邪馬台国は北九州甘木市付近にあった

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第 4回公開シンポジウム「人文科学とデータベース」
邪馬台国は北九州甘木市付近にあった
安本美典
(産能大学教授)
川崎市宮前区けやき平 1-20-103
卑弥呼の園、邪馬台国はどこにあったか。私は北九州の甘木市付近にあったと考える。以
下にその理由を述べる。
古代の天皇の平均在年数は、約 10年
『三国志』の『貌志倭人伝』は、 238年(景初 2年。これは 239年、景初 3年の誤写
または誤刻とする説が有力)ごろに、女王卑弥呼の使が貌に貢献したと記している。
238年ごろといえば、わが国のどの天皇の時代なのだろうか。
わが国の古代のことを記した文献としては『古事記』と『日本書紀』とがある。
『古事記』本文は、各天皇の即位などの事件のあった年月日を記していない。どの天皇の
つぎに、どの天皇が立ったかを記しているだけである。
『日本書紀』は、神武天皇以下歴代の天皇の記事において、即位をはじめとする種々の事
件のおきた年月日を記している。しかし、『日本書紀』の年月日の数字は、たとえば、神武
天皇が 127歳まで生きたとし、孝安天皇の在位期間を 102年とするなど、信頼できな
し
、
。
『古事記』と『日本書紀』とでは、年紀や個々の事実などについては、かなりくいちがい
がある。しかし、天皇の代の数については完全に一致している。
また天皇の代の数は、天皇の年齢や治世年数のような、それ自体とじての不合理さをふく
んでいない。年紀や天皇の年齢などは、記憶に残りにくい面があると思われる。それにく
らべるならば、ある天皇にあたる人物が存在したという事実は、より記憶に残りやすいだ
ろう。天皇の代の数は、年紀などよりも、はるかに信頼できる所伝であると思われる。
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第 4回 公 開 シ ン ポ ジ ウ ム 「 人 文 科 学 と デ ー タ ベ ー ス 」
そこで、私は、天皇の代の数(系譜)によって、個々の天皇の活躍の時期を推定してみた。
即位、退位の時期などを、歴史的な事実として信頼できるのは、第 31代用明天皇ごろか
ら以後である。用明天皇からあとの天皇の在位年数などは、『古事記』と『日本書紀』とで
も一致している。(異なっている場合でも、 1年である。)
いま 400年ごとにまとめ、天皇の平均在位年数を算出してみると図 1のようになる。こ
れでみれば、確実な歴史時代にはいってからは、時代をさかのぼるにつれ、天皇の平均在
位年数は、短くなっていることがわかる。
実年代がはっきりしている古代の諸天皇は、データが確実で、しかも知られるかぎりの古
い時代では、天皇の平均在位年数は、約 10年で安定している。
そこで、この平均在位年数を用いて『古事記』『日本書紀』の天皇の代の数をもとに、推計
学的な方法で、推定の誤差計算をおこないながら、邪馬台国の女王卑弥呼の活躍していた
3世紀の初頭は、わが国の史料に記されているだれの時期にあたるかを、推定してみる。
すると、かりに記紀のったえる古代の天皇のすべての実在を信じたとしても、神武天皇の
時代は、卑弥呼の時代にとどかず、邪馬台国の時代は、神話時代にあたり、大和朝廷はま
だ成立していなかったことになる。
卑弥呼については、これまで『日本書紀』の記すように神功皇后とする説、穫と殖とする説
(内藤湖南説)、選逸話自官桑鷲とする説(笠井新也説)などがあった。
しかし、神功皇后、倭姫、倭遮漣日百襲姫の活躍の時期は、卑弥呼の活躍した時期とまっ
たく重ならない。いずれも、卑弥呼から 100年ないし 150年ていどあとの人となる。
卑弥呼の時期と重なるのは、神功皇后より 5代まえの笑議実績稀ただ 1人である。
女王が皇祖神である理由
天照大御神と卑弥呼とでは、活躍の時期ばかりでなく、つぎのような点も、よく一致する
ように思える。
(1)天照大御神も卑弥呼も、ともに女性である。
(2)ともに宗教的権威をそなえている。
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1-4世紀
9-12
世紀
17-20
世紀
5-8世紀
13-16世紀
図 1 世紀別天皇平均在位年数
-3
世紀
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(3)ともに夫をもたなかったようである。
(4)卑弥呼には、弟がいたことになっている。天照大御神にも
蚕を乏嘉の布、万議のう告とという弟がいる。
(5)『古事記』には、「天照大御神、首殺事二柱の神の命をもちて j などの記述が
しばしば見られ高木神は、天照大御神といっしょに、しばしば命令を下した
りなどしている。『貌志倭人伝』の、女王のことばを伝えるために出入りし
ている 1人の男と、高木神とが符合するように思われる。
(6)貌の天子は、卑弥呼に「親貌倭王」の称号を与えている。卑弥呼は「倭j の
女王であった。いっぽう『古事記』には、神武天皇を箱鈴域右前誌と呼
んだように、「倭」の文字がしばしばあらわれる。のちの時代、大和朝廷こそ
f
倭」で、あった。したがって、卑弥呼にあてる人物は、『古事記』『日本書紀』
に記されている大和朝廷の関係者のなかから求めるべきであろう。とすれば、
その関係者のなかで、まず時代の合致する人が卑弥呼であると考えるのが、
自然であるように思われる。
以上のほか、天照大御神は大和朝廷の皇祖神であり、卑弥呼は邪馬台国の女王であるが、
この大和と邪馬台国の音が類似していること、卑弥呼の宗女、 ~4にあたる人物をわが国
の史料に求めうること、卑弥呼の死後の争乱にあたると思われる記述が『古事記』にある
ことなど、いくつかの点でも符合する。
『古事記』神話の舞台は九州と山陰
事跡や年代のうえで、卑弥呼と天照大御神とが重なりあうとすれば、天照大御神が活躍し
ていたと『古事記』『日本書紀』の伝える「高天の原」こそが、邪馬台国のことを、神話的
に伝えたものであることになる。
『貌志倭人伝』と『古事記』『日本書紀』の記述との 2つの鍵をあわせ用いるばあい、卑弥
呼のいた場所は、ほぼ決定できるように思われる。中国がわの記述と日本文献とは、割符
となって、 1つの歴史事実を語っているようである。
以下の分析において、私は、テキストとして『古事記』のほうをおもにもちいる。それは、
『古事記』のほうが、『日本書紀』よりも、より古い伝えをとどめているように思われるこ
とと、政治的な作為がすくないと考えられることなどのためである。
しかし、『日本書紀』を用いて分析をおこなっても、『古事記』と、ほぼおなじ結論に達す
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るものと思われる。
さて、『古事記』神話(正確には、『古事記』上巻におさめられている説話)のおもな舞台
は、どこであろうか。それを定める手がかりをうるため、まず『古事記』上巻にあらわれ
る地名の統計をとってみる。
統計した地名を、 927年にできた『延喜式』の行政区分を一応の基準として分類すれば、
図 2のようになる。図 2において、カッコ内は、説明と前みである。たとえば「踏諺j と
いう地名があらわれたばあい、胸形は筑前の国に属するので、西海道(九州地方)の地名
がーっとして統計されている。統計の結果を整理すれば、図 2のようになる。
図 2をみれば、『古事記』神話のおもな舞台は、九州!と山陰であることがわかる。
九州の地名は、畿内の地名の 3倍以上もでてくる。もし、津田左右吉らが説くように、『古
事記』の神話などは、大和朝廷の役人たちが、大和朝廷の権威をたかめるために、机上で
述作したものであるならば、畿内の地名が、もっとも多くあらわれてもよさそうなもので
ある。しかし、事実は、そうなっていない。
『古事記』『日本書紀』の神話は、大和朝廷の祖先たちがいた場所を、おぼろげな形で伝え
ているとみたほうがよいのではなかろうか。そして、その場所は、九州|方面である。
『高天の原j を思わせる地は、筑前の国の夜須郡
天照大御神の都した高天の原について考えてみよう。高天の原は、九州にあったと考えら
れる。では、天照大御神が直接住んでいたのは、九州のどこであろうか。
それを定めるために、『古事記』上巻に記されている高天の原の環境を整理してみよう。
(1)高天の原には、「天の安の河」が流れている。その河原に、多くの神々が
集まって、会議を開くことができた。すなわち、「天の安の河J はそれほ
ど小さな t
可ではない。
あぜ
みぞ
(2)田があり、田には畦があり、溝がひかれていた。天照大御神が、その田の
おほにへ
との
新穂を召しあがる祭殿(大嘗を聞こしめす殿)もあった。また、天の安の
まな
河のほとりには、「天の真名井J とよばれる井戸があり、馬(天の斑馬)
や鶏もいた。すなわち、あるていどの平地がひらけていた。
(3)高天の原には、天の安の河上に、「天の岩屋 J があった。また天の安の河
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まがね
上から、堅い石(堅石)や、鉄(天の金山の鉄)をとってくることがで
いわ〈 ら
きた。 さらに、「天の岩位J (高天の原なる岩石の御座)ということばもあ
らわれる。すなわち、天の安の河の河上には、岩石のある山があった。ま
た、高天の原には、堅い地面(壁庭)があった。
このように高天の原はいちじるしく地上的特徴をもっている。これらの条件をみたす場所
を九州に求めることができるだろうか。
「高天の原」の性質を示した( 1)から( 3)で、まず手がかりになりうると思われるの
は、「天の安の河Jである。なぜなら、これはあきらかに固有名詞であり、しかも、かなり
大きいと思われる河の名だからである。そして、のちに述べるように、地名は年月の経過
にも耐えて、ほとんど昔の地名のままに残ることがきわめて多いからである。
では、九州に「ヤス」とよばれる河、または、河のほとりの地名で「ヤス」とよばれると
ころがあるだろうか。
地図をひらいてみよう。たしかに、北九州の中央部、福岡県朝倉郡に註袋町とよばれる町
がある。甘木市の近くである。そして、この地はさきの( 1)から( 3)までの条件を、
かなりみたしているようである。
夜須町のすぐ近くを筑後川の支流が走っている。川の下流に向けて平野がひろがり、筑紫
平野につながっている。夜須町は、北九州のほぼ中央の位置をしめる。川の上流には、山々
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J(
安)1)という J
II
も流れているのである。
がならぶ。そして、「夜須)I
「夜須J
II
」の f
夜須Jは、『日本書紀』の「神功皇后紀Jや『万葉集』に「安」と記されて
いる。また、『延喜式』にも、筑前の国夜須郡としてみえているから、かなり古くからの地
名であることはたしかである。夜須町の「夜須Jは古くは一般に「安J と書かれ、おそら
くは、元明朝の和銅 6年( 713)の、「郡郷の名(地名)は、今後、好ましい漢字 2字で
表記せよ。」のいわゆる『風土記』撰進の勅以後、「夜須J と書かれるようになったのであ
I (甘木川)は、夜須川ともよばれる。
ろう。甘木市を流れる筑後川の支流、小石原J
吉田東伍は、その著『大日本地名辞書』(富山房)のなかで、つぎのように述べている。
「小石原、小石原村という。秋月の東 4里 (16
m
キロ)、両豊(豊前、豊後)のJ.w~第に接
近し、査室 の渡りである。この川の一名を小石原という。秋月に至り、南方に折れ、甘
木を過ぎ、ついに筑後川に入る。長さ 9里( 36キロ) 。」
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明治初期に、福岡県が編集した『福岡県地理全誌』でも「夜須J
1J と記されている。
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.
1954年に、朝倉郡の 2町(甘木・秋月)、 8村(妾?!?・上秋月・笠浩.主会ぷ.益
縫議・福田・為品)が合併して、市制をしき、甘木市となるまで、安川村があった。「安川|
、 1889年(明治 22年)の町村合併により、それまでの、長谷山村・千手村・
村J は
甘水村・楢原村・隈江村・下淵村・持丸村の 7村が合併して成立した。 f
安川村」の名は、
1Jに由来する。『明治 22年町村合併調書』(福岡県資料第 2輯)には、つぎのよ
「夜須J
うにある。
II
)という村名は、人々の希望するところで、合併村の中央を流れ、村内
「安川(小石原J
過半その川を引き、用水とする。よって安川村と改称する。」
これでみると、「夜須J
II
Jまたは「安J
II
J とも書かれたことがわかる。
香山も存在している
『古事記』神話のおもな舞台が九州であり、その九州|に、現在も『古事記』神話に名のみ
える「安)I
J
I と同じ名の川が流れており、「ヤス j の地名が残っている。ふしぎなことでは
なかろうか。
J によって、ふしぎの第 1の扉がひらかれる
しかし、ふしぎは、それだけではない。「安)1I
とすれば、「香山 J によって、ふしぎの第 2の扉がひらかれる。
日本神話には、「笑♂吾首 J (『古事記』『日本書紀』では、香具山は、「香山」と記されてい
る)という地名が、何度かあらわれる。この「天の香山 Jは、大和の「天の香山」のこと
であると、考えている人が多い。
しかし、「香山」という山は、夜須町や甘木市の近くにもある。日本神話にあらわれる「香
山」は、九州|の「香山」をさしている可能性もある。いや、神話の舞台が、おもに九州で
あることを考えれば、神話にあらわれる「香山 Jは、むしろ、九州の f
香山 j をさすとみ
るべきであろう。
こうやま
夜須町や甘木市の東南にある香山は、現在、高山と書かれることが多い。しかし、昔は、「香
山」と記した。江戸時代前期の儒者、貝原益軒が、元禄 16年( 1703)に編集した『筑
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前国続風土記』には、「志波村の香山」と記されている。戦国時代に、香山に、秋月氏の出
城があった。天正 9年( 1581)のころ、秋月種実が大友氏との戦いにおいて、 800
0余人で「香山 Jに陣取ったことなどが、『筑前国続風土記』に記されている。香山には、
現在、「香山城祉J の碑がたっている。
また、大和の天の香具山も、昔、「高山 Jと書かれたこともあることは、『万葉集』の「嵩苫
J
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t
i
i
'
iしと Jの歌によって知ることができる。
(香山)は鼠
さらに、『筑前国続風土記』によれば、北九州の香山(高山)のある旧志波村の付近は、ふ
るくは、「ぎ請の里」とよばれていた。いっぽう、畿内の天の香山は、『延喜式』に十市郡
にあると記されていることからわかるように、ふるくは、「ギ育郡j (
fとほち Jの読みは、
『延喜式』による)に属していた。そして、『和名抄』にみえる「美濃国本巣郡遠市郡j が
、
藤原宮出土の木簡では、「三野国本須郡十市・・・ J となっている例がある。古代において
は、「遠市j と「十市」の音は、等しかったか、または、きわめて近かったと考えられる。
九州でも畿内でも、「遠市」または「十市」と呼ばれる場所に、「香山 J という山がある。
これも、ふしぎなことではなかろうか。
地名は時の流れにも摩滅せず、きわめて残りやすいものである。
927年にできた『延喜式』の巻の第 22をみれば、九州地方(西海道)の郡の名として、
95の郡名がのせられている。そのうち、現在も郡の名としてそのまま残っているものは、
55
.
郡ある。 60%近く( 57
. 9%)は、千年以上の歳月にもたえて、そのまま残って
いる。
また、生葉→浮葉、三毛→三池、築城→築上、伊作→伊佐のように、ごくわずか変化して
いるものや昭和になってから消滅した郡名、さらに’出至郡と志麻郡とがいっしょになって
糸島郡に、喜麻郡と穂浪郡とがいっしょになって喜穂郡に、 三根郡と養父郡と孟卓郡がい
っしょになって三養基郡に、飽田郡と託麻郡がいっしょになって飽託郡になったように、
『延喜式』の郡名を一部残している現代の郡名を加えるならば、 95郡名のうちの、 71
郡となる。約 75 % (74. 7%)である。
さらに市町村名として残っているものを加えれば、 95郡のうち、 80郡名が残っている
ことになる。 84. 2 %である。
そして、市町村以外の地名として残っているものや、昭和になって消滅した地名をも加え
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人文科学とデータベース」
るならば、 95郡のうち、じつに 90郡( 94. 7%)までが、なんらかの形で、残ってい
る。千年の流れにさからって、約 95%の郡名は、なんらかの形で残っているのである。
言語学の分野で、地名は、「言語の化石」といわれる。ふつうのことばにくらべ、地名は、
ずっと歳月による風化をうけにくい。
九州と近畿の地名の一致のナゾ
「
安)1」によって、第 1のふしぎな扉がひらかれ、「香山 Jによって、第 2のふしぎの扉が
ひらかれた。そしてさらに、私たちは、第 3のふしぎな扉のまえにたっている。それは、「九
州!と近畿との地名の一致」というふしぎな扉である。
地名学者、鏡味完二は、著書『日本の地名』(角川書店)のなかで、およそつぎのようなこ
とを指摘している。
一一一九州と近畿のあいだで、地名の名づけかたが、じつによく一致している。 11組の
似た地名をとりだすことができるが、これらの地名はいずれも、
(1)ヤマトを中心としている。
(2)海のほうへ、恰土→志摩(九州)、伊勢→志摩(近畿)
となっている。
(3)山のほうへ、官話→も
なっている。
d
→議(九州)、美濃→飛騨→熊野(近畿)と
これらの対の地名は、位置や地形までがだいたい一致している。
たとえば、金印のでたことでよく知られる北九州の志賀島の志賀と、近畿の滋賀とでは、
どちらも、音が「シガj で笠置山、三笠山の北にあり、水の近くにある。すなわち、志賀
島は、博多湾にあり、近畿の滋賀は、琵琶湖の近くにある。
鏡味完二の指摘は、ひじように興味のあるものである。北九州と奈良県との地図をひらい
て、もっとくわしくみてみよう。すると、私たちはつぎのようなことに気がつく。それは、
すでに述べた北九州の夜須町と、大和の国大和郷に、おどろくほどの地名の一致をみいだ
すことである。(図 3参照)
・北九州
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図 3 北九州の地名と大和の地名とのふし 5な一致
(
1)大和郷のまわりの地名
減
師陣
禽虫干
︷大飯山山
0
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」一一一一」一一一−−−'
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2)夜須町のまわりの地名
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反住吉(墨江)神社
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(北の笠置山からはじまって、時計の針の方向と逆に一周すれば)笠置山
→若自→御笠山→住吉(墨江)神社→ネ議→池田→三井→小田→三輪→ぎ逗
→筑前高田→長谷山→加美(上)→朝倉→久留米→主著者→香山(高山)→
鷹取山→笑議→弘謀→鳥屋山→上山田→山田市→田原→笠置山。
・畿内
(北の笠置「笠置山 j からはじまって、同じく時計の針の方向と逆に
一周すれば)笠置(笠置山)
→ぎ自→三笠山→住吉(墨江)神社→ネ議→池田→三井→織田→三輪→ぎ議
→大和高田→長谷山→加美(上)→朝倉→久米→新記→天の香山(高山)→
高取山→美芳議→国議→鳥見山→上山田→山田→田原→笠置山。
どちらにも、北方に、笠置山が存在する。三笠山、あるいは御笠山が存在する。住吉(墨
江)神社が存在する。
西南方に、三瀦、あるいは水聞が存在し、南方から東南方にかけて、鷹取山(高取山)、天
瀬(天ケ瀬)、玖珠(国様)が存在する。
これら 24個の地名は、発音がほとんど一致している。 24個の土地の相対的位置も、だ
いたいおなじである。おどろくほどの一致といってよいであろう。
s
住吉神社の近くには、話ザ迂< 守)、留芳
i苗)などの、類似地名が存在する。相対的
<
な位置を無視すれば、以上のほかに、奈良、出雲、八幡、芦屋、大津、恰土(または伊都)、
那珂(または名賀、那賀)、曽我(蘇我)、広瀬などの地名が、九州、!と関西の双方にある。
また、朝倉のあたりに、類似の地名が集中している。鏡味完二は、著書『日本地名学・科
学編』(日本地名学研究所)で、「民団が移住する場合には、その地名がもって選ばれ
た .・・日本の地名には割合に同種の古代地名が多く、その多い原因が偶然ではなく、必
0
然に歴史的に順序があって持ち運ばれて来た結果となったものと解せられる。 Jという折口
信夫博士の見解を引用し、つぎ、のようにのべている。
「著者はここで、上代の二大文化地域で、あった、北九州と近畿との聞に、地名の相通ずる
ものが、著しく目立って存在する事実を指摘し、伝うる所の神武天皇御東征の暗示する、
民団の大きい移動に、その基因をもとめようと考える。 j
地名についてのこのような事実も、邪馬台国東遷説を支持するものである。
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朝倉平野の中心部、甘木市、夜須町の近くには、高天の原神話の伝える「安J
1 (夜須川) J
f
香山」の地名が、セットの形で存在することも考えあわせるならば、高天の原、すなわ
ち、邪馬台国は、この地域に存在したものと考えられる。
甘木市からは、 1992年に、大環濠集落・平塚川添遺跡が出現している。平塚川添遺跡
は、全体的には、「吉野ヶ里よりも大きな集落群J といわれている。
また、最近、西暦 247年
、 248年の 2年つづけて、北九州の上を皆既日食が通りすぎ
ていることがわかった。 247年
、 248年といえば、卑弥呼が死んだとみられる年の前
後である。日本神話の伝える「天照大御神が天の岩戸に隠れた」という伝承は、卑弥呼の
死と皆既日食が重なったために生じた可能性がある。
-13-
(1)
中国の互の平均往位年数
25
22.29
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国 め週ぐい\斗内山、 MGNJ ﹁
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世界の王の平均在位年数
年
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三国時代の東アジア
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フ
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世配世記世紀世記
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天皇
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年
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天皇
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年
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数
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西洋の玉の平均在位年数
年
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平勾在位年数
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年
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古事記』神話の地名の地域別統計
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西
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天皇の没年
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主量
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12回
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〉
・
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1
19
天照大御神がひとり で
行動
。
1
2
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高御産巣日の神とペア
で行動
18
13
31
高御産巣日の神だけが
最高主権者的に行動
事テキストは、日本古典文学大 系 r
日本書紀a上巻(岩波書店刊)に よる
.
a天照大倒神と高倒産巣日の神が、ベアで行動している例はない.
・天照大御神をきしている こと があ きらかなばあいは、「自の神"大日婁の貴Jr
姉」
などをふくむ.
寧分監のなかに登場しているものをふ くまない.
計
天 の岩屋戸
前日
以
天の岩屋戸
よ りあ と
16
6
22
7
7
2
2
1
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計
5
。
。
。
﹃日本書紀﹂
計
。回日回
天の岩屋戸以前 荒田岩屋戸よりあと
高御産巣日の神が天.!1~
16
・テキス トは、日本古典文学大系 r
古 事 記 祝 詞 . (岩波.店刊} によ る
.
﹀門
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U 学味 付吋l
一
一
寸
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古事記」における最高主権者的存在の変化
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め習やい\斗んいし,G K J
で
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計
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﹁古事記﹄
高御産巣日の神だけが
最高主権者的に行動
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﹃日本書紀﹄
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天照大御神がひ とりで
行動
天の岩屋戸
よ りあ と
回
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﹁古事記﹂
天の岩屋戸
以
前
一軒が数
I
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五御る
五大す
一
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一時刻一市
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後 高 亀 後 後
冷 倉 山 小 光
泉
松 明
r日本書紀』における最高主権者的存在の変化
﹂天
略
40
一
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韓
国
所在不明︵治能碁呂島、淡島︶
30
ま
量
初﹂仁孝
20
日ム一祖武
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日
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神
武
天武
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前 百 姫 功
後 襲 説 皇
説 姫 后
説 説
東海道︵臨⋮誠一議⋮瑞臨︶
八天i
恋呼呼呼
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盗 H I I
年 I
I日
イ委神
山陽道︵酬明時計開問︶
'
-
倭
北陸道︵眠時一幽制制服、能登︶
I
。
︵
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︶
。
0
神卑卑卑
ー武倭弥弥弥
一東山道︵話一号酬明技︶
説,,,~
ー伊企二− <
;
i
<
戦一ーーーーーー一一ー− 239年 卑 弥 呼 、 貌 に 朝 貢
一畿内︵大和、山城、河内、和泉、慢さ
年内/”
L 南海道︵四国紀伊、淡路域間側一話︶
。
地山陰道︵山陰地方倒錯開明日時間服︶
s
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~!l 二回倭
大八
O王
御 0 0武
神年年説
説 3 前
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九 説
弘 均 台 一西海道︵九州地方向叩⋮鵡⋮市町一議︶
1000
5
1
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功目告
呼天皇天
I皇 后 皇
天 I
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﹃日本書紀
1500
﹁日本書紀﹂
﹃古事記﹄
1
0
安本の立場
大御神とベアまたは単独で最高
主権者的に行動する回数
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1
5
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1)大和郷のまわりの地名
(1
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(
2
)夜須町のまわりの地名
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(
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北九州の地名と大和の地名とのふしぎな一致
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圃E ilM l!!f:I匪
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・
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・
・
・
・
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高保生時代遺跡の推定分布(及 J
l
l
H
B文氏による)
函
園田
0
5
1
0
畑
」ーーームーーー」
高 層 247年、 248年の日食
写真は、禄式会社アスキ」祉のパソコンソフト『ステラナピゲータ jを用い、
日宜の状況をコンピュータ薗薗に表示させたもの。
醐
圃圃圃圃圃圃園町世田・園田匪置c•~·~•=rt~~罰図圃圃圃圃圃圃圃圃
247""3月 24日 1
8時 2
7分(福岡)
248年 9月 5日8時 2分(福岡}
一
248年 9月 5日6時 3分(福岡}
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粧 品 目 め週ゃい\先山、 MGLJ ﹁
ムI N ﹂
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門学根付匂I W
九州北半部の平野分布
満
困 ゆ週ぐい\斗市山、,
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埴 輸Jの形式(川西宏幸氏編年)
同句。∞防相HN
泊
⑨清寧天皇陵台演
V︵朝顔型︶
一叩仁賢天皇陵古境
@
⑧は、馬形樋槍または馬形石製品出土
φUi
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目の子鰻の寺︶鱒欽明天皇陵古墳ム四日
︵震体天皇紀、
断夫山古墳V⑥ BE
.一
︵命誕体天皇陵?︶一
蜘霊皇女陵古立与@害♂@域課駐陵ヲまたは蘇我の稲目の墓ヲ︶一
古宅’喧︵悔偲陣︶﹂
個吋岩山百績︵豊富︶一ぉ
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⑬⑨露天皇陵古噴−
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・・景行天皇陵古墳一
E⑨”::L: : @ : : : : : : ; : :l l・−::・4 0
一⑨中浮山古墳
⑮仲哀天皇陵?
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一
班︵朝顔型︶庁までは 、応神天皇皇后陵町 F、
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︵⑬ 1⑬ 荒 田 別 の 事 ︶ 一 ︵ 朝 顔 塑 ︶ ﹂
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一 太 田 天 神 山 古 墳 一 理 由 宮 山 古 績 ︵ ⑫ 1⑮ 武 内 の 宿 御 の 墓 ︶ 一
・町一⑫
点差仁九員事
面ι謡 訳 槌 専 ︶ 寸 劇 −
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一民
一唯一間刊︵朝顔
m一︶ ム 鈎
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附︵⑩倭遊遊日百袋姫命陵古墳︶一拍
・ 鴻 ・一・済薄暗鴻寝4暗
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−
一一一@燈徳山古墳一
市﹄、,J
︶
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一⑩ 大 彦 の 墓 ︶ ︿ 一
一
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一際+晶寸|||胡一,
一皇陵古墳後一広
︵⑩丹官国葺の墓
、一
/丹波の道回世一
﹃︶市成山古寝
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准︵朝飯型︶VVし吻一顕宗天皇捜
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②・.狐井柏崎山古墳品閣閣圃口﹂一
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⑤仁空白陵古町一川
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前方部編境丘全長比
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前方後円墳の築造年代推定図
同じ古績で
一致するか
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兵庫・績現山 51号(2
1・
9
) 岡山・湯迫車線〔2〕
(2
2・
0
)(
2
2・
0)京忽・縛井大家山(2
2・
0
)
神家 J
l
l・真土大緑山(2
2・1
)
26・吾作三神五獣鏡
兵庫・績現山 51号(2
1・
4
5)京都・繕弁大事富山〔2
)(
2
1・
5
)(
2
1・
5
) 愛知・百々町(伝) (
2
1・
5
)
31・吾作二神六獣鍵
福岡・大日(2
〕
(2
2・
0
)(
2
2・
0
) 岡山・湯迫車窓(2
2・
2
)
35・吾作四神四獣銭
兵庫・西~女縁 (19 ・ 8)
兵庫・宮島〔2〕
(2
3・
4
)(
2
3・
4)京都・待井大塚山( 2
3・
7)僻岡・赤門上(2
3・
7)個人蔵(2
3・
怜
・唐掌文明骨四神四獣鏡奈良・往味図笠原(2
3・
9
) 滋賀・曾野山{不明}
福岡・神厳(2
2・
3)山口・竹島御家老屋敷(2
2・
3
)l
訳
書g
.繕弁大措置山【3) α2・3
)(
2
2・
3
)(
2
2・
3
)
・欧文宇野囲神回目提鏡神奈川・白山(2
2・
4
)
兵庫・ヘポソ l
2(
2
1・
4)京畿・長法寺南原(2
)(
2
1・
5
)(
2
1・
5)愛知・東之宮(2
1・
5
)J
:
l
:
S・西車窓(2
1・
7
)
・唐草文字路ニ神二獣銚岐皐・円繍寺山(2
1・
7)綾.・長塚{濃縮〕(2
1・
7)大阪・石切神社{伝) (
2
1・
9
)
家良・佐’~m宝塚(不明}
福岡・石緑山〔2〕
(2
2・
4
)(
2
2・
4)京都・繕井大事E
山(2
2・
5)編同・原口(2
2・
6)繍岡・天神議(2
2・
6
)
・猷文帯三神三献鏡大分・赤縁(2
2・
6
)
大阪・室井”鎌山(2
4・
0)京事E・百々ケ池(2
4・
2)福岡・沖ノ島 17号遺跡(2
4・
3
)
(
2
1・
5)大阪・〔2
)(
2
1・
6
)(
2
1・
7
)家良..青山( 2
1・
7
)
207・獣文布陣三神三献鏡
般.・野中〔繭石室〕(2
1・
3)山口・長光寺山〔2〕
(2
1・
6
)(
2
1・
6)岡山・鎗山丸山{伝) (
2
1・
6
) 滋賀・亀.
(
2
1・
6
)
208.!.獣文第三神三獣鏡
福岡・ー貧山銚子縁(2
)(
2
2・
0
)(
2
2・
0)兵庫・甫大塚{不明}
(2
2・
0
)(
2
2・
0
)
福岡・ー貧山銚子縁〔2〕
213・獣文相骨三神三,U
!
直
愛知・出川大家(2〕
(2
2・I
)(
2
2・1
) 黒J
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l古文化研究所〔2) (
2
2・
1
)
十
(
2
2・
1)奈良・観音寺町(2
2・
2
)
鳥取・大将l
2(
2
2・
3
) 京都・積荷山(2
2・
3
) 大阪・矢作神社境内{伝}{不明}調書良・副首布署I (伝}{不明}
234・獣文裕三神三獣鏡
佐賀・谷口[西石室〕(2
1・
6
)(
2
1・
6)出土地不明(2
1・
7)大阪・阿武山(2
1・
8)滋賀・天王山(2
1・
8
)
(
2
)(
2
1・
2
)(
2
1・
2
)
変知・小本天王山〈不明}
000
4+4 +~+ 2+1
7 -
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。
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4+3+1+1
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2+2+1
7+5+5+4+3+2
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2+1
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佐賀・谷口〔東石室〕 α1・
0)福岡・ー貸出銚子縁【2
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2
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2
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)
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233・吾作三神三献銭
大阪・ヌク谷~t•
京 元 官1
9
。τ07
山口・長光寺山(21 ・ 3 )兵庫·•玉置i!
209・欧文宇野三神三献鏡
_
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2
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︺44A内 作 叫
大I
i・黛金山〔2) (24・4
)(
2
4・
4
)
206・獣文裕三神三献鏡
(21 ・ 6 )三•<伝)
。
。
。 ÷ = 許 七τ
。
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精九日目め週刊\い\川中市山、,
京都・篠井大家山(2
)(
2
2・1
)(
2
2・
1
) 家良・円照寺.山(2
2・
2
)
204・敏文衛三神三獣銭
墳
率
ト=舎
42 ・郷歯文帯四神図画~·
105・天王日月
る
寸
司r- 5+3+3+3+1
44・天王日月
93・天・玉・日・月
な
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一
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3 一 一
2
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.繕弁大緑山(2〕 (
1
9・
8
)(
1
9・
8)舗岡・石塚山(2
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0
)
広島・中小国 1号(2
0・1
) 大阪・万年山(2
0・1
)
46・天王日月
異
で
古致
{面 径 小 )
新鋳
sg防相尽辺
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径陸︶−
の
面舵領一
の問分一一晦
輸相川一口
一固定
同釦仁一個
鏡号一線
型 一−a
u
悶番一 1
(22)
「古い鏡J と「新しい鏡」(踏み返し鏡による)
古い鏡の出土古績と菌径
(商径の大きい鏡)
詮
新しい鏡の出土古績と面径
面径差・その他
(面径の小さい鏡)
②波文字停盤竜鏡
岡山・湯迫車塚古境
2
5
.
0
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m
兵庫県・吉島古境
2
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.
3
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2
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滋賀県・大岩山古演
2
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S
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m
群馬県・額母子古漬
2
1
.
7
c
m
愛知県・奥海社(伝)
③波文帯設竜鏡
奈良県・黒塚古漬
25cm
京都府・樽井大塚山古袋
⑨天王日月・獣文字骨
同向式神獣鏡
⑬陳氏作神獣車馬
鏡
2
3
.
4
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m
岡山県・湯迫車塚古漬
⑩吾作四神四自主鏡
(環状乳式)
⑫吾作四神四獣鏡
⑫吾作三神四獣鏡
大阪府・黄金塚古墳
0
.
5
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m
周溝墓
山梨県・銚子塚古墳
2
3.
5cm
岐皐県・旧可児町
2
2
.
6
c
m
奈良県・富雄丸山 1号墳(伝)
2
1
.
7
c
m
京都府・繕井大塚山古墳
2
1
.
9
c
m
2
2.
l
c
m
滋賀県・織部山古繍
2
3
.
l
c
m
千葉県・城山 l号古噴
2
2
.
2
c
m
五島美術館蔵
2
0
.
B
c
m
奈良県・新山古境
2
2
.
6
c
m
2
2
.
l
c
m
兵庫県・水堂古墳
京都府・芝ケ原 1
1号演
2
3
.
0
c
m
奈良県・佐味国宝塚古墳
⑭天王日月唐草文
宇野四神四獣鏡
2
3
.
9
c
m
@天王日月獣文帯
四神四獣鏡
鳥取県・旧社村付近(伝)
個人蔵
2
3.
8cm
2
2
.
l
c
m
兵庫県・吉島古演
2
3
.
4
c
m
兵庫県 ・吉島古墳
2
3
.
4
c
m
宮崎県・持田 4
8号境
2
2.
l
c
m
0
.
5
c
m
勝岡県・上平川大塚古演
群馬県・三本木(伝)
.奈良県・黒塚古境
0
.
6
c
m
0
.
5
c
m
2
2.
9cm
2
1
.
4
c
m
群馬県・天神山古繍
2
1
.
9
c
m
鳥取県
島根県
愛知県
岐阜県
千葉県
その他
計
0
.
6
c
m
2
4
.
5
c
m
琵琶湖文化館蔵
2
2
.
5
c
m
福岡県・藤筒第 6号方形
0
.
5
c
m
0
.
5
c
m
0
.
6
c
m
0
.
4
c
m
県名
兵庫県
;京 都 府
群馬県
奈良県
滋賀県
愛知県
0
.
4
c
m
0
.
4
c
m
0
.
4
c
m
0
.
9
c
m
0
.
5
c
m
0
.
9
c
m
0
.
5
c
m
0
.
4
c
m
0
.
5cm0
.
4
c
m
0
.
7
c
m
0
.
4
c
m
i
大阪府
岐阜県
静岡県
山梨県
千葉県
島根県
鳥取県
岡山県
愛媛県
大分県
熊本県
宮崎県
その他
計
新しい鏡
5面
(群馬県蟹沢古墳)
(静岡県連福寺古漬)
0.
0%
0.
0%
7
.
7
%
1
7.
4
%
福永イ申音量氏の説く三角縁
神 獣 鏡 A・B段階鏡のみ出
土した古境全体
5
3.
6%(37/6
9
)
46.4%
奈良県新山吉境
46.2%(6/1
3
)
53.8%
「長室子孫」銘内行花文鏡
の出土した古墳
43.5%(50/115)
56.5%
41
.
7%(5/1
2
)
38.9%(7/1
8
)
38.
5%(5/1
3
)
37.5%(3I8
)
58.3%
61.1%
群馬県出土鏡
兵庫県吉島古墳
福岡県石塚山古墳
群馬県三本木(伝)
京都府長法寺南原古境
静岡県出土鏡
兵庫県権現山 51号 墳
1
1
2
5
>
兵庫県西求女塚古境
山白県長光寺山吉演
岐阜県円満寺山古境
(京都府百々ケ池古墳)
福岡県出土鏡
京都府繕井大塚山古境
大阪府万年山古境
大阪府紫金山古墳
岐阜県百合ケ池古墳
岡山県湯迫車塚古境
奈良県佐味回宝塚古境
大分県赤塚古墳
(大分県免ケ平古墳)
(福岡県一貴山銚子塚古墳)
「
新
し
い
鏡
」
の
出
土
た
県
0.
0%
29.4%
30.0%
33.
3%
42.9%
42.9%
佐賀県谷口古墳
愛知県東之宮古墳
5
4
3
3
3
2
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
37
100.0%(5/5)
100.0%(6I6
)
古鋳度指数
100.0%(8I8
)
92.3%(12/13)
82.6%(19/23)
72.7%(8/11)
72.7%(8/11)
7
0.
6%(12/1
7
)
70.0%(7I1
0
)
66.7%(10/1
5
)
57.1%(12/21)
5
7
.1
%(8/14)
(岐阜県野中古墳南石室)
~
新鋳度指数
37.1%(23I6
2
)
36.8%(25I6
8
)
33.3%(4/1
2
)
1
8.
5%(5/2
7
)
1
8
.
2
%
(
2/1
1
)
15.4%(4/2
6
)
10.5%(2/1
9
)
9.1%(1/11)
0.0%(0/8
)
0.
0%(0/8
)
27
.3%
27.
3%
61
.5%
62.5%
62.9%
63.2%
66.7%
81.5%
81.8%
84.
6%
89.5%
90.9%
100.0%
100;0%
古境名をカッコでかこんだものは、指数算出のための分母
が 10未 満 で 、 数 値 の 信 頼 度 が や や ひ く い も の . 各 府 県 の
「新鋳度指数Jの算出にあたっては、同じ県から出土した向
型鏡は、比較の対象にふくめていない.
﹁
手枠什市IW1
ムI N ﹂
﹀ 片山
⑧吾作三神五獣鏡
2
4
.
S
c
m
2
3
.
4
c
m
2
2.
3cm
⑬新作徐州銘四神
四獣鏡
京都府・待井大塚山吉境
路み返しか)
5
4
4
2
2
1
1
1
1
1
3
31
古墳名
HE
瀦k
2
4
.
4
c
m
0
.
7
c
m
(
2回以上の
古い鏡
6函
明 尽 ︸山
群馬県・北山茶臼山古墳
①画像文字嘗盤貴重鏡
県名
奈良県
大阪府
福岡県
兵庫県
京都府
岡山県
﹁古い鏡﹂の出土した県
三角縁神獣鏡
同型鏡番号
《
'
2
6
)諸古墳などの出土鏡の「新鋳度指数」と「古鋳度指数」
《
Z令
》
zgh
(Zf)
s
c
∞防相同N泊
。仁賢 天皇陵古積
。日本武曲事自身 陵古噴
x
、EEノ
∞
−−
抽骨量鳳古植唄
−
固め冨ぐい\流山、 MGLJ ﹁﹀片草山附
ト
ム
舗一長
続一全
方一丘
前一場
/’\
丘全長比
INO
ー
。進出しのある古積
・三角縁神獣鍍出土吉積
iwムI
X
}
(
)
(
))
大丸山古績
−
前方欄後円髄枇(器護
司
書
今時嘱塚古崎明
。
んざい 古墳O Q民正天皇陵古岨咽
夫山吉積。
き
断
@三角縁神獣鍍が出土し、
かつ、進出しのある古墳
(
γ
、
1
1
5
0
1
1
0
30
三角縁神獣鏡出土古境鮮と造出しのある古繍群
(
Z
.
'
I
)
L一
)
l
)古い形式の「4世 紀 型 古 川 土 鏡 の 「 新 鋳
古
境
名
(1) 京都府南原古境
(
!
O
)
(
1
1
)
(
1
2
)
(
1
3
)
(
1
4
)
(
1
5
) 神奈川県白山古績
(
2
3
) 奈良県富山古墳
(20 京都西車塚古墳
け
(
2
5
) 京都府久津川車縁古境
@
⑬
@
⑮@⑪⑪@
⑩⑪
⑬
②@@@
@@
表1
6参照
⑫@@@@
@@@
表1
6参照
@⑪⑬⑩⑪
@@@@
@
@
⑪@
3
8
.9
%
(
7
/
1
8
)
3
3
.3
%
(
1
/
3
)
9
2
.
3
描(
1
2
/
1
3
)
2
5
.0
覧(
1
/
4
)
4
0
.
0
%
(
2
4
/
6
0
)
3
9
.7
%
(
2
5
/
6
3
)
4
8
.7
%
(
3
7/
7
6
)
4
7
.
5
克
(3
8
/
8
0
)
o
.
0
%
(
0
/
4
)
4
5
.
2
%
(
3
8
/
8
4
)
4
7
.U
i
(
4
1
/
8
7
)
1
0
0.
0
首
(3
/
3
)
.l
事
(5
3
/
1
0
4
)
7
0
.6
%
(
1
2
/
1
7
) 5
o
.
o
首
(0
/
5
)
4
8
.6
%
(
5
3
/
1
0
9
)
0
.8
'
1
(
6
1
/
1
2
0
)
7
2
.7
指
(8
/
l
l
) 5
s
o
.0%(1/2) 50.8%(62/122)
5
.
8
克
(8
7
/
1
9
0
)
3
6
.8
克
(2
5
/
6
8
) 4
7
.
3
%
(
9
5
/
2
0
1
)
7
2
.7
克
(8
/
1
1
) 4
8
.0
%
(
9
8
/
2
0
4
)
1
0
0
.0
坦
(3
/
3
) 4
0
.2
%
0
0
2
/
2
3
0
)
1
5
.4
%
(
4
/
2
6
) 5
4
.4%00
8
/
2
4
3
)
4
6
.2
%
(
6
/
1
3〕 4
一 一(
0
/
0
)
1
4.3
蒐(
1
/
7
)
1
0
0
.0
'
1
(
4
/
4
)
4
4
.4
%
0
0
8
/
2
4
3
)
4
3
.6
革(
1
0
9
/
2
5
0
)
1
1
3
/
2
5
4
)
4
4
.
5描(
2
叩 一 新 鋳 度 指 数 一 / 仇 表2
1の 最 … 積 新 鋳 度 指 数44.5%)
(
1
1
3/
2
5
4〕とのあいだには、統計学的に、偶然とはいえないちがいがみとめられる。カ j
イ自乗検定によれば、 1%水準で有意の差がみられる。
/
名
(
J
) 山梨県大丸山古績
福岡県神蔵古墳
静岡県寺谷銚子塚古績
静岡県赤門上古墳
静岡県松林山古境
大阪府真名井古泊
(
7
) 福岡県妙法寺2
号墳
(
8
) 福岡県一貴山銚子塚古墳
(
2
)
(
3
)
(
4
)
(
5
)
(
6
)
(
9
) 福島県会津大塚山古演
(
1
0
) 佐賀県杢路寺古境
(
1
1
) 大分県免ケ平古墳
C
l
2
) 奈良県桜井茶臼山古墳
(
1
3
) 京都府平尾城山古墳
(
1
4
) 大阪府紫金山古墳
(
1
5
) 大分県赤塚古墳
(
1
6
) 鳥取県 馬山4
号墳
a
(
1
7
) 大阪府和泉黄金塚古場
(
1
8
) 愛知県宇都宮古墳
(
1
9
) 奈良県メスリ山古墳
8
0
.天王日月・鋸歯文帯四神
四獣鏡
9
3
.天・王・日・月・唐草文帯
二神二獣鏡
向型鏡番号
⑪
@
⑪
@
⑪
⑪
@
@@@@⑪
@@@
@
⑪
@
@@⑪@⑪
@⑩
⑩@@@@
@@@@@
④@@@⑩
@
③
@
@
新鋳度指数
累積新鋳度備数
o
.
o
首
(0
/
2
)
2
0
.0
"
(
1
/
5
)
0
.0
事
(0
/
2
)
4
0
.0
"
(
2
/
5
)
一一( 0
/
0
)
.
o0%(0/3)
1
0
0
.0
%
(
1
/
1
)
l
.0
"
(
0
/
8
)
.
o0拡
(0
/
2
)
1
4.
3
耳(
1
/
7
)
1
1
.1
鬼(
1
/
9
)
2
1
.4
"
(
3
/
1
4
)
2
1
.4
%
(
3
/
1
4
)
1
7
.6
!
1
1
(
3
/
1
7
)
2
2
.2
%
(
4
/
1
8
)
1
5
.4
%
(
4
/
2
6
)
o
.
o
首(
0
/
1
)
.
o0%(0/1)
.
o0%(0/8)
1
4
.8
%
(
4
/
2
7
)
1
4
.3
耳
(4
/
2
8
)
1
1
.1
%
(
4
/
3
6
)
1
1
.I
首
(4
/
3
6
)
無測定記
入
値〈
ー
)
1
8
.5
%
(
5
/
2
7
)
9
.1
%
(
1
/
1
1
)
一一 (
0
/
0
)
0
掲
(0
/
2
)
.
o
.
o0%(0/3)
一一(ー)
1
1
.1
%
(
4
/
3
6
)
1
4
.
3
'
1
(
9
/
6
3
)
1
3
.5
草C
I
0
/
7
4
)
1
3
.5
需(
1
0
/
7
4
)
1
3
.2
%
(
1
0
/
7
6
)
耳(
1
0
/
7
9
)
1
2
.7
1
2
.7
揖0
0/79)
大分・赤塚( 2
3
.Q
)京都・長法寺南原( 23.0)京都・椿井大塚
山
( 23.2)奈良・桜井茶臼山(不明)
兵庫・ヘボソ塚( 2
1
.4)京都・長法寺南原[ 2
](
2
1
.5)(21.5)
愛知・東之宮( 21.5)京都・西車塚( 21.7)岐阜・円満寺山
(
2
1
.7)岐阜・長塚{東舘} (
2
1
.7)大阪・石切神社(伝) (
2
1
.9)
奈良・佐味回宝塚(不明)
2
.7)奈良・白石〈伝)( 22.8)
1
0
3.君・宜・高・官・獣文帯三 京都・長法寺南原( 2
神三獣鏡
﹁﹀片準特∼ H可l wムI N ﹂
(
1
6
) 兵庫県吉島松山古墳
(
!
?
) 群馬県前矯天神山古墳
(
1
8
) 京都府椿弁大塚山古墳
(
1
9
) 愛知県東之宮古墳
(
2
0
) 京都府寺戸大型車古墳
(
2
1
) 岡山県備前(湯迫)車塚古墳
(
2
2
) 奈良県新山古墳
記載な L
6
6
.7
%
(
1
0
/
1
5
)
描C
l
l
/
1
8
)
6
1
.6
6
3
.6
%
(
1
4
/
2
2
)
6
5
.2
%
(
1
5
/
2
3
)
施(
1
7
/
4
2
)
4
0
.5
墳
MGト
い
山口県長光寺山古墳
京都府垣内古境
佐賀県谷口古墳
千葉県手古塚古墳
愛媛県相の谷 l
号墳
滋賀県天王山古墳
長野県森将軍塚古墳
岡山県花光寺山古境
福岡県石塚山古墳
6
6
.7
%
0
0
/
1
5
)
3
3
.3
%
(
1
/
3
)
7
5
.0
描
(3
/
4
)
1
0
0
.0
%
(
1
/
1
)
1
0
.5
覧
(2
/
1
9
)
古
N
o
.
目
(
6
)
(
7
)
(
8
)
(
9
)
累積新鋳度指数
hF
京都府妙見山古墳
山梨県甲斐銚子塚古墳
静岡県午王動山 3
号境
奈良県佐味回宝塚古墳
@@@⑩
@
⑬⑮
⑬
@⑬⑮⑤@
@@@⑪@
@@
@@@
@@⑪
@@@@
@
新鋳度指数
判前
(
2
)
(
3
)
(
4
)
(
5
)
向型鏡番号
f J
防 相 同N ︸山
ぐl
'
I
新しい形式の「4世紀型古繍J出土銭の『新鋳度指数J
N
o
.
58
(2~)
三角縁神獣鏡の「形式』別「新鋳度指数」
古漬名
同型鏡番号
福永伸哉氏の説く三角縁神獣鏡
A・B段 階 鏡 の み 出 土 し た 古 噴 全 体
53.6%(37/69)
46.4%
三角縁仏獣鏡
52.4%(11/21)
47.6%
波文帯盤竜鏡
37.
1%(36/97)
62.9%
獣文帯三神三獣鏡
36.1%(30/83)
63.9%
同向式鏡(『正始元年銘』鏡を除くい
35.
6%(37I104)
64.4%
天王日月獣文帯四神田獣鏡
34.7%(41/118)
65.3%
(
1
)
(
2
)
(
3
)
(
4
)
(
5
)
(
6
)
(
7
)
(
8
)
山梨県大丸山吉境
福岡県神蔵古墳
静岡県寺谷銚子爆古墳
静岡県赤門上古墳
静岡県松林山古墳
大阪府真名井古境
福岡県妙法寺 2号績
福岡県ー貨山銚子塚古績
波文帯三神三獣鏡
33.3%(16/48)
66.7%
天王日月三神三献鏡
32.9%(27I82l
67.1%
「君宜・長宜J 三 神 三 獣 鏡
32.6%(14/43)
67.4%
徐州銘鏡
32.
3%(31/96)
67.7%
⑩
@
⑩
@
⑩
⑩
@
@@@@
⑩⑫@@
@
⑪
@
@@⑪@⑪
@⑩
画文帯五神田獣鋭
天王日月唐草文帯四神田獣鏡
32.2%(29/90)
67.
8%
31.4%(27/86)
68.
6%
画像文帯盤竜鏡
f
長 宜 子 孫J 獣 文 帯 三 神 三 獣 鏡
27.
6%(8/29)
72.4%
23.5%(8/34)
76.
5%
陳氏作神獣車馬鏡
18.0%(9/50)
82.0%
博山炉鏡
17.4%(4/23)
82.6%
17.4%(8/46)
82『%
新作徐州四神田獣鋭
16.7%(7/42)
83.3%
(
1
3
) 京都府平尾滅山古績
(
1
4
) 大阪府鍍金山吉境
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1
1
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1
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18
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表1
6参 照
⑫@@@⑪
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1
表1
6参 照
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⑪@@@
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⑮
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6
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0
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8
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1
5
いわゆる伐製鋭
いわゆる舶載鏡
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漬
2
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5.
0
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)
26面(2
0
.
6
%
)
48面
B群の古績
1
8面 (
4
5
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0
%)
1
0
0函( 7
9.
4
%)
1
18面
計 (
百分率
)
4
0面 (
10
0
.
0
%)
1
26面 (
1
0
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0%)
1
6
6面
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0 −貧山院予.吉積出土鍋《鍾岡県》
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3
2
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1
1
記載なし
(
1
6
) 兵庫県吉島松山古績
群馬県前橋天神山吉境
(
1
8
) 京都府機井大塚山古繍
(
1
9
) 愛知県東之宮古績
四 京都府寺戸大塚古績
(
2
1
) 岡山県備前(湯迫)車塚古尊重
(
2
2
) 奈良県新山古墳
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1
1
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⑬
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⑩⑩
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) 神奈川県白山古漬
三角.仏敵蝿
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『いわゆる曲線量ρ
画
⑭⑮⑫⑫@
@⑪@⑪⑮
⑮⑫
@@⑩
@⑫⑩
@@@@
@
(
6
) 山口県長光寺山古境
(
7
) 京都府垣内古積
(
8
) 佐賀県谷口古墳
(
9
) 千葉県手古書家古漬
(
1
0
) 愛媛県相の谷 1号境
(
I
I
) 滋賀県天王山古境
自
治 長野県森将軍塚古績
(
1
3
) 岡山県花光寺山古漬
(
1
4
) 福岡県石塚山古墳
−
・
。。
。
$R
(
2
3
) 奈良県宮山古境
(
2
4
) 京都西車爆古漬
(
2
5
) 京都府久津川車塚古境
213
2
.
1
2
26
いわゆる いわゆる
紡製鏡 舶載鏡
@@@⑩
@
(
1
) 京都府南原古演
(
2
) 京都府妙見山古墳
(
3
) 山梨県甲斐銚子塚古墳
(
4
) 静岡県午王動山 3号墳
(
5
) 奈良県佐味国宝塚古漬
・ 園 田 記 写I
I
{
『
いわゆる・0-J)
「いわゆる周怠鎗J
向型鏡番号
古績名
吐
⑩⑩⑩⑩⑮
⑩⑩@@@
④@@⑩⑩
⑮
(
1
5
) 大分県赤塚古漬
(
1
6
) 鳥取県馬山 4号墳
η
a 大阪府和泉黄金塚古績
(
1
8
) 愛知県宇都宮古境
日
叫 奈良県メスリ山古績
1面
1
1
1
1
1
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内.
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0前
蹟由紀年銘鏡・三角縁仏猷鰻と一貴山銚子壇古埴出土鍾の鉛同位体比
槽井大嫁山古慣出土鏑と議金山古漬出士銀の姐同位体比
山る績る
軍ゆ+aゅ
濁 一大 わ 山 わ
ιrF
川
品
瑚
一
・。
2
.1
5
(
9
) 福島県会津大爆山古境
(
1
0
) 佐賀県杢路寺古漬
大分県免ケ平古漬
(
1
2
) 奈良県桜井茶臼山吉繍
いわゆる いわゆる
t
古製鏡 舶載鏡
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0
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「正始元年J銘 鏡
54.5%(6/11)
号。∞防相巳迫
古鋳度指数
福永伸哉氏のいう傍製三角縁神獣
I-aの 鏡
新しい形式の『4世紀型古繍(B鮮の古場)」から出土
した「いわゆる佑製鏡Jと f
いわゆる舶戴鏡」の菌数
古い形式の f4世紀型古績(A群の古繍) Jから出土した
「いわゆる伐製鏡jと「いわゆる舶量産鏡Jの函数
司
新鋳度指数
名
鏡
C
a
z
J
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1
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(30)
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