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講
話
内
容
第1回
維新と佐土原
~歴史の転換期に活躍した人々~
幕末から明治維新にかけて、佐土原藩もまた歴史転換の大きなうねりに飲み込まれていきま
す。その中で、佐土原藩は薩摩藩と共に、倒幕に大きく貢献する一方、海外に8名もの留学生を
派遣しているのです。
3万石にも満たない小藩が、どのようにしてこの大事業を為しえたのか、郷土の先人たちは、
この激動の時代をどう乗り越えていったのでしょうか。
第2回 討幕と佐土原隊
~成績抜群の功績を上げた佐土原藩~
慶応3年、長州征伐に失敗した徳川幕府は大政奉還を行いますが、朝廷方は徳川家の無力化を
図って王政復古の大号令を発し、同時に慶喜の辞官・納地を命ずることを決定します。そして、
ついに翌年1月、旧幕府軍と薩長を中心とする新政府軍が衝突することになるのです。
この鳥羽・伏見の戦いに端を発する戊辰戦争で、佐土原隊は新政府軍として大きな功績を残し
ています。その戦いの状況を覗いてみましょう。
第3回
広瀬転城そして廃藩置県
~時代の激流に苦しむ人々~
幕藩体制を崩壊させて天皇制統一国家を形成し、封建社会から資本主義社会への移行の出発
点となった明治維新で、官軍の一翼を担った佐土原藩は戊辰戦争で多数の犠牲者を出しました
が、その功績は見事なものでした。
しかし、明治新政府の下、新しい体制への脱皮には、佐土原藩にも多くの困難が待ち受けてい
ました。このような中で、郷土の先人達は、この変革の波にどう対応していったのでしょうか。
第4回
島津啓次郎と西南の役
~城山に散った少壮気鋭の俊秀~
明治の当初に、2万7千石の小藩佐土原が、8人もの留学生をアメリカに派遣したことは、当時
の驚きであり、また思い切った決断でした。島津啓次郎もその中の一人で、明治3年に渡航して、
14歳の時から6年間、アメリカの諸都市に留学して帰国します。
しかし、その翌年に勃発した西南戦争に参戦し、西郷と共に城山で戦死してしまうのです。勝海
舟に見込まれ、少壮気鋭にして衆望を集めた啓次郎の早世は、多くの人々に惜しまれているので
す。