こはまクラブ - 東日本ハウス

第2号
2014.12
物言わぬ空気を受け取る力
「物言わぬ空気というものがあるんだなぁ」と思った。その部屋の空気は何も語らないけれど、その中に身を置い
ただけで、気持ちが張り詰めた。 67年前のまま時間が止まっている。特攻隊に志願した、あるいは志願させられた
若者たちが、唯一くつろげた部屋だ。
鳥濱トメさんは、鹿児島県知覧町で食堂を営んでいた。 もし戦争がなかったら、もし福岡の大刀洗飛行学校の分
教場が知覧ではなく他の町だったら、きっと普通の食堂のおばちゃんで人生を終えていたに違いない。
分教場ができ、たくさんの少年飛行訓練性が全国から知覧にやってきた。 トメさんの食堂は少年たちで賑わうよ
うになった。 親元から離れて暮らす童顔の子たちを、当時40代だったトメさんは我が子のように可愛がった。
時代はすでに戦争という暗雲に包まれていた。やがて特攻作戦が布かれ、訓練生は、特攻兵として食堂に訪れる
ようになる。「少しでもくつろげる場所を」と、トメさんは食堂の離れに家を借り、特攻隊員の憩いの場所にした。
特攻兵の生き残りの人が、後にこう語っている。「そこは軍の息がかかっていいなかったので、人間らしく過ごせ
ました」
その部屋は、戦後、富屋旅館の一室になった。トメさんは遺言のように、「この部屋はこのままの状態で残して」と
身内に伝えていた。「戦争を体験した人たちが、いつかこの世からいなくなる日がくる。 そのとき、『もの言わぬ空
気』がものを言う時代が来るから」と。
トメさんは、平成4年、89歳で亡くなるまで「平成の語り部」として特攻兵の想いを語ってきた。 現在は、富屋旅
館の女将・鳥濱初代さんが語り部となり、トメさんの想いを語り継いでいる。
終戦直後のことだろうか、一人の青年が「何か食べ物を分けて欲しい」と富屋食堂にやってきた。 食べ物がない
時代だった。 トメさんが少しばかりの食料を分けてあげると、青年は「今このご時世に何の役にも立ちませんが、
僕の気持ちです」と言って、お礼に本を2冊差し出した。 その本が今も旅館に展示してある。
トメさんはその本を初代さんに見せながら、こう言った。
「役に立つとか立たないではないんだよ。大事なことは相手を思う心だよ。 これを伝えていかなければならない
んだよ」
お互いがお互いを思う気持ち、これをトメさんは「思い合い」と言った。「思いやり」は、片方が高い所に立ってい
て、そこから弱い人、貧しい人に思いを施すという印象があるが、「思い合い」は、双方が相手を思い合って初めて
成り立つものだ。
「相手を思い合う心があれば、些細なもめごとや争いなど起きない。 ましてやそれが戦争に発展することはない。
思い合うことの大切さを伝えていって欲しい」
特に、トメさんが口を酸っぱくして言っていたのは、「伝え間違ってはいけないよ」ということだった。 トメさんは
知っていたのだ。 間違って伝わると、「あの子たち」が浮かばれないことを。
直接、特攻隊員と触れ合い、語り合ったトメさん、彼らの印象を一言でこう語っていたそうだ。 「あの子たちは
とっても優しかたった。神様、仏様みたいだった」
思い合う心があれば、こんなふうに思えるんだなと思った。
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