A.マーシャルにおける初期心理学研究と経済学との関連 1.はじめに 1

A.マーシャルにおける初期心理学研究と経済学との関連
松山直樹(北海道大学大学院経済学研究科博士後期課程)
1.はじめに
本報告の課題は,アルフレッド・マーシャル(1842-1924)の初期心理学研究において扱われる「人間の
性格(human character)」と経済学において扱われる「人間性(human nature)」に注目することから,彼
の初期心理学研究と経済学の関係を明らかにすることにある.
まず,報告内容をより明確にするため,当時の経済学の学問的背景について簡単に概観しよう.J・S・
ミル(1806-1873)は,経済的生産について研究するために生理学や化学,力学,地質学を研究することの
必要性を説いていた(Schabas 2005, 126).J・S・ミルと親交があり,当時のイギリスにおいて活躍して
いた心理学者にA・ベイン(1818-1903)がいる.彼は,
『情緒と意志』(1855)において生理学と連合主義心
理学を緊密に結合させた人物であり,J・S・ミルを心理学へ傾倒させた(Schabas 2005, 139).さらに,
W・S・ジェボンズ(1835-1882)は,感情の量の比較に関するベインの考察を踏まえた上で「私はここに次
のことを指摘しておかねばならない.その[感情や動機を扱う]理論は,一個人の精神の状態を研究するこ
とを想定し,そして経済学全体にこの研究を基礎付けるのである」(Jevons [1911] 2001, 14-15/訳 216)
といい,
「最終効用」という表現によって快楽や苦痛の逓減の現象を説明している(ibid., 33/訳 232).さ
らに,マーシャルがジェボンズの「最終効用」の概念を強く意識していたことはよく知られた事実であり
(Marshall 1872, 95/訳, 319;Keynes, J.M. [1933] 1972, 184-185/訳 147-149)1),マーシャルの心理学
研究もまたベインから大きな影響を受けている(Marshall 1867a, 1867b, 1868).このように,諸個人の感
情や動機,あるいは意識のメカニズムを扱う心理学を経済学において論じることは,いわば「ヴィクトリ
ア時代の経済学者に必要とされたライセンス」(Schabas 2005, 140)のようなものであった.
しかしながら,経済学において心理学を扱う傾向は,マーシャルの後継者であるA・C・ピグー
(1877-1959)などの経済学に見られるように,20 世紀初頭のイギリスの主流派経済学者たちに受け継がれ
「経済学者たちの間で相対的に短命であった心理学への熱狂は,
ることはなかった2).このようにして,
1859 年のJ・S・ミルの宣言に始まり,多かれ少なかれ 1924 年に亡くなったマーシャルに終わっている」
(ibid., p.134)3).つまり,マーシャルが経済学において心理学的な概念や現象を展開しているという事実
は,1860 年代後半に彼が心理学を研究していたということだけでなく,当時のイギリス経済学の学問的
流行が影響していたと考えられる.
そのような学問的背景があった一方で,マーシャルは「人間の才能のより高度な,より速やかな発達の
可能性に対する心理学の魅惑的な研究」を進めていくうちに,労働者階級の生活状態をいかにして充実さ
せるのかという経済問題に直面する(Keynes, J.M. [1933] 1972, 171/訳 134).つまり,彼の心理学への
取り組みが労働者階級の人間性に目を向けることになったと言えよう.それゆえ,マーシャルが経済学を
「一面において富の研究であり,他面において,より重要な側面である人間研究の一部である」(Marshall
1890, 1)と定義する背景には,彼が単に労働者階級の生活に共感を抱いたということだけでなく,貧困な
どの経済問題に直面する以前に心理学において人間の性格について研究していたという事実と深い関係
があるように思われる4).
以下,マーシャルの心理学研究と経済学を分析するに当たって,静学的な解決が「動学的な解決よりも
簡単であって,より困難な動学的解決のために有用な準備と訓練を提供することがあり得る」(Marshall
1898, 312/訳 55)というマーシャル経済学の分析方法に従い,静学と動学の区別を導入する.もちろん,
彼の心理学研究にそのような区別は設けられていない.しかし,彼の心理学研究にそのような区別を導入
することによって,彼の心理学研究と経済学の関係をより明確に理解することができるようになると思わ
れる.また,本報告は「人間の性格」5)について考察を行っている第三心理学論文 Ye Machine (以下,
Marshall(1868)と表記)に焦点を当てる6).したがって,第 2 節ではマーシャルの初期心理学研究における
「人間の性格」ついて扱い,第 3 節ではマーシャルの経済学における「人間性」を扱う(図表 1 を参照).
1
2.マーシャルの初期心理学研究における「人間の性格」
2-1.
「人間の性格」の静学的な側面
ラファエリは,Marshall(1868)において扱われる Machine(以下,機械的人間と表記)とマーシャル経済
学における経済主体の関係を,両者の「性格(character)」に注目することから分析を行っている(Raffaelli
1994, 79-80).それは経済学において扱われる「人間の性格」が心理学における「性格」と類似したもの
であると解釈するからであろう.第 3 節において論じるが,本報告の課題を解決するために「性格」を「人
間の性格」という表記で統一する.したがって,われわれはラファエリの解釈に従い,
「人間の性格」を
「ルーティンと本能から成る機械の作用に関する内的システムを表現している統一概念」と定義する
(Raffaelli 2007, 490).なお,ルーティンは連続的な行動を繰り返す必要性から生じるものであり,本能
は調整されたルーティンである(ibid., 2007, 490).
Marshall(1868)は,ベインの『情緒と意志』やE・B・ド・コンディヤック(1715-1780)の『感覚論』(1754)
などから影響を受けており,連合主義心理学の流れに沿った研究を行っている7).人間の意志を扱う当時
の心理学は,人間の「内的現象相互間の結合と,外的現象相互間の結合との間の結合(connexion)を取り
扱うもの」であった(矢田部 1942, 178).そこでわれわれは,まずMarshall(1868)における内的現象と外
的現象の関係を《脳−身体》の単純なモデルから捉え,そのモデルを外的環境の変化を認めない静学的な
ものとして考察する.
第一に,Marshall(1868) 8)は単純なモデルとして,大脳と小脳の区別のない脳*と身体*という機械的人
間の内的構造について考察する.脳*は,外的環境からの刺激に対してよりスムーズな行動*を実行する
ことを可能にするために,記憶*の機能を備えている.そして,この記憶*は連続*や類似*の連合を促し,
自然法則的に経験*から期待*を創出する(図表 2 を参照).つまり,期待*を生み出す働きと連合*の強度を
促進する働きを持つことから,連合*によってできた観念の結びつきは,他の観念の結びつきとも関係を
もつようになるのである.マーシャルはこの連鎖的な関係の構築を熟考*と呼んでいる(ibid., 118).
Marshall(1868)は,
このような機能の脳をもつ機械的人間が外的環境から刺激を受ける状態を想定する.
その刺激は身体*から感覚*を通じて脳*へ伝わる.身体*で受容した感覚*は,脳*において観念*となる.
脳*の内部では,繰り返し行うような行動*を動機付ける快楽*やその逆の苦痛*によって,感覚*の観念*と
行動*の観念*の間に自然法則的な観念*の連合*を形成させる.このような快楽*や苦痛*が連続的な行動
を生じさせることから,ラファエリはそれをルーティンと解釈する.また,人間は快楽*を求める一方で,
苦痛*を避けようとすることからより緊密な観念*の連合*を形成し,積極的な行動を引き起こすかもしれ
ない(ibid., 118).ラファエリはそれを本能*と呼んでいる.このようにして,行動*の観念*は身体*におい
われわれはこのような一連の過程を一重のループ現象として捉える(図表 3 を参照).
て行動*として表れる.
このように,Marshall(1868)は外的環境の変化を考慮しないという想定の下で,機械的人間の内的シス
テム(あるいは人間の性格)における単純な刺激と反応の現象を考察している.このような単純な機械的人
間は,不可逆的な時間の概念を考慮していないことから無時間モデルとして捉えることができる.しかし,
それは現実の人間の内的システムについて説明することができない.そこでマーシャルは,
「われわれは,
ほどなく単純な事例から派生し,複雑な事例を扱うつもりである」(ibid., 1868, 118)と述べる.このよう
な単純な事例から複雑な事例へというマーシャルの分析の進め方は,まさに彼の経済学における分析方法
に対応している.このように考えることから,本節で考察した無時間モデルの機械的人間は,人間の性格
に関する複雑なモデルを叙述するための準備と考えることができる.したがって,次項では《脳−身体》
モデルにおける単純な一重ループの現象ではなく,それらを考慮する《大脳−小脳−身体》モデルにおけ
る多重のループ現象を考察する.
2-2.
「人間の性格」の動学的な側面
機械的人間は外的環境から受ける刺激に反応し,行為の意思決定を行う.一方で,現実の人間は外的環
境の変化による種々の影響を考慮しながら,自らの行為の意思決定を行っている.われわれは,次の段階
として,機械的人間の内的現象と外的現象の関係を《大脳−小脳−身体》の複雑なモデルから捉え,現実
の世界と同じように外的環境の変化を考慮する動学的なものとして考察する.
2
この複雑なモデルは,前項の単純モデルにおいて単一の内的構造として扱われた脳を,小脳*と大脳*と
いう二つの構造に分けて考える.小脳*は,単純モデルの脳の機能と同じ手順で働き,感覚*の観念*と行
動*の観念*の間に自然法則的な観念*の連合*を形成する.さらに,大脳*もまた同様に,感覚*の観念**と
行動*の観念**の間に自然法則的な観念**の連合*を形成する(ibid., 120).例えば,感覚*が行動*と補完
的な関係にあるような観念*に起因している場合,大脳*は,感覚*の観念*によって感覚*の観念**を作動
させる.この感覚*の観念**はまた,自然法則的な連合によって行動*の観念**に関連付けられる(図表 4
を参照).この関連づけられた行動*の観念**は二重の力を持つ.一つは行動*に対応する観念*を動かす
力であり,もう一つは感覚*の観念**の間に変化を生み出す力である.つまり,大脳において形成された
神経回路は,
「感覚*の観念**(大脳*) ⇔行動*の観念**(大脳*)」といった双方向的なつながりを生じさせ,
新たな内的構造を形成するのである(Raffaelli 1994, 78).
また,マーシャルは,外的環境の変化によって失敗や不完全な結果をもたらす可能性に言及する.この
ような不安定要因は,次のような過程を経ることから解消される.すなわち,大脳*における感覚*の観
念**から行動*の観念**への作用に外的環境の漸次的な変化による刺激が加わる.この刺激が不安定要因
を引き起こす可能性がある.しかし,刺激は経験の蓄積から予想に変化し,その予想は以後の意思決定に
必要な行動*の観念**を生じさせる.このようにして,不安定要因は刺激と反応における多重のループ現
象によって解消されるようになるのである.
この一連の作用をマーシャルは推論*の連鎖と呼ぶ(Marshall
1868, 121).また,大脳*と小脳*の間の作用は,自然法則的に熟慮**(deliberation**)によって形成され
る(ibid., 121).
,
「大脳*と熟考**(meditation**)によって作用する小脳*」
,
「身
このように,
「推論*の連鎖を行う大脳*」
体」そして「外的環境の環境変化」を包含した一連の流れである多重のループの現象は,Marshall(1868)
の複雑モデルとして表すことができる(図表 5 を参照).このように,
《大脳−小脳−身体》の構造をもつ
機械的人間は,推論の連鎖や群同士の結合などを通じて自らの行動*をより確実な意味を持つものとする.
以上のように複雑モデルの機械的人間を考察するマーシャルは,言語や代数,幾何学,さらに音楽など
..
の「知的*な教育(intellectual* Education)」の役割を述べ,機械的人間の道徳*的存在(moral* being)に
ついて議論を展開する(ibid., 123-129).特に,マーシャルは機械的人間の道徳的存在に注目する.彼は「そ
「同感の原理
の[道徳的存在の]根本的な原理は、同感*(Sympathy*)のそれであろう」(ibid., 129)と述べ,
「この[同感の]概念は,ミルと同様
(the principles of sympathy)」(ibid., 130)を重視する.ラファエリは,
に,スコットランド道徳哲学者たち(Scottish moral philosophers)からマーシャルによって導かれている」
(Raffaelli 1994, 84)という.
このような同感の原理について,マーシャルは次のように考える(Marshall 1868, 129-130).機械的人
間が他の機械的人間を知覚し,その行為を観察する場合,自らの経験と連想から後者の行為や欲望に関す
る観念を生じさせる.それによって,機械的人間は他の機械的人間を理解することができるようになるの
である.特に,ラファエリは,マーシャルが「道徳的性質」と呼んでいる機械的人間の道徳的要素を「他
の機械的人間の苦痛に対する同感的態度(sympathetic attitude)に由来する」(Raffaelli 1994, 84)ものであ
ると考える.他の機械的人間の行為に関する観念の連合は,同感という道徳的性質によって獲得されるの
である.このように,マーシャルの同感の原理は機械的人間の性格形成メカニズムとして説明される.
さらに,マーシャルは「私は,ついでながら,これら[機械的人間]の特性(races)を保つ自然選択の力に
注意を向けねばならない.自然選択の力の中で,同感の原理はもっとも強力である」(Marshall 1868, 130)
と述べる.ラファエリによれば,このようなマーシャルの考察は「楽観的で,進化主義的な決断」(Raffaelli
1994, 84)であるという.
「人間の性格」に関するこのような動学的なメカニズムや「同感」に関するマーシャルの考察は,次節
で確認するように現実の人間を扱おうとする彼の研究姿勢が一貫したものであったことを示している.た
だし,前述したように,マーシャルは「人間の才能のより高度な,より速やかな発達の可能性に対する心
理学の魅惑的な研究」を進めていくうちに,労働者階級の生活状態をいかにして充実させるのかという経
済問題に直面することになった(Keynes, J.M. [1933] 1972, 171/訳 134).それゆえ,マーシャルは 1871
3
年から翌年にかけて心理学と経済学のどちらを生涯の学問にするのか悩むのである(Whitaker 1996,
vol.2, 285).したがって,次節は,マーシャルが経済学によって心理学研究の限界を克服しようとした形
跡を明らかにするために,彼の心理学研究において扱われた「人間の性格」がいかにして経済学に反映さ
れ,拡張されているのかを考察する.
3.マーシャル経済学における「人間の性格」と「人間性」
3-1.
「人間性」の静学的な側面
マーシャルは『原理』において,当時の経済学の一般的動向として「人間性の可変性」や富の生産,分
配および消費の支配的な方法に影響を与える「人間の性格」に注意が向けられていることを指摘している
(Marshall 1920, 764/訳[一] 282-283).さらに彼は「人間の意志が,注意深い思索に導かれて環境を変
容することによって,人間の性格を大きく変容できること,それによって,性格にとって,…より望まし
い新しい生活状態を実現できることを信ずるようになった」(ibid., 48/訳[一] 65)と述べる.このように,
マーシャルが経済学において「人間の性格(human character)」と「人間性(human nature)」の両概念に
注目していることは明らかである.特に,前者の扱いには注意しなければならない.なぜなら,われわれ
は,第 2 節において「人間の性格」に関するマーシャルの心理学研究を扱ったからである.しかし,彼の
経済学における「人間の性格」もまた,人間の性格が外的環境を変化させ,さらにその外的環境の変化が
人間の性格に働きかけるものであることは上記の引用文からも明らかであろう.それゆえ,ここでは,彼
の心理学研究と経済学における「人間の性格」の概念が同じ意味を含意するものとして扱う.
ラファエリは,マーシャルの心理学研究における「人間の性格」を,
「経済主体(economic agent)」に
拡張されたものと解釈し,経済分析上の経済主体の平均的な「人間の性格」に注目している(Raffaelli 1994,
79-80).また西岡は,マーシャルの心理学研究における人間の内的現象と外的環境の変化との関連が彼の
経済学の出発点である静学的方法ときわめて類似していると指摘する(西岡 1997, 27).そこで,われわれ
はこれらの先行研究をさらに拡張させるべく,マーシャルが意識的に分けていない「人間性」の静学的お
よび動学的な分析を扱う.さらにそれらが初期心理学研究における「人間の性格」の静学的な側面および
動学的な側面とどのような関係にあるのかを明らかにする.
マーシャルは,経済学研究には二つの側面があると考えていた.一つは日常生活の人間の研究であり,
いま一つは富の科学としての研究である.ウィックスティードは,
『政治経済学辞典』の「経済学と心理
学」の項目において,
「政治経済学が富の科学であるのなら,それは,欲求(wants)を満たすために,そし
て欲望(desire)を満足させるために人々によってなされる努力を取り扱うのである」(Wicksteed 1899,
140)と述べている.彼のこの文章は,マーシャルの『原理』を意識したものと考えられる9).さらに,ウ
ィックスティードは,「『欲求』,『努力』,『欲望』,『満足』の各々そして全てが心理的現象(psychic
phenomena)である」という(ibid., 140).つまり,心理学的現象である欲求や満足の概念は,19 世紀後半
のイギリス経済学において意識的に扱われている.例えば,マーシャルは『原理』の初版において次のよ
うに述べている.
「次のような普遍的な法則がある.それぞれいくつかの欲求が制限されるという法則と,
人々の持っている物の総量のあらゆる増加と相まって,いっそう多くの物を獲得することに対する彼の欲
望の熱意が減退するといった法則である」
.なぜなら「欲求には無限の種類があるのだが,一つ一つの欲
求には限界がある」からである(Marshall 1890, 155).
............
このような「欲求」に関する分析は『原理』の第二版(1891)以降において「欲求の飽和あるいは限界効
....
...
用の法則」として扱われる.さらにこの法則は「人間性に関するよく知られたこの基本的な傾向」を表し
たものであるという(Marshall 1920, 93/訳[一] 134,傍点は引用者)10).ただし,人間性に関するこの法
.
則には,
「明らかにしておくべき隠された前提が存在する.それは,人間自身の性格と嗜好に何らかの変
...............
化が生ずるだけの時間を認めない」(ibid., 94/訳[一] 135,傍点は引用者)というものである.われわれは,
第 2 節第 1 項において「人間の性格」の静学的な側面を無時間モデルとして考察した.上記のマーシャ
ルの指摘から,彼の心理学研究における「人間の性格」の無時間モデルは,経済学において,変化に要す
る時間を認めない「人間の性格と嗜好」という人間性を示すものに反映されていると考えられる.経済学
4
で扱われるこのような人間性は,無時間的人間性として把握することができよう.
したがって,われわれは,マーシャル経済学の「欲求」の飽和や「効用」の分析において想定される無
時間的人間性が,彼の心理学研究における外的環境の変化を認めない「単純モデルの機械的人間」と対応
関係にあると考える.マーシャルの心理学研究と経済学の関係は静学的な分析のみに見られるものではな
い.そこで,次項では,不可逆的な時間の流れにおける人間性の動学的な側面について考察する.
3-2.
「人間性」の動学的な側面
実際に日常生活を営む人々は,時間とともに選好を変化させている.それゆえ,効用関数も時間の経過
と共に変化するはずである.それゆえ,マーシャルは「人間は不変なものではない.変化は体格と技能に
起こるだけでなく,効用関数や道徳性の基準においても起こる」(Mathews 1990, 20/訳 24)ことを認識
していたのではないだろうか11).そこで次に,われわれは不可逆的な時間を考慮することから,心理学研
究で扱われた「人間の性格」が経済学において扱われる可変的な人間性とどのような関係にあるのかにつ
いて「生活基準」および「経済騎士道」に焦点を当てて考察する.
マーシャルは「人間の性格」を変化させる作用として「将来の便益に対する『現在価値』の評価」に注
目する(Marshall 1920, 120/訳[一] 177).現在と将来の価値の相違は,人間の性格を形成する過程にお
いて特に重要な位置を占めている.それらの相違は,
「それぞれの人間が持っている個性と彼らが置かれ
ている環境にしたがって異なった評価が行われる主観的な性格」(ibid., 119-120/訳 177)から生じるから
である.このような将来の便益に関するマーシャルの問題関心は,第 2 節において考察した彼の初期の心
理学研究を踏まえることによってより明確に把握することができる.例えば,複雑モデルにおける機械的
人間は,大脳と小脳の作用によって外的環境の変化を認識するだけでなく,変化に対応した意思決定から
行動を決定するものであった.この考察は,
「子供たちや文明の初期状態における国民は,遠い将来の便
益を実現することがほとんど不可能である.未来は現在によってさえぎられている」(Marshall=Marshall
1881, 37/訳 47)ために,労働者階級に属する人々は,将来の生活を考慮することによって彼らの人間性
を阻害している放蕩や浪費などを抑制するだろうという指摘と対応関係にあると考えられる.それゆえマ
ーシャルは,将来の便益を考慮できるような人間性を労働者階級に獲得させるため,教育や訓練の作用12)
を重視する.なぜなら,教育や訓練は労働の効率化をもたらし,労働者階級の人々に余暇の時間を与える
ようになるからである.
マーシャルは,漸次的に労働者階級の人間性が発達することを考える.例えば,マーシャルは余暇の増
「貨幣を借りた人は利子をつけて返
大を家庭内教育の充実と結び付けて考える(ibid., 52/訳 136).特に,
さねばならないのと同じように,人間は自分の子供たちに,自分が受けたよりもより良い,より完全な教
育を与える義務を負う」(Marshall 1873, 117/訳 216)ためである.このようにして人間の肉体的・道徳
的資質を備える労働者階級の人々は,
「知識のなかに存在する喜び,芸術のなかに存在する喜び」(ibid., 106
/訳 200)などの高尚な欲求を抱くようになる13).この段階まで発達した人間性をもつ人々は,自らの欲
求を活動によって調整するようになる.マーシャルは,このような活動によって自らの欲求を調整するこ
....
とを「生活基準(the standard of life)」と定義している(Marshall 1920, 689/訳[四] 268).このような自
らの熟考から意思決定を行い,その意思決定によってなされる行動が自らの人間性に影響を与えるという
「生活基準」のメカニズムは,彼の心理学研究における環境変化に予測・対応できる多重ループの機械的
人間のメカニズムを考慮することからより明確になると思われる.
マーシャル経済学における心理学的概念や現象はこれだけではない.彼の経済騎士道の概念もまた,初
期心理学研究を反映させたものではないだろうか.マーシャルは,世代を経るごとに実業上の騎士道的精
神をもつ人々が「富の生産と利用において,人間性のより優れた要素を十分に訓練することによって達成
された,生活の向上を誇るようになるかもしれない」(Marshall 1907, 330/訳 138)と述べる.このよう
「[実業
な「実業における騎士道もまた,公共的な精神を含んでいる」(ibid., 330/訳 139)という.特に,
における騎士道精神に関する]啓蒙が広がるにつれて,富裕者の方では公共の福祉に対する献身が,富裕
者の資力を貧困者の援助に有効に活用する徴税者の努力を助けることで,大いに貢献するかもしれない」
5
(Marshall 1920, 719/訳[四] 312).人間には利己的な側面と利他的な側面がある.特に,経済騎士道の
公共的精神は後者の利他的な側面と関係があり,その利他的な側面は「同感*(Sympathy*)」から生じる
ものであろう.このように,われわれは「同感の原理」に注目することから,マーシャル経済学における
経済騎士道的精神もまた心理学的概念であると考える.このような「同感の原理」に基礎づけることによ
って人間性は可変的なものとなるのである.
以上より,われわれは,マーシャルの心理学研究における外的環境の変化を考慮する「複雑モデルの機
械的人間」や「道徳的特性を備えた機械的人間」から捉えた「人間の性格」の分析が,マーシャル経済学
における「生活基準」や「経済騎士道」などの「人間性」の発達に関する考察と対応関係にあると考える.
4.おわりに
本報告において,われわれは「人間の性格」と「人間性」に注目し,それぞれを静学と動学に区別して
探求することからマーシャルの初期心理学研究と経済学との関連を考察した.
まず,静学的分析において,われわれは心理学における単純モデルの「機械的人間」が経済学における
「無時間的人間性」と類似するものであると考えた.したがって,第 2 節では,静学的な側面において,
マーシャル経済学の「人間性」の概念の説明と彼の初期心理学研究における「人間の性格」に関する考察
が対応関係にあることを明らかにした.
次に,動学的分析では,実際に日常生活を営んでいる人間を想像させる「道徳的特性を有する機械的人
間」を扱った.それは,様々な経験を蓄積することから,熟考したり予測したりする能力を獲得する構造
を有していた.さらに,知的な教育を受け,道徳的な特性を備える機械的人間の考察は,経済学における
「可変的な人間性」に関する分析をより明確なものにする.
「可変的な人間性」は,第一に「生活基準」
の概念に注目することから,教育によって世代重複的に達成する労働者階級の人間性として描写される.
第二に,それは,
「経済騎士道」の概念に注目することから,人間の根本原理である「同感の原理」から
公共的精神をもつ実業家の人間として描写される.したがって,第 3 節では,動学的な側面においても,
マーシャル経済学における「人間性」の発展に関する説明と彼の初期心理学研究における「人間の性格」
の変化の分析が対応関係にあることを明らかにした.
以上より,われわれは,マーシャルの初期心理学研究と経済学研究との関連が,初期心理学で扱われる
「人間の性格」の「機械的人間」から「道徳的特性を有する機械的人間」への展開,さらに,この「人間
の性格」の展開が経済学における「人間性」の発展の議論へとつながることを明らかにした14).まさしく,
この点にマーシャルの人間研究の連続性ないし一貫性を見出すことができるのである.したがって,
『原
理』の最終版である第八版まで削除されることのなかった「経済学が一面においては富の研究であると同
時に,他面において,またより重要な側面として,人間研究の一部である」(ibid., 1/訳[一] 2)というマ
ーシャルの指摘は,富の研究に適用される数学的手法やその図形的表現の重要性と同様に,人間研究に適
用される心理学もまた経済を分析する上で不可欠であることを意図したものであると考えることができ
る.このように理解することによって初めて,マーシャルが人間性の変化を理論的基礎に置いている有機
的成長論や経済生物学を十全に理解できるようになると思われる.
※ 図表,注および参考文献の提示は,当日の報告にて行います.
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