蔵田周忠の思想とその実践としての「型而工房」要約 本論の目的は建築

蔵田周忠の思想とその実践としての「型而工房」要約
本論の目的は建築家、著述家、教育者、研究者(民家研究や建築史、など)批評
家など多様な活動をした蔵田周忠を対象とし、その思想・活動、影響、周囲との差
異を見ることで、様々な個々の事象からでは見えてこない住環境の変化に関わる問
題–椅子座の受容−を浮き彫りにすることである。
日本は明治期からの西欧文化受容や合理化の思想が表れるまで、畳を用いた床座
式の生活を多くの人々が当然のように送っていた。その社会的な大きな流れともな
った変革–椅子座式の生活−は、2 度の大戦を経て、高度経済成長期という隆盛をみ
た後、現在は何事もなかったかのように椅子座式の生活と床座式の生活を個々人が
選択する要素にまで変化させ、人々は当然のように暮らしでいる。しかし大正・昭
和初期に生活改善や住宅改善が叫ばれた当時は、理想と現実の差に多くの人々が戸
惑い、挑戦し、そしてはっきりとして解決を見ないまま時代に流されていた。
このような時代に生きた蔵田周忠の思想・行動から社会や生活・暮らしへの認識、
そこから生まれる住宅や家具への先進性を明らかにすることは、日本の住環境の歴
史に新たな一面を見出す事となる。それはデザインという言葉の定義すら行われな
いまま、従来とは異なる文化を受け入れていた、椅子座式の家具・生活の受容に対
する新見地となる。
構成は蔵田の活動期の歴史的背景の確認を第一章にて行い、第二章で蔵田の著作
の分析から、その思想の独自性を探る。そして第三章にてその実践として「型而工
房」を取り上げ、その作品の持つ意味、そして同時代の他の運動との関係を比較・
検討おこなう。これにより第一章で明らかにした蔵田の思想との関係性が明らかに
なり蔵田の思想とその実践としての「型而工房」の活動とに新たな評価を与える事
ができる。
蔵田の体系だった著作として3冊を取り上げ、比較分析を行なった結果は、「日
常生活」に要点があるということである。建築史の著述、つまり歴史的な事実とし
ての建築様式の紹介・解説を目的として書かれた著作から見える蔵田の一定した評
価はモリスに始まる近代工芸に対してであった。そのなかでも、工房としての機能
を確立してウィーン工房とそれを社会へ組み込み教育機関として実験的要素も持
ち得たバウハウスに対しての評価を変わらず持ち続けていた。それは工芸が住宅と
いう建築と人々の生活・暮らしとを結びつけることができる力を持っていると確信
していたからである。
そしてその工芸を使った「日常生活」に対する実際の活動として「型而工房」の
作品と他の運動との比較から判明した、この団体の独自性は椅子座式家具の販売対
象として女性を選び、その販売媒体としての「婦人雑誌」上での女性に向けての直
接的な啓蒙活動、そしてその実現に向けての作品 −商品−に畳摺を標準装備として付
けたという一連の流れにある。畳摺を付けることで、畳の部屋での椅子座式の生活
を可能にする家具を、女性を読者とする雑誌で販売するということは、従来男性の
領域で先行していた椅子座式の生活を、女性がその領域とする畳の部屋、つまり接
客としての「公」の領域ではなく、家族が日常を送る「私」の領域へ椅子座式の生
活をもたらす可能性を明確にもった行動だったといえる。当時の生活改善の流れを
見てみると、この当たり前とも思える、生活をよりよくする為の椅子座と、それを
可能にする椅子座式の家具と、それを使用する人々への啓蒙と販売という繋がりを
持ち得た運動は数少なく、蔵田が確信した工芸−家具−による変革に限れば「型而工
房」以外にはない。それは「安い家具を丈夫にそして実際に役に立つように合理的
にして、それを大量生産でつくり、大衆に使って貰う」ことを目的としたからであ
るが、その根底には建築や工芸の理論や思想などに埋没するのではなく、日常の生
活に対する視点を常に持ち続けた蔵田の存在があったからだといえる。
唯一残念なことは「型而工房」の活動が自身達の生活を支えるすべとなり得なか
った、またそのことを目的に入れていなかったことである。この視点は当時の百貨
店が、その販売対象を大衆–この頃台頭してきた新中間層といわれる都市への急激
な流入者たち–としていたこととの理由の違いとして表われている。初期の百貨店
の多くは呉服商から発展したものであるが、その発展が様々なものを揃え、売るこ
とによる百貨店化に支えられているということは、つまりその目的は当然のことな
がらものを売り、利益を得ることにあったが、そのことが「型而工房」にはなかっ
た視点として挙げられる。販売対象として、同じ大衆を設定していたにもかかわら
ず、その目的が家具を売ることではなく、家具を使うことで生活に変化をもたらす
ことであった「型而工房」に、百貨店のような、活動・団体を存続させるための思
索・方法を探ることが必要であったといえる。
以上のように蔵田周忠の「日常生活」を根底に持った思想と、住宅と工芸の関係と
を、実現可能な具体的な運動とした「型而工房」はその具体性と可能性とにおいて
評価されるべきである。