社会 19 NO. 〈解答〉 1 1 地頭(漢字2字) 2 ア→エ→イ→ウ(完答) 3 ア 4 〔例〕 ①:足利義政 ②:応仁 5 ①:B ②:A ③:A 6 武家諸法度 配点 12 2点 他は各1点 10点満点 〈解説〉 1 1 鎌倉時代には,農民は荘園領主に年貢を納めていたが,地頭が置かれた荘園では,荘園 領主とは別に地頭が農民を支配しようとすることも多く,農民が荘園領主と地頭の二重 の支配に苦しめられる場合もあった。このような中で,農民が団結し,地頭の圧政を荘園 領主に訴えるなどの動きも見られた。 2 アの承久の乱がおこったのは 1221年,イの元の軍の襲来は 1274年と 1281年,ウの永 仁の徳政令が出されたのは 1297年,エの御成敗式目(貞永式目)が制定されたのは 1232 年のことである。 3 勘合貿易は,室町幕府の3代将軍足利義満によって明との間で始められた貿易であり, 1図は,このころ足利義満によって京都の北山に建てられた金閣である。イの銀閣は室 町幕府の8代将軍足利義政が京都の東山に建てた。ウの平等院鳳凰堂とエの中尊寺金色 堂は,いずれも平安時代に建てられた阿弥陀堂で,平等院鳳凰堂は藤原頼通が現在の京都 府の宇治に,中尊寺金色堂は奥州藤原氏が現在の岩手県の平泉に建てた。 4 応仁の乱は,足利義政のあとつぎ問題に,有力な守護大名であった細川氏と山名氏の対 立が結びついて 1467年に始まり,11年もの間続いた。この乱をきっかけに室町幕府の支 配力はおとろえ,戦国時代が始まることとなった。 5 ①について,豊臣秀吉は,農民が一揆をおこすのを防ぎ,農民を耕作に専念させる目的 で刀狩を実施した。②について,楽市・楽座は,商工業者の同業者の団体である座の独占 権を取り上げるとともに,市場の税を免除して自由な営業を認め,商工業の発展をはかっ た政策である。③について,織田信長は,比叡山や一向宗など抵抗する仏教勢力に対して 弾圧を加える一方,キリスト教は保護し,宣教師が城下で学校をつくることなどを認めた。 6 武家諸法度は,江戸幕府2代将軍徳川秀忠のときの 1615年に初めて出され,その後た びたび改定された。3代将軍徳川家光のときには,大名を1年おきに江戸と領地に住ま わせる参勤交代の制度が武家諸法度に追加される形で制度化された。
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