№ 一 揆 事 柄 1 (徳政一揆) 近江の馬借の蜂起を契機に、山城から畿内

№
一
揆
事
柄
1 正長の土一揆(徳政一揆) 近江の馬借の蜂起を契機に、山城から畿内一円に波及
正 長 元 年 ( 1428 )8 月
酒屋・土倉・寺院などを破却、私徳政を発して幕府と抗争
[将軍:不在]
「 日 本 開 闢 以 来 土 民 蜂 起 是 れ 初 め 也 」『 大 乗 院 日 記 目 録 』
2 播磨の土一揆
永 享 元 年 ( 1429 )1 月
[将軍:不在]
播磨1国の土民が蜂起←守護赤松満祐が鎮圧
「 侍 ヲ シ テ 国 中 ニ 在 ラ シ ム ベ カ ラ ズ 」『 薩 戒 記 』
3 嘉吉の土一揆(徳政一揆) 「代始めの徳政」を要求して京都で発生
嘉 吉 元 年 ( 1441 )8 月
「天下一同の蜂起」要求→一国平均の徳政令を発布『権内記』
[将軍:足利義勝]
4 享徳の土一揆
享 徳 3 年 ( 1454 ) 10 月
[将軍:足利義政]
土一揆の発生によって、幕府は分一徳政令(債権の破棄を認知、その
代わりに債権の1割を幕府に納めさせる)を発布、同時に徳政禁制令
(債権者が債権額の何割かを納入すれば徳政から除外する)も実施
『東寺執行日記』
5 長禄の土一揆
長 禄 元 年 ( 1457 ) 11 月
[将軍:足利義政]
京都の東寺に立てこもる、細川氏ら守護大名の軍も鎮圧できず
→分一徳政禁止令発布
6 山城の国一揆
文 明 17 年 ( 1485 ) 12 月
[将軍:足利義尚]
南山城の国人・土民らが両畠山軍の退陣・寺社本所領の還付・新関の
廃 止 な ど の 要 求 を 貫 徹 、 宇 治 平 等 院 で 国 中 掟 法 を 制 定 、 36 人 の 月 行
事 が 8 年 間 南 山 城 を 支 配 → 1493 年 に 瓦 解
『大乗院寺社雑事記』
7 加賀の一向一揆
長 享 2 年 ( 1488 )6 月
[将軍:足利義尚]
1474 年 ― 加 賀 の 一 向 宗 徒 が 富 樫 政 親 と 結 ん で 弟 富 樫 幸 千 代 を 破 る
1488 年 ― 守 護 富 樫 政 親 を 自 殺 さ せ る
約 100 年 間 、 国 人 ・ 坊 主 ・ 農 民 の 寄 合 が 加 賀 1 国 を 支 配
1580 年 ― 石 山 本 願 寺 一 揆 の 降 伏
8 近江の一向一揆
初 見 は 1465 年 、 浅 井 氏 の 軍 事 力 の 一 翼 と な る
→浅井氏滅亡によって信長に制圧
9 長島の一向一揆
伊 勢 長 島 一 帯 の 本 願 寺 門 徒 が 11 世 紀 法 主 顕 如( 光 佐 )の 命 で 蜂 起 し 、
信 長 勢 力 を 攻 撃 、 1571 ・ 73 ・ 74 年 の 3 回 の 信 長 軍 の 攻 撃 で 鎮 圧
10 越 前 の 一 向 一 揆
朝 倉 氏 滅 亡 後 、 信 長 の 支 配 の 隙 を つ い て 1574 年 一 向 一 揆 が 加 賀 の 一
揆の支配を得て越前を支配、翌年長篠合戦を終えた信長は大軍を率い
て越前に向かい、一揆を鎮定
11 根 来 ・ 雑 賀 一 揆
紀伊根来寺(真言宗)の僧兵と雑賀の一向一揆、いずれも信長・秀吉
に 激 し く 抵 抗 → 1585 年 、 秀 吉 に よ り 鎮 圧
12 検 地 反 対 一 揆
太閤検地により領主としての権限を失う国人層を中心に、新領主に対
して各地で一揆が発生
1587 年 ― 肥 後 の 一 揆
1590 年 ― 陸 奥 の 大 崎 ・ 葛 西 の 一 揆