平和構築への考察 Ⅰ 冷戦後に活発になった民間軍事会社(PMC) アメリカの軍産複合体(軍需産業と軍部の結合体)の危険性←アイゼンハワー大統領がそ の離任演説で警鐘を鳴らしたことなどで指摘されてきた。 イギリスはサッチャー政権時代に着手された新自由主義政策によって、国営企業の徹底的 な民営化を開始→その方針に従って刑務所や難民収容所の民営化まで行われた。これが対 テロ戦争で膨大な利益を得るイギリスの大手警備保障会社に発展していく→営利の追求を 最優先させるためにこうした警備会社は常に戦争を求めることになり、アメリカが着手し た「対テロ戦争」はイギリスの警備会社にとって絶好の機会となった ソロモン・ヒューズ→「アメリカ主導の介入は、破たんしつつある国を取り替えるのでは なく、破たんしつつある国を作り出した」←アフガニスタンやイラクの現状を見ればまっ たく説得力がある 対テロ戦争の舞台となったアフガニスタンでカルザイ大統領の警護を行うのは、 「ダインコ ープ」というアメリカの民間警備会社←この会社は、カルザイ大統領を守るために、関係 のない人々の人命を奪い、またアフガニスタンの警官養成には経費節減のためにきわめて 不十分な人員しか配置しなかった。 「民間軍事会社」→ヨーロッパ中世後期に活発に活動していた「傭兵隊」と本質的には変 わりのないもので、旧来の傭兵が対テロ戦争に向けた準備段階で「民間軍事会社」と名前 を変える 戦争支持に世論を向かわせる民間 PR 会社の活動実態にも触れ、9・11の同時多発テロ後 に、この事件とは何の関連もないイラクのサダム・フセインの関与を喧伝していったのも、 ラムズフェルド米国防長官などの意向を受けた PR 会社 民間軍事会社にとってイラク戦争が巨大なビジネスチャンスであったことは、イラクの復 興予算のうち安全保障への支出が最も多額にのぼったことからも明らかだ。民間軍事会社 を含めてアメリカの企業は復興の任務を満足に遂行できずに、イラクのインフラはフセイ ン政権時代よりも劣悪になり、治安の著しい悪化をもたらした 戦争を渇望する企業の活動が、正当性のない戦争を引き起こしていく 1 Ⅱ 日本の平和構築の課題 ブトロス・ガリ国連事務総長→1992年に発表した『平和への課題』において、予防 外交、平和創造、平和維持に加えて、「紛争後の平和構 築(建設)」というアプローチの重要性を指摘 平和構築=国連が持っている平和維持機能、経済開発機能、さらに社会人道機能を総合 的に活用することによって、国際社会による紛争解決プロセスへの支援をよ り効果的にしようとする試み ↓ 具体的には停戦維持や選挙監視などの平和維持活動に加え、行政システムの構築、社 会的・経済的なインフラ作り、難民の帰還や社会復帰などを支援するために、経済開 発や社会開発を専門にしている国連諸機関や他の国際機関が多面的に協力する体制を 作り上げること←カンボジアにおける国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)は その典型 Ⅲ 日本の平和構築のケース―カンボジア 1991年10月に「カンボジア紛争の包括的政治解決に関する協定(パリ和平協定) 」 が調印されると、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が設置される 「パリ和平協定」→①総選挙で選出された制憲議会が新憲法を採択し新しい政府が樹 立されるまでの暫定期間中、SNC(カンボジア最高国民評議会) をカンボジア を代表する正当な機関とみなす、②この暫定期間中、SNCは国連(具体的にはU NTACとその代表)にパリ和平協定実施のためのすべての権限を委譲する、とな っていた。 国連事務総長特別代表=明石康氏 UNTAC→人権、選挙、軍事、行政、市民警察、難民の帰還、国土復興の7つの部 門を抱え、2万人以上の要員を擁した大きな組織 1993年5月に行われた選挙→89.6%という高い投票率を達成し、新しい政府 が樹立された 同年9月、UNTACは任務を終了 UNTAC→ほぼ成功裏にその使命を達成←その最大の要因は、数年にわたる和平プ 2 ロ セ ス を 経 て 、 広 範 な 和 平 合 意 と 当 事 者 や 関 係 諸 国 の 間に 紛 争 を 政 治 的 に解決するとの共通の認識ができていたことが挙げられる Ⅴ 中東和平プロセスへの支援 1 中東和平問題と国連 国連→発足当初からパレスチナ問題やアラブ・イスラエル紛争に深く関わってきた 1948年にイスラエルの独立が宣言された際の法的根拠=その前年の1947年に国 連総会で採択された国連パレスチナ分割決議(決議181のⅡ)によっている ↓ 国連総会や安保理→その後もパレスチナ問題や中東戦争に関し数多くの決議や声明が採 択してきた 中東和平問題に関係して派遣されたPKO部隊も多い→第一次中東戦争の際に組織され たUNTSOは国連による最初の平和維持活動と位置づけられている。 ・シナイ半島に展開した第一次および第二次国連緊急軍(UNEFI、Ⅱ) ・1958年の第一次レバノン内戦の際に派遣された国連レバノン監視団(UNO GIL) ・1973年の第四次中東戦争の後にゴラン高原に配備された国連兵力引き離し監 視軍(UNDOF) ↑イスラエルと周辺アラブ諸国との停戦維持や兵力引き離しのために派遣されてきた。 1996年2月以来、日本の自衛隊の輸送部隊がUNDOFに派遣されている 平和維持活動以外で中東和平問題に関係した国連活動=パレスチナ難民を支援するため の国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)がある UNRWA→パレスチナ難民だけを支援活動の対象としており、UNHCR(国連難 民高等弁務官事務所)との分業ははっきりとしている UNRWA→現在、レバノン、シリア、ヨルダンの三カ国、およびヨルダン川西岸と ガザ地区の二地域で、基礎的な教育や保健・医療業務の提供、一部難民 への食料提供などの救済活動を行っている 国連→その発足当初から中東和平問題に深く関わってきたが、紛争の政治的な解決に向 けて国連は決定的な役割を果たしてこなかった 国連の活動が限定されてきた理由の一つ=イスラエルの国連に対する不信感 3 国際社会で孤立し続けてきたイスラエル=必然的に国連システム内でもいつも批判、非 難される対象であった ※イスラエルから見ると国連は決して中立ではなく、中東和平問題への国連の本格的な 介入をイスラエルは阻止してきた 国連の活動が限定されてきたもう一つの理由=米国の歴代政権のイスラエル絶対支持の 立場である→米国のイスラエル支持の姿勢が、依然として国連の活動を大きく制約し ている Ⅵ 日本の役割 国際社会による平和の維持や回復への努力に対する日本の役割が正面から議論されたの は、1990年から91年にかけての湾岸危機・戦争の最中→この時に日本政府は「国連 平和協力法」案を国会に上程したが、同法案は結局、廃案となる 廃案となった背景→イラクをめぐる情勢の急速な展開に加え、日本国内において自衛隊 の参加をどのように位置づけるかに関しほとんどコンセンサスがな かったこと、国連の平和維持活動と安保理決議に基づく多国籍軍に よる強制行動との区別について概念上の混乱があったことなど 湾岸戦争後、カンボジア和平への取り組みが本格化する中で、改めて国連の平和維持活 動への参加問題が検討される→1992年6月に「国際連合平和維持活動等に対する 協力に関する法律」(PKO協力法)が成立←まさにUNTACが現地での活動を開 始した時点での成立だった。同法に基づいて自衛隊員や警察官、選挙監視要員がカン ボジアに派遣され、二人の日本人が命を落とすという大きな犠牲を払った ↓ これ以降、モザンビーク、ザイール、ゴラン高原などでの国連平和維持活動に自衛隊が 派遣されている 財政難から政府開発援助(ODA)予算が今後、削減されていくことは確実 そうした中で、国際社会による平和構築の努力に日本がどのように関わっていくかに ついての議論をもっと広範に行う必要がある⇨戦闘が続く地域への支援が困難ならば、 招請支援を行い、人材の育成をしていくことも考えられる。 4
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