エフェソ書簡注解 - 日本キリスト教団出版局

NTJ ホームページ掲載 見本原稿
エフェソ書簡注解
山田耕太
1. 始めの挨拶(1:1-2)
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日本キリスト教団出版局 NTJ ホームページ掲載見本原稿─エフェソ書簡 山田耕太(2015.10.15 公開)
1:1–2 注解(1:1)
1. 始めの挨拶(1:1-2)
1 章 1 節後半
この手紙の「受取人」は、フィリピ書(1:1)に倣って、コロサイ書(1:2)
と同様に、聖なる人々である。
「聖なる人々」とは「キリスト・イエスに
あって聖なる人々」(フィリ 1:1)を指すのであり、キリストとの霊的な交わ
りによって清められているので「聖なる人々」と呼ばれる。すなわち、キリ
1. 翻訳
スト教徒を指す(Ⅱコリ 8:4; 9:1、他)。
2. 形態/構造/背景
エフェソ書の「受取人」について「〔エフェソに〕いる」の〔 〕の中の語
3.注解(1 章 1 節前半)
句が、シナイ写本やバチカン写本の本文に欠けており、1931 年に公表され
た現存する最古で最良の 200 年頃のパピルス写本であるチェスター・ビー
上記は公開済み。
ティ写本 P46 でも「エフェソに」は欠けている。この語句がテキストにあっ
たのか、後からの挿入であるのか、オリジナルのテキストについて 16 世紀
のエラスムス、17 世紀のグロティウス、18 世紀のベンゲルの時代から議論
されてきた。今日でも、例えば、聖書協会世界連盟(UBS)第 4 版(1992 年)
のギリシア語テキストで編集委員会は、当該個所についてテキストを定める
のに困難という意味の「C」判定を下している。
「エフェソに」が元来テキストに存在していた場合、
「受取人」の聖なる
人々は〔エフェソに〕いる人々に限定することになる。パウロは、一方では、
初期の手紙では単数や複数の各個教会を念頭に置いて宛てているが(Ⅰテ
サ 1:1; ガラ 1:2)
、宣教の進展に伴い次第に一つの普遍的な「神の教会」を前
提にして、その存在を「∼にある」(Ⅰコリ 1:2; Ⅱコリ 1:1)と限定する。他
方では、普遍的な教会と関連して、「聖なる人々」や「全ての人々」に宛て
て書くと同時に、その存在を「∼にいる」(フィリ 1:1; ロマ 1:7)と限定する。
エフェソ書は、コロサイ書と共に後者の表記に従っている。すなわち「〔エ
フェソに〕いる人々」が「聖なる人々」に掛って、両者で「〔エフェソに〕い
る聖なる人々」という意味になる。
反対に、「エフェソに」がテキストに欠けていた場合、文法上、「ある」
「いる」を意味する eivmi 動詞の分詞形や不定詞を過度に用いた例となる。こ
の用例は、新約聖書に他にも見られる(使 5:7; 13:1; 28:17; ロマ 13:1)。その
場合、翻訳上、この付加された言葉は訳されない。「エフェソに」を欠いた
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1:1–2 注解(1:1, 2)
場合、訳は単に「聖なる人々」となる。ここから 20 世紀前半には、エフェ
1:1–2 解説
替えられて、一つの願いとなる。
ソ書は回状であり(コロ 4:16; ガラ 1:2「諸教会」、参照)、パウロ書簡の槐集に
影響を与えたという説(例、グッドスピード、C.L. ミトン)も出てきた。
すなわちは「そして」とも訳すことができる。パウロはしばしば異なった
4.解説
地域に住む人々(Ⅰコリ 1:1; Ⅱコリ 1:2)、違った役職の人々(フィリ 1:1)、異
平和について
なる個人(フィレ 1-2)に宛てて手紙を書いた。その場合は「そして」と訳す。
現代平和学の創始者のガルトゥングは、「平和」の対概念を「戦争」では
ところがエフェソ書では「聖なる人々」と「信じる人々」は、同じ人々を指
なく「暴力」とし、目に見える直接的暴力と目に見えない構造的暴力という
していると思われる。そこで、ここでは「すなわち」と同格の表現として訳
二つの暴力があるとした。それと呼応して、平和にも「戦争や争いがない状
す。「聖なる人々」とは、信じる人々のことを指すのである。「信じる人々」
態」という否定形で表現される「消極的平和」と「貧困・抑圧・差別から解
とは、
「信頼できる人々」という意味と「何かを信じる人々」の両方の意味
放され人権が保障されている状態」という肯定形で表現される「積極的平
があるが、ここでは後者の意味で用いられている。すなわち、
「キリスト・
和」の二つの平和があると考えた(ヨハン・ガルトゥング『構造的暴力と平和』
イエスを信じる人々」
、言い換えれば「救い主(メシア) はイエスであると
中央大学出版局、1991 年)
。日本国憲法では「消極的平和」は戦争放棄の第 9
信じる人々」である。
条に、「積極的平和」は最低生活を保障する第 25 条と人権を擁護する第 11
条に表明されている。以上の二面を併せもつ「平和」の概念は、旧約聖書の
1章2節
「シャーローム」に由来する。
恵みと平和の挨拶は、ギリシア語の「挨拶する」(cai,rein)をそれと同じ
イエスはマルコ福音書を始めとする福音書伝承では、一方では神の国の訪
語根のキリスト教用語の「恵み」(ca,rij)に置き換え、それにユダヤ教の挨
れを宣教すると同時に、他方では病人を癒して、貧困・抑圧・差別から解放
拶「平和」を組み合わせたものである。
した(マコ 1:38-39; 3:14-15; 6:12-12 他)。マタイ福音書とルカ福音書が共通資
パウロが、挨拶で「恵み」を強調するのは、回心してキリスト教の迫害者
料として用いた Q 文書(Q 文書の章節はルカ福音書の章節を用いる)では、弟
から宣教者に転じたのは神の「恵み」であり(ガラ 1:15)、宣教者としての
子派遣の説教で、イエスに派遣された弟子たちは、神の国の宣教と病人の
歩みも神の「恵み」によること(ロマ 1:5)、また十字架と復活に要約される
癒しを行い、平和をもたらすために派遣されたのであった(Q10:5-6)。また、
福音(Ⅰコリ 15:3-5; ロマ 1:3-4)そのものが恵みであると深く自覚していたこ
イエスは「復讐してはならない」ことを比喩的に示して(Q6:29-30)、「目に
とによる。そこで、手紙の冒頭と結論で首尾一貫して主イエス・キリストの
は目を、歯には歯を」(出 21:24、他)というハンムラピ法典の影響下にあっ
恵みを願い祈る。
たモーセ以来の直接的暴力による同害報復(タリオ)の教えを禁じた。
また、神は愛と平和の神であり(Ⅰテサ 5:23; Ⅱコリ 13:13; フィリ 4:9; ロ
イエス時代のガリラヤ地方では、一方ではイエスの宗教的神の国運動が展
マ 15:33)、福音のもたらす「神の国」は「(義と) 平和と喜び」(ロマ 14:17;
開され、他方ではファリサイ派から生じた政治的神の国運動で、ローマ帝国
15:13)が支配する領域であり、その先取りである「霊の実」は「(愛と)喜
からの独立を目指した熱心党の運動が展開されていた。イエスと熱心党の違
びと平和……」(ガラ 5:22) であるので、手紙の冒頭で、私たちの父なる神
いの第一は、正義のために直接的暴力の使用を認めるか否かであった(マタ
からの平和を願い祈る。
26:52)。第二は、具体的な闘争手段としてローマ帝国への納税の拒否を認め
以上の二つの「恵みと平和」の祝福の挨拶が、
「交差配列」によって並べ
るか否かであった(マコ 12:13-17)。イエスはこれらにおいて徹底した非暴力
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1:1–2 解説
1:1–2 解説
の平和主義者であった。それは 20 世紀のマハトマ・ガンジーのインド独立
スティヌス。キケロ、参照)
。中世のキリスト教世界を経た国々では、非戦論
運動やマルティン・ルーサー・キングの黒人解放運動にも影響を与えた。
は少数派であり、正戦論が多数派である。
パウロとその後継者たちもイエスの絶対的平和主義を受け継いでいること
日本はキリスト教が国教となったことがないので、教会の中ではイエスの
は、書簡の冒頭や結びで「平和の神」からの「平和」の祈りが献げられてい
徹底した平和主義が多数派を占めてきた。しかし、日本が軍国主義に傾いて
ることにも見られる。パウロとその後継者らは、キリスト教の宣教を比喩
行くに従い、とりわけ戦時中は国家総動員体制・翼賛体制に絡め取られて、
的に「平和部隊」の活動として理解していた。宣教を「戦い」(Ⅱコリ 10:3-
教会員も大多数は戦争に協力していった。しかし、極めて少数であったが、
4、他)の比喩で述べ、同労者を「戦友」(フィレ 2; フィリ 2:25)と呼び、獄に
絶対的平和主義を貫いた人々もいた。例えば、内村鑑三は日清戦争では正戦
捕えられると「捕虜」(直訳、新共同訳「捕われの身」「捕われている」、フィレ
論の立場であったが、正義のための戦争がないことを確信して、日露戦争で
23; ロマ 16:6; コロ 4:10)という隠喩を用いた。指導者は「キリスト・イエス
は非戦論の立場に転じた。その後、内村の非戦論を継承した柏木義円や、天
のよい(直訳、新共同訳「立派な」)兵士」(Ⅱテモ 2:3)とも呼ばれた。また、
皇崇拝を拒んで投獄され、獄中で虐殺されたホーリネスの牧師らもいた。戦
宣教者をローマ軍の兵士との比較で語る(エフェ 6:10-18)。積極的平和に関
後の 1967 年になって、鈴木正久らは戦争に加担したことを悔い改めて、近
して、パウロは福音宣教と同時に、エルサレムの貧者を支援するために募
隣諸国に謝罪する「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告
金活動を展開していた(ガラ 2:10; Ⅰコリ 16:1-4; Ⅱコリ 8-9 章 ; ロマ 15:25-28)。
白」を出し、その後も様々な形の戦争責任告白が諸教会より出されている。
それはユダヤ人と異邦人の一致のためでもあった(ロマ 15:27)。
エフェソ書では、イエスやパウロの時代と同様に、ローマ帝国の圧倒的
な軍事力による「ローマの平和」(Pax Romana)と呼ばれる戦争や内戦のな
い時代を背景にして、
「ローマの平和」とは対照的なキリストの「平和の福
音」
(2:17; 6:15)が語られる。そこでは「平和」
(2:14, 15, 17; 4:3)について、
第一に、神と人間が和解する「平和」が語られる(エフェ 2:14-18; ロマ 5:1;
Ⅱコリ 5:18-19)。第二に、それに基づいてローマ書の「ユダヤ人と異邦人
の一致」(例、ゲルト・タイセン)という人種や民族を越えた「平和」のテー
マが展開される(エフェ 2:11-13, 19-22; 3:1-4:16)。エフェソ書に限らず、イエ
スやパウロやパウロの後継者らが「平和」について語るのは、それが「神の
国」の到来と関連した「救い」に繫がることだからである。
初期キリスト教では、イエスの徹底した平和主義が貫かれていた。その
典型的な例として、兵士は除隊しない限りキリスト教徒になれなかった(例、
テルトゥリアヌス、オリゲネス)
。ところが、313 年のコンスタンティヌス帝
による国教化以後、戦争と平和に関して二つのキリスト教の立場が出現した。
イエス以来の絶対的平和主義を貫く非戦論の立場と、国家を守るために正義
を大義として戦争を認める正戦論の立場である(例、アンブロシウス、アウグ
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