを鎮める知識があれば感情の高ぶり
を統制することもできるであろう。さらにたとえば実行するには面倒だが内容的には
妥当な規則を守らなければならないとき、守りたくないという感情に対して同様の知
識があればそれを統制することができるだろう。このように道徳的な行動を一層多面
的 に 促 し 、反 道 徳 的 な 行 動 を 統 制 す る と い う 主 旨 で 目 標 ル ー ト は 応 用 す る こ と に な る 。
その際に必要なのは今示したような自らを客観的にとらえモニタリングをするのに資
す る 知 識 と な る 9。
4
自動性理論応用への批判とその吟味
道徳教育に人間行動の自動性理論を応用するということには、批判の声が上がるか
も し れ な い 。道 徳 的 な 行 動 は 人 間 の 独 立 し た 自 由 な 意 思 の も と に 行 わ れ る も の で あ り 、
また行われるべきものである、というものである。そのこと自体は妥当であり、重要
31
なことである。だが、問題はその主張の前提である「人間の行動は当人の自由意思に
基づいている」そのものがぐらついてきているということである。
実 は こ の 「 自 由 意 思 ( free will)」 を め ぐ っ て は 、 社 会 心 理 学 分 野 の 内 部 に お い て も
活 発 な 論 戦 が 展 開 さ れ て い る 。 森 (2012) は 、 2009 年 に 開 催 さ れ た Society for
Personality and Social Psychology の 年 次 大 会 に お け る 討 論 の 様 子 を 詳 細 に 報 告 し て
い る 。こ の 討 論 は 自 由 意 思 の 存 在 を 肯 定 す る Baumeister と 、自 動 性 研 究 の 第 一 人 者 で
そ れ を 懐 疑 的 に 見 る Bargh に よ る も の で あ る 。
この討論の内容は、道徳教育に自動性理論を取り入れることについての是非をめぐ
る議論と大いに重なるものであり、ここで取り上げてみたい。
森 の 報 告 に よ れ ば 、Baumeister は 自 由 意 思 と い う の は 多 く の 人 々 が 自 ら の 行 動 に 関
与していると信じているものであり、人間が文化を創造し他者と円滑な社会生活を営
む た め に 不 可 欠 な も の で あ る と し て い る 。 こ れ に 対 し Bargh は 自 由 意 思 を 信 じ る メ リ
ットはあるとしても、そのことと自由意思が実際に存在するかということとは無関係
であり、さらに数々の高次の心的過程が実際には当事者の意識的関与なしに作動する
自動的過程であることを示しながら、自由意思への信念というのは自尊感情を維持す
る進化的な戦略として利用されているに過ぎないと主張した。この大会の討論では、
両者のこの異なる主張が決着すべきものとして行われたわけではないので、 結果的に
はいわば物別れ状態で終わったとのことである。
本研究における人間行動の自動性理論を道徳教育に応用するというアイデアは、言
う ま で も な く 自 由 意 思 を 否 定 す る Bargh の 主 張 に 基 づ く も の で あ る 。 し か し 、 一 方 で
Baumeister が 主 張 す る よ う に 自 由 意 思 が 人 間 の 文 化 を 創 造 、発 展 さ せ て き た の も 事 実
で あ ろ う 。 た だ し 、 そ の 自 由 意 思 と は Bargh が 述 べ て い る よ う に 、 進 化 の 結 果 と し て
の人間の戦略と見るのが妥当である。自由意思を持つというのは自身の主体性をより
強く自覚することであり、そのことによって長い進化の歴史の中で身体能力に劣る人
類が直面せざるを得なかった新奇な環境において、それまでに身につけたルーティン
にこだわらない柔軟な対応をとることができたのだろう。現在生息している全ての生
物は、長い期間幾多の環境の変化に適応してきたものであり、それができなかった数
多くの種は滅び去った。そして全ての生物は現在の環境に適応する様々な 戦略を持っ
ているのである。人間だけが一人こうした因果性から屹立し、全くの白紙の状態から
物 事 を 考 え 、環 境 に 適 応 し た 行 動 を と る こ と が で き た と い う こ と は あ り 得 な い だ ろ う 。
したがって本研究は、人間のありのままの姿に即した原理に基づいて考察 を進めてい
るということになるのである。
ただし、本研究では原理としては自由意思を否定するものの、実際の教育活動や教
育効果としての自由意思は大いに尊重する。その自覚を持たせることが研究のねらい
といってもよいだろう。たとえば一時の衝動で人を傷つけようとする ほどに激高した
場合を考えてみよう。その時に、その状態というのは長時間続くものではないので、
ま ず は 行 動 を 起 こ さ ず に 少 し 様 子 を 見 る の が よ い 、と い う 知 識 を 持 っ て い た と す れ ば 、
その知識の通りに実行すれば暴力沙汰という反道徳的な行動を抑えることができるだ
32
ろう。だが、その時の本人にとっての状態というのは知識によって行動を抑えること
が で き た 、と い う よ り も 自 ら が 自 身 を 抑 え た と い う 自 覚 状 態 に な る は ず だ 10 。し た が っ
て教育活動の上では自由意思を否定するものではなく、むしろ宣揚することになるの
である。
第2節
自動性と知識
前節において人間の行動の多くの部分に非意識的な自動性が見られることを示した。
本節ではその自動性によって実際の行動を起こしていくシステムについてさらに掘り
下げていきたい。
1
行動と感情、情動、知識
人間の多くの行動が先に示した 3 つのルートの自動性によるものであるとしても、
その過程において本人はどのような自覚を持っているのであろうか。いくら非意識的
といっても決して意識を失っているわけではない。覚醒した自覚できる状態であるは
ずである。ではどのような自覚状態であるかというと、それは感情状態、あるいは情
動 状 態 11 と い う こ と に な る 。つ ま り 、一 定 の 気 分 を 感 じ て い る 状 態 か あ る い は 感 情 が 高
ぶっている情動が露出した状態か、である。この感情や情動が人間の行動にとっては
大きな役割を担っている。そして感情や情動を発現させていく重要な要素の一つはや
は り 知 識 な の で あ る 12 。以 下 、感 情 、情 動 の 行 動 へ の 役 割 と 知 識 と の 関 係 を 見 て み た い 。
まず感情、情動の役割について、脳神経科学からの視点として次のように説明され
て い る 。 ル ド ゥ ー (2003)は 、 動 物 は 直 面 し た 異 な る 諸 問 題 を 解 決 す る よ う に 進 化 し た
の で あ り 、 感 情 、 情 動 も 同 様 で あ る と し て い る 。 ま た 茂 木 (2004)は 環 境 に お け る 不 確
定 性 を う ま く 乗 り 越 え 、適 切 な 判 断 を し て 妥 当 な 行 動 を と ら せ る 重 要 な 要 素 が 、感 情 、
情 動 で あ る と 述 べ て い る 。 一 方 、 進 化 生 物 学 的 な 視 点 で は 、 エ ヴ ァ ン ズ (2001)は 、 喜
びと悲痛について「ほぼ間違いなく、私たちがある一連の行為を成し遂げたり、逆に
避けたりするのを動機づけるものとして進化してきたと考えられる」と述べ、 フラン
ク (1995)は 「「 物 質 的 」 誘 引 は 、 動 機 づ け に お い て 直 接 的 な 役 割 を 演 じ て い な い 。 行 動
を直接に引き起こすのは、複雑な心理的報酬のメカニズム」であるとしている。
様 々 な 認 知 場 面 に お い て 人 間 を 含 め た 生 物 の 行 動 は 大 別 す れ ば 二 つ で あ る 。つ ま り 、
接近か忌避かである。安全で自らの利得を増大させるものであれば接近し、危険で利
得を減少させるものには忌避する。そしてそのシグナルとなるものとして発達したの
が快と不快の感覚である。快と不快を判別し、対象に対して快は接近を、不快は忌避
行動をとらせることになる。これが感情、情動の淵源であり、これらが人間行動の直
接の自覚的な要因となっている。
33
たとえば人間の性質の一つである感情は、
「 感 情 的 」と い う 言 葉 が 端 的 に 示 し て い る
よ う に「 理 性 的 」に 対 し て 、反 道 徳 的 で 不 合 理 な も の と 受 け 止 め ら れ て い る 。し か し 、
進 化 生 物 学 の 立 場 で は 、 感 情 は 結 果 的 に 合 理 的 な 行 動 へ と 導 く 「 問 題 解 決 装 置 (フ ラ ン
ク (1995)」 で あ り 、「 私 た ち が あ る 一 連 の 行 為 を 成 し 遂 げ た り 、 逆 に 避 け た り す る の を
動 機 づ け る も の と し て 進 化 し て き た と 考 え ら れ る (エ ヴ ァ ン ズ ,2001)。」
具体的なものとして主要な感情である「怒り」を取り上げてみよう。人類は長い進
化の過程で、その都度の厳しい環境に対して集団化という戦略で適応してきた。集団
の中では当然個人間の争いも常にあったはずである。だが、そうした個人間での利益
をめぐる争いを解決する場合常に腕力だけがものをいうようでは身が持たない。そこ
で 、「 不 利 益 を 被 り そ う に な っ た ら 報 復 す る ぞ 」と い う 姿 勢 を 見 せ る こ と に な る 。 つ ま
り「怒り」を前面に出すのである。そうすれば一方的に搾取される危険性は避けられ
る可能性が出てくるからである。ただし、報復するぞという姿勢を見せたからには必
ずそれを実行する構えを持たなければならない。実行などできはしないだろうと足元
を見られてしまうと結局は搾取されてしまうからである。
したがってたとえ腕力で劣っていたとしても報復を実行することは、実際の事後の
結果はさておき、その時点ではそのことを覚悟しなければならなくなる。こうした自
分の行為をすすんで何かの事柄に結びつけることをフランクはコミットメント問題と
呼んだ。この場合では腕力が劣るものが勝るものに立ち向かったところでけがをした
り、最悪生命さえも落とすことになるかも知れず 、利益を得ることはかなり難しい。
したがって合理的に考えるならば報復するぞなどという姿勢は見せずにおとなしく搾
取された方がよいということになる。だが、普通は搾取しようという者があらわれれ
ば、相手にはまず憎悪や嫌悪の表情、あるいはさらに身体を使っての威嚇的な状態を
見せるだろう。そしてその様子を相手が見て、リスクが大きくなると判断すれば搾取
を あ き ら め る だ ろ う 。「 怒 り 」の 起 源 は そ れ だ け で は な い か も し れ な い が 、い ち い ち そ
の場で後先のことを考えて躊躇しているよりは「怒り」の感情をすぐに表出させた方
が、結果的には自己利得を守る上では合理的なのである。
しかし「怒り」が爆発しすぎると、相手の命を奪う事態にもなってしまう。殺人を
犯せば重い刑罰が待っている。法制度が発達していなかった時代でも相手の身内や集
団から相応の報復はあったはずであり、合理的な行動とはいえな かったはずである。
に も か か わ ら ず 、 な ぜ 殺 人 は な く な ら な い の だ ろ う か 。 バ ス ( 2007) は 殺 人 の 心 理 も
他の心理機制と同様様々な適応上の問題を解決するべく作られたもので性淘汰の上で
「恩恵」のあるものである、と述べている。殺人行為というのはどの国、地域でも同
性 、異 性 に 対 す る も の を 問 わ ず 男 性 に よ る 場 合 が 圧 倒 的 で あ る 13 。そ の 理 由 は 男 性 に 対
してのものは、よりよい配偶者を得る競争に勝ち抜くためである。女性に対するもの
は、他の男性の遺伝子を残すことに自らが投資をすることになる可能性があるのであ
れば、そうした事態が起こらないように女性ごと抹殺してしまった方 が合理的である
ためである。実際、報道される殺人事件の内容はそのことにあてはまる場合が多いよ
う に 思 わ れ る 14 。
34
人間は他の動物とは違った高度な感情、また情動を発達させてきたかのようにも思
われるが、突き詰めてみればその心的な状態、つまり感情は常に基本は快か不快かの
どちらかである。単純な生物にもちろん感情はないが、あたかも感情があるかの行動
は と る 15 。感 情 は あ る 対 象 や 自 己 の 生 理 状 態 を 認 知 し た 場 合 の 反 応 で あ る 。も ち ろ ん 知
覚で反応するだけでなく心の中でイメージしただけでも感情は発現する。だが、その
対象は以前に認知され記憶に残っているものである。したがって外的な対象が一切存
在しないか、認知能力がなければ感情、情動もひいては自己意識も存在しないことに
な る 16 。あ る 対 象 を 認 知 す る と い う こ と は 、そ の 対 象 の 知 覚 し た 情 報 に 対 応 す る 表 象 が
脳内に想起され知覚としての認知から意識的な認知へと移行されるということである。
そしてその表象とは脳内に蓄積された知識のことに他ならない。したがって認知対象
への知識がまるでない状態の場合、たとえば赤ちゃんは目の前のものに対して知覚と
しての認知はあってもそれが何であるかは明確には理解できない。つまり、人間が 成
長 し て い く 過 程 で 学 ん だ 多 く の 内 容 が 脳 内 に 知 識 の か た ま り で あ る ス キ ー マ (schema)
として蓄積され、その知識が感情を呼び起こし、次に自由意 思が立ち上がってそれに
応じた行動をとっていくのである。
このことからすると人間の行動というのは、感情を起動させるその場の状況での注
意を向ける状態や対象物に対するいわば反射的な知識に依存するものということにな
る。反射的な知識によって一度行動が起こされたなら、行動は基本的にその状況での
目的に沿った一続きの自動性のあるものとなる。そして行動の目的は 不快な状態を忌
避し快の状態へ移行させていくか、欲求を充足させた、 より大きな快感情を得るとい
うことである。
2
人間にとっての知識の特徴
人間行動の自動性は、感情や情動を「装置」として起動するが、それらを発現させ
るのは、これまで述べてきたように主に知識である。人間にとっての知識は対象を認
知する基本ツールであり、接近か忌避かの行動を参照した知識内容に応じた感情、情
動を発現させて実行させるものである。このシステム自体は、おそらくどの生物にも
あ て は ま る も の だ ろ う 17 。し か し 、人 間 の 場 合 は 他 の 生 物 と は 比 較 に な ら な い ほ ど の 知
識の高機能化が見られる。行動を起こす上で極めて重要なリソースとなる知識には次
の二つの特徴があると言えるだろう。
第一にその豊富さと柔軟さである。進化的な過程は想像するほかないが、人間の持
つ知識の豊富さは生物の中では当然ながらとび抜けている。膨大な知識はその 特徴に
応じて分類、チャンク化して整理することによって、人間は無限ともいえるほどの貯
蔵能力を持つことになった。これによりどのような場面でも混乱せず、他の動物に比
べ劣っている体力をカバーできる態勢をつくったのである。
第 二 に そ の 高 度 な 再 帰 性 で あ る 。 カ ミ ロ フ - ス ミ ス (1992)は 、 人 間 を 他 の 生 物 と 区
35
分 け し て い る も の は 表 示 上 の 再 帰 的 な 表 象 の し 直 し 、つ ま り 再 記 述 で あ る と し て い る 。
人間の知識構造はある知識を身につけたら、次にその知識を含むより範囲の広い知識
を習得し、さらにまた、という入れ子構造になっている。これにより目の前の子細な
ことも、見渡さなければ分からないような全体的、大局的なことにも対応することが
できるのである。こうした再帰性は人間の言語に端的にあらわれている。
こうした特徴を持つ知識を習得していくというのはたやすいことではない。しかし
大変でも知識の習得を繰り返すことにより、 つまり既に蓄積された知識が提示される
ことによりそれは強化され、多くの知識が連結、体系化しさらに異なった知識を吸収
していくことにつながっていく。知識を広げ、吸収していくということは学習すると
いうことである。学習者でとっては学習することは苦痛を伴う場合も少なからずあっ
ても、実際には学習者、とりわけ子どもは喜び勇んでそれを行う。一つの知識を習得
するということは、脳神経科学的に見れば、脳内の複数のニュ ーロン細胞同士が脳内
伝達物質によって結ばれ一つのネットワークが形成されるということである。脳内に
ネットワークを形成し、それを何度も確認して強化していけばいくほどに大きな快感
情が発現される。つまり学んで成果を出すことは楽しいのである。進化の過程でさし
て身体的に利点のない人間にとって、知識を広げることは生きていく上で大変重要な
ことであったはずだ。そのため知識を確実に身につけ、さらに強化していくことに喜
びを感じるようになったと考えられる。
このように人間にとっての知識は、身体能力で劣ることを それに対する認知能力の
高 さ で カ バ ー す る も の で あ り 、生 き て い く に は 必 須 の 要 素 、能 力 で あ っ た と 思 わ れ る 18 。
この知識は言語の発達以後は量的質的にさらに爆発的に高度化した 。しかし、かえっ
て そ の た め に 言 語 的 な 知 識 に よ っ て 感 情 、情 動 が 左 右 さ れ や す く な っ た と 考 え ら れ る 。
行動の自動性は文字通り自動的なものであるにもかかわらず、上述例で示したように
言語的な知識が脳のつじつま合わせの機能を促進することになり、その自動的性質が
いわばカムフラージュされることになった。したがって 、人間にとっての知識の扱い
は慎重にしなければならないのである。
第3節
道徳教育で習得すべき2つの知識
-特性と目標に関連した情報としての知
識とメタ認知のための知識-
本節では、道徳教育において道徳的行動を促す知識として 特性と目標に関連した知
識とメタ認知のための知識の2つを示す。道徳的な知識というと、これまではたとえ
ば「 思 い や り を 持 つ 」「 礼 儀 正 し く す る 」と い っ た 道 徳 原 理 や 徳 目 、ま た「 路 上 に ご み
を 捨 て な い 」「 赤 信 号 で は 止 ま る 」と い っ た 規 範 や 規 則 を 指 す の が 普 通 だ っ た 。だ が 本
研究においては人間の生得的な自動性を 応用するというアプローチであるため習得す
べき知識の内容もそれらとは自ずと異なるものとなる。そして先に自動性で応用する
のは特性ルートと目標ルートであると述べたが、ここで挙げる知識もその構造に基づ
36
いたものである。
1
特性と目標に関連した情報としての知識
特 性 と 目 標 に 関 連 し た 知 識 は 、人 間 が 行 動 を お こ す 際 の リ ソ ー ス と な る 知 識 で あ る 。
人間はある認知場面において、眼前にある対象や文脈を認知して 多くは自動的に行動
をおこす。それは認知の内容に応じて反射的であったり、ある目標を 設定した結果で
あったりする。この知識を道徳的なものとするのである。この知識は 特性ルート、目
標ルートに共通した道徳的行動を促すものであり、次の二つが挙げられる。
一つは特性ルートを応用した認知対象の特性を道徳的なステレオタイプとして形成
する知識である。これは特性ルートにおいては、様々な道徳的な行動が必要とされる
ような認知場面に遭遇した場合、その認知対象やコンテクストをプライムとして活性
化される道徳的知識ということである。一般にプライミングによって活性化する知識
は悪い意味でのステレオタイプとして偏見と同義にも使われやすい。特に人種 や民族
についてのステレオタイプは特にアメリカにおいて多くの問題を引き起こしており、
様々な機会に得られる情報の蓄積によって、たとえばアフリカ系というだけで悪いイ
メ ー ジ を 持 た れ や す い の が 実 際 で あ る (Devine,1989) 19 。 そ こ で 特 に 道 徳 的 な 行 動 が 必
要となされる、あるいは反道徳的な行動の抑制が求められる対象について、道徳的な
知識を言わば良い意味でのステレオタイプとして習得させていくのである。ただし世
の中の全てのものを取り上げるわけにはいかないので、内容は精選することになる。
本研究においては具体的な内容として「顔の美醜」と「高齢者」の2つを挙げる。こ
れについては授業展開例も含め第4章で詳述する。
もう一つは道徳的な行動が必要とされるような認知場面に遭遇した場合、 道徳的な
目標を設定する、あるいはいくつか考えられる目標から道徳的なものを選択していく
ために資する知識である。これは目標ルートを応用する。具体的には認知対象の名称
や意味といった知識ではなく、何らかのストーリー性のある展開が見られる知識とい
うことになる。上述したように目標ルートにおける人 間の自動性は非意識的な状態で
も多く見られるものである。助力をする必要があるようなある場面に遭遇したとき、
反 射 的 に 単 発 の 助 力 行 動 を と る だ け で な く 、た と え ば 当 人 に 必 要 な 内 容 を 確 認 し た り 、
周囲に関係機関との連絡を取ることを促したりといった、その後の複雑な展開を意識
せずに目標を設定して機敏に行動するということは 、誰でもイメージできるものであ
るし、実際そうした行動が必要となるものである。このように、特性と目標に関連し
た知識とは、道徳的行動を実行するとき、最終的な目標となる状態を設定すると同時
に、それに向けての手順や留意事項を瞬時にチャート化してイメージしていくのに必
要 な 知 識 で あ る 20 。 こ れ に つ い て も 詳 細 は 同 様 に 第 4 章 で 述 べ る 。
2
メタ認知のための知識
37
メタ認知のための知識とは、つまりは自分の状態を知るための手助けとなる情報で
あり、目標ルートを応用したものである。上述したように自己の情動が危険な状態な
のかどうかがモニタリングできればそれを統制する方略を自らとることができる。反
道徳的な行動を統制するという目標を設定するわけである。
前項で挙げたように、人間には生得的に知覚において一定の解釈をする認知特性が
ある。この地球の自然環境に即した一定の解釈によって、ニューロン細胞の活動を節
約しているわけだが、これはつまりは認知的なバイアスである。同様に、人間はある
対象やコンテクストに対する認知場面において一定の解釈を行って、感情を湧出させ
行 動 を 起 こ し て い る 21 。ま さ に 自 動 性 だ が 、上 述 し た よ う な 視 覚 的 な 認 知 特 性 、つ ま り
認知的なバイアスは通常の生活を送る上では物理的な世界認識をする上で有用な性質
であるのに対し、この場合の感情や行動には反道徳的なものも含まれる。
現 在 の 人 間 の 脳 は 解 剖 学 的 に 20~ 10 万 年 前 に は 完 成 し て い た 。文 明 の 萌 芽 が 見 ら れ
る よ う に な る の は 5 万 年 前 か ら で あ り (ク ラ イ ン & エ ド ガ ー ,2004)、 現 代 に 直 接 つ な が
る爆発的な文明の進展は 1 万年前からである。ただし 1 万年程度の期間では遺伝子上
の 変 異 が 種 に 行 き 渡 る の は 不 可 能 で あ る 。と い う こ と は 、人 間 と い う の は 本 来 20~ 10
万 年 前 の 生 活 ス タ イ ル に 沿 っ た 思 考 し か で き な い と い う こ と に な る 22 。そ の 意 味 で 現 在
の高度な文明の大半というのは、太古の昔の生活に沿った思考を応用したものか単な
る 副 産 物 に す ぎ な い 。そ の 結 果 、20~ 10 万 年 前 に は う ま く 機 能 し て い た 認 知 場 面 に お
ける一定の解釈という認知特性も、環境が激変した現代社会では 少なくないケースで
反道徳的な行動へと結びついてしまうことになるのである。このように現代社会では
反道徳得な行動へと結びつきやすい人間の生得的な認知特性を、本研究では認知バイ
アスと呼ぶ。
人間がこの認知バイアスによって反道徳的な行動をしばしばとってしまう ことにお
い て 大 き な 問 題 と な る の は 、多 く は そ の こ と を 理 解 し た 上 で の こ と だ と い う 点 で あ る 。
自覚していて悪いことをしてしまうからこそ自動性であ り、それはそれで結果として
は行動を適応のために合理的なものに導く「装置」による行動という ことになる。だ
が 、こ の 20~ 10 万 年 の 間 に は 反 道 徳 的 な 行 動 で あ れ ば 必 ず し も 適 応 的 で は な い 結 果 に
なることもあったはずである。それでも反道徳的な行動が今日まで定着しているのは
なぜだろうか。
こ れ に つ い て ス タ ノ ヴ ィ ッ チ (2008)は 、 人 は 遺 伝 子 に よ る ロ ボ ッ ト で あ り 、 そ の 操
作についてはショートリーシュ(短い引き綱)ではなく、 ロングリーシュ(長い引き
綱)の方式によって行われているというメタファーを用いて説明している。たとえば
火星のような遠い惑星に探査機を送ると通信に時間がかかりすぎ、逐一 地球から細か
い指示を出すことは不可能である。そこで探査機に自らの判断で柔軟な対応がとるこ
とができるようプログラムしておくことになる。この場合の逐一指示をする方式が シ
ョートリーシュであり、人間にあてはめれば遺伝子による直接の指示、つまり本能と
い う こ と に な る 。こ れ に 対 し 自 ら の 判 断 で 柔 軟 に 対 応 す る の が ロ ン グ リ ー シ ュ で あ り 、
知性である。遺伝子の指示は子孫を残すことであり、具体的にどうすればよいのかは
38
知性に委ねる。ショートリーシュの場合はその指示の通り愚直に行動するが、 ロング
リーシュでは時としてロボットの反乱のようにその指示に反する行動をとる場合もあ
る。たとえば避妊具を装着した性行為であり、これは子孫を残すという基本的な指示
を無視した行動である。どの生物にとっても繁殖が遺伝 子による至上命令であるが、
人間の場合は性行為による快感情の獲得という手段でそれを促すよう進化した。性行
為による快感情はあくまでも手段だったのだが、ロングリーシュの結果 、手段が目的
化してしまったわけである。反道徳的行動もつまりはその場での自身の欲求を満たす
も の で あ り 、内 容 に よ っ て は 明 ら か に 遺 伝 子 の 基 本 的 な 指 示 に 反 す る 場 合 も あ る 23 。こ
れを統制するには、こうしたシステムの知識を習得し、自動性による行動を起こして
いるまさにその時点で、自らの行動を分析することが必要となるのである。
このことは、たとえば次のようなことと同じであろう。急にのどが痛み出し、発熱
を伴う悪寒の症状があらわれたとき、医学的な知識があれば生物と無生物の中間であ
る粒子状のインフルエンザウィルスがのどの粘膜から細胞内に侵入し増殖を始めた。
それに対して体の防御機構が働き、白血球やマクロファージ、キラー細胞などの免疫
細胞を活性化させるために体温が上昇した、ということが分かるはずである。そのこ
とを理解すればすぐに医療機関に行くなり、薬局で薬品を買うなりの行動をとること
ができる。ところが、そうした知識が全くないと、何か得体の知れないものに取り憑
かれたのではないかとか、誰かが自分に呪術をかけているのでな いか、といった誤っ
た信念を持つことになってしまい、適切な行動をとることができなくなる。現在の自
分の状態を分析する知識を持っていることによって適切な行動がとることができるの
で あ る 24 。
またこうした取り組みは実際には学校教育において、既に浸透している。性教育が
それである。性教育では性的な身体の発達や性行為、受胎について冷静に認知し統制
のとれた行動を促していくねらいがある。もちろん、それだけで性的発達に伴う行動
が全て安定し、ひいては性犯罪もなくなるというわけではないだろう。だが、それで
も衝動に駆られて軽はずみな行動は多少なりとも抑えられているのではないだろうか
25 。反 道 徳 的 な 行 動 特 性 も そ の 起 源 や 他 の 生 物 に 関 わ る 内 容 を 知 識 と し て 与 え る こ と は 、
同様の意義があると言えるだろう。
第4節
宣言的知識と手続き的知識及びスキーマ、スクリプトとの関係
道徳的な行動を促すために習得すべき知識として特性と目標に関連した情報として
の知識及びメタ認知のための知識を挙げたが、これらと知識についての心理学的一般
概 念 で あ る 宣 言 的 知 識 と 手 続 き 的 知 識 、ま た ス キ ー マ や ス ク リ プ ト( script)と の 関 係
はどのようなものになるだろうか。これについて考察してみたい。
宣言的知識は誰が見てもそうであると認めるような事実に関する知識である。手続
き的知識は「もし、何々すれば何々になる」という規則の集まり であり、習い覚えて
39
身についた技能を知識化したものである。またスキーマは、人間は何かを見たり聞い
た り し た と き 、既 に 自 分 が 持 っ て い る 知 識 に あ て は め て そ れ を 認 知 す る こ と に な る が 、
この構造的な知識のことであり、各自が持っているイメージの塊といえる。そしてス
クリプトは人間がある事物や事象を理解し行動をとる場合、その範型となる一続きに
なった経時的な背景知識である。スキーマやスクリプトは人間の認知活動を支える包
括 的 な 知 識 26 で あ り 。そ の 知 識 の 原 型 と い え る の が 宣 言 的 知 識 と 手 続 き 的 知 識 と い う こ
とになるだろう。本研究で挙げている二つの知識もその中に含まれることになるが、
人類の進化という視点でとらえた場合、その 二つの知識というのはこれらの知識の成
立の基盤をなしているともいえる。
これまでも述べてきたように人類は他の多くの大型動物と比べ体格や身体能力に劣
っており、他の機能を発達させてフルに使っていかなければ生き残ることはできなか
った。その一つが認知していく上での表象能力であ り、さらにその表象を知識として
蓄積していく能力である。多くの生物が一見高度な活動をこなしているようでも実際
には遺伝子上に行動が規定されているため、応用がきかず規定外の状況に遭遇した場
合 に は 対 処 で き な く な る 27 。そ れ に 対 し 人 類 は 一 定 の 環 境 の 中 で 粛 々 と 過 ご せ る よ う な
状態にはなかったため、たえず新奇な環境にも適応せざるを得なかった。新奇な環境
に対応していくためにはまずは眼前の対象を的確に認知し、分類しながら記憶する必
要がある。その際には外見的特徴とそれに応じた名称となるタグ付けや、さらに機能
的な特徴等を表象化し知識として記憶しておかなければならない。仮に全く未知のも
のと遭遇した場合は類似の対象と比較し、おおよその特徴を類推することになる。眼
前の対象を認知するだけであれば他の動物も相応の能力はあるが、人類の場合はさら
に知性を飛躍的に向上させることになる。それを推進したのは複雑な人間同士のやり
と り で あ っ た 28 。人 間 関 係 は 今 も 昔 も 一 筋 縄 で は い か ず 、単 純 に あ あ し た か ら こ う な る
と い う わ け で は な く 。こ う な る か も し れ な い し 、あ あ な る か も し れ な い 、あ る い は・・・、
というようにいくつもの因果関係を想定する必要がある。また認知対象となる多くの
人間同士の相互関係も把握しておかなければならない。こうした複雑な 関係を表象化
する諸能力が求められたのである。そしてこうした内容を表象化していくのに処理能
力が飛躍的に向上するツールとして発達したのが言語である。この言語の発達によっ
て実に多数の認知対象の内容が知識として蓄積、伝達が可能になったのである。
こうした過程から考えてみると、まずは 認知対象の特性を見抜く能力が求められる
のが分かる。特に新奇な対象と遭遇した場合に接近か退避か、つまり安全か危険かを
瞬時に判断しなければならない。この内容が知識化したのが宣言的知識 であり、タグ
としての機能のみならず、機能的な特色もイメージできるのがスキーマである といえ
る。したがって特性と目標に関連した情報としての知識はこのスキーマとほぼ同義と
なる。
そして、他と区別ができる事実としてタグ的な知識だけでなく、認知場面において
は対象がどのような性質、能力、他の対象との関係を持っているのかも判断しなくて
はならない。さらにその対象が単体としてまた他との関係において、どのような行動
40
に出るのかを予測しなくてはならない。 つまり対象の特性とそれに関係した経時的、
因果的な行動の予測についての情報も知識化することが必要となってくる。これを法
則化し、手順として知識化したものが手続き的知識であるということになるだろう。
さらにその法則に基づく生活場面を、実際の事物や人間が展開していくイメージ とし
たものがスクリプトということになる。一方で、それにとどまらず自然環境また複雑
な人間関係の中で、自分はどういう立場で今後どのような行動をとるのが望ましいの
かということも理解しなければならない。そのためには 、様々な展開を予測した上で
自らを客観視する能力が必要となってくる。これは人間集団の中でだけでなく 自分自
身の心理的な面、生理的な面においても同様である。こ れがメタ認知的な情報の知識
化につながっていったと考えられる。したがってメタ認知のための知識は、手続き的
知識とスクリプトを包含した知識ということができるだろう。
このように特性と目標に関連した情報としての知識とメタ認知のための知識 は、宣
言的知識や手続き的知識、スキーマやスクリプトと同義でもあり、より広い範囲から
とらえたものということができるだろう。
第5節
現在の道徳教育における本研究のアプローチの位置づけ
以上述べてきたように、本研究は必要な知識を習得することによって 人間行動の自
動性ルートを応用して、道徳的な行動を促してい こうとするものである。このアプロ
ーチの位置づけは、現在の道徳教育の中ではどのようなものになるだろうか。
文 部 科 学 省「 小 学 校 学 習 指 導 要 領 解 説 道 徳 編 」の「 第 2 章 道 徳 教 育 の 目 標 」「 第 1 節
道 徳 教 育 と 道 徳 の 時 間 」に お い て は 、
「 学 校 に お け る 道 徳 教 育 は ,豊 か な 心 を は ぐ く み ,
人間としての生き方の自覚を促し,道徳性を育成することをねらいとする教育活動 」
と さ れ て い る 。 ま た 七 條 (2015)は 、 こ れ ま で の 流 れ に 沿 っ た 道 徳 教 育 の 立 場 か ら 、 道
徳教育は児童生徒が自らの人生をより良 く生きていくための原動力となる「心」をよ
り豊かでたくましいものにするためのものであるとし、それを達成するための道徳授
業の重点として道徳的価値への主体的な取り組み、他者との学び合いを通しての道徳
的価値の深化、児童生徒の自覚的な成長の実感の三点を挙げている。
こ れ ら の こ と か ら す る と 、現 在 の 道 徳 教 育 で も っ と も 明 確 に 打 ち 出 さ れ て い る の は 、
まずは道徳的価値を自覚することによって心を豊かにすることである、ということに
な る だ ろ う 29 。こ れ に 対 し て 本 研 究 で は 心 そ の も の が 非 意 識 的 な 傾 向 の 強 い も の で あ る
ので、端的にはまずは道徳的な行動を起こさせてから、後づけとしての心を豊かにし
ていこうというものである。つまりアプローチの手順が正反対ということになる。こ
の違いというのは、根本的は先に挙げた自由意思の肯定否定論争における考えの違い
と同じである。その意味では、本研究でのアプローチは現在の道徳教育を否定する も
の、ということになる。ただし、本研究では道徳教育において生徒に現実としての道
徳的行動を促していくことをねらいとするものであり、心を道徳的に豊かにする、と
いうことについて焦点化したものではない。したがって、道徳教育一般としてそのこ
41
とを重点化した取り組み自体を否定することにはならない。実際、たとえば対立する
道徳的価値観を葛藤させるモラルジレンマのように、道徳的な思索を授業の中で意図
的に行わせることには、普段の生活の中ではなかなか設定しにくいものであり、その
意味において十分意義があると言える。
したがって、道徳教育本来の意義から考えるのであれば、本研究のアプローチとい
う の は 現 在 の 道 徳 教 育 の 中 に 、効 果 的 に 組 み 入 れ て い く べ き も の と 言 う こ と が で き る 。
<註>
1
自 覚 的 な 意 識 が な い 状 態 を 一 般 に は 無 意 識 と い う が 、術 語 と し て の 無 意 識 は フ ロ イ ト
の 精 神 分 析 の 中 心 概 念 と な っ て い る た め 、そ れ と 区 別 す る た め 本 研 究 に お い て も 非 意
識という術語を他一般心理学同様用いる。
2
し か し 、こ の「 見 せ か け の 心 的 因 果 」に よ る 非 意 識 的 な 行 動 は 、実 は 非 常 に 高 度 な 精
神 活 動 に よ っ て 維 持 さ れ て い る 。高 度 で あ る が た め に 人 間 に は 様 々 な 精 神 疾 患 が 発 症
す る と 言 え る だ ろ う 。特 に「 見 せ か け 」 を 司 り 、精 神 的 な 統 合 を 担 う 前 頭 前 野 に 疾 患
が 発 症 し た の が 文 字 通 り 「 統 合 失 調 症 」 で あ る 。 高 松 (2004)は 現 在 は 症 状 が 緩 和 し て
い る 統 合 失 調 症 患 者 の 佐 々 英 俊 氏 自 身 が 語 る 内 容 を 整 理 し 記 録 し た 。そ れ に よ る と 当
事 者 で し か 判 ら な い 内 面 の 様 子 が 明 ら か に な っ て い る 。そ の 中 で は 患 者 が 最 も 苦 し ん
で い る こ と に つ い て 、 次 の よ う に 述 べ ら れ て い る 。「 人 々 の 視 線 が 機 関 銃 の よ う に 突
き 刺 さ り 心 が ぼ ろ ぼ ろ と 壊 さ れ て い く 。簡 単 な 日 常 会 話 で も 心 に 土 足 で 踏 み 込 ま れ た
よ う な 不 快 感 を 覚 え る 。建 物 も 倒 れ て く る よ う だ っ た 。道 を 歩 け ば 、い つ 押 し つ ぶ さ
れ る か 分 か ら な い 恐 怖 感 に 襲 わ れ る 」。 ま た 、 統 合 失 調 症 で は 連 続 し た 行 動 が 非 意 識
的 に は と れ な く な っ て し ま う 。そ の た め に 単 純 な 作 業 で も 長 時 間 続 け る こ と が 困 難 に
な り 、少 し で も 作 業 手 順 が 複 雑 に な る と 覚 え る こ と も で き な く な る 。た と え ば 精 神 障
害者用の作業所では割り箸を箸袋に入れるといった非常に簡単な作業を行っている
が 、 佐 々 氏 に よ れ ば そ の 程 度 の 作 業 で さ え も 難 し い も の に な る 。「 一 つ ひ と つ の 行 動
の 断 片 を 確 認 し な が ら 、の ろ の ろ と 行 う 作 業 は 精 神 的 に も 負 担 に な る 。箸 袋 を 手 に 取
り 、 箸 を 手 に し 、 袋 に 入 れ る 。 そ ん な 簡 単 な 流 れ も 把 握 で き な い 」。
3
Bargh ら (1996)の 実 験 に よ れ ば 、高 齢 者 ス テ レ オ タ イ プ を プ ラ イ ミ ン グ さ れ た 実 験 群
参 加 者 は 、統 制 群 の 参 加 者 に 比 べ て 実 験 室 か ら エ レ ベ ー タ ー ま で 歩 く ス ピ ー ド が 遅 く
なっていた。
4
Adelson(1993)
5
http://www.perceptionweb.com/misc/p5722a/.
6
ウ ィ ル ソ ン (2005)は 、筋 肉 や 関 節 、皮 膚 か ら 常 に 受 け 取 っ て い る 感 覚 フ ィ ー ド バ ッ ク
で あ る 自 己 受 容 感 覚 を 障 が い に よ り 全 て 失 っ て し ま っ た 患 者 の 例 を 挙 げ て い る 。そ れ
に よ る と 、そ の 患 者 は 自 分 の 体 の 各 部 分 に 集 中 し て 注 意 を 向 け て い な い と コ ン ト ロ ー
ル不能に陥り、少しでも目を離すと立っていることすらできなくなってしまう。
42
7
たとえばパブロフの実験で有名な条件反射は、人間にも十分当てはまるものである。
8
で は 模 倣 ル ー ト は 応 用 で き な い の か と い う と 、道 徳 教 育 全 般 で 考 え れ ば 大 い に 応 用 す
べ き だ ろ う 。道 徳 的 な 行 動 と し て 取 り 組 み や す く 効 果 の あ る も の は 、あ い さ つ と 返 事
で あ る が 、こ れ ら に つ い て は 模 倣 ル ー ト に よ っ て 習 慣 と し て 広 く 定 着 さ せ る こ と が 重
要 で あ ろ う 。 こ れ に つ い て は 鑓 水 (2014)を 参 照 。
9
も ち ろ ん 道 徳 的 な 行 動 を と る と い う 目 標 を 設 定 し 、実 行 す る と い う 自 動 性 の 応 用 も あ
る 。だ が た と え ば ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 と い っ た 宣 言 的 に 道 徳 的 な 行 動 を と る よ う な ケ ー
ス で は 、本 研 究 の よ う に 平 素 の 場 合 に 道 徳 的 な 行 動 を 促 す 取 り 組 み は あ ま り 関 係 な い
であろう。
10
同 様 な 例 を 挙 げ れ ば 、良 い あ い さ つ は 道 徳 的 な 行 動 を 促 進 し て い く と 考 え ら れ る が 、
良 い あ い さ つ を 実 行 し て い く に は 習 慣 化 が 必 要 で あ る 。そ し て 、習 慣 化 さ れ た あ い さ
つ を 行 っ て も 、 本 人 と し て は 自 分 自 身 で 行 っ て い る と 思 う は ず で あ る ( 鑓 水 ,2014)。
11
一般に感情と情動は同義に扱われているか情動のほうが感情よりも激しい状態程度
と さ れ て い る 場 合 が 多 い が 、ダ マ シ オ は 心 の 評 価 的 プ ロ セ ス と そ れ が も た ら す 身 体 的
反応を情動、それが連続的に脳にモニターされてい る状況が感情であるとしている。
12
では他は何かというと、それはたとえば空腹感や排泄感といった生理的状態、また
本能的状態である。
13 世 界 全 体 で の 正 確 な 統 計 と い う も の は な い が 、カ ナ ダ 全 体 や の デ ト ロ イ ト 、ま た イ ン
グ ラ ン ド 及 び ウ ェ ー ル ズ と シ カ ゴ の 統 計 資 料 で は 比 較 に な ら な い ほ ど の 差 が あ り 、ま
た男性の中の年齢別統計では10代後半から20代前半にかけてが鋭いピークを見
せ て い る 。も っ と も 女 性 の 件 数 の 中 で は 子 殺 し が 大 半 を 占 め て お り 、男 性 に よ る 口 論
な ど に よ る 些 細 な き っ か け で の 殺 人 は さ ら に 少 な く な る 。( 長 谷 川 寿 一 ・ 長 谷 川 眞 理
子 ,2000) (デ イ リ ー & ウ ィ ル ソ ン ,1999)
14
警 視 庁 の 発 表 に よ れ ば 管 内 に お け る 2012 年 の ス ト ー カ ー 行 為 の 被 害 者 の 性 別 は 、
女 性 が 1231 人 ( 85.7% ) と 約 8 割 を 占 め 、 男 性 は 206 人 ( 14.3% ) で あ り 、 過 去 4
年 間 も 同 様 の 傾 向 で あ る ( http://
www.keishicho.metro.tokyo.jp/seian/stoka/jokyo_1.htm )。 ま た 代 表 的 な ス ト ー カ ー
殺 人 の 事 案 の 一 つ で あ る 2012 年 11 月 に 発 生 し た 「 逗 子 ス ト ー カ ー 殺 人 事 件 」 で は 、
神 奈 川 県 逗 子 市 の ア パ ー ト で 当 時 33 歳 の フ リ ー デ ザ イ ナ ー の 女 性 が 刃 物 で 刺 殺 さ れ 、
犯 人 の 東 京 都 在 住 の 元 交 際 相 手 の 当 時 40 歳 の 男 性 が 同 じ ア パ ー ト の 2 階 の 出 窓 に ひ
も を か け 、 首 吊 り 自 殺 し た 。 2 人 は 2004 年 頃 か ら 交 際 し た が 2 年 ほ ど で 別 れ 、 被 害
女 性 は 2008 年 夏 に 結 婚 し 逗 子 市 に 転 居 し た 。 女 性 は 住 所 を 隠 し た が 、 加 害 男 性 は 執
拗に探索し、突き止めたあと犯罪に及んだ。
15 単 純 な 海 洋 生 物 で あ る ア メ フ ラ シ に 対 し て も 感 情 が あ る か の よ う な 馴 化 を す る こ と
も で き る (磯 ,1999))。
16
ダ マ シ オ は 感 情 こ そ が 自 己 意 識 の 根 拠 と な る も の で あ る と い う 「ソ マ テ ィ ッ ク・マ ー
カ ー 仮 説 」を 展 開 し て い る が (ダ マ シ オ , 2000)、そ れ に よ れ ば 感 情 は 対 象 が な け れ ば 起
43
動しないので認知対象がなければ自己意識もないということになる。
17
もちろん他の生物に感情や情動があるかは定かではない。
18
た だ し 人 類 の 進 化 上 脳 の 巨 大 化 が 見 ら れ る よ う に な る の は 230 万 年 前 か ら 140 万 年
前 ま で 存 在 し て い た ホ モ・ハ ビ リ ス 以 後 で あ り 、そ れ 以 前 、特 に 400 万 年 前 ま で の ア
ウ ス ト ラ ロ ピ テ ク ス 類 は チ ン パ ン ジ ー 並 み の 脳 の 容 積 で あ っ た 。そ う な る と 脳 の 能 力
としては最初の人類から自身が持つ知識の高度化があったわけではないことになる。
し か し 、さ し て 脳 の 巨 大 化 が 見 ら れ な か っ た パ ラ ン ト ロ プ ス 等 、他 の 人 類 は 100 万 年
程 度 前 ま で に は 全 て 絶 滅 し た 。こ の こ と か ら す る と 700 万 年 も 生 き 残 っ て い く た め に
は知識の高度化はやはり必須だったと言えるだろう。
19
日本においても朝鮮、韓国系の人々に対して蔑視するステレオタイプも未だに存在
す る 。そ れ を 象 徴 す る の は コ リ ア ン タ ウ ン と 呼 ば れ る よ う に 韓 国 系 商 店 が 立 ち 並 ぶ 東
京新大久保周辺で頻発する、韓国系住民に対するヘイトスピーチであろう。
20
仲 本 (2002)は 、 福 祉 ( 障 が い ) を 対 象 と し た 内 容 は 重 要 視 さ れ て い る の も か か わ ら ず 、
子 ど も の 理 解 を 図 る こ と が 難 し い 現 状 か ら 、深 く 障 が い 理 解 を は か る た め に は 、わ か り や
す い 知 識 の 情 報 提 供 を 図 る こ と が 重 要 で あ り 、そ の こ と に よ っ て 学 習 過 程 の 中 で 道 徳 的 な
心 情 と 行 動 が 芽 生 え て い く こ と に な る 、と 述 べ て い る 。具 体 的 に は 障 が い 者 を 理 解 す る 最
低 限 の 知 識 と し て 、研 究 対 象 と し た 文 学 作 品 中 に 取 り 上 げ ら れ て い る「 福 祉 作 業 所 」を 挙
げている。
21
知覚において偏りがあるということは、感情や知性の面においても我々は当たり前
と 思 っ て い る こ と の 中 に 同 様 の こ と が あ る こ と に な る 。 た と え ば 、 「ど の 親 も 、 子 供
が 大 き な 犬 や ク モ に 尻 込 み し た り 、暗 い 部 屋 に 入 る の を 恐 が る こ と を 知 っ て い る 。そ
の 一 方 で 子 供 は 、浮 か れ て 道 路 に 飛 び 出 し た り 、電 気 の コ ン セ ン ト に フ ォ ー ク を 刺 し
た り す る の が 大 好 き だ (オ ー ル マ ン ,1996)」。 こ れ は 獣 や 暗 闇 の 脅 威 や 危 険 性 に 比 べ 、
自 動 車 や 電 機 な ど は つ い 最 近 あ ら わ れ た も の で 、脳 の 中 に は 変 異 の 結 果 と し て の モ ジ
ュールとして位置づけられていないからであろう。
22
こ の 意 味 で「 私 た ち は「 現 代 を 生 き る 石 器 時 代 の 人 間 」な の だ( エ ヴ ァ ン ズ ,2003)。
23
バスが指摘するように、殺人も適応的であったと言える面は確かにあるが、かとい
っ て 殺 人 が 横 行 し 結 果 的 に 人 類 が 滅 亡 す る よ う な こ と 至 れ ば 、明 ら か に 遺 伝 子 の 指 示
に反することになる。
24
辻 ほ か (2008)は 子 ど も に お け る 喫 煙 行 動 に つ い て 、喫 煙 経 験 の あ る 児 童 は「 た ば こ に 害
が あ る と 思 わ な い 」と 答 え た 割 合 が 高 く 、喫 煙 に つ い て の 正 し い 知 識 を 持 っ て い る と は 言
え な い 調 査 結 果 を 報 告 し て い る 。こ れ は 逆 説 的 で は あ る が 、知 識 が 行 動 に 対 し て 大 き く 影
響することを例示している。
25
た だ し 実 際 に は 、性 教 育 の 不 足 も 指 摘 さ れ て い る 。入 谷 ほ か (2000)は 、高 校 生 に 見 ら れ
る 自 己 性 体 験 に 伴 う 妊 娠 や 性 感 染 症 な ど に つ い て の 不 安 は 、実 態 に 即 し た 知 識 を 学 習 さ せ
る指導がなされていないことによる、と述べている。
26
ス キ ー マ を さ ら に 細 分 化 し た 知 識 を ノ ー ド ( node) と 分 類 す る 見 方 も あ る 。
44
27
基 本 的 に 人 間 以 外 の 生 物 種 は ニ ッ チ( 生 態 的 地 位 )を は ず れ て 生 息 す る の は 困 難 で あ る 。
28
進 化 心 理 学 で は 人 間 の 知 性 の 進 化 は 、15 世 紀 イ タ リ ア の 政 治 思 想 家 マ キ ャ ベ リ が 著
し た『 君 主 論 』に あ る よ う な 権 謀 術 数 を 駆 使 し た 人 間 同 士 の 相 互 の 複 雑 な や り と り の
結果であるという「マキャベリ的知能仮説」が有力な学説である。
29
こ れ に つ い て は 、序 章 で 取 り 上 げ た 学 習 指 導 要 領 に 対 す る 神 崎 の 指 摘 の よ う に 、学 習 指
導 要 領 で は 道 徳 的 実 践 力 の 内 容 の 曖 昧 さ 、不 十 分 さ が あ り 、そ の た め そ の い わ ば 反 動 と し
て 説 明 し や す い 道 徳 的 価 値 の 自 覚 に よ る 心 の 豊 か さ 、を 前 面 に 打 ち 出 し て い る と 言 え る だ
ろ う 。だ が 、上 述 し た よ う に 実 際 に 学 校 現 場 で 求 め ら れ て い る の は 道 徳 的 実 践 力 、道 徳 的
行動であり、それを育成する指導法なのである。
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47
第2 部
特性と目標に関連した知識を習得する題材群の内容開発
第3章
特性と目標に関連した知識を習得する題材群の概要
第1節
題材群を構成する論理
1
題材群設定の目的
本研究における題材群とは、ねらいや習得する知識、また利用する行動の自動性の
ルートに共通性があるいくつかの授業を一つの授業パッケージとしてまとめたもので
ある。教科でいえば単元に当たることになるが、道徳の授業では 週一時間の設定とい
うこともあり、一つ一つの授業は内容項目にしたがった個別のねらいをもつ単独の位
置づけというのが一般的である。これに対して本研究においての習得させる知識は、
多岐にわたるというよりも、道徳的行動を促すために深く脳裏に刻ませるものである
こと から 、そ のね ら い に応 じて 類 別 す る こと を可 能と し てい る 。そ れら は大 別 すれ ば、
これまで述べてきたように特性と目標に関連した知識及びメタ認知のための知識であ
る。
このうちの特性と目標に関連した知識は、上述したように人間の行動のリソースと
なるものである。この知識を道徳的行動へ向けて目的的なものとし、自動性の特性ル
ートと目標ルートを応用することによって、実際の道徳的行動へとつながっていくの
である。したがって題材群の内容とその設定目的は、これらのルートに応じたものに
なる 。具 体 的な 目 的は 次の 2つ で ある 。
(1) 道 徳 的 ス テ レ オ タ イ プ の 形 成 - 特 性ル ー ト
道徳的ステレオタイプの形成は、道徳的な行動が求められるような認知場面に遭遇
した際に、言うなら反射的に道徳的な知識が想起され行動に直結できるようにするこ
とで あり 、そ の ため の 知識 は様 々 な認 知 対象 を道 徳的 な 観点 か らと らえ るも の であ る 。
道徳的ステレオタイプを形成するには、その特性を道徳的な観点から十分に学習し、
道徳的な知識として習得することになる。その知識が日常生活の中で道徳的な行動が
求められるような場面で、対象がプライムとなり道徳的なステレオタイプの特性が活
性化していくわけである。プライミングによる道徳的行動の促進という点から考える
なら、道徳的な行動が求められる場面というのが、明確に誰にでもわかる顕在化した
ものだけでなく、文脈的にも日常の生活に埋もれてしまい、なかなか気づきにくい状
況においても、自然と問題を察知し道徳的な行動化が図れるようになることでもあろ
う。
(2) ポジ テ ィブ 感情 の 形成 と言 語 表象 に よる 客観 性の 獲 得 - 目 標ル ート
ポジティブ感情の形成は道徳的な行動をとった場合の道徳的な高揚感を得るという
ことである。困っている人を助けて感謝されれば誰でも何とも言えない良い気分にな
48
る。これは他者が窮地に陥ったとき自己の利得を犠牲にしてその他者の利得に貢献す
ることが、結果的には自己にとっても集団にとっても利得の向上につながることを、
感情の状態として自覚できるように進化したものであると考えられる。脳神経科学の
分野から言えば、道徳的高揚感を実感しているのは脳内で信頼のホルモンといわれる
オキ シト シ ンの 分 泌量 が増 大 し て いる 状 態で ある (ハ イ ト ,2011)。
こうした道徳的高揚感は実際に行動して実感するのが一番であるが、その行動を促
す授業であるので、まずは高揚感が感じられる資料によって道徳的な行動の心地よさ
を実感させるのである。このことにより道徳的な行動を目標として設定や選択を一層
促す こと に なる 。
ま た 言 語 表 象 に よ る 客 観 性 の 獲 得 は 、 道 徳 的 な 行 動 が 促 さ れ る ス ト ー リ ー や 、 因果
的な事象の展開を想起させるタグとなるキーワードを習得することによって、それが
求められる場面に遭遇した際に、道徳的な行動をより起こしやすくさせるような客観
性を得ることができるということである。つまり道徳的な行動の必要性が、自分個人
の思 い込 み では な く 、 誰に とっ て もそ う であ ると 確信 さ せる と いう こと であ る 。
これらの目的を達成するためには、道徳的行動に向けての目標設定に資するストー
リー 性の あ る 知 識 を習 得す るこ と にな る 。
2 資料の取り扱い
従来の道徳授業では、主題となる道徳的価値を心情的に理解させることに主眼が置
かれ、資料の内容というのはいわば手段であった。そのため資料の内容そのものは重
視されず授業を受けた児童生徒の記憶にもそういつまでも残ることもなかった。しか
し、前項で述べたように人間の特性表象というのは具体的な内容と連合して学習され
るものである。たとえば「思いやり」という特性表象かつ道徳的価値内容は、他の機
会でもよく指摘されるように「思いやり」という言葉だけを記憶したところで道徳的
行動にそのまま結びつくものではない。具体的な行動としての内 容が連合していなけ
れば本来の意味も理解されないであろう。さらに具体的な内容といっても、資料中の
登場 人物 が ある 町 に住 む A 君と いっ た漠 然 とし た人 物 像で あ り、 その 行動 や 心情 を 通
してストーリーが展開するパターンばかりでは具体性、現実性に欠けることになる。
そのため同様のパターンの資料が繰り返し提示され、内容としての馴化が進めば自分
とは関係ない他人事と扱うようになってしまうだろう。このことから本題材群を含め
た本 研究 に おい て は、 具体 的な 内 容が 展 開さ れ明 示さ れ てい る 資料 を取 り扱 う 。
具体性のあるストーリー展開が道徳的な特性表象と連合するものとして、もっとも
適格 なの は 歴史 的 事象 であ ろう 。事 実に ま さ る具 体的 な スト ー リー はな いか ら であ る 1 。
歴史的事象は社会科の歴史的分野で学習されるものであり、その分野とまたがること
になるのではないかと指摘されるかもしれない。しかし、その学習内容はどの学校教
育段階でも政治的な政策や動乱、あるいは為政者の変遷といったものが中心である。
49
そこに結果としての事実はあっても具体的な人間像が展開されているとは言い難い。
その意味で歴史の中で実在した人物の特性表象と連合する道徳的な行動を取り上げ、
知識 とし て 習得 さ せ る 授業 の必 要 性は 大 きい 。
特性と目標に関連した知識を習得する授業での資料は、読み物資料あるいは掲示資
料 2 である 。た だし 読 み 物資 料と い って も 日常 生活 の中 の 場面 か ら取 り上 げた も ので は
なく、歴史的な逸話といったものである。これらの二つは基本的には教師が設定、準
備するものであるが、次章で取り上げるように生徒が活動の中から自ら作成するもの
もある。具体的には生徒が地域の方々に聞き取り調査(インタビュー)を行い、それ
を短かい文章として整理し、クラス分をまとめるのである。現実生活の中で道徳的な
行動を目標として設定していく場合、教師から与えられたものでなく、現実生活の中
で生徒が自ら活動し体感した内容を資料とすることは非常に有用なことであるはずで
ある 。
このように資料において重要なのは具体性であり、それが現実性となって生徒に道
徳性について考える機会を提供し、また知識を習得していくモチベーションとなって
いくのである。ここに提示した資料の内容だけが優れているというわけではないが、
その 観点 を 持っ て 作成 、検 索す る こと が 必要 であ る。
3
題材群における授業の評価
特性と目標に関連した情報としての知識を習得する題材群の授業においては、道徳
的行動を促す知識の定着を見るという主旨の客観評価が可能である。特性、目標関連
情報としての知識は誰でも知っている常識とされるべきものであり、 学習評価におい
ても生徒が基本的な内容を習得したかを見るものである。したがって生徒に言うなら
自信を持たせることがねらいとなる。無論これは児童生徒の道徳性の定着を見るわけ
ではない。道徳授業の実施による児童生徒の道徳性向上に関する評価尺度は存在する
ものの、実際にその結果をそのまま受け入れてよいものかは判断が難しいところであ
る。その点この授業では特性、目標関連情報としての知識の習得に重点を置くため客
観評価が可能になる。客観評価とは知識の習得状況を計った結果であるからたとえば
ABC の 3 段階 評定 と い うこ とに な る 。評 価対 象と する 知 識は 資 料中 の中 心と な る登 場 人
物名や地名、事象に関する内容が考えられ、まじめに取り組めば誰でも答えられる程
度の 難易 度 とす る 。
4
学習指導要領内容項目との関連
学習指導要領内容項目は文部科学省が定める学習指導要領において、学校における
道徳教育の内容として定められているものである。小学校低、中、高学年にそれぞれ
50
16、18、22 項 目 、中 学 校 に 24 項 目に わ たっ て示 して い る。こ れ ら は、つ まり は身 を 修
める のに 必 要な 徳 目と いう こと で ある 。
人間は社会の中で相互に協力し合い、助け合っていかなければ生きていけるもので
はなく、社会も安定的に維持できるものでもない。そうしたことのために必要な徳目
が内容項目中に凝縮されており、それを養っていくことは当然必要である。ただし、
上述してきたように徳目の内容そのものが知識となっては意味がなくなる。結果とし
てそのような徳目、道徳性が養われるような教育が必要なのである。 特性と目標に関
連した情報としての知識は、その知識を習得したことにより、自然と道徳的な行動を
とることができるようにしていくためのものであり、一般の道徳授業と同様、授業の
ねらいとして設定していくことができる。その意味では、現在の道徳 授業の指導計画
の中 にも す ぐに 取 り入 れて いく こ とが で きる であ ろう 3 。
5
対象学年
本題材群を学習する対象学年は中学校1年生または2年生とする。本題材群におい
て取り扱う特性と目標に関連した知識は、道徳的行動のリソースとなるものであり、
学習内容としているのは、道徳性の基本となるものである。その点において、比較的
初期 段階 の 学年 の 方が 適し てい る 。
6
キャリア教育との関連
本題材群における資料には、上述したように地域のお年寄りに聞き取り調査をした
内容も提示する。お年寄りへの調査内容は、地域のかつての姿が中心であるが、内容
としては必然的に各お年寄りの職業を通しての地域との接点が出てくることになる。
また仕事の内容そのものも現在とは異なる面も多くある場合もある。そのためこの調
査活動は、そのままキャリア教育としての側面も持つことになる。そこで、この調査
活動 に関 す る内 容 を中 心に 、本 研 究と キ ャリ ア教 育と の 関連 を 確認 する 。
キャ リア 教 育は 、「 一 人一 人の 社 会的・職業 的自 立に 向 け 、必 要な 基盤 とな る 能力 や
態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育 4」であり、職業の意義や種類、
特性等についての概要の習得と職場体験学習での実践を中心とした学習活動である。
職業について学習したり、実際に仕事を体験してみたりすることは、職業倫理や企業
倫理について学ぶことにもなり、結果としてキャリア教育には道徳教育としての意義
も含 まれ る こと に なる 5 。本項 で 提示 する 生 徒 のお 年寄 り への 聞 き取 り調 査に お ける キ
ャリア教育としての側面が、どのように道徳的行動を促していく特性と目標に関連し
た知 識の 習 得に 資 する か に つい て は二 点 、以 下に 挙げ る 。
第一に、明確な職業倫理と道徳的な勤労への態度が調査の中であらわれることであ
る。聞き取り調査の対象となるお年寄りは全て職業的な具体的役割を持って地域に貢
51
献してきた方々であるので、強い職業的な自負心を持っている。かつての地域の様子
を話す内容は、客観的、一般的なものであっても、基本として自らの立場や役割を通
して の達 成 感や 充 実感 が土 台と な って い る 。だか らこ そ 、地元 地 域 を愛 する 心 が強 く、
地元に長くとどまっているのであり、中学生のインタビューにも快く応じているので
ある。言葉の端々にあらわれるそうした道徳的側面は、直接調査をしている生徒に影
響 を 与 え 、「 お 年 寄 り は が ん ば っ て 働 い て き た 」「 長 い 間 働 い て き た お 年 寄 り は 本 当 に
えら い」とい っ た 道 徳 的 ス テレ オ タイ プ を形 成し てい く 知識 を 得る こと にな る だろ う 。
また そう し た影 響 は、 調査 内容 を まと め た 全 体と して の 文章 に もあ らわ れる だ ろう 。
第二に、このような活動によりお年寄りがさらに積極的に若い世代に対して、職業
的な倫理や道徳を含めた自身の経験や見聞の内容を開示していくことが期待されると
いうことである。たとえば「敬老」という徳目を習得させようと思っても、その存在
が文章や話の中のお年寄りではいたって現実感がないため浸透せず、むしろ逆効果に
なってしまう場合もある。そこでこのような直接話を聞くような機会が、本項で提示
した活動が契機になり、様々な方法で持たれるようになれば、お年寄りへの敬意が自
然と生まれるようになるはずである。具体的な統計資料はないが、お年寄りは元気に
家を出て活動している方もいるとはいえ、多くは家庭内にとどまり、家族以外との接
触もそれほど多くないのが実際であろう。そしてその一方で、内心では若い世代は知
らないが自分は知っているといった知識を披歴したいという気持ちも持っている もの
であ る 6 。こ う した 調査 活動 によ っ て 、一 回 話 をす れば ま た話 し てみ たい と思 う 人も 多
くあ らわ れ るだ ろ う。
このようにキャリア教育の道徳教育としての側面では、主に職業的な倫理観や勤労
の尊さ、全力で役割、使命を果たすことの充実感や達成感を学ぶという意義がある。
本項での聞き取り調査活動は、それを文章化し資料として授業で用いるものであり、
道徳的な内容をさらに知識化して習得することになる。その点において、道徳的な行
動を促していく上でも生徒の職業への理解を深めキャリア発達を促していく上でも大
変意 義が あ ると い える だろ う。
第2節
1
題材群の全体構成
概要
本題材群は人間が安心して社会生活を送る上で、道徳性は不可欠なものである、と
いうことをまず確認するものである。そのことが道徳的ステレオタイプやポジティブ
感情の形成となり、言語表象と道徳性との関係を理解させることになるのである。し
たがって生徒に直接理解させるのは、人間の道徳性について学んでいく上での基本で
あり 、こ こ では 二 点に わた り そ れ を理 解 させ てい く。
まず一点目は自己中心にならず他者を尊重する、という姿勢が大切なことであると
52
いうことである。ただし本題材群における他者は、単なる自分以外の者というより、
自分、もしくは自分が所属する集団における一般的な標準から見て、明らかに弱い面
や劣っている面を持っているという意味の他者を想定している。そうした他者に対し
て、有利な立場や状態にある自分が、その優位性を捨てて誠実に対応することの必要
性と 重要 性 を理 解 させ るも ので あ る。
二点目は自分自身に対して叱咤激励する姿勢である。人間の立場や状態などは大変
不安定なものであり、有利な立場にいた自分が何かのきっかけで反対に今度は不利な
状態に追い込まれることはよくあることである。そうしたときに、不利になっている
ことをただ嘆くのではなく、努力に努力を重ねて、その要因や課題を克服し、さらに
は新たな活路を見出していくといった逞しさが必要である。それがなければ厳しい世
の中を力強く生きていくことは到底できないだろうし、心から他者を尊重する姿勢も
身に つか な いだ ろ う。
以上の道徳性の基本を身につけ道徳的行動につなげていく知識は、上述の通り特性
に関連した知識としてのステレオタイプの形成と、目標に関連した情報としての道徳
的行動の結果に対するポジティブ感情の形成と増幅のための知識 、及び言語表象によ
る目標設定と採用における客観性の獲得のための知識である。そしてその代表的な要
素としての習得する知識のテーマを次の四点として挙げた。①顔の美醜②高齢者③立
場を超えた人道的な行動④逆境に負けず自分の才能を伸ばす、である。これらをまと
めた のが 表 3- 1 であ る。
表3 -1
特性 と 目標 に関 連し た 知識 を 習得 する 授業 の 全体 構 成 ( 筆者 作成 )
題材 名( 設定
習得する知
習得する具
の目 的)
識の種類と
体的 な知 識
学習 内容
理 解 ね ら 教材
画
さ せ い と
具体的テー
る 道 す る
マ
徳性
指導計
内 容
項目
提 示 1 時間
「顔って何
道徳的ステ
顔は自分の
かっこいい
他 者 1-(5)
のためにあ
レオタイプ
気持ちをあ
顔はパター
の 尊 「個性 資料
る の だ ろ
を形成する
らわす窓で
ンが決まっ
重
う ? 」( ス テ
知識:顔 の美
あり、自 分の
てお り、全員
レオタイプ
醜
個性 であ る。 が 同 じ に な
の形 成)
扱い
の 伸
長」
ってしまえ
ば個性はな
くな る。
生 徒 1 時間
「ふるさと
道徳的ステ
お年寄りか
班ごとにお
他 者 1-(8)
調 査 隊 」( ス
レオタイプ
ら聞いた地
年寄りにイ
の 尊 「 郷 作 成 扱い8
テレオタイ
を形成する
元地域のか
ンタビュー
重
53
土愛」 資料
プの 形成 ) 7
知識:高 齢者
つて の様 子
した内容の
お年寄りは
発表
昔のことを
知っている
語り 部
読 み 1 時間
「板東俘虜
道徳行動に
板東俘虜収
第一次世界
他 者 2-(2)
収容所と松
向けての目
容所と松江
大戦後の板
の 尊 「 人 物 資 扱い
江 豊 寿 」( 道
標設 定:立場
豊寿の存在
東俘虜収容
重
徳的行動の
を超えた人
と行 動
所における
思 い
結果に対す
道的 な行 動
収容所長松
やり」
るポジティ
江豊寿の経
ブ感情の形
営内容と地
成と増幅の
元の人々と
ため の知 識 )
の交 流
間愛, 料
読 み 1 時間
「瑠璃も玻
道徳行動に
「瑠璃も玻
歌手として
自 分 1-(2)
璃も照らせ
向けての目
璃も照らせ
挫折した主
へ の 「 希 物 資 扱い
ば 光 る 」( 道
標設 定:逆境
ば光 る」の意
人公が周囲
叱 咤 望,勇 料
徳的行動の
に負けず自
味(す ぐ れた
の励ましに
激励
結果に対す
分の才能を
素質や才能
よって作曲
い 意
るポジティ
伸ば す
をもつもの
家として成
志」
ブ感情の形
は、ど こ にい
功す る。
成と増幅の
ても目立つ
ため の知 識 )
というたと
気,強
え)
2
各授業内容の構成
(1) 「 顔 っ て 何 の た め に あ る の だ ろ う ? 」
人 間 の 顔 と い う も の は 、 何 の た め に あ る の か と い う こ と を 考 え さ せ る 授 業 で あ る。
とかく人間は見た目にこだわり顔の美醜にも敏感であり、そのことで他者を見下した
りまた自分を卑下したりということもありがちである。しかし人間の顔は能面ではな
く喜びや悲しみ、また人間性をあらわすものであり、いわば実用的な側面を現実的に
考えさせていくことにより、見た目にこだわる生得的な人間の性質を克服し実用的な
顔の ステ レ オタ イ プを 形成 しよ う とい う もの であ る。
(2) 「 ふ る さ と 調 査 隊 」
54
この授業は総合的な学習の時間における実践的な活動と組み合わせた道徳授業であ
る。生徒は班ごとに地元地域のお年寄りに昔の地域の様子について聞き取り調査を行
う。そこで明らかになってくるのは、自分たちはもちろん親世代も知らない地域のか
つての姿である。授業ではその調査した内容を文章にまとめて、班ごとに発表する。
したがって従来の道徳の時間というより学級活動的な内容となる。しかし、お年寄り
に聞き取りを行い地域の歴史を知るという活動を行うことによって、お年寄りという
のは自分たちには決して真似のできない貴重な語り部であるという認識を持 ち、さら
に地元の地域に対する理解を深めることができるのである。さらに取材した内容を記
事として地元地域で発行されている地域情報紙に掲載する。このことによって、 お年
寄り の存 在 と役 割 を生 徒の 手に よ って 地 域住 民に も広 報 する の であ る。
(3) 「 板 東 俘 虜 収 容 所 と 松 江 豊 寿 」
この授業では有名な第一次世界大戦後、徳島県に設けられた「 板東俘虜収容所」に
おける収容所長松江豊寿のドイツ人捕虜に対する人道的な行動の逸話を取り上げる。
この有名な逸話は、一般的に歴史の授業では全く取り上げないか、この時代の説明の
中で若干触れる程度である。中学校の歴史の授業では膨大な内容があり、このことだ
けで1時間を費やすのは無理があるのが実際である。そこで道徳の時間で取り上げる
ということになる。ここではその代表として「板東俘虜収容所」を取り上げたが、他
にも 取り 上 げる べ き歴 史的 逸話 は 少な か らず 存在 する 9 。ま たあ ま り 知ら れて い ない 重
要な 逸話 も ある か もし れな い。そう し たも の を発 掘し て いく こ とも 重要 とな る だろ う 。
(4)「 瑠 璃 も 玻 璃 も 照 ら せ ば 光 る 」
この授業では、標記のことわざの意味を、読み物資料の内容に即して理解させてい
く。この場合の読み物資料は一般的なものであり、授業のパターンも従来的なものと
なる。本研究においては心情主義のスタイルは批判的に取り上げているが、心情を推
察し理解させるという授業は、それによって一つのことわざを習得するという具体的
な結 果を 残 すこ と によ って 有用 性 が高 ま るこ とに なる 、 とい え るだ ろう 。
3
構成上の留意点
(1)知 識 と 資 料 の 組 み 合 わ せ
本題材群では特性に関連した情報としての知識は、掲示資料や実践による生徒自作
資料を、目標に関連した情報としての知識は読み物資料を用いているが、この組み合
55
わせ は特 に 固定 的 なも ので はな い 。異な っ た 組み 合わ せ でも 構 わな いだ ろう 。た だし 、
読み物資料を用いる場合はその内容が現実性に欠けるようものでは、効果が上がらな
いだろう。特に高齢者、つまり敬老を扱う場合は、そのこと自体は誰でも了解されて
いる内容であることから、読み物資料の内容によってはかえって白々しく感じること
になる。ここに示したように生徒自身の活動によって自ら資料を作成 した方が、より
現実 的な も のと し て受 け入 れら れ るだ ろ う。
(2)授業 の 順 序
本題材群では、特性に関連した情報としての知識についての授業を先に、目標に関
連した情報としての知識についての授業を後にしてあるが、これらは段階的に習得し
なければならないものではないので、特に順序にこだわらなくてもよいと思われる。
順序 を逆 に して も 、ま た並 行し な がら 行 って も構 わな い だろ う 。
<註>
1
ただ し、 現在 用 いら れて いる 道 徳副 読 本の 中に は歴 史 上の 人 物を 取り 上げ て いる も
のも 少な く ない。だ が 、それ ら はそ の人 物 が とっ た行 動 に焦 点 を当 てる とい う より も、
人物 その も のを 取 り上 げた 一代 記 的な も のが 多い 。そ のた め 道徳 的 な特 性表 象 とし て
は曖 昧に な りが ち であ る。
2
本研 究に おけ る 提示 資料 は、 統 計資 料 や図 、写 真と い った 黒 板に 掲示 した り 教師 が
手に 持っ て 示す 資 料で ある 。
3
た だ し、 本題 材 群で は本 研究 の テー マ が人 間行 動の 自 動性 に 焦点 を当 てた も ので あ
るこ とか ら 、習 得 する 知識 の内 容 が内 容 項目 と十 分一 致 しな い 部分 もあ る。
4
中央 教育 審議 会 (2011)「今後 の 学校 にお け るキ ャリ ア 教育 ・ 職業 教育 の在 り 方に つ
いて (答 申 )」
5
キャ リア 教育 と 道徳 教育 の関 連 につ い ての 研究 も少 な から ず 見ら れる 。た と えば 白
木み どり(2010)。
6
筆者 は本 項で の 活動 も含 めた キ ャリ ア 教育 の学 習活 動 に関 連 して 、地 域の 多 くの お
年寄 りに 事 前の 準 備と して 話を 聞 く機 会 を多 く持 った が、全 員と 言 って よい ほ ど各 お
年寄 りは 饒 舌で 、 話を 打ち 切る の に苦 労 する こと が多 か った 。
7
この 授業 では 、 お年 寄り に班 ご とに イ ンタ ビュ ー活 動 を行 う 。し たが って そ れに 費
やす 時間 は 道徳 授 業で 設定 する こ とは 不 可能 であ る。した が って 必 然的 にた と えば 総
合的 な学 習 の時 間 等と 連動 する こ とに な る。本授 業ま で に至 る 総合 的な 学習 の 時間 に
おけ る指 導 計画 を 次に 挙げ る。
56
時
指導のねらい
配
学習
評価規準(評価方法)と
形態
教師の支援
【記号:評価の観点(Ⅰ
学習内容・学習活動
関心・意欲Ⅱ思考・判断
Ⅲ 課 題 設 定 Ⅳ 資 料 活 用 )、
◎:支援】
1
・「 ふ る さ と 調 査
○オリエンテーション1
|
隊 」の 概 要 を 理 解
・「 ふ る さ と 調 査 隊 」 の 活 動 概 要 を
さんのレクチャーに関心
2
し 、今 後 の 活 動 へ
説明する。
を持つことができたか。
学年
Ⅰキャリア学習や編集長
の意慾化を図る。 ○オリエンテーション2
◎これまでの活動の様子
・地 域 情 報 社 の 方
・地 域 情 報 紙 編 集 長 を 招 き 、企 業 理
や実績も説明する。
のレクチャーを
念や取材活動のポイントをレクチ
通 し て 、取 材 活 動
ャーしていただく。
の内容とポイン
トを理解する。
3
・取 材 に 向 け て 銭
○取材に向けて
生活
Ⅱ取材対象者に応じた質
|
員が参画すると
・取 材 先 の 確 認 と 班 ご と の 分 担 を 決
班
問内容を考えることがで
4
いう意識を持た
める。
きたか。
せる。
・班ごとに取材内容を決める。
◎取材対象者についての
必要な情報を与える。
・地 域 の か つ て の
○地域取材
生活
Ⅰ取材対象者に適切な対
5
様子を知ること
・班 ご と に 取 材 先 へ 移 動 し 、取 材 活
班
応をすることができた
|
に よ り 、地 元 地 域
動を行う
か。
10
への理解と愛着
○ 取 材 内 容 の ま と め と 原 稿 作 成 、プ
Ⅲインタビューの答えの
を深める。
レゼン準備
中で必要な内容を抽出で
・地 域 情 報 紙 へ 記 ・取 材 し た 記 事 を も と に エ リ ー ト 情
きたか。
事を掲載するこ
報の記事を作成する。
Ⅳ的確な内容で記事やプ
と に よ り 、事 項 効
・同時にプレゼン用紙に文と写真、
レゼン用紙を作成できた
力感を向上させ
イラスト等の作成を進める。
か。
る。
◎取材に同行し、必要な
アドバイスをする。
8
こ の 授業 案に つ いて は 1 時 間展 開で あ るが 、班 の数 や 発表 内 容に よっ て複 数 時間 扱
いと もな る 。
9
文部 科学 省 が 2014 年 度か ら小 中 学生 に 配布 して いる 道 徳教 材 「私 たち の道 徳 」に は
1890 年オ ス マン 帝国 の軍 艦エ ル トゥ ー ルル 号が 、現在 の 和歌 山県 沖で 遭難 し 、地元
住民 が救 助 と生 存 者の 介抱 に当 た った 逸 話が 取り 上げ ら れて い る。 また 第二 次 世界
57
大戦 中の 「 命の ビ ザ」 で知 られ る 外交 官 、杉 浦千 畝を 取 り上 げ てい る中 学校 用 の道
徳副 読本 も ある 。
<文献>
ハイ ト,J.
藤澤 隆 史 、藤 澤玲 子 訳(2011).『しあ わせ 仮 説- 古 代の 知恵 と 現代 科 学の
知恵 -』 新 曜社
pp.285f.
白 木 み ど り (2010) . 道 徳 教 育 を 基 盤 と し た キ ャ リ ア 教 育 と コ ミ ュ ニ テ ィ ー 道 徳 力 道
徳と 教育
54, 273-275.
58
第4章
特性に関連した道徳的ステレオタイプを形成する授業の内容開発
第1節
授業内容を構成する原理
1 道徳的ステレオタイプを形成する意義
道 徳 的 な 行 動 を 自 然 に 起 こ す こ と が で き る よ う に す る に は 、 そ れ が 必 要 と な る 場面
における対象に対して道徳的な意味合いを持たせることが必要である。つまり道徳的
なス テレ オ タイ プ を積 極的 に形 成 して い くこ とが 重要 と なる 。
人間はあらゆる認知対象に一定のステレオタイプを持っている。 一般にステレオタ
イプ は偏 見 につ な がり やす く 、 対象 に対 す る 正当 な 理 解 を阻 む 要因 にも なる 1 。し かし
ステ レオ タ イプ は 、
「 いわ ば経 験 を予 想 した いと の思 い から 、前 も って 情報 を 分類 し て
お く 方 法 の 一 つ(ア リ エ リ ー ,2008)」 で あ り 、 こ れ が な い と 、 認 知 対 象 の 意 味 あ い が そ
の都度異なることになり、客観世界を定常的なものとして理解するのは難しくなる。
また人によってその意味が変わってくるようであれば、安定した社会生活を送るのは
まず不可能になる。したがってネガティブな意味合いを持つステレオタイプを形成し
ないようにしていくことが重要であり、特に現状において本来道徳的な視点を持つべ
き対象に偏見が持たれているような状況があれば、それを積極的に修正していくこと
が必要である。上述した特性ルートにおける自動性のモデルでいえば特性表象のいわ
ば道 徳化 を 図る と いう こと にな る 。
ダ イ ク ス テ ル ハ ウ ス ら (2009)に よ れ ば 特 性 表 象 と は 人 の 特 徴 に 関 す る 概 念 で あ り 、
代表的な行動と連合している。一般的には、たとえば「礼儀正しい」という特性概念
は、
「 お菓 子を も らっ たら お礼 を 言う 」と い う具 体的 な 行動 が 発達 初 期 に結 び 付け ら れ
て学習される。つまりは躾ということになる。日常場面としては、混んでいるバスで
お年寄りが座れずに立っているという場合、その状況に対して「お年寄 り」という存
在、そして「お年寄りが困っている」ということに関して道徳的なステレオタイプと
して 認知 す るよ う な知 識を 習得 し てい れ ば、「 いた わり 」あ るい は「 敬老 」と いう 特性
表象と座席を譲るという行動が連合して、躊躇せずに行動に移すことができる、とい
うこ とに な る だ ろ う。
現在の道徳教育では、たとえば敬老のように社会的にその道徳的な意味が広く周知
されていると考えられている内容については、それを前提にして資料が作成されてい
る場合が多く、そのこと自体のステレオタイプが形成できるよう十分に学習できるよ
うにしているとは言い難いのが実際である。対象を具体化し、それに対する道徳的な
ステ レオ タ イプ を 意図 的に 形成 し てい く こと が必 要で あ る。
2 道徳的ステレオタイプの形成のための知識を習得する授業
59
この知識は社会生活を送る人間として身の回りの中で常識的な道徳的価値をステレ
オタイプとして習得させていくものである。形成すべきステレオタイプというのは考
えてみればすべての道徳的価値そのものといえるかもしれないが、全てを道徳授業に
おいて網羅するというのは実際問題として困難である。そこで、道徳的な行動が求め
られる認知状況となりやすい代表的な対象を二つ選び、それを習得するための授業内
容を 示し た い。具 体的 対象 とし て は、今 日的 な状 況を 踏 まえ「 顔の 美醜 」と「 高 齢者 」
を挙 げる 。
(1) 「 顔 の 美 醜 」 に つ い て の 道 徳 的 ス テ レ オ タ イ プ を 形 成 す る 授 業
「顔 の美 醜」は見 た 目で 人を 判 断し て しま うと いう 生 得的 な 人間 の性 質を 代 表す る も
のと して 取 り上 げ る。顔の 外見 は その 人 物の 好悪 を判 断 する 重 要な 指標 の一 つ であ る 。
そし て顔 に 対し て は美 醜の 感覚 を 人間 は 持っ てお り、魅力 ある 外 見 は「 Beauty is good
ステ レオ タ イプ ( Dion, Berscheid,Walster,1972)」と して 知ら れ て いる 通り 、そ れだ け
で 人 物 に 良 い 評 価 を 与 え て し ま う 2 。「 人 は 外 見 で 判 断 す る も の で は な い 」 と い う こ と
は、誰もが認めるところであるが、実際には見た目の魅力がもてはやされ、外見だけ
をより良く見えるように変化させる美容整形手術も、若い女性を中心に広く行われて
いる 3 。顔の 美醜 の 感覚 は進 化の 過 程で 繁 殖の 確実 性が 高 い健 康 な配 偶者 を選 択 する 際
の重 要な 指 標の 一 つに なっ たと 考 えら れ る 4 。基本 は病 気 に侵 さ れて いな い健 康 さを 証
明する顔のつくりの左右の均等性と、栄養状態の良好さを示すふくよかさ及び血色の
良い 顔色 で ある 5 。こ の 指標 は人 間 にと っ ては 言わ ば本 能 であ る ので 、時代 に よっ て美
醜の基準の多少の変化はあるにしても、その感覚を消し去ることはできない。現代で
は健康の程度の指標は医学的に確立されており、本能と言える生得的な見た目の感覚
に頼る必要はほとんどないのが事実である。それへのこだわりを消すことはできなく
とも 、減 じ させ て いく のは 教育 に しか で きな いこ とで あ ろう 。
だが、現実には見た目で好悪を判断する傾向は学校でも深く浸透しており、顔立ち
や体型、皮膚の色や髪の毛の質、といった点が他の多くの者と異なる特徴があること
によるいじめは、多々見られるところである。本来であればこれら全てを含めて、見
た目の印象についての道徳的ステレオタイプを形成していくべきであるが、内容的に
多くなるすぎるということと、あまりにも具体的な身体的特徴について取り上げすぎ
ると、該当する個人の人権的な問題が発生することにもなり現実的ではない。そのた
め、「 見た 目」 の 多く の要 素を 占 める 顔 につ いて の内 容 を 取 り 上げ る の であ る 。
(2)「高 齢 者 」 に つ い て の 道 徳 的 ス テ レ オ タ イ プ を 形 成 す る 授 業
「高齢者」は「弱者」を代表する意味で取り上げる。とかく人間は、弱者や不利な
立場にいる者に対して、自らが強く有利な立場にある場合には必要以上に高圧的に接
するものである。現在の加速する高齢社会にあって高齢者は、勤労世代に扶養される
60
認知 能力 が 衰え た 厄介 者、と で もい うべ き 位 置づ けに な りつ つ ある 6 。こう し た風 潮が
蔓延すれば敬老どころではなくなり、混雑するバス車内で座れないでいるお年寄りに
シルバーシートでも座席を譲らないのが当たり前になってしまうかもしれない。敬老
の重要性、必要性はこれも誰もが否定することはないだろうが、眼前に高齢者がいれ
ば、老いているという現在のその姿だけでマイナスに評価し判断し弱者として扱って
いる のが 実 際で あ る。
大切なのは現在に至るまでのその人の歩みを、その立場に立って考えることができ
るか、である。たとえばバスの車内で目の前につらそうに立っているお年寄りに対し
て 、次 の よう な思 い が 脳裏 に浮 か んで く るよ うに なる べ きで あ ろう 。
「 この お年 寄 りは 、
これまでの長い人生で筆舌に尽くしがたい様々な苦労があったことだろうし、現在で
はひ ょっ と する と 独り 暮ら しで 寂 しい 思 いを して いる の かも し れな い」。そし て、さら
に連鎖して自分の肉親のこと、最近の世間での高齢者についての決して明るくない話
題等へも思いは深化していくはずだ。とすれば、ここで自分が立ち上がり譲るしかな
い、という結論に達するだろう。このように言葉だけで「敬老」を習得するのではな
く、人物を見てその人生まで思い至るようになるというステレオタイプを形成するの
であ る。
第2節
1
徳性に関連した情報としての知識を習得する授業の内容
題材「顔って何のためにあるのだろう?」
(1)ねら い
・人間の顔のつくりそのものに価値があるのでなく、その「使い方」にこそ価値があ
るこ とを 理 解さ せ る。
(2)習得 す る 知 識
・顔 は自 分 の気 持 ちを あら わす 窓 で あ り 、自 分の 個性 で ある 。
(3) ねら い と す る 内 容 項 目
1-(5)「個 性の 伸長 」
(4)展開
学習 内容 と 発問
予想される生徒の
指導 上の 留 意点
教材
反応
導
・顔の 美 醜に つ いて の 一般 的
ステレオタイプを
・ステ レオ タ イプ を表
タ レ ン
入
ステレオタイプの確認をす
表出 する
出させるのがねらい
ト の 写
る
・「 も てる から 」
なの で 、率 直 な意 見を
真
・かっ こ いい タ レン ト の写 真
・「 い い 気 分 に な れ
言わ せる
を見 せる
るか ら」
・「 な ぜ 、 か っ こ い い 顔 が 良
61
いの だろ う 」
展
・顔の 美 醜に つ いて の 一般 的
・一 般 的に 一 致に し
・生徒 に答 え させ た後
合 成 し
開
規準 を確 認 する
てい る点 を 挙げ る
で 、実 はこ の 写真 の人
た写 真
・世界 で か っ こ いい と 思わ れ
・「 鼻 筋 が 通 っ て い
物はこの世には実在
る顔 を合 成 した 写 真を 見せ、 る」
せず,この 写真の 場合
かっ こい い 顔の 条 件を 聞く。 ・「 目 が大 きい 」
は西欧の人たちが美
人と思う顔をコンピ
ュータで合成したも
ので ある こ とを 示 す
・みん な がか っ こい い 顔に ど
・「 不 気味 」
・顔の好みは概ね時
イ ラ ス
うなってしまうかを考えさ
・「 気 持ち 悪い 」
代 、社 会で 一 致し てい
ト
せ、そ れ をイ メ ージ し たイ ラ
る。 とい うこ と は、世
スト を見 せ 、感 想 を聞 く
の中の人々がかっこ
いい顔になろうとし
て 、全 員が た とえ ば整
形手術をしてしまえ
ば 、み んな が ほぼ 同じ
顔になってしまうこ
とに なる 。そ れを イメ
ージしたイラストを
見せ る
・いろ い ろな 人 間の 顔 の写 真
・簡 単 に見 分 ける こ
・ごく普通の様々な
様 々 な
を見 せて 、見 分 けが つ くか を
とが でき る
人々 写真 を 見せ 、区別
人 の 写
がつ くか を 問う 。簡単
真
聞く 。
に確認する程度でよ
い
・今度 は いろ い ろな チ ンパ ン
・見 分 け る の は難 し
・人間 の顔 で は大 変細
チ ン パ
ジー の顔 を 見せ て、や はり 見
い
かい違いでも容易に
ン ジ ー
見分けがつくことを
の 顔 の
強調 する
写真
分け がつ く かを 聞 く
・チン パン ジ ー同 士で
は十分区別できるこ
とを 確認 す る
・人の 顔 の 普 通 の状 態 の顔 を
・反 転 写真 を 回転 さ
・人間 には 人 の顔 のつ
反 転 写
上下 を反 転 させ た 写真 と、同
せる と 、そ の 印象 の
くりを認識する特別
真
一人物の目の部分と口の部
大き な違 い に 驚 く
な能力があることを
62
分を逆にして張り合わせた
説明 する
上 下 反 転 写 真 7を 一 緒 に し て
示す 。こ の状 態 では 、多少 違
和感はあるもののさほど変
わっ た印 象 はな い
・これ を 徐々 に 上下 を 回転 さ
せて反転させていくと大き
な印象の違いがあらわれる
こと を示 す
・顔に つ いて の 1回 目 の考 察
・こ れ まで の 内容 を
を行 わせ る
参考 に考 察 する
・「 人 間 の 顔 は 何 の た め に あ
・「 人 を 区 別 す る た
るの だろ う ?」
め」
・様々 な 人間 の 表情 の 違い の
・う れし い
・人間 の表 情 認知 は世
様 々 な
写真 を見 せ、そ れぞ れ ど の よ
・怒 って い る
界中共通であること
表 情 の
うな気持ちをあらわしてい
・悲 しい
を確 認す る
写真
・眉毛 と 口元 を 動か せ るイ ラ
・眉 毛 と口 元 を操 作
・わず かず つ それ ぞれ
眉 毛 と
スト を実 験 的に 使 って 、少し
する
を動 かし て 、それ ぞれ
口 元 を
の造作の違いでどのような
どのような人間の内
動 か せ
表情 にな る かを 考 えさ せる。
面の様子を表してい
る 顔 の
るか を答 え させ る 。生
イ ラ ス
徒に動かせた方が盛
ト
るか を聞 く
り上 がる
・顔に つ いて の 2 回 目 の考 察
・表 情 の認 知 につ い
・人間 の顔 に は個 体の
を行 わせ る
ての実験的な活動
区別としての役割と
・「 あ ら た め て 人 間 の 顔 は 何
を参考にして考察
コミュニケーション
のた めに あ るの だ ろう ? 」
する
ツールとしての役割
・「 相 手 の 心 を 読 む
との二つがあること
ため 」
に気 づか せ る
・「 自 分 の 気 持 ち を
あら わす も の」
終
・本時 の 授業 で 考察 し たこ と
・こ れ まで の 考察 を
・発表 され た 内容 を整
末
をま とめ さ せる
まと める
理し 、黒板 に 分か りや
・「 人 間 の 顔 に つ い て 重 要 な
・「 顔 は 個 性 を 出 し
すい形にして提示す
63
こと は何 だ ろう ? 」
たり 、表現 し て気 持
る
・出 され た 内容 を 知識 化し、 ち を 伝 え る た め に
本時の授業での要点を説明
あり 大切 な もの 」
する
・「 み ん な が か っ こ
・「 顔 は 道 具 と し て 価 値 が あ
いい顔にならなく
・顔の 美醜 に こだ わる
るの であ り、そ のつ く りに 拘
てい い」
一般的なステレオタ
泥するのは本来からすれば
イプを明確に否定す
本末 転倒 で あり 、何 よ りも 表
る
現する基である人間の内面
性を 鍛え 、高 め てい く こと が
もっ とも 重 要な こ とで ある 」
(5)授業 の 評 価
思春期の生徒にとって顔やスタイルは大変気になる部分である。だが人間として生
きていく本質から考えれば、それらはさして重要なものでない。顔の役割を客観的に
とらえることができれば、そこばかり気にしてしまうことの無意味さが理解できるで
あろ う 。顔が 何の た め にあ るの か 、とい う こ とを 客観 的 に理 解 でき れば 十分 で あ ろ う。
2
題材「ふるさと調査隊」
この題材における実際の活動例では、資料は生徒自らが作成する。具体的には生徒
が班ごとに地域のお年寄りに地元地域の昔の姿についてインタビューした内容を記事
にまとめ、それを地元の地域情報紙に掲載してもらう。この紙面を資料とするのであ
る。単にお年寄りの事を取り上げた資料を用いるだけでは、あまりにも世界がかけ離
れ、現実感がなくなってしまうのである。各お年寄りから聞く地域のかつての姿は、
生徒たちはもちろん親世代でも知らないことが多く、新鮮な内容である。これによっ
てお年寄りはただ扶養される存在ではなく、地域のルーツを知る「語り部」としての
位置 づけ が なさ れ るの であ る。
(1)ねら い
・生徒自身がお年寄りに地元地域のかつての姿を取材した記事を地域情報紙に掲載す
るこ とに よ って 、 地域 の中 のお 年 寄り の 存在 をク ロー ズ アッ プ する 。
・普段は比較的陰に隠れて目立たないイメージのお年寄りが、かつての地元地域の様
子を 知る 「 語り 部 」で ある こと を 理解 す る。
(2)習得 す る 知 識
・お 年寄 り から 聞 くか つて の地 元 地域 の 様子
・お 年寄 り は自 分 たち の知 らな い こと を 多く 知っ てい る とい う 事実
64
(3) ねら い と す る 内 容 項 目
1-(8)「郷 土愛 」
(4)展開 8
学習 内容 と 発問
予想される生徒の
指導 上の 留 意点
教材
反応
導
「ふ るさ と 調査 隊」の 活動 内
ごく 簡単 に 説明 す る
入
容の 概要 を 確認 す る
展
各班ごとにインタビューし
各班の発表ごとに
各 班 ご
開
てま とめ た 内容 を 発表 する
質問があれば行い
と の 模
さらに感想をワー
造 紙 に
クシートに記入す
ま と め
る
た 資 料
1 班「 I さ んと T さ ん に聞 い
・「 現 在 の 規 模 と の
・酉市 の説 明 を簡 単に
た昔 の酉 市 の様 子 」
違い に驚 い た 」
行う
・終戦 直 後の 酉 市に は 4万 人
・「 サ ー カ ス ま で あ
ワ ー ク
の人 出が あ った
ったとはびっくり
シー ト
・サーカス等も行われてい
した 」
た。
2 班「 I さん に 聞 い た 昔の 旅
・「 そ ん な に 昔 か ら
・旅館 のあ る 場所 が昔
館の 様子 」
営業していたとは
のメインストリート
・T 旅 館 は江 戸 時代 末 期か ら
知ら なか っ た 」
だったことを説明す
営業 して い た
・「 今 で も 営 業 し て
る
・昔は 全 国か ら 行商 人 が何 日
いるとは知らなか
も泊まりながら商売をして
った 」
いた
3班「Y さん に 聞い た 昔の 造
・「 地 元 の 神 社 の 名
・酒づ くり に はき れい
り酒 屋の 様 子」
前の酒があったと
な水が欠かせないこ
・今は 廃 業し て しま っ たが 昔
は知 らな か った 」
とを 確認 す る。
は「 鷲自 慢」と いう 日 本酒 を
・「 鷲 自 慢 」 と い う 名
製造 して い た
前は地元の神社から
・今で も その 時 に使 っ てい た
・「 江 戸 時 代 か ら 続
とったものであるこ
甕を 展示 し てあ る 。
く店とは知らなか
とを 確認 す る
4班「K さん に 聞い た 昔の 飲
った 」
・K 屋の周 辺 の昔 の地
食 店 K 屋 の様 子 」
形を 簡単 に 確認 す る
・ K 屋 の 創 業 は 今 か ら 150
年前
・今は な いが 店 のす ぐ 裏が 川
・「 昔 の 川 の 流 れ が
だっ た
今とは違っていて
65
と写 真
驚い た」
5 班「 I さん に 聞い た 昔の 材
・「 千 葉 県 で も 材 木
・千葉 県で も 昔は 林業
木店 の様 子 」
の生産をしていた
がさ かん で 「山 武 杉」
・昭和 の 初め ま で利 根 川の 流
とは 知ら な かっ た 」 は 有 名 な ブ ラ ン ド で
れは 今と は 違い 、今 の 町中 ま
・「 中 心 局 で は な い
あったことを説明す
で沼 だっ た
郵便局が一番古い
る
・昔は「山 武杉 が」地 域で も
とは 知ら な かっ た 」
よく 使わ れ てい た
6班「K さん に 聞い た 昔の 郵
・一番 最初 の 郵便 局は
便局 と周 辺 の様 子 」
個人で請け負ってい
・この 地 域の 郵 便局 は 最初 は
たこ とを 確 認す る 。
「郵便取扱所」として始ま
・養蚕 につ い て説 明す
り、 歩い て 配達 し てい た
る
・昔の こ の地 域 では 養 蚕が さ
・「 こ の 地 域 で も 養
かんで多くの家で蚕を飼っ
蚕がさかんだった
てい た
とは 知ら な かっ た 」
終
・各 班の 発表 を 聞い て 、全 体
・各 自 感想 を ワー ク
・地元 の地 域 なの に知
ワ ー ク
末
的な 感想 を 書か せ る
シー トに 記 入す る
らないことがいかに
シー ト
・か つて のこ の 地域 に は、現
・「 あ ま り に も 知 ら
多かったのかを確認
在の様子からは想像もつか
なかったことが多
する
ない よう な 産業 が あり 、人々
くて 驚い た 」
が多く集まって賑わってい
・「 地 元 地 域 が 昔 は
たこ とを 確 認す る
栄えていたとは知
・我 々が 知ら な い、か つて の
らな かっ た
様子を教えてくれた取材対
・「 以 前 の よ う に ま
象者のお年寄りの存在のあ
た栄 えて ほ しい 」
りが たさ を 強調 す る
(5)授業 の 評 価
この授業は基本は生徒の発表なので、発表が分かりやすくできたかどうかが重要に
なる。そのためには自分たちが知らないかつての地元地域の様子が視覚的に理解しや
すいように工夫されていたかがポイントになるだろう。また、インタビューしたお年
寄り の方 々 につ い ても きち んと 説 明さ れ てい たか も重 要 であ る 。
66
第3節
意義と課題
こ こに 示 した 授 業と して の意 義 と課 題 は次 の通 りで あ る。
まず意義として二点挙げられる。第一に一般にネガティブなバイアスを形成しがち
な対 象に つ いて 、授 業 によ って 道 徳的 も のあ るい はポ ジ ティ ブ なも のに 修正 し てい く 、
ということである。特に若者世代にとって関心の高い容姿については 、従来の方法で
は正面から道徳授業で扱うというのは難しいだろう。本授業では学際 的な視点から授
業を 構成 し てい る から こそ 、そ れ が可 能 なの であ る。
また、現在の社会がお年寄りを若者たちが関知しようがない昔の様子を知悉してい
る語り部として、その存在を重視し宣揚しているとは言い難いのが実際である。その
ため社会一般が形成するお年寄りのステレオタイプも、先に示したようにどちらかと
いう とネ ガ ティ ブ なも のに なっ て いる 傾 向が ある 9 。こ こで 示し た 授 業で は、 直接 お年
寄りにかつての地域の様子をインタビューするものであり、その内容には現在からす
ると驚くようなもことも含まれている。さらにこの学習内容を広く地域社会に広報す
ることによって地域のお年寄りへのステレオタイプも修正していくことができるだろ
う。
第二に、特に「ふるさと調査隊」の授業においては、一般の道徳授業スタイルの通
念を打ち破ったことである。道徳的行動を促していくにはこうした実践的な道徳授業
もあ るべ き であ る 10 。松 下 (2002)も 指摘 して い るよ うに 道 徳性 を 身に つけ る最 良 の機 会
は、人間同士が様々な行動を展開する実践場面であることに間違いはないだろう。で
ある なら ば、学 校の 中 では 生徒 同 士の 諸 活動 の場 面が も っと も 有効 と い う こ と にな る 。
しかし主に同年齢集団だけで過ごす学校という閉鎖的な人工空間は、疑似的な社会と
いう位置づけがなされているとはいえ、本来の社会のあり方とはかけ離れているのが
現実である。実際の社会では、各々の構成者は毎日の職業的な生業を自らの存在の基
盤として生活しているのに対し、職業的な要素を持たない生徒だけの社会である学校
においては、自分という存在の基盤をほとんど持っていない。この状態で生徒同士が
接しても単なる力関係や感情がぶつかり合うだけになることが多くなるだろう。この
状 態 を 浜 田 (2008) は 「 関 係 だ け が む き 出 し に な っ た 人 間 関 係 」 と 描 写 し て い る 。 こ
のような状態では、道徳性は十分に機能せず却って反道徳的な行動が横行する事態に
もなりかねない。実際の地域社会に課題を持って接し、自らの体験を基に知識として
の成果を上げていく活動も取り入れてこそ、座学である道徳授業も十分に生かされる
ので ある 。
次に課題としては、次の二点が挙げられる。第一に取り上げる対象については授業
の中で慎重に扱わなければならないということである。特に本授業での「顔」につい
ては、授業の中での取り扱いによっては、特に劣等感を持っている生徒にとっては却
って自信を喪失させることになるかもしれない。理解させる内容を確認し、 顔は言わ
ば表現のための道具であり、人間の真価は内面で決まるということを強調することが
重要 であ ろ う。
67
第 二 に 、「 ふ る さ と 調 査 隊 」 の 授 業 に お い て は 、 ク ラ ス 単 独 で は 実 施 は 難 し く 学 年 、
あるいは学校単位での活動が必要となるということである。またインタビュー対象者
の確保や連絡、調整など、複数の教員が連携する必要もある。そのためには学校全体
でその活動を検討準備、運営することが必要となってくる。したがって簡単には展開
できないのが実際である。だが、活動することによるその成果は確実にあらわれてく
るも ので あ り、 実 践が 広が るこ と を 期 待 した い 。
<註>
1
Rosenham(1973)の 実験 では 、 8 名 の実 験 協力 者に 精 神的 な 障が いが ある ふ りを し て
もら い、別 々の 精神 病 院に 入院 さ せた 。入 院 時、病院 側 に実 験の 内 容を 伝え 、院内 で
も普 通に 行 動し て いた にも かか わ らず 、退院 に は 3 週間 程度 も かか って しま っ た 。こ
の結 果は い かに ス テレ オタ イプ の 効果 が 強い かを 示し て いる 。
2
月浦(2011) の fMRI を用 いた 研 究 に よ れば 、 被 験者 に 対し て 行っ た 「 顔の 魅 力判 断
課題 」と「 行動 の善 悪 判断 課題 」に おい て 、判断 の値 の 上昇 に した がっ て賦 活 が上 昇
する 脳の 領 域は 、金 銭 的報 酬や 社 会的 報 酬に 関連 する 報 酬系 の 一つ とし て知 ら れる 右
眼窩 前頭 皮 質 で あ るこ とが 同定 さ れた 。一 方 、同 課題 で 判断 の値 が 低下 する に した が
って 賦活 が 増加 す る領 域は 、「罰 」や 「 痛み 」な どに 関 連す る 右島 皮質 であ る こと が
同定 され た 。
3
国際 美容 形成 外 科学 会が 集計 し た 2013 年 の統 計に よ れば 、 2013 年 に世 界で 施 され
た美 容外 科 およ び 美 容( 非外 科 的) 手 術の 総数 は 2,300 万ケ ース に達 し て い る。 内
訳は 女 性 2,000 万 、男 性 300 万の 利 用比 率 であ った (「美 容 経済 新聞 」 2014.8.1(web
版))。
4
ただ し、 これ は 男性 の女 性に 対 する 指 標で ある 。実 際 アメ リ カ人 の配 偶者 選 択の 好
みに つい て 10 年 お き に調 査し た 結果 で は、 どの 時点 で も男 性 の多 くは 配偶 者 の顔 を
含め た身 体 的魅 力 を「 重要 であ る 」と 評価 し てい たが 、女性 は「 望 まし いが 特 に重 要
では ない 」 と評 価 して いた (バ ス,2000)。
5
ダイ エッ トが 当 たり 前の 現在 で もや せ 過ぎ は敬 遠さ れ てい る 。ま た長 い進 化 の過 程
では 食料 不 足が 通 常だ った ので 、ふ く よか さ への 羨望 は あっ た もの の 太 り過 ぎ とい う
状態 は存 在 しな か った 。そ のた め 認知 的に は 異質 性が 強 調さ れ るこ とに なり 、現代 に
おい ては 悪 い印 象 を持 た れ てい る 、と 考 えら れる 。
6
こう した ステ レ オタ イプ が 現 在 の社 会 で定 着し つつ あ る、 と 言え るだ ろう 。 この 空
気を 察し て か 、子や 家 族の 世話 に なら な いよ うに して い る高 齢 者は 多い 。N H K「 無
縁社 会プ ロ ジェ ク ト」取材 班 (2010)が都内 の 公営 団地 で 行っ た ひと り暮 らし 世 帯に 対
する 聞き 取 り調 査 によ れば、回 答し た人 の 85% が 65 歳 以 上が 占 め、そ の うち「 将 来
家族 と同 居 する 予 定は ある か」の 問い に 対し て回 答 の 87% は「な い」であ っ た。そ し
て、その 理 由と して も っと も多 か った の は「 迷惑 をか け なく な いか ら」でっ た 。こ れ
68
はス テレ オ タイ プ 化さ れた 側が そ の内 容 に沿 った 形で 反 応が 変 わる (アリエ リ
ー,2008)と いう 傾向 の あら われ と 言え る だろ う。
7
いわ ゆる 「サ ッ チャ ー錯 視」 で ある 。
千葉県栄町公立中学校における実践。
高齢者が社会に扶養されるだけの存在であるがために軽視され、行き場を失う状況も珍
8
9
し く な い ( N H K ス ペ シ ャ ル 取 材 班 ,2013)。
10
本授 業に おい て は 、「 総合 的な 学 習 の 時 間」 とし ての ね ら い を 共 有 す る こ と に な る 。
<文献>
荒木 博之(1983).『や まと こと ば の人 類 学』 朝日 新聞 社 p.124.
アリ エリ ー ,D. 熊谷 淳 子訳 (2008).『 予想 通 りに 不合 理 』早 川 書房
p.228.
バ ス ,D. 狩 野 秀 之 訳 (2000). 『 女 と 男 の だ ま し あ い - ヒ ト の 性 行 動 の 進 化 - 』 草 思 社
p.102.
ダイ ク ス テル ハ ウ ス ,A.
チ ャ ート ラ ンド ,T. L.
ア ー ツ,H.「社 会 行動 の 自 動性 」 バー
ジ,J.(及川 昌典 、木 村 晴、 北 村 英 哉編 訳 )(2009).『無意 識と 社 会 心理 学― 高 次心 理過
程の 自動 性 』ナ カ ニシ ヤ出 版
浜田 寿美 男 (2008). 存 在論 とし て のい じ めを 考え る
チ ャイ ル ドサ イエ ンス 4,4-7.
Dion,K., Berscheid,E., Walster,E.(1972). What is beautiful is good. Journal of
Personality and Social Psychology , 24, 285–290.
松下 良平(2002).『知 るこ との 力 ―心 情 主義 の道 徳教 育 を超 え て 』 勁草 書房
NH K「 無 縁社 会 プロ ジェ クト 」 取材 班 (2010).『無 縁社 会 』文 藝 春 秋 pp.122f.
NH Kス ペ シャ ル 取材 班 (2013).『老 人漂 流 社会 』 主 婦 と生 活 社
Rosenham, D.L. (1973). On Being Sane in Insane Places. Science , 179,250- 258.
月 浦 崇 (2011). 顔 の 魅 力 と 人 物 の 印 象 の 相 互 作 用 メ カ ニ ズ ム に 関 す る 認 知 神 経 科 学 的
研究 コス メト ロ ジー 研究 報告
19, 126-130.
69
第5章
ポジティブ感情の形成と言語表象による客観性獲得のための授業の内容開発
第1節
授業内容を構成する原理
1
ポジティブ感情の形成と言語表象による客観性獲得の意義
道徳的な行動が求められる場面で道徳的なステレオタイプによって行動をとること
ができたとしても、その結果がポジティブに感じられなければ、道徳的な行動は定着
していかないだろう。もちろん、進化的な意味からも利他行動にはそれ自体に心理的
な報酬、つまり喜びや嬉しさといったポジティブな感情が感じられるはずである。だ
が、それは実際に行動しなければ体感し得ないものであり、まずは行動そのものを促
していくことが必要である。道徳的行動をとれば、その結果として相手はもちろんの
こと、行動をとった当事者にとっても、ポジティブな感情が得られるものである。そ
して、何よりもこの感情は人間としての基本を支える大切なものである、ということ
を知 識と し て十 分 に学 習 さ せる の であ る 。
また道徳的な行動が求められる認知状況において、実際にそれに応じた目標を設定
する、あるいはいくつか考えられる目標から道徳的なものを採用する際に、明確な言
語表象が知識として身についていれば、より設定や採用がしやすくなるだろう。明確
な言語表象とは、たとえばことわざや格言である。座席を譲らなければならないと思
っても、心理的過程における各表象があくまでも自分個人の内面的なものだけで、そ
の内容が他者と共有しているものかどうかの確信がなければ実行に移すには逡巡が生
まれるかもしれない。その場面に適合したことわざや格言が知識として学習されてい
れば、道徳的な行動に客観性が獲得され、誰もがやらねばならない行動として認識さ
れることになるだろう。先のバス車内の場面でならば、たとえば とっさに「情けは人
のためならず」ということわざが心に浮かぶとことで、より実行に移しやすくなるは
ずで ある 。
2
知識の内容
(1)道徳 的 行 動 の 結 果 に 対 す る ポ ジ テ ィ ブ 感 情 の 形 成 と 増 幅
この知識は、ある道徳的な行動によって当事者も周囲も人間的な喜びを得ることが
でき、生きる意欲が喚起されたという結果を知ることにより、道徳的な行動に対する
ポジティブな感情を形成、またさらに増幅していくものである。困っている者を援助
するといった道徳的な行動が双方にとっていかにポジティブなものであるか、という
ことは人間にとって生得的に理解されていることではある。だが、これは実 際に経験
しなければ実感できないものであり、地域社会の中で人間関係の希薄になった現代に
70
おいてはそう多くは経験できないであろう。実感するという経験がないと生得的には
それが身についていても、道徳的行動を自らあらわそうという意欲につながりにくく
なる。そこで資料によって間接的ではあるがそのことを学んでいく必要が出てくるの
である。本来ならば実体験することが望ましいのであるから、資料の内容も事実であ
ることが重要である。この点から考えれば資料としては歴史上の出来事を扱ったもの
が適 して い ると い うこ とに なる 。
ただしポジティブ感情そのものは知識というわけではない。それに関する出来事の
内容を知識として理解し記憶することで、何かを契機にその知識が反芻されたときに
そのポジティブ感情を思い起こすことになる。したがって歴史的な出来事の時代や場
所、 登場 人 物、 そ して 出来 事の 内 容を 知 識と して 習得 す るこ と が重 要と なる 。
(2) 言語 表 象 に よ る 目 標 設 定 と 採 用 に お け る 客 観 性 の 獲 得
この知識は道徳的な行動が求められる場面において、その状況を端的に示し行動の
契機となるものである。道徳的な行動が求められる認知場面に遭遇したり、あるいは
境遇に陥ったりした場合、長いストーリーをあれこれ考えるより、短い言語表象に従
う方がうまくいくこともある。上述したように端的にはことわざや格言がそれにあた
る。
荒木(1983)は、「「こ と わざ 」は あ る生 起転 回 して ゆく 「 こと 」、事 件に 際し て 「言 語」
の内的威力によって人を動かす言語の技芸である」としている。まさに言葉の技であ
り、ことわざや格言のように短い警句が生まれたのも、ともすると自己本位なものに
なり がち な 人間 の 行動 を統 制す る ねら い があ った のだ ろ う。
だが現代社会ではそれらはどちらかというと瑣末なものといった印象をもたれ、こ
とわざや慣用句などの定着度は若者を中心にして低落傾向にあるのが現実である。
2014 年 9 月 に 文化 庁 が発 表し た 平成 2 5年 度「 国語 に 関す る 世論 調査 」 の 結 果で は 、
た と え ば 「 世 間 ず れ 」「 や ぶ さ か で な い 」「 ま ん じ り と も せ ず 」 に つ い て 、 本 来 と は 違
う 意 味 と 回 答 し た 人 が 多 か っ た 一 方 で 、「 チ ン す る 」「 サ ボ る 」 な ど 、 名 詞 や 擬 音 の 一
部に 「る ・す る」 を付 けて 動詞 化 した 造 語が 浸透 して い るこ と が明 らか にな っ た 1 。こ
のことはごく日常で使っている語のうち、より深い思索を促すという語彙力が低下し
てい るこ と を表 し てい る。単 純に 語 彙数 だけ であ れ ば 、若 者は いわ ゆる「 若者 こ とば 」
を数多く使用しており、それなりの量は保持しているだろう。だが、それらの多くは
感覚 的、 感情 的 な記 号 とし ての 役 割の も ので しか ない 2 。こ と わざ や 格言 、ま た故 事 成
語についての学習は国語の分野で行うのが現在の常識ではあるが 、その役割を考える
と道 徳教 育 の中 で 取り 扱う 必要 が ある と 言え るは ずで あ る 。
道徳授業でことわざを知識として習得するには、ことわざの意味に即した資料を用
意し、その内容を理解させた上で他にはどのような場面があてはまるかを考えさせて
いく こと が 重要 で あろ う。
71
第2節
1
目標関連情報としての知識を習得する授業の内容
道徳的行動の結果に対するポジティブ感情の形成と増幅をねらいとする授業
(1)題材 ( 資 料 )「 板 東 俘 虜 収 容 所 と 松 江 豊 寿 」
ここでは一例として、人口に膾炙している第一次世界大戦後に徳島県鳴門市板東に
設置 され た ドイ ツ 人捕 虜( 俘虜 ) 収容 所 での 逸話 を取 り 上げ た 題材 を示 す。
この授業では、ストーリー展開中の登場人物の心情を追うのではなく、道徳的行動
が人間的な感動をもたらしたということを知識として習得するものなので、一般の読
み物 資料 よ りも 長 いも のと なる 。
資 料( 概 要)( 著者 作成 3 )
一次世界大戦下、日英同盟を結んでいた日本国はドイツに宣戦布告した。日本軍は
中国山東半島のつけね部分にあたる青島に軍港を建設していたドイツ軍を攻略し、5
千人ものドイツ軍人が捕虜となった。彼らは九州や名古屋など国内数箇所の収容所に
移送された。そのうち徳島県の板東俘虜収容所には千人もの捕虜が送られてきた。た
だし、他の収容所とは異なっていたのは、収容所所長である松江豊寿中佐の収容所の
経営信念であった。戊辰戦争で敗れた会津藩出身の松江中佐は、敗者のつらい心情を
よく理解していた。そのため、ドイツ人捕虜に対しても当時アメリカからも絶賛され
るに至る尊厳を持った扱いを貫いたのである。松江は捕虜たちを先進的な文化人とし
て尊重し、様々な活動を保障、援助した。この収容所に収容されたドイツ人捕虜の多
くは職業軍人ではなく、パン職人や技術者、また音楽家といった専門の職を持つ人々
であった。彼らは松江の支援の下、各々の業に応じた活動をのびのびと行うことがで
きた。それが結実したといえるのが、板東収容所において実現したベートベンの第九
交響曲の日本初演である。戦後捕虜たちはドイツへ帰国して坂東のことを忘れず、松
江の精神をヒューマニズムや博愛と形容して讃え続けた。その後鳴門市は帰還した捕
虜が多く住むドイツのリューネブルクと姉妹都市になり、収容所を記念する鳴門市ド
イツ 館が 建 設さ れ 、今 なお 交流 が 続い て いる 。
(2)ねら い
・互いの立場や状況を超えて、人間として尊重し思いやりのある行動を取ることがい
かに 人間 と して 大 切で ある かと い うこ と を理 解す る 。
(3) 習 得 さ せ る 知 識
・ 板 東俘 虜収 容 所 の 概 要と 松江 豊 寿 の 行 動の 内容
・捕 虜と な った ド イツ 人の 松江 へ の感 謝 の念 と地 元の 人 々と の 交流
(4)ねら い と す る 内 容 項 目
2-(2)「人 間愛,思い やり 」
(5)展開
学習 内容 と 発問
予想される生徒の
72
指導 上の 留 意点
教材
反応
導
・ベー ト ーベ ン の第 九 交響 曲
・ほ と んど の 者が 知
楽曲の一部を流して
入
を知 って い るか 聞 く
っていると思われ
もよ い
CD
る
・「 で は 、 第 九 交 響 曲 が 日 本
・有 名 な大 都 市を 挙
・有名 なこ と なの で正
で最初に演奏された場所は
げる
解を知っている生徒
どこ だろ う か」
・「 東 京」
がい る場 合 もあ る
・正解 は 徳島 県 の板 東 であ る
・「 京 都」
・正解 を言 う とき には
こと を説 明 する
・「 大 阪」
地図 も見 せ る
・「 な ぜ 東 京 の よ う な 有 名 な
・意 外 な答 え に対 し
・生徒 にと っ て意 外な
大都 市で は なく 、徳 島 県の よ
て驚 く
答え であ り 、そこ から
うな地方だったのかをこれ
関心 を高 め てい く
から 見て い こう 」
・場所 だけ で なく 年代
地図
も説 明す る
展
・捕虜 が 帰国 す るま で の部 分
・資 料 の内 容 を理 解
・生徒 に読 ま せて もよ
読 み 物
開
の資 料を 読 む
する
い
資料
・時代 背 景と な る第 一 次世 界
・図を 用い て 説明 する
大戦 につ い て説 明 する
・日 本は 連合 国 側、同 盟国 側
・社 会 科の 授 業で 学
どち らだ っ たか を 聞く
習した後であれば
・ドイ ツ のア ジ アで の 根拠 地
容易に答えること
が山 東半 島 の青 島 にあ り、そ
がで きる
こでの戦いでドイツ兵が捕
・「 連 合国 側 」
・地 図で 示 す
地図
虜に なっ た こと を 確認 する
・捕虜(俘 虜)収容 所 とい う
・捕 虜 につ い ての 一
・捕虜 につ い ての 一般
と一般的にはどのようなイ
般的なイメージを
的なイメージを肯定
メー ジか を 聞く
言う
する ため に 、 第二 次世
・「 か わい そう 」
界大戦中における日
・「 虐 待を 受け る 」
本の捕虜虐待の状況
・「 強 制 労 働 を さ せ
も示 すよ う にす る 。こ
られ る」
れによっていかに本
時での事例が日本に
とって重要なもので
ある かを 確 認す る
・捕虜 と なっ た ドイ ツ 人が 描
・「 ず い ぶ ん イ メ ー
・イン ター ネ ット では
ス ケ ッ
いた収容所の生活のスケッ
ジと 違う 」
当時の写真もあるの
チ画 4
73
チ画 を見 せ 、感 想 を聞 く
・「 楽 しそ う 」
でそれを用いてもよ
・収容 所 長の 松 江豊 寿 の方 針
い
と施 策を 説 明す る
・整 理し て 図示 す る
図
松江が多くが義勇兵
であった捕虜の本職
を生かそうとしたこ
とを 強調 す る
・なぜ 松 江が 人 道的 な 施策 を
・「 捕 虜 が か わ い そ
・ここ まで の 説明 から
行っ たの か を考 え させ る
うだ と思 っ たか ら 」 では 、左の よ うな 回答
「立 派な 人 だか ら 」 が 出 さ れ る 程 度 と 思
われ るの で 、再度 考え
・再 度考 察 を促 す
・「 自 分 も 捕 虜 に な
・「 そ れ だ け だ ろ う か も う 少
った こと が あっ た 」
し考 えて み よう 」
「つらい体験をし
させ る
た」
・戊辰 戦 争と 会 津戦 争 につ い
・戊 辰 戦争 及 び会 津
・松江 自身 は 会津 戦争
て説 明し 、松 江 が会 津 藩出 身
戦争の概要を理解
は体験していなかっ
であ るこ と を確 認 する
する
たも のの 、敗 者の つら
さ 、厳 しさ は 十分 に体
験していたことを強
調す る
終
・捕虜 の ドイ ツ 人が 帰 国し た
・交 流 の様 子 を移 し
・一人 の偉 大 な振 る舞
読 み 物
後の 部分 の 資料 を 読み 、いか
た写真も参考にし
いが 、多く の 人々 の心
資料
に彼らが松江の処遇に感謝
て、国 際的 な 交流 が
を動 かし 、し かも それ
し、そ の 後数 十 年に わ たり 交
現在も続いている
が長く続いていくこ
写 真 資
流が 続い た こと を 説明 する
こと を理 解 する
とを 強調 す る
料
この 逸話 の 感想 を 書か せる
各自感想をワーク
・感 想は 作 文形 式 し、
ワ ー ク
シー トに 記 入す る
量的にもなるべく多
シー ト
末
く書 かせ る 。 内容 はそ
の場で発表させるよ
りも学級だよりなど
で紹 介す る とよ い
(6)授業 の評 価
まずこのエピソードがいかに人道的であり、日本が世界に誇り得るものであるかが
理解 でき た かが 重 要で ある 5 。そ の上 で 板 東 俘 虜収 容所 が どこ に あり 、どの よ うに して
設立されたのか、そして収容所長だった松江豊寿がいかに捕虜の人間性を尊重した経
営を行ったかが理解することが基本となる。この点については、ペーパーテストを行
74
うことができるはずである。この基本知識の上に、ドイツ捕虜が戦後数十年経っても
板東 のこ と を忘 れ ず、 地元 との 交 流も 続 いた こと が 理 解 でき た かが 重要 な点 で ある 。
2
言語表象による目標設定と採用における客観性の獲得のための知識を習得する授
業
(1)題材 「 瑠 璃 も 玻 璃 も 照 ら せ ば 光 る 」
資 料 ( 概 要 )( 著 者 作 成 資 料 )
「平 田正 俊 6 は、か つ て 人気 を博 し たア イ ドル 歌手 であ っ た。だ が 人 気に かげ り も見 ら
れてきたある日、結核という思わぬ診断を受ける。彼はただちに長野県の隔離療養施
設に収容され闘病生活を余儀なくされた。芸能界復帰も危ぶまれる中で、彼はすっか
り生きる意欲をなくしてしまった。そんな彼に、毅然とした姿勢ながらも温かく励ま
してくれる看護婦(士)がいた。そして彼女の誠意あふれる態度から前向きな気持ち
を取り戻しかけたある日、彼女との何げないやりとりから、作曲家としての可能性と
希望を見出すとことができたのである。その後、平田は数年の修行を経て作曲家とし
て見事に芸能界へ復帰し、さらに権威のある賞も多く獲得して、戦後歌謡史に名を残
すま でに な っ て い った 」
(2)ねら い
・失敗や挫折があっても本人の努力や周囲の励ましによって持っている力をはっきす
ることができるということを「瑠璃も玻璃も照らせば光る」ということわざ習得する
中で 理解 す る 。
(3)習得 さ せ る 知 識
ことわざ「瑠璃も玻璃も照らせば光る」の意味(優れた素質や才能を持つ者は、ど
こにいても目立つということ。また、優れた者は活躍の場を与えられれば真価を発揮
する とい う たと え )。
(4)ねら い と す る 内 容 項 目
1-(2)「希 望 , 勇気 ,強 い 意志 」
(5)展開
学習 内容 と 発問
予想 され る 生徒 の 反
指導 上の 留 意点
教材
応
導
・
「瑠 璃も 玻 璃も 照 ら せば
・十分に理解させる
・黒板にもことわざ
入
光る」の意味を説明し、
ため全員でことわざ
の内容と意味を張り
理解 させ る
を唱 和す る
出す 。
・平尾昌晃さんの現在と
・現在と昔の活躍ぶ
歌手時代の写真を見せ、
りを 簡単 に 解説 す る
人物 を印 象 づけ る
・資料中では平田正
75
掲示 物
写真
俊としていることを
確認 する
・資料を療養所に入所す
・資料内容を理解す
・生徒に読ませても
読 み 物
ると ころ ま で読 む
る
よいが、内容が十分
資料
に理解できるよう大
展
きな声でゆっくり読
ませ る
・
「平 田が こ れま で の トロ
・ 資 料 内 容 に 基 づ い ・当時 の結 核 は 不 治の
フィーなどを処分してし
て考 える
まっ たの は なぜ だ ろう 」
・「や る気 を なく した する
病だったことを説明
から 」
・「病 気に な って しま
った から 」
開
・
「ど ん底 の 状態 か ら その
・「歌 が好 き だっ た と ・資料 は途 中 まで しか
後の華々しい活躍のきっ
い う こ と が あ ら た め 読ん でい な いの で 、予
かけとなったのは、どん
て分 かっ た 」
なことだとかんがえられ
・「 友 達 に 励 ま さ れ
るだ ろう か 」
た」
想さ せる
・「 根 性を 出し た 」
・資 料の 続 きを 読 む
・再度復活のきっかけと
・「看 護婦 の 何気 なく
・看護婦の励ましが
なったことは何だったの
言っ た一 言 」
大きなきっかけだっ
か、 を聞 く
・「療 養所 の 人々 の反
たこ とを 確 認す る 。
応」
・当時は看護婦とい
っていたことを説明
する
・
「療 養先 の 看護 婦 さ んの
・「決 して や さし くは
・文中の内容を確認
平田に対する態度はどん
ない 」
する
なも のだ っ たろ う か」
・「厳 しい が 思い やり
があ る」
・もう一度「瑠璃も玻璃
・再 度唱 和 する
も照らせば光る」の意味
を確 認す る
・
「こ の看 護 婦 さ ん が いな
76
くても平田は作曲家とし
・理由 も言 わせ る 。
て活躍できたかだろう
・看護婦の存在の重
か」
要さ を確 認 する 。
・「 で き た 」「 で き な い 」
・「 で きた 」
・2つまとめて班で
のどちらかに態度を決め
理由「もともとある
考えさせ理由も含め
させ 、理 由 を考 え させ る
才能 だか ら 」
て発 表さ せ る
「どのみち違う人か
・どちらの意見もも
ら言 われ る 」
っとも理由であれ
・で きな い
ば、 十分 に 肯定 す る
理由「いなければそ
の才能に自分でも気
が付 かな か った 」
・才能はどのような状況
・出された意見を受
でも光るものであるとい
ける 形で 説 明す る
っても、それは何もせず
・この場合は看護婦
あらわれるものではない
さんの平田のことを
こと を説 明 する
思う気持ちが大きな
要素であったことを
強調 する
・
「才 能を 自 覚し 、伸 ばし
・「周 りの 人 たち との
・平田が病気になら
ていくには何が必要だろ
深い 人間 関 係 」
なければ作曲の才能
うか 」
・「あ きら め ずに 努力
を伸ばせなかったか
する こと 」
もしれないことにも
触れ る
・
「こ の話 で 重要 な こ とは
・「 人 を励 ます こ と 」
・個人で考えさせて
何だ ろう か 」
・「 自 分 を 信 じ る こ
もよいが、班で話し
と」
合わせた方が全員で
・「ど ん底 で も希 望を
参加した雰囲気にな
失わ ない こ と 」
る
・
「瑠 璃も 玻 璃も 照 ら せば
・自分自身の場合に
光る 」とい う こと わざ は、
あてはめて考えさせ
この話のように特別の才
る
能を持つ人だけでなく、
全ての人にあてはまるも
ので ある こ と を 強 調す る
終
末
・感 想を 書 かせ る
・各自ワークシート
に感 想を 記 入す る
77
・作 文形 式 にさ せ る
ワ ー ク
シー ト
(6)授業 の評 価
ことわざの意味を資料の内容と関連付けて習得できれば十分であるが、主人公の持
っていた作曲の素質というのは、絶望の中から周囲の人たちの励ましの中から見出さ
れた とい う こと は おさ えら れて い なけ れ ばな らな い重 要 な点 で ある 。
第3節
意義と課題
本章で示した授業は目標ルートによって自動的な道徳行動を促すものである。この
点を 踏ま え た意 義 と課 題は 次の も のを 挙 げる こと がで き る。
ま ず意 義 につ い て は 2 点 で ある 。第 一 に道 徳的 な ポジ テ ィブ 感情 を形 成 する 授 業で
は、事実そのものを理解させることに重点を置いているということである。従来の道
徳授 業で は 、登 場人 物 の心 情を 考 えさ せ る展 開で ある た め、
「 松江 中佐 はな ぜ 人道 的 な
対応をしたのか」程度しか発問が設定できない。素晴らしい事実であるにもかかわら
ず、葛藤場面がさほどないため、心情主義的な道徳授業ではかえって扱いづらいので
ある。このエピソードは日本のみならず世界的に見ても、大変立派な行動であり、人
間として正しいことを行えば、良い気分になり、仲良くすることができ、し かもそれ
は長い時間続くものである、ということが理解できれば道徳授業として十分なのでは
ない だろ う か。
第二に言語表象による客観性の獲得のための授業では、言語としての教養が道徳的
な行動を促すのに資する可能性を再確認したことである。序章でも取り上げたように
道徳教育における知識のとらえかたの一つに、学校で習得する知識は全て道徳性を養
うものである、というものがある。この考えは一般に広く受け入れられているとは言
い難いが、眼前に展開する様々な事象に対してより広範な解釈を可能にするという点
で妥当であり、そのことが道徳性の涵養につながっていくということは言えるであろ
う。特に文学に代表されるような言語としての教養にはそのことが一層あてはまるで
あろ う。 だが 現 実に は 若者 の本 離 れ、 活字 離 れは 年々 深 刻に な り 7 、ネガ ティ ブ な行 動
にも結び付きやすい感覚的な事象の解釈が横行しているともいえるのが現状である。
ことわざという比較的コンパクトな言語表象を道徳の授業で習得 することが定着すれ
ば、 言語 的 な教 養 の道 徳的 意義 も 一層 再 確認 され るで あ ろう 。
次に課題であるが、両者共通してどの資料を選択すればよいか、ということが挙げ
られ る。ポジ テ ィブ 感 情を 形成 す る歴 史 的な エピ ソー ド は探 せ ば多 くあ るは ず であ る 。
その 中の ど れを 選 ぶか は簡 単な 問 題で は ない 。こ れは こと わ ざに つ いて も同 様 であ り 、
多くある中からそれに合った資料とともに選んでいくのは授業を行っていく上では負
担となるかもしれない。この課題については様々な実践を経て解決していくものであ
ろう 。
78
<註>
1
こう した 傾向 は 以前 から あら わ れて い る。 平 成 14 年度 の同 調 査 では 、「役 不足 」 や
「確 信犯 」など の 語句 の正 しい 理 解度 は 20%前 後に と どま っ てお り、ま たこ とわ ざ な
どの 理解 力 不足 も 指摘 され てい る。ま た平 成 12 年 度の もの で は 、
「 情け は 人の ため な
らず 」を 違 う意 味 で理 解し てい る 人の 割 合は 全体 の半 数 近く に 上っ てい た。
2
前出 の文 化庁 平 成 25 年 度「国 語に 関 する 世論 調査 」で は 、名 詞 や擬 音の 一 部に「 る ・
する」を 付け て動 詞 化 した 造語 に つい て 、
「 ディ スる 」(5.5%)と「 タク る」(5.9%)を「使
うこ とが あ る」人は 全 体で は 1 割 未満 だ った が、16 歳 ~19 歳(34.1%)と 20 代(33.7%)
は 3 割 に上 る 。ま た 、この 傾向 は 若者 同 士の コミ ュニ ケ ーシ ョ ンに とっ て必 須 とも い
える メー ル や LINE な どの ネッ ト 通信 に おけ る顔 文字 や 絵文 字、ま たい わゆ る スタ ン
プの 多用 に も関 係 して いる だろ う。感 情を 直 截的 に表 現 する と いう 点で は共 通 であ ろ
う。
3
棟田 博(2006)を参 照 。
4
Mutlesee,W.,& Bahr,K.(1979)より。
5
た だ し 、こ の 事 例 は 日 本 に と っ て 一 般 的 だ っ た わ け で は な く 、特 殊 な も の で あ っ た こ と
は知識として理解させておく必要がある。
6
現在 作曲 家と し て活 躍し てい る 平尾 昌 晃氏 がモ デル で あり 、 この 話は 事実 を もと に
脚色 した も ので あ る。
7
2014 年に 全国 大 学生 協連 (東 京 )が 全 国の 大学 生 8930 人 対し て 行っ た「 学 生生 活
実態 調査 」によ れば 、1日 の読 書 時間(電 子 書籍 を含 む )は 平 均 26.9 分 で 、
「 0 時間 」
と答 えた の は、 文 系で 約 34%、 理系 で 44% だっ た。
<文献>
荒木 博之(1983).『や まと こと ば の人 類 学』 朝日 新聞 社 p.124.
ダイ ク ス テル ハ ウ ス ,A.
チ ャ ート ラ ンド ,T. L.
ア ー ツ,H.「社 会 行動 の 自 動性 」 バー
ジ,J.(及川 昌典 、木 村 晴、 北 村 英 哉編 訳 )(2009).『無意 識と 社 会 心理 学― 高 次心 理過
程の 自動 性 』ナ カ ニシ ヤ出 版
棟田 博(2006).『板 東 俘虜 収容 所 物語 』 光人 社
Mutlesee,W.,& Bahr,K. 林 啓介 訳(1979).『 鉄条 網の 中 の四 年 半― 板東 俘虜 収 容所 詩 画
集』 井上 書 房
79
第3部
メタ認知のための知識を習得する題材群の内容開発
第6章
メタ認知のための知識を習得する題材群の概要
第1節
題材群を構成する論理
1
題材群設定の目的
本題材群を設定する目的は、人間行動の自動性のうちの目標ルートに よって衝動的
な状 態 1 に陥 り 、反 道徳 的な 行動 を とり か ねな い状 態に な った と きに 、そ れ を 統 制 す る
ためのメタ認知を可能にすることである。上述したように、人間は現代社会において
反道徳得な行動へと結びつきやすい生得的な認知特性である認知バイアスを持ってい
る。本人としては悪いことだと分かっていても、その場の認知対象やコンテクストに
よって、自動的に反道徳的な行動を起こしてしまうのである。この性質への対処は、
そのような認知バイアスが人間にあるということそのものを理解した上で、まずは自
分自 身の 問 題と し て方 略を 考え さ せて い くこ とに なる 。
従 来の 道 徳教 育 では 、現行 学習 指 導要 領 第 1 章 総則 の2 に 挙げ ら れて いる よ うに 2 総
花的な望ましい徳目を習得させるという観点で構成されている。これには反道徳的な
行動を統制するという観点は存在しない。そのため、これまでの道徳の授業では、メ
タ認知のための知識を習得する題材というのは見られなかった。 望ましい道徳性を身
につ けれ ば 自ず と 反道 徳的 な行 動 は抑 え られ るも のだ と いう 立 場で ある のだ ろ う 3 。だ
が、実際には社会的な立場のある者でも自らの衝動や欲望を抑えることができず反社
会的 な行 動 をと る とい った 事案 は しば し ば見 られ るも の であ る 。
たとえば、社会的な地位や収入が保障されている小、中、高等学校、さらには大学
までの男性教員や地方や中央省庁の官僚や警察官といった公務員が女性に対しての衝
動を 抑え ら れず 、反 道 徳的 なわ い せつ 行 為を はた らき 逮 捕さ れ ると いう 事件 の 報道 は 、
しばしば見られるものである。その行為は当然法に触れるものであり、発覚すれば逮
捕さ れて 社 会的 な 地位 も収 入も 失 い、人生 を 大き く踏 み 外す こ とに なる とい う 知識 は 、
当然 事前 の 段階 で 本人 は持 ち合 わ せて い たは ずで ある 。
反道徳的、反社会的な行動をとることは悪いことであり、実行すれば社会的な制裁
を加えられるものである、というのは道徳原理としての知識であるということができ
る 。 松 下 (2002)は 「 道 徳 原 理 を 理 解 す る こ と と そ れ に 従 っ て 行 為 す る こ と は 一 体 で あ
る」と述べている。このことは道徳原理を理解していればそれに従って反道徳的な行
為をしない、ということにもなるはずである。それにもかかわらずこうした事案が少
ない とは 言 えな い 頻度 で 発 生す る 4 とい う こと は 、そ う した 知識 が あ って も結 果 とし て
反道徳的な行動を統制できない傾向があることを事実として示している。つまり道徳
原理 を知 識 とし て 理解 して いて も 行動 に すべ てあ らわ れ るも の では ない ので あ る。
80
反道徳的行動を起こすような者は、結局は道徳原理を理解していなかったのだ、と
言うことはできるかもしれない。だが、先の例のように知識人、また公の立場にある
者として社会的な地位が認められているような立場の者もそのことを理解していなか
ったというのには無理があるだろう。道徳原理としての知識は重要であり、誰もが持
たなければならないものではある。しかしながら、こうした事実 から考えるならば、
反道徳な行動を統制していくには、そのような衝動状態に陥ってしまう仕組みをメタ
認知 的な 知 識と し て理 解し てお く こと の 方が より 効果 的 なの で ある 。
2 資料の取り扱い
本題材群における資料は、全て写真や統計資料といった提示資料で読み物資料は基
本的に用いない。メタ認知のための知識というのは、ある認知場面において非意識的
に反道徳的な行動に結びついてしまう生得的な認知バイアスの内容と、科学的に見た
現代におけるその行動の根拠の薄弱さ、さらにはそのことを理解した上でのその認知
バイアスへの具体的な対処法である。したがって読み物資料となると反道徳的な行動
をとる主人公についてのもの、となってしまう。一般に小説であれ、映画であれ、悪
人が悪人の心理で悪いことだけを展開していくだけというものはまず存在しない。悪
人であってもその中に人間的な善さが見られたり、あるいはあるできごとを契機にそ
れまでの行いを反省し償うようになったりといった道徳的な要素がないと読者や観客
から支持を受けることはない。道徳の読み物資料にしても、主人公が悪いことをして
それで終わるといったものはまず見られない。主人公になるということ自体、その人
物が肯定的に扱われる印象を与えるため、それを真似するようなことになりかねない
から であ る 。
この点から考えると、読み物資料によって客観的にストーリーの展開を追わせるよ
りも、提示資料によって様々な認知場面を設定した方が、人間がどのようなバイアス
を持っているかを気づかせるには好都合であろう。具体的には犯罪の実例やその種類
に応じた統計であったり、また被害を受けた人の悲しみや損害の内容と程度であった
り、といったものである。統計であれば当然数字であるが、その内容の特徴や傾向が
分かるものでなければならない。たとえば加害者、また被害者の男女差が明確で あっ
たり、年を経るごとに増加の一途をたどっていたり、というものである。また認知場
面を設定するには、新聞記事等を用いた資料や写真、動画といった視聴覚資料も有効
であ る。
こう した 資 料は 、こ れ まで の道 徳 授業 で はあ くま で補 助 的な 役 割で しか なか っ たが 、
本題 材群 に おい て は中 心資 料と な るも の であ る。
81
3
題材群における授業の評価
メタ認知のための知識は自らの認知バイアスに気づかせ、さらにはそのバイアスに
対処していく具体的な方略を考えさせていくものである。したがって 認知バイアスそ
のものの内容理解と、それへの自分なりの対処法を考えることができたか、というこ
とに つい て の評 価 が必 要と いう こ とに な る。
認知バイアスの内容については人間が誰でも持っている性質であり、特性と目標に
関連した知識のようにそのこと自体は詳細に習得しなければならない、というもので
はないだろう。重要なのはそうした認知バイアスによって反道徳的な行動を 起こして
しまったり、起こしそうになってしまったりというときに自分として具体的どのよう
に対 処し て いけ ば よい か 、と い うこ とで あ る 。また 誰 もが 持っ て い る性 質で あ るの で、
そうした状態にならないような社会的な政策を考えていくことも必要であろう。その
具体 性と 現 実性 が 評価 の基 準と な って く るだ ろう 。
4
学指導要領内容項目との関連
現在の学習指導要領内容項目は、人間が社会で生活していく上で必要な諸徳目であ
る。だが 現実 の 社会 で はそ れら の 徳目 に 反す るよ うな 事 件や 事 案が 連日 発生 し てい る 。
しかも普段は概して徳目に沿った行動をとっている者が、いきなり道徳性にもとる事
件を起こすことも珍しくない。人間として必要な徳目を養っていくのは当然必要であ
り、その働きかけは常に行っていかなくてはならないが、徳目の理解が必ずしも 反道
徳的な行動を統制するとは限らないのである。むしろ、その押しつけが、却って逆効
果にもなってしまうかもしれない。メタ認知のための知識を習得する題材群では、反
道徳的な行動をとってしまうような情動状態を心情によって抑えようというとではな
く、メタ認知的な知識をもってモニタリングすることを可能にし、それによって行動
を統制しようというものである。このことから考えると学習指導要領の内容項目とは
その主旨が大きく異なるため、特にメタ認知的知識習得の授業において関連させると
いうことは難しいということになる。本題材群では、各授業において習得する認知バ
イアスの内容に応じて該当すると思われるものを「ねらいとする内容項目」として示
した 。
5
対象学年
本題材群を学習する対象学年は中学校3年生である。理由は次の通りである。中学
校3年生段階程度になると従来型の道徳授業を単純に展開するのは難しくなる。それ
まで続けられてきた読み物資料中の登場人物の心情を探らせる手法に馴化し、教師の
82
意図を見抜いてそれに沿った発問への意見を述べるか、あるいは意図が見えているこ
とで意欲をなくし反応が鈍くなるか、さらには逆に意図に逆らうような意見を出すよ
うなことが増えてくるからである。実際、多くの犯罪や問題行動は悪いと分かってい
て行われているものであり、むしろ年齢的には、その点において共感する者もいるか
もし れな い 。
その点本題材群では、なぜ人間は悪いことをするのか、ということを直截に取り扱
っており、基本的な善悪は理解した上で社会全般の規範的な面に懐疑的な見方をし始
める 発達 段 階に お いて 特に 有効 な 授業 と なり 得る だろ う 。
第2節
1
題材群の全体構成
概要
(1)取り 上 げ る 認 知 バ イ ア ス の 種 類
1) 知覚 的 認 知 バ イ ア ス
第 2 章で 述べ た よう に人 間に は 、脳 内の ニ ュー ロン 細 胞の 活 動を 節約 する た め、様々
な現象やコンテクストに対して一定の解釈をする認知特性があり、それに基づいた行
動をとる。このことは長い進化の過程で厳しい自然環境に適応していくために身につ
いたものであるが、文明発達以降の環境の激変は、かつては適応的だった行動のいく
つかを、現代文明の中では逆に反道徳的なものにしてしまうようになった。このよう
に結果として反道徳的な行動とあらわれやすくなる生得的な知覚特性が知覚的認知バ
イア スで あ る。
この認知バイアスの問題点は、自分では悪いことであり、やってはいけないと分か
っていても、行動をおこしてしまうことである。実際、犯罪を犯した者が供述する内
容と して 、
「 いけ な い とは 思っ た が 、自 分を 抑え きれ な かっ た 」
「 がま んで き なか っ た」
といったものは、よく見られるものである。これまでの道徳教育では、学指導要領内
容項 目に 「 3 主 とし て 自然 や崇 高 なも の との かか わり に 関す る こと 」の (3) に 「人 間
には弱さや醜さを克服する強さや気高さがあることを信じて・・・」とあるように、
自らを統制できずに悪いことをしてしまう性質を「弱さや醜さ」と位置づけ、克服す
べきもの、つまりは取り除いていかなければならないものとしてきた。このとらえ方
が全面的に誤っているとは言わないものの、それだけでは危険性がある。つまり結局
それを克服、除去できなければ「自分は弱い存在であり、だめなんだ」と自分自身を
決めつけてしまうことになるのである。そのため「どうせ、だめなんだから」と却っ
て問題行動へと走らせることにもなるだろう。その点、そうした性質の根拠を認知バ
イアスとして理解させることは、自らの行動を客観視させ、ハイトの像と象使いのメ
83
タフ ァー の よう に 自分 の性 質と う ま く 付 き 合 っ て い く 姿 勢 を 養 う こ と に な る だ ろ う 5 。
2) 自己 利 得 的 認 知 バ イ ア ス
前 項 で 述 べ た よ う に 自 己 利 得 的 認 知 バ イ ア ス も 生 得 的 な 知 覚 特 性 で あ る が 、 具 体的
な行動として、どのような状況であっても自らの利得を最優先させることになるもの
である。この特性は人間の行動の多くを占めるものなので、独立した内容として取り
扱う。この自己利得的認知バイアスというのは、つまりは利己主義である。利己主義
を首肯するものはいないだろうが、人間に誰にもある特質である。だが、このバイア
スが存在するのは、考えてみれば当然と言えば当然である。自分自身が死んでしまえ
ば遺伝子は残せないのであり、どんなことをしてでも自らの命を永らえようとする性
質があるからこそ、子孫も残せるのである。それがなければ、そうした種はすぐに絶
滅し てし ま うだ ろ う。
ただし人類がここまで生き延びてこられたのは、集団化戦略による協調行動があっ
たからである。そのため他者の利得も確保する特質も身についている。だからこそ、
自分の事しか考えない利己主義者は忌避される。しかし、それでも自分を最優先する
特質は厳として存在し、そのため他者を傷つけたり貶めたりする行動は日常的によく
見ら れる の が現 実 であ る。
(2)認知 バ イ ア ス の 提 示 構 成
認知バイアス理解のための授業を構成していくのに共通する重要な要素は二つある。
一つは、当然ながら認知バイアスの内容そのものであり、各授業ではそれをどのタイ
ミングでどのように提示していくかがポイントとなる。もう一つは、認知バイアスの
内容を理解した後に類似したバイアスが他にもないか、そしてその認知バイアスに対
してどのように対処していくかを考察する思考活動である。本研究ではその思考活動
を敷衍的思考と名付け、授業の後半部に位置付ける。これらの要素を核とした授業の
構成 は次 の 3つ が 考え られ る 。
第 一の 構 成 は 、図 6-1 に示 した 通 り認 知バ イア スを 冒 頭か ら 示す 構成 であ る(A 型)。
この構成は認知バイアスによる行動の結果が非常に問題のあるものとなる場合に用い
る。たとえば先に挙げた異質性の排斥における人種差別の不当な実態などを示す場合
である。言わば冒頭でショックを与えてひきつけるわけである。次にそうしたショッ
キングな事例についての状況の背景を示して理解させ、どうしてこのようなことが起
こる のか を 考察 さ せ、その 意見 も 汲み な がら 認知 バイ ア スの 進 化的 な理 由を 教 示す る 。
そし て最 後 はこ う した 不当 なこ と が他 に ない かを 考え さ せる の であ る。
84
認知バイアスの
不当性を示す事
事例について
⇒
の状 況の 理 解
不当な事例が起
⇒
例の 提示
こる理由の考察
敷衍 的思 考
⇒
と教 示
図 6-1
冒頭 に認 知 バ イア スを 示 す構 成 (A 型)( 著者 作成 )
第 二の 構 成は 、 図 6-2 に示し た よう に 、 冒頭 では 通 常の 生 活で は当 然正 当 性が ある
かの よう に 認知 し てし まう 事例 を 挙げ る 構成 であ る(B 型 )。こ の 構成 は普 段 当た り 前
のように認知している内容の内面に問題や不当性をかかえている場合に用いる。普段
のありふれた認知の感覚を挙げて興味関心をひきつけるわけである。事例を示し、内
面のバイアスを確認した後は、前段での構成と同じようにそうしたバイアスがある理
由を考察させた上で、進化的な知見から教示する。最後は他の分野にも応用する敷衍
的な 思考 を 行わ せ る。
常識的な認知傾
向事 例の 提 示
常識な認知傾
⇒
向の中にある
認知バイアスの
⇒
バイアスの確
理由の考察と教
敷衍 的思 考
⇒
示
認
図 6-2
冒頭 に常 識 的 な認 知事 例 を示 す 構成 (B 型 )( 著者 作 成)
第三 の構 成 は図 6-3 に示 した よ うに 、 冒頭 の部 分で は あえ て 自己 利得 的な 認 知 バ イ
アス を促 す 事例 や 状況 設定 をし て しま う 構成 であ る(C 型 )。こ の 構成 では 人 間が 元 来
持っている自己利得バイアスを表出させ、それを全体の場で表明させた後に、その認
知が崩れてしまう事例を示すことによって自己利得バイアスであることを確認し、考
察していくのである。この場合は自己利得バイアスの基づいた認知を崩すだけの事実
や事 例が あ るこ と が条 件と なる 。
自己利得バイア
スを促す事例や
自己利得バイ
⇒
状況 設定 の 提示
アス の表 出 、表
自己利得バイア
⇒
明
スであることの
敷衍 的思 考
⇒
確認 と考 察
図 6-3 冒 頭に 自己 利 得 的 な認 知 バイ ア スを 促す 構成 ( C 型 )(著 者作 成)
(3)題材 群 の 授 業 構 成
現行の道徳授業の学習指導計画は学習指導要領に定められた内容項目を時期的な課
85
題や学校行事との兼ね合いを見計らって年間指導計画上に配置するという形式になっ
ている。本章で挙げている認知バイアスについての知識を習得する授業についても、
教科における単元のように継続的に行わなくてはならないというわけではなく、現行
と同様に適宜年間の計画上に配置して構わないものであるが、ここでは便宜上まとめ
て授 業の 全 体構 成 を次 の 表 6-1 と して 示す 。
表 6-1
認 知バ イア ス 統制 のた め の授 業 の全 体構 成( 筆 者作 成 )
№ 認知バイ
題材 名
認知 バイ
アスの提
学習 内容
教材
アス
する内容
示構成
1
A型
ねらいと 指導計
画
項目
1 時間
見た目で差
異 質 性
植 民 地 時 代 に 行 わ れ た 残 虐 写真
4-(3)
別するなん
( 外 集
な人 種差 別 の実 態 を見 て、そ 解説資料
「 差 別 扱い
てバカバカ
団)の排
の不 当さ を 理解 し、差 別の 根
や偏見
しい ! 6
斥
拠のとなる皮膚の色の違い
のない
の要 因を 探 る。
社会の
実現」
2
B型
1 時間
男女の違い
性戦略の
男 女 の 特 性 に よ る 認 知 力 の 写真
4-(3)
とは
男女 差
違い を確 認 し、犯 罪 の 加害 者 統計資料
「差別や 扱い
の多くは男性であることを
偏見の
理解 させ る こと に よっ て 、性
ない社
犯罪が性戦略の男女差に起
会の実
因す るも の であ り、現 代社 会
現」
では意味のないものである
という初歩的な理解をさせ
る。
3
B型
1 時間
なぜ甘いも
偏った採
な ぜ 人 間 は 甘 い も の や 脂 肪 写真
1-(3)
のが好きな
食 行 動
分の多い食品が好きなのか
「 自主・ 扱い
んだ ろう
(超正常
を理 解し 、嗜 好の ま ま 行動 す
自律」
刺激)
ると様々な問題が生じるこ
7
とに 気づ か せる 。
4
A型
1 時間
出会う人は
敵視と攻
人間 には 、よ く知 ら な い相 手 写真
2-(1)
みん な敵 !?
撃性
に 対 し て 敵 意 を 持 っ て し ま 解説資料
「礼儀」 扱い
う傾 向が あ るこ と を理 解し、
見知らぬ者同士が打ち解け
てい くに は、具体 的 に どの よ
うなやり取りをすればよい
86
かをロールプレイイングで
実践 する 。
5
A型
1 時間
悪いとは分
目先の利
人 間 は 一 対 一 と い っ た 対 面 写真
1-(3)
かっていて
得の 追求
し た 場 面 で は 相 手 に 対 し て 統計資料
「 自主・ 扱い
も
匿名 性
悪い と感 じ るが、大 き な組 織
自律」
や団 体に 対 して は、罪 の意 識
をあ まり 感 じな い こと が、悪
いと分かっていても万引き
をしてしまう一因であるこ
とを 理解 さ せ、そ れ を 踏ま え
た対 策を 考 えさ せ る。
6
C型
写真
4-(10)
1 時間
さばくに住
自己優位
さばくでは水は貴重なため
んでいる人
性
入浴 がで き ない が、印 象と は
国 際 理 扱い
はおふろに
異なり実はむしろ日本より
解,人類
入れ ない !
も清潔であることの理由を
愛
考え るこ と によ り、偏 見を 持
った 見方 に 気づ か せる 。
2
各授業の内容
(1) 「 見 た 目 で 差 別 す る な ん て バ カ バ カ し い ! 」
異質性、つまり自分とは異なる部分を持つ他者を排除するという認知バイアスを理
解させる授業である。この見た目で差別してしまうという認知バイアスは、同じよう
な形質的な性質を持っていた小集団で生活していた時代の産物である。 授業では人種
差別を取り上げ、その残虐な実例を挙げる。そしてその根拠となっている皮膚の色の
違いというものが、緯度上の居住場所の違いによる紫外線への対応の違いによる結果
という事実を理解させる。これによりいかに皮膚の色によって差別するということに
意味 がな い のか 、 を 理 解さ せる の であ る 。
(2) 「 男 女 の 違 い と は 」
この授業では、性戦略の男女差、端的には男性が女性に対して性犯罪を犯しやすい
という傾向を持つという認知バイアスを理解させる。人類を含む多くの動物はオスが
子に対する投資が無駄にならないように、自分の遺伝子を確実に残せているかに細心
の注意を払う。そのため男性は女性を独占する欲求が強く、それが嵩じて性犯罪に結
びつく。授業では、そのこと自体を中学生の知識として取り扱うのは適切ではないの
87
で、男女の平均的な認知面と能力面の違いを確認した後に男性によるものが多い性犯
罪を中心にした犯罪の実態を理解させる。その上で男性としてはどのような点を気を
付け てい け ば良 い かを 考え させ る 。
(3)「な ぜ 甘 い も の が 好 き な ん だ ろ う 」
この授業では好ましい刺激がさらに高まるという超正常刺激の特徴を偏った採食行
動という認知バイアスを通して理解させる。人類の進化の上では生き残るための貴重
な資源は必ず確保しなければならなかった。特に採食行動では栄養素を確実に摂取す
るた めそ の タグ と もい え る よう な 刺激 感 覚を 増大 させ た。こ れが 甘 味や 脂肪 分 であ る 。
この知識を理解させることにより、目先の好みで物事を判断し行動に移すことには問
題が ある と いう 姿 勢を 身に つけ さ せる 。
(4)「出 会 う 人 は み ん な 敵 !?」
知らない人物を見るとそれだけで敵視してしまい、攻撃的にもなるという認知バイ
アスを理解させる授業である。小集団で生活を営んでいた人類は、他集団と交流する
機会はそう多くはなく、限られた資源を奪い合うことも少なくなかった。そのため内
集団、外集団偏向が生まれ身内には共感的に接してもよそ者には警戒し敵視するバイ
アスが身についたのである。現代社会では以前に比べれば比較にならないほど資源も
豊富であり、無意味に争う理由がないことは明らかである。それでもこのバイアスに
よる犯罪や問題は多く発生しているのが現実であり、どのように対処していけば良い
のか を考 え るこ と は現 代人 とし て の課 題 であ ろう 。
(5) 「 悪 い と は 分 か っ て い て も 」
この授業では自分の利得になる状況では周囲を考慮せず目先の利得を 追求し、しか
も匿名性があるとその傾向がさらに強まるという認知バイアスを理解させる。かつて
の資源の乏しかった時代では、たとえば目の前の食料はすぐに自分のものとして確保
しなければ、生き残ることはできなかった。また相互に目の行き届く小集団で生活し
ていた時代が長かったため、非対面的な状態では自己の利得だけを追い求め、他者を
犠牲にしても罪悪感をそれほど感じない性質が身についている。現代のような超大規
模社会では非対面的な機会が中心となっているため、様々な問題が発生している。こ
のこ との へ の対 処 も現 代に 生き る 人間 に とっ て大 きな 課 題で あ る。
(6) 「 さ ば く に 住 ん で い る 人 は お ふ ろ に 入 れ な い ! 」
自分は周囲の人間や環境の中で優位な存在であると思ってしまう 認知バイアスを理
88
解させる授業である。人類は新奇な環境への適応能力に優れているために生き残るこ
とができた。そのためには主体性を肥大させる必要があった。現代では自分の周囲と
は全く異なる環境を移動せずに見ることができ、また移動もたやすい。そのことから
異な る環 境 への 蔑 視の 感覚 も持 ち やす い 。
3
構成上の留意点
(1)知 識 と 資 料 の 組 み 合 わ せ
メタ認知のための知識を習得するための資料は、様々なものが考えられる。ただし
人間には多くの認知バイアスがあるということを確認、理解させていくには事実とし
てそれが明確に示されている資料が必要である。したがって先に示したように、写真
や報道記事等による実際の事例や統計資料などが基本的なものとしてふさわしいだろ
う。 ただ し 次の 点 に注 意が 必要 で ある 。
第一に認知バイアスの内容を端的に示す資料を用いる場合、それが極端であっても
問題である。特に写真を用いる場合、あまりに残虐なものであったり、被写体となっ
ている個人や民族、人種の尊厳を傷つけるようなものであってはならない。統計資料
においても同様で特に国別あるいは都道府県別の資料においては配慮が必要であろう。
第二に著作権や肖像権の問題である。近年はインターネットで様々な統計資料も写
真も手軽に手に入るようになっている。それらを教室内の授業内のその場だけで用い
るのは、社会通念的にも概ね了承されているといえるが、それを広く印刷した場合に
は著作権や肖像権を侵害する場合も出てくる。よい資料と判断したからといって、あ
まり に広 く 出回 ら ない よう に配 慮 しな け れば なら ない だ ろう 。
こうした注意点を考慮したした上で資料の蓄積や更新が的確になされれば、有効に
資料を用いることができるだろう。なお補助的なものとして読み物資料も用いること
はで きる 。 ただ し 内容 的に は短 い もの と なる 。
(2)授 業 の 順 序
本題材群では、知覚的な認知バイアスを取り扱った授業を先に、自己利得的な認知
バイアスについての授業をその後にして構成してある。これは人間は認知対象を見た
だけで、その認知にバイアスがかかっていることが多いということを、まず理解させ
るためである。この主旨からすると、取り扱うバイアスの種類の順序は変えるべきで
はない。気づきにくいからこそ、様々な問題が発生するということを強調するのであ
る。
89
<註>
1
本 研 究で は衝 動 状態 を、 情動 状 態が 著 しく 言動 に通 常 とは 大 きな 変化 が見 ら れる 場
合を 指す も のと す る。
2
道徳 教育 の目 標 とし て「 人間 尊 重の 精 神と 生命 に対 す る畏 敬 の念 を家 庭、 学 校、 そ
の他 社会 に おけ る 具体 的な 生活 の 中に 生 かし 、豊か な 心を もち 、伝 統と 文化 を 尊重 し 、
それ らを は ぐく ん でき た我 が国 と 郷土 を 愛し 、個 性豊 かな 文 化の 創 造を 図る と とも に 、
公共 の精 神 を尊 び 、民 主的 な社 会 及び 国 家の 発展 に努 め 、他国 を尊 重し 、国際 社 会の
平和 と発 展 や環 境 の保 全に 貢献 し 未来 を 拓( ひら )く 主 体性 のあ る 日本 人を 育 成す る
ため 、そ の 基盤 と して の道 徳性 を 養う こ と」 が挙 げら れ てい る 。
3
たと えば 平 成 20 年 の文 部科 学 省「 中 学校 学習 指導 要 領解 説 道徳 編」「 第 1 章 総説 」
「第1節道徳教育改訂の要点」の「2道徳教育改訂の趣旨」には「現実から逃避し,
今の 自分 さ えよ け れば とい う自 己 の考 え に閉 じこ もり が ちな 子 ども の問 題も 指 摘さ
れて いる 。子 ども た ち が,他 者,社会 ,自 然・環境 と の豊 かな か か わり の中 で 生きる
とい う実 感 や達 成 感を 深め てこ そ 健全 な 自信 がは ぐく ま れる 」 とあ る。
4
たと えば 全国 の 統計 では ない が 、2012( 平 成 24)年 度に 女 性が 被害 者と な った わ い
せつ 犯罪 に おい て 全国 最多 の件 数 が発 生 した 大阪 府で は 府警 察 の統 計に よれ ば 同年
度に おい て 強 姦 149 件 、強 制わ い せ つ 1,224 件 の 1,373 件 が認 知 され 、過 去 5 年間 で
は一 貫し て 増加 傾 向が 見ら れる
(http://www.police.pref.osaka.jp/05bouhan/seihan_kodomo/waisetsu_hassei_1.htm
l)。
5
も ち ろ ん 、こ れ は 悪 い こ と は す べ き で は な い 、と い う 理 解 の 前 提 の も と に お い て で あ る 。
この前提は3~5章で示した題材群がその役割を担う。
6
鑓水 浩(2011)よ り改 編 。
7
鑓水 浩(2008)よ り改 編 。
<文献>
松下 良平(2002).『 知 るこ との 力 -心 情 主義 の道 徳教 育 を超 え て』 勁草 書 房 p.74.
鑓水 浩(2008). 『ヒ ュー マン ス タデ ィ -人 間を 科学 す る道 徳 授業 - 』
日 本 標準
鑓水 浩(2011).「カ カ オの 写真 と チョ コ レー トを 使っ て 、見 た 目で 人を 差別 す る愚 か さ
に気 付か せ る」笠 井善 亮編 著『中 学生 が 直面 する「 大問 題! 」をど う授 業す る か』明
治図 書
90
第7章
知覚的認知バイアスを統制する道徳授業の内容開発
第1節
授業内容を構成する原理
1 授業の目的
反道徳的な知覚的認知バイアスとは、視覚や聴覚等によって知覚された対象への認
知が、生得的にバイアスがかかっている状態であること及び具体的なその内容のこと
を示す。この反道徳的な知覚的認知バイアスを統制する知識習得の目的は、人類の進
化の過程で身についた対象への知覚的な認知のうち、その認知内容が対象へ反道徳的
な感情を発現させ、さらに反道徳的な行動へつながる傾向を持つものに対して、その
内容が反道徳的感情や行動へと駆り立てる進化的な要因を知識として、あらかじめ習
得しておくことにより、情動を抑え反道徳的行動へ至らないように自己統制が図るこ
とが でき る よう に する こと であ る 。
人間が周囲の世界や人物をどのように認知するかというのは、これまでの進化の過
程でその都度の環境に適応するものとして形成されてきたものであり、その意味で良
いも悪いも、あるいは道徳的か反道徳的かであるかも一切関係ない。極論を言えば個
体の存続の確保、つまりその場での自分の身の安全とその後の生存の保証、そして繁
殖が可能となるのであれば、ある状況の認知の結果として人を助けることもあったで
あろ うし 、 ある い は逆 に人 を殺 す こと も あっ た で あろ う 。
人口が現在に比べれば極端に少なく、広大なサバンナにまばらに居住していた時代
であれば、そうした生得的な認知傾向に問題はなかった。だが今から1万年前以降の
文明期に入ってからは急激に都市化が進み、多くの人々が日々顔を合わせるような社
会となってからは、安全な社会生活を送るという点からすると、これまで身について
きた 認知 傾 向は バ イア スの かか っ た 問 題 のあ るも のと な って し まっ た。
そしてさらにこのバイアスを拡大することになったものが、超正常刺激
(supernormal stimulus)で あ る 。 超 正 常 刺 激 と は 、 好 ま し い 刺 激 が さ ら に 強 調 さ れ る
と嗜好が一層高まるという動物の行動特性であり、本来性淘汰に関することについて
の概念である。たとえばクジャクの雄の美しく大きな飾り羽は、飛行という面からは
実に非実用的である。鳥にとって最も重要な機能と思われる飛行を犠牲にしてまで、
なぜその羽は華やかになったのだろうか。理由は至って単純で、より美しく華やかな
ほうが雌の好みに合うからである。その方が肉体としても健全で、雌にとってより良
い遺伝子を残していくための指標となった。そのため、次第に羽の大きさや華やかさ
がエスカレートしていったわけである。この場合の華やかな飾り羽に性的な嗜好が高
まっていく行動の特性が超正常刺激であり、その結果が羽の視覚的な状態ということ
になる。性的な嗜好というのは、繁殖上極めて重要なものであるので 、どのような形
であ るに せ よ超 正 常刺 激と して 特 質化 し やす いの であ る 1 。人 間 の場 合に は性 的 嗜好 に
とど まら な い分 野 にお いて も、 そ の行 動 特性 が見 られ る と考 え られ てい る。
91
こ のよ う に人 間 の知 覚的 な認 知 及び そ れに 伴う 行動 に は、バイ ア スが かか っ てお り 、
さらに超正常刺激によって自身では気付かないものの、一定の認知においてはその結
果としての行動が異常性を持つほど激しいものともなり得るのである。それを統制す
るためには、具体的にどのような認知バイアスを持っているのかということを知る必
要が ある の であ る 。
次に超正常刺激とも関係したこうしたバイアスのかかった認知の内容を、三点にわ
たり 具体 的 に挙 げ てみ たい 。
2
反道徳的な知覚的認知バイアス
(1)異 質 性 ( 外 集 団 ) の 排 斥 と ネ ポ テ ィ ズ ム ( nepotism,身 内 び い き ) に よ る 認 知 バ イ
アス
第一に挙げられるのは、異質性の排斥とネポティズムによるによる認知バイアスで
ある。攻撃性を伴った外集団に代表される異質性の排斥とは、端的にはこれまで人類
の歴史上で幾度も繰り返されてきた異人種や異民族への不当な差別に基づいた残虐行
為として示すことができる。学校教育における卑近な例ではいじめである。いじめの
対象となるのは、たとえば次のような者に対してである。他人種であったり、肥満を
含めた体格の著しい大小が見られたり、あるいは事故や病気のために身体の一部に違
和感が感じられる状態にあったりする者である。さらに外国からの帰国や入国による
転入、また吃音等によって日本語がうまく話せない、口臭や体臭がきついといった者
である。つまり、外見や内面において多数者から構成される同質的な基本集団から見
て異 質性 が ある 者 や集 団に 対し て 残虐 行 為や いじ めが 行 われ る の で ある 。
この傾向は、人類の進化の過程を考えれば当然とも言える。現在のように多くの人
間が 一定 の 空間 内 にひ しめ きあ っ て生 活 する とい うの は 、 人 類の 700 万年 にわ た る進
化の うち 、 ほん の 一瞬 であ るせ い ぜい こ の 1 千年 程 度に しか 過 ぎ ない 。進 化 上 長 い期
間は広大なサバンナにごくわずかな人数で生活していたのである。その中で 、普段共
に暮らしている見慣れた人間以外の人物が現れれば警戒するのは当然であろう。 これ
は本能として根付いているとも言え、人間の認知能力が発達し、明らかに自分たちに
危害を加える恐れがないと分かっていても、その性質は容易には抑制できないのであ
る。
また現在の世界のどこの社会であれ身内びいきは存在する。これも同様に 血縁淘汰
の考えからすれば当然である。遺伝子はあくまでも自分のコピーを残していくことが
第一 であ る。 自分 の 遺 伝子 を残 す より 種 の存 続を 優先 す ると い った こと はな い 2 。では
何らかの理由で自分のコピーを作れない場合はどうなのだろうか。その場合はそれに
準じる形で多少なりとも自分の遺伝子が残るように投資をしていくことになる。つま
り血縁者を守っていくわけである。だが人類の場合は、数百万年間集団化戦略をとっ
92
てきたため自分の所属する集団の成員に対しては心を通わせ積極的に協力していく性
質が身についている。したがって現在も身内びいきの身内というのは必ずしも血縁者
ばかりではない。同じグループの成員も含まれることが少なくない。さらに同じグル
ープといってもその根拠は実に大したものではない。たとえばコインを投げその裏表
によってつくられた集団や実際には無作為に分類したにもかかわらずある架空の芸術
家に対する意見を聞いて、それにしたがって分類したように見せかけた 偽集団であっ
ても、その集団の成員同士の間ではまるで親友か近親者のように振る舞うようになる
ので ある ( アロ ン ソン ,1994)。
こうした異質性の排斥やネポティズムは普段の生活に浸透しており、そのためにそ
れを煽ったり利用したりする傾向もよく見られる。そしてそれが嵩じると個人単位で
あれ 、あ る いは 国 家単 位で あれ 重 大な 問 題に 発展 する の であ る 。
(2)性戦 略 の 男 女 差 に よ る 認 知 バ イ ア ス
第二に挙げられるのは、性戦略の男女差による認知バイアスである。この結果とし
て発生することになる性犯罪は、上述したように圧倒的に女性に対し、男性が加害行
為をはたらくものである。理由は生物としてのオスは繁殖の機会を持ちやすいため他
のオスとの競争が激しくなり、そのため強引にメスに対して性行為をしようとする性
質が 身に つ いて い るか らで ある 。
超正常刺激という概念がもともとは性淘汰に関するものを対象としていただけに、
人間についても性的嗜好はその生活中に占める心理的また行動的割合はかなり大きい。
実際、顔の美醜については誰もが強い関心を持っており、一般に美しい形質、つまり
美男美女が好まれる。ただし男女の繁殖の戦略上、性的な嗜好は性別によってかなり
異な って い るの が 実際 であ る。
一般 に顔 の 美醜 に より 重き を置 く のは 男 性で ある 3 。これ は雄 の 方が 生殖 の機 会 をよ
り多く持つことが可能なため、よりよい遺伝子をいわば手当たりしだいに求めるとい
う戦略の結果である。これに対して女性は繁殖上のコストが男性に比べて格段に高い
ため、確実に繁殖に貢献しそうな異性を求めるという戦略の結果として、美しさだけ
でなく力強さや誠実さといった要素も重視するようになった。こうした特質 から女性
は特に見た目を重視して常に美しくあろうと、一方男性は力強さや誠実さを誇示しよ
うと する の であ り 4 、こ のこ とは 社 会文 化 的に も完 全に 定 着し て いる 。結 局「 進化 は女
性 に と っ て 冷 酷 で あ る (バ ス,2007)」 の で 、 女 性 向 け の フ ァ ッ シ ョ ン や 化 粧 品 、 美 容や
痩身用品などは重要な産業となっているのである。これに対して男性向けにはその性
的戦略の特質から直接その欲求に応じるような面で産業化が進んでいる。これらがポ
ルノ やい わ ゆる 風 俗関 係産 業で あ る。
女性のファッションや化粧品、美容や痩身用品等への嗜好の高まりは、よほどのこ
とがない限りは反道徳的行動へは結びつくことはないだろうが、男性の ポルノやいわ
93
ゆる風俗関連商品やサービスへの嗜好の昂揚は、深刻な反道徳的行動である性犯罪に
直結しやすい。特にインターネットが広く流通するようになってからは、ポルノ的な
刺激や関連商品、風俗産業関係の情報が匿名で容易に入手できるようになった。現状
ではこうした刺激によって嗜好が一層高まることになり、より性犯罪につながりやす
くな って い ると 言 える だろ う 5 。
こうした社会的傾向は、間違いなく児童生徒にも影響を与えている。不必要な性的
な情報の氾濫が、全ての児童生徒に直接性犯罪や過度な美容への嗜好を促すわけでは
ないが、実際に問題行動を起こしたり、またそこまでいかなくても関心の高まりから
学習 活動 へ 集中 で きな かっ たり す る者 も 決し て少 なく は ない の であ る。
(3)採食 行 動 に 関 す る 認 知 バ イ ア ス
第三 に挙 げ られ る のは 、採食 行 動に 関す る 認 知バ イア ス であ る 。も ちろ ん採 食 行動 、
つまりものを食べるということ自体が反道徳的な行動であるというわけではない。だ
が、偏った採食行動が間接的に大きくそれに関わっている。具体的には次の二点であ
る。
まず一点目は、特定の食品要素ばかり摂取することによって、必要な栄養素が不足
することになり、そのことが脳へも影響を及ぼすことによって衝動的な行動を起こし
や す く な る 傾 向 が 指 摘 さ れ て い る と い う こ と で あ る (西 谷,2008)。 こ の た め 栄 養 の バラ
ンスの良い食生活についての指導は特に初等期の教育においても重要な内容となって
いる 。特 に 糖分 を中 心 とし た 食 品 要素 を 摂り すぎ ると い わゆ る「 ペ ット ボト ル 症候 群 」
という急性糖尿病の状態に陥り、場合によっては他者のもの奪ったり万引きをしたり
して でも 手 に入 れ ると いう こと に もつ な がる ので ある 。
二点目は過食、拒食を問わず摂食障がい患者に、食品の万引きが多いという事実で
あ る(高 木,2012)。 当 事 者 の 理 由 と し て は 過 食 で あ れ ば 「 お 金 が い く ら あ っ て も ( 過食
のた めに )足 りな い し 、少し でも 節 約し た い から 」、拒食 で あれ ば「 どう せ 食べ て吐い
てしまうのだから、自分のお金を使うのはもったいない」というものが中心である。
摂食障がいが偏った採食に関する嗜好の高まりのために発症するわけではないだろう
が、精神的な問題が当事者が持ち合わせている採食の偏りという性質を突破口として
発現 して い るの は 間違 いな い こ と であ り 6 、そ の性 質が 反 道徳 的 行動 を助 長し て いる こ
とに なる の であ る 。
人間の味覚というのは、おしなべて糖分と脂肪分、塩分を好む。このことはこれら
の栄養分が人間が生存していく上で、極めて重要なものだったことを物語っている。
味覚への嗜好性をより高める超正常刺激の性質が身についたことにより、希少で優れ
た栄養分を少しでも多く摂取するように適応してきたと考えられるのである。その結
果として旨味、おいしさを追求した食品が氾濫している。本来人間が必要な栄養素が
単一のものであり、それを摂取すれば十分なのであれば人間の感覚としては空腹感と
94
満腹感だけで十分である。だが実際には様々な栄養素を必要とするために人間は味覚
を進化させてきた。かつてはおいしいと感じるそのものが身体が必要とする栄養素だ
った。しかし現代にあってはそれは等価ではない。おいしいと感じる食品ほどむしろ
栄養素は決して十分なものではなく、結果として糖分や脂肪分等の摂取過多による生
活習 慣病 発 症と い うパ ラド ック ス に陥 っ てい る の であ る 7 。
こうした甘味や脂肪分、塩分の嗜好の高まりは、特に子どもに対して短絡に社会の
ルールを破ってでも手に入れたいという欲求を促進し、常にイライラし、自分の感情
を抑 えき れ な く な るこ とに つな が る 栄 養 の偏 り を 生ん で しま う ので ある 。
以上 の3 つ の知 覚 的認 知バ イス を まと め たの が表 7- 1 であ る 。
表7 -1
反道 徳 的な 知覚 的認 知 バイ ア スの 一覧 (筆 者 作成 )
バイ アス 名
起源
反道 徳性
異質性の排斥とネポ
進化上長い期間ごくわずかな人
異人種や異民族への不当な差
ティ ズム
数で生活していたことによる、
別に基づいた残虐行為。学校
見慣れない人間への過剰な警戒
教育 にお け る い じ め
感
性戦 略の 男 女差
オスの強引にメスに対して性行
男性による性犯罪やストーカ
為を しよ う とす る 性質
ー行 為、 逸 脱し た ポル ノ産 業
嗜好の偏った採食行
希少な栄養分を少しでも多く摂
嗜好の過度な高まりによって
動
取するために適応した超正常刺
発生する窃盗などの犯罪及
激
び、必要な栄養素の不足によ
る脳へも影響と結果としての
衝動 的な 行 動
3
授業構成上の留意点
以上三点にわたり反道徳的な行動と結びついていくバイアスのかかった生得的認知
内容を挙げた。これらのバイアスを認識させ反道徳的な行動を抑制していく能力を道
徳授業によって養っていくわけである。しかし、内容から考えると道徳授業が行われ
てい る中 学 校で 8 、こ れ らの 内容 を その ま ま直 接取 り扱 う のは 適 切で はな い 9 。そ こで 三
点にわたるバイアスに気づかせ、そのバイアスから結びついていくことになる反道徳
的行動を結果として抑制していくことになる授業内容を開発していくことになる。そ
れぞれ部分的間接的に発達段階として問題のない授業題材を考案していくということ
であ る。 要 点を 示 せば 次の よう に なる 。
第一にそれらのバイアスの内容のうち、比較的問題のないものだけを取り上げると
いう こと で ある 。た と えば 、「 異質 性( 外 集 団)の 排 斥」にお いて は、い じ めの 問 題を
95
そのまま扱った場合、いじめが起こる要因を学習することになり、その知識があった
としても小中学校段階では、それが抑制する方向には働かない可能性の方が大きい。
抑制していくにはいじめのひどさやむごさを強調しなければならないが、直接自分た
ちの 日常 生 活に 関 わる こと なの で 、生 々 しく なり すぎ る 可能 性 があ る 10 。
そこで、具体的にはこの認知バイアスに関しては日常の生活からは離れた過去の人
種差別の問題を取り上げるのが適切であろう。人種差別は主に皮膚の色の違いによる
ものであり、外見上の異質性があると人間には排斥する性質があるということ、そし
てその根拠というのは現代社会から見れば薄弱なものであり、それによって差別する
ことがいかに無意味なことであるかを学習させるのである。これによって、様々な理
由で 他者 や 他集 団 を差 別す ると い うこ と の 不 当性 をも 理 解さ せ てい くこ とに な る。
第二に、一点目に挙げた内容とも共通する面があるが、あるバイアスを取り上げて
それに関する知識を得ることによって、その知識を敷衍して他の面にも応用していく
こと を期 待 する と いう とい うこ と であ る 。た とえ ば 、「偏 った 採 食 行動 」につ い ては 脂
肪分や甘味ばかり摂取することの危険性を説き食生活の改善を図るということが授業
を行うことがねらいというよりも、自分のその時の嗜好、ひいては欲望のままに 従う
ことの危険性を理解させることが重要なのである。食品について取り上げながら、そ
の他 の分 野 にも 見 方を 広げ てい く とい う 敷衍 的な 思考 を 行わ せ る わ けで ある 。
またスナック菓子など子どもにとっては関心の高い内容なので、そのことにばかり
とらわれ、肝心の部分が授業を受けた全員に十分には伝わらないこともあるかもしれ
ない。だが、真の重要さを理解する児童生徒は少なからずいるだろう。児童生徒同士
の生活上の相互作用によって、少しずつでも浸透していくことは期待できる。また、
その時点では食品のことしか頭に残っていなくても、時間ととも に成長することによ
って 将来 的 には そ のこ とを 応用 で きる よ うに なっ てい く こと も 期待 でき るだ ろ う。
第三 に現 在 行わ れ てい る学 習活 動 と連 携 して いく こと で ある 。 たと えば 、「性 戦略 」
については、先にも挙げた性教育と併せて学習させていくことができるだろう。現在
の中学校では保健体育科目の保健分野において医学的な見地から男女別の授業行って
いる。内容としては人間の生殖活動の医学的な知識を学習するものになっているが、
そこに上述した知識を加えていくのである。具体的には男女の性戦略の違い、つまり
男性は見た目を重視し女性は内的な面を重視するといった傾向を両性共通に学習させ
る。そしてその上で男子にはそれに基づく男性による女性への性的暴力や性犯罪につ
いての実態と、その結果の悲惨さを、女子にはそうした被害に遭わないようにするた
めの 対策 、 対応 を 学習 させ てい く ので あ る。
授業そのものはクラス単位での通常の道徳の時間とはいかないが、保健と道徳を融
合させた授業というのは、多くの性犯罪が発生している現状から考えれば早急に行わ
れるべきものだろう。ただし本節における授業では、その前段階となる通常のクラス
単位 のも の を示 し てい る。
96
第2節
知覚的認知バイアスを統制する道徳授業の内容
授業を実際に展開するにあたっては、前項で示した授業構成に従い、各認知バイア
スを取り上げる。授業のねらいは認知バイアスを認識させ、その成立の理由を進化の
視点から理解させることである。習得すべき知識内容は各認知バイアスに対して モニ
タリングを可能にするメタ認知に資するものである。以下、先に示した認知バイアス
応じ た授 業 内容 を 示す 。
1 認知バイアス「異質性(外集団)の排斥」を扱った道徳授業
(1)題材 名 「 見 た 目 で 差 別 す る な ん て バ カ バ カ し い ! 」
(2)ねら い
・皮 膚の 色 が違 う とい う だ けで 残 虐な 差 別行 為が 行わ れ てい た こと を理 解す る 。
・人種によって皮膚の色が違う理由がビタミンDの体内での合成に関わることである
こと を理 解 させ る こと によ り、 差 別す る 根拠 とし ての 薄 弱さ を 実感 する 。
(3)習得 さ せ る 知 識
・ビタミンDは他のビタミンと違って紫外線を皮膚から吸収することによって体内で
合成 でき る 。
・ビタミンDは生きていく上で必須の栄養素であるが、吸収しすぎるとがんになって
しま う。
・そこで太陽光の強さによって紫外線の吸収の程度を調整するのがメラニン色素であ
る。
・太陽光が強い場所ではメラニン色素が多くなり、皮膚の色は黒くなる。弱い場所で
は少 なく な って 白 くな る。
・人 類の 祖 先は ア フリ カに 住ん で おり 、 全員 皮膚 は黒 か った 。
(4) 認知 バ イ ア ス の 提 示 構 成
・冒 頭に 認知 バ イア スを 示す 構 成( A 型 )
(5) ねら い と す る 内 容 項 目
4-(3)「差 別や 偏見 のな い 社会 の 実現 」
(6)展開
段階
学習 内容 と 発問
予想される生徒の反
指導 上の 留 意点
教材
応
導
・カ カオ の 写真 を 見せ 、 ・思い つい た もの を答
・授業開始と同時
カ カ オ
入
何で ある か を聞 く
にす ぐに 見 せる
の写 真
える
・「 ヤ シの 実 」
チ ョ コ
・「 カ カオ 」
レ ー ト
「カカオといえば何だ
・「 チ ョコ レー ト 」
・時間をとりすぎ
の パ ッ
ろう か」
・「 コ コア 」
ない よう に する
ケー ジ
97
・チョ コ レー ト のパ ッ ケ
ージ を見 せ、カ カオ と チ
ョコレートを印象づけ
る
展 認知バ ・「 カ カ オ の 生 産 は ど の
・「 ア フリ カ 」
・アフリカが全生
ア フ リ
産量 の 3 分 の 2 を
カ の 地
の不当
占めていることを
図
性を示
確認 する
開 イアス 地域 が多 い だろ う か」
す事例 ・「 で は ア フ リ カ の ど こ
の提示
・「 ガ ーナ 」
・国を答えさせる
の国 だろ う か」
とまず「ガーナ」
・「 正 解 は コ ー ト ジ ボ ワ
であ る
ール 」
・地図で位置を示
す
「カカオをかつて生産
・「 農 民」
・我々が優雅に生
していたのはどのよう
・「 ア フ リ カ の 普 通 の
活している裏で
な人々だったのだろう
人」
は、苦しい思いを
か」。
・「 ど れい 」
している人もいる
こと に触 れ る
・コン ゴ の奴 隷 労働 を 示 ・右手 がな い こと に気
・凄惨な写真なの
20 世 紀
す右手首の欠損してい
づく 。
で、軽い雰囲気に
初 頭 の
る写 真を 見 せる
・「 事 故に あっ た 」
ならないようにす
コ ン ゴ
・「 な ぜ 右 手 が な い の だ
・「 け んか した 」
る
自 由 国
ろう か」
・「 誰 かに やら れ た 」
で の 地
元 労 働
者 の 手
首 を 切
ら れ た
写真
事例に ・プラ ン テー シ ョン で の
・反 応す る
・あまりにひどい
ついて 作 業 の ノ ル マ が 達 成 で
・「 ひ どい 」
仕打ちなので、自
の状況 き な か っ た 罰 で あ っ た
・「 何 で そ こ ま で す る
然と反応があらわ
の理解
こと を説 明 する
のか 」
れる
・この 例 以外 の アフ リ カ
・「 そ ん な こ と を し て
系の人々の奴隷労働や
胸が 痛ま な いの か 」
・併せてコンゴ自
差別について簡単に説
由国の位置と名前
明す る
のいわれを説明
98
し、植民地支配の
ひどい実態を理解
させ
不当な ・「 な ぜ 、 こ の よ う な ひ
・「 人 種が 違う か ら 」
事例が どい 差別 を 行っ た のか 」 ・
「肌 の 色が 違う か ら 」
起こる
・「 同 じ 人 間 と み な し
理由の
てい なか っ た」
考察と
教示
・現生 人 類が ア フリ カ 起
・「 1 万人 」
わずかそれだけの
人 類 の
源であることを示す資
・「10 万 人 」
人数でこれほど人
祖 先 は
料を 見せ 、5 万 年前 の 出
・「 3 万人 」
種の多様性が進ん
ア フ リ
アフリカの人数を予想
だと言われている
カ で 誕
させ る
ことを強調する。
生し 、そ
・「 正 解 は 150 人 11 」
併せてアフリカ単
の 後 世
一起源説では、昔
界 中 に
は皆アフリカ人で
広 が っ
あり、その人数は
て い っ
3000 人 程度 であ っ
た こ と
たとされているこ
を 示 す
とも 強調 す る
図
・「 人 種に よっ て なぜ
・「 生 まれ つき 」
・生 徒で も メラ ニ
肌の色が違うのだろ
・「 日 差し の関 係 」
ン色素の名前は知
う」。
・「 メ ラニ ン色 素 」
っている場合が多
いが、出ない場合
は日焼け時の様子
を例 に挙 げ る
・紫 外線 、ビ タ ミン D の
・肌の色の違いは
合成とメラニン色素と
環境への適応の結
の関 係を 説 明す る 。
果であり、それを
基に差別をすると
いうことがいかに
無意味なことかを
強調 する
99
敷衍的 ・「 外 見 で 差 別 し た り 偏
・「 ス タイ ル 」
・肌の色と同様、
思考
見を持ったりすること
・「 目 の大 きさ 」
適応の結果である
が、他にもないだろう
・「 髪 の色 」
ことについては簡
か」
・「 服 装」
単に 説明 す る
・手足の長さ→熱
の放 散
・一重まぶた→寒
冷地仕様、外部シ
ョッ クに 強 い等
クラスに該当する
生徒がいる場合は
十分 に配 慮 する
「 カ ッ と な っ て 今 挙 げ ・今日 学ん だ こと を思
・カッとなるなど
たよ うな こ とを 理 由に 、 い出 す
感情の高ぶりが激
相手 を差 別 した り、ひ ど
しい状態というの
「が まん す る 」
いめに会わせたくなっ
はそう長く続くも
たときにはどうすれば
ので はな い の で 12 、
よい のだ ろ う」
まずはがまんすれ
ば冷静になること
ができることを紹
介す る
終
・本時 の 授業 の 感想 を 書
・感 じた こ とを 書 く
・感じることは多
末
かせ る
いはずなので多め
(・習 得 させ た い知 識 に
に時間をとる。余
ついての理解の程度を
裕があれば発表さ
みるためのペーパーテ
せる
スト を行 う )
(7)授業 の 評 価
習得させたい知識をどの程度理解したかを見ることが評価となるわけだが、具体的
には二つ考えられる。一つは一般的に行われている指導過程の終末において感想を書
かせ、その内容で判断するものである。もう一つは指導案上では同じく終末部分にカ
ッコ書きにしてあるように、教科でのテストのように知識の理解の程度を客観的に見
るペーパーテストを行うものである。現行の道徳授業の状況で考えればペーパーテス
トを行うというのはかなり違和感を持たれることが予想されるので、テスト形式はカ
ッコ書きにした。だが本研究の主旨からすればテスト形式の方が望ましいと言える。
100
ただし上述したように、この題材群の授業では詳細な知識の習得を図るわけではない
ので 、こ の 授業 で は皮 膚の 色の 違 いの 要 因を 理解 する 程 度で よ いだ ろう 。
2 認知バイアス「性戦略の男女差」を扱った道徳授業
(1)題材 名 「 男 女 の 違 い と は 」
(2)授業 の ね ら い
・性犯罪についてそのまま取り上げるのは問題がある。そこで男女混合の通常クラス
において実施可能な範囲で男女の特性の違いと身近な犯罪の実態を取り上げること
によ って 、よ り 具体 的 な男 女の 性 戦略 の 内容 とそ の結 果 とし て の 性 犯罪 につ い て理 解
を深 めて い く機 会 の端 緒と する 。
・男女の生得的な認知能力の違いを実験的に確認するとともに、その違いに優劣はな
いこ とを 理 解さ せ る。
・犯罪は男性によるものが多い実態を理解させることにより、男性による性犯罪にも
結び つい て いく こ とを 示唆 する 。
・男女の特性、特に相互に理解、尊重し合いながら生活していくことの大切さを 理解
させ る。
(3)習得 さ せ る 知 識
・一般的に男性が持つ女性よりも高い認知能力は、広い範囲の平面的、空間的な心的
操作 能力 で ある 。こ れ は進 化上 の 長い 期 間に おい て、男 性は 主に サ バン ナに 猟 に 出 か
けて いた か らで あ る。
・一般的に女性が持つ男性よりも高い認知能力は、狭い範囲での空間的な心的操作能
力と 記憶 能 力で あ る。これ は進 化 上の 長 い期 間に おい て 、女 性は 子 ども の面 倒 を見 な
がら 家の 近 くで 共 同で 採集 をし て いた か らで ある 。
・性 犯罪 は 男性 が 女性 に対 して の もの が 圧倒 的で ある 。
(4) 認知 バ イ ア ス の 提 示 構 成
冒頭 に常 識 的な 認 知事 例を 示す 構 成( B 型 )
(5) ねら い と す る 内 容 項 目
4-(3)「差別 や偏 見の ない 社 会の 実 現」
(6)展開
段階
学習 内容 と 発問
予想される生徒の反
指導 上の 留 意点
応
導
・見た 目 以外 に 男女 の 違
・「 女 は優 しい 」
思いついたことを
入
いにはどのようなこと
・「 男 は力 が強 い 」
言わ せる
があ るか を 聞く
・「 女 は子 ども を 産
む」
101
教材
展 常識的 ・学校 付 近の 地 図を 短 時
・そ れぞ れ 答え る
男女関係なく質問
学 校 付
開 な認知 間見 せた 後 に隠 し、地 形
(地図については男
し、 答え さ せる
近 の 地
傾向事 や 方 角 に つ い て ど の 程
子の方が概ね正しく
図
例の提 度覚 えて い たか を 聞く
答え 、部屋 に つい ては
部 屋 の
示
概ね女子の方が正確
棚の 図
・同じ 部 屋の 棚 に置 い て
に答 える )
ある小物や文房具の配
置を何カ所か代えた図
を2 枚見 せ、ど こが 変 わ
った かを 聞 く
・それ ぞ れの 質 問に 男 女
どちらが正答が多かっ
たか を確 認 する
常識な ・なぜ 男 は地 図 が女 は 部 ・男は 外に い るこ とが
実際の数にかかわ
認知傾 屋 が 得 意 か を 考 え さ せ
多か った
らず、地図の問題
向の中 る
・女は 家の 中 にい るこ
は男子が部屋の問
イ メ ー
にある
とが 多か っ た
題は女子が得意で
ジ さ せ
バイア
あることを説明す
る写 真
スの確
る
認
認知バ ・かつ て は男 は 猟へ 出 か
・女も家の中だけ
イアス け、女 は 家の 近 くで 採 集
にいただけではな
の理由 を し て い た こ と を 説 明
く、外に出ていた
の考察 する
こと を強 調 する
と教示
・提示する男女の
・男女 別 にと っ たア ン ケ ・男女 どち ら かを 考え
順番は順不同にす
男 女 別
ート の結 果 を見 せ、ど ち
る
に と っ
挙手 をす る
らが男女かを考えさせ
た ア ン
る
ケ ー ト
・将 来な り たい 仕 事
の結 果
・得 意な 教 科
・好 きな ス ポー ツ
・好 きな 食 べ物
敷衍的 ・一呼 吸 おい て から 次 の ・思い つい た もの を発
・軽い雰囲気にな
犯 罪 の
思考
らな いよ う にす る
統計 を
統計 の結 果 は何 か
表す る
を考 えさ せ る
・「 盗 み」
102
示 し た
・犯罪 の 被害 者 の男 女 比
・「 強 盗」
(ひ った く り)
・「 万 引き 」
図
・犯罪 の 加害 者 の男 女 比
(万 引き )
・犯罪の加害者は男性
・性犯罪まで踏み
が、被 害 者は 女 性が 多 い
込むのは中学生で
こと を確 認 する
は問題をはらむ可
・男女 の 特性 を 尊重 し て
能性があるので、
生活することによって
それを匂わせる程
社会は成り立つことを
度で 終わ ら せる
強調 する
終
・本時 の 授業 の 感想 を 書
・感 じた こ とを 書 く 。 ・ 興 味 本 位 の 感 想
末
かせ る
・男女 の違 い が分 かっ
にならないように
た
留意 する
・男女 の違 い をよ く知
って おい た 方が よ い
・悪い 面に つ いて は気
を付 ける
(7)授業 の 評 価
男女の性戦略の違いの結果として性犯罪の実態と要因を学習させるには、発達段階
として中学生では時期尚早である。そこで本授業では、性戦略とその結果である性犯
罪そのものを取り上げるのではなく、その前段階となる学習内容とした。したがって
評価についても、本授業においては犯罪加害者は男性が多く、被害を受けるのは女性
が多いという知識を習得したか程度にとどめ、男女の特性を尊重するという態度が見
られ るか ど うか と いう 点を 重視 し たい 。
3 認知バイアス「偏った採食行動」を扱った道徳授業
(1)題材 名 「 な ぜ 甘 い も の が 好 き な ん だ ろ う 」
(2)授業 の ね ら い
・人間はなぜ甘味や脂肪分が好むのかという理由が、数百万年以上前の人類の祖先が
果実食だったことと、その後の進化の過程で脳が発達する上で肉が重要な食料だっ
たこ とま で 遡る こ とを 理解 させ る 。
・かつての果実はあまり甘みがなかったことと、肉を手に入れることは大変難しいこ
103
とだ った こ とか ら それ らの 味覚 に 対し て 極め て敏 感に な った こ とを 理解 させ る 。
・現在はその好みに合わせた食品が氾濫しており、そのために生活習慣病が蔓延して
いる 実態 を 理解 さ せる 。
・自分の好みばかり応じて行動していると、問題となることにはどのようなものがあ
るか を考 え させ 、 その 問題 性 を 理 解さ せ る。
(3)習得 さ せ る 知 識
・人類の祖先がまだ樹上で生活していた頃は果実を食べていたが、甘みは少なかった
ため 甘い 味 に対 す る好 みが 高ま り 、そ れ は現 在ま で続 い てい る 。
・人類の祖先が現在のように大きな脳を持つためには、多くのエネルギーが必要であ
り、 それ を 賄う に は脂 肪分 を多 く 含ん だ 肉が 必要 だっ た 。
・肉はなかなか手に入らない貴重なものだったため、脂肪を好むようになり、それは
現在 まで 続 いて い る。
・甘 味や 脂 肪分 の 取り 過ぎ は生 活 習慣 病 のも とに なる 。
・自分が欲しいと思ったものを手に入れることは、必ずしも良いことではな く、問題
も多 く起 こ る 。
(4) 認知 バ イ ア ス の 提 示 構 成
冒頭 に常 識 的な 認 知事 例を 示す 構 成( B 型 )
(5) ねら い と す る 内 容 項 目
1-(3)「自主・自 律
(6)展開
段階
学習 内容 と 発問
予想される生徒の反
指導 上の 留 意点
教材
応
導
・スイーツの写 真 を見 せて、
・「 お いし いか ら 」
導入なのでいくつ
ス イ ー
入
なぜ人 間 はおしなべて甘 い
・「 好 きだ から 」
かスイーツの写真
ツ の 写
を見せて、思いつ
真
ものが好きなのかを聞く
くま ま答 え させ る
展 常識的 甘 い も の を 摂 り 過 ぎ る
・「 病 気に なる 」
この質問だけで
開 な認知 と ど う な る か を 考 え さ ・
「生 活 習慣 病に な る」 は、すぐ に「 太る 」
傾向事 せる
「肥満になる」と
例の提
返ってくることに
示
なる ので 、
「 あく ま
でも健康について
具体的に答えなさ
い」 と強 調 する
ここでは「生活習
慣病」という語句
を挙げさせるのが
ねら いで あ る
104
・生活 習 慣病 に つい て 説 ・生 活習 慣 病 の 概 要の
・時間をかけない
生 活 習
明す る
程度で、糖尿病や
慣 病 に
説明 を聞 く
高血 圧 、高 脂 血症 、 つ い て
動脈硬化等につい
て資料を用いなが
ら簡 潔に 説 明す る
・実際に今、目の
前に 甘い も のが
並んでいると想定
して、自分の行動
を考 えさ せ る
常識な ・次 の質 問 をす る 。
②がもっとも多く③
認知傾 「 甘 い も の の 摂 り す ぎ
がそれに続く場合が
向の中 は か ら だ に 良 く な い と
多い
にある 分か って い る、あな た の
バイア 目 の 前 に お い し そ う な
スの確 ケ ー キ が 一 つ あ ら わ れ
認
た。お 腹 もす い てい た あ
なた は、ぺろ り と平 ら げ
た。そ の とき ! さら に ケ
ーキがたくさんあらわ
れた 。さて 、あ なた は ? 」
➀がまんして食べない
②少しくらいならいい
や、 とも う 1 個 食 べて 、
それ で抑 え る
③少しくらいならいい
や、 とも う 1 個 食 べて 、
そ の 勢 い で さ ら に 2, 3
個食 べる
④無 制限 に 食べ る
・再 び、なぜ 人 間は 甘 い
ものが好きなのかを聞
く。
・「 生 き て い く 上 で 必
要だ から 」
・「 大 切 な 栄 養 素 が あ
るか ら」
・導入と同じ質問
だが、今度は前よ
り深く考えさせ
る。当然正解はま
ず出てこない。生
105
の資 料
徒なりに考えた答
えは 十分 尊 重す る
認知バ ・霊長 類 が樹 上 で何 か を ・
「木 登 りを して い る」 ・ ま ず 、 霊 長 類 が
霊 長 類
イアス して いる 写 真を 見 せ、果
・「 食 事を して い る」
樹上で何かをして
の写 真
の理由 実 を 取 っ て い る 場 面 で
・「 果 実 を と っ て 食 べ
いる写真を見せ、
の考察 ある こと を 答え さ せる
てい る」
と教示
その後、何かを食
べようとしている
ところであること
を説明する。そし
て、それが何であ
るかを答えさせ
る。「果 実」とい う
答えはすぐに出て
くる
・人間 の 祖先 に とっ て 果
・説 明を 聞 く
・人類にとっては
実がビタミンを摂る上
果実は、その祖先
で重 要な 食 料で あ り、そ
も含め体内で合成
れを 確実 に 摂る た めに 、
できないビタミン
人間は甘味に敏感にな
を多く含み、また
ったということを説明
エネルギーも豊富
する
な重要な食料であ
ったことを説明す
る。そして、その
貴重な食料を確実
に摂ることができ
るように、人間は
甘いものを好むよ
うになったことを
理解 させ る
・味 覚上 、他 に 人間 が 好
・「 ス テー キ」
・味覚の上での人
ご ち そ
きなものが他にないか
・「 せ んべ い」
間の好みをさらに
うや 、お
を考えさせ、ごちそう
・「 刺 身」
挙げ させ る
菓 子 の
や、お 菓 子の 写 真を 見 せ
・「 ポ テト チッ プ 」
・ごちそうや菓子
写真
る
類の写真を見せ、
106
それらは誰もが大
好きなものになっ
ていることを確認
する。そして、脂
肪分は人間が大き
な脳を維持してい
くために高カロリ
ーな食料として肉
食をはじめたこと
を説明する。詳し
く説明すると長く
なるので簡潔にす
る
敷衍的 ・人間 の 好み が 自分 で 考
・酒
・人間の好みが今
思考
えている以上に大きく
・た ばこ
の時代では必ずし
なっているものは他に
・ゲ ーム
も人間にとって逆
ない かを 考 えさ せ る
・ま んが
に好ましくないも
のになってしまっ
た、ということを
理解させてから、
味覚からも離れた
ほかにないか考え
させ る 。「 いじ め 」
が挙げられる場合
もあ る
終
・以 上の こと か ら、人 間 ・ワー クシ ー トに 記入
・人間の好みの問
末
の行動として気をつけ
題点が味覚だけで
させ るか 、発 表さ せる
ていかなければならな
ないことに気付か
いこ とは 、ど の よう な こ
せることが最重要
とな のか を 考え さ せる
である。味覚だけ
が強調されると、
ここでの結論は単
に「食べ過ぎに注
意しよう」で終わ
って しま う
(7)授業 の 評 価
107
この授業の学習でもっとも重要なのは、人間の好みが自分で考えている以上に大き
くなって問題となっていることを考える姿勢を持たせることであるので、食品や栄養
に関する具体的な内容は、必ずしも必須の知識というわけではない。知識としては人
間は 生得 に 甘味 と 脂肪 分を 好む 13 と いう こ とが 重要 なも の であ り、そ のこ とを 確 実に 習
得すれば十分と言えるだろう。また終末においてどの程度敷衍して思考することがで
きた かが 重 要な 評 価対 象と なる 。
第3節
意義と課題
反道徳的な知覚的認知バイアスを学ぶということは人間に共通する生得的な悪しき
面をその進化的な根拠とともに学ぶことである。冒頭で述べたように こうした問題と
なる面を学ぶという視点はこれまでの道徳教育には見られなかったことである。この
授業 方法 の 意義 と 課題 を次 に示 す 。
まず意義は次の3点が挙げられる。一点目は認知バイアスそのものへの気付きであ
る。生得的なバイアスであるということは、対象への認知の仕方が道徳的に問題があ
ったとしても、当人にとってそれをそのまま受け入れてしまいやすくなるということ
である。特にそれが情動状態にある場合は、それを客観視することができず情動に後
押しされた行動に走ってしまうことになる。人間に共通するこうした認知的なバイア
スを具体的に学習することによって、それまでの経験の中でそのバイアスに 気付くこ
とが でき る ので あ る。
二点目は認知バイアスに対してそれを統制する方略を個人単位で具体的に考えさせ、
習得させることによって、反道徳的な行動をより現実的に統制していくことができる
ということである。反道徳的な行動が悪いことであるというのは、誰もが分かってい
ることであるにもかかわらず、人間は往々にしてそれを統制できず、衝動のままに行
動してしまう。具体的な統制の手段を個々に具体的に考え挙げさせることによって、
統制 への 実 効性 が 高ま るこ とに な るの で ある 。
三点目は反道徳的な認知バイアスに対する方略を考えさせ、習得することにより、
自らの行動を統制することができるようになるのみならず、規範逸脱者への罰
であ る利 他 的罰 に つい ての 積極 的 な実 践 が期 待さ れる と いう こ とで ある 。
現在の社会においては例えば明らかなマナー違反があっても見知らぬ他者からはそ
のことについては注意しづらい雰囲気がある。実際注意をしたことによって却って暴
力行為などの被害を受けることも珍しくない。この授業により利他的罰を行うのが当
然と いう 雰 囲気 が 社会 的に 醸成 さ れて い くこ とが 期待 で きる だ ろう 。
次に課題としては、授業を進める上での資料の取り扱い方についての以下の2点が
挙げ られ る 。
一点目は人間の悪しき面についてのバイアスを理解させるための資料を、どの程度
のものにすればよいかということである。悪い面を強調するのであれば 、人間がいか
108
に残虐で反道徳的なことを行い得るのかという内容を示せばよいわけだが、そのこと
だけが強調されても児童生徒にショックを与えるだけになってしまう だろう。また社
会的、また民族、人種的差別を取り上げた場合、いわゆる「寝た子を起こす」ことに
なり、却って逆効果になってしまうことになるかもしれない。知識を裏付ける資料と
して どこ ま で踏 み 込む べき かは 難 しい 判 断で ある 。
二点目は本稿の授業方法では写真資料を多く用いているが、それは視聴覚設備の整
った教室でないと実施は難しいという点である。そうした設備が整っていない教室環
境では、多くの写真資料を準備するのはそう簡単なことではない。科学的な知識を提
示していく手段としての資料を、いかに準備するかということは授業実践においての
現実 的な 課 題で あ る。
<註>
1 特質 化し や すい と いっ ても 全て が クジ ャ クの よう な華 や かな も のに なる わけ で はな
く、 同じ 鳥 類で も ツバ メの よう に 尾 羽 が 長い 程度 の場 合 もあ る 。
2
かつ てス カン ジ ナビ ア地 方に 生 息す る 野ネ ズミ の一 種 であ る レミ ング は、 個 体数 が
増え すぎ る と集 団 自殺 する と言 わ れて い たが 、そ の後 の 観察 に より これ は全 く の誤
解で ある こ とが 確 認さ れて いる 。
3 蔵琢 也(1993)は現代 の マン ガや ア ニメ に 描か れる 若い 女 性の 顔 は日 本人 男性 に とっ て
の超 正常 刺 激で あ ると 指摘 して い る。つま り 男性 の女 性 に対 す る美 醜の 感覚 が 極端 な
形と して あ らわ れ てい るの であ る。具 体的 な 主な 特質 と して は ①目 が異 常に 大 きい ②
鼻が 極端 に 小さ い ③口 が小 さい 、 であ る 。
4
人類と近縁の類人猿社会では、チンパンジーはオス同士はメスをめぐって暴力と威嚇に
よって序列をつくり、メスを同様に服従させた上でアルファオスが群れを統率している。
一 方 、 チ ン パ ン ジ ー と は 100 万 年 ほ ど 前 に 分 岐 し た ボ ノ ボ で は 、 メ ス は 「 ホ カ ホ カ 」 と
呼 ば れ る 擬 似 性 行 為 を 多 く の オ ス 、時 に は メ ス と 頻 繁 に 行 う こ と で 、メ ス を め ぐ る 争 い を
防ぎ、メスが主導の群れづくりをしている。
5
実際 の性 犯罪 で も、 明ら かに ネ ット 上 のポ ルノ ビデ オ 等に 影 響さ れた 例も 少 なく な
く、また 日 本も 大き く 関与 し世 界 的な 問 題に なっ てい る 児童 ポ ルノ につ いて も 、そ の
温床 とな っ てい る の は ネッ ト世 界 であ る 。
6
実際に万引きしているのは本人が好む種類の食品である。
7
たと えば 食料 資 源が 乏し かっ た 頃に は 長く 続く 食料 不 足の 時 期に 備え て食 物 のエ ネ
ルギ ーを 極 度に 高 い効 率で 抽出 し 貯蔵 で きる 「倹約 遺伝 子」の 持 ち主 がよ り生 き 延び
るこ とが で きた は ずだ 。だ が、今日 の 食料 豊 富な 時代 で はそ れ は肥 満と 糖尿 病 をも た
らす だけ に なっ て しま って いる (ネシ ー& ウ ィリ アム ズ 1994)。
8
本研 究で は中 学 校の 道徳 授業 を 念頭 に 置い てい る が 、 内容 と して は小 学校 高 学年 、
また 千葉 、茨 城 等一 部 の県 で実 施 され て いる 高校 での 道 徳授 業 にお いて も十 分 展開 で
109
き得 るも の であ る 。
9
一方 で現 状の 社 会情 勢を 見れ ば 、成 人 教育 とし てこ う した 内 容は 取り 上げ て いく べ
きで はな い かと 思 われ る。
10
こう した 観点 か らは 人権 教育 の 面か ら のア プロ ーチ の 方が 適 切で ある 。
11
こ の 人 数 は ウ ェ イ ド (2007)に 拠 っ て い る 。こ の 数 に は 諸 説 あ る が 、150 人 と い う 数 字 は
2章で挙げたダンバーの説とも合致している。
Fredrickson(2001)。
12
13
実際 には さら に これ に塩 分が 加 わる 。 ただ し塩 分に つ いて は 各生 物共 通し て 必要 な
栄養 素で あ り、 塩 分に 対す る嗜 好 は超 正 常刺 激に よる 結 果と は 言え ない 。
<文献>
ア ロ ン ソ ン ,E. 古 畑 和 孝 監 訳 (1994). 『 ザ ・ ソ ー シ ャ ル ・ ア ニ マ ル 』 サ イ エ ン ス 社
pp.136-137.
バス,D. 狩野 秀 之訳 ( 2007). 『女 と男 のだ まし あい 』 草 思 社
p.121.
Fredrickson, B. L.(2001). The role of positive emotions in positive psychology:The
broaden-and-build
theory
of
positive
emotions.
American
Psychologist,
56,218-226.
蔵琢 也(1993).『美 し さを めぐ る 進化 論 』 勁草 書房 p.53.
松下 良平 (2002). 『 知る こと の 力- 心 情主 義の 道徳 教 育を 超 えて 』 p.74. 勁草書 房
ネシ ー,R.M.&ウ ィリ アム ズ ,G.C. 長 谷川 眞 理子・長谷 川寿 一・青木 千里 訳 (2001) 『
. 病気
はな ぜ、 あ るの か 』 新曜 社
西 谷 寿 (2008) . 子 供 の 問 題 行 動 に つ い て の 一 考 察
つい て-
-子供の心身を考慮した対策に
哲学 と 教育 56, 1-10.
岡田 尊司(2005).『脳 内汚 染』 文 藝春 秋
芹沢 一也(2006).『ホ ラー ハウ ス 社会 』
講 談社
高木 洲一 郎 (2012). 摂 食障 害患 者 の万 引 きを めぐ って
精神 神経 学 会学 術 総会 特別 号
ウェ イド,N. 吉 田喜 憲
精神 神 経学 雑誌 第 107 回 日 本
210-216.
沼尻 由 紀子 訳 ( 2007).『5 万 年前 』 イー スト ・ プレ ス
110
第8章
自己利得的認知バイアスを統制する授業の内容開発
第1節
授業を構成する論理
1自己利得的認知バイアスを統制する知識を習得する目的
(1) 自己 利 得 的 認 知 バ イ ア ス の 定 義
本研究における自己利得的認知バイアスの定義は次の通りである。例えば金銭や食
料等の資源といった所持すれば確実に自らの利得を増加させることができるものが目
の前にあらわれたとき、周囲の状況にかかわらず、他者を出し抜いてでも性急に自分
自身がその利得を得ようする認知バイアスである。認知面だけでなくそれに応じた行
動をとることは日常的によく見られ、その欲求が強いあまり、抑えることができずに
犯罪行為に及ぶことも珍しくない。犯罪として具体的に児童生徒も含め比較的身近に
起こり得るものは「万引き」であろう。コンビニエンス・ストアやスーパーマーケッ
トでは数多くの商品が陳列棚に並べられ消費者が自ら買い物かごに入れて購入するシ
ステムになっているが、これは人間のこうした認知バイアスを利用して購買意欲を高
めようという企業側の戦略といえる。結果的にこの戦略が犯罪を誘引しやすくなって
いる のも 事 実な の であ る
この自己利得的認知バイアスが人間に見られる理由については、次の二点から説明
でき るだ ろ う。
第一には、特に目の前にある食料資源をすぐ自分のものとして摂取しなければこれ
までの進化の過程での厳しい生存競争を勝ち抜くことはできなかったからである。厳
しい自然環境の中で生命を維持していくのは本来至難の業であり、中でも身体を維持
していくために欠かせない食料資源の確保は何よりも重要なことであった。これはど
の生物にとっても共通のことであり、人間もそれに成功してきたからこそ生き永らえ
るこ とが で きた の であ る。 実際 、 人類 の これ まで の 700 万 年の 歩 みは その す べて と い
っ て よ い 期 間 が 飢 餓 と の 戦 い で あ っ た ( 三 井 ,2005)。 十 分 な 食 料 に 恵 ま れ て い る とい
うのはせいぜいこの数十年程度であり、全体としては無視してよい期間である。飢餓
との戦いがいかに熾烈であったかというのは、我々人体の生理的構造を見れば瞭然で
ある。人間にはいわゆる倹約遺伝子が働き、必要最低限のエネルギー以外は脂肪とし
て体内に蓄え空腹に対処する機能が備わった。そのため人間は必要量以上の食料を採
ることもできるのである。これは全て日常的に襲ってくる飢餓状態への対処法であっ
た 。し か し一 転し て 現 代 で は食 料 があ り 余る ほど にな り 、この シ ス テム が逆 に 作用 し、
脂肪 の蓄 え が過 剰 とな って 生活 習 慣病 に 苦し むこ とに な って い るの であ る 1 。
このバイアスはもともとは食料資源において見られたものであろう。しかし、それ
が身についてくると食料にとどまらず、生きていく上で必要となる他の資源に対して
も同じ感覚でとらえるようになった。そしてついには必要というほどでなくても、目
111
の前に気に入ったものがあれば、とにかく手に入れたいという欲求に支配されるよう
にな った の であ る 。
第二には、万事目の前のある状況は自分を中心に設定されており、自分にとって都
合が良いものであると解釈しなければ自分という存在の主体性が十分に保てなかった
から であ る 。認知 心 理 学で いう「 自 己奉 仕 バ イア ス 」は 、「 自 分の 成功 を固 有 属性 に帰
属し 、自 分の 失 敗を 状 況に 帰属 す る傾 向 (ア ロン ソン ,1994)」、つ まり 何か 成 功す る とそ
の原因を自分自身の能力のおかげだと思い、失敗するとその原因は自分以外の他の面
のせいにしてしまうという人間の性質であるが、この性質だけを客観的に見てみた場
合、誰が見ても問題があると見なすだろう。それにもかかわらずこうした性質が人間
に備わっているのは、そのようにして自分という存在をいわば過大なものとしておか
ないと、あらゆることに自信が持てず思い切った行動をとることができなくなり、や
がて は命 を 保っ て いく のも 難し く なっ て いく から であ る と考 え られ る 2 。し たが って 自
分にとって利得になりそうなことについては、自分に都合のよい解釈を行い利得を自
分のものにしてしまいがちになるのである。青少年にも見られる金品の盗みや強奪の
理由としては「遊ぶ金が欲しかったから」というものがよく挙げられるが、この身勝
手さ も元 来 はそ の 性質 に由 来し て いる と 言え るだ ろう 。
このように自分の利得になり得る資源や状況を眼前にすればまずは反射的に自らが
確保 しよ う とす る のが 人間 なの で ある 。 そし て第 2 章 で述 べた よ うに 、自 分 にと っ て
のその具体的な思考としての理由、また感情もその後付けなのである。したがってこ
うした認知バイアスがまずは誰にも生得的に身についているものであるということを
十分 に理 解 しな け れば 対処 もで き ない の であ る。
(2) 自己 利 得 的 認 知 バ イ ア ス 統 制 の 目 的
道徳教育において自己利得的認知バイアスを統制する目的は、前項で示したように
人間に生得的に身についているこのバイアスが統制されずに嵩じてしまうと、自分の
利得のために安易に規範を破ったり他人を出し抜いたりまた傷つけてしまうようにな
るからである。実際、学校現場でよく見られる問題行動というのは、いじめにしろ盗
みに しろ 、当 事 者が そ のこ とに よ り満 足 する ため に引 き 起こ し てい るの が普 通 であ る 。
当事者として、それが悪いことであるというのは、幼児の段階を過ぎれば分かるもの
であろう。それでも自分の満足のために問題行動を起こすのは、それを統制 する知識
がないからである。問題行動の後に後悔や自責の念は出てくるかもしれない。だがそ
れは後付けであり、結局は自分の行動を正当化させるものになってしまうのである。
たとえば、いじめの場合であれば「かわいそうだったかもしれないが、あの場では他
の 者 の 手 前 仕 方 な か っ た ん だ 」、 ま た 盗 み で あ れ ば 「 盗 ん だ の は 悪 い か も し れ な い が 、
あんなところに欲しいかったものがあるのがいけないのだ」といった具合である。し
たがって、従来の道徳授業における価値項目あるような「だれに対しても思いやりの
112
心 を もち 、相 手 .の立 場に 立っ て 親切 に する(第 5学 年お よ び第 6 学年 の指 導 内容 2 -
(2)」と いう 徳 もそ の 自己 利得 的 認知 バ イア スの 前に は かす ん でし まう こと に なる 。
このバイアスを統制していくには次のような知識を習得させていくことが必要であ
る。第一に、自己利得的認知バイアスの負の面についての知識である。 負の面につい
ての知識というのは、自分の利得だけを追求すると周りに迷惑をかけ自分のためにも
ならない、ということである。このような説話というは古今東西どこの国、地域にも
あるものであり、子どもによく話して聞かせるものである。だが、現在では昔ながら
の説話というのは影をひそめる傾向にあり、テレビの幼児番組では子ども向けのキャ
ラク ター が 活躍 す るも のが 主流 と なっ て いる 。
第二に、自己利得的認知バイアスの起源と現代におけるその性質の不要性について
の知識である。この知識は、文字通りそのバイアスは資源が乏しかった頃の人間の性
質であり、資源が豊かになった現代ではその性質は逆に生活習慣病や犯罪といった問
題を 誘発 す るも の だ、 とい うも の であ る 。
こうした知識がメタ認知的知識となり、自己利得的な行動がエスカレートするのを
統制 する の であ る 。
2
学指導要領内容項目との関連
自己利得的認知バイアスを統制するという主旨から学指導要領内容項目との関連を
見てみると、もっともよくあてはまる項目は「1.主として自分自身に関すること」
で あ り 、 さら に 小 項 目 で は 小 学 校低 学 年 で は 「(3)よ い こ と と 悪 い こ と の 区 別を し 、 よ
い と 思 う こと を 進 ん で 行 う 」、 中 学 年 では 「 (4) 過ち は 素 直 に 改 め 、 正 直 に 明る い 心 で
元 気 よ く 生活 す る 」、 高 学 年 で は「 (6) 自分 の 特 徴 を 知っ て , 悪 い 所 を 改 め よい 所 を 積
極 的 に 伸 ばす 」、 さ ら に 中 学 校 では 「 (3) 自 律 の 精 神 を重 ん じ , 自 主 的 に 考 え, 誠 実 に
実行してその結果に責任をもつ」であろう。自分の利得を優先してしまうことによっ
て「 悪 いこ と 」を して しま った り 、「過 ち 」を犯 して し まう も ので あり 、それ を統 制 す
ることが「自律」である。ただし、これらの小項目を見てみると、学年があがるにつ
れ て 「 自 分 の 特 徴 を 知 っ て 」 や 「 誠 実 に 実 行 」、「 結 果 に 責 任 を 持 つ 」 と い う よ う に 他
の要素も盛り込まれるようになる。つまり成長とともに自己の利得を追求した結果の
「悪さ」や「過ち」は克服されるという前提に立っているのだろう。だが、実際には
学年が上がるにつれ「悪さ」や「過ち」はより深刻なものになっているのが実際なの
であ る 。し たが っ て、結果 とし て は「 自 律」を求 める こ とに な るも のの 、いう なら「 悪
さ」 や「 過 ち」 を 俎上 に乗 せ続 け るの で ある 。
第2節
自己利得的認知バイアスを統制する授業
113
1
授業内容を構成する原理
(1) 授業 の 目 的
自己利得的認知バイアスを統制する授業の目的は、前節で指摘したように眼前の資
源等を性急に自分のものしてしまう生得的な人間の性質が、現代においては様々な犯
罪や問題行動を発生させているのが実態だからである。かつては少欲知足が日本人の
美徳の一つされた時代もあったが、高度成長期以降消費が美徳とされ現在もデフレ脱
却のために家計における消費支出の増加が国をあげて促されている。この消費活動に
は大人も子どもも区別はない。かつては子ども娯楽にかける費用などというのはたと
えば紙芝居、またせいぜい怪獣映画程度と、たかが知れていたのに対し、現代では子
どもが熱中するゲームは巨大市場を形成し、ゲームとも関連する情報、ネット関連業
が日本の産業を牽引するまでになっている。この結果、社会の中では子どもは一人前
の消費を期待されるようになっている。つまり欲望が奨励されるのである。そうなる
と抑 えが き かな く なり 、たと え ば親 の知 ら な い間 にゲ ー ム代 に 月 10 万 円を 超え る 額を
つぎ込んでいたり、ゲームセンターで遊ぶ金欲しさに恐喝や強盗をはたらいたり、と
いった事例も多く見られるようになる。このような社会状況を踏まえ、自分の欲求を
満たすことが最優先ではないということを理解させ、結果的にこうした傾向に歯止め
をか ける の が授 業 の目 的で ある 。
(2) 反道 徳 的 な 自 己 利 得 的 認 知 バ イ ア ス
自己利得的認知バイアスは上述したように、ともすると犯罪や問題行動にも結びつ
きやすいものである。次にこのバイアスの反道徳的な内容を挙げてみたい。具体的に
は、「 敵視 と攻 撃 性 」「 目先 の利 得 の追 求 」「 自己 優位 性 」「 匿 名性 」の 4つ で ある 。
1)敵視 と 攻 撃 性
反道徳的な自己利得的認知バイアスとして児童生徒にとっても問題を誘発しやすい
のが「敵視と攻撃性」であろう。自分の利得を得るためには他者は邪魔者である。そ
のた めそ う した 欲 求が 強い 状態 で は他 者 を排 斥し よう と いう 衝 動が 起こ るの で ある 。
こう した 攻 撃性 に は 根 本に は 生 物 的要 因 があ る 3 が、人 類と して み る なら ば、 限ら れ
た資源を巡るバンド同士の争いが継続的に行われていたことが影響していると考えら
れる 4 。こ の争 い によ っ て、 内集 団と 外 集団 の 構造 が明 確 にな っ たの であ ろう 。現 在 の
我々の感覚でもグループが敵対する構造は「われわれ」と「あいつら」である。その
違い は何 で もよ い 。特 にな くと も 無理 や りつ くり あげ て しま う (Sherif et al,1961)。 こ
の意識が嵩じてしまうと「あいつら」に対しては同じ人間とみなさなくなり、通常で
114
は考えられないような残虐な行為に及んでしまう。このことは、数々の歴史的な事例
が示 して い る通 り であ る。
2)目先 の 利 得 の 追 求
「目先の利得の追求」は、このバイアスの性質そのものであるが、この性質により
具体的な反道徳的な行動として表出してしまうのは、前項で取り上げたように「万引
き」「 盗 み 」で あ ろう 。一般 に店 頭 での 万 引 きは 、大 規模 な店 舗 で のケ ース が 圧倒 的に
多い 。こ れ につ い ても 人類 とし て の進 化 と適 応が 関連 し てい る と考 えら れる 。
長い進化の過程で人類が生活していたのは、互いの顔が見える小規模な集団であっ
た。ところが、文明が発生したこの1万年ほどの間に集団規模は瞬く間に巨大化し、
高度な道具や機械が発明され、そしてそれを利用した複雑な社会システムがつくられ
るようになった。これらのことは人類の進化の期間からすればほんの一瞬のこと であ
るために、ゲノムの上からの進化によって人間の感覚や感情をもって対応するに至ら
ないまま現在になってしまった。そのため、人類としてはなじみの薄い非対面的で大
規模な組織や団体、システムに対して反道徳的な行動をとっても罪悪感は感じないの
である。実際社会を見てみても、賄賂や背任、使い込みというように、たとえ自分が
所属していようが組織や団体を食い物にする事件というのは実に多く発生している。
また、顔見知りに何か負担をかけるような仕事は頼みづらいが、同じ負担であっても
行政 に対 し てで あ れば 、気 楽に 要 望す る こと もよ くあ る こと で あろ う 。
このことから考えれば、自分の利得のために悪いと分かって人間は平気で周囲に迷
惑をかける存在というよりも、悪さを感じきれない面を持つ未完成な生き物だ、とと
らえた方がよいだろう。したがって、その未完成な部分を人間の知恵で何とかしてい
くこ とを 考 えて い くこ とが 重要 で あろ う 。
3)自己 優 位 性
人類は他の動物に比べて身体特性や能力において環境に適応していくには不利な点
が多い。その中で子孫を残し続けることができたのは集団化戦略であった。 上述した
よう にホ モ・サピ エ ン スと なっ て から は 男は 狩猟 、女 は採 集と い う パタ ーン だ った が、
それ以前のホモ・エレクトス等の段階では大型動物を獲物とするほどの技術はなく、
肉食獣が食べ残した屍肉をあさっていたのではないかと思われる。これ らはいずれも
単独で行うのは難しい。狩りや屍肉あさりの遂行だけでなく、同時に捕食者から身も
守らなければならないこともあるからである。集団で行動するということは必然的に
指示系統が必要になる。その結果、集団の中で能力に応じた優位者が出てくることに
なる。優位者になれば配偶者の選択や食料資源の確保も断然有利になる。そのため男
115
の集団の中での優位な立場への志向は高まるのである。この場合の優位者というのは
ゾウアザラシのように一頭の勝利者とそれ以外の敗残者という形ではなく、序列を形
成する中での相対的な上位という意味である。したがって、トップとはいかなくとも
少しでも上位の位置を占めようと常にしのぎをけずることになる。仮に優位者になっ
たからといって下位者を全て抹殺したり虐げるわけではない。集団が維持できなくな
るからである。人間と近縁のチンパンジーにおいても手に入れた食料をアルファオス
が独り占めするということはなく集団内にもれなく分配する。それがリーダーの役目
でも ある 。
上位か下位か序列を決定するのはまずは体力だろう。チンパンジーやまたニホンザ
ルなどの霊長類においてアルファオスの交代の多くは加齢によるものである。年をと
れば 弱者 に なっ て しま うの であ る。だ が人 類 の場 合は 彼 らと は 生活 環境 が違 っ てい た 。
いつ猛獣に捕食されるかわからないサバンナでの生活だったため、体力だけでなく知
恵も求められることになったと思われる。そのため経験の豊富な年長者は体力的に衰
えてもリーダーか相談役として上位者にとどまったのではないか。もちろんそうであ
るためにはコミュニケーションツールが必要になる。現在使われている明瞭な言語が
使わ れる よ うに な った のは 、遺 伝子 の 解析 か らホ モ・サピ エ ンス と なっ た 20 万 年前 以
降 で あ る こ と が 分 か っ て い る が (Fisher et al,2002)、 の ち に 言 語 に 転 用 さ れ る 外 適 応
(前適応)としてであったにせよ、何かしらのツールは持っていたのではないだろう
か。また他の動物に比べると人間の女性は閉経後の生存年数が極端に長い。これは子
育てや採集における知恵を出す存在として適応したのではないかといわれているが、
男性 につ い ても 同 じこ とが いえ る ので は ない だろ うか 。
序列で上位になれなければ下位に甘んじるわけだが、下位あるいは最下位は特定さ
れたのかもしれない。世界各地にはスケープゴートや人柱の伝統が共通してあるが、
それらは生贄を捧げないと年があらたまらないといった単なる無知から由来するもの
もあるだろう。だが、たとえば治水等災害に対する備えとして人柱を立てるといった
一見 する と その 因 果関 係が 理解 で きな い よう なケ ース も ある 。捕 食 者に 襲わ れ た場 合 、
下位者を犠牲にして集団として難を逃れるようなことがあったのかもしれない。現在
大きく社会問題化しているような学校でのいじめは、単なる集団内の序列争いとはい
えない面があるという気がする。下位者を特定し様々な不利益を負わせるという生得
的特 性が 表 出し て いる のか もし れ ない 。
4)匿名 性
人類は長い進化の過程のほとんどを常にお互いの顔が見える範囲での小規模な集団
で 生 活 し て き た 。 ダ ン バ ー (1998)に よ れ ば 各 動 物 種 は 大 脳 皮 質 と 身 体 と の 割 合 で 進 化
上適応してきた適正な最大集団規模が計算できるという。それによると人類の集団と
して の適 正 な最 大 規模 は l50 人 とい うこ と にな る。 実 際、 厳 しい 自然 環境 の 中、 限 ら
116
れた資源で生活していくにはその程度が限界であったろうことは想像がつくところで
あろう。こうした集団の中では相互の全てのやりとりは対面的な形で、相手が誰か分
かる 状態 で 行わ れ てい た。 しか し 、こ の 1 万年 ほど の 間に 人 類は 適正 規模 を はる か に
超え る都 市 や国 家 をつ くる よう に なり 5 、今や 相互 のや り とり は 億単 位で も可 能 とな っ
ている。当然ここまで集団数が多くなると対面的なやりとりには限界が生じ、多くは
顔を合わせないで済ませることが当たり前になる。このような状態では自分の行動に
よって相手に損害を与えることになっても、相手の痛みを直接見聞きするわけではな
いの で罪 悪 感や 後 悔と いう 道徳 的 な感 情 が感 じら れな く なる の であ る。
事実、児童生徒におけるネットいじめは深刻の度を増しており、それが引き金とな
り自 ら命 を 絶つ と いう 痛ま しい 例 も見 受 けら れる 6 。これ は自 分 の加 害行 為が 対 面的 に
直接行っているわけではないので、罪悪感をさほど感じないまま遊び感覚で個人を特
定した中傷や誹謗をネット上に書き込んでしまうことによるものである。自分の素性
が明らかな状態である相互的な行為をすれば、自分に瑕疵があった場合 当然それに応
じた責任をとらなければならない。しかし、自分の素性や存在さえも明らかでなけれ
ば責任を負う必要はなくなる。このリスクがなくなると罪悪感が欠如し自己利得をい
たず らに 貪 ろう と いう 行動 に歯 止 めが か から なく なる の でる 。
以 上の 4 つの 自 己利 得的 認知 バ イス を まと めた のが 表 8- 1 であ る。
表8 -1
反道 徳 的な 自己 利得 的 認知 バ イア スの 一覧 ( 筆者 作 成)
バイ アス 名
起源
反道 徳性
敵視 と攻 撃 性
限られた資源を巡るバンド同士
内 集 団 (「 わ れ わ れ 」) と 外 集
の争 い
団 (「 あ い つ ら 」) 構 造 を つ く
り残 虐行 動 に及 ぶ
目先 の利 得 の追 求
進化の過程での厳しい生存競争
非対面的な場での「万引き」
を勝ち抜くことと眼前の資源は
や「 盗み 」
自分 のも の であ る とい う解 釈
2
自己 優位 性
配偶 者の 選 択や 食 料資 源の 確保
下位 者を 特 定し て のい じめ
匿名 性
罪悪感や後悔という道徳的な感
遊び感覚でのネットいじめ、
情を 維持 す る集 団 規模 の逸 脱
誹謗 中傷
授業構成上の留意点
自己利得的認知バイアスにおいては四点にわたってその具体的な反道徳性を挙げた。
これらの反道徳的な行動とともにこのバイアスを明確に理解させるためには第7章で
の知覚的認知バイアス理解における授業構成と同様の留意が必要になるが、 このバイ
117
アス につ い ては 、 それ 以外 にも 以 下の 留 意点 が挙 げら れ る。
第一に自己利得的認知バイアスにおいては、他者の利得を損失させる形で自己の利
得を増大させることになるので、より具体的な事例が必要になるという点である。た
とえば「敵視と攻撃性」という認知バイアスにより、具体的に社内暴力が社会問題に
なっている、といった例示の仕方である。このように示した方が児童生徒にとっても
意識 とし て 問題 性 が高 まる であ ろ う。
第二に、前項で述べたように他者の利得を損失させることで自己利得を増大すると
いうバイアスの構造は、どれも共通なので、各認知バイアスをまとめて取り扱うこと
も可 能で あ る、と いう こと であ る 。こ こ での 構成 は「目 先の 利 得の 追求 」と「 匿 名性 」
をま とめ る 形に し たが 、違 う組 み 合わ せ をす るこ とも で きる 。
こ れら の 点に 留 意し 、次 に実 際 の授 業 構成 を示 す。
3
授業の内容
(1) 認知 バ イ ア ス 「 敵 視 と 攻 撃 性 」 を 扱 っ た 道 徳 授 業 7
1)題材 名 「 出 会 う 人 は み ん な 敵 !?」
2)授業 の ね ら い
・些 細な 理由 で すぐ に 暴力 沙汰 に なる 事 件や 問題 行動 が 多発 し てい る 現 実を 理 解す る 。
・自分の利得や都合を優先し、平気で他人を傷つけてしまう性質が人間にはあること
を理 解す る とと も に 、その よう な 性質 が ある こと を前 提 に 無 用 な争 いは 避け 、相 手に
慈し みの 心 を持 っ て友 好的 に接 し てい く には どう して い けば よ いの かを 考え る 。
3)習得 す る 知 識
・人 間に は 、よ く 知ら ない 相手 に 対し て 敵意 を持 って し まう 傾 向が ある 。
・あいさつの決まり文句というのは、いつでもだれとでも打ち解けることができるよ
うに する た めに そ うし たつ くり に なっ て いる 。
・良好な人間関係をつくるには、相手の長所をよく理解しそれをほめることが大切で
ある 。
4) 認知 バ イ ア ス の 提 示 構 成
・冒 頭に 認知 バ イア スを 示す 構 成( A 型 )
5) ねら い と す る 内 容 項 目
2-(1)「礼儀 」
6)展開
段階
学習 内容 と 発問
予想される生徒の反
指導 上の 留 意点
教材
応
導
・車内 で の暴 力 に対 す る ・もし 、あ る 場合 はそ
・問題のない程度
ポ ス タ
入
ポス ター を 見せ 、車 内 や
の話 にさ せ る
ー
の体 験を 話 す
118
駅、街 頭 で暴 力 や怖 い 体
験をしたり聞いたりし
たこ とが あ るか を 聞く
展 認知バ ・車内 暴 力の 実 際の 例 を
・教師の範読でも
事 例 資
開 イアス 読ま せる
よい
料
の不当
性を示 ・「 さ さ い な こ と で 、 な
・「 ス ト レ ス が た ま っ
・あまり深く考え
す事例 ぜ ひ ど い 暴 力 を ふ る っ
てい るか ら 」
させないで、思い
の提示
・「 思 い や り が な い か
つくままに答えさ
ら」
せる
事例に ・知ら な い人 と 知っ て い
○見 知ら ぬ 人の 場 合
・方法としては背
掲 示 物
ついて る 人 が 近 づ い て く る と
・「 不 安」
景写真を拡大し
ま た は
の状況 きの 印象 の 違い を、廊 下
・「 怖 い感 じ 」
て、黒板に貼りそ
ス ラ イ
の理解
の向こうからやってく
・「 何 か さ れ そ う な 感
こに何枚かの大き
ド
ると いう 設 定で 見 せ、そ
じ」
さにした人物写真
の印 象の 違 いを 聞 く
○知っている人の場
をこちらに近づい
合
てくるように重ね
・「 安 心で きる 」
ていくか、同様の
・「 笑 って しま う 」
状態にしたスライ
・「 あ い さ つ し た く な
ドで 見せ る
てし まう の か 」
る」
不当な ・「 人 間 に は 、 よ く 知 ら
・相手を知らない
事例が な い 相 手 に 対 し て 敵 意
不安や恐れが結局
起こる を 持 っ て し ま う 性 質 が
は敵意となってし
理由の ある」と いう こ とを 説 明
まう、ということ
考察と する
を知識として理解
教示
させ る
大まかなもので十
分で ある
・「 こ れ ま で 歴 史 で 学 ん
・「 領 地の 奪い 合 い」
でき た戦 争 の原 因 は、大
・「 仕 返し 」
体どのようなものだろ
うか 」
・人間 の 残虐 性 を示 す 事
映画「 ホ
119
例 を 取 り 上 げ る 。( 例 :
テ ル ル
ルワ ンダ 内 戦)
ワン ダ 」
の写 真
敷衍的 ・「 人 間 同 士 が 敵 意 を な ・相手 に思 い やり の気
・難しく重要な問
思考
くしていくにはどうす
持ち を持 つ
題であり、このこ
れば よい の だろ う か 」
・不満 があ っ ても がま
とがすぐに解決で
んす る
きるようであるな
らば、そもそもこ
のような授業を行
う必要もない。あ
らゆる角度から迫
っていかなければ
なら ない
答えには、すべて
「その通りだね」
「素晴らしい考え
だね」というよう
に十分に教師で肯
定し てお く
・見知 ら ぬ者 同 士が 打 ち ・初対 面と い う設 定で
・1分なら1分と
解け てい く には 、具 体 的
アドリブで会話をす
して時間を決めて
にどのようなやり取り
る
やら せる
をすればよいかをロー
「こ んに ち は」
・自己紹介までは
プレ イで 実 践す る
「こ んに ち は」
順調にいくが、そ
・ここ で は部 活 動で の 大
「A 市 の B 中学 校の
の後の話の展開の
会等 の場 面 設定 を し 、初
C で す」
成り行きで詰まる
対面の者同士で友好的
「僕 は D 市の E 中学
ことが多い。その
な関係をつくらなけれ
校 F で す」
後をどのように展
ばな らな い、と いう 課 題
少し 沈黙
開していくかに注
を出 して 行 わせ る
「え ーと 、B 中学 校が
目さ せる
んば って ま すね 」
「そ れは ど うも 。E 中
学校 も 、え ー と部 活強
い で す ね 」( 以 下 会 話
が続 く)
120
・「 今 の 会 話 を 見 て 、 友
・「 き ち ん と 自 己 紹 介
・相互の自己開示
好関係をつくるために
をす る」
がまず必要なこと
は、ど の よう な こと を 話
・「 相 手 の 学 校 の こ と
を確 認す る
せば よい の だろ う 」
をほ める 」
・個人をほめても
わざとらしくなる
が、所属する集団
をほめると友好的
になることに気づ
かせ る
終
・「 人 間 が 仲 良 く し て い ・本時 で感 じ たこ と 考
・具体的な内容を
末
くた めに は、具 体的 に ど
えたことを基に記入
書か せる
のようなことを心がけ
する
てい けば よ いの だ ろう 」
7)授業 の 評 価
終末の発問に対してどの程度の内容を書くことができるかが、授業の成果となるだ
ろう。相手を思いやるといったことは誰でも答えられることだが、その上で 状況の設
定や、自己開示の方法、相手への気遣いの内容というような具体性のあるものがイメ
ージ でき る よう に なる ので あれ ば 授業 と して も評 価で き ると い うこ とに なる 。
(2) 認知 バ イ ア ス 「 目 先 の 利 得 の 追 求 」「 匿 名 性 」 を 扱 っ た 道 徳 授 業
1)題材 名 「 悪 い と は 分 か っ て い て も 」
2)授業 の ね ら い
・軽い気持ちでやってしまう万引きが店舗や地域に深刻な状況をもたらしている 実態
を理 解す る 。
・悪 いこ と だと 分 かっ てい ても 、 ゲー ム 感覚 でや って し まう 原 因を 理解 する 。
・様 々な 仕事 の 裏に は 見え ない 部 分で 関 わる 人々 の苦 労 があ る とい う実 態を 理 解す る 。
3)習得 さ せ る 知 識
・人間には一対一といった対面した場面では相手に対して悪いと感じるが、大きな組
織や 団体 に 対し て は、 罪の 意識 を あま り 感じ ない とい う 性質 が ある 。
・人 間に は 自分 の 姿が 分か らな い 状態 だ と、 行動 に抑 え がき か なく なる 性質 が ある 。
4) 認知バ イ ア ス の 提 示 構 成
・冒 頭に 認 知バ イ アス を示 す構 成 ( A 型)
5) ねら い と す る 内 容 項 目
1-(3)「自主・自 律」
121
6)展開
段階
学習 内容 と 発問
予想される生徒の反
指導 上の 留 意点
教材
簡単な印象の違い
写真
応
導
・おば あ さん が 経営 す る
○駄 菓子 屋
入
駄 菓 子 屋 と 大 規 模 な 書 ・こぢ んま り して いる
が出れば十分であ
店の売り場の写真を見
・親 しみ が 持て る
る
せて、店 とし て の印 象 の
○書 店
違い を聞 く
・き れい
・整 理さ れ てい る
展 認知バ ・青少 年 を中 心 にし た 万
・そ の多 さ に驚 く
開 イアス 引 き が 多 発 し て い る 統
の不当 計資 料を 示 す
・事 実を 示 し、あま
統 計 資
り多くコメントし
料
ない よう に する
性を示
す事例
の提示
事例に 「 悪 い と 分 か っ て い て
・「 ス リル を楽 し む 」
ついて も、な ぜ 万引 き をし て し
・「 う さ晴 らし 」
の状況 まう のだ ろ うか 」
・「 友 人 に 引 き ず ら れ
の理解
て」
・率 直に 考え さ せる
写真
不当な ・「 人 間 は 一 対 一 と い っ
・太 古の 昔の 集 落図
事例が た 対 面 し た 場 面 で は 相
を見 せ、集団 の 規模
起こる 手 に 対 し て 悪 い と 感 じ
の違いを理解させ
理由の るが、大 きな 組 織や 団 体
る
考察と に対 して は、罪 の意 識 を
・駄 菓子 屋の 写 真を
教示
あま り感 じ ない 」と い う
もう 一度 見 せ、対面
ことを進化の観点から
的な場では万引き
説明 する
しにくいことを確
・本 の制 作か ら 輸送 、販
認す る
売までに携わった人々
・本 屋と して 成 立す
の姿 を示 す
る裏では実に多く
の人々が携わって
いることを強調す
る
122
図
写真
敷衍的 ・「 相 手 が 見 え な か っ た
・「 ネ ット いじ め 」
・内 容を 確認 し なが
思考
り、自 分 が見 え なか っ た
・「 公 園 や 路 上 で の ご
ら多くの例を出さ
りと いう 状 況で 、罪 の 意
みの ポイ 捨 て 」
せる
識を持たないで自分勝
・「 家 の ご み を コ ン ビ
手なことをしてしまう
にな どで 捨 てる 」
身近な例が他にないだ
・「 電 車 の 中 で の マ ナ
ろう か」
ー」
・「 こ の よ う な 事 を 防 い
○個 人と し て
・具 体的 な事 例 に応
で い く に は 具 体 的 に ど ・自分 中心 の 考え をな
じた対策を多く出
のようにしていけばよ
くす
させ る
いの だろ う か
・相手 のこ と を考 える
・現 実社 会 では 、売
・個 人と し て
○社 会全 体 とし て
り上げを伸ばすこ
・社 会全 体 とし て 」
・警 備を 強 化
とだけに重点を置
・店を 大き く しな いで
いて いる た め、結果
目が 行き 届 くよ う に
として人間の悪い
写真
部分を助長してい
る面があるという
点に 触れ る
東日本大震災の様子を
・「 助 け合 う」
・震 災時 には 店 から
示し、こ のよ う な時 に 人
・「 困 っ て い る 人 を 助
の略奪が起こらな
間はどうすべきか考え
ける 」
かっ たこ と を示 し、
させ る
そのことが世界か
ら称賛されたこと
を紹 介す る
終
本時 の感 想 を書 か せる
感じ たこ と を書 く
末
人間には良い面も
あることを確認し
た上 で、悪い 点 をど
う克服していくか
という観点で書か
せる
7)授業 の 評 価
・匿名的な状態でどのような問題が起こるかというところで、ネットいじめが挙げら
れ、それへの対策が意見として十分に出るようであれば授業としては評価できるであ
ろう。児童生徒にとって、今回取り上げたバイアスに関してもっとも身近な問題はネ
ット いじ め であ ろ う。 これ につ い て焦 点 化で きれ ば十 分 な成 果 とい える だろ う 。
123
(3) 認知 バ イ ア ス 「 自 己 優 位 性 」 を 扱 っ た 道 徳 授 業
1)題材 名 「 さ ば く に 住 ん で い る 人 は お ふ ろ に 入 れ な い ! 」
2)授業 の ね ら い
・日 本と は 大き く 異な る環 境の 様 子を 理 解さ せる 。
・ある対象や事象に対して表面的な印象だけで自己中心的に解釈してしまう実態を理
解さ せる 。
・世 界に は エス ノ セン トリ ズム に 陥っ た 事象 が多 く存 在 する 事 実を 理解 させ る 。
3)習得 す る 知 識
・湿 度が 0 に近 い さば くで は、 強 い気 化 熱現 象が 見ら れ る 。
・超 乾燥 状 態で 高 温に もな るさ ば くで は 、湿 度の 高い 日 本よ り むし ろ清 潔で あ る。
・人間には自分や自分の周囲の生活を中心に考え、他地域の人々や文化を見下す傾向
があ る。
4)冒頭 に 自 己 利 得 的 な 認 知 バ イ ア ス を 促 す 構 成 (C 型)
5) ねら い と す る 内 容 項 目
4-(10)国際 理解 ,人類 愛
6)展開
段階
学習 内容 と 発問
予想される生徒の反
指導 上の 留 意点
教材
応
導
・さば く で汗 を 流し て い
・動画については飲
ビデオ
入
る 飲 み 物 の CM を 見 せ
み物の話題に言及す
動画
る
る程度で深くは触れ
ない
展 自己利 ・西ア ジ アの 砂 漠に 住 む
・写 真と 雨温 図 を見
開 得バイ 人 々 の 生 活 の 様 子 を 確
せ、 降水 量の 少 なさ
アスを 認す る
と、 さば くで の 生活
促す事
を確 認す る
例や状
況設定
の提示
自己利 ・さば く では 降 水量 が 極
・「 汚 い、 不潔 」
・な るべ く具 体 的に
得バイ 端 に 少 な い の で と て も
・「 不 衛生 」
発表 させ る
アスの 入 浴 は で き な い こ と を
・「 行 きた くな い 」
表出、 示し、そ のこ と に対 す る ・
「一 緒 にい たく な い 」
表明
感想 を聞 く
自己利 ・実は さ ばく に 住む 人 々
・「 ば い菌 がい な い 」
・5 分程 度に し て、
得バイ は、日 本 人よ り むし ろ 清
・「 砂 風 呂 に 入 っ て い
結果を黒板に書か
124
アスで 潔 で あ る と も 言 え る こ
る」
あるこ とを 示し 、そ の 理由 を 考
・「 砂 が 熱 い の で ば い
との確 えさ せる
菌が 生き て いけ な い 」
せる
認と考
察
・ば い菌
・ 日 本 人 の い う 「汚 さ 」
・ほ こり
の根 拠を 考 えさ せ る
・泥
・汗 、垢
・匂 い
・もう 一 度冒 頭 の動 画 を
・「 汗 をか いて い る 」
動画
見せ、実 際と は 異な る 点
を考 えさ せ る
さ ば く で の 驚 異 的 な 気 ・日本 では 想 像で きな
・資 料に ある 内 容を
読み物
化熱 現象 と、超 低湿 度 で
いで現象なので実感
実演に近い形で説
資料( 村
は汗をかかないことを
が湧かないのが実際
明す る
上不二
示し た資 料 を配 布 し、読
であ る
夫『ラク
ませ る
ダの瘤
・汗が 蒸 発 す る 感覚 を 知 ・そこ で似 た 感覚 を味
アルコールは養護
にまた
りたい生徒がいればア
わうためにアルコー
教諭に塗布しても
がって』)
ルコールを腕に塗って
ルを 塗布 す る
らう
アルコ
体感 させ る
ール脱
脂綿
敷衍的 一見 した 印 象だ け で、悪
・「 人 種差 別 」
思考
・「 い じめ 」
いイメージを持ってし
まう例が他にないか考
えさ せる
終
・感 想を 書 かせ る
・各 自ま と める
末
・表 面上 のこ と で相
手を 評価 、認 識 して
しま う態 度 が人 間
には ある こ とを 確
認す る
7)授業 の 評 価
さばくでは水が貴重なので入浴できないというのは誰でも容易に想像がつく。そし
て自分の日常の生活を基準にすれば、入浴できなければ不潔である、という 偏見を持
ち、見下す態度になる。その自己優位の態度が強ければ強いほど、事実との落差を知
125
った時の驚きは大きくなる。それが大きければまずは評価できるだろう。また敷衍的
思考の部分では、他者を偏見の目で見てしまい、自己を優位に感じている点が他にな
いか を十 分 に挙 げ るこ とが でき れ ばよ い であ ろう 。
第3節
意義と課題
自己利得的認知バイアスは、人間の普段の何気ない行動の随所にあらわれるもので
ある。つい見逃しがちになってしまうその問題点を取り上げる授業には十分意義があ
るだろう。このバイアスについて学ぶことの意義と課題は第7章の知覚的な認知バイ
アス と共 通 して い るが 、そ れ以 外 に挙 げ られ る点 を次 に 示す 。
まず意義は次の2点が挙げられる。第一に自分の利得を向上させることが容易に問
題に結びつき、他者に被害を及ぼすことになる、ということが理解できるということ
である。人間も生物である以上自己をより安全で有利な状況下に置きたいと思うのは
当然であり、自己利得的認知バイアスを持っているのがむしろ正常である。自己の利
得より常に他者の利得を優先していたのでは生命を維持していくのは困難になってし
まう。問題はそれが過度になると、他者を傷つけるといった反道徳的な行動に結びつ
きやすくなることである。現代の資本主義社会では消費者の需要を常に煽り続けてい
かないと生産活動が継続せず、結果人々の収入がなくなってしまうシステムである。
そのため、人々は自分の効用を常に高めることを強いられ、他者にかまわず自分の利
得だけを拡大するのが当然という雰囲気が醸成されている。そうした中で、自分では
気づかないうちに、はじめはそれほどでもなかった自己利得拡大の欲望が、いつのま
にか過度に膨らみ、大きな問題へと発展するということは、しばしば見られるもので
ある。こうした負のスパイラルに陥るようにならないためにも、具体的な問題点を学
ぶこ とは 重 要で あ ろう 。
第二に自ら得た利得について短絡に感情に流されず、その利得について見直す姿勢
を持つことができる点である。現代社会では効用を短絡に求める雰囲気が横溢してい
る。そして、その効用、つまり快感をそのまま肯定し尊重するのが世の常識である。
たとえばスポーツの世界でも、勝者は喜びを爆発的にあらわすのが良い、というのが
当たり前である。たとえ相手が目の前でうなだれていようと、悲しんでいようとお構
いなしである。そこに敗者への気遣いはない。単に喜ぶだけでは敗者という他者を見
下し、自分を明確に優位に見せるバイアスのままの行動となってしまう。これでは、
却って相手側から反発を受けるだろうし、さらに勝因や班員を分析し、次に備えると
いったことがおろそかになってしまうだろう。喜びは喜びとして受け止めるとして、
それ を冷 静 に扱 う 姿勢 が重 要な の であ る 8 。
次に課題として挙げられるのは、写真やロールプレイ、さらにアルコール脱脂綿も
使用するというように多様な資料や方法を用いるため、その準備や打合せが必要とな
ってくるという点である。自己利得バイアスは何気ない感覚や感情、行動に潜むもの
126
なので、それに気付かせるのはそれなりのお膳立てが必要となるのである。もっとも
児童生徒の方は、それだけ授業の仕掛けに手が込んでいれば関心を持って授業に臨む
こと にな る 。
<註>
1 世界 的に 人 口中 の 肥満 率が 高い 国 とし て 有名 なの が太 平 洋の 島 国、 ナウ ルで あ る。ナ
ウル の肥 満 率は 人 口 の 78.5% であ り、その ほと んど が 糖尿 病 患者 であ る。ナウ ル の生
活は もと も と漁 労 によ る自 給自 足 であ っ た。とこ ろが 、貴 重な リ ン 鉱石 が発 見 され て、
20 世 紀に なっ て 大量 に輸 出さ れ るよ う にな ると 、一気 に国 は 豊か にな り 、そ の結 果 と
して 糖尿 病 患者 が 激増 した 。乏 し い食 料資 源 の中 で長 い 期間 生 活し てい たた め 、島 民
の多 くは 倹 約遺 伝 子を 持っ てい た 人々 で あっ たと 考え ら れる 。そ う した 人々 が 豊富 な
栄養 を急 に 享受 す るよ うに なり 、結果 、体 内 では イン シ ュリ ン が大 量に 分泌 さ れ、余
剰の 栄養 は すべ て 脂肪 とし て蓄 え られ る こと にな った の であ る。同 様の こと は アメ リ
カの ピマ・イン ディ ア ンや オー ス トラ リ アの アボ リジ ニ にも あ ては まる 。彼 ら は長 い
間粗 食に 甘 んじ て きた が近 代化 と とも に 西洋 流の 生活 が 導入 さ れて 以来 、肥 満者 や 糖
尿病 患者 が 急増 し た( 白澤 ,2013)。
2
同様 のこ とは 「正 常 性バ イア ス」 に もい え るだ ろう 。「正 常性 バ イア ス」 は 災 害 や事
故が あっ て も「自 分だ けは 大丈 夫 」とい う根 拠の ない 信 念を 持 つ性 質だ が 、こ う した
いわ ば過 信 がな い とい ざと いう と きに 十 分な 行動 がと れ ない と いう こと はあ る だろ
う。
3
た と えば 、暴力 に つい ては 現在 ま でに 分 かっ てい る範 囲 では 同 種同 士で なわ ば りを 持
ち、おと な同 士 で攻 撃 しや すい 相 手を 見 つけ てそ れを 目 的に 殺 し合 うと いう 行 動を と
るの は、1000 万 種以 上あ る動 物 種の な かで 、人 間と チ ンパ ンジ ー の二 種だ け であ る 。
4
これについては近年まで他の社会と接することなく太古の昔からの生活を続けてきた部
族 の 状 況 が 参 考 に な る 。た と え ば キ ュ ー グ ラ ー (2006)は 、ニ ュ ー ギ ニ ア 島 パ プ ア 地 方 に 住
む フ ァ ユ 族 の 近 隣 他 部 族 と の 日 常 的 な 緊 張 状 態 と 戦 闘 の 様 子 を 報 告 し て い る 。ま た ア マ ゾ
ン 奥 地 に 住 む ヤ ノ マ モ( ヤ ノ マ ミ )族 は 、常 に 戦 争 状 態 に あ る と い っ て も よ い ほ ど 族 内 外
で の 殺 戮 行 為 が 頻 繁 に 見 ら れ る ( Chagnon,1992)。 し か し 一 方 で 、 同 じ ア マ ゾ ン 地 方 に
住 む 部 族 ピ ダ ハ ン に つ い て 30 年 に わ た り 生 活 を 共 に し た エ ヴ ェ レ ッ ト (2012)は 、 全 く 逆
の 報 告 を し て い る 。そ れ に よ る と「 誰 に 対 し て も 、相 手 が 子 ど も で あ れ 大 人 で あ れ 、ピ ダ
ハ ン の 社 会 で は 暴 力 は 許 さ れ な い 」。 こ れ は ピ ダ ハ ン の 居 住 す る 生 活 環 境 が 他 の 例 に 比 べ
食 料 資 源 が 豊 富 で あ る た め 、と 説 明 は で き そ う で あ る 。し か し 、キ ュ ー グ ラ ー の 報 告 で は
緊 張 状 態 に あ っ た 部 族 同 士 に キ ュ ー グ ラ ー 自 身 が 調 停 に 入 り 、友 好 関 係 を 築 い た 例 も あ り 、
そ れ だ け で は な い の か も し れ な い 。し か し 、こ れ ま で の 世 界 の 歴 史 や 多 く の 現 在 の 状 況 か
ら 見 る と 、人 間 が 敵 意 と 攻 撃 性 を 生 得 的 に 持 っ て い る と 言 わ ざ る を 得 な い 状 況 の 方 が 圧 倒
的に多いだろう。
5
人類 が最 初に 数 万人 規模 の都 市 を形 成 した のは 紀元 前 3800 年の メソ ポタ ミ ア地 方 ウ
127
ルク であ る と考 え られ てい る。
6
一例 とし て千 葉 県で は 2011 年度 よ り「ネ ット パト ロ ール」を 実 施し てお り、県内 す
べて の中 高 生を 対 象に 青少 年の 書 き込 み が多 いブ ログ や ネッ ト 掲示 板な どを 県 職員
が閲 覧し 、 悪質 な 書き 込み を見 張 って い る。 2013 年度 に 見つ かっ た「 問題 の ある 書
き込 み」を した 中 高生 は 3275 人で 前 年度 よ り 266 人(8.8%)増 えて いる 。その う ち
「特 に問 題 があ る 」と され たの は 874 人 で 、県は 教育 委 員会 、学校 を通 じて 書 き込 み
の削 除や 生 徒の 指 導を 依頼 した 。さ ら に緊 急 性や 事件 性 の高 い もの は警 察に 通 報し て
対応 して い る( 朝 日新 聞千 葉版
7
2014,5,17 朝刊 )。
こ の 授 業 で は「 敷 衍 的 思 考 」の 段 階 に 力 点 を 置 い て い る 。
「 敵 視 と 攻 撃 性 」と い う 認 知 バ
イアスを統制していくには、結局は見知らぬ相手とも友好関係を築かなくてはならない。
そ の た め に は コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の 方 法 が 重 要 に な る か ら で あ る 。こ の「 敷 衍 滝 試 行 段 階 」
の ロ ー ル プ レ イ イ ン グ に お い て 、生 徒 は あ い さ つ と い う コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 形 式 が 単 な る
言 葉 上 の 接 頭 語 で は な く 、現 実 的 に 友 好 関 係 を 築 い て い く 上 で な く て は な ら な い 要 素 で あ
る こ と を 学 ん で い く こ と に な る 。 こ れ に 関 し て は 鑓 水 (2014)を 参 照 。
8
こ れ に つ い て は 日 本 の 伝 統 的 な 礼 に 始 ま り 礼 に 終 わ る と い う 武 道 が 、大 い に 参 考 に な る 。
特 に 相 撲 で は 、現 在 で も 勝 っ た 場 合 で も 相 手 を 尊 重 す る 姿 勢 を 大 切 し 、そ れ を 誇 示 す る よ
うな姿勢は厳として戒められている。授業でもよい参考例として挙げられるだろう。
<文献>
ア ロ ン ソ ン ,E. 古 畑 和 孝 監 訳 (1994). 『 ザ ・ ソ ー シ ャ ル ・ ア ニ マ ル 』
サイエンス社
p.159f.
Chagnon,N.A.(1992). Yanomamo: The Fierce People (Case Studies in Cultural
Anthropology) . Harcourt School.
エ ヴ ェ レ ッ ト ,D.L.
屋 代 通 子 訳 (2012).『 ピ ダ ハ ン :「 言 語 本 能 」 を 超 え る 文 化 と 世 界
観』 みす ず 書房 p.149.
ダン バー,R.
松浦 俊 輔
シッ プ』 青 土社
服部 清 美訳 (1998).『こと ばの 起 源- 猿 の毛 づく ろ い、人の ゴ
p.100.
Fisher, S. E., Enard, W., Przeworski, M., Lai, C. S., Wiebe, V., Kitano, T.,Monaco , A.
P., Paabo, S. (2002). Molecular evolution of FOXP2, a gene involved in speech and
language. Nature , 418,869-872.
キュ ーグ ラ ー ,S.
松 永美 穂
河 野桃 子 訳 (2006).『ジ ャン グ ルの 子- 幻の フ ァユ 族 と育
った 日々 - 』早 川 書房
三井 誠(2005).『人 類 進化 の 700 万 年』 講 談社
村上 不二 夫 (1991).『 ラク ダの 瘤 にま た がっ て』 テレ ビ 朝日 p.126.
Sherif,M.,et al (1961). The Robbers Cave Experiment: Intergroup Conflict and
128
Cooperation . Wesleyan University Press.
白澤 卓二(2013).『肥 満遺 伝子 』 祥伝 社 p.85.
鑓 水 浩 (2014). 形 式 的 コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン に よ る 道 徳 性 の 醸 成 - 人 間 行 動 の 自 動 性 研
究に 基づ く 考察 - 道 徳教 育方 法 研究 19, 51-60.
129
終章
本研究における成果と今後の課題
第 1節
本研究における成果
本研究では、中学校段階での道徳教育において、人間行動の自動性を原理として 知
識を習得することが道徳的行動を促すこと になることを論究し、その知識内容を明ら
かにした上で具体的な授業案を示した。
心情主義とも言われる現在の道徳教育において、 また「道徳的価値の自覚」の説明
に終始している学習指導要領に基づいている実際の道徳授業において、 その課題とな
るものは道徳授業の内容をどのようにすれば道徳的実践力、つまり道徳的な行動に結
びつけることができるか、であった。本研究はその課題を次の各点から克服するもの
である。
1
道徳的行動を促す原理としての自動性の応用
道徳的な心情を重視した道徳授業が道徳的な行動と必ずしも直結しない問題におい
て、本研究では社会心理学等で研究の進展が見られる人間行動の自動性を原理として
応用した。
人間も生物種である以上、遺伝子のコピーを残していくこと、つまり生殖があらゆ
る行動の最終的な目的である。また、環境中の膨大な量の情報を全て逐一解析してア
ルゴリズムを算出し、的確な行動をとるといったことは脳の容量からして、とても不
可能である。そのため人間の行動というのは、自らの意思によって自覚的に行動して
いるように思えても、その目的を達成する ことを第一として、膨大な情報を取捨選択
し、さらにカテゴリー化、パターン化して、 実際には多くの認知面行動面で自動化さ
れている。だが一方で現代においては、この自動化のために結果としての行動が反道
徳的なものとなって多く表出することも現実である。そこで、とかく問題にもつなが
っ て し ま う こ の 自 動 性 の 原 理 を 応 用 す る 形 で 、 道 徳 的 な 行 動 の 促 進 と 1、 反 道 徳 的 な 行
動への統制に資することができるように道徳教育を焦点化したのである。
この目的の明確化によって、それに沿った道徳教育の内容を具体的に提示すること
が容易になったと言える。
2
道徳的行動を促す知識の提示
本研究においては、人間行動の自動性を原理として道徳的な行動を促していく知識
と し て 、「 特 性 と 目 標 に 関 連 し た 知 識 」及 び「 メ タ 認 知 の た め の 知 識 」の 、2 つ の 種 類
の知識群を提示した。
130
「特性と目標に関連した知識」は、人間が行動をおこす際のリソースとなる知識で
あ り 、「 認 知 対 象 の 特 性 を 道 徳 的 な ス テ レ オ タ イ プ と し て 形 成 す る 知 識 」 と 、「 道 徳 的
な行動を目標として設定していくために資する知識 」によって成り立っている。この
うちの「認知対象の特性を道徳的なステレオタイプとして形成する知識」は、道徳的
な行動が求められるような認知場面に遭遇した際に、認知対象やコンテクストの特性
に関して道徳的な知識がすぐに想起、活性化され、道徳的な行動に直結させていくこ
とのできる知識であり、人間行動の自動性を応用したものである。
また「道徳的な行動を目標として設定していくために資する知識」は、道徳的な行
動が必要とされるような認知場面に遭遇した場合、道徳的な目標を設定する、あるい
はいくつか考えられる目標から道徳的なものを選択していくために資することになる
何らかのストーリー性のある知識であり、目標ルートを応用したものである。
「メタ認知のための知識」は、たとえば自己の情動が危険な状態なのかどうかモニ
タリングするといった自分の状態を知るための手助けとなる情報としての知識であり、
「反道徳的な知覚的認知バイアスを統制する知識」と「自己利得的認知バイアスを統
制する知識」によって成り立っている。
このうちの「反道徳的な知覚的認知バイアスを統制する知識」は、視覚や聴覚等に
よって知覚された対象への認知というのが、生得的にバイアスがかかって いる状態で
あること、そしてその具体的な内容とその状態を統制する具体的な方法としての知識
であり、目標ルートを応用したものである。
また「自己利得的認知バイアスを統制する知識」は、例えば金銭や食料等の資源と
いった所持すれば確実に自らの利得を増加させることができるものが目の前にあらわ
れたとき、周囲の状況にかかわらず、他者を出し抜いてでも性急に自分自身がその利
得を得ようするバイアスとその状態を統制する具体的な方法としての知識であり、同
じく目標ルートを応用したものである。
これまで知識を習得する道徳教育論を展開した研 究は少なく、その場合も規範的な
道徳原理を示したものであった。本研究においては、主に社会心理学や脳神経科学、
進化生物学の知見を基盤に習得する知識内容を構造化、体系化を図った上で具体的に
示した。これにより授業をつくるということにおいて取り組みやすく、より関心を高
める工夫がされやすくなったと言えるだろう。
3
道徳的行動を促す知識を習得する授業案の提示
本 研 究 で は 前 項 で 挙 げ た 知 識 を 習 得 す る 授 業 案 を 10 示 し た 。こ の う ち「 特 性 と 目 標
に関連した知識」を習得する授業案は4つであり、教材は提示資料が1、生徒が作成
した資料が1、読み物資料が2である。また「メタ認知のための知識」を習得する授
業案は6つであり、いずれも教材は提示資料である。
これらの授業は新たな事実を知る、というものであり、これまでの心情に重点を置
131
い た 道 徳 授 業 に 比 べ 、生 徒 の 関 心 意 欲 を 高 め る も の に な る と 考 え ら れ る 。ま た 、「 メ タ
認知のための知識」を習得する授業では、授業構成の最後には「敷衍的思考」として
自己あるいは一般的な反道徳的な情動状態をどのように統制していけばよいのか、と
いうことを考えさせるものになっている。自分たちで考えた方略をそのまま知識とし
て習得させるのである。こうした構成もまた生徒の関心意欲を、より高めるものとな
り、提示した知識の習得を促進させることにもなるだろう。
第2節
今後の課題
本研究において今後の課題となるものは次の3点である。
第一に、本研究の根幹にかかわる面である。本研究では人間の意思を一面 からする
と、あたかも軽いものとして取り扱っている ことになるかもしれない。これまでの道
徳教育では言うならこの意思を道徳的に強化し、あくまでも意思の力によって道徳的
な行動を起こさせようというものであった。この点から考えると、 本研究というのは
その意思を軽視し、まるで動物を調教するかのようなスタンスで道徳教育をとらえて
いる、との批判も起こるかもしれない。これはつまり、人間行動の自動性 についての
議 論 に お け る 自 由 意 思 否 定 論 者 Bargh に 対 す る 、 肯 定 論 者 Baumeister の 批 判 と 同 じ
で あ る 2 。本 研 究 に お い て は 人 間 の( 自 由 )意 思 そ の も の を 否 定 し て い る わ け で は な く 3 、
意思の存在を重視する立場に沿って言う のであれば、自動性原理を応用して意思の力
を強くしていこうとするものである。その意味で現状の道徳教育の内容とは原理的に
は対立しても、方法論としては十分に「共存」できるものである。 この「誤解」をい
かに解いていくかがまずは重要となってくる。
第二に具体的な面である。本研究では実際の授業案は中学校段階を対象としたもの
であるが、本研究の主旨からすると知識の習得に重点を置くという道徳教育は、中学
校段階だけでなく小学校や高等学校においても必要となるものである。その場合小学
校や高等学校においても本稿で示した知識内容がそのまま合 致するものであるかどう
かは、何とも言えない、という点である。この点においては小学校や高等学校の教員
と連携していかなければ答えは出せないであろう。さらなる幅広い研究が求められる
ことになる。
第 三 に 同 じ く 具 体 的 な 面 で あ る 。本 研 究 で は 授 業 案 を 10 示 し た が 、そ の 内 容 に 応 じ
た対象学年の設定と授業案の数が適正かということである。
「特性と目標に関連した知
識 」 を 習 得 す る 授 業 は 2 年 生 向 け 、「 メ タ 認 知 の た め の 知 識 」 は 3 年 生 向 け と し た が 、
内容によっては違う学年の方が対象として良い場合もあるかもしれない。また授業数
もさらに増加させるべきなのかもしれない。このことに関しては多くの実践がなされ
ることによって結論が出るものであろう。
今後の道徳教育については、その教科化に向けて 、より多くの論議が重ねられてい
132
く必要がある。その際には様々な視点からのものが求められるだろう。本研究につい
てもその論議のうちの有力な一つとなっていきたいものである。
<註>
1
こ れ ま で も 述 べ て き た よ う に 、人 間 に お い て は 反 道 徳 的 な 行 動 だ け が 自 動 化 さ れ て い
る わ け で は な く 、道 徳 的 な 行 動 も 自 動 化 さ れ て い る 。た だ し 、現 代 社 会 に あ っ て は そ
の 性 質 が 獲 得 さ れ た 時 代 の 環 境 と は 大 き く 変 化 し す ぎ た た め に 、反 道 徳 的 な 行 動 の 表
出 が 大 き な 問 題 と な る 場 合 が 増 加 し た と 考 え ら れ る 。し た が っ て 本 研 究 で は 道 徳 的 な
行 動 を よ り 促 進 し 、結 果 と し て 反 道 徳 的 な 行 動 を 統 制 す る 道 徳 教 育 を 展 開 し て い る の
である。
2
第 2 章第 1 節参照。
3
人 間 の 意 思 は 意 識 そ の も の と 同 じ よ う に 適 応 の 結 果 、自 覚 的 に 感 じ ら れ る よ う に な っ
た も の で あ る 、と い う 点 か ら す れ ば 、本 研 究 に お い て も そ の 存 在 を 否 定 し て い る こ と
に も な る か も し れ な い 。だ が 、そ う な る と 例 え ば 人 間 が 知 覚 し て い る も の 全 て の 存 在
も究極的には否定することにもなってしまい現実的ではなくなる。
133