レジュメ

石津・酒井・千住・増岡
オステンゼミ 9 期ウクライナ班
国際刑事裁判所とウクライナ
2015 年 11 月 25 日水曜日 4 限聴講
発表者:石津綾香、酒井昌大、千住貞保、増岡侑祐(オステンゼミ 9 期ウクライナ班)
○目次
第1章
ウクライナ問題の概要
1-1 ウクライナの概要
1-2 反政府運動
1-3 クリミア自治区
1-4 ウクライナ内戦
第2章
ICC とウクライナ問題
2-1 ICC への宣言
2-2 トリガー・メカニズム
2-3 宣言に関する評価
第3章
ICC とクリミア侵攻
3-1 論点①
3-2 論点②
3-3 論点③
3-4 論点④
第4章
おわりに
参考文献、参考資料
第1章
ウクライナ問題の概要
本章では、ウクライナの 20 世紀前半からの歴史的背景を見ながら、2013 年 11 月からのいわゆ
る「ウクライナ問題」の事実概要を確認する。
1-1 ウクライナの概要
1-1-a ソ連時代
1922 年、同盟条約によりソビエト連邦(ソ連)を結成。事実上ロシアの自治共和国に。
第二次世界大戦の独ソ戦の結果、ソ連がウクライナの大部分を支配。
1986 年 4 月 26 日、チェルノブイリ原発事故が発生。
1990 年 8 月 24 日、ウクライナ最高議会が独立を宣言。
1991 年 12 月 25 日、ソ連崩壊
1-1-b 東西ウクライナ
首都キエフを中心に言語・文化・宗教が異なり、経済格差も存在する。
・東ウクライナ(親ロシア派)
第一言語がロシア語である率が高い、大きな産業が集中
・西ウクライナ(親欧米派)
第一言語がウクライナ語である率が高い、「負の遺産」チェルノブイリを抱える
1
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1-2 反政府運動
1-2-a ユシチェンコ・ティモシェンコ政権(親欧米)
2004 年、オレンジ革命によりユシチェンコを大統領とする親欧米政権が樹立。
2007 年、「ガスの女王」ティモシェンコが首相となる。
2010 年、大統領選挙でティモシェンコがヤヌコーヴィチに敗れる。
2011 年 3 月 4 日、汚職による首相不信任決議案が議会で可決され、内閣総辞職。
1-2-b ヤヌコーヴィチ政権(親ロシア)の崩壊
2013 年 11 月、EU統合路線を後退させたヤヌコーヴィチ政権に対する反政府デモ開始。
2013 年 11 月 30 日、治安部隊がデモ隊を負傷させたことをきっかけに、デモが激化する。
→この後治安部隊とデモ隊の抗争により、多数の死傷者が生じる。
2014 年 2 月 22 日、ヤヌコーヴィチ大統領が首都キエフを離れ、デモ隊が大統領府を占拠。
→「事実上の」政権交代。
1-3 クリミア自治区
1-3-a クリミア自治区の重要性
18 世紀、ロシア帝国に併合、セバストポリにロシア黒海艦隊基地が置かれる。
→地理的な利点として、ロシアの黒海と地中海へのアクセスを可能にするという戦略的重要性
を有する。
1954 年、ソ連最高指導者フルシチョフによりクリミア半島が(形式的に)ウクライナに譲渡さ
れる。
1990 年、ウクライナ独立により、クリミア半島が(実質的にも)ウクライナ領となる。
1998 年、クリミア自治共和国としてウクライナ公認の自治区となる。
→住民の約 6 割がロシア系、約 2 割がウクライナ系、約 1 割がクリミア・タタール系である1。
1-3-b 武装勢力
2014 年 2 月 27 日、国籍不明の武装勢力がクリミア地方政府庁舎を占拠2。
2014 年 2 月 28 日、武装勢力がクリミアの空港を占拠3。
→ロシアはこの武装勢力との関係を否定。
1-3-c クリミア独立
2014 年 3 月 1 日、「ウクライナ大統領」ヤヌコーヴィチから要請があったとして、ロシアが軍
事介入を承認4。
1
ウクライナ国立統計委員会 (2001 年 12 月 5 日)
(http://2001.ukrcensus.gov.ua/results/general/nationality/) (2015 年 11 月 20 日最終閲覧)
2
時事通信, 武装集団、議会を占拠=ウクライナ南部クリミア (http://news.yahoo.co.jp/pickup/6108642),
2014 年 2 月 27 日 16 時 55 分掲載 (2015 年 11 月 16 日最終閲覧)
3
時事通信, 武装集団が空港占拠=クリミア半島 (http://news.yahoo.co.jp/pickup/6108722), 2014 年 2 月
28 日 11 時 6 分掲載 (2015 年 11 月 16 日最終閲覧)
4
The Wall Street Journal, ロシア上院、ウクライナ国内へのロシア軍派遣を承認
(http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304227204579413711288031216), 2014 年 3 月 2 日 8 時 44
2
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→数日間でクリミアを事実上実効支配する。
2014 年 3 月 16 日、ロシア領への併合の是非を問うクリミア自治区住民投票が行われる。
→賛成が 9 割を超える5。
2014 年 3 月 17 日、クリミア自治区が独立を宣言。同日中にロシア領への併合を発表6。
→ウクライナはクリミア独立及びロシア編入を認めていない。また、米国、欧州連合を始めと
する諸国もこれを認めていない。
1-4 ウクライナ内戦
東部ウクライナの独立派が新ウクライナ政府と内戦状態に突入。
→独立派がロシア製武器を使用していること等から、ロシアが武器支援を行っているとされる。
→2014 年 7 月 17 日マレーシア航空 17 便が撃墜される。
第2章
ICC とウクライナ問題
本章では、前章で説明した「ウクライナ問題」が実際に ICC でどのように取り扱われているか
を確認し、その妥当性について検討する。
2-1 ICC への宣言
ウクライナは国際刑事裁判所(ICC)に対し、ローマ規程(以下、特に指定の無い条文はロー
マ規程のものとする)第 12 条 3 項に基づく宣言を 2 回行っている。
2-1-a 2013 年 11 月 21 日から 2014 年 2 月 22 日に起きた人道に対する犯罪について
2014 年 2 月 25 日と 2014 年 4 月 9 日、ウクライナはウクライナ領域内で 2013 年 11 月 21 日
から 2014 年 2 月 22 日にウクライナ上院によって起こされた人道に対する犯罪に関し、第
12 条 3 項に基づき ICC の管轄権を受諾する宣言を提出した。
2-1-b 2014 年 2 月 20 日以降に起きた人道に対する犯罪及び戦争犯罪について
2015 年 9 月 8 日、ウクライナはウクライナ領域内で 2014 年 2 月 20 日以降にロシア上院及
びテロ組織 DNR 及び LNR によって起こされた人道に対する犯罪及び戦争犯罪に関し、第 12
条 3 項に基づき ICC の管轄権を受諾する宣言を提出した。
2-1-c ICC の反応
これらの宣言に対し ICC は、2013 年 11 月 21 から 2014 年 2 月 22 日に起きた犯罪につき、
捜査開始に先立ちウクライナの状況がローマ規程上の捜査開始の基準を満たしているかを確
認するための予備調査を行うことを決定した7。
分掲載 (2015 年 11 月 16 日最終閲覧) またロシアは軍事介入の目的をクリミアに多数居住するロシア系住民の
保護と説明。
5
ロイター通信, クリミア住民投票で 95.5%がロシア編入支持、米欧は制裁準備
(http://jp.reuters.com/article/2014/03/17/t9n0m704s-crimea-idJPTYEA2F00W20140317), 2014 年 3 月 17 日
9 時 0 分掲載 (2015 年 11 月 16 日最終閲覧)
6
AFP, クリミアがウクライナから独立宣言、ロシア編入 9 割賛成 (http://www.afpbb.com/articles//3010479), 2014 年 3 月 17 日 19 時 1 分掲載 (2015 年 11 月 16 日最終閲覧)
7
参考資料 a 参照。
3
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ICC 検事局は第 12 条 3 項による国家の宣言を受領した場合、速やかに当該状況に対して予
備調査を行う方針を定めている。また第 53 条 1 項において、検察官は特に管轄権、受容性
及び善の利益を考慮するものと規定されている。
2-2 トリガー・メカニズム
第 13 条(a)締約国による付託
→ウクライナ、ロシアともにローマ規程を批准していないため、不可。
→しかし第 12 条 2 項及び 3 項より、初期に対して行う宣言により ICC の管轄権を当該国家
が受諾している場合、ICC は当該国家の領域内で起きた第 5 条に規定された犯罪行為に対し
管轄権を持つ。
第 13 条(b)安全保障理事会(安保理)による付託
→今回のケースではロシアが常任理事国であることから、ロシアが国連憲章第 27 条 3 項か
ら生じる常任理事国の拒否権を行使するため、安保理は ICC への付託ができないことが予想
される。
第 13 条(c)検察官の自己の発意による捜査の開始
→第 12 条及び第 15 条 1 項の反対解釈により、ローマ規程の締約国でない国は ICC の管轄権
外となる。
→しかし第 12 条 2 項及び 3 項により、ローマ規程の締約国でない国も ICC の管轄権を受諾
する宣言を行った場合、ICC が当該国家の領域内で起きた第 5 条に規定された犯罪行為に対
し管轄権を持つため、ICC 検察官は第 15 条に基づき自己の発意による捜査に着手できる。
ウクライナは第 12 条 2(a)の「領域内において問題となる行為が発生した国」として、上述
した通り第 12 条 3 項に基づく宣言を行っている8。これにより ICC はウクライナの宣言した
2013 年 11 月 21 日から 2014 年 2 月 22 日に起きた人道に対する罪及び 2014 年 2 月 20 日以
降に起きた人道に対する罪及び戦争犯罪に対し管轄権を持つ。
なお第 11 条 2 項但書より、時間的管轄権の問題とはならない。
今回のケースでは、ICC 検事局がウクライナの状況がローマ規程上の捜査開始の基準を満た
しているかを確認する予備調査の後、第 13 条(c)に基づく捜査を行うものと考えられる。
2-3 宣言に関する評価
・2-1-a の宣言
→ヤヌコビッチ旧ウクライナ政権時代に発生した人道に対する犯罪
~政権側が派遣した治安部隊によって国民デモが弾圧され 100 人を超える死傷者が出る。
⇒国家による「文民たる住民に対する攻撃」によって起こった政治的迫害。
=人道に対する犯罪は成立する(同規程 7 条)
8
過去には、非締約であるコートジボワールが ICC の管轄権を認めた例がある(2003 年付託承認、2011 年検察官
捜査開始)。
4
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・2-2-b の宣言
→新政権成立後9、ロシア政府・独立派テロ組織によるウクライナ国内で発生した戦争犯
罪・人道に対する犯罪
~マレーシア航空 17 便を撃墜する。
⇒軍事目標以外なものに対する故意な攻撃。
=戦争犯罪は成立する(同規程 8 条、国際慣習法としても成立している)
~ウクライナ系住民に対する強制退去10。
⇒住民の移送又は強制移送。
=人道に対する犯罪は成立する(同規程 7 条)
・他の中核犯罪
「ジェノサイド犯罪」
→集団を破壊する意図が認められない。
「侵略犯罪」
→第 3 章で検討する。
第3章
ICC とクリミア侵攻
本章では、2010 年のカンパラ会議11で決定されたローマ規程上の侵略犯罪と 2014 年 2 月 27
日からのいわゆる「クリミア侵攻」を検討する。侵略犯罪をめぐる問題については、実体法
の問題と手続法の問題とに分けて考えることができる。以下ではそれらの問題に関する議論
の様相を紹介し、当該侵攻に対して実際に(侵略犯罪としての)管轄権が及ぶか、主に 4 つの
論点に分けて検討していく12。
3-1
・論点① 2014 年に発生した当該侵攻には時間的管轄権が及ぶか?
カンパラ会議では侵略犯罪の管轄権行使の開始について「二重の縛り」13がかけられ、管轄
権行使の開始時期が先送りにされた。
管轄権行使の開始時期(ローマ規程 15 条の 2、15 条の 3)
①30 か国の締結国による批准または受諾が達成されてから 1 年が経過した後であって、か
つ
②2017 年 1 月 1 日以降に行われることとなっている管轄権行使についての締約国による新
たな決定がなされた後にのみ管轄権を行使し得る。
9
内戦発生後以降の事実関係に関しては、ロシアが国連を含め調査団の受け入れをクリミアと東ウクライナにお
いて拒否しているので全ての行為を認定することが困難である。
10
少数派のウクライナ系住民が不利を被っている。
11
2010 年 5 月 31 日から 6 月 11 日までウガンダのカンパラで開催されたローマ規程検討会議。侵略犯罪に関す
る改正案を審議し、合意を得た。
12
なおクリミア侵攻における詳細な事実関係の認定は、前述(脚注9)した理由から困難である。
13
オステン(2011)、16 頁
5
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すなわち ICC が侵略犯罪に関する管轄権の行使を開始するにあたっては、新しい規定に対す
る 30 か国の批准または受諾が達成され、更にはそれから 1 年経過すること、かつ 2017 年 1
月 1 日以降の別途の決定により管轄権行使が認められた場合に限るとされている。別途の決
定とは ICC 規程 121 条 3 項に基づいて行われ、締約国の 3 分の 2 以上の多数によって採決さ
れれば足りる。いずれにせよ、管轄権の行使は 2017 年以降であることが大前提である。
・結論① クリミア侵攻は 2014 年に発生した事件であり、ICC の時間的管轄権は及ばない。
実体法上の論点
ICC 規程 8 条の 2 によると、「個人の侵略犯罪」と「国家の侵略行為」が明確に区別され
ている。
侵略犯罪とは:「国の政治的又は軍事的行動を実効的に支配又は指揮する地位にある者によ
る行為であって、その性質、重大性及び規模により国際連合憲章の明白な違反を構成する侵
略行為の、計画、準備、開始又は実行をいう」(8 条の 2 第 1 項)
侵略行為とは:「国による他国の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連
合憲章と両立しないその他の方法による武力の行使をいう」(8 条の 2 第 2 項)
⇒個人の侵略犯罪が成立するためには、国家による侵略行為が成立していなければならない。
3-2
・論点② 当該侵攻は国家の侵略行為に該当するか?
○国家の侵略行為
(1)8 条の 2 第 1 項
→侵略行為が国連憲章の『明白』な違反でなければならない。
=違法であることについて国際的なコンセンサスが十分に得られていない、いわゆるグレー
ゾーン(侵略行為として認定されるかに争いがある場合)は排除される。
〇クリミア侵攻は国連憲章の「明白な」違反か?
→国連憲章が紛争の平和的解決を義務付けている以上、武力による現状の変更は許されない。
具体的には、ロシア軍とみられる武装勢力の出現、軍隊の派遣、武装勢力への武器支援は国
連憲章に明白に違反する。
⇔しかしながら、ロシア軍の派遣はヤヌコビッチ政権による要請であり合法であるという見
方。
→ヤヌコビッチ政権は、旧政権であり 2014 年 2 月 22 日以降に事実上の政権交代が果た
されている。
→ウクライナ国際法協会は、軍隊の派遣は要請があったとしてもロシア・ウクライナ間
で結ばれた黒海協定(SOFA)に対する違反であり不法であると主張14。
⇔またロシア軍による人道的介入とする見方。
14
EJIL:Talk!に英語訳(http://www.ejiltalk.org/appeal-from-the-ukrainian-association-ofinternational-law/)、一次資料はウクライナ語(http://jurliga.ligazakon.ua/news/2014/3/2/106371.htm)
(両 HP ともに 2015 年 11 月 20 日)。
6
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→人道的介入の要件である、ロシア系クリミア住民に対する人権侵害が認められない。
(2)8 条の 2 第 2 項
①「国による」
→非伝統的な侵略の形態(民間テロ組織、非国家主体)は含まない。
②「武力の攻撃」
→経済的侵略×、サイバー攻撃×
〇クリミア侵攻は国家によるか?
→3 月 1 日以前の武装勢力はロシア軍である蓋然性が極めて高い
→3 月 1 日以降はロシア軍
〇武力の攻撃か?
→武装勢力、軍隊の派遣による古典的な侵略行為である。
(3)行為類型
「その他の方法」という文言から他の行為類型を導き出さないために、8 条の 2 第 2 項で国
家による侵略行為の 7 類型を例示ではなく限定列挙。
(a)(b)(d)古典的侵略行為
(c)(e)武力(狭義)の行使
(f)(g)「援助」類型
○行為類型を満たすか?
→一国の軍隊が断りなく他国の領土を占領する行為は、古典的侵略行使である。
・結論② クリミア侵攻は ICC 規程上の国家の侵略行為に該当する。
3-3
・論点③ 誰が侵略犯罪の刑責を問われるのか?
○個人の侵略犯罪
2 つの性格
(1)指導者犯罪(第 8 条の 2)
~一種の特別犯ないし身分犯としての特徴
→「国の政治的又は軍事的行動を実効的に支配又は指揮する地位にある者」に限定。
「実効的支配(effective control)」=実効的な権力を持たない国家元首のような名目上の
指導者よりも、実際に国家を支配している指導者に焦点を合わせる15。
(2)個人の刑事責任(第 25 条 3 項の 2)
「一国の政治的又は軍事的行動を実効的に支配又は指揮する地位にある者にのみ適用」
(1)、(2)より
⇒侵略犯罪の主体は実質的には国家の組織を操縦しうるような指導者級の者に限定される。
(論点)
15
久保田(2011)、22 頁
7
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(ⅰ)「指導者」そのものの範囲を如何に限界づけるか?
(ⅱ)その指導者層に属さない者による侵略犯罪への関与をどの程度観念しうるのか?
(ⅰ)
一国の政治および軍の指導者は行為者として明記されている。
→では、産業界又は思想界の指導者もこれに含まれるか?
(ニュルンベルクのグスタフ・クルップとユリウス・シュトライヒャー、東京の大川周明)
・規定上、行為者の「法的地位」(政府の構成員や国家機関としての公的な立場や肩書きな
ど)は必ずしも要求されず、国家や軍の行動に対して実行的支配を行使しうる事実上の地位
を有していれば足りる16。
⇒実質的に国家の意思決定に対して実効的な支配を有している限り、経済界および宗教上の
指導者により惹起された侵略行為も第 8 条の 2 の定義に該当し得る。
(ⅱ)
A.正犯と共犯(第 25 条)
第 25 条 3 項の 2 の「実効的支配」の要件が第 25 条 3 項にも適用される。
→(a)正犯(b)教唆犯(c)幇助犯
(ただし)
・指導者の部下たる官僚やただの一兵卒が幇助犯として侵略犯罪に関与することは、「実効
的支配」の要件が充足されないため不可罰となる17。
B.上官責任(第 28 条)
上官責任が侵略犯罪に適用されることも想定しえない。
→帰責形態の本質とされるのは、部下の犯罪に対する上官の義務違反に基づく不作為責任で
あるが、部下がそもそも「実効的支配」の要件を充たさないため侵略犯罪の行為主体になり
えない以上、上官への責任帰属も不可能18。
C.未遂犯規定(第 25 条 3 項(f))
「国家の侵略行為」と「個人の侵略犯罪」という二重構造
→侵略犯罪の成立にあたっては、国家による侵略行為(武力行使)が実際に行われていなけ
ればならないとされる一方で、それに対する指導者たる個人の関与は未遂の段階、あるいは
計画や準備段階での関与にとどまるものであっても足りる19。
→個人による行為の次元においては、未遂を超えて予備の段階にまで処罰時期がいわば「前
倒し」ないし「早期化」される可能性20。
・結論③ 当該侵攻を実施した時点で政治上又は軍事上「実効的支配」を行っていた者が侵
略犯罪の行為主体となり刑事責任を問われる。ロシアの政治体制を見るに、大統領が国家
元首であり軍の指揮権を有することからプーチン大統領が侵略犯罪の行為主体に該当する
16
17
18
19
20
オステン(2011)、14 頁
同上。
同上。
オステン(2011)、15 頁
同上。
8
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と思われる。また、「指導者」の範囲を確認することで軍の行為に対して実効的支配を及
ぼすことができた他の人物に対しても侵略犯罪が問われることもわかったが、同時に限度
があることも確認ができた。クリミア侵攻におけるロシア軍の作戦系統は現在不明である
ことから、ここでは将来に向けてその可能性を示唆するだけにとどめたい。
3-4
2.手続法上の論点
・論点④ いつ、どのような条件で誰の申し立てで誰に対して管轄権を行使できるのか?
侵略犯罪は他の中核犯罪と比べて管轄権行使の手続が複雑である。
(背景)
管轄権行使の際の国連安全保障理事会(以下、安保理)の役割を巡る各国間の対立
→・安保理の権威を維持せんとする常任理事国(P5)
・ICC の独立性を確保せんとするアフリカ、中南米諸国
管轄権行使の条件
「だれの申し立てによってだれに対して ICC は侵略犯罪の管轄権を行使できるのか」
A.安保理介在型の管轄権モデル21
安保理による事態の付託(ICC 規程第 15 条の 3)
B.関係国合意型の管轄権モデル22
①締約国による付託または②検察官の発意(職権)に基づく捜査開始(同第 15 条の 2)
→2 つの管轄権発動メカニズム
~いずれの場合も安保理の決定には左右されない。
A.
・従来通り、安保理による付託が認められるとともに、安保理付託による場合には非締約国
を含むあらゆる国に対して ICC は侵略犯罪の管轄権を行使しうる。
(留意点)
→安保理が侵略行為を明示的に認定することが前提とされているわけではない。
⇒安保理による侵略行為の認定の有無にかかわりなく、侵略犯罪の事態が安保理から付託さ
れれば ICC は管轄権を行使できる。
B.
・従来通り、締約国付託および検察官発意によるものは認められた。
→安保理による侵略行為の認定がなくとも、すなわち、安保理がことさら関与しなくても、
ICC が管轄権を行使できることになった。
・基本的には非締約国に対する管轄権行使は認められない。
→他の対象犯罪については、非締約国に対しても管轄権が行使される可能性があること
(ICC 規程第 12 条)と比べると一歩後退。
⇒なおこの手続き開始の場合には、予審裁判部(第 15 条の 2 第 8 項)による許可が必要で
ある。
21
22
オステン(2011)、16 頁
同上。
9
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オステンゼミ 9 期ウクライナ班
締約国の場合でも、
・「オプト・アウト宣言」(管轄権の適用除外宣言)
~あらかじめ行うことにより侵略犯罪の管轄権の範囲から離脱することが可能となった。
○なぜ導入されたか?
抜けるための「合意」を求めるというのは、政治的な問題に対処する高度な法的技術。
→121 条 5 項によって改正するか 121 条 4 項を適用するかという根拠条文に関する争い
・後者は改正規程をすべての締約国に一律平等に押し及ぼせる。
・前者は改定規程を受諾したくない国は最初から管轄権の対象に含まれない。
⇒オプト・アウト宣言によって締約国であっても管轄権を除外できる、という妥協による
(いわば固有の創造的な)解決が図られた23。
☆締約国は何もしないままで改正規程を離脱することは認められず、当該締約国による積極
的なオプト・アウト宣言を必要とする(下図参照)
・そもそも最初から侵略犯罪の管轄権を受諾していたのかどうかの問題24。
① ICC 規程 5 条 1 項および同 12 条 1 項によりすでにローマ会議の時点で侵略犯罪の
管轄権についてもすべての締約国があらかじめ管轄権を受諾していると見做して、カン
パラの決議は、このすでに受諾していたはずの、いわば潜在的な管轄権からのオプト・
アウトを認めたにすぎないと解する。
→管轄権はすべての国に「本来備わっている」と解していることになるのであって、オプ
ト・アウトをしていない限り、改正規程を批准していない締約国にも管轄権が及ぶことにな
る。
② 「合意していないはずの」―少なくとも、抽象的に侵略犯罪の管轄権については合
意しているが、具体的な侵略犯罪の内容によっては同意しない(できない)ということ
もありうるはず、あるいは当初は存在していなかった定義内容に先立って合意が認めら
れるのかどうかには疑問の余地があるはずなのに―改正規程が自己の同意の有無にかか
わらず適用されてしまう。
⇒ICC 規程 121 条 5 項 2 文やウィーン条約法条約(同意原則)などとの整合性について疑念
が生じる。
⇒オプト・アウト宣言を通じて締約国が管轄権を除外される可能性があるという点では、締
約国間の関係が―管轄権が行使されうる国とされえない国とが併存するという意味で―複雑
になるおそれがある。
・結論④ 安保理介在型の管轄権行使モデルの場合、当事国であるロシアが安保理の常任理
事国であることを考慮すると拒否権を行使し得るため現実的ではない。また関係国合意型
の管轄権行使モデルの場合、両国とも非締約国であるため 15 条の 2 第 5 項より ICC は管轄
権を行使できない。
23
24
オステン(2011)、18 頁
以下の一段落はオステン(2011)p.18-19 を参考。
10
石津・酒井・千住・増岡
オステンゼミ 9 期ウクライナ班
Victim State has ratified
the amendments
Victim State has
not ratified
Aggressor State has ratified
and not opted out
Jurisdiction: YES
Jurisdiction: YES
Aggressor State has not ratified
and not opted out
Jurisdiction: YES
Jurisdiction: NO
Aggressor State has ratified
and opted out
Jurisdiction: NO
Jurisdiction: NO
Aggressor State has not ratified
and opted out
Jurisdiction: NO
Jurisdiction: NO
http://crimeofaggression.info/role-of-the-icc/conditions-for-action-by-the-icc/より25
第4章
おわりに
ウクライナ問題を国際刑事法的側面から検討するとき、まず重要なのは ICC による今後の
予備調査の結果である。ICC 検事局が予備調査の結果、ウクライナの状況がローマ規程上の
捜査開始の基準を満たしていることを確認できた場合、ICC はローマ規程に基づき、ウクラ
イナ上院による人道に対する犯罪の捜査を開始するであろうことが予想される。捜査の結果
次第ではあるが、国際社会の注目を浴びた治安部隊によるデモ隊を代表とする国民への攻撃
などを考えると、ウクライナ上院の人道に対する犯罪は成立する可能性が高いだろうと考え
られる。ICC はその後、ロシア上院及びテロ組織による人道に対する犯罪及び戦争犯罪につ
いても予備調査を行うだろうが、クリミアを含めたウクライナ東部における調査をロシアが
拒んでいる現状を考慮すると難しい。
2010 年のカンパラ会議によって侵略犯罪に関する管轄権行使の開始時期は早くても 2017
年以降に先延ばしにされたが、そのことによって時間の間隙に位置するクリミア侵攻を裁け
ないのは極めて遺憾である。しかしニュルンベルク・東京両裁判から 60 年以上の長い時を
経てようやく侵略犯罪の明確な法典化が達成されたことは国際刑事法史上に残る重要な成果
である。さらに安保理が大国の拒否権によって機能不全に陥った際にも、オプト・アウトと
いった前提条件はあるものの ICC が「不処罰との闘い」を目指す機関であることがカンパラ
会議で再び証明された。
参考文献
・青山健郎「国際刑事裁判所に関するローマ規程の侵略犯罪に関する改正ーその受諾に関す
る主要論点ー」国際法外交雑誌第 114 巻第 2 号、93-120、2015
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The Global Campaign for Ratification and Implementation of the Kampala Amendments on the Crime of
Aggression (http://crimeofaggression.info/) (最終閲覧日 2015 年 11 月 20 日)より
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石津・酒井・千住・増岡
オステンゼミ 9 期ウクライナ班
・新井京「侵略犯罪」村瀬信也・洪恵子[編]『国際刑事裁判所ー最も重大な国際犯罪を裁く
ー』東信堂、180-226、2014
・久保田隆「国際刑事裁判所規程における『侵略犯罪』の新設ーカンパラ合意をめぐる諸問
題と今後の課題ー」法律学研究 46 号、91-124、2011
・洪恵子「ICC における管轄権の構造」村瀬信也・洪恵子[編]『国際刑事裁判所ー最も重大
な国際犯罪を裁くー』東信堂、41-66、2014
・田中誠「侵略犯罪とは何か」J.S.S.C;学術社団日本安全保障・危機管理学会機関誌
(22)、38-41、2012
・田中誠「国際刑事裁判所規程における『侵略犯罪』の主体―起草過程における議論を中心
として―」防衛大学校紀要、社会科学分冊 106,221-258,2013-03
・フィリップ・オステン「国際刑法の新たな処罰規定―『侵略犯罪』の意義と課題―」刑事
法ジャーナル(27)、9-20、2011
・フィリップ・オステン「『平和に対する罪』を再び裁くこと―国際刑事裁判所における
「侵略犯罪」規定採択の意義」法学セミナ―55(10)、64-67、2010-10
・The Global Campaign for Ratification and Implementation of the Kampala
Amendments on the Crime of Aggression http://crimeofaggression.info/ (2015 年 11
月 15 日最終閲覧)
・ICC 公式ホームページ - Ukraine
https://www.icccpi.int/en_menus/icc/structure%20of%20the%20court/office%20of%20the%20prosecutor/c
omm%20and%20ref/pe-ongoing/ukraine/Pages/ukraine.aspx (2015 年 11 月 15 日最終閲覧)
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石津・酒井・千住・増岡
オステンゼミ 9 期ウクライナ班
参考資料
a) ICC のウクライナに関する発表
On 17 April 2014, the Government of Ukraine lodged a declaration under Article
12(3) of the Rome Statute accepting the jurisdiction of the International criminal
Court (ICC) over alleged crimes committed on its territory from 21 November 2013
to 22 February 2014.
Upon receipt of a referral or a declaration made by a state pursuant to Article
12(3) of the Rome Statute, the Office of the Prosecutor, as a matter of policy,
opens a preliminary examination of the situation at hand. Accordingly, the
Prosecutor of the ICC, Fatou Bensouda, has decided to open a preliminary
examination into the situation in Ukraine in order to establish whether the Rome
Statute criteria for opening an investigation are met.
Specifically, under
Article 53(1) of the Rome Statute, the Prosecutor shall consider issues of
jurisdiction, admissibility and the interests of justice.
(発表班による和訳)
2014 年 4 月 17 日、ウクライナ政府は 2013 年 11 月 21 日から 2014 年 2 月 22 日に生じたと
されるウクライナ領域における犯罪行為に関し、国際刑事裁判所(ICC)の管轄権を認め
るローマ規程第 12 条 3 項に基づく宣言を発表した。
ローマ規程第 12 条 3 項に従って国が作成する宣言もしくは付託の受領をもって、検事局は
速やかに当該状況に対して予備調査を行う方針を定めている。この方針に従いICC検事の
ファトゥー・ベンソーダは、捜査開始に先立ちウクライナの状況がローマ規程上の捜査開始
の基準を満たしているかを確認するための予備調査を行うことを決定した。ローマ規程第
53 条 1 項は検察官は特に管轄権、受容性及び善の利益を考慮するものと規定している。
(出展:ICC 公式ホームページより, https://www.icccpi.int/en_menus/icc/structure%20of%20the%20court/office%20of%20the%20prosecutor/c
omm%20and%20ref/pe-ongoing/ukraine/Pages/ukraine.aspx, 2015 年 11 月 16 日最終閲覧)
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